風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 1 -

 毎夜、夢を見る。
 それはそれは、幸せな夢。
 誰かがいつでもそばにいて、その誰かっていうのは黒い誰かさんなんだけど、俺の記憶にある限りのそいつとの日常一つ一つを生き直すような、夢。
 俺は夢の中で世界の甘味を存分に楽しむ。朧気な輪郭を手繰るように、夢なのに鮮明さを求める。手繰って手繰って、やがて張りつめた夢が溶けながら終わっていく。
 なのに、俺は哀しくない。昔ほど、痛みはない。まったくない、ワケではないけれど。
 だって、現実に引き戻るとき、必ず匂いに導かれるから。紫色したラベンダーの、夢と同じくらいの甘さを持った匂い。目覚めながら、今度はそっちをたぐり寄せる。
 そうして目を開けたとき、誰かが目の前にいて、―――起きていたり眠っていたり、時々だけれど、とにかく、その姿を認めて俺は今までの幸せが夢だったことで少しだけ悲しくなって、それよりもっと大きな熱量で、ここが幸せだと思う。
 皆守甲太郎って場所。
 俺は最近、目覚める瞬間が酷く楽しい。

*  *  *

 その朝は、冬も佳境に入ってきたって感じに寒かった。
 俺はなぜだか保健室にいる。といっても、別にどこかが悪いワケじゃなくて、もちろん寝に来たわけでもなくて、珍しく付き添いなのです。
 本日の患者は七瀬ちゃん。どうしたもんだか、体調が優れないんだそうだ。よく眠れないのと頭痛、その他諸々いかにもこの学校っぽい症状のオンパレードだそうで。俺は頼まれて一緒に来たのです。ルイ先生にしょっちゅうお世話になってるからだろーな。
「ふむ……」
 七瀬ちゃんの下まぶたを引き下げたり脈取ってみたりしてた先生が、一段落付いたように小さく嘆息する。
「で、どーなんスかね?」
「何か、悪いところがあったんでしょうか……」
 不安げにルイ先生を見る七瀬ちゃんに、先生が言ったのは安心半分不安半分。
「身体的には特に異常は見当たらないが、《氣》が乱れているな」
「氣……ですか?」
「そうだ。昨日あたりからそういった症状の生徒が多く訪れている」
「頭痛とか不眠とか、ってヤツですか」
「ああ。ちょっと前の君みたいな、な。中には夜中に墓地を彷徨っていたりする者もいたりしたようだ」
 ちらりと先生は俺を見る。その視線が意味ありげで、悪いコトしたわけでもないのに思わず頭を下げてしまうってモン。……夜中に墓地は、悪いことですかね?
「それ以外にも突然、覚えのないことを喋りだしたという症状も受けている。……葉佩、君はそういった症状はないか?」
「いーえ、全然、デス。最近やたら調子よくて」
 ここ一週間は保健室のブラックリストから外れてるからね、俺。不眠も頭痛も、夜間徘徊以外はほぼ正常健康。覚えのないこと喋り出したりは……覚えがないから分かんない。
「そうか。ならばいいんだが。……これらの症状は、どうやら単なる疲労やストレスが原因ではないようだ。何なかの霊的障害を受けている可能性が高い」
「……うはー、このガッコっぽい」
「以前からそういった症状が見られたが……、ここのところどうもその影響が強まっているような気がしてならない」
 まーったく、この学校は本当に。そういうことばっかりは飽きもせずに起こるんだから。まいったねまったく。七瀬ちゃんはこめかみに指を当ててしんどそうだ。
「七瀬ちゃん、マジに大丈夫?」
「あ―――はい。だ、大丈夫です」
「あまり酷いようならまた来るといい。葉佩、君も無理は禁物だぞ。誰も君の代わりになれないのだから」
 視線を向けられて、俺は少しだけ考える。ちょっと前までなら、そんなことないですよー、なんて簡単に言えたと思う。俺の、ロゼッタハンターの代わりならいくらでもいます、って。
 でも今は、代わりはいないっていう偉大な言葉に、大っぴらに首を振るような気にはならない。
「……そう、ですね。ハイ。気を付けます」
 笑って頷いた俺の顔を、ルイ先生は珍獣でも見るような目で見てきた。
「……ほぅ。君も、そういうことが言えるようになってきたのか」
「へ?」
「いやいや、いい傾向だと思ってな」
 意味ありげに、ルイ先生は煙管を燻らせる。口元を吊り上げて、……なんか、いじめっ子っぽい顔してる。
「最近、保健室にも顔を出さないからな。私としては寂しい限りだが、君にとってはいい変化があったようだ。噂では、例の彼と駆け落ち未遂をしたとかしないとか、その辺りが関係しているのか?」
