風云-fengyun-

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 7.5 -

 世の中には、許せる事と許せない事、この二つが存在する。
 そこからさらに謝れば許せる事や、許す必要すらない事なんかに細分化されていくんだけど、まあ、なんだ。これは、どうしても―――どう、押さえつけようと思っても、許せない事だった。
 自分の性格は荒っぽい方だと思うけれど、それでも、コントロールのできないようなもんじゃない。どんなときでも熱暴走一歩手前の自分を、どこか遠くの方から見下して、冷静に、静かに殺意を操れた。
 それがいったいどうしたことか、身体から立ち上り、吹きこぼれた怒りに支配されそうになっている。今日の、許せない事柄について。後ろから付いてくる『葉佩九龍』のお仲間に間違って向かないよう、ぐっとそれを引き絞り、装飾のハデな趣味の悪い扉を押す。コツ、コツ、と靴が床を踏みしめる音が、埃っぽく、かつ湿っぽい部屋に響いた。
 部屋の真ん中には、この墓に魂を奪われた哀れで滑稽な『墓守』とやらが立っている。ひょろりと縦に長い体躯。痩身。長い髪、切れ長の眼。どこか狐を連想させる顔立ちは、この身体が持つ顔とは正反対ともいえる。
 この男を、知っている。魂とともに大切な肉親への想いすら封じられたクソガキだ。墓守の長に自らを捧げ、こんなところでこんなことをしている。
 名前は忘れた。けれど、何をやらかしたかだけは知っている。覚えている。全部、視ていたから。
「やはり来ましたね、葉佩君……」
 淡々とした口調。どこか諦めにも似た乾きを帯びた。けれど小馬鹿にしたような溜息が、感覚を一気に逆撫でる。
「あなたに一つ訊きたい。あなたはなんのために、この最奥を目指すのか」
 それは、紛うことなく葉佩九龍に向けられた問い。だから、答えてやる。
「自分の、大事なもののため」
 吐き出された、男にしては幾分高めの甘い声。この声は、好きだ。総毛立った怒りが、ほんの僅か、和らいでいく。
「……そうですか。たとえあなたの理由が何であれ僕は僕の役目を果たすだけです」
 役目、職責、任務。その言葉、嫌いだ。とてつもなく、嫌だ。おぞましい。ゾッとする。それは、身を滅ぼす力を持つ言葉。
 そのことを体感した本人が言うんだから、間違いないぜ、小僧。
「役目、とやらは、この身体を叩きっ壊すことか?」
 散々引っ掻き回された殺意が、返す言葉に明確に漏れ出した。抑えることなんて、できない。
「……葉佩、君?」
 薄暗がりで視えなかったのか?てめーの目は、視るようにできている目じゃねーのか?
 フン、と鼻で嗤ってみせれば、ようやくお気づきのご様子。細目がそっと、見開かれる。様子を伺うように、そっと。
「では、ないようですね」
「気付くのが遅いンだよ、糞野郎」
 指通りのいい髪に手を這わせると、後ろの二人から『怪訝』という名の気配が流れてくるのが分かった。今の葉佩九龍は相手を挑発するように口汚く罵ることはないからな。当然か。ま、視えなくっても、そのうち疑いが確信に変わるだろうから、見てろって。
「憑き物……ですか」
「そんなんじゃねぇよ。てめーだって分かってんだろ?『あたし』が、始終こいつに張り付いてるわけじゃねーってことは」
 怪訝、がどんどん深くなる。あたしは、二人から離れるように狐目に向かって歩き出す。
「道理で、この暗がりの中でも影が濃いはずだ。邪悪なる者よ」
「それはそれは、好好開心!」
 へっへっへ、と、いつものこの子より幾分下品に笑う。いやーな顔してるぜ、目の前の奴は。
「あなたは眠りにつくはずのものです。去りなさい」
「―――ふざけるな糞餓鬼」
 押し殺した一喝に、ガキの気配が一瞬竦むのを感じる。分かんないもんかね、存在の格の違いってヤツを。別に品格を言ってんじゃない。くぐった修羅場の違いがね、こいつとは比べようがない。背負った、黒と闇の重さも。
「言っただろう。大事なもんのためってよ。聞こえなかったのか?目だけじゃなくて耳までイってりゃ世話ねぇよ」
「……それ以上、喋ると、」
「こいつに絶望を見せた阿呆は、てめーだろうが」
 坊ちゃんにはあたしの言葉遣いってヤツが気にくわないらしい。
