風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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クリスマス記念SS 想色アンバランス - 8 -

 落ちる一瞬の間に、身体を誰かに抱き竦められた。
 誰か―――いや、ラベンダーの匂いがその人物をかなり特定する。でも、まさか。
 考える間なんてない。次の瞬間には床に叩き付けられ……だが、痛みが、かなり少ない。痛覚が鈍ってるせいかと思ったが、そうではなかった。
 俺は、床ではなく何か柔らかいものの上に落ちたのだ。慌てて身体を起こそうとするが、両腕の拘束のせいでうまく起きあがれない。藻掻いているうちに、目の前の何かが先に身体を起こした。
『 おい だいじょうぶか 』  抱き起こされて顔を上げた先の人間が、呼びかけてくる。閃光音響手榴弾―――スタンHGの影響で声は聞き取れないが、唇の動きで言葉は判別できた。
「甲、太郎…」
 呆然と顰められた顔を見遣って、「何で」と問いかけた唇は、声を発する前に塞がれる。あまりに短い接触だったが、俺を黙らせるには充分すぎた。
 離れた後、抱きしめられた途端にまた落下した。今まではどこか、台の上にいたらしい。それが床の上に落ち、直後、今まで居た場所に銃弾の雨が降り注ぐ。
 近くにあった壇らしきものの下に転がり込み、辺りの様子を窺った。
 下からは、上の様子が窺えないのだろう。ドレスアップした人間共が、突然の落下物と銃撃にパニックを起こしているのが見える。
 その中に、王老大の姿もあった。降ってきたのが俺だと、気付いていないようだ。当然か。
『 あたま さげてろ 』
 後頭部を押されて無理矢理に伏せさせられる。
 甲太郎は一緒に落としたらしい何かを構えて、天井に向かって撃ちだした。
 ゲパード、アンチ・マテリアル・ライフル。戦車の装甲をも突き破る、全長が人の背丈ほどもある化け物ライフルだ。甲太郎は、三脚を斜めにし、不安定な分を脚で固定して発射した。
 炸裂した瞬間、天井が不自然に砕けて数人の兵が落ちてくる。飛び出して蹴り飛ばし、昏倒させて銃を奪うと、俺も天井に向かって撃った。思わぬ反撃だったのか、一瞬、視界から兵の姿が消える。
 その隙に、後ろにいるはずの老大に向かって中国語で叫んだ。
「王老大ッ!客の避難をッ」
 耳鳴りのせいで自分の言葉すらうまく掴めなかったが、どうやら伝わったらしい。突然銃撃戦を始めた黒服が俺だと解ったのか目を見開いたが、すぐに大組織の賽主としての威厳を取り戻し会場の外へと人を誘導していく。
 援護するように奪った銃をフルオートセットする。混沌が支配していた部屋からは、すぐに人がいなくなった。
 それを見て甲太郎と合流しようとしたところに、また銃撃が降る。
 あいつは台の下にいたのだが、部屋にはまだ生身の人間がいた。穴の真下で、銃撃にさらされようとしている人物―――王老大の身体を、俺は庇うように押し倒していた。咄嗟の判断だったが、正解だったらしい。俺の腕を銃弾が掠るが、楯にならなければ老大を直撃コースだった。
「九龍君ッ!?」
「さっさと逃げろ、死にたくなければッ」
 部屋の隅に突き放し、台の陰に逃げ込むと、間一髪で銃弾の嵐。フルオートのアサルトライフルが十数丁あれば、降り注ぐ弾数の量がハンパじゃない。
 音は戻り始めているが、戻ったところでバリバリバリバリという銃撃音しか聞こえない。これでは視認するしか反撃するタイミングがなく、削られていく台の厚みに不安を覚える。
 僅かに顔だけ出して覗くと、部屋の広さは上と同じくらい。倒れている人間はとりあえず、見当たらない。甲太郎が身を潜める台は、おそらくオークショニアの立つ壇だ。そこからまた、ゲパードが撃ち出される。
 その隙に甲太郎の元まで転がり込み、壇上に置かれていた書類を手当たり次第、引っ掴んだ。
 再開される銃撃音が徐々に聞こえ始めて、ようやく甲太郎に呼ばれていたことにも気が付いた。
「…ろ……なれ…んじ…ね……」
「何だって!?耳が…」
 聞き返すと、強い力で引き寄せられて、耳元で。
