風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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10th.Discovery Brew - 客席から見たボードヴィル -

 夜明けを待って、向かう先はいつもの場所。《生徒会役員》を冠する僕たちが集まる場所と言えばひとつ。朝練に励む生徒たちの声を遠くに聴きながら、その音しか響かない静かな廊下を歩きます。
 もう12月なのだな、と。何の気なしに思い浮かべてしまうような当たり前の寒さ。そういえば校内で見かける彼が黒いコートを羽織り始めたのはいつからだったかなどとも、つらり。
 誰もいないはず、と踏んでいた生徒会室の前に立つと、その予想が外れていたことに気付きました。ふわりと漂うのは、柔らかな香り。こんな朝早くに珍しい。少しの驚きと共に、引き戸を開ける。
「おはようございます」
「おはよう。早いじゃない」
「双樹さんこそ。今日は阿門様をお迎えにあがらないのですか?」
「たまにはね」
 いつも、我らが主にべったりの双樹嬢が、日課を放り出してまでここにいる理由は、彼女の少しばかり皮肉げな笑みを見れば分かりました。
「……まさか、僕を笑うためだけ、ではないのでしょう?」
「あら、笑いに来たのよ」
「…………」
 僕が黙り込んだのが面白かったのか、双樹さんはくくっとひとつ笑うと、深く腰掛けていたソファから立ち上がりました。
「お茶。飲むでしょ」
「いただきます」
 入れ替わるように僕は対面するソファに腰を下ろす。一つ言わせてもらうと、彼女がお茶を淹れてくれるのは別に女性だからお茶くみをということではなく、ここに入り浸る面々の中でもっともおいしくお茶を淹れることができるのが彼女だからお願いしているんです。
 すらりと伸びた長い脚を惜しげもなくさらしながら、手慣れた様子で準備をしていく。その後ろ姿を、もうどれだけ見てきたのでしょうか。この部屋にいることが、僕たちにとっての当たり前になってから。
 紅茶特有の甘い香りが漂ってきて、彼女が銀のお盆を手に戻って来ました。……紅茶のカップが、二つ。
「ハイ」
「……僕はいつも緑茶、」
「つべこべ言わずに、はい。淹れてもらったのに文句言うの、あなた」
「…………」
「いいから、付き合いなさいよ」
 手渡された紅茶は、熱すぎない温度で僕の手の中に収まります。漂ってくるのは、嗅ぎ慣れない不思議な香り。香りにうるさい双樹さんは、自分で紅茶をブレンドしますが、これも新しいブレンドティーなのでしょうか。
「これは?」
「スペシャルブレンド。ベルガモットを強くしたアールグレイに、ネロリを少しね」
 ハーブや香には疎いのですが、この匂いは気に入りました。優しくて、ささくれた神経をなだめてくれる。口に入れると、ようやく落ち着いた心持ちになる。
「どう?」
「おいしいですよ。香りもいいし、気に入りました」
「ならよかった」
 組んだ膝の上に頬杖をついて、双樹さんはにっこりと微笑みました。
 ……ここのところ、彼女はずいぶんと『らしくない』笑い方をするようになりました。前までの、妖艶さを全面に押し出すような笑顔ではなく、自然で穏やかな笑い方。見る者がふと目を奪われるような。
 気がつくと、カップの中身を全て飲み干していた僕に気付き、双樹さんが「お代わりは?」と促します。
「いただきます」
 彼女はティーポットからお茶を注ぎながら、
「……で?昨日は、どうなったの?」
「知ってて聞きますか、そういうことを」
「聞くわよ。知りたいもの。ハイ」
「どうも。……どうなった、と言われましても、まあ、こうなった、としか」
 ポケットからキーチェーンを取り出し、彼女の前で振ってみせる。しばらくそれを見ていた彼女も、意味が分かったのかおかしげに笑いました。そこに掛かっているはずの、弓道場の鍵のスペアが、今はもうないこと。
「やっぱりね」
「分かっているなら最初から聞かないでください」
「ふふ、そう言わないでよ。正直に言えば、負けるのは分かっていたのよ。でも、あなたがその後どうするのかは分からなかったの」
「そうですか」
 それは、おそらく、嘘だ。彼女は分かっていたに違いない。彼に負けると、負けた人間は彼に手を貸すようになる。今まで例外なくその通りになっていて、僕も彼の手を取ってしまうということ。
 彼女が、そうであったように。
「それはもう、ぐうの音も出ないほどに伸されましたよ」
「でしょうねぇ。九龍、本気で怒っていたんじゃなくて?」
「……そんなことまでお見通しですか」
「昨日の昼間の様子じゃ、ね」
 女性は鋭い。昨日、僕が何をしても静観していたのは、全てを見越していたからだったのでしょう。
「あたしもあなたも同じ。……あの子の過去に、土足で踏み込んで荒らした」
「あなたの場合は不可抗力だったんじゃなかったですか?」
「そーよ。あの子が勝手に誰かを忘れただけで、あたしにその気はなかったのよ?それでも、あんなに怒ったんだから、正直ね、あなたは生きて帰れないんじゃないかと思ったの」
 双樹さんが葉佩君に挑んだとき。会長の意向で、この學園から白岐幽花を隠した。それがどう作用したのか、葉佩君は白岐さんと同時に、別の『誰か』も忘れてしまったのです。彼女の意図しない結果となったのですが、もちろん彼からしてみればそんなことは関係なく、女性を大切にする常とは裏腹に戦闘時にはずいぶん手酷くやられたと言っていました。
