風云-fengyun-

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 8 -

 戦いの前だというのに、妙に霞む意識。これが白昼夢、とでもいうやつなのだろうか。辺りには誰もいなくて、……いや、違った、ただ一人しかいなくて。
 立ったまま見る間抜けな白昼夢の中に出てきたのは『あいつ』。口の端をつり上げて、少し小馬鹿にしたような笑みを携えた、記憶のままの彼女。
 手をハンドガンの形にして、バン。見えない弾道は俺の額を狙っていた。
『さみしんぼ?かなしんぼ?情けない面。どーしたってんだよ』
「……どうも、こうも」
 あんたにふられたのが辛すぎて傷付いてます、だって?言えるかクソ。そんなことを言ったが最後、爆笑されて終わるのがオチだ。
『なんちゃって。あたしは全部お見通しだったりするんですがねぇ』
 彼女はふらりと、足音も立てずに近づいてくる。俺は、硬直したまま動けない。
 遺跡は、以前も何度か彼女の夢を見せてくれた。幸せで甘やかな、俺の望むがままの、俺の夢。
 ただし、それは大概が墓守たちの思い出に触れたとき、意識の何かが触れあうのを見計らったようにやってきたはずだった。もしくは、俺が何らかの要因で意識を吹っ飛ばしたとき。今は、……今は、確か、大切な、戦いの前で……夢を見ている、場合じゃ…。
『ったく、酷いハナシだよ、なぁ、クロウ?』
「何が」
『全部だよ。この糞っつまらねぇ茶番の何もかもだ。脚本家連れて来いってんだ』
「……話が全然見えないが、とりあえず人間の人生に脚本はないってことはチョウ・ユンファが言ってたぞ」
『あれ、そうだっけ』
 チョウ・ユンファがそう言うなら、そうなのかもな、なんて。腕を組んで煙草の端を軽く噛む。彼女はチョウ・ユンファとジェット・リーの言った言葉は真実だと、信じている節がある。(ああ、そういえば彼女は李連杰がハリウッドに渡ってジェット・リーと呼ばれていることを知っているんだったっけか?)
 それから、うん、と勝手に何かを納得した仕草をすると、唐突に俺に向かって手を伸ばした。
 伸ばして、ぎゅ、と。俺の首筋に顔を埋める。……そうか、背は伸びなかったけど、もう頭を抱えてもらうような身長ではなくなっていたんだ。彼女はあのときのままなのに、俺は、僅かでも成長している、らしい。
『辛いもの、見せちゃったね』
「……え?」
 掠れた声。泣いている、わけではないだろうけど、首に回った腕があんまりに力強いから、俺も自分の腕を伸ばして彼女の腰を抱いてみた。
 ……温ったけー。
『偽物、だとしても。あたしは許せないんだ。あんたの、あたしの、全部を、疑わせるようなやり方』
 掠れて、震えている声。分かった。泣いているのではない。これは彼女の、特有の、―――激怒。
 同時に、今日の、あの夢のことで怒っているということも理解。
「あの、夢の話か」
『その、夢の話。いくらフィクションでもやって良いことと悪いことってあるだろう?』
「例えば?」
『サモ・ハンがカリーナとラブシーンなんてやらんだろ?リアリティがなさ過ぎる。ディテールの問題じゃなくてな、やって良いか、悪いか』
 ちなみに、サモ・ハンというのはアクション監督・俳優のサモ・ハン・キンポーで、カリーナというのはカリーナ・ラウ。まあ、この二人を例えるならやはり美女と野獣、か。アクションをしているときのサモ・ハンは眩暈がするほど格好いいんだけれど。カリーナとラブシーンをやっているところだけは想像できない。