「離れるなって、言ったんだッ!」
 あまりの剣幕にただただ頷くと、甲太郎は鼻を鳴らし、向き直って天井にまた一発。
 その物騒な銃はどこで?と聞くよりもまず、手に入れた紙の束に目を通した。
 ……ビンゴ、だ。いくつも羅列された覚えのある《秘宝》の名前。盗掘されてそれっきりになっているものもいくつか見受けられた。即行でスキャニングしてH.A.N.Tに取り込む。証拠である書類も懐にしまい込んで、銃撃戦に参加した。
 昏倒させた兵が持っていたのはP90、拘束状態では使うのは難しいがやるしかない。セーフティを外し、肩で押さえながら速射。打撲した箇所に反動が来て歯を食いしばりながら、それでも弾を散らし続けた。
 だが、いつまでも上を気にしている場合ではなかった。俺たちがいる部屋に、兵達が大挙してきたのだ。
「チッ…」
 舌打ちをした甲太郎が、装甲兵にゲパードの銃口を向けた。
「!!やめろッ」
「阿、呆!どけッ」
 思わず、銃に貼り付いて射出を妨害してしまう。
 アンチ・マテリアル・ライフルは、人に向けての使用が禁止されている。この類の銃は殺傷力が高いどころの騒ぎではなく、当たった箇所が根こそぎ吹き飛ぶのだ。胴体に当たれば上半身が消える、といったように。その理由は前に甲太郎にも話したことがあるが、実物なんざ、見せたくなかった。
 代わりにP90を撃ちっぱなしにして、
「スタンを!」
 聞いた甲太郎は、間髪入れずにそれを投げる。炸裂の瞬間、二人して目を閉じ、耳を塞いだお陰で効力からは逃れることができた。
 超至近距離で直視すると失明しかねないほどの凄まじい閃光と、一時的に鼓膜を使い物にならなくさせるほどの爆音で、兵達はしばらくの間、無力化される。ノクトビジョンなど着けているせいで光量が数倍化され、視力を失くしたものもいるだろう。
 部屋の中は混乱を極めた。隙を見て部屋を出ようとした俺の目に、こちらももろにスタンの影響を受けてしまったと思われる王老大の姿が映った。
 紅花会の賽主を、簡単に死なせてしまうわけにはいかなかった。それは、ハンターではなく幼い頃、中国の裏社会を生きた者としての何かかもしれない。とにかく、飛び出した先で俺は蹲る老大の腕を引いた。
 王老大は、眼を何度も瞬かせて俺の姿を認めた。
「九龍君……か」
 どうせ呼びかけても聞こえてないのだ。答えずに、そのまま部屋を飛び出した。
 先に出ていた甲太郎が、王老大を見て怪訝そうな顔をする。
「そいつは…?」
「紅花会賽主。生き証人、てヤツだ」
 軽く頷いた後、おそらくは両手の塞がっている俺が手を引くよりはいいと判断したのだろう。未だ方向さえ掴めない様子の老大の身体を肩に担ぎ上げた。
「とりあえずこの建物から出るぞ」
「解った」
「……にしても」
 甲太郎が、俺をじっと見て、眉間に深い皺を刻む。……言いたいことは、なんとなく解るが。
「まァ、いい。文句は後で言う」
「…そうしてくれ」
 嘆息して、そういえば、と。よくよく見れば、目の前の甲太郎は、なぜかタキシード姿だった。丁寧に白手袋まで嵌めて、その姿でゲパードをぶっ放していたのかと思うと似つかわしくないものがある。
「どうして、礼服なんか着てるんだ」
「あ?……念のためだよ。怪しまれないようにな」
 怪しまれないように、って、ゲパードで床をぶち抜いた挙げ句、蹴破った男が言う台詞ではない。お陰で助かったのは事実だが……あれではまるでハリウッド映画だ。格好、付けすぎ。
 走り出しながら横を見ると、甲太郎の機嫌はかなり悪そうだった。
 思い当たることは、多々、ある。調査だとかなんとか言って、結局このザマな俺に対してかもしれないし、休暇を潰して銃撃戦に巻き込んでしまったせいかもしれない。
 追い縋ってきた兵を上段蹴りで華麗に沈める姿には苛立ちが滲んでいた。
 同時に、自分の不甲斐なさと、情けなさに沈みたくなる。偉そうなことを言っておいて、結局はこれだ。呆れられても仕方ない。
 ………そうして、奥深くまで落ち込まない限り、切迫した状況だというのに甲太郎に引っついてしまいそうな気がして、余計に凹んだ。おそらくは薬の残滓なのだろうが、甲太郎に抱き竦められたときから身体の疼きが止まらない。口付けられたときはそれだけで危なかった。
