風云-fengyun-

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 4 -

「いらっしゃいませ~!マミーズへようこそ!」
 カレーのイイ匂いが漂ってくるマミーズ。迎えてくれたのはお馴染みの舞草ちゃんだった。
「おっつー」
「あれッ?今日はお一人なんですか?九龍くんって、何だかいつもお友達とわいわいってイメージがあったから……あ、解った!!実はあたしに会いに来てくれたとかッ」
「そーそー、その通り。舞草ちゃんにどうしても会いたくなっちゃってさー、授業ブッちぎって来ちゃった♪」
 なーんてねー、と言おうとしたその目の前で、予想外に舞草ちゃんは顔面茹だったように真っ赤になっていく。あれれ、なぜだろう。
「ひょ、ひょええぇえぇぇぇッ!!なんて積極的な……、ど、どうしましょう、奈々子ッ、しっかり!!」
 なんだかもう、申し訳なくなるくらいの赤面っぷり。こっちまでつられて赤くなってるのがなんとなく分かる。ヤ、だって可愛いんだもんよ、ホントどうしましょう、しっかり俺。
「え、え~と、あのぉ、そ、そうそう!実はですね、今日は結構品切れしちゃってて、今すぐ出せるものが……」
「カ、カレーないのッ!?」
「あ、ありますよカレー!」
「じゃあいいよカレーがあれば他に何にもいらにゃい」
「さすが、迷いがないですね~。うんうん、マミーズのカレーも有名になったものだわ~」
 確かに、マミーズのカレーはおいしいのですよ。ファミレス仕様なんだけどちょっと手作りっぽいところもあって、ちゃんと煮込んであるんだけどジャガイモとかごろっとしててね、俺の好きな味。
「え~っと、それじゃあお席の方は―――、こちらでよろしいですよね?」
 よろしいですか?という疑問形ではなく、よろしいですよね?という完璧な確認形。指された先の席にいた人間を見て俺は納得したんだけど、座っていた誰かさんは「あァ?」という顔で一言。
「……何でだよ」
「うわぉ、嫌そう」
「ええ~、いいじゃないですか。一人でゴハンは味気ないですよ?」
「勝手に決めるな。俺は一人でゆっくり食うのが好きなんだ」
 言葉通り、一人でお食事中だった甲太郎サン、なんだか明らかに機嫌悪。今度は一体何なんデショ。
「もォ~、そんな寂しいこと言わないでッ。九龍くんだってそのほうがいいですよね?」
「いいよいいよ、味気ないけど俺、一人で食べるよ。味気なくて寂しいから時折舞草ちゃんに構ってもらえればそれでいいよ俺」
 めそり、と得意の泣き真似をして正反対の席に座ろうとすると、嫌そうな顔した甲太郎がおしぼりを投げてきた。むすー、っとした顔。一人で食うとか言ってみたり物投げてみたり、甲太郎の考えの読めない俺。当たり前っしょエスパーでもあるまいし。
「うわッ、もしかして倦怠期ですか!?」
「……はい?」
「そういうときはやっぱり一緒にゴハンを食べて仲直りするのが一番ですよッ」
 舞草ちゃんに背中を押されて、半強制的に甲太郎の向かいに。ずっとジト目で睨まれて、俺、ちょっと立場悪い。つーか何よ倦怠期て。お付き合い三年目の恋人同士でもあるまいし。
「それでは少々お待ちくださいませ~ッ」
 脳天気な言葉だけ残して、舞草ちゃんは他のテーブルへと行ってしまった。テーブルの周りに他に人がいないのを確認して、俺は貼り付けていた表情を落とす。出された水を口に含みながら、鬱陶しげな顔をしている甲太郎を上目で盗み見た。
「……まったく。まあ、お前ならいいか」
「そりゃ、どうも」
「にしても……他にも席はあるだろうに」
 その言い種の何が気に障ったか、自分でも分からない。確かに別々に来たのだから別々に座ってもいい。昼飯の時間帯外してるから席は比較的空いている。
 分かっている。でも、甲太郎にそう言われることが、なんとなく面白くない。
「俺との相席がそんなに嫌か。なら別に移る」
 腰を浮かし掛けると、今度は行くなと腕を掴まれ押しとどめられる。何がしたいんだよ、お前は。
「……お前こそ、一人掛けなら思う存ッ分、舞草に構い倒されていいんじゃないか?」
「何だよそれ」
「あいつに会いに来たんだろ?ならあいつでも見てろ」
「…………」
 呆れて、椅子に座り直す。