「だから!駆け落ちもしてなきゃ未遂でもないっす!!何で甲太郎と手と手を取り合って大脱走ですか!?」
「そうは言うが、なんせ専らの噂だからな」
 放っておけばけらけら笑い出しそうな顔してやがる、クソぅ!七瀬ちゃんはさっきにも増して暗い顔してる。どうやら俺が脱走『未遂』をやらかしたときに彼女も色々心配してくれたらしいから、変な噂が立つのは物凄く申し訳ない。
「まあ、心身共に健康なのは何よりだ。七瀬も、気になることがあればまた来るといい」
「分かりました。ありがとうございます、先生」
「葉佩も、……恋の悩みくらいなら聞いてやらんこともないぞ」
「結ッ構です!!」
「ハハハ、それじゃあまたな」
 俺はそれ以上何も言われないよう、七瀬ちゃんの腕を引いて保健室を後にした。まったく、変な噂が立ったもんだ……。不気味なのは、散々周りからからかわれ倒されてるのに対して甲太郎が完全に沈黙を守ってることなんだよなー、いつもだったら「阿呆。」とか言って一蹴しそうなのに無反応ってのがまたなんか……、
「あの、九龍さん……」
「へ?あ、は、はい?」
「その……手を」
 考え事をしながら歩いていた俺は、七瀬ちゃんの腕を掴みっぱなしだったことを忘れてた。彼女の視線は俺の手で止まってる。
「あ、ゴメン!」
「いえ……」
 体調が悪いって子の腕を引いてずんずん突き進んでた俺。最低ね。慌てて離すと、彼女は困ったように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。……それよりも、どうやらこういった症状に悩まされているのは、私だけではなかったみたいですね」
「安心した?」
「そういうわけではないですけれど……原因がこの學園にあるというのなら、私自身でその原因を突き止めることができるかもしれない」
「え゛ッ……」
 それってまさか、あのー、危ないことをするつもりじゃないですかねぇお嬢さん。
「ふふ、そう考えたら元気が出てきました。九龍さん、わざわざ付き合ってくれてありがとうございました」
「えっと、うん、それは全然構わないんだけどさ、あのぉ、」
「ふふ、やっぱり九龍さんについてきて頂いてよかったです」
「いやそうじゃなくてね……」
 危ないことはね、ヤメテいただきたくてね、ってそういうことが言いたかったんだけど。
「よォ、お二人さん」
 後ろから聞き馴染んだ声が掛かって、俺と七瀬ちゃんは同時に振り返った。ほんの僅か、七瀬ちゃんの表情に険がこもったのはたぶん気のせいじゃない。どうも相性が悪いらしい、七瀬ちゃんと目の前に立つ男。夕薙。
「どうやら今日の保健室は大繁盛らしいな」
「あら、夕薙さん。……書庫室の鍵なら、隠し場所を変えましたからね」
「解ってるさ。今度は壁際の棚のゲーテ全集第二巻の裏だろう?」
 にやりとダンナが笑う。さっきのルイ先生さながら。今度顔色を変えるのは俺じゃなくて七瀬ちゃんだけど。
「何てことかしら……。また新しい場所を考えなくては……」
「ハハ、精々頑張ってくれ。それより九龍、君は身体の方は何ともないか?」
 空中火花題激突の視線が、不意に俺に向く。俺は頷いた。
「おうよ。元気も元気。こんだけ元気だと色んな人に愛を振りまきたくなるよねーぇ」
「ははッ、そんな冗談が出てくるようなら心配いらないな。まあ、誰かさんに対しては冗談じゃないのかもしれんがな」
「言っておきますが俺の愛は七瀬ちゃんみたいな可愛い女の子限定です」
 ジト目で睨み上げると、ダンナは肩を竦めて見せた。冗談には冗談を、って感じ。
 まったく、ダンナってば例の噂を聞きつけて(というか一日行方知れずになった俺を捜してくれて)、その後言った言葉が「甲太郎なんかじゃなく俺に言ってくれればいくらでも付き合ったんだがな」だってんだから、もう。
「……あの、もしかして夕薙さんも、ですか?」
「いや?俺は九龍と逃げたりなんかはしていないが……」
「ダンナッ!!」
「ハハハ、冗談だよ。身体のことだろう?なんともないさ。……保健室に用があったのは七瀬の方か?」
 ダンナは俺を見下ろして、いつもは九龍の方なのになと付け加えた。まーね、確かに俺は常習犯だ。
「ここ数日、どうも身体の調子がよくなくて……」
「そりゃあ、毎晩のように眠る暇もなく、得体の知れないものに駆り出されていればな」
 思わず、ダンナを見る目に力が籠もる。俺は、夕薙に自分の正体が薄々だとしてもばれているのを知っている。でも、どうしてばれたのかは分からない。俺はそんなに迂闊だった?
