風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 7.5 | 8 | 9 |

10th.Discovery 七瀬ふたたび - 9 -

『……チッ』
 指先が引き金を引ききる数ミリ手前、風が吹き抜けるような舌打ちを聞いた気がした。
『阿呆』
 遺跡の奥から響くような、深い深いため息のような声を聴いた気がした。
『引きずられやがって』
 俺の肩を後ろから抱くように、目の前の対象に向いた殺意を、引き留める気配を感じた気がした。
「…………?」
 空耳に意識をとられて、その時の俺は夕薙を忘れた。
 声がした気のする背後に視線を向ける。そこにいるのは、きっと俺の大切な人。性格悪くて口も悪くて態度でかくて、とにかく強くて厳しくて、けれど途方もなく優しい、俺の……。
「あれ……?」
 ふわふわと意識がどこかに浮かんでいるような、夢と現実の真ん中から現実に傾きつつある感覚で、ん?と首を傾げる。
 そこに、俺の思っていた人影はなく、それどころか声が聞こえたはずなのに俺の耳は、何も聞こえないまま、静寂の闇の中のまま。けれど、音を拾わず、潰れたはずの聴覚ではない、俺の頭の中そのままに直接響いてくる声がある。
『強くなるには』
 身体が温かい。誰かに抱かれているような柔らかさを感じる。誰も、いないのに。
『狂気が、必要』
 声はゆるゆると。水の中にいるような不思議な感触で脳に響く。
『でも、その狂気は、剥き出しのままではダメ』
 俺は、その言葉を何度も聞いている。
 一個小隊を相手にしたあいつは、いつだって剥き出しの狂気で闘っていた。
 けれど、俺を見る目はいつだって優しくて、微塵の狂気も感じさせなかった。
『狂気を納めるには?』
 ……正気の鞘、だ。
 俺は狂気に弱くて、しょっちゅう『あてられて』、剥き出しの牙をしまえなくなっていた。闘いが終わってもそのままでしかいられなかった。感情のコントロールができず、暴走していた。
 なのに、必要以上を傷つけずにいられたのは、なぜだ?
『あたしは』
 あいつだ。
 俺の狂気を、抱きすくめて消し去る存在。狂っているのが惜しくなるほど、狂おしいほどに愛おしい人。
『ずっとは、正気の鞘でいてやれない』
 夢のような感覚が遠ざかる。代わってやってくるのは、ここがどこで、自分が何者か見せつけられる現実感。
『―――強く、あるんだ、クロウ。九龍』
 なあ、逝かないでくれ。どこにも。ここにいて、いつだって弱い俺を、強くいさせてくれ。
 願いは届かない。耳鳴りがしてきた。ノイズのように音が、帰ってくる。あいつの声が、聞こえなくなる。
 なあ、教えてくれよ。強くあるために。
 ―――ひとりで、強くあるためには。
 どうすればいい?

