風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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クリスマスSS 同じ空を見ていた - 5 -

 彼女は本当に筋が良くて、もとより強かった能力をこの訓練中にさらに跳ね上げ続けていた。
 俺が、適当な手加減をしていられないほどに。
「ほっ、しょい!」
「ッ!!」
 繰り出される左手には、今日は銃を持っている。数日前からこれを解禁した。右手にナイフ、左手に拳銃。これが本来の彼女の戦闘スタイルだった。
 メイン武装がナイフということは、近接戦が中心となる。そこにハンドガンてのは有効じゃないかとも思ってたけど、とんでもない。彼女は銃を完全にサブ武装として使うことで、自分のナイフ・コンバットをさらに強力なものにしていた。
 明後日に控える実戦テストでは、このスタイルで俺とやり合う予定。お偉方が判定し、もしもS以上という評価が付けば、俺じゃないけど、他の課程を補ってハンターライセンス取得、即実戦投入ということになるらしい。
 ロゼッタも、若くて強いハンターは積極的に取り入れたがっている節があって、彼女は筆頭有望株だと、ついさっきもマットから電話で檄を飛ばされたばかりだった。
「ハッ」
「っと!危っぶな……」
 屋外訓練所は、イヤな冷え方をしている。
 単純に寒いだけでなく、手足がかじかむ痛い寒さ。こういう状態になると、少し気が抜けただけで簡単に身体は動かなくなる。
 徒手の俺はともかく、得物を両手に有している彼女は指先がかなり冷えているはず。にもかかわらず、正確無比な斬撃と小気味いいトリガータップを披露してくれている。この耐寒性能、思わず寒いところの出身ですか、と疑ってしまいそう。
 ちなみに、彼女の銃に入っているのはビス弾だ。ほぼ殺傷能力のないもの。それを彼女は正面に構え、弾丸を弾幕としてほとんど撃ちっぱなしにするのだ。これがまた、節操のない使い方で、マガジンがスッカラカンになると、なんと銃を投げ捨てる。で、腰に掛けてた二挺目を使い始める。で、投げた銃には目もくれない。まあ、なんてドライな扱いなんでしょう!俺じゃ考えられんな……。
 でも、相手がうかつに踏み込めなくなるこのスタイルは、彼女にぴったり合っていたといえる。
「それが隙!」
 弾が切れ、バックアップガンに切り替えるとき、わずかに隙が生まれる。
「くッ」
 しかし彼女も、俺の攻撃を寸でかわし、銃を取らずに左腕で攻撃してくる。
 それが、ホントの狙いだ。
 振り抜かれる左腕を脇を締めることで捕まえる。すぐに飛んでくる右腕にはナイフ、それを首を左右に振って回避。ここんとこの訓練で分かったんだけど、彼女は機動性を封じられると……例えば今みたいに片腕を固めてしまうとかすると、戦闘力が落ちるタイプだ。
「左を押さえられたからって、右腕だけで対処しようとするのはよくない」
「はい」
「打撃が単調。すぐ読まれちゃうよー」
「はい」
 うん。いい飲み込みだ。すぐに蹴りを織り込んできた。そーそー。自分が抑えられているってことは、相手も行動を制限されてるんだから、色々やってみなきゃ。
「でもまだ」
「く、ッ」
 左腕を逃がすとそこに一瞬の隙。見逃さずに振り上げた脚は首筋にヒット。ウェイトの軽い彼女はモロに受けて吹っ飛んだ。しかし、アルワ嬢は猫のように身体を踊らせ、あまり見ない受け身を取って衝撃を和らげる。何から何まで、不思議な子だ。
 俺は、思わず苦笑して、追撃の手を止めた。
 この子は、本当にスペシャリストだ。近接格闘戦の。俺が幼少時に、もう少し狙撃に興味を傾けていたら、おそらくは今、彼女を『指導』することなんてできなかったと思う。
 今のところ、最初のアレ以来、俺は一度も彼女に負けていない。負け、というのは伸されるということではなく、真芯を捉えた打撃を食らうこと。最近は軽い一撃ならもらうこともあるけれど、それでは彼女が納得しないらしい。
 おそらく、自分と同じような変則格闘で戦う相手とはあまり戦ったことがないはず。戦いの慣れ方が、オーソドックスで癖のない相手とやり合っているように感じるのだ。
 こう来たら、こう返す、というのがいい意味でも悪い意味でもできあがっている。これはただの予想だけど、強くなるのに踏んづけてきた相手は、軍式格闘技を習得した人間が多かったんじゃないかな。
