風云-fengyun-

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クリスマスSS 同じ空を見ていた - 9 -

 ナダルチカも保護し、体力も回復し、万事がいい具合かといえば必ずしもそういうわけではない。退路は断たれたまま、どう足掻いても手前の部屋のからくりは解けず終いだった。
 ここに来て駄犬は自分のせいだと深く落下、事態を完全に把握した少女も自分のせいだと重く沈鬱。甲太郎と顔を見合わせ、成績がよかろうとやはり訓練生なのだと笑いあってみる。
「……何がおかしいんだよ」
「別に。さっきはそれ以上ナダルチカにべたべたするなと喚いてたくせに、状況を振り返った途端いやに大人しくなったな、と」
「わ、悪かったなクソッ」
 悪態をついてみるものの力はなく、ついでに顔色もなくしている。まるで、永劫出ることのできない監獄に閉じこめられた哀れな犬が如く。俺はその姿がおかしくて、ついでのようにもう一度吹き出してしまう。
「んな顔するな、鬱陶しい」
「ってよ、……クロウだって、キレてんじゃねーかよ、こんなことになって」
 ぶつくさと呟かれ、俺は「は?」と首を傾げる。そして、合点。仏頂面を怒っていると勘違いされているのだ。今度は隣で甲太郎が吹き出す番だった。
「こいつのコレは、キレてるとかじゃなくて、素なんだよ」
「「素?」」
 二人はハモり、ナダルチカだけが思い当たったように声を上げた。
「普段、けたけた笑ってるのはフリ。笑うのさえ面倒くさい、って顔してる方が本当は素、なんだけどな」
「…………」
 昔のことを引っ張り出されたり精神が追い詰められたりすると笑わなくなるというのは、高校時代に付いた癖。それを止めろと言ったのは同じく高校時代の甲太郎であり、けれど、俺がやはり笑っていなければならない焦燥感に駆られたのもまた、甲太郎に因している。
 温度差の激しい俺の表裏に、しばらくは戸惑っていたような二人だったが、ナダルチカはあっさりと「最初もこうだった」と納得していた。ジェリコだけが、「なんか怖ぇ……」とほざいていたから、「ナダルチカを蹴り殺しかけたときとどっちが」と聞いたら、ようやく黙った。
「で、仏頂面の教官殿、これからどうする」
「どーするもこーするも、先に進むしかないだろ。退路塞がれてんだから」
「了解」
 分かっていたよ、というように甲太郎は頷き、魂の井戸から出て行く。
「進む、って……この先にか?」
「他にどこに行くんだ」
「でも!おっさんは、ナディを見つけたらさっさと戻れって、」
「戻れないだろうが」
 尻込みをするジェリコだが、気持ちが分からないでもなかった。こいつ自身は、先に進むということを言うほどには恐れていない。恐れているのは、進んだ先に待ち受ける何かが、せっかく戻ってきた相棒を飲み込んでしまうことだ。そして、こいつには分かっているのだ。あの絢爛豪奢な扉の向こうに、どんな物がいるのか。
「進みたくないならここにいろ。俺たちで片付けてくる。その代わり、ここから出るなよ」
「私も行きます」
「ナディ!!」
「ったく、どうるすんだ。さっさと決めろ」
 すると、自分は決めているとばかりに進もうとするナダルチカの肩を、ジェリコが強く掴む。
「どうしたの。行かないの?」
「ナディ、よく考えろよ。ここに来るまでだって、散々だったろ。ここから進んで、もし死んだらどうすんだよ」
「そうしたらそれで、仕方ない。……行かないなら、置いていくよ」
 振り払う手を、追いすがるように掴む手。苛立ったようにジェリコを見上げたナダルチカが、一瞬たじろいだのが分かった。