*  *  *

 結果からいえば、俺の勝利。ダンナは潔く負けを認めた。
「九龍……、俺を斃してくれたんだな?」
 天井を見上げたまま、ぽつりと呟く。俺は、ダンナに投げた銃を拾い上げてから、手を貸して立ち上がらせた。
「お前のような超常的な《力》を何も持たぬものが、人ならざる者にさえ近い《力》を持ったこの俺を……」
「……一応、今の専門はそのようなお方々と戦うことですから」
 未だにぽわぽわしている耳の奥。それでも平衡感覚はかなり戻って来ている。ダンナを立たせてから、ちょっとの違和感を取るために首を傾げて頭を叩いてみる。やっぱ、まだ変か。
「いや―――だからこそ、俺を斃すことができたということか」
「そりゃどういうことで」
「何の奇跡や《力》にも縋らず、己が身体と智恵だけを武器に戦ってきたお前だから」
 そう言われて、苦く笑ってみせる。智恵はどうだか知らないけど、ダンナの言うとおり俺には自分の身一つと愛しいこいつら―――銃たちしか、いないから。これを使いこなして、俺はここまで来た。来てしまった。
 抜き身で、押さえることもできない狂気を携えて、こんなところまで、俺は。
 ……ダンナは、分かっているんだろうか。あとほんの少しで、自分が目の前のクラスメイトにぶち殺されていたということを。紙一重、だったんだよ?俺、本気、だったんだけど?
 ていうか、なんだろう、そんなところまで追い詰められて、皮を引きはがされたのは、やっぱりダンナが相手だったってことが、ショックだったから?こっち側だって勝手に思っていた人間が、実はあっち側だったってことが、こんなにも脳に衝撃を与えている。それってある種の、トラウマとかいうヤツ?
『クックック……。人の子の《力》、確かに見せてもらったぞ』
 俺の思考は愉しげな声に遮られる。《力》ってヤツに踊らされた間抜け共を、余興のように上から見物していた墓の主。腹立たしいったら、ない。面白くないのはダンナも同じようで、声に剣呑をにじませる。
「……お前は確かアラハバキと名乗っていたな。まさかお前は……、荒吐神だというのか?」
 ふぅん?……なんだか、この遺跡はどんどんきな臭くなっていく。そんなのは嫌ってほど分かりきっていたことだけど、遺跡の最深は……どうせロクでもない。
『……《鍵》だ……。《鍵》を探せ―――。我が元へと辿り着き《秘宝》を手にせんと欲するならばな……』
 鍵、って……ファントムの野郎も同じコトを確か。んー、あいつの正体がだんだん見えてきたような、見当違いしているような。ダンナのいう智恵ってのがもう少し俺に備わっていたら、もっと物事は簡単に見えてくるはずなワケ?
『待っているぞ、人の子よ―――』
「待て―――ッ!!」
 といわれて待つ悪党はおりません。フッと、寒気が消え去り、代わりに呻いたのはみっちゃんだった。
「ッ―――。う、……うぅ…」
「みっちゃん!?」
「おい、大丈夫か?」
「ええ……今の、霊は一体……」
 取り憑かれた本人にも分からないらしい。
「アラハバキと名乗ってはいたが……。九龍、君は荒吐神というのを知っているか?」
「あらら、これでも一応ハンターでしてよ。荒吐神といえば、遮光器土偶のモデルさんデショ。『まつろわぬ民』たちの信仰を集めた、異形の」
「そうか。では、君はすでに理解しているかもしれないが、アラハバキという名の語源には諸説ある」
 さすが、ダンナ。オカルト嫌いのくせにオカルト関連の本を読破しているだけのことはある。俺はその話は知らなかったから、おとなしく聞くことにする。神鳳も甲太郎も砲介も以下同。
「元々はアラビア語の『神』アラァと『永遠の』バーキィから成ったもので、『永遠の神』を意味するともいわれている。宗教改革によってエジプトを追われた太陽神が、インドから中国へと伝わり、そこで龍神としての性質を得、日本へともたらされたという」
 待てよ、ちょっと待て、俺はその話、どっかで聞いたことがある。思い出せ、あれは―――眠り前の夜話だ。あいつが聞かせてくれた、神様、ってヤツの与太話……。
「―――広東語では、永遠を意味する数字が『九』であることから、九龍―――と。そう呼ばれることもある……」
 ―――思い出が翻る。

*  *  *

『クロウ、んー、クロウ。なあ、お前、自分の名前の漢字、分かんねーんだろ?中国名はいいとして、せっかく日本名あんだからさ、なんか付けておこうぜ』
『いいよ別に』
『クロウ、クロウ、苦労、暗烏、琥狼、日本語の響きにすんのって難しいな』
『だからもういいって別に』
『あー、……九龍。この場所の名前と、同じ。九は永遠、龍は神。この糞溜まりの場所にそんな大層な名前が付いてんだ。九龍、決まり!九龍にしようぜ、そんで、ガウルンでもクーロンでもなくて、クロウ。な、よくね?』
『……だから、なんでもいいって』