 訝しがる俺の代わりに、七瀬ちゃんが食ってかかる。
「な、なぜそれを……」
「何も、君だけのことじゃない。どうやら事は學園全体に広がっていそうだな。すると、やっぱりあれが原因か……」
「……『アレ』?」
「夕薙さん、何か心当たりがあるんですか!?」
 二人分の視線を受けて、ダンナは顎に手をやった。しばらく何かを考える素振りを見せて、
「……どうも墓守のじいさんの目を盗んで、墓地を荒らした奴らがいるらしい。荒らした、といっても掘り返されたりっていうんじゃない。《氣》の感じが違うんだ」
「《氣》……ねぇ」
 さっき、ルイ先生もそんなようなことを言ってた。俺には《氣》がどうたらっていうの?そういうの全然分かんないけど、ダンナは分かるらしい。ますます怪しいねまったく、この學園の人はどいつもこいつもフランスも。
「そこにあるべくして蟠っていたはずの重い空気が、今はほとんど感じられない。いうならば―――誰かが、それを解放したかのような」
「つまり、その、何かの……霊が?」
 問いかけに、しかしダンナは首を振る。そうだ。だって、ダンナは超常現象大嫌い。霊なんて真っ先に否定したいんだろう。
「……俺は祟りだ呪いだなんてのを信じているわけじゃないが、何らか大きな変化を感じ取ってしまったのは確かだ。一応、九龍には伝えておいた方がいいと思ってな」
「そりゃ、どーも。……俺が知って、どうにかできるもんでもないだろうけど」
「ほぅ?」
 それはどうかな、と言っているような顔だった。もっと深読みすれば、その、よく分かんないものを解放したのが俺だとでも言いたげな。心当たりは、ないわけじゃないけど俺のどの行動が引き起こしたのかは謎。
 夕薙大和。そろそろ、核心の話をしないといけないのかもしれない。白岐ちゃんもこちらに立ってくれたのだし。
「……あの、九龍さん……」
「ほい?」
「もしよかったら少し図書室に寄っていきませんか?」
「ん。よいよー。朝の図書室に二人っきりなんてムードだねぇ」
「えッ?いえ、あの、変な意味ではなくてですね、ただその、少し調べたことがあるのでそのことについてですねッ」
「分かってますって」
 変な意味で付いてったら剣介にナマスですな。そういや駆け落ちだなんだってみんなが冗談で騒ぐ中、あいつ、マジ顔で甲太郎に斬りかかっていったっけ。「破廉恥なッ!」とか叫んでた気がする。一体何を想像したんだろ……。
「七瀬、よかったら俺も混ぜてくれないか?九龍や君らが何をしているのかはおおよその見当が付いている」
「……へーぇ」
「俺もこの學園の地下にあるものには、大いに興味があるんだが」
 見当が付いてる、だってさ。こうなるともう隠してるのすら軽く馬鹿馬鹿しくなってくるってもん。いっそ喋ってしまおうか?口軽なダメハンターは溜め息を吐く。
「……ですが、夕薙さんは超常現象を毛嫌いされているようですから、決して楽しい話ではないと思いますが……」
「嫌っているからこそさ。その正体を見極めるのに情報は不可欠だろう?それとも―――ひょっとして俺がいては迷惑かな?」
 悪戯っぽい目。迷惑、の言葉の中に含みがある。真里野の剣ちゃんはきっと気付かないであろう含み。俺はわざと膨れてみせた。
「困るねー、そりゃ。トーゼン」
「なるほど、君の言うことももっともだ。せっかく人気のない図書館に二人でしけ込もうとしているんだから、邪魔に決まってるよな」
「そーゆーことー」
「な、何を言ってるんですかッ!!私と九龍さんはそ、そんなふしだらな関係ではッ……」
「あら、ふられちゃった」
「なら俺が同席したって構わないだろう?ふられた相手と二人きりじゃ気まずいだろうしな」
「しょーがない、ダンナ、慰めてー」
 泣き真似をしてみせて夕薙にへばり付くと、後ろで七瀬ちゃんが苛立ったような気配をダダ漏れにしていた。あら、からかいすぎた?