 けど、それ以上に天辺キてんのがあたしだってこと、忘れてんじゃねぇだろうな?野郎、思い当たったのか、遮られたままの口を苦く引き締めて、続く言葉を飲み込んだ。
 『憎んで、恨んで、呪っている』だとぉ?ざっけんじゃねぇ。あたしは、間違いなく『愛して』いたんだ。どす黒く濁ったあたしの中で、唯一揺るがなかった想いを、伝えた願いを、こいつの勝手でねじ曲げた。
「欺くのだの忘れさせるだの、そんなのは構わないさ、こいつが弱くて阿呆だったってハナシで片が付く」
 トン、と自らの胸を指で突く。
 この身体。持ち主であるクロウ、葉佩九龍、こいつは本当に阿呆だから、騙されやすいのは仕方ない。振り回されて放り出される気質なのは本人も理解してるんだろうしな。
 だ、が。それをさっ引いても、許せないことがある。
「だがな、あたしをダシにするのはいただけない。腹立たしいを超えて殺意しかない。こいつの一番大事な真実を汚い方法でひっくり返すのは、一番やっちゃいけないことだ。道理の問題じゃない。あたしの、気に障るという意味で」
 弱っちいクロウの脳味噌に、這い寄る怨嗟という怨嗟を詰め込むだけ詰め込んで、あたしの存在を歪ませた。黒ではない濁った色の中で、クロウはあたしさえも見失った。
 その絶望の、クロウの、そしてあたしの絶望の重さが、あたしをここに立たせている。狂わせたのはこいつだが、クロウの揺るがぬ存在で居られなかったのは、あたしのせいだ。
「だから、あたしがケリを付ける」
 抑えていた憤怒で以て、狐男を睨め付ける。それから視線だけで振り返り、二人に告げる。
「つーわけだ。……邪魔、すんじゃねぇぞ」
 言葉一つで金縛る。バディのお二人は、これでしばらくは動けないはず。そっちのクセ毛小僧は、やろうと思えば動けそうなもんだが、何の思惑か動こうとする気配が見えないから放っておいた。
 意識の総てを、前面に集中させる。
「僕も、言ったはずです。僕は僕の役目を果たす、と。……相手が何者であろうが、墓荒らしには死を。それを、思い知らせてあげましょう」
 得物を掲げる獲物。その背後には、薄ぼんやりとした影が見えた。
 それが、てめぇの《力》の威力か?
 常人離れしている、程度のちんけな力じゃあたしは負けてなんかやらねぇぜ?
 いっそ、人ならざるものでもなけりゃ殺られる気がしない。なのに、あたしを殺せる力を持つのは、ただの人間である『この身体』の持ち主だけ。
 葉佩九龍。この世の強さを全てつぎ込んだ、殺戮の塊。思い出すだけでうっとりと肌が総毛立つほどに闘うことに長けた存在。当たり前だ。正しく殺意の歯車を回せる子どもに、このあたしが、技術を叩き込んだのだから。
 あいつにくらべればこのガキなんざ。本当にただの子ども。強くなりたい、と望むことなく強くなった人間なんて相手にするほどの価値もない。与えられた力だけであたしを倒す?戯れ言、ほざくなってーの。
 そんなのを相手する理由はひとつしかない。
 こいつが、クロウを、壊そうとしたから。脅かしたから。虐めたから。正面からの真っ向勝負じゃなく、脳味噌の中に嘘をすり込むという一番、気にくわないやり方で。
 あたしも同じことをやり返してやろうと思ったんだけどさ。やめた。だって、元に戻ったときのクロウが傷つくから。こんなやつのために、こんな場所までやって来てやることのできる優しい子。
 ―――あたしの、大事な、愛しいお子様。
 だから、こっちは、真っ向からやってやろうじゃねぇか。正面からぶつかって叩きのめして、こいつの鼻っ柱……ついでに魂の芯まで、へし折ってくれる。
「来な。―――遊んでやるよ、霊幻道士」
 そして始まるのは、一方的な暴力。久しぶりの殺戮感覚が、あたしの頬を否が応にも弛ませた。きっと、クソ意地の悪い笑い方をしているはずだ。
 さてさて、さぁて?どう料理してやろうか。あたしはいつも、どうでもいいヤツはどうでもよく殺す。そして、どうでもよくないヤツ、またはあたしの神経を激烈に逆なでするヤツはとてもとても面倒に殺す。クセ、っつーか主義ね、コレ。
 どうでもいい殺り方ってのは簡単だ。銃でバァン、終わり。普通、人間てのは、急所に鉛玉が錐揉みしながら突っ込んできたら大抵それでお陀仏だ。な、簡単だろ?
