風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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クリスマスSS 同じ空を見ていた - 10 -

 それから。
 意識をなくしたジェリコを運び出したものの、すでに呼吸もなくショック状態を併発していたため、病院で息を引き取った。相棒に置いていかれたナダルチカは、その夜病院から姿を消し、二度と見つからなかった……。


 なーんてことになるはずもなく。
 戦いの場から目と鼻の先にある《魂の井戸》に放り込んだ途端に、外傷はほぼ完治。ただし失血からくるショック症状は本当で、支部ではなく、本部直属の病院に運んだ後も眠り続けた。
 ナダルチカはマットやジャックからコテンパンに叱らたのだけど、もうそんなん耳に入っていない感じで、ICUで眠るジェリコのそばに付いている。
 俺たちが、容態は安定してるし大丈夫だから、と言っても首を横に振るばかりだった。
 俺らはというと、協会上層部に招集を食らい、事情聴取。今回の騒動には俺たち(というか俺)にも多大な責任があるわけで、管理不行き届きだとかやっぱり過去が後ろ暗いヤツは要らないんじゃないかとか一体お前は何をやらかしてきたのかとか、関係あることないこと散々っぱら根掘り葉掘り。
 かなり長時間聴聞されたせいか、解放された直後はもうぐったり。
 そこに、聴聞会に参加していたマット御大が登場した。
「よう、お疲れさん……って、大丈夫か、クロウ?」
「だーいじょーぶ、でーす」
「にしてはげっそりしてるな…」
「お偉方にあんだけ虐められりゃそうなるよ。俺、今ちょっと、ミスしたサラリーマンの気持ち分かるかも。自営、っつーか自由業のがやっぱ気楽でいいわ」
「そう言わなさんな。じいさんたちも、色々大変なんだよ」
 マットは高そうなナットシャーマンを咥えると、慣れた手つきで火を付ける。
「お前らも、気付いてるだろ。このところ、若手の育成が間に合ってないのがよ」
「んー、俺らは若手じゃないですか」
「じゃあ、お前さんたちの周りにどれだけ同世代のハンターがいるよ?下なんて、ジャスティーン以外は大がかりな遺跡に臨めないレベルのばかりだ。それを憂いてるのさ、俺たち年寄りは」
 協会内の高齢化が進んでいるというのは、昨日今日聞くようになった話ではない。もう、ずいぶん前から、それこそ俺たちがこの世界に足を踏み入れる前からの話だ。
 俺と同年代のハンターなんて、ほぼ皆無。世代が一つ違う、ジャスティーンだって、もうハタチ越え。その下?……ずーっと下って、リックとエヴリンちの子、アレックスは今何歳だったっけか。
「俺たちがガキの頃と違って、ハイスクールで遺跡デビューなんてのもなくなっちまってるしな。親父がハンターでも継がないってのも多いし、どいつもこいつも子どもつくんねーし、ララなんて養子何人も迎えてんのに豪邸住まわせてんだから世話ないぜ」
「子どもつくれなくてスミマセンね。ララんちも、ちゃんとした教育受けさせてあげたいんでしょーよ。つーか、現代人の感覚じゃ、子どもは学校へ、が普通でしょうよ。リックんちがちょっと特殊なの」
「……い、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだが。…あー、んな顔すんなよ、悪かったって。拗ねるな」
「拗ねてませんー」
 俺がそっぽを向いてみせると、あーあー仕方ねぇなあという顔の甲太郎が俺とマットの間に座る。
「とかなんとか言って、こいつだってちゃんと自分が悪かったことなんて分かってんだよ。昨日の夜も、俺のせいだーとか寝言で唸ってたんだぜ」
「ウソ!?」
「ホント」
 思わず立ち上がり掛ける俺を制して、甲太郎はマットに向き直った。
「俺も、こいつも、力不足だった。誰かを導く力なんてなかった。安易に引き受けたことも悪いし、安易に教え子を傷つけたことも最低だ。それは、分かってるんだ」
 マットは、微かに頷く。苦しげな顔で、それは、分かっているよと言いたげに。
「でもな、こいつには到底公にできない過去があるのは事実だし、それを協会が知ってるってのもまた事実だ。もう少し早く、クロウとナダルチカに接点があったってのが分かる材料を出しておいてもらえば、こんなことにはならなかったんじゃないのか」
 俺が言うより、全然柔らかい口調で、けれどもきっぱりと言い切る俺の相方。冗談のように俺の襟首を掴んでいる手に、ぐっと力がこもっているのが分かる。