 甲太郎の発想がどうしてそういう方向へ行くのか、俺には理解できない。さっきも、ぶっている俺の発言なんか気にするなと言ったはずだが?元より、俺が舞草に好意を示したからと言って、なぜ甲太郎が不機嫌になる。
 理不尽だ。それならば、と、無意識に寄りそうになる眉間の皺を堪えて、至って平静そのものを顔を作る。
「俺は、甲太郎に会いに来た」
「……ハイ?」
「カレーを食べに、なんて言うのは口実だ。舞草に言ったのも冗談だ。俺は、ただ甲太郎に会いたかったから来た」
「な、な、に、言って……」
「だったらいいだろ?この席に座って、甲太郎を見てたって」
 ついでのように薄く笑ってやると、……驚いた。
 軽い意趣返しのつもりで、深い意味はそうなかったのだが、言われた側の甲太郎の反応は俺の予想を超えていた。
 さっきの舞草と、ほとんど同じ。普段飄々としているはずの男が、スプーンを取り落としたまま硬直している。顔を真っ赤に染め上げたままで。
 それを見て、俺は自分のカウンターが想像以上にダメージを与えていたことを知った。同時に、自分が言ったセリフを思い出して、……今更、焦る。
「いや、その、別にそういう意味で言ったわけでは……」
「あ、阿呆、お前が照れてどうすんだッ。そういう反応されるとマジで、気にしちまうだろうが!」
「俺だって、そんな、……そんな顔されるとは思わなかったから……」
「面と向かって言われたら誰だってなるだろうが!」
「なるか阿呆ッ、女ならともかく俺だぞ俺!!」
「お前に言われたら余計にだッ!!」
「何でだよそれこそ意味が分からないッ」
 知らず、声が大きくなっていたらしく。
「あ、あのォ~」
 いつの間にかそこに立っていた舞草が、恐る恐ると言った雰囲気で声を掛けてくる。俺は慌てて表情を取り繕って、笑いかけた。
「カレーライス、お待たせいたしましたー、なんですけど……。今度は痴話喧嘩、ですか?」
「違う違う、ケンカ違うよ?むしろ痴話も間違ってる気がすんだけど」
「……じゃあ、夫婦喧嘩?」
「もっと違います。」
 すっとぼけた舞草ちゃんの反応が、俺を余計にテンパらせる。外からはそんな風に見えてんの!?……マジでどっかに席移ろうかしら。
「……なんだ、やっぱりお前もカレーか。どうりでお前とメシ食ってるとなんか落ち着くはずだな。ほら、冷めないうちに食えよ」
 妙に早口の甲太郎がスプーンとお代わりの水まで差しだしてくれて、それを見届けた舞草ちゃんは足早に去っていく。
「マミーズのカレーは確かに美味いんだが……俺としてはやっぱりもうひと味、何かあって欲しいところなんだよな。お前はカレーの隠し味、何が一番好きだ?ヨーグルトとかしょう油とか、コーヒーとかってのもあるが……阿呆、スプーン銜えてこっち見るなちょっともえ……」
「隠し味なら少しチョコレート入れたりビール加えてみたりホールトマトとかその時食いたい味によって色々、って、何も燃えるもんないだろ、何ワケの分からないことを……」
「お、こだわるな。味噌やケチャップなんかも捨てがたいよな。少し高度な技としては二種以上を混合させることも可能だが、こいつは諸刃の剣になる可能性が高いからな。いや悪い、こっちの話だ忘れろ」
 ……何なんだ、この、どうにも居たたまれない空気は。舞草もそれを察してか、まったくこちらには近付いてこようとしない。相手は甲太郎なのに、なぜ俺はこんなに硬くなってカレーを食っているのだろうか。
「まァ隠し味に共通するのは各分量の調節が難しいってことだカレーってのは手軽な家庭料理でありながら本当に奥の深い食い物なのさ」
 甲太郎のカレー談義も、息継ぎもない早口で上滑りしていく。まったく、こっちと目を合わせようともしない。仕方なく、意識をするなという抗議の意味で、テーブル下の甲太郎の脚を軽く蹴った。
「……落ち着いて、食おうぜ。せっかくのカレーだ」
「そう、だな。……いつかはこの店の味を懐かしいと思う日も来るのかもしれないな……って、カレー食いながら何を感傷的になってるんだかな」
 感傷的というよりは完全にテンパっていた気もするが。甲太郎だけでなく。