 だからこそ、相手がトリッキーだと一挙手一投足が四半瞬間ほど戸惑いを感じて遅れる。そして、これからこの子が相手にするのは、人外の墓守。化人どもは、人間とはまったく違う動きになる。というかまず見た目が人じゃないしね。それに対応させるためにも、今の対人格闘から離す必要がある。
「あのさ、前に部族の伝統的な戦闘って言ったたじゃん?」
「……はい」
 吹っ飛ばされたダメージはやはり少しでも残るのか、けふっと咳き込んでから頷く。俺がスポーツドリンクを手渡すと、一礼して受け取り、口をつけた。
「その格闘術にもハンドガンって必須だったの?」
「いえ。これは、私が勝手に」
「我流、ってか」
「はい」
 ふぅん。
 銃は、あんまり得意じゃないような成績だったはずなのに、どうして持つ気になったんだろう?単純に、自分に合っているから?いや、まず何か入口がない限り、この変則戦闘スタイルには辿り着かない気がする。銃を持つ、という発想に至ったのは何かきっかけが?
「てっぽーは、好きですか?」
「嫌いです」
「おろ」
 即答じゃありませんか。銃嫌いがこれまた、なぜに。
「なのに、サブは銃なんだ」
「はい」
 汗の滲む額を、乱暴に手の甲でぬぐう。きらきらと光に反射する金色の髪がすごく綺麗だ。
 もしも、戦う術を知らなかったら、彼女は普通の女の子として暮らしていたんだろうな。可愛くて、語学が堪能で、運動神経もいいんだ、たぶん、不自由なく生きていけたんじゃなかろうか。
 そういや、相方の少年もずいぶんと恵まれた容姿だった気が。成績見る限りかなり優秀なようだし、それがまた、どうして。
「イーリッチとは、ずいぶん長い?」
「さあ」
「さー、って。相棒じゃないん?」
 そのままなんとなく休憩モード。俺が備え付けのベンチに腰掛けると、彼女も横にちょんと座った。薄いスポーツウェアの上から、ダウンジャケットをかけてやる。
「ずっと前に、拾いました」
「捨てられてたってこと?」
「さあ」
 ここ数日でかなり流暢になった広東語だったけど、今はあんまり喋る気がないらしい。それとも、本当に相方に興味がないだけだったりして。だとしたら可哀想だなー。少年、あんなにアルワ嬢のこと好きそうなのに。
「俺も昔、拾われたことがあったけど、拾い主はずいぶん俺のこと大事にしてくれたけどね」
「そうなんですか?」
「俺もその人を大切に想ってたし。相棒は大切にしなきゃダメだよん」
「……それは、あの人?」
「あの人?」
「バディの……」
「甲太郎?やー、あいつはまた別。そうじゃないよ」
「そう、ですよね」
 あ。まただ。また、あの眼をする。俺のことを知っていそうな、分かっていますよ、という眼。
 この眼を見るのはもう何度目かで、そのたびに俺は、「俺をどこで知ったの?」という疑問を投げかけてきた。今も、それを口にしようとするが、その前に、
「あなたは、なぜ、こんなにも強くなったのですか」
「え、俺?」
「はい」
 アルワ嬢から積極的に質問されるなんて珍しいから、ちょっと真剣に考えてみる。
「そうすれば、追いつけると思ったんだ」
「例の人に、ですか」
「そ。その人がとてもとても、化け物じみて強かったから。そうなりたいと、願って祈って、頑張った。気がついたらこうなっていて、」
 結果、その人をも越えてしまった。
 あれを越えた、と言ってもいいのならば。
「アルワは、何でそこまで強くなっちゃったのさ」
「これの他に、生きる道がなく」
「仕方ないから強くなるしかなかった?」
 そんな馬鹿な、……いや、馬鹿じゃないのか。そんなん、俺だってそうだったじゃん。端から見れば、他に生きようがいくらでもあったのに、その時は周りなんか見ないで、あの背中だけを追っていた。
 彼女は、俺だ。
 バックボーンとか、戦闘技術とか、そういうものではなくて。とある境遇に立たされたときに、戦いを真っ先に選び、脇目もふらずに走っていく。その、人間としての在り方がそっくりだと思った。
「その生き方は、辛くはなかった?」
「……強くなるのは、」
「ハイ」
「強くなるのは、楽しかった。いつかきっと、もう一度、会えると思っていたから。私が強くなれば、見つけられると、認められると、信じていたから辛くなど、なかった」
 一息に言い切った彼女は、なんとも言えない熱っぽさで、俺を見つめていた。まるで、『会えると思っていた』誰かが、俺であるかのように……俺?