「……分かりました。それでは図書室へ行きましょう。着いてから、ゆっくりお話しします」
 そういって、どんどん先に行ってしまった。置いてけぼりの俺と夕薙は顔を見合わせて、やりすぎた?と視線を交わし合ってから後を追った。

*  *  *

 図書室で七瀬ちゃんから天香山の話を聞いた。前に彼女から聞いたものに、新しい発見と補足を加えたもの。俺は彼女に請われて遺跡の中での話をした。夕薙がいたけど、それももう今更って感じ。
 日本の神々を模した墓守に、神話に準えた石碑の言葉、ギミックにトラップ。逆ピラミッドになっている遺跡自体の形状、その他諸々。
 二人ともずっと黙ってそれを聞いていて、話し終えて口を開いたのは七瀬ちゃんの方だった。
「九龍さんももう気付かれていると思うのですが、あの遺跡は『古事記』や『日本書紀』などの古史古伝に準えて造られているようです。伊邪那岐神、伊邪那美神を含む神世七代の像に始まり、伊邪那美神の死、三貴子の誕生、須佐之男命と八俣遠呂智、因幡の白兎と大国主神、天若日子の造反、建御雷之男神の侵攻―――そして、邇邇芸命と木花佐久夜毘売、岩長比売の婚姻までが語られました」
 俺は、遺跡のトラップを思い出す。毒ガストラップの部屋。あそこにあった像には邇邇芸命、木花佐久夜毘売、岩長比売の名前が全てあった。神話の順で行くなら、そこには辿り着いているのだ。
「すると、次の大きな変革は神武東征か……」
「伊波礼VSまつろわぬ民ってヤツっすね」
 伊波礼、性格には神倭伊波礼毘古命。天孫邇邇芸命の子孫で、日本で最初の天皇といわれてる神。こいつは日本征服を掲げて先住民をぶっ飛ばしてったわけさね。もち、元々その土地にいた連中も黙ってなくて、バトルが勃発する。そういうハナシ。
「やはりこの話は知っているか。さすがだな」
「ダンナこそ、神話に詳しいなんて意外ね」
「いったろう?情報収集は不可欠だと」
 そう言ってダンナがコンコンと本棚を叩く。そこには日本書紀や古事記といった神話関連の本が並んでいた。
「あの遺跡は、神々の歴史を語りながら地下へと続いていきます。そこで問題は、あの遺跡は果たしてどこまで続いているのかということだと思います」
「次が神武東征だとして、次のでっかいハナシつったら、倭建命?」
「ですがそれは何台も先の天皇の頃の話になってしまいます。……九龍さん、もう随分と前の話になりますが、私が《天香山》についての話をしたことを覚えていますか?」
「おうよ、覚えてるよ。《天を欠く山》って話っしょ?」
 随分前ったって、たかだか三ヶ月程度前の話だけど、……そういや、まだ三ヶ月しか経ってないんだよな。もっと長く、ここにいた気もする。中身が濃かったせい?