 ……それでも、僕よりはマシなのでしょうが。
 なんと言っても、僕の場合、彼でない誰かが、現れたのですから。
「僕の場合、怒らせてしまったのは葉佩君以外の人だったようです」
「九龍以外?皆守甲太郎?」
「いえ、……僕らが踏み荒らした、彼の『過去』」
「!?」
 亡霊と闘った、などと普通ならば信じがたいでしょう。けれど、この學園はそういった怪異をいとも容易く許容する。過去が現在にしゃしゃり出てくることなど、当然の現象とも言えるかもしれません。
 一つ異常と言えるのは、葉佩九龍という人物が、この學園に何の関わりもなかったのに喚び降ろしてしまったことでしょうか。囚われてなどいないはずの第三者が。
「怖いくらいに、葉佩君しか見えていないような人でしたよ。容赦も加減もなく、本当に殺されるのかと」
「……噂では、女性って話なんだけど」
「見た目は葉佩君でしたからなんとも言えませんが、おそらくそうでしょうね。ただ、口調が粗暴すぎて判別できませんでしたよ」
 一人称は、確かに「あたし」と言っていたものの、物言いだけでいえば葉佩君より、いえ、バディである誰よりも粗野。あそこまでいくともう下品と言っていいかもしれません。
 ……そういう人間が巣食う場所にいたのだと、言われてしまえばそれで終いのことなのですが。
「僕たちは、彼の過去について何一つ知りませんからね」
「忘れられない人がいる、って。それしかね」
 カップを両手で包み込むように持ち、紅茶の水面に視線を落とした双樹さんは、表情を翳らせる。
「普段、あんなにへらっへら笑ってるのに……時折、まっ暗い眼をするの。怖いくらいに深い色。過去に踏み込まれたときにだけ、見せる」
 ……今朝、会った葉佩君も、そんな眼の色をしていたように思う。冷たく冴えた夜の黒。過去に踏み込まれたから?いや、違う、あれは、紛うことなく彼の色。彼が持つ、黒。
「過去、ですか……」
「あなたも、触れたでしょ」
「ええ。触れたどころか踏み倒しました」
 そうして、二人で顔を見合わせて苦笑する。双樹さんは細い息をそっと吐き出して、遠い目をして言いました。
「あの子、……笑っていないあの子は、過去の中に置いてけぼりにされている気がする」
 過去に置き去られているのは、僕たち《墓守》の特権かと思っていましたが、何のことはない、救い出している彼こそが何よりも囚われているだなんて。
 彼らしすぎる矛盾で、笑うこともできない有様。
「次は、夷澤の番ですよ」
「そんなの、やる前から勝負が決まっているようなものじゃない」
「やっぱりそうでしょうかね」
「圧勝でしょ。あいつじゃ、背負っているものが薄すぎるわ」
 ここの所、夷澤に妙な動きが見られはしますが、それでも葉佩君に勝てるかと言えば……相当難しいでしょうね。半ば師弟のようになっていることを逆手に取りでもしない限りは。
「やはり、葉佩君を止められるのは阿門様だけでしょうかね」
「……私は」
 今日の双樹さんはよく口ごもる。普段、饒舌で上から物を言う彼女にしては、ずいぶんと珍しい。
「私はね……それすらも、どうかなと、思うの」
「あの御方でも?」
「……………」
 阿門様に心酔している彼女は、戸惑うように首を傾げ、口をつぐんでしまいました。
 僕らの長は、確かに強い。あの御方の闇の力は、この世の者とも思えない強さを持っています。
 けれど……闇の力を操る者と、頭の天辺まで闇に浸かる者、どちらが勝利するのかは、僕には分かりかねました。二人とも、互いの持つ闇の手触りを知らない。
 すべてを守り抜こうとする者と、すべてを失った者……か。
 だとすれば、勝機がはっきりしている者は、あと一人しかいないのです。
「あいつ、なら」
「そうですね……。本当に、彼が葉佩君を壊そうとするならば、容易いかもしれません」
「ええ」
 いつの間にか、『彼』は葉佩君に一番近い存在になっており、おそらくは闇に覆われた過去すらも知っているのでしょう。あるいは、過去の誰かにも代われるくらいの存在として、葉佩君の中で大きくなっているはず。
 彼がその手を離せば、すべて片が付くように思いますが、果たして彼が選べるかどうか。選んでしまい、葉佩君が壊れてしまったその時に、彼が壊れずにいられるかどうか。よしんばいられたとして、昨晩のように葉佩君に憑く者が現れて、彼を殺してしまうかもしれない。
 ああ、なんて危なっかしい。彼が転入してきたときは、たった一人の転校生に、ここまで揺さぶられるとは思ってもいませんでした。その上、彼においては、たとえ勝利したとしても、底深い闇の中に置いていかれるなんて酷い話でしょう?
 僕も、双樹さんも、自分がどうやってもそんな目には遭わないのだと知っている。だからこんなところで、のんきに顔を合わせてお茶など飲んでいる。そうして、しばらくこの部屋へ足を踏み入れていない彼のことをぼんやりと考える。
 夷澤が葉佩君を倒せないとするなら、僕らは二人の行く末を見届けなければならない。雁字搦めで逃げ場もなく、終わることしかできない、鳥籠の中の物語。
「……不毛よねぇ」
「まったくです」
「あいつ、どうするのかしら」
「さあ……。どうにもできなくて、今頃頭抱えてると思いますよ」
「ざまあみろ、だわ」
「そこまで言わなくても……」
 顔を見合わせて、静かに笑い合いながら、僕らは葉佩九龍の闇に対峙しなくてもいいという安堵と、……対峙できる彼に、ほんの少しの羨望を覚えるのです。

End...