 あー……惚れ直しそ。
「……ああ、分かってるよ。悪かった。すまん」
 深々と頭を下げられて、いや、でも本当に悪いのはこっちだし、と頭を下げあう。
 そりゃ、俺だって、協会が有望な若いの育てようとしてるのは分かってるよ。それには、若いうちからじゃんじゃん遺跡に潜らせた方がいいんだしね。……でも、実際問題、戦闘ができる若いの、なんて真っ当じゃないヤツばっかりだから、アレックスみたいな純正ハンターっ子でない限り、正しくハンター稼業ができるヤツなんてそうはいない。
 俺たちより上の人は、どっちかと言えば元々別の専門職で(例えば古書関連だったり傭兵だったり考古学者だったり)、途中からハンターになった人が多いから、戦うことしかできない若いのを入れるのは不安なんだろうね。その先駆けになったくさい俺は、訓練では問題児だったんだし…。
「でもな、……あん時、ジャッキーがクロウに休暇を譲ったとき、本当はそれがベストなんじゃないかとも思った」
「へ?」
「アルワは、本当に感情の見えない娘だ。ずいぶんと人を見てきているはずの俺でも、感情の振り幅が分からない。それは、ロゼッタに入ってすぐ、達観しきったように笑ってたお前さんによく似てると思ったんだ」
「その上っ面の下で、感情が暴走してるところもそっくりだな」
「何それ!!」
 身を乗り出して反論しようとするけど、二人はにやにや笑って取り合おうとしない。くっそ、その顔ムカツク。
 どんだけ俺のふくれっ面が面白いのか、マットは立ち上がり、俺の頭に手を伸ばして豪快に撫で回してきた。
「で、こんなことになったわけだが、俺としては結果オーライだったと思ってる」
「よっく言うー」
「本当だって。向こうのじいさん連中たちは、どうか知らんがな。ナダルチカも爆発して、ようやく気付いたのさ」
「何にさ」
 マットが何かを言おうとして、ふと、視線を俺の向こうへと飛ばす。どうしたのかと俺が振り返る寸前、
「初恋は実らない、っていうことにですよ、教官殿」
 凛とした声。少しだけ、笑いを含んでいる。マットの視線の先に立つナダルチカは、誰に借りたのか知れないぶっかぶかのセーターに、着られるようにして立っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れさん、ナダルチカ。ジェリコは?」
「さっき、目を覚ましました。……腹が立つくらい、ピンピンしています。伝えに来ようと思って、協会の方に連れてきてもらいました」
「そっか」
 腹が立つくらい、っていうのがどうにも彼女らしくて、それを少し拗ねたように言うのがまた可愛い。
「それと……」
「ん?」
「今回の件では、本当に……ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありません」
 いやに丁寧に謝ってくるもんだから、俺もちょっとビックリした。けれど、次に続く言葉にはもっとビックリした。
「私、ハンターライセンスの取得は見送ろうと思っています」
「……はいぃ!?」
 今の今までマットと若手がうんちゃらって話をしていた、そこに!一体なぜさ!?いや、理由は多々あるんだろうけど!!
「や、やっぱり、実戦は怖かった?それとも怖かったのは俺!?大丈夫、俺、もうキレないように頑張るし!!」
「そうだぞー、ハンターはいいぞー、怖くなんかないぞー!俺も最初のトレジャーハントでは肉食スカラベに襲われるわ滝から真っ逆さまに落ちるわネオナチに銃撃されるわで何度も死にかけたがこうして生きてるしな!!」
 俺とマットは、怪しげな勧誘員のようにべらべらとたたみ掛ける。ナダルチカは焦る俺たちを見て、少しおかしげに笑った。
「でも、もう決めたんです」
「……まぢですか」
「マジです」
 そんな、悟ったように肯定されたら、もう、なんも、言えないじゃん……。
「何で、そんな」
「遺跡が怖かったのは、その通り。けれど、実戦は楽しかったし、この世界で生きていきたい、とは強く思いました」
「じゃ、あ、もう、戦場転戦とかは、しない?」
「はい」
 ならば、彼女はどこへ行くというのか。戦うことしか知らない、俺のような彼女は、戦うか戦いの技術を活かせる場所を選ぶかの二択しかないように思えるのに。
 俺は、不安で心配でしょうがないのに、後ろで立ち上がった甲太郎は余裕ぶっこいてアロマをすぱーっと。
「ハンター目指すのを、やめるわけじゃあないんだろう?」
「……はい」
「ハイ?」
 ん?それって何さ、どういうことさ。今年は、見送る?じゃあ来年また、訓練生やるってこと?