*  *  *

 そんなことを言いながら、彼女から与えられた新しい自分の『名』が嬉しくて仕方がなかったの、覚えている。あいつが育って、自分が生きた腐った街の名前を与えられて、嬉しくて、あいつに全力でしがみついたことすら覚えている。
「九龍……永遠の神……《九龍の秘宝》…」
 あの双子ちゃんもそんなことを言っていた気がする。俺が、ここに派遣された意味って、なんか、符合性があるわけ?混乱、のち、思考停止。黙り込んだ俺の横に、みっちゃんが割り込んでくる。
「……夕薙さん。あなたは一体、何者なのですか……?朧気ながらあなたと葉佩君が戦うのが見えましたが……」
「ならば、俺の《力》を見ただろう?」
「あの、超音波みたいな、聴覚無効化攻撃?結構キいたんだけど」
「ああ。……この身体は、謎の奇病に冒されている。この忌まわしい病の謎を解くために、各地を転々としている途中、この學園の噂を聞いてやってきたというわけさ」
 あの攻撃が病、だなんてにわかには信じられないけど、目の前で見てしまったものは仕方ない。あれが、夕薙大和って男の《力》ってワケだ。
「なるほど、この學園の呪いが、あなたの病の謎を解く鍵になるかもしれないと踏んだんですね。そして、《秘宝》の存在に気づき、それを手に入れるために来た葉佩君を利用として近づいたわけですか」
「……そういうことだ。……九龍、俺を、軽蔑したか?」
 軽蔑?まさか。人には、それぞれの事情がある。それは俺だって抱えているし、ダンナだって、みっちゃんだって、きっと甲太郎だって抱えている。その事情、目的を達成するために誰かを利用するのは当然のこと。だから、俺は首を横に振る。
「いーんだ。大丈夫。平気。ダンナにはダンナの事情があって、それはどうしても譲れなかった。それはしょうがないことなんだよ」
「九龍……まったく、とんだお人好しだな、君は……」
 お人好し?いえいえ、そういう問題じゃないんですよダンナ。本当に、この世にはどうしょもならないことが溢れている。溢れかえっている。だから人は戦い合うし、奪い合うし、殺し合いながら愛し合う。世界はエゴで回っているんだから。
 これも、しょうがない、ことだった。俺は、そう信じてる。
 ……みっちゃんが、じっと俺の方を見ている。あー、もー、いいよ、分かってるよ、俺の信じてる、は、世間一般での諦めている、にも等しいって、そう言いたいんでしょ?てか言ったでしょ。
 いいの。平気なの。これが俺の主義、流儀。そういうもんなの。
 みっちゃんは小さく嘆息してから、ダンナに向き直った。
 それで、あなたの正体は?と、痛んでいるであろう口元を歪ませた。
「俺は超常的な《力》など信じない。必ず、何か人為的なカラクリがあるはずだ」
「ダンナー、その発言て、結構この遺跡の存在自体否定してる気がするんですがー」
 俺のツッコミに、ダンナ苦笑。だって、この遺跡の中にいるモノって、オカルト以外の何者でもないと、思わない?
「……そう、だな。俺自身も、この身体のおかげで、ここまで《生徒会》を欺き、誰にも気づかれずにこの學園の謎を探ることができた。夜の墓地を《生徒会》公認で自在に歩き回れたのは俺くらいなものだろう」
 ん?……んん?何だ、それ。
 夜の墓場を自由に徘徊できた……そんな人物、俺は、《生徒会》の面々と俺以外に一人しか知らない。しかも俺は、《生徒会》非公認。公認となると、本当に、一人しか。
 隣を見れば、《執行委員》だった砲介はもちろん、管理者たる《生徒会》の面子であるみっちゃんまでもビックリ、って顔をしている。だって、まさか、だ。でも、んな、まさか。
「まさか……、では、あなたは―――」
「……地上までは長い道のりだ。神鳳、君も治療が必要だろう?昔話をするにはちょうどいいだろう」
 ダンナはみっちゃんに肩を貸し(俺も貸そうとしたら背が足らなすぎて返って邪魔だった……)、魂の井戸へと歩き出す。
 その途中、つれづれと、身の上話を聞かせてくれた。

*  *  *

 ダンナの過去、それはあんまりにもあんまりで、俺は自分のどこかがまるで同じことのように痛むのを感じた。
 身に降りかかった衝撃に、何かを強烈に否定したくなる気持ち。ダンナがオカルトを、怪現象を、科学で証明できない事柄を否定するのは、俺が俺を否定したいという気持ちと同じだった。ただ俺は否定したいはずの俺を肯定し、望んだひとがいたために、否定することができなくなったというだけで。
 もしも、あの最後の最期、あいつがあの言葉をかけてくれていなかったら、きっと俺はダンナのように、憎むべき対象であるものを真っ当に歪んだまま憎み続けていたに違いない。