「九龍ッ!」
 そんなことを考えていたら、廊下の四つ角から飛び出してきた兵と激突しそうになる。寸でのところで回避し、回し蹴りを喰らわせる。とどめに、後頭部に両手を叩き込みながら、その後ろにいたのにも順蹴りを見舞った。その兵が持っていたバックアップガンのソーコムを頂戴し、先へ進む。
 ようやく別館出口らしき扉が見えてきた頃、視界と聴覚の不良から脱したらしい老大が声を上げた。
 甲太郎が思い出したかのようにそこに降ろすと、老大は俺たちに何かを言う前に無線機のような物を取りだしておそらくは部下に、客の安否と、秘宝についての指示を出しはじめた。
 俺たちは先を急いだ方がいいと思ったが、そこを呼び止められる。
「待て」
「あんだよ」
 中国語を多少は解する甲太郎が振り返る。俺も立ち止まるが……できれば改まって話はしたくない。
「客は、怪我人はいるが全員無事だそうだ」
「そりゃ良かったな。代わりに、コイツがこんなだがな」
 甲太郎が英語で答え、俺の肩を引き寄せる。
「君には、申し訳ないことをしたと思っている」
「……いえ」
 それから、老大が喪部の名を出したとき、両脇の階段から装甲兵が降りてくるのが見えた。
「九龍、行くぞッ」
「あ、あぁ」
 一際瀟洒な扉を蹴破り、外に出ると―――一面、真っ白だった。
 背筋を駆け上がる寒さに一瞬足が竦む。そういえば、コートは預けっぱなしだったか。
「その辺の車を拝借しようぜ」
「拝借…って、お前はどうやって来たんだ?」
「ポンコツ自家用ジェット直通便」
「はァ!?」
 呆れている場合ではなかった。後ろから、問答無用で銃撃が襲ってくる。甲太郎は俺を抱えて植え込みに転がった。雪の冷たさに震えながら、視線だけで乗れそうな車を探す。話を聞くのは、後だ。
 その時だった。
「葉佩様ッ」
 後ろから、中国語で誰かに呼ばれた。屈んだまま後退ると、先にいたのは黒服の中国人だった。
「王老大からの指示で車をご用意させて頂いております」
「王老大、が…?」
「お急ぎください、ここは、我々が」
 見れば屋敷の広場には黒服が何人も、俺たちと装甲兵を分断するように立ちはだかっていた。一体、どういう風の吹き回しだというのだろう。俺はさっきまで、こいつらに散々っぱら殴る蹴るのサンドバッグ状態だったのだが。
 それが伝わったのか、黒服が気まずげに頭を下げる。
「……ご無礼は、お許しください」
「…………」
「おい、九龍、なんつってんだ?こっちは話が分からない」
 広東方言の混ざった中国語の応酬が聞き取れず、甲太郎は苛立った様子だった。
「車を貸してくれるんだと」
「そうか、なら話が早い」
「でも……」
 引っ掛かるものがあって、黒服を見る。何か、含みがあるんじゃないか?俺は競売を邪魔し、追われていた人間だ。
「車に細工はしておりません。こればかりは信じていただくしかありませんが……もちろん、乗り捨てていただいて構いません」
「……解った。甲太郎、運転、頼めるか?」
「ああ」
 鍵を受け取り、最近免許を取ったばかりの甲太郎が運転席に座る。俺も隣に乗り込み、未だパーティの続く屋敷を後にした。

*  *  *

 車内には血と、硝煙と、ラベンダーの匂いが入り交じり、訳の解らないことになっていた。
 甲太郎は無言でハンドルを握る。
 俺の方も疲労と全身の鈍痛から、シートに身体を預けたまま目を閉じてしまったため、眠ったのかと思われたのかもしれない。
 かなり回復してきた痛覚が、今は逆に全身を苛む。痛みと…甘さの混じった感覚に思わず声が漏れた。
「…く……ッ」
「おい?痛むのか」
「………大丈夫、だ」
 首を振ってはみるものの、張っていた気が緩んだせいで痛みは相当なものだった。身体は熱を持っているはずなのだが、一向に温まる気配はない。雪に転がったせいか、冷える一方である。
「随分、手酷くやられたな」
「喪部が、いた。……それより、甲太郎はどうしてここに」
「シルヴィアの未来予知で危ないって知ってな。隻眼のウィリーに飛ばしてもらった」
「……悪かったな、折角の休暇中に」
