風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |

クリスマス記念SS 想色アンバランス - 3 -

 仮宿としているアパートメントに九龍が帰ってきたのは、遺跡から出て俺と別れてからかなり時間が経ってからだった。
 そして、帰ってきてからの第一声が、「甲太郎、24日も丸々休暇が取れたから」だった。
 驚いたが…まぁ、喜んださ。顔には出さないけどな。
 年末のクソ忙しい時期だ。ハンター共が血眼になって休暇の取り合い合戦を遣ってる中、よくも二日も続けて、しかもそんなイベントにぶつけた休みを取れたものだ。
「一体、何をしたんだ?ロックフォードに色仕掛けでもしたか」
「するか、阿呆。そうじゃないけどさ」
「いいさ。ここしばらくゆっくり寝る暇もなかったからな」
 薄手のコートを脱いでハンガーに引っ掛けると、九龍はコンタクトを外すと愛用の眼鏡を掛け、資料の束をデスクの上に置いた。乱視はかなり矯正されたようだが、それでもまだ、視界はぼやけるのだという。
 その背中は、いくぶん男らしさを増した。日本人成人男性の平均身長は下回るものの、長い腕や脚のためか以前のように「チビ」と形容することはできない。遅咲きの成長期、と本人が言うように、顔立ちも変わったように思う。真ん丸だった眼が、線の美しい切れ長になり、ガキ臭さを漂わせていた輪郭も、今では細い顎筋が通る。
 整ったシルエットの後ろ姿に、不覚にも見惚れていたせいだろうか。次に続いた言葉が脳天を直撃した際の衝撃が、凄まじかった。
「連休だしさ、ご両親とこでも行ってきたら?」
「………は?」
「もう数年、会ってないとか言ってたじゃん。いい機会だから、行ってきなよ」
 タチの悪い冗談だと思った。両親?ああ、そういえば今年の正月も盆も彼岸も帰らなかったな、実家、って、そうじゃない、なにを現実逃避してるんだ、俺。
「おま、何言ってるんだ?」
「だって、俺は仕事だし。いくら甲太郎でも二日間寝続けるのって厳しくね?」
 どうやら、九龍は本気らしい。英語で印字された紙を、俺の方に差し出して見せた。ずらりと羅列された英名の中に自分の名を見つけ、よくよく見れば24、25日の欄はブランクになっている。そして、九龍の箇所にはそれぞれ別の地名が並んでいた。
「俺は24日の午後から中国。うまくいけば一泊で帰ってこれる予定。その場合は25日の夜にこっち戻って報告書提出。26日から通常営業再開」
「…………」
 随分、あっさり言ってくれるじゃないか。こっちは衝撃で言葉が出ないってのに、いい気なもんだ。
「休みが潰れた代わりに、今やってる碑文のアレは納期伸ばしてもらったから、年明けまでは結構ゆっくり…」
 デスクの整理をする九龍を、無理矢理に振り向かせる。驚いたのか、唇だけが続く言葉だったであろう『できるよ』を形取ったが、音にはならなかった。
「どういうことだよ」
「どういう、って。そういうこと。中国でね、紅花会っていう黒社会が秘宝で裏競売を…」
「そういうことを聞いてるんじゃない。お前は空きだったはずだろう。担当官だってその日には予定は入れないって言ってたはずじゃなかったのか?」
 追求に、眼鏡の奥の眼が細くなる。不快の表情でも浮かべるのかと思いきや……やはり、笑うのだ。それを見て余計に俺が苛立つことを知らないからこういう顔ができるんだろうな、こいつは。
「しょうがないじゃん?そういうことに、なっちゃったんだから」
 絶句というのはこういうことを言うらしい。見事に、何も言葉が出ない。ただ九龍の腕を握る指先にばかり力が籠もる。
「手、結構痛いんだけど?」
「………」
「ったくー、メシの準備しなきゃだからさっさと離していただけると有り難いね」
 巫山戯たように振った手は俺から逃げる。九龍は引っ掛けてあったエプロンを着け、台所に立った。伸びた前髪を高校時代から使っている髪留めで纏め上げ、腕まくりをする姿はいつもと何も変わらない。
「昨日のカレー、カレーうどんにしちゃうけどいい?」
「……勝手にしろよ」
 それは、全ての意味での勝手にしろ、だった。
 約束、はしていなかった。同じ日に休暇を取ったというだけで、その日をどう過ごすだの、元より一緒に過ごすと言うことも言葉にして確認したりはしていない。だが、暗黙の了解だと、それは俺の勝手な思いこみだったのか。
 あいつはそんなことを考えもせずに、勝手に予定を組んだのか。