 何かがおかしい気がする。甲太郎の横、というのはある意味一番安心できる場所なはずだ。それなのに妙に緊張したり焦ったり我を忘れたり、まるで精神的な部分でどこかが故障したかのようだ。確かに、感情のコントロールがヘタクソなのは認めるが……それを補うために、考えていることが顔に出ないように努めて平静でいようとしていたというのに。まるで意味がない。
 妙な膠着状態はマミーズを出るまで続き、……もちろん、カレーの味など覚えているはずもなかった。

*  *  *

 マミーズを出て(それも並んで出たというのに互いの顔をまるで見ないってどいういことだ!?)、校舎に向かって歩きながら、ふと甲太郎が立ち止まる。
「……さて、ここを真っ直ぐ行けば校舎。曲がれば温室だ。九龍、どうするんだ?」
「ああ、そういえば白岐からメールをもらった。温室に来い、って言われていたような気が……」
「そうか。俺もその方がいいと思う」
「………そ、か」
「あ、いや、別にお前といたくないとかそういうわけではなく、だな。……単純に、その方がいいような気がするだけだ」
「分かってる。俺も白岐には聞いておきたいこともあるからな。それじゃ」
「ん。後でな」
 そうして頭に手が置かれる。まるで子どもにするかのように。以前は毛嫌いしていたその行為で、俺は自分のどこかが少し落ち着くのを感じる。……仕草が、『あいつ』に似ているからかもしれない。
 甲太郎が遠ざかっていくのを確認して温室に向かうと、中からは人の声が。
 しかも、二人分だ。
「悪いが、今日という今日は話を聞いてもらう」
「……その手を、離して」
 夕薙大和と、白岐幽花?渦中の二人が揃って温室にいる。ただごとではなさそうだ。
「そうしたら君はまた逃げるだろう?……白岐。俺の言いたいことは分かっているはずだよな」
「………」
「白岐、君は―――」
「やめて……、離して、夕薙さん―――」
 声の気配もただごとじゃなくなってきた感じ。俺は思わず飛び出して、白岐ちゃんの腕を掴んでいた夕薙を止める。
「ダンナストップ!白岐ちゃんビビってんじゃんかよ」
「―――!?九龍か……」
「九龍さん……。そう、来てくれたのね……」
「約束は守りませんと、ねぇ」
 互いに、思ってたよりも強い力で押さえ合う腕。しばらくは拮抗してたんだけど、やがてダンナがふっと力を抜いた。代わりに、今度は俺の腕を掴み返す。
「……邪魔しないでくれないか?君には関係ないことだろう」
「いんやぁ、白岐ちゃん親衛隊長としては関係ないこともないんですがね」
「悪いが、君の冗談に付き合う気分じゃない」
「あら冷たい」
 視線までも完璧クールモード。普通ならこの体格から見下ろされたらビビっちゃうとこ。ちょっと普通じゃない自分に万歳。
 そんな俺らのメンチの切り合いに、白岐ちゃんが割って入った。
「夕薙さん……。あなたは何を焦っているの?」
「何……?」
「私が九龍さんと在ることがそんなに不安?あなたが私に求めているのは誰かの幻影?それとも―――私がこの學園にいる理由?」
「なッ……」
 図星、だったのだろう。ダンナは絶句して、シリアスなのに間抜けの入った絶妙な顔で白岐ちゃんを見た。こういうする顔をするダンナを見るのは初めて。だからって記念に写メとかいう雰囲気でもないのよね。
「九龍さん、あなたにとって、夕薙さんは必要な人?」
「そりゃ、モチ。俺、夕薙大和ファンクラブの会長も兼任してますから♪」
「そう……、大切な人なのね。では、これ以上、私が口を挟むことではないわ」
 まぁったくこの子も、自分のことでもあるっちゅーに。どうしてこうマイペースなんですかね、彼女といい彼女といい。口を挟む、というかここはきっちり意見していいところだと思うんですけど。
 コトは、俺と夕薙の話じゃないでしょう?それとも、何でも視えちゃう白岐ちゃんからはそう視えてるっていうことか。
「……九龍、君は……、俺を、信じるというのか?」
「そだねー。信用してなきゃ素性話したりしませんデショ。自分の正体なんて、テキトーにバラしたりしませんよ」
「九龍、……君は、何故―――」
 その瞬間、俺にはなぜか、ダンナが何かに怯えているように見えた。なぜだかは分からない。けれどそういう眼は、昔見たことがある。戦いの前に、自分が死ぬことではなく、他人を傷付けることを恐れる人間の眼。よく似ている、と感じたのはどうしてだろう?