「あの時、誰よりも強くて、だから、思ったんです。隣に立てるよう、強くなろう、と―――いつか、あなたの、隣に」
 細く吐き出された呼吸は、寒さで白く凍えていた。周りに何の音もなく、うっかり物音を立てれば、この空間ごと壊れてしまいそうな。金色に輝く睫毛は、ガラス細工みたいな繊細さで大きな眸を彩っている。
 俺は、真っ直ぐに見つめられたまま、動けない。
「本当は、」
 ぎゅ、と左腕の銃を握りしめる。
「銃なんて、大嫌い。人の命を、痛みもなく奪うもの。けれど私がそれを使うのは、あなたが、それを使っていたから」
 何で。何でだよ。どうしてそこで、俺が出てくる?俺は君を知らない。記憶の中から見つけ出すことができない。それなのに、なぜ。
 誰かと勘違いしていない?銃を持って戦う誰かと、俺を。それを、俺はどこかで願っているというのに、
「あの時も、二挺、銃を持って。踊るように、戦っていた」
 有無をいわせない力強さで、彼女の言葉は俺の中に飛び込んできた。その声が、寒さでない別の何かで震えていたことで、余計に鋭く、染みこむような柔らかさをも伴って。
 アルワ嬢は、音もなく立ち上がり、俺の真っ正面に来た。
「俺……は、」
「覚えてなくても、いい。今の私を、見てください。……まだ、弱いと、思いますか?」
 耳馴染んだ広東語が、小気味良いテンポで頭の中に吸い込まれてくる。
「まだ、も、何も、俺は弱かった君を、知らない」
「なら、どれだけ強くなれば、あなたの隣に立てますか?」
 痛いくらいに冷たい空気、同じくらいに、真剣さで張り詰めた表情。いつもの、無表情じゃない。願うように、祈るように。
 その勢いに気圧されて、俺の心音がどんどん高鳴ってくる。怖いくらい、緊張している。
「明後日、あなたと戦って、勝つことができたら……私は、あなたの隣に立ちたいのです」
 それはきっと、バディとして、という意味だ。
 そして、俺の隣にはもう、立つ人間が決まっている。
「……それは、無理だよ」
「ッ―――どうして!?」
 彼女が声を荒げるのを、俺は初めて聞いた気がする。無表情の仮面の下で、けれど自分ではどうしようもできないほど感情が波打ってしまって。本当に、いつかの俺を見ているようで、どんどん心臓の辺りが苦しくなってくる。
 喉を締め付けられる圧迫感を錯覚しながら、それでも俺は、言うしかなかった。
「俺には、バディがいて。あいつは、自分の人生、全部捨てて、俺の隣に立ってくれている」
「私だって、あなたのためなら……」
「最初、俺はそんなこと、望んでなかった。本当に、色々なことが、あいつとの間にありすぎて、その時は、こんなふうに並び合うなんて二度とできないと思ってたんだ」
 殺し合って、死なれかけて、死にかけて、生き残った後も、さよならも言わないで離れようとしたのにできなくて、捕まって、捕まえて、離れるというのはどうしても無理だって気付いてしまって、自分の執着に気付いて、死にたくなるような思いを味わった。
「俺は、一緒に来て、なんて心底思ってたくせに一言も口にできなくて、それを分かってたからあいつは『俺がそれを望んでる』って、全部自分で引き受けて……お前のためだ、なんて一言も言わないで」
 今し方、あなたのためなら、と口走った彼女は、ばつが悪そうに口ごもる。甲太郎は、知ってるんだ。俺が、あなたのため、と言われるとそれを重荷に感じてしまうということを。
「そうやって、俺たちは生きてきたから。俺は、他の誰かが隣に立っているって、考えられないんだ……だから、ゴメン」
 アルワ嬢を見上げると、色のない、まるで、今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしていた。目元だけが、僅かに感情的に色付いている。
「……どうして」
「…………」
「だって、……なら、どうして、あの人、ではないの」
「あの人、って……」
 彼女の目が遠くへ飛ぶ。何かを思い出すように、記憶の中を深く深く潜っていく。
「あの時、あなたの隣にいたのは、あの人だった。同じ色をして、今のあなたみたいに笑って、それに、強くて、綺麗な人……」
「!?―――な、んで…」
「『彼女』は、どこに行ってしまったのですか。あなたの隣にいた、あの人……」
 知って、いるんだ。彼女は間違いなく、俺を知っている。それも、ずっと昔、殺し合うことでしか生きていけないと無意味に信じ込んでいた頃の、俺。
 だって、彼女は『彼女』を知っている。俺の隣にいつもいて、笑って、強くて、……なぜ。どこで。いなくなってしまったあいつを、どこで知ったという?