 だとしたら、とんだ茶番だ。滑稽以外の何物でもない。
 吐き捨てるような俺の言い方に、シンクの前に立っていた九龍が顔を上げた。
「そんな、怒ることじゃねーだろ」
「ああ、そうだな」
 答えながらソファに身体を投げ出し、アロマパイプにカートリッジを差し込んだ。だが、いくらラベンダーの香りに満たされても、胸の底に淀む苛立ちは晴れない。
「なァ」
 機嫌を損ねたと言うことは理解できたのだろう。ソファの背の向こうから顔を覗き込んでくるから、思い切り胸ぐらを掴んでしまった。頭の中は真っ白でも、相当怒っているらしい、俺は。
「あ、危ねッ!馬鹿、落ちるだろ!」
「落っこっちまえ」
 変にバランスを崩した九龍と顔が接近して、思い切り不機嫌な顔を突き合わせる。胸ぐらを掴んだままの体勢で睨み上げると、目の前の困惑に揺れる瞳は何かを諦めたように、伏せられた。
「……別に、二人で過ごすとか考えてなかったんだろ?」
「何……?」
「だったら、いいだろ。俺は仕事、お前は休み。ここんとこ、無理にスケジュール詰めて悪かったな」
 ゆっくり寝て過ごしてください、という言葉で合点した。
 一昨日だかその前だか、本部で俺たちが話していたのをこいつは聞いていたのだ。それも、俺がマセガキやらが鬱陶しくて声を荒げた、そこをピンポイントで。
 九龍は、「ゴメンな」と言って、俺の胸を軽く叩いた。いつの間にか掴んでいた手は離してしまっていたが、離れていく背中を見て酷い喪失感に襲われた。九龍は、そこにいるというのに。
 スッと、呼吸が冷たくなる感覚は、遺跡に取り込まれていたときのことを思い出させる。いつも隣にいながら、俺は九龍を掴みきれない。何かを測り違えてすれ違い、苛立ちばかりが募っていくのだ。
 奔放なようで人一倍気使いな九龍の気質は、言いたくもないことまで口にしてしまう俺とは根本的に相性が悪いのかもしれない。今になって、そんなことに気が付くなんてな。
 遅い、とは言わない。手遅れになるのは何かを失ったときだ。それくらいはここまでの間に学んださ。ただ、その前に手を打たない限り、状況は悪化していくだけだ。
 俺は、寝室に行って荷物をまとめた。必要最低限、いつもそこら中飛び回るのに持ち歩くだけのものだ。
 それからリビングに戻り、細身の背中に声を掛ける。
「九龍、明日は何時から調査だ」
「え……?」
「時間になったら指定された場所に行く」
 小麦粉を取りだしていた九龍は、俺を振り返って固まった。
「甲…それ、何……どっか、行く、のか?」
「今日はホテルに泊まる」
「何で…」
 理由に思い当たったのだろう、あ、という顔をしてから片手で顔半分を覆った。
「……ゴメン」
「別に、お前が悪いんじゃない」
 俺に、頭を冷やす時間が必要なだけだ。
 ここで、いつものように過ごしたとしたら、必ず俺は九龍を傷付ける。今だって、喉元まで迫り上がってくる黒い塊を押さえることで精一杯なのだ。追求、非難、文句に罵倒。それを聞いても尚、無理に笑いながら謝るであろう九龍を、見たくなかった。
 傷付けて、その傷が取り返しの付かない何かを生み出すなら、その前に距離を置く。
「ホテルが決まったら連絡する。お前も、戸締まりはちゃんとするんだぞ」
「ちょ、っと待てよ、甲太郎…いきなり出て行くなんて……ゴメン、俺が悪かったって」
「謝ってほしいわけじゃない、言ったろ?お前が悪いんじゃないんだ」
 言い聞かせるようが、九龍の顔色は目に見えて悪くなっていく。血の気が引いているという状態なのだろう。
 ここで抱きしめてキスでもすれば話は簡単だ。だが、根本的な解決には何もならない。いつかまたこういう状況が来る。すれ違いが積もり積もれば、一時でなく永久に離れるという選択肢さえ浮かびかねない。
 そんなのは、ゴメンだ。そして、色々と考えるには九龍の存在は大きすぎる。顔を見れば抱きしめたくなる、謝られれば許してしまう、……刹那的な繰り返しで、一体何が解決するというのだ。
「……じゃあな」
 振り返らずに部屋を出る瞬間、背中に刺さった「ゴメン」というか細い声。
 振り返れば、ここから離れられなくなるのは解っていた。だから、聞こえないふりをして、扉を閉めた。

 話がしたい。けれど、それは今じゃない。
 感情が先行しないよう、状況が落ち着いた頃に。
 九龍と離れたことで感じる、胸の痛みのことも。
 隣に誰も立たないことで感じる、得体の知れない寒さのことも。
 今までのこと、これからのこと、全てを。
 話そうと、思った。