「いつもそうだ。俺なんて見えていないみたいに、先に行きやがって。そうしたら俺は、追いかけて、追いつくしかねぇだろうが」
 真面目な顔をして言い放ったジェリコの言葉を聞いて、……こんな雰囲気だというのに俺は、別の誰かを思い出してしまい、赤面しそうになって慌ててその場から逃げ出した。
 出ればその『誰か』がいるのは分かっていたが、そっちと顔を合わせる方が遙かにマシだ。甲太郎はぷかりと一服やりながら、少し眠たげな様子で壁にもたれていた。
「何だ、どうするか決まったのか?……お前、何赤くなってんだ。調子悪いのか?」
「いや……何でもない。ちょっと、昔を思い出しただけだ」
「は?」
「……俺たちも、若かったよなってことだ」
「お前、んなことマットやらジャックの前で言ったらぶっ飛ばされるぞ」
 そう、軽く笑う。
 あの夜は、俺たちこそがさっきの二人みたいに、切羽詰まって、追い込まれて、……そういえば、もう二度と笑いあったりしないのだろうと考えながら別れを告げていたことを思い出す。
「……んなこと言ってるけどな、言うほど、俺らだって変われたわけでもない」
「そう、か?」
「そうだろ。何年経っても、俺はお前のことをほとんど知らないし、お前も俺のことは知りたがらない。ついでに言えば、普段笑っているのだって、そうだ。結局は踏み込まないし、踏み込めない」
「…………」
 それは、……と、言いかけてやめた。口にしたところで、全てはただの言い訳になる。俺が過去を話さないのは怖いから、笑い続けるのは……許されてないと、未だに思うから。それはすなわち、甲太郎に想いを託しきれない俺の弱さが原因。
「俺からしてみりゃ、あの二人みたいに、感情剥き出しで飛びかかってくるくらいの方が分かりやすくていい」
「それで、後からいちいち凹んでずたぼろになるのは分かってんだろ。んなの、面倒くさいだけだ」
「遠慮して薄っぺらく笑ってるくらいなら、ぼろ雑巾みたいになって死にそうになってるお前が見たいよ」
「……こんの、弩サド」
「どうも」
「褒めてねぇよ」
 一発蹴りでも食らわせようかとしていたところに、魂の井戸にいた二人が出てきた。
 だが、どうも様子がおかしい。相も変わらずふて腐れたようなジェリコは何も言わないし、同じように何も言わないナダルチカも機嫌が悪そうだ。
 どうした、と聞かれまいとするかのように、手早く銃とナイフのセットに入る。ジェリコも同じだ。妙にきつい顔をして、MP5のセットをしている。
 何があったのか気にはなったが……、俺は甲太郎と顔を見合わせて、聞かないことで同意した。行く気にはなったようだからそれでいいし、二人の手元に迷いはない。
 これなら大丈夫だと判断して、俺は朽ちかけた、けれどもおどろおどろしく不穏な空気は纏わせたままの扉を押した。

*  *  *

 相も変わらず、この空間は辛気くさい。
 世の中の怨嗟を詰め込み、宿命で攪拌して気の遠くなる年月で風化させている。よくない感じに乾いた空気は、人間の精神の隙間に流れ込んでくるようで心地が悪かった。
「いやに、静かだな」
「扉も、錠なしであっさり開いたしな。……《墓守》がいない、って可能性もあるんだが……」
 そうなると逆にこちらは手詰まりになる。墓守は、遺跡の最後の鍵。倒せば遺跡自体の封が開けられるため、退路を塞いだ石柱も消えてくれると踏んだのだ。
「……もし、このまま何も起きなかったら?」
 緊張しているのか、硬い声音でナダルチカが問う。
「何も起きなかったら起きないまま。干涸らびるのが早いか、救助が早いか」
 甲太郎が意地悪くもにやりと笑ったその時、背後でゆっくりと扉が閉まった。重々しい音は、まるで地獄の釜が閉まるよう。