「忘れないでいてくれて嬉しいです。《天香山》、天を欠く山。そして、この學園に隠された《天を欠く山》とは、あの遺跡の事かもしれません」
「つまり、あの遺跡は地中深くに向けてそびえているということか」
 ダンナはふーむ、と事も無げにいうけど、あーた、あの墓地の下が遺跡になってるっていつ知ったんですかね?俺はそっちの方が気になっちゃうデスヨ。
「はい。そしてあの遺跡がピラミッドであるならば、その意味はより重要なものになるでしょう。エジプトのピラミッドとは、王の魂が天へと登るための階段と考えられています。では、それが地の底へ向かっているということは……」
 夕薙への疑問に向かっていた頭が、七瀬ちゃんの言葉でシフトする。だって、それは俺が思ってもなかったことだから。
 言われてみりゃ、その通りで、天へと導くためのピラミッドが逆になってるってことは、そこある意味まで逆になってくるってことだ。俺はそのことに、今の今まで気付いてなかった。
「逆ピラ……かぁ」
「神々への賛歌の果てに納められている……あるいは封じ込められている物とは、一体何なのでしょう」
「その何かは、きっとまだ昇天はしてないんだろーな。地中奥深くで、わだかまり続けてる、か……」
 七瀬ちゃんはこっちを伺うような眼をしてから、何かを躊躇うように口を開いた。
「こんなこと、私が今更言うことではないのでしょうが、……九龍さんはこれから先も本当にあの遺跡の奥を目指すつもりですか?」
「そりゃ、ね。そうするしかないやね。そのために俺、ここにいるようなもんだし」
 言いながらちらりとダンナを見ると、やっぱり、一筋縄じゃいかないような色んな意味を持った視線をこっちに向けていた。
「やっぱり……あなたはきっとそういうと思っていました。私は……九龍さんを信じていますから」
「あら嬉しい。ぜひ信じてちょうだいな。俺は間違っても男と駆け落ちなんかしませんー、信じて七瀬ちゃーん、なんてね」
「!! もう、九龍さんッ!!」
 七瀬ちゃんが赤くなって、持っていた本を振り上げると同時にチャイムが鳴った。さらば頭蓋骨陥没の危機。七瀬ちゃんの持ってる本ていつも分厚いんだよなー。
「あ……授業が始まってしまいますね。私は次の授業は化学なのでこのまま理科室に行きます。お二人も早く教室に戻った方がいいですよ」
「ん。そうする」
「九龍さん、今日は本当にありがとうございました。それじゃあ、また」
 俺をぶん殴る予定だった本をひらひらと振って、七瀬ちゃんは図書室から出て行った。ちなみにね、あの本の一撃は化人もを唸らせるんですよ、これがマジで。
 俺は手を振り返して見送ってから、後ろを振り返る。
「神の威光の下に、地中深く封じ込められたもの、か……」
「……気になる?ダンナ」
「それが何であるかが、あの遺跡の存在意義そのものに関わってくるだろうな」
 微妙に質問の答えになっていない返答をして、ダンナは一際難しい顔をする。
「《鍵》を探せ、か……」
「え―――?」
 そのセリフを、俺はどこかで聞いた。七瀬ちゃんの話のようなずいぶん前、ではなく。ついこの間だ。最近沈静化したファントム騒ぎのとき、あの仮面男に、鍵を探せと。
「いや、何でもない。おかげでなかなか興味深い話が聞けたよ。……さて、九龍。君は教室へ戻るのか?」
「……んー、どうしよっか、な。そんな話を聞いた後に、何にもしないで戻るってのもね。幸い図書室なら、何か調べられるかもしれないし」
「おや、本当にいいのか?君がいないと甲太郎が寂しがるんじゃないのか?」
「ソコ、ハイ、甲太郎限定止めましょうね。なんだか俺、友達のいない寂しい子みたいじゃん」
「ははは、君たちは本当に仲が良さそうだからな」
「……人の話、聞いてる?」
 はっはっはー、とか笑ってる場合じゃないし。絶対分かってやってるし。この人も、ホント喰えない人。
「まあ、甲太郎は意地でも認めないかもしれないが」
「やー、……それはそれでなんか寂しい気もすっけど」
 俺、今甲太郎に「お前なんか友達じゃねぇ」とか言われたら軽く数週間凹めるね。ペラいのよ、俺の心の装甲値。
「ま、いいや。図書室はまた後で来るわ。みんなに忘れ去られるのも悲しいし」
「そうか。それじゃ、俺の分までしっかり授業を受けてくれよ」
「って、ダンナはサボりかいッ!!」
 人には教室帰れ的なことを言っておきながらそういうことするんですか。まーったく人のことサボり魔とか言えないよ?