 だから、あたしの気に触れたヤツにはそんなことしてやらない。格闘戦で内臓破裂させて腹ン中血溜まりにするとか、ナイフコンバットで肺を傷つけて自分の血で溺れさせてみるとか、拷問?いやいやそんなの趣味じゃない。あたしはあくまで紳士的。いや淑女的?正面衝突で、ボッコボコにしてやんのよ。その上で、死ぬよりも酷い苦しみをプレゼントする。
 それが、あたしだ。あたしの、流儀。
 対するクソガキの得物は弓箭。古風でクールだ。嫌いじゃない。
 あたしの今の得物は二挺の銃だ。いつも通り。レンジは遠距離VS中近距離。普通なら、間合いを有利にした方が勝ちだ。もっとも、あたしにゃそんなもん関係ないがね。
「ちん、とん、しゃん」
 牽制の意味も込めて踏み込んだあたしの顔面めがけて矢が飛んでくる。顔をわずかに振るだけで軌道から外れる、―――はずだった。
 ……なんだ?矢にまとわりついていた『何か』が、あたしの頬を掠めていった。軌道は完全に見切っていたはずなのに、一体何が?頬はひりつく痛みを伝えてくる。なのに、頬に触れても傷一つ、ない。
「ふぅん?飛び道具に仕掛けか?」
「邪気祓いの力ですよ。どこのどなたか存じませんが、『あなた』は傷付いているようですね?」
「へッ。そんなんはどうでもいいさ。『こいつ』を傷つけなきゃ、それで」
 邪気祓い、そういやこいつには退魔の力があるんだったっけか。そいつを忘れていた。んなもんはヴァチカンにでもすっこんでろっつーんだ。にしても、邪気、とは言われたモンだね、あたしも。確かに、生前は粗野で乱暴で凶悪だとかって、さんざん言われたっけか。
 物思いにふけっている暇はない。次弾の装填の間をぬって、一気に距離を詰める。このガキ、近づくだけでも身体中が軋むような痺れを感じる。なんちゅー氣を発してんだか。
 随分と面白い仕掛けだが……あたしはそれを、ガン付け返すことだけではじき返す。唖然とした細目。ザマァ。あたしとてめぇじゃ、持ってる力がダンチなんだよッ!