「確かに、やったらまずい画だなそりゃ」
『だろう?』
 ガリリ、と彼女。歯を咬み鳴らしている。いつの間にか煙草は吐き捨てていて、顔を上げて真っ直ぐこっちを見た。
 真っ直ぐ。嘘なく、真実のままに。
 唐突に、俺は、彼女が俺を恨んでいたと考えていた自分を殺したい衝動に駆られる。そんなはず、絶対にないのに、あるはずがないのに。一体俺は、何に惑っていたんだろうか?
『やったらまずい画、だろう?嘘でも、だ。あたしが、クロウ、お前のことを『殺したいほど憎んでいた』だなんて』
「……だな。そう、だ。その、はずだった、よな」
『バァカ。そんな曖昧に言い含んでんじゃねーよ』
 彼女は真っ赤に燃える視線をそのままに俺から離れる。それでも、手だけは取り合ったまま、俺の心臓に押し当てる。
『いいか、あんま、言わねーから、よーく、聞け』
「………」
『かっぽじったか?耳の穴』
「大丈夫だって、聞こえて……」
『愛しているんだ』
 真摯な眼差しだった。俺には、それだけで十分だった。
 俺は、《宝探し屋》とかいう仕事をしていて、潜入先の学校でおかしな幻を見せつけられ、迷って、惑って、不安がっていた。ただの、幻に。そう、あれは『幻』だった。
『……聞いてたか?』
「………ちょっと、よく聞こえなかったからもう一回」
『調子こいてんなよ。ぶっ殺すぞ?』
 勝ち気で強気な、にやり笑い。品位なんぞクソ食らえと爪を研ぐ野生猫の風情。とりあえず一発殴られるのを覚悟してみたのだが、俺の頬に彼女の拳は決まっていなくて、代わりに、
『もう、疑うなよ。今でも、だ。ずぅーっと、あたしは、クロウを、葉佩九龍ってやつを、―――愛している』
「……すげー、出血大サービス、だな。俺、死ぬのか」
『馬鹿、大事なことだから二度言ったの。本当に、大事なこと』
「分かってる。そう、だよな。お前に限って、あんな、今際の際に、嘘、ついたりしねーよな」
『そーです。言ったでしょー。未来を願って、望んで、祈っている、って。クロウ、お前の未来ってやつを、さ』
 その通り、です。
 これが、今の彼女が、俺の見た都合のいい夢でも、何でもよかった。彼女の存在が、言葉が、俺の不安を上書きしてくれた。寒さは、もうない。『愛している。』クソだ。陳腐だ。でも、―――最高だ。
 彼女は二本目の煙草に火を付ける。なんだか、幸せが過ぎて頭がくらくらしてきた。いけない、これから一戦かます必要が、
『そりゃねーよ』
「何?」
 まるで心を読まれたように。
『あたしが、あんなもん、許したと思ってんのか?』
「いや、でも、」
『許さない』
 安全部やら黒社会の奴らも裸足で逃げ出す眼光。鋭すぎる目つき。そういえば、彼女は途方もなく怒っているんだった。
『ケリはつけるさ。―――あたしが、ね』
「何言って……」
『大丈夫だ。……殺しゃーしねぇから』
 まずい止めなければ、と本能が告げているのは分かっていた。けれど、俺には何を止めればいいのか分からなくて、第一、俺は何と戦えばいいんだったか、というか、彼女はもう実体がないからケリなんてつけられないのだから止める必要はないのか?
 違う、これは、ちがう。止められない、止めなければ、誰が殺される?いや、殺さない?
 思考が煙の中に沈没していく。彼女の紫煙と、混ざり合うように割り込んでくる何かの匂いがどんどん俺を深みへとはめていく。
 意志が、立ち上がっては崩れて霧散していく。あいつの姿が揺らぐ。霞む。消えかける。
 どこか遠くの方から、声が、聞こえた、気が……………