 後で別の日にちゃんと取ってもらうから、と言った途端、甲太郎は乱暴にハンドルを叩いた。
「そういう、問題じゃねえだろうがッ」
 吐き捨てられる言葉の意味が理解できなくて申し訳ないと、心底思う。
 窓の外に目をやれば、街は雪に覆われつつあった。中国のけばけばしいネオンがクリスマスを飾る。命懸けの銃撃戦など素知らぬ顔で、12月24日なのだ。聖夜の意味を持つ夜に、けれど俺たちにそんなことは関係ない。
 甲太郎はちゃんと俺の泊まるホテルの場所が解っているようで、車はそちらに向かっていく。しばらくは無言を決め込んでいたのだが、呟くように甲太郎は。
「こんなことに、なるなら…」
 思い出したようにアロマパイプを口に銜え、苦々しげに呟く。
「クリスマスでも何でもかこつけて、行かせるべきじゃなかった」
「……だから、悪かった、って…」
「お前の『悪い』は、何に対して謝ってるんだ。勝手に休暇の日を変えたことに対してか?一人で潜入調査をしたことに対してか?俺が休暇なのに中国くんだりまで来たことか!?」
「…全部、だよ」
 こうも突き付けられると流石に自分のしでかしたことで甲太郎にも、おそらく協会にも面倒をかけたのだということが解るのだが。
 急に停止した車を怪訝に思って身を乗り出すと、雪化粧のせいで分からなかったが、ホテルの前だった。着いたなら降りようと、軋む身体を動かそうとしたとき、長い腕が伸びてきてドアを塞いだ。
「お前は、何も、解ってないんだな」
「ぇ……」
 耳元で囁かれる声音が、問答無用でキレていた。一年間で数度、その声を聞いたことがある。大抵が、元々甲太郎が怒っている理由を、俺が測り損ねたことによるものだった。今回も、どうやら、そうらしい。
 恐る恐る振り返ると、にこやかに微笑んだ甲太郎が居た。眼だけが、氷のように色を無くしているばかりで。
 目が合った途端、シートに引き倒され、甲太郎が覆い被さってくる。抵抗しようにも狭い車内、両手は使用不可、全身関節痛。勝ち目は、なかった。
 真顔に戻った甲太郎は、酷く優しい所作で俺の顎を引き上げた。その真摯な表情に、油断した。次の瞬間には唇を塞がれ、侵入してきた舌に思考が吹っ飛ばされる。脳味噌の中を掻き回されているような錯覚に陥って、しばし呆然とそれを受け容れるしかない。
 途中で息苦しさから甲太郎の胸を押し返した。
「ちょ、っと、待てッ!何、んッ……」
 全くの徒労に終わるのだが。
 とっちらかった頭の中で思考をどうにか組み立ててみるものの、脱出手段を導き出せない。それどころか、熱を生む火種が身体の中にいくつも灯る始末。
 これは、まずい。
「……甘い」
 ようやく離れた甲太郎が、小さく舌を出したまま呟いた。
「パーティで薬用シロップでも飲んだのか?」
「中国、酒……飲んだ、せいだ」
「嘘こけ。甘い酒、嫌いなくせに」
 そう言って、もう一度俺の口の中から薬の残滓を舐め取っていく。
「一体、あそこで何があった?」
「別、に。途中で、見つかって、……それだけだ」
 途端、胸ぐらを掴まれた。
「手枷にキスマークに、ボタンが飛んでてそれだけ、はないよな?」
「…………」
 ここで否定しても肯定しても、ロクなことはない。何も言わず視線だけを返すと、いや、それでもロクなことはないようだ。結局、怒りが収まらないのだから。
「…誰にも、触らせんなって、言わなかったか?」
「不可抗力だ」
「抵抗できないほどの何かをされたってことか?」
「いきなり意識飛ばされて殴る蹴るでどうやって抵抗しろっていうんだ」
 その一言は、余分だった。
 すっと目を細めた甲太郎は、俺から離れると車の外へさっさと出て行ってしまう。ホテルに戻るのかと思いきや車の前を通り、こちら側のドアを開けて俺の身体を無理矢理引きずり出した。
 甲太郎が脱いだ上着を引っ掛けられ、そのまま横抱きに抱えられてホテルに連れ込まれる。普段なら、ふざけんなと一発や二発蹴りでもくれて終いだが、今は暴れてもすぐに押さえつけられてしまう。
「俺が何に対してどんだけ怒ってるか、足腰立たなくなる程度に解らせてやるよ、一晩掛けてな」
 俺を見下ろした甲太郎の目に、冗談の色は、全くなかった。