 近づきすぎない位置で、一旦発砲。久方ぶりに、指先がトリガーにかかる。しっくりと馴染む、いい感触。銃が、腕の関節のひとつになったような一体感を、幸福としてカウントしてもいい。
 霊幻道士からぶわっと立ち上った黒煙。あたしは、あの正体を知っている。
 《墓守》たちは鍵。墓守は長に供物を捧げ、忠誠を誓うことで自分の中に本当の墓守を封じ込める。それを開けてしまえば、待っているのは這い寄る混沌。神を名乗り損ねた成れの果て。この巨大な墓を、墓の主を目覚めさせようとする者すべてを破壊せしめる番犬。
 人間と人ならざる者が共に『ひと』であったものを封じ込め、代々次いでいく。なんて報われない連鎖。端から見てりゃ滑稽以外の何物でものねぇっての。
 全てを知って、けれどあたしはそこに何一つ介入する気はない。この遺跡で起きていることの全てが―――いや、クロウに関わりのないこと全てが、あたしとは無関係。知ったこっちゃない。だから、気にせず攻撃を続ける。
 弓って得物は、スナイパーライフルと同じだ。相手の攻撃の届かない範囲から狙い撃つ。それが鉄則。だから逆に、懐に飛び込まれれば精度を上げるための長さが徒となって、ほぼ無力化される。
 スナイパーライフルにはその危険を少しでも抑えるためのバヨネット(銃剣ってやつね)って方法もあるが、弓にはそんなモンはない。まして、このガキがあたしに格闘戦で勝てるはずもない。
 そしてあたしは。
 途方もなく面倒っちいやり方で、こいつを片付けたい。つまりはボロ雑巾になれと。そーゆーこと。だから一度、銃は腰に戻してみる。
 狐目野郎から次弾が放たれた。ためらいのない速度が、殺意のほどを物語る。あたしは、スピードをほぼ殺さず、突っ込む。野郎、目ン玉まん丸くしてやがる。
 避けると、思ったんだろ?
 あたしはこの身体を傷つけたりは絶対にしない。でも、あたしが痛むのは、一向に構いやしねーんだよ。
 ほぼ直線で飛んでくる矢の箆(洋弓でいうシャフト)の部分を見きりで掴む。ずくずくと、手の平が灼ける。けれどそれは、クロウの痛みにはならない。あたしがただ、感じているだけ。だから、大丈夫。平気。
 素手で矢を掴み、それでも特攻は止まらない。もう、眼前。驚きのままの表情で挙動の遅れた狐目野郎の、―――恐らくは狙っていたのであろう左胸―――に、鏃をねじ込んだ。
「―――く、ウゥ…!」
 へぇ、こいつは愉快だ。心臓突かれても倒れないなんてな。そっか、《墓守》ってのは普通の人間よか耐久力あるんだったっけな。ハハッ、じゃ、ホントに、容赦いらねーワケだ。
 ざわざわ舞い散る黒い砂が霧のように視界を覆う中、攻撃の手を強める。
 インファイト。わずかに身をかがめ、おキレイなお顔にワン・ツー。……っと、ありゃ?当たるのは当たったんだけど、手応えが薄い。
 その訳に、すぐ行き着く。あー、こいつ、まだあたしの身長とリーチに足りてないわけ、ね。まーったく、ガキの頃からヤク中でニコ中じゃ、背も伸びないわな。牛乳嫌いだったしね!(あたし?あたしはニコ中だったけどヤクってないし牛乳大好きだからちゃんと伸びましたー。)
 押しが足りなかったせいで体勢を整えかけていた野郎に対し、スイングをコンパクトに変える。ボディ狙いの連打を叩き込み続ける。慣れないガードをしてみせるけど、あたしとこいつじゃ人間とミジンコほどの戦闘力の差だ。墓守補正が掛かっていても、その差は人間と蟻、くらいまでしか埋まらない。ガードの隙間を狙うまでもなく、拳の一振りでガードを破り、普通の人間なら内臓破裂コースの蹴りを見舞う。
 今度は、効いたらしい。だって、肋骨が軋む音、したもーん。折れてなくてもヒビくらい入ってるはず。たまらず身体を折ったその顔に、今度は距離感間違えない弩ストレートをかます。うわー、黒い砂大放出。こういうのと、『ほとんど同じ存在』のあたしは、それだけで視界が濁る。それは、勘弁。
 コツン、と音を立ててバックステップ、足が床に着く反動と共に跳び、回し蹴り。クリティカルヒット、とはいわないものの、狐目は綺麗に吹っ飛んだ。
 そしてあたしは銃を抜く。彼女たちの眠りを、親指で撫でるように覚ましてやる。
 出番だ、お嬢様方。気張ってくれよ?