「何で、あいつを、」
「どうして、今、あの人ではないのですか」
 分からない、というそのままをぶつけ合って、呆然としたまま気圧されたのは俺。掠れた自分の声が、どこか遠くの方にこぼれ落ちていった。
「死んだよ」
「……し、んだ?」
「死んでしまった。だから、もう、いない」
 息をのんだのは、俺か、アルワか。先に挙動を取り戻したのは、彼女の方だった。
「いなくなれば、いいの」
「え……?」
「いなくなったから、今は、違う人」
 何も、俺は言えなかった。まったくその通りなのだけれど。あいつがいなくなり、一人きりになり、今は甲太郎が立っている。あいつが生きていたとしたら、きっと今も俺は、あいつの隣で銃を手に戦っていたはずだ。
「そう……」
 アルワは、俯いていた顔を上げた。何かを、決めてしまったような危うい顔だったのに、俺は、何も言ってやることができなかった。
「そう。いなく、なれば」
 こくん、と一つ。誰にともなく頷く。
 それから、ふらふらっと、訓練場から出て行ったしまった。
 俺は、それを追うこともできず、ただ必死に動かない頭で記憶を手繰り続ける。
 なぜ、彼女が、俺とあいつを知っているのか。俺はなぜ、あんな鮮烈な印象を持つ少女を忘れてしまっているのか。いくら遡っても、俺のあの頃の記憶には、見事なまでにあいつしか存在していない。他の誰かがそばにいたとしても、記憶の中にはいないという事実にぶち当たって、物凄くショックで、物凄く悲しいのに、なぜか笑うことしかできなかった。

*  *  *

 どのくらい、ここでこうしていたのだろう。
 寒さに強いはずの俺の指先が完全にかじかんで、使い物にならなくなっている。外は薄く暗がりが広がり始めていて、夜が始まるなら寒いはずだと、なんとなく思った。
「いた……おいッ!!」
 どこからか、知ったような声が聞こえた。
 顔をそちらに向けると、周囲に張り巡らされたフェンスを蹴破らんばかりの勢いで、ジェリコ・イーリッチが訓練場に飛び込んでくるところだった。
「……どったの?今日は、もう終わったよ?」
「んな、分かって、違う、いいから、来いッ!!」
 息せき切って駆け寄ってきたイーリッチ少年は、まだ立ち上がってもいない俺の腕を乱暴に引く。
「何、そんなに急いで」
「ぐずぐずしてんじゃねぇッ!!」
「んなこと言われても、」
「ナディが、……ナディーティクが、」
 少年の面には、混乱の二文字が踊っている。
「落ち着いて。一体何があったのさ」
 頭の回転、常時の半分以下だった俺は、とろとろと腰を上げる。その胸ぐらを、思い切り掴み上げられた。
「てめぇが、何言ったのか知らねぇがなッ、ナディが壊れて、コーをぶっ殺しかけてんだよッ!!」
「え。」
 言葉を、もう一度自分の中に取り込み、噛みしめ、そして、意味を把握した瞬間。
 ―――頭の中が、真っ白になった。