「俺は中学を卒業してすぐ、父の仕事を手伝うために海外に渡った。戦地や被災地での医療援助をしながら、俺は人が人を救うことの尊さを感じていた」
 もう二度と、誰も救うことのできない昔話は、淡々と紡がれる。
「……それは父と俺がハイチを訪れた時のことだった。当時、ハイチは1994年の軍事政権の混乱や国連による軍事制裁から難民が急増し、中には都市部から逃れ、山林の山奥に住み着くものたちも少なくはなかった。満足な医療設備もない奥地の集落では疫病が蔓延し、人々は暮らすこともままならなかった」
 ハイチで軍事といえば独裁者「パパ・ドク」やトントン・マクートが有名だけど、ダンナが言っているのはそれ以後のことだ。おそらくはFRAPHが猛威をふるっていた前後の話。その後にハイチにいたっていうなら、……もしかすると、俺は昔々、どこかでダンナとすれ違っていたかも。
「俺たちが援助に向かったその村は、ヴードゥーへの信仰が篤く、その司祭が全てを取り仕切る閉鎖的な村だった……。九龍、ヴードゥー教について知っているか?」
「知ってますとも。でも、ハイチって国教はカソリックじゃなかったっけ?」
「ああ。だが、多くのハイチ人はヴードゥーも慣習として取り入れている。俺がいた村は、それが、顕著に表れていた。キリスト教すら異教として扱われていた」
 魂の井戸に辿り着き、ダンナは支えていたみっちゃんを座らせる。相も変わらず摩訶不思議、みっちゃんの傷は跡形もなく消え去って、さすがのみっちゃんも普段のポーカーフェイスを崩している。
「……ここもまた、不思議な力で満ちているとでもいうのか」
「消毒液なしで擦傷治るんだもんねぇ」
「ヴードゥーにも、そんな風習が根付いていたよ」
 ダンナの打撲もきれいさっぱり治ったようで、腕組みをしたまま難しい顔で続ける。
「ヴードゥーの司祭は宗教的儀式を司るだけでなく、祈祷や呪術によって病をも治すという」
「おぅ、奇跡」
「それが本当ならば、な。しかし司祭の祈りの甲斐もなく、村の状況は悪くなる一方だった。父と俺は何とか治療を受け入れてもらおうと尽力した。その流行病は、現代医学で十分に治療可能なものだったからだ。そんな俺たちを密かに手助けしてくれたのが、司祭の娘だった。とても……いい娘だった。まるで太陽のような笑顔をした少女だったよ」
 遠くのどこかを見ているようなダンナの目は、なんだか酷く寂しげで、この話が優しく終わらないということを告げているようだった。
「彼女の協力で、少しずつではあったが、村人に治療を施すことができた。だがある日―――いつものように、彼女の協力で村人を診察しているところを司祭に見つかり、抵抗した父は捕らえられ、―――殺された」
 ああ、と俺は何かを納得する。俺がダンナが戦う相手だったと知ってやけにショックだったのは、この辺りが酷似しているせいだったのかもしれない。曰く、親はどこぞの誰かにぶち殺されました、と。
 何かを思い出すように言葉を句切って、しばらく沈黙が続く。ダンナが顎で行くか、と促すまで俺たちは何も言えないまま。甲太郎とみっちゃん、砲介は自分とはかけ離れたファンタジーに驚いて。そして俺は、ダンナと同じような思いを噛みしめて。
「司祭は全ての厄災を俺たちのせいだと決めつけたのさ。異教徒を排除し、彼女を生け贄として捧げなければ、ロアの怒りは収まらないと……」
「何なんだそれは……。21世紀だぞ、今は」
 甲太郎は苦々しげに吐き捨てる。ダンナは、それを聞いて困ったように笑った。笑わざるをえなかった、という感じ。
「文明は誰にも等しく与えられるわけじゃないということさ。事実、その村のほとんどの人間は公用語の書き取りができなかったんだからな。そういう場所では、科学よりも民間信仰の方が重んじられることが多い」
「……で、生け贄とやらにされそうになった女はどうしたんだ」