「……来たか」
 ぞわぞわと耳障りな音が響き始める。薄暗がりの向こうを見ようと、ノクトビジョンを作動させた俺が見たものは、
「マジ、か……」
 これに遭遇して生き残ったのは、リック・オコーネルかマット・インディ・ジョーンズか。無数に蠢くスカラベは、ほぼ間違いなく肉食に違いない。一匹でも体内に入られたら最後、内臓まで貪り食われる。生憎と、こっちには消えない松明もなければクリスタルスカルもない。
「甲太郎ッ」
「分かってる、下がれ!」
 迫り来る極小の脅威の波に向かって、甲太郎が一撃を見舞う。弾は炎焼榴弾。炸裂と同時に炎が上がる。
 装填、射出を三度繰り返したところで、散らばっていた殺意が方向性を揃えたのを感じた。部屋の奥、ごうごうと音を立てて燃える無数の死骸の中から、ゆらりと何かが立ち上がる。
 半歩後ろに立つ二人が一気に緊張感を滾らせる傍ら、
「……まあ、そうなるよな」
 アサルトライフルを肩に担いだ甲太郎は、飽きた、というかのように嘆息をひとつ。この稼業を始めてから、連綿と続き、繰り返されてきた光景だ。もう驚くようなこともなく、俺は二挺の恋人たちを構える。
 ノクトビジョンの向こう側、熱感知が真っ赤に染まる中に、幽鬼のように佇む姿には見覚えがある。エジプトの壁画に描かれる神だ。
「エジプト神話史でやったか?片手にアンク、片手に杖。頭はまんまスカラベ。答えてみろ」
「今、んなこと言ってる場合じゃ……」
「いいから答えろ」
「ケプリ、ですか」
 硬い表情でナダルチカが答える。正解、と頷いてやると、隣で喚いていたジェリコがさらに騒ぎ出した。
「ケプリ、って、神じゃねぇかよッ!しかも、ラーの化身てことは、神も神、最高神だろ!?」
「そういうことになるか」
「なるか、じゃねぇ!どうやって闘りあえってんだ……」
「どうもこうも。こう、すん、だよッ」
 鬨の一発、甲太郎が放ったグレネードが、ケプリを直撃した。
 低く声を上げたジェリコを尻目に、俺は一気に距離を詰める。
 見れば見るほどスカラベだ。スカラベから太陽と星の輪廻を連想した古代エジプト人の想像力には、本当に恐れ入る。
 ケプリは、炎によるダメージをほとんど受けていないように見えた。当たり前か。司る元素の中に火があるのだから、その制御など容易いはず。ま、太陽神に火なんざ効いたら逆に驚くが。
 小手調べにまずは銃撃、真っ正面から馬鹿正直に撃ちっ放す。着弾の手応え、なし。右手に構えた杖を振られた途端、全弾叩き落とされた。
 効かない、となれば墓守共はたいした防御をしてこない。それなのに、銃弾を弾いたということは当たりさえすれば効果的ということに他ならない。
 結論を脳味噌に叩き込んでいる、ほんの数瞬の間に、今度はケプリが攻撃態勢に入った。手に持つウアス杖を一振り。直接殴りつけるわけではもちろんないが、放たれた何かが直撃した瞬間、身体に掛かる重力が一気に上がる。
 頭が重い、身体が動かない、目が眩み、倒れかける。
 攻撃をもろに食らった俺を支えたのは、甲太郎だった。腹と脇に腕をかけられ、引っ張られる。甲太郎がこうも易々と俺の身体を動かせるということは、物理的に俺が重くなったのではない。
 これは、呪詛だ。
「九龍、阿呆!油断すんなッ」
「別に……油断したわけじゃない」
「お前なー、だからって自分の身体使って試すこたないだろうが!」
 ずるずると部屋の端に引きずられていると、見ていた二人がすっ飛んできた。
「クロウ!お怪我は!!」
 とりわけナダルチカは蒼白の顔色。俺がやられるとそんなに不安か。
「お前……まさか、」
「俺はもう動けない。悪いな。後は頼んだ」