 噎せ返るほどの黒の中、口の端を赤く染めた狐目野郎が立ち上がる。KO寸前のボクサーのよう。にしては、体格がちょいとナヨすぎっけどな。
「どーしたクソガキ?もうボロッボロじゃねぇか。破邪の力とやらで、あたしも滅せるんじゃなかったのか?」
「……あな、たは…一体……」
「あたしのことなんざ聞いても楽しかねーよ。それより、自分が『傷んでいる』ことの心配でもしたらどーだい」
 そう。そこが、今までの《墓守》たちとの違い。今までクロウが戦ってきた相手は皆、身体そのものは傷まなかったはずだ。黒い砂の効力が、そうさせていた。
 けれど、あたしは違う。このクソ忌々しい黒い砂ごと、相手をぶちのめせる。……要は、あたしがクロウに取り憑いた黒い砂、のようなもんだからだ。
「ま、でもまだ、もーちょい遊べんな」
「くッ……」
「だーいじょーぶ、殺しゃしねーよ。んなことしたら……こいつが、泣くからな」
 言って、あたしは自分の胸に親指を向ける。それから、そのまま、指―――銃口を、相手に向ける。
「てめー、弓使い、ってんなら『返し矢』の意味くらい知ってんだろ?」
 答えないクソ野郎に、講釈をたれてやる。日本という国の、神話の話を。
「その矢がもしも、悪しき神を討つために放たれたものなら、打ったお前に当たることはない。けれど、邪な心で放ったならば、―――矢は、お前ンとこに、戻ってくるんだよ。一直線に、な」
 細目に剣呑な光が灯る。こんな遺跡に居座るくらいだ、日本神話くらい知っているはず。間抜けで阿呆な、天若日子のおハナシ。
「僕、は……ただ、この、遺跡を……墓を…」
「んじゃ、討ってみせろよ。邪悪な、墓荒らしを」
 番えるよりも疾く、クロウの恋人たちは高笑いを響かせる。交互に点滅するマズルフラッシュが、黒い霧の中に映えてとても綺麗だ。着弾するたびに震える獲物は、まるで踊っているかのよう。こんな美女二人に踊らされるなんて、幸せだろ?
 それでも渾身の力を込めて返してきた一撃を、今度は完全にかわす……って、ヤベッ!
 あたしがその身を翻せば、矢は、葉佩九龍の《バディ》に向かっていく。本当なら完全外野は放っておきたいが、そうはいかないと半瞬間で判断。身体を反らしかけの体勢から脚を振り上げる。―――届けッ!
 コンバットブーツの、伸ばした爪先が僅かに矢羽を捉えた。チッという接触音。軌道が反らされた矢は、二人のいない壁へ当たって落ちる。
 それを一安心と入っていられない。ちょいとした無茶のせいで身体が床へと叩きつけられるコース。借り物の身体、傷つけるわけには、いかない。
 咄嗟、片腕だけを先に床に着ける。それを軸に、重心を操作。手首と肘で緩衝、半円を描くように伏臥に近い形で着地、成功。飛んできていた次の矢も、低い姿勢から横に跳ぶことで回避した。
 その勢いのまま、さらに、跳ぶ。前方に、銃口。近中距離から細かく狙うのはぶっちゃけ得意じゃねぇ。でも、あたしには黒い砂の噴出口が視える。これは、狙い撃つっきゃねーっしょ!
 照準を合わせる。飛んでくる矢を《ベレッタM92FS九龍勝手にカスタム》で撃ち落とし、もう一挺、ガンスミスの名を冠する《砲介九式》で、距離を測るために開かれていた目を撃つ。
 撃つ、撃つ、撃つ。
 黒い砂はその度に少しずつその出量を落としていき、代わって、吹き出た分が質量を増していく。
 《砲介九式》がホールドオープンになる頃には、もう装填の必要はなかった。ぐらりと長身痩躯が傾く。黒い砂を吐き出しきって、もう、あれは、ただの人間。
 黒い霧の中を突っ切り、あたしは膝を突くそいつの髪を掴んで引き上げた。
「分かったか、小僧。てめーは、討ってはいけないものを、打とうとした。听明白了嗎?」
「……くッ」
「その証拠に、ほれ、お前は今、邪悪の闇の中にいる」
「こ、これは……?か、身体がッ……!!」
 ぞくりと、背筋に戦慄。小僧の意識は半分消えかけている。ここで放置してもいいが、仕方ない、殺さない、が前提だ。黒い砂が形を造ったら助けにでも入ってやるか。あ。別にいいのか、そのため後ろのお供がいるんだもんな。あれ?違ったっけ?