「俺は彼女を連れて逃げだそうとした。一緒に日本へ行こうと言ったが、彼女は首を縦には振らなかった……。俺たちに協力していながらもそれでもまだ、彼女はどこかで信じていたんだろう。自分が生け贄になれば、全てを救うことができるかもしれないと……」
 ソンナ、と呟いたのは砲介で、舌打ちをしたのは、ダンナだったか甲太郎だったか、はたまた俺だったか。
「結局俺は村人に捕まり、司祭に何か薬のようなものを飲まされて小屋に閉じ込められた」
 話のオチが見えて、胸くそ悪い気分になる。嫌だ嫌だ、先を聞いたら鬱になりそ。
「朦朧とする俺の前で、彼女は殺され―――気がつくこと俺もまた、広場へと連れ出されていた」
 ダンナの眼は焦点が合わなくなっていた。過去を見ている。その眼はヤバい。よくない。何にも映っていないくせに、記憶の隅に焦げ付いた痛みだけが幻のように蘇る眼。
「燃えさかる炎と祭壇。そして、血しぶきを浴びた神の像―――。それを見た瞬間、頭が真っ白になった。俺は無我夢中で村人の手をふりほどき、その像をつかんで―――」
 目蓋が閉じられる。何も見えていないくせに、憎悪だけが滾るほど溢れかえっているのが伝わる。
 ……俺は、きっと、今まであんな眼をしてきたんだなー、と思う。喪う、その痛みの分量が俺とダンナはほぼ等しい。だからこんなに、酷いシンクロを錯覚するんだ。
「……その後のことは、どこまでが夢で、どこまでが現実だったかよく覚えていない。吹き荒れる暴風と、倒れた松明が家から家へと飛び広がって燃えさかる炎……。神の祟りに怯え、祈る声と、俺を呪う幾多の声―――その中で、ただ司祭だけが俺を真っ直ぐに見てこう言った」
 ゾッとした。ダンナがあんまりに真っ直ぐ、言葉通りに俺を見るから。
「『お前が全ての元凶だ』と。『その身には恐るべき呪いが降りかかるだろう』と―――」
 俺に、言われた気がした。
 もちろん、あいつからではなくて、ダンナから立ちこめる憎悪の意志がそう思わせるだけだって、分かってる。けど、……けれど、先刻、俺のせいでダンナは呪いとやらを解く方法を手に入れ損ねた。俺がいなければ、俺が死んでいれば、ダンナの哀しい過去も少しは報われた、はず?
 一行は重苦しい足取りで、大広間に到着。遺跡の中は、相も変わらずどこから吹くのか分からない乾いた風が吹いている。反響し合い、音楽のように聞こえる。
 俺は、ずっと考えていた。ずっと、ずーっと。
 あいつは、確かに俺を愛してくれていた。もう、疑わないし迷わない。それが例え思いこみでもいい。縋って生きるには事足りる。
 でも、……他の、誰かは、違う。死んでいった誰かは、遺された誰かは、俺によって災難を振り下ろされた誰かは、間違いようもなく俺を恨んでいる。俺、という人間を認識できていなくても、許せない、殺してやりたいという怨嗟は変わらない。
 今日、俺の身に起きた変調は、そういうことなんだろ?色々やらかしてきた過去が、俺を蝕んだ。誰よりも不調が酷くなったのもそのせい。
 俺にも、しっかり呪いは降りかかっている。人の意志が、俺を壊そうとした。
「父と彼女の命を奪ったのは人間の無知なる悪意だ。今でも、俺はそう思っている。九龍……君は、どうだ?神や超自然的なものの大いなる意志とやらが、二人の死を……、村人たちの死を必然と定めたのだと思うか?」
「俺は、神様なんかよりずっと、……人の方が脅威だと思うよ。意志を持って人を殺めるのは、結局、人でしょう」
「九龍……君ならば分かってくれる……そんな気がしていた。自らの力だけを信じてここまで辿り着いた君ならば……。ありがとう、九龍」
 違う。ダンナ、そうじゃない。違うんだ。俺は、そんなふうに言われる人間じゃない。どちらかといえば、というか、絶対に、―――ダンナに、拒否される側の人間なんだ。
 境遇は、似ていると言えるかもしれない。でも、決定的なところで、俺とダンナは別物だ。全然違う。それを、ちゃんと伝えられないという点も、違う。
「俺は超自然的な力など信じない。オカルトも神の奇跡も―――この世の超常的な出来事の全てを。例えこの身が呪いとやらに囚われようと俺は認めない」