 やる気なく、ひらひらと手を振ると、合点したらしいジェリコがはめられたとでも言いたげに顔を歪ませた。
「とりあえず、銃は効く。弾かれるから注意しろ。あの杖からは、こんなことになる攻撃が飛んでくる。アンクを左手に持っているから、その意味も考えろ」
 じゃあ頑張れ、と傍観に入る。甲太郎が隣で呆れたように嘆息した。
 唇を噛むジェリコとは対照的に、ナダルチカはナイフを持ち替え、俄然やる気だ。眼には戦う意志、後は突っ込むだけ。火の玉みたいな突貫体質。
「分かりました。殺ってきます」
「ナディ!!」
「……ん、もぅ、しつっこいんだよ!!」
 制止しようとするジェリコを、一喝。俺は、ナダルチカの怒声というものを、ここにきて初めて聞いた気がする。
「チェリコ、あたしのこと心配だっていうけど、まだ分からないのか?あたしは、獲物を見れば襲う。戦うことに躊躇なんてしない。怖がるなんて、できない。そう決めた。そうして来たし、これからもそうして行く。ずっと一緒にいて、それがあたしだって、まだ分からない!?」
 ……あら、ま。
 ナダルチカの大喝を聞いて、俺の肩からすとん、と何かが落っこちた。それは、もうナダルチカの目指した葉佩九龍をやらなきゃという変な責任感みたいなもの。
 だって、そーっしょ?彼女があんな戦闘方法を取るようになった要因は俺かもしれないけど、共に戦いたいって願っているのは、ジェリコってことなんだから。
 自分を認めて、という願いではなく、自分はこうなの、という自己主張。なんだかんだ、この子が我を張れるのは、ジェリコの前だけなのだ。
 当のジェリコは、ナダルチカの言葉に隠れた意味に、まったく気付いてないようですが。
「分かってないわけ、ねぇだろ!!ずっと、ずっとずっと、お前はそうやって突っ走ってきた!!でも、もしそれで、取り返しの付かないことになったら、どうすんだよ!!」
「あたしが死ぬとでも?……それが怖いなら、あんたが全力で、背中を守ればいいだけの話、違う!?」
「違う……く、ねぇよ!!クソ!!」
 掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りあっていた二人。悪態をついて、先に折れたのはやっぱりジェリコ。持っていたサブマシンガンを抱え直して、ナダルチカと、敵を見据える。
「……何があっても付いていくって決めてんだ。やってやるよ」
「当たり前でしょう」
 これ以上なく好戦的に笑う、獣の子、ナダルチカ。
 きっと、あんな事件がなかったとしても、戦いの人になっていたに違いない。戦闘狂、そういう類の。
 果たして、彼女を御せるか、尻の下しかれ男。少しの期待を込めて、敵の待つ部屋の中央へ駆けていく二人に手を振った。
「いいのか?」
「なにが?」
「ナダルチカを突っ込ませたら、たぶん死ぬぞ」
「そーだねぇ」
「そうだねぇ、ってずいぶん暢気だな」
「その辺、相棒が巧く手綱を取ってくれるとよいのですが」
「できるかぁ?あいつに……」
 俺らは、ほとんど見物の態勢で見守る。今まで、彼女の引力に引きずられるようにして付いてきた少年が、どう動くか。ジェリコが巧く立ち回らないと、きっとどちらかは命を喪う戦いだ。ナダルチカは、自分の強さを信じてはいるが、それは対人間にだけ。相手は異形だ。簡単に倒せはしないはず。
「お前はさっさと回復しろよ」
「いえっさー」
 とはいえ、呪いから回復するには時間が必要。普段なら逃げまわって時間稼ぎをするのだけど、今日はゆっくりそれができる。うーん、もう一パーティあるって楽ね。