「くッ……」
 何かを読まれるのを嫌ってか、ダンナは低く唸るとそのまま温室を出て行ってしまった。
「……可哀想な人」
「ダンナが?」
「あの人もまた、過去という名の重い鎖に囚われている」
 それはなんとなく予想できていたこと。ダンナの、ちょっと尋常じゃないくらいのオカルト否定の姿勢。オカルト、ってんじゃないな。科学的に説明できない事象に対してか。強い否定の姿勢っていうのは、なんらかの傷によって生み出される場合もままあることだ。単純に「嫌い」っていう否定の感情だって、食べ物ならば昔「まずい」って思ったから引き起こされたりするわけでしょう?
 そんな簡単な話じゃないかもしれないけど、根っことしては、ね。
「九龍さん―――あなたはこの花を知っている?」
 白岐ちゃんの手元、真っ赤な火花のような花弁を散らせている。惨いほどに赤い色。秋によく似合う、不吉な異名をいくつも持つ花。
「曼珠沙華?」
「そう。私の好きな花……、彼岸花、石蒜、灯籠花とも呼ばれる。少し遅いけど、綺麗に咲いたの」
 この花を温室とかで見ることってあんまりない。どっちかって言ったら野っ原に咲いてるイメージあるし。でも……『この學園』の温室には、あまりにも似つかわしい気がする。
「この花の花言葉は《悲しい想い出》……。まるで燃える炎のように鮮やかなこの花が、なぜそんなに悲しい意味を持つのか……。その本当を理由を、あなたは知っている?」
「え……いや、知らない」
「そう……。この花にはね、古い言い伝えがあるの。悲しい想い出をこの花に語りかけると、不思議と心が和み、癒されるという……」
 全然知らなかった。ネズミ避けになるから墓に植えられてて、それで不吉な花っぽくなったのかと思ってたよ俺。
「……それ自体が呪縛となっているほどの、悲しい想い出……。この學園の至る所にそれが溢れている。まるでこの場所そのものが悲しい想い出の象徴であるかのように……」
 俺も、その言葉に色々と思い当たる。《墓守》たちの無くした想い出。遺跡に眠る彼らの《秘宝》。それぞれが抱えていた欠落した部分。何かを失う痛みを、無いように装ったりもしていた。
 それだけじゃない。遺跡に潜ると視る俺の夢。生きているはずのない人間が語りかけてくる。他の場所ではなかったことだ。それも悪夢なのではない。まるでそこに、本当にあいつがいるような錯覚のする。もう取り戻すことのできない、大切な夢。
「あの人の求める《鍵》が一体何なのか……。残念だけれども私にもまだ確信は持てていない。それがこの學園にとって何を意味するのかも……」
「《鍵》……か」
 考えてみれば色んな人間が今も《鍵》を求めている。俺も、ファントムも、それから確証はないが喪部も。加えてダンナと来たらもう三つ巴どころじゃない。
 しかも俺にとっての《鍵》が、部屋を開けていくための《墓守》の存在というのに対し、他の奴らはおそらく、もっと核心的な意味での《鍵》を探してる。
 参ったね、俺はまだそんなとこまで辿り着いてないっちゅーねん。小夜ちゃん、真夕ちゃん、そして白岐ちゃんの言葉をそのまま信じるとすると、《鍵》ってのが何かを求めるための物ではなく、解き放ってしまう物のような気もするんだけど。
「……そろそろ次の授業が始まるわ。あなたは……、教室へとお戻りなさい。あなたの在るべき場所へと」
「おっと、もうチャイム鳴ってたんだ。てか俺が授業ってことは白岐ちゃんもじゃん。行かんの?」
「……ごめんなさい。今は……一人になりたいの」
「そか。ほんじゃ、俺行くけど。サボりは程々にねん」
 バイバイ、と手を振って、出口に向かう俺を、「あの……」と控え目に呼び止める白岐ちゃん。