 俺の「?」を見抜いたのか、困ったように、照れたように、少し悔しげな表情を作って、ナダルチカは。
「ハンターに付いて、もう少し勉強しようと思って」
「バディになるってこと?」
「そうです」
「でも、バディって、誰の……」
 戦闘系バディを必要とするのは、学士系ハンターの場合が多い。その中で、バディを連れていないとなるとコルソさんとか?いやいやいや、あの人が専属バディを付けてるところなんか全く想像できないし。てか、子ども嫌いって言ってるし。
 じゃあ誰よ、と首を傾げる俺に、ちらりと意味ありげな視線を投げてくるナダルチカ。
「いるんですよ。一人。私とよく似ていて、怒ると一気に迫力が増して、自分よりも相手を守ろうとしちゃう、底抜けに馬鹿な人」
「え゛……」
 だ、だって、俺にはもうバディいるし、一人分空いてるけど、それは現地バディのために空けておきたいし、えっと、えっと、えーっと……。
 向けられた視線に、何も返せずにおろおろ。すると、目の前のナダルチカは、悪戯が成功した子どものような笑みを見せ、なぜか後ろからは誰かさんが吹き出す声が聞こえた。
「あー、そういやいたな」
「さっきまで阿呆面晒して寝てましたけど」
「あ、あー!あー、あー!!」
 ビックリした、俺かと思った!え、自意識過剰?スンマセン……。
 確かに、言われてみればそいつしかいないってのはよく分かる。彼女が、バディになるのならば。
「にしても、思い切ったな」
 不思議そうな顔をするのはマット。俺も、てっきりナダルチカがハンターやって、ジェリコがバディやるのかと思っていたからちょっと驚いた。
「そうですか?……協会は、始めからそうするつもりだったのでは」
「まあ、どっちがどうなってもいいように、とは思っていたけどな」
 このコンビは、見事なまでにお互いの弱点をお互いで補強し合っている。そういう意味では、どっちがハンターでどっちがバディでもあまり変わらない気も。言ってしまえば、関係の主導権を握っているナダルチカの方が、ハンターになる方が可能性としては高いと思ってた。
「私は、今はまだ戦うことしかできないから。座学の成績はジェリコの方が断然上ですし。正直なところ、……講義、あんまり真面目に聞いてませんでしたから」
「あー、ホントお前さん、クロウそっくりだな……」
「クロウも、そうだったんですか」
「こいつなんかもっと酷かったんだぜ。何てったって教官半殺しの生徒として一躍有名に……」
「その話はいいだろもう!!」
「成長したかと思いきや、今度は教え子を半殺し……」
「ホントその節はスンマセンでしたぁぁッ!!」
 もう土下座のイキオイよ?どうしよう、何年後かに二つ名とかが付いたとき、『半殺しの葉佩』とかになったら、俺、泣くね。
「それなら、私もそうです。誰かが止めてくれなかったら、きっとコーは今頃ここにいないから」
「……まったくだな」
「どうしてそんなとこまで似とるんだ、お前ら……」
 マットに言われ、俺とナダルチカは顔を見合わせて首を傾げる。どうして、って言われてもね。そんなの、俺たちにだって分からないっすよ。
「どんなに似ていても、……似ているから、並ぶことができないのかもしれません」
「……うん、それは、あるかも」
 だって、俺の師匠である『あいつ』も、甲太郎も、俺とは全然違う人間。底抜けに強いあいつと、底抜けに優しい(時折ドS)甲太郎。俺にはないものを持っているから、一緒にいることができた。もしも、あの街で瀕死の俺を拾ったのが俺みたいなヤツだったら、天香で出会ったのが俺みたいなヤツだったら、今の俺はここにいないわけで。
 俺があの夜、ナダルチカの手を引いて連れて帰ったとしても、二人してここに立っているという現実はどこにもなかったはず。きっと、今頃どこかで戦っているか、どこにもいないか、だ。
「けれど、クロウ」