「ふぃー」
 まだ人外墓守が顕現するにはもうちょい時間がある。
 あたしは、後ろに控えていたバディの二人を振り返った。呆然としたように突っ立っているガスマスクと、……射殺すようにガンたれてやがるアロマ野郎。気にくわねー面。
「おい、そこのガンスミス」
 あたしは、首を傾けてガスマスクに声を掛ける。返事はない。
「お前、こいつのこと、だぁい好き、なのな」
「ハッ!?」
「ガンスミスとしての腕がいいだけじゃねぇ。この身体に、手に、戦い方に完璧に合わせたチューニング。いい音色だった。最高って言ってやってもいいぜ」
「あ、ありがとうございマスッ……ですが、その、隊長……?」
 ハハッ、隊長、ねぇ?こいつ、そんな風に呼ばれるようになってんだな。昔は無口で無愛想で無理に無茶する無鉄砲、あたしの他には目もくれず、だったのに。
 こうなったのは、きっとあたしの猿真似をしていたせいじゃない。こいつの根本は、戦う者には不必要なほどの優しさだ。優しすぎて、精神が脆くなるくらい、他者しか考えない。紛うことなき利他主義者。それが、他人を惹きつけるんだろ?
 あたしが隣にいたときは、あたしがそれを独占していた。他人になんて分けてやる気は起きなかった。あたしは真逆の利己主義者。……それを、九龍主義者にしてしまうくらいの魅力があったんだ。
 安心しな、ガンスミス。こいつも、そしてあたしも、あんたが好きだよ。銃使いは銃使いに惹かれるもんさ。それが腕のいい銃工なら尚更だ。
 にっこり、葉佩九龍で微笑み返してやる。
 ―――問題は、その隣。
 視線が絡んだ瞬間、全身総毛立つ。間の空気が冷え切って、何かを発すれば音が凍って壊れてしまうような雰囲気。
 ……嫌だ。
 こいつの立ち位置、この子への感情、存在自体の嘘、そういうのを通り越した、本能的な部分で、あたしは、この男が、嫌いだ。大嫌いだ。クロウという存在さえ忘れれば、今すぐに撃ち殺せるくらいの、殺意に似た生理的嫌悪。
 そして、おそらく、相手もあたしを、同じ質量の想いで見ている。さっさと九龍から離れろ、視線がそう言っている。
 これは同属嫌悪だ。突き抜けた利己が、すべてクロウに向けられたあたしとこいつ。
 偽善者面して、大嘘をついて隣に立ち続けようとするところまで、そっくりだ。
 凍えた空気を一息吸い込み、あたしは男に嘲笑を見せながら、ベレッタを握った手を伸ばしてやる。
 あたしが、あの日握れなかった手。
 それから誰も、引いてやれなかった手。
「てめーは、こいつの手を握ってやる気、ないんだろ?」
 意味は、分かってるはずだ。あたしは似すぎたこいつの正体を、化けの皮を剥いだ後に出てくる姿を、知っている。
「傷つけ、選ばず、手を離す。―――必ず」
 男はまだ無言だ。あたしの正体を図りかね、どこまでがクロウか見極められないから迂闊なことは口走れないんだろ、……まだ。
 背後に、黒い砂の気配を強く感じる。そろそろ潮時だ。あたしは、跪く《墓守》にあたしの怒りをぶつけられればそれでよかったのだから。あたしの、もう今は伝えきれない重っ苦しいばかりの愛の、行き場のない想いを八つ当たりできればよかったのだから。
 だから、もう、いく。
 景色が、ぼんやりと歪み始めた。
 とろとろと、緩やかにクロウが還って来ようとしている。
 最後に、クロウに聞かれないように、最後に。
 これだけは言い捨てていってやる。
 あたしにそっくりな、この男に。
「こいつを壊して捨てていく、その時は」
 消えゆく意識の最後に、けれど、あたしは言い切った。

 その時は、―――この手は、あたしが連れてゆく。