 ダンナが、今日起きた一連の出来事の中で平然としていたのは、その強さと正しさ故だ。俺にはない、正しい過去を持っているから、こんなにも真っ直ぐにオカルトの存在を否定できる。
「何が祟りだ……。何が生け贄だ!!父も、彼女も、あんなところで死ぬべきだったなど、俺は絶対に信じない」
「………」
 きっと、ダンナのお父さんも、彼女さんも、素晴らしい人だったに違いない。いい人だから、死に様を否定してくれる人がいる。
 俺の知っているあいつも、凄まじく最低に近い、最高の人間だったから、俺は未だにあいつがあんなところで死ぬべきじゃなかったと信じている。
 生きている価値のある人間は、価値があるから失われたときに悲しまれるんだ。それって、悲しいけれど、実はとても素晴らしいことだと思う。
 俺の沈黙の代わりに、黙り込んでいたみっちゃんが口を開く。
「……夕薙さん、君の言うことは半分くらいは正解ですよ」
「どういう意味だ?」
「僕たち《墓守》の持つ《力》もおそらくは根拠のない、超常的なものではないということです」
 みっちゃんは、砲介にちらりと視線をやる。銃弾を作り、銃まで造り上げたその《力》が、超常的でないと?
 何を言っているんだろう、と思う。だって、どう考えても《墓守》たちの力は非現実的で突拍子もない能力で、俺はそれに銃という現実で相対していたというのに。その後に現れる黒い砂も、形を取った異形の墓守も、みんなみんな俺にとっては超常的なのに。
「じゃあ、みっちゃんの元々の力もなんかで説明がつくっての?」
「いいえ。この力については、ただ視えてしまう、としか。ただし、人の想いは―――、その魂は、肉体が滅んでもなお、生ける者の近くにあり、時としてその心身に影響を与えることさえあります」
「…………」
「例え、その姿は見えずとも、今も君を案ずることが、僕にはすぐ近くに聞こえる気がしますよ。夕薙さんも、葉佩君も」
 肯定したい、そんな俺とは正反対に、ダンナは否定を吐き捨てる。
「……まやかしだ。そんなものは……」
「そう思うのは君の勝手です」
 冷たく吐き捨て返すのはみっちゃん。どうも、この二人は信じているものが違うだけで根底はよく似ているらしい。俺は科学もオカルトも、そう簡単に肯定も否定もできない立場だし、……肯定するには弱すぎるし、否定するのは哀しすぎるという複雑怪奇な身の上だ。
「九龍……、君も、人の想いを否定するなと言っていたな」
「……ん」
「それは、君が忘れることのできない誰かを言っているのか?」
 半分正しくて、半分不正解。俺が言ったのは、あいつからの想いでも、あいつへの想いでもない。単なる受け売り。あいつが語った、祈りだとか願いだとかそういう類の想いの話。
 ただ、あいつが信じた、人の想いの重さの話。俺にはどうしても否定できない、あいつの想い。
「だとしたら、だ」
 唐突に口を挟んできたのは甲太郎。むっと引き結んでいた唇には、噛みしめられたアロマパイプ。なぜだか酷く、機嫌が悪そうだ。
「お前に憑いている誰ぞかの魂とやらは、タチが悪いな。―――最悪だぞ」
「……なんで、甲太郎がそんなこと」
「視た、からだよ。俺たちもな」
 ……何の、ことだろう。ふと見れば、俺以外の全員が微妙な顔をしている。一体、何を見たって?それは……まさか、あいつの姿?
「隊長を見守っているというその方ハ、とてもとても、お強い方ではありませんカ?」
「……うん。とても、とても強いよ。でも―――もう、いないんだよ」
 知らず、顔に険が出ていたのだろう。みっちゃんがふっと目をそらして、話を変えた。
「それにしてもヴードゥーの呪いとは……。村人たちの怨嗟の声は、一体君にどんな報いを負わせたのですか?」
「報いって……さっきの耳鳴り攻撃のことじゃなくて?」
 ダンナは首を振る。けれど、言葉では肯定も否定もしない。
「……今夜もいい月が出ている。外へ出よう。そうすれば……、すべて解るさ―――」