 キレイな鳶色の眼が、真っ直ぐ俺を見ている。ああ、よかった、もう、この眼には何のわだかまりも映っていない。この子もきっと、大切な者を守るときには狂乱して壊れてしまうんだろうけど、あの馬鹿坊主がこの色に戻してくれるはず。
「やっぱり、私はあなたに会えてよかった」
「ホント?」
「一緒にいることはできないし、長く想ってきたことも叶わなかったけれど」
 それを、いとも容易く口にして、笑ってしまえる彼女は強いと思う。
「あなたを目的にずっと生きてきて、戦うことしかできない私が、こんな仕事に出会うこともできた。もう一人で戦うこともない」
 ナダルチカが、細い手を伸ばした。セーターに埋もれた華奢な腕。切り傷や打撲の跡が色濃く残っている。
 こんなところまで、似ているなんて。生まれた場所も、生きてきた長さも、性別も、出会ってきた人も違うのに。
 こんなに、同じ。
「あの時、私を助けてくれて―――ありがとう。ずっと、言いたかった」
「こちらこそ。……生きててくれて、ありがとう」
 今度は、差し伸べる手じゃない。これから、同じ場所で生きていくための握手。きっと、ジェリコとのコンビなら、どんな遺跡にだって入っていける。
 それに、意外にあいつ、本気出せばいい男だ。安心して、この子の隣を任せることができる。
「よし。ほんじゃ、目を覚ましたお坊ちゃんのとこ、お見舞いに行きますかね」
「面会はもういいのか?」
「大丈夫みたいです。検査があるって、色んな人に囲まれてましたが」
 そりゃあれだ。ハンターになんかあるといつもしゃしゃり出てきて本気、頭の天辺から爪先からケツの穴まで調べ尽くしていく変態共だ!
「あ、でも、私、先に、今から行って大丈夫か確認してきます」
 小走りに駆け出そうとして、数歩で、こちらを振り返る。
「クロウ、あの」
「ん?」
「あの時、あいつ……あの馬鹿、私を庇ってやられたんです。私が、迂闊に踏み込みすぎて危なくなったから、敵の気を引いたんですよ、あの馬鹿」
「そう、だったんだ」
「で、あんなことになって、正直、遺跡で自分が死にかけたときより、あの馬鹿がいなくなるかもしれない、ってことの方が怖くなっちゃったんです。あの馬鹿、バディになったら弱いくせに前に出ようとしちゃいそうだし、だから」
 しばらくは強い私が、守ってやるんです。なんて。
 てらいもせずに言うあたり、男前だねお嬢さん。「あの馬鹿」を素敵な頻度で連発するのが気になりますけど。
 その意味を自分でも気付いてないのか、軽く一礼をすると、今度こそ本当に駆けて行った。
「……なんか、ジェリコの初恋が実りそうなのが癪に障るんですけどー」
「まったくだ」
「お前ら……若人の恋路くらい、優しく見守ってやれよ」
「俺たちだってまだ若人のつもりですけど!」
「下が入ってきたら、もう若人扱いはしてやらん」
「うっわ、酷いよこのじーさん」
「……てめぇ」
 顔をしかめたマットが、ヘッドロックを掛けてくる。
 痛い痛いギブギブ!と馬鹿みたいに喚き倒しながら、こんなくだらない騒ぎができる、こんな結末になってよかったと、しみじみと感じた。

*  *  *

 何もかも、終わりを迎えた数週間後。
 未調査となっていたとある遺跡の最奥にある《秘宝》が、ロゼッタに持ち帰られた。ハンターの名前は、
「『馬鹿犬ジェリコ』って……絶対、付けたのナディでしょ」
「自分でこんな通り名にしてたらどんだけマゾだよって話だろ」
 ジェリコは、退院してすぐにハンターライセンスを取得した。バディはもちろんナダルチカ。すぐに遺跡に派遣され、一発目で見事踏破したようだ。
「優秀ですねー。俺なんか、初っ端で遺跡壊すわ秘宝は持ち逃げされるわで散々だったわー」
「だな。でも、そんときに潜った記録で、トップランカーになったんだからいいんじゃねぇか?」
「だがしかし、そのおかげでお休みがないぜよ!」
「……大問題だよな」
 きっと、これからあの二人も俺たちと同じ目に遭うに違いない!若いのが少ないから、余計にこき使われるはず。そしたら、俺らだってもう少し余裕のある生活ができるかもしれない!