「今日は来てくれてありがとう……」
「いいえー、びっしょーじょのお誘いです、断るわけがないでしょう?あとで八千穂ちゃんも来るって行ってた。見せてあげてね、ソレ」
 喜び勇んで飛んできた八千穂ちゃんが、彼岸花見せられてどういう反応するかは敢えて考えないでおく。
 ゆっくりと外に向かって歩いて、白岐ちゃんから離れて、木陰で見えない位置まできて、そこで足を止めた。
「みーっちゃん、見っけー」
「……そういう呼ばれ方をするのは小学校以来ですよ」
「あら、そ?でも隠れんぼがご趣味なのは小学生っぽくて可愛いデスヨ」
「最近、夷澤の口が達者になってきたのは君の影響でしょうかね」
「アレレそんな事ないと思うけど」
 神鳳みっちゃん登場。そういうところに隠れてる辺り悪役くさいけどね。この學園に限れば悪役俺ってんだから、もうね。
「気付いてたのですか」
「てか気付かせるためにそんな威圧感バリバリで立ってたんでしょーが。……目的は俺ですか?白岐ちゃんですか?それとも、夕薙のダンナ?」
「……全員、とでも言っておきましょうか」
 うほっ、欲張りー。とかなんとか言っちゃって、監視されてんのは俺と夕薙なんだよねぇ、きっと。
「彼の本当の目的は果たして何なのでしょうね」
 《鍵》を探す……。不思議だよね、この學園の異端は、みーんな《鍵》を探してるのに、その先にある物に対する認識はずれてる。
「ダンナねー。何なんだろうねぇ。ガード堅めで打ち込んでも無理くさいんだよなー。かといって失神レベルをぶち込むわけにもいかないし」
 シュッシュと右左を顔面寸止めで打ち込み、拳を開いて中に隠してた花弁をひらり。落ちていくソレを指で弾きながら、全然動じない微笑がちょっと怖いです。
「葉佩君、君は本当に彼を信用しているんですか?」
「してるヨー。ダンナはダンナなりの理由とポリシーで何かをしようとしてる。その結果が何であっても、ダンナが決めたことなら、そうだったんだね分かりましたって思えるんだから」
「そうですか……」
 みっちゃんは小さく頷いてから、片目だけ開眼。納得しきっていない、不審気な眼をしてる。
「でもそれは、信用とは違うのでは?」
「へ?」
「誰かの行動がたとえどのような結果を招いても受け入れる……それは、諦めというのだと思いますが」
「…………」
 ふと、みっちゃんの後ろに黒い気配が見えたような錯覚。そんなはずない。俺には霊感とかないから白岐ちゃんみたいに視えちゃうわけがない。だからそんなはずない。
 諦めてるなんて。そんなはずない。
『それは、諦めというのだと思いますが』
「んなこと、ねーよ?信じてる」
「本当にそうですか?」
 ざわり。背筋に悪寒。冷たい手で撫で上げられたみたいな。甲太郎の手とは違う、悪意の塊が走り抜けていく。
「君は、本当は誰も信用していないのでしょう?信用していた、ならば仮に結果として裏切られたとしても、君はそれを受け入れるというのだから」
「……それは、」
「いえ、最初から諦めているのだから、裏切られたとさえ思わないのでしょうね。『仕方ない』と、それで済ますのでしょう」
 がくりがくりと脳を揺さぶられるような不快感。自分の表面、被っている皮を無理矢理に引きはがされそうになっている、気がする。真っ黒い腕が、力ずくで。ざらざら、砂が滑るような耳鳴りがこびりついている。
 気がついた。ときにはもう遅かった。俺がダメな奴だ。見えない物の怪配がする。七瀬ちゃんが怪異に遭遇しているって時点で、対策しておくべきだった。
 怖い思いをしたときはどうしたらいい?誰かの背に隠れればいい。でもその背中がもうないときは、どうしたらいい?