 ちょっと余裕ぶっこきながら、二人を見る。開始数分、すでにナダルチカが二度死にかけている。あと少し、運動神経が足りなかったら、首か、右脚がどこぞにすっ飛んでいそうだ。
「おい……あれ、大丈夫かよ?」
「ダメだねぇ。死にそうだねぇ」
 ナダルチカは、牙を向いた肉食獣のように、真っ直ぐ相手に組かかる。そのたびに、人間とは全く違う、変則の敵に翻弄される。
 だいぶ、焦っているのは見ているこっちにも伝わってきた。そりゃそうだ。たかが人間である俺の動きにも付いてこれなかったのだから、慣れていない化人の相手は辛かろう。
「あ、ぶねッ」
 甲太郎が息をのむ。目の前では、ナダルチカが三度目の死にかけ。命の代わりに、綺麗な顔、その目元に切り傷が走る。
「やっぱりあいつらじゃダメだ。死ぬだけだぞ」
「……んー、そっかなー。そうでも、ないかもよ」
「あぁ?」
 ナダルチカを救ったのは、身を呈して庇ったジェリコ。そのまま、ナダルチカの身体を引きずって、距離を取る。
 そして、またも走り出そうとする彼女に、激しい叱責を飛ばした。
「いい加減にしやがれッ!!」
 こっちまで見事に響いてくる大声。ナダルチカが、一瞬、身をすくませたのが分かった。
「闇雲に突っ込みゃいいってもんじゃないって、お前だって分かってんだろうかッ」
 そーそー、その通り。
 ナダルチカの特攻体質は、その本人に周りが見えなくなるという弊害がある。だから、一歩引いて、見ていてやるというサポートが必要不可欠。
 ジェリコは、何事かを口早に指示した。ナダルチカも何か言い返したらしいが、そこは、引かなかったらしい。
 今度は、二人が同時に飛び出す。ワンテンポ早く、相手に躍りかかるナダルチカ。ケプリが杖を振ろうとする瞬間、完全に伏臥。そこへ、ジェリコの移動射撃が襲いかかる。ケプリの気が、ジェリコに向かい、視線が切れたのを見計らって、ナダルチカが至近からの銃撃。弾かせる間も、かわさせる間も与えない。
 踊るように連携しながら、時折の目配せで合図を送り合う。
 指揮官はジェリコ。駒はナダルチカ。指揮官は、全体の状況を把握できる場所から指示を飛ばし、駒は言われた通りに強烈な一撃を見舞う。駒が倒れそうになるたび、指揮官のフォローが入り、また体勢を立て直す。
「うん、いい感じ」
「やっぱり、奴ら、個別指導にしたのは間違いだったか」
「ですねー」
 ケプリはもう、息も絶え絶え。さっきとは見違えるように立場が逆転している。この二人って、強かったんだなーってしみじみ思う。しかも、これからの伸びしろも十分だなんて。
「いいなー、若さってサイコーじゃないで……うわ、馬鹿ッ!!」
 目の前の状況に、のんきさは一瞬で消し飛ぶ。
 今の失敗は、若さ故、だ。ジェリコのヤツ優勢に立って油断したのか、等間隔の均衡を破って不用意に敵に近付きやがった。それを見逃すほど、墓守も間抜けじゃない。
 降ってきた一撃は、決して小柄ではないジェリコの身体を易々と吹っ飛ばした。
 思わず身体が前傾になるも、呪い抜けかけでたたらを踏む。甲太郎に襟首を掴んでもらい、体勢を立て直しながら走る。
 一人欠けた分、敵の狙いもナダルチカに定まる。火事場の馬鹿力か、往生際の馬鹿力か、闇雲のように繰り出される攻撃は、しかし的確にナダルチカにヒットしていく。
 大振りの一撃、それが脳天に落とされようとするギリギリ間際、
「下がってろッ!!」
 間に合った。
 甲太郎が得意のとらえどころのない動きでナダルチカの身体を引き寄せ、俺は一気に距離を詰め、交戦。
 杖の動きに注意して、右へ左へ身体能力目一杯で振り切る。惑ったところへ銃弾を降らせ、意識散漫にしたところへ飛び上がりざまの蹴り。十分休ませてもらった分、身体はよく動きますぜよ?