*  *  *

 墓地はやけに暗くて、それが月明かりがないせいだと気付く頃には目は闇に慣れていた。
 甲太郎が咥えた、アロマパイプの小さな灯りがやけに綺麗で、ぼんやりとそれに見とれていたとき。
 さらさらと雲が流れていって、薄ぼんやりとした光が辺りを照らし始めた。
 俺はその時、ダンナの言った意味がよく分かっていなくて、だからダンナが深く深呼吸したことにも気づけなかった。
「……月が出るな」
「ああ、そういえば、ダンナ、外に出れば分かるって、」
「よく見ておくといい」
 言い切らないうちに、その変化は表れた。
 さらさらさらと、何かが鳴っていた。雲の流れる音なんかじゃない。俺は、とても悪い予感を感じる。ダンナは目を見開いて、次の瞬間、グッと呻いて身をかがめた。
「これが、俺の……正体だ」
「……ダンナ?」
 さらさらと音を立てていたのは俺の目の前に立っていたダンナの身体。黒い砂が流れ出るような音と共に、―――夕薙の姿は変貌した。
「―――ッ!そ、その姿はッ!?」
 流れ出ていたのは何だったのか。水分とか、精気とか、若さ、とか。とにかく《それ》は急速にダンナから何かを奪い取っていった。 
「月の光を浴びると急激な老化が始まる。今まで俺がこの姿で墓守の老人になりすましていたというわけさ……」
「ん、な……何で」
 ほとんど呆然としてしまった俺の目の前にいるのは、さっきまでダンナだったはずの、ほとんどミイラと化した墓守のじいさん。何が起きているのか分からなくて、俺は今日起きた色々なことも忘れて真っ白になった。
「これが……、俺の、背負った業だ……うぅッ……」
 ダンナの呼吸が緩慢になり、呻いて倒れるその時まで俺は焦点合わないまんまで。
「夕薙さんッ!!」
「大和ッ!!」
 倒れ込んだダンナが、俺に向かって手を伸ばして、「すまない」と呟いた声を聞いてようやく、我に返る。
「ゆ、夕薙!!な、これ、どうすればいいんだよ、おい!!」
 力の抜けていくその腕を必至に握って、名前を呼んでもダメだった。
 ―――恐ろしい予感がする。
「葉佩君、ここはとにかく、彼を寮に運びましょう。僕は瑞麗先生に連絡してきます!」
「ちょ……待ってよ。何だよ、これ……何なんだよ」
 ほとんど止まったような呼吸。力ない身体。土気色の顔。見覚えのない風貌。
 これが、呪いのせい?今にも命が止まってしまいそうな、これが?
「急いでくださいッ、葉佩君ッ」
「おい大和、しっかりしろ!」
「こ、呼吸が乱れているでありマスッ」
 目の前の騒ぎが、どこか遠くのように感じる。飛び交う声を聞きながら、記憶の手前の方にある過去を思い出す。
 ダンナ、呪いを、解きたい……って、俺は、その願いを、どうしたっけ?
 闘って、勝利して、ダンナの願いを、叩き潰した?
 そのせいで、こんなにもダンナの命が弱くなっていく。
 なあ、俺は……勝ってはいけなかった?そういう、こと?
 俺があそこで負けていれば、この呪いは、もうどこにもないものになっていた?
「ダンナ……それは、ダメだ」
 す、っと。頭のどこかが覚めていく。譫言のような「すまない」の連呼を聞きながら、それは俺の台詞だろ、と思う。
「死んだりしたら、ダメだ。ダンナは、ダメなんだって。……そんなの、誰も、許さない」
 ―――ダンナは、とてもいい人で。いい、友人で。人望もあって、優しくて、頼りがいがあって男らしくて。色んな人に必要とされているから、こんなところで、こんなふうに、意味もなく死んではいけない。
「俺が代わるから」
 俺なら、いなくなっても大丈夫。平気。秘宝だって、要らないから。
 必要とされて死ぬのなら、きっとあいつだって許してくれる。
 だから。いかないで。お願いだから。

End...