『それは 諦めというのだと 思いますが』
 みっちゃんの言葉を反芻。違う。そんなはずない。俺はみんな信じてる。だってそうじゃなければ、みんなに信じられているはずがない、でしょ?諦めなんかじゃない。絶対、違う。遺跡では前と違ってバディに背中を預けてる。それってつまり、信じてないとできない行為だ。それにちゃんと、万が一、バディが逃げたときのことだって考えて戦闘してる。
「君はその笑顔の下で、人当たりのする性格の裏で、誰も信じていない――つまりは信用を向けてくる人間を裏切っていると言えるのでは?」
「俺が?裏切って、いる?」
「それを信じていると言い切る。あまつさえ、無自覚。何と質の悪いことでしょうね。君は、きっと真実人を信じたことがない。もしくは……」
 柔らかく、殊更優しく『見せかけて』生徒会役員は微笑んだ。
「真実信じて、手酷く裏切られたことがあるか。どちらかでしょう」
 にたり。みっちゃんが俺の中に滑り込んでこようとしている。そんな気がする。柔和な雰囲気と微笑みと言葉は、するりと壁を突き抜ける。狡猾に。
 ―――させるか。
 過去には触らせない。あんな、黒い手で。
「違う。違うだけ」
「はい?」
「ここでは、名前が、違うだけ」
 たぶん、俺の信用は、ここで「諦観」って呼ばれてるんでしょ?でも、そんなの知らない。俺が生きてきた世界では、信じたら、全部相手にあげる。何されてもいい。命だって。その果てで、全部持って行かれちゃったら、そしたら―――そしたら、そのとき、はじめて、諦めるんだ。
「信じてんの。俺にはそういうことなの。辞書の意味が、全部じゃない。俺にとって諦めるってことは、全部を手放すこと。だから、違わない。諦めてない。この學園では」
 あいつのことは、今でもまだ、信じてる。だって、愛しているって言ってたから。内臓がこぼれだして血まみれで、心臓が止まるその瞬間まで、俺のことを信じてくれていた。それを、俺も、信じてる。
「ふぅむ。……そんな顔もするのですね、君は」
「………」
 そういう顔って、どんなんだろうね。みっちゃんは、首を傾げている。始末できなかったか。そんな声が聞こえた気がした。気がしただけ。砂の音が引いていく。息苦しさも、寒さも、同時に和らいでいった。
「甘い顔をして生徒たちを騙し、仲間に引き入れてきた……。生徒会からすれば、そういう捉え方もできるのですが」
「だから、俺が引っ張り込んだワケじゃないんだってば。仲間になって、お願い、って、頼んだことは一度もないよ」
 そういう意味では、管理不行届はそっちでしょう、と。耳鳴りの残り滓を払うように頭を振る。
「俺、怖がりさんだから、一緒にいてなんて、とてもじゃないけど頼めないんです」
 隣にいてくれる人は、二人とも『一緒にいてあげるよ』って言ってくれたから、お言葉に甘えてるだけ。バディの連中も同じ。『一緒にいてもいいですか?』って聞かれたから、はいどうぞ、って答えただけだ。
「……本当に、不可思議な為人をしていますね」
「そうかね?まあ、ここでは、そうなのかもね」
 みっちゃんは首を傾げたまま、顎に手を当てる。その時呟かれた「過去、ですか」という言葉の響きが酷く怖ろしくて、ああ、嫌な予感がするな、となんとなく思った。
「いいでしょう。僕には、君を暴き立てる趣味はありません。けれど、葉佩君―――君にはまだ真実が見えていない。それに辿り着くことができなければ―――君の活躍もここまでということです。この學園の眠りを脅かした罪は重い。君にはそれ相応の罰を受けてもらいますよ」
「そーねぇ。うん。それこそ、諦めて、覚悟してるってヤツだ。罪を犯してるってんなら罰を受けるも道理」
 墓荒らしには罰を、ってのはもう耳タコになるくらい聞いたフレーズ。ただね、これも『違う』んだよね。
 《墓守》側からすれば大罪、でも、俺からしてみるとお仕事。罰せられるのはしょうがないけど、墓を荒らしていることに罪の重さは感じてない。俺が罪だと思っているのは、そこじゃないの。
「残念ね、こと、この件に対して俺ってば罪悪感ほとんどねーのよ」
「……僕の前で、そういう不謹慎な態度をとってほしくないですね」
「そりゃ、ごめんあっさぁせ」
 肩を竦めるその動作まで、みっちゃんにおかれましてはお気に召さないご様子。俺はと言えば、半ばまで暴かれかけた何かのせいで、脇に変な汗かいちゃってる。隠すためのポーズがこのへらへら顔だってバレてないならいいけれど。
「葉佩九龍。君は光に満ちた人だ。この學園には似つかわしくない希望という《光》に……」
 俺を光、とか言ってる辺りちゃんとごまかせてるんでしょ?似つかわしくないってのは逆の意味だと思うけど。
「だからこそ、君の近くにいる者ほど干渉を受けにくいのでしょう」
「……干渉?なんのさ」
「すぐに分かりますよ」
 みっちゃんは『悪役らしく』鼻を鳴らし、背を向けた。長い髪が翻る。
「また、後ほど。君を迎えに行きますよ。黄泉より返りし呪われた魂たちと共にね……」
「…………」
 その意味が分からなかった。それはもう、さっぱり。なぜなら今までは、俺が墓守たちを『迎え討ち』に行っていたから。
 だから分からなくて、分からないまんまにしておいたのがまずかった。双樹ちゃんが大がかり、と言っていた仕掛け。みっちゃんが呟いた過去という意味。
 このときは、まだ、何が起きるのか予想すらできなかったんだ。