「はははっ、授業以外にもやることはたくさんあるんだろうが、……受けられるときには受けておいた方がいいぞ。時間は、限られているんだからな」
「………」
 先だって図書室を出て行こうとする。俺は、その背中に向かって、無意識に一つの質問を投げてしまっていた。
「ダンナは、さあ。……何を、どこまで知ってる?」
 ドアのすぐ手前、振り返って、俺を見据える。余裕綽々っていう、顔。全部分かって、見透かしているとでも言いたげな。
 ……違うな、全部分かって、見透かしてるんだろ、実際。
「そういえば、俺は今まで君の口からはっきりとは訊いたことがなかったな」
「何を」
「君が、何者なのか」
「…………」
 お互い、微妙な笑顔を貼り付けてる。端からはにこやかに微笑みあっているように見えるかもしれない。
 それでも眼だけは笑ってなくて、やっぱり腹の探り合いをしてる気がする。
「九龍、君は、」
「……殺し屋」
「!?」
「小さい頃は中国黒社会を相手に。少し前までは戦争地区を渡り歩いた。軍人も殺したし、テロ屋の相手もした。要するに金さえもらえば何でも殺った」
「…………」
「ここにはある人物を消すために来た。某国の要人の娘、日本人に紛れている。不思議な力を持っていて、學園の敷地にある遺跡と通じている。遺跡の神秘を使って古代魔導を使う……」
「……オイ」
「この學園の逆ピラミッドは、実は要事の際にその娘の力で魔導兵器となって……」
「オイ、オイオイ、オーイ、九龍ー」
「世界を救う魔導機神、その名もッ!!」
「分かった、分かったから、九龍!!」
「……なんだよー、こっからがいいとこなのにー」
 せっかく乗ってきたのに。ダンナったら呆れたように苦笑いしてる。
「まったく、どこまでが本気か分からない男だな、君は」
「イヤだわ、俺はいつでも本気度百パーっすよ」
「ははは、……で?本当は何者なんだい?」
「ダンナにはほとんどバレてるっぽいしね、ま、いいでしょ。こっからは嘘臭くてもマジ話。俺は、世界を股に掛ける《宝探し屋》。學園の遺跡に眠る秘宝を求めて遙々やってきました」
 ようやくダンナは納得したような顔をした。普通に考えればこの話だって充分ウソ臭いのにね。
「なるほど……そういうことだったのか。君は、初めからこの學園に眠る《秘宝》を目当てにやってきたという訳か。ふッ……はははッ、そうか、それは頼もしい限りだな」
「そういうわけなんです。以後お見知りおきを。つーか、ダンナはどの辺で俺が怪しいって思ったわけ?これでも一応、隠密行動は得意……なはずだったんだけど最近そうでもないくさい」
 のっけで甲太郎と八千穂ちゃんに素性がバレる辺りダメダメだったっけね、俺。
「さぁて、ね。強いて言えば雰囲気がね。ちょっと普通とは違った。その程度さ」
「あら大した洞察力デスコト。……まあいいや。俺やっぱ授業出るわ。すぐ行きゃ間に合う」
「そうか」
 俺は手を振って、先に図書室を出た。予鈴が鳴ってからもう結構経ってる。急がないと授業に間に合わない。別に出る必要もなく、どっちかって言えば図書室に籠もりたい気もしたけど……なんとなく、色んなことを思い出してしまったせいか一人でいたら落っこっていくようにも思えた。
 俺ってば寂しんぼ。精神弱々。分かっているけどどうにもならないってのが更に弱いってハナシね。
 ヤツのことを、ほんの少し思い出したせいかもしれない。ずーっと昔。一緒に戦っていたときのことを。ダンナに言ったこと、全部ウソってわけじゃ、ない。
 階段を二段飛ばしで登りながら、それでも前より痛みが柔らかくなってい自分を少し不思議に思った。
 あいつに対しての思いが薄れたわけではないのに、今でもまだ夢に見るほどなのに、もしかしたら思い出ってヤツにできるんじゃないかと、そしてその方があいつも喜ぶんじゃないだろうかと。
 死んだ奴に対して、―――自分の手で殺した相手に対して、そんなふうに考えるなんて、俺はやっぱり、人の命ってのを軽く考えている人種なのかもしれない。