 そういう意味でも、二人にはもっともっと活躍していただきたく思う次第であります。
「まあ、あの二人なら、さっさとランクも上位に来るだろう?それを待てばいいさ」
「どうするよ、んなこと言ってる間に下が入ってきて、面倒見る羽目になったりして」
「……今回のことで協会も懲りたろうよ」
「……だよねぇ」
 因縁がありそうな者同士を組ませるのに懲りたのか、能力が突出した人間をハンターにすることに懲りたのか、過去を背負っちゃった若人を拾ってくるのに懲りたのか。あるいは、全部っていうのが正しいか?
 けれど、結局何人もいた《宝探し屋》候補の中で、無事にH.A.N.Tが与えられたのがジェリコ(のチーム)だけだったってことを考えると、協会も色々思うところがあるんじゃないかね。
 何だかんだ言っても、修羅場を経験している人間の方が、普通の人間の数倍強いのは仕方のないこと。図らずも、俺やナディが、それを証明してしまっている。
 今回はたまたま、ナディが俺のことをプラスに思っているが故のごたごただったけれど、次がそうとも限らない。俺を筆頭に、正体をばらし合ったら殺し合うなんて相手がいる奴らだってたくさんいる。
「いつか……」
「うん?」
「俺のことを見た瞬間、斬りかかってくるヤツとか、入ってくる気がする」
 そう呟くと、甲太郎はちょっと驚いたような顔をした。そうしてちょっと考えた後、
「仕方ない、そうなりそうなのが入ってきたら、さっさと俺が潰しておくことにするさ」
「何だそれ!」
「考えてみろ、お前が斬りかかられるのは俺がゴメンだし、かといって俺がお前を庇ったりしたら最後、ぶちギレて暴走して手の付けられないお前が見えるぞ」
「…………」
「だから、そうなる前になんとかするんだよ」
 冗談めかしているけれど、たぶん、それは本気の言葉。目が、全然笑ってないもんよ。
「だから」
「ん?」
「お前の昔の話、そろそろ聞かせろ」
「……何で」
「知っておかなきゃ、守りたくてもできないこともある」
「……全部聞いたら絶対ドン引き」
「しねーよ」
 いやするよ、しねーって、する、絶対しない、する!!という不毛な言い合いを繰り返し、……降参。
「……甲太郎が、小さかった頃の話をしてくれたらね」
「あー、いいぜ。いくらでもしてやる」
「で、俺の昔話の血生臭さにひれ伏すがいい!」
「もうひれ伏してるから、これ以上はどうもなんねぇよ」
 ……お願いだから、てらいもせずにそんなことを言わないで…。こっ恥ずかしくってしょうがなくなるのは俺なんだから!
「じゃあ、後でね」
「今からしろ」
「今から!!?そりゃ心の準備が……」
「じゃあ、コーヒーでも淹れてきてやるからその間に覚悟を決めろ」
「何その命令形!ってか、そんなすぐにはできない話なんだけど!」
「さーて、今日はどこの豆にすっかなー」
 ……聞いてないしさ。
 一体、何の話から始めればいいのか。俺が初めてあのゴミ溜の街に踏み込んだ日の話?あいつに拾われた時のこと?初めてのお使い?リアルゴッドファーザーのいざこざに巻き込まれた話?それとも、国家安全局からの決死大脱走?
 どうやったって気持ちのいい話にはならない、と鬱々しい気分になって、そこで不意に、ジェリコの言葉を思い出す。
『俺は、そういうことは、ナディの口から聞きたい』
 そういうこと、……っていうのはつまるところ彼女の過去のお話だ。本人の口から聞きたい、っていうのは真理なのかな。ナディの過去だって、きっと俺とどっこいどっこいの血みどろさのはず。その度合いは、きっとジェリコの予想の範疇を軽く飛び越えるはず。……それでも、あいつは、受け入れるんだろうな。
 甲太郎は、全部話した後、一体どんな顔をするんだろう。
 やっぱりまだ、不安の方が大きい。でも、ずっと胸の奥の方でうぞうぞしている、全部知っててもらいたいっていう気持ちも、顔を出し始めている。……いい、機会、なのかな。
 コーヒーのいい香りが漂い始めて、次いでラベンダーの匂いが近付いてくるのを感じながら、ぼんやりと、あの街で、最初に見た風景のことを思い出し始めていた。