「九龍、さっさとたたむぞ。ジェリコのヤツ、肩折ってやがる」
 一見、やる気なさげな所作で参戦した甲太郎が、ひょいひょい攻撃を回避しながら言う。一対一では、殺戮のお姫様に負けそうだった甲太郎だけど、対化人戦は数段上だ。これ以上ないほど頼りになる、俺の相棒。
「肩って、腕の方?」
「いや、鎖骨にかけて砕けてる。サブマシンガン盾にしてなかったら内臓木っ端だぜ」
「おー、危な」
 口調こそ軽いものの、甲太郎の声が硬い。こりゃ、本気で急がなければ。
「甲太郎、アンクから落とすよ」
「了解」
 近接格闘戦を挑んでいた甲太郎は、俺が超接近するのと同時にレンジを下げる。アンクは要注意だ。生死を逆転させかねない力を持っている。前に、倒しても倒しても復活するって化人がいたんだけど、首から下がっていたアンクを破壊したらあっさり消えたんだよね。それを教訓に、アンクを持つ腕を取る。そのまま関節を極め、振り払おうと伸ばされた杖には、狙い澄ました甲太郎の狙撃が入る。よろめいたのを見逃さず、腕に脚をかけ、一気に体重移動……ブツン、という肉の千切れる音と共に腕が剥がれた。
 咆哮が響く。攻撃をたたみ掛ける。泣き声にも聞こえる。銃声が鎮魂歌を唄う。死の舞踏を舞い、もうすぐ戦いは終わる。
「九龍ッ」
 半壊した杖を、尚も振ろうとするケプリ。甲太郎の、少しばかり焦った声が聞こえる。でも、大丈夫。平気。それより素早く、俺の二人の恋人が牙を剥く。高らかに笑い声を上げ、神の姿をした墓守を飲み込んだ。
 やがてさらさらとケプリの姿は霧散して、静けさが戻る。
 ハイ、お疲れ様でしたーと、甲太郎と軽くハイタッチ。
 で、お坊ちゃんとお嬢さんと振り返ると。
 二人は、同じ表情をしている。擬音を付けて、といわれたら『ぽかーん』て感じ。ジェリコなんて、相当肩が痛いはずなのに馬鹿みたいに呆けたまま、俺らを凝視。
「……あんたら、なんなの」
「そりゃどういう意味じゃ!」
「だ、って、何でこんな、簡単に」
「単純に、簡単な相手だっただけだ」
 驚き桃の木の二人から交互に繰り出される呆然とした質問に、こっちも交互に答える。うん。そうそう。どうしてこんなにもあっさり片付いたかと言えば、簡単な相手だったから。それ以上でもそれ以下でもないでございます。
「とにかく、一度回復しよ。つーかジェリコ、それ、とんでもなく痛いっしょ」
「え、……あ。」
 自分の周りが血溜まりなっていることを再確認したジェリコは、さらに目をまん丸くする。
「痛……く、ない、かも」
「あ、それは神経切れてるかもね」
 俺がさらりと言うと、ジェリコは指の先を握ろうとして、できなくて、まるでこの世の終わりが来たかのような顔でナダルチカを見た。
「ナディ……腕が、……動かない」
「………ウソ」
 ナダルチカは、この世の終わりにただ一人残されたかのような顔でジェリコを凝視する。
 次の瞬間、血の気が失せて真っ青だったジェリコの顔色が白へと変わり、……失神。
「ジェリコ!!」
 ナダルチカったら絶叫。勝ち気げな眼を目一杯つり上げて、とても綺麗な発音で相方の名を呼び続ける。
「ジェリコ!!何とか言って。痛いって。言いなさい!黙ってないで、あたしを見て、ジェリコッ!!」
 そんで、起こそうとがっくんがっくん揺らすもんだから、慌てて宥めに入る。
「待った!それ以上やったら本当に死んじゃうからーー!!」
「本当も何も、死んでしまう!!」
「死なん死なん!!だから落ち着いてーー!」
「……お前ら、どっちも落ち着けよ」
 呆れ果てたように嘆息した甲太郎は、まったくついでのようにジェリコの上体を起こし、そのままひょいっと、抱え上げた。
「単なる失血性ショックだ。ほっときゃ死ぬが、まあ大丈夫だろう。……だから泣くな」
「え……?」
 自分でも気がついていなかったらしい。ナダルチカは、散々喚き倒した挙げ句、ぼろぼろに泣いていた。それを指摘されて、不可解な顔をして、それで、自分で気付いて。
「泣いてなんか、いませんッ!!」
 ジェリコを抱えて立ち上がっていた甲太郎に、キックを一発。それは、彼女の元の威力からしたら本当に可愛らしい、ささやかな一撃。(それでも甲太郎は「おわッ」と呻いてつんのめったんだけど。)
 それを見て、思ったんだ。素の彼女……もしもあの事件の時、あんな事にならなかった場合の彼女は、もっともっと感情の起伏が目に見えやすくて、よく怒って、よく笑う女の子だったんだろうな、って。