『―――遊んでやるよ、霊幻道士』

*  *  *

 気がつくと、俺はベレッタを右手に、砲介九式を左手に、薄暗がりの中でぼんやりと突っ立っていた。
(……な、んだよ…夢?)
 やっぱり今のは遺跡の見せた夢、……かと、思いかけて、止める。
 状況が把握できなかった。
 俺は、『気がつく』前には扉の手前に、いた、はず。
 それがどうした、ここは手前の通路の明るさはない。埃っぽく、淀んだ《化人創成の間》に違いない。
 さらに俺を混乱させるのは、目の前で膝をつく人物。苦痛に顔を歪めた、暗がりでも分かる、間違いなく神鳳充、その人。今にも倒れそうに苦悶。
 ―――まさか、俺が?
 戦った意識なんてまったくなかった。今まで俺がしたことといえば、思い出に浸る自己中心的な白昼夢の中で自分の呆けた脳味噌加減を再認識しただけ、のはず?
「九龍ッ!!」
 呆けた俺を引き戻したのは、あいつ……ではなく、別の声。もっと近くから聞こえる。甲太郎の。
「……お前、大丈夫か?」
「ぇ……と、悪ぃ、俺、なんか、状況が……」
 俺の手を取って、何やら必死な形相で顔を凝視してくる甲太郎。その表情の中には困惑も混ざっている。
 一体俺は、ここで、何をやったというんだ?
「と、りあえず、九龍、だな?」
「ちょ、何言ってんだ?俺、は、俺だろ?違うのか?」
「いや、いや、いい。とにかく、余裕こいてくっちゃべってる暇がないらしいぞ」
 この状況に至った経緯を説明させようとした俺は、変異を見て把握した。
 どうやら、対神鳳戦は、俺の(少なくとも俺の意識が)知らないうちに終わっていたらしい。神鳳の背後には黒い砂が蠢きはじめている。何が何だか分からない。けれど、分からないと言って放棄したら全滅することは分かっていた。
 機能していない脳味噌をどうにか奮い立たせて、俺は、葉佩九龍を思い出す。
「かんど……みっちゃん、生きてっか!?」
「……あな、たが、それを、言い、ますかね」
 どうやらほぼ虫の息。そしてそれをやらかしたのは(身に覚えがないけど)俺。立つことすらやっと、というみっちゃんの肩に腕を回して、甲太郎と二人で部屋の端まで引きずっていく。
「……いき、ましたか。どう、やら……葉佩、君、のよう、だ」
「どうやらも何も、俺はずーっと葉佩ですがッ?」
「そう、ですか……くッ」
 まずい。このやられ方はまずい。てか、墓守って黒い砂で強化されてんじゃないの?だから銃で撃ってもヘーキ、ってんじゃなかったっけ?
 だってみっちゃん、あんまりにボロボロ。いくら覚えてないつっても、俺、民間人相手にここまでやらんよ?
 軽くテンパってきたけど、背後の黒い砂はどんどん形を作り始めている。とにかく、血反吐吐きそうなみっちゃんを壁により掛からせて、目立つ外傷に応急処置。聞いたところ、内臓系はセーフっぽい。でも、たぶん肋骨はイッてる。さっさとアレを片付けて魂の井戸へゴーしましょうね。
 ゴメン、と両手を合わせて、次の瞬間には戦闘モード。どうやら、俺は本当についさっきまで戦闘していたらしい。銃が使いかけ状態。リセットするためにマガジンを、
「リロードッ、でありマスッ」
 交換する前に砲介の力が俺の銃を万全の状態にしてくれる。まったく素敵な能力だよね、アレ。
「隊長ッ、本当に、大丈夫なのでありマスカッ?」
「えー、俺ってばそんな心配されるくらいダメだったわけ?」
「いえ、いいえ、そうではないでありマスッ!!むしろ、……恐ろしいほど、強かったでありマス。でも、……でも、なんだか、錯乱されていたヨウナ……」
 ……錯乱、て。俺、大丈夫?ホント、砲介じゃなくても心配。戻ったら絶対ルイ先生に看てもわんと。
 コンコン、と額を叩く。保ってくれ、俺のダメな脳。頼むぜマジで。現れた化人、なんか強そうだし。
「砲介は周りの雑魚を相当を優先。俺と対角にならないよう移動射撃メインで頼む!!」
「了解、でありマスッ!」
「甲太郎、悪いんだけどみっちゃん頼む。たぶんこっち来られたら逃げらんないと思うから」
「おぅ」
 上がりっぱなしになっていたゴーグルを下げて、熱源探知。コウモリがにぃ、しぃ、六匹。デカいのが一体。だが動きが鈍い。周りのをさっさと一掃できれば戦りにくい相手ではない。
 構えた銃で、まずはコウモリから片付ける。もとより細かい射撃は得意だ。タタン、タタン、と短いリズムでトリガーを引き、弱点の額にヒットさせれば面白いように墜ちていく。
「砲介ー、しっかり頭、狙ってみ?無駄弾多いヨー」
「ハッ!!」
 砲介の方に飛んでいった二匹を任せ、俺は頭から指の生えた蛇もどきを片付けることにする。頭から八本の指。八俣遠呂智、ってか?
 正面切って真っ向勝負。弾丸は効いている手応えはあるものの、確実にココ、という弱点には当たらない。ということは、背後?ビシバシ飛んでくる腕だか尻尾だかを距離を取って躱しながら、思案。そこへ、コウモリを片付け終わった砲介が合流する。
「どうやら弱点は後ろくさい」
「先ほど、ちらりとですが背後に入れ墨らしき文様が見えたでありマスッ」
「うっし、それかな。じゃ、ちゃっちゃと殺っちゃいますかね」
 挟撃で背後に回り込み、俺が撹乱をしつつ砲介が背後の刺青を狙う。こっちの弾薬が切れそうになったらオートリロード。二挺×二挺の弾幕の中で、化人はのろまなダンスを披露するかのように霧散した。
「ミッション、終了ッ!」
「おっつかれー」
 砲介とハイタッチをしてから、ふと、気付く。足下に落ちている、一本の簪。櫛と言っていいような数本の歯が付いた、綺麗な細工の。
 きっとこれは、神鳳充という人間の、大切なモノのはず。拾い上げて、今にも壊れそうな繊細さにちょっとビビりながら、みっちゃんの元へ。……よかった、だいぶ顔色が戻っている。
「おまたせ。ほい、……コレ」
「その、かんざしは―――。そうか……、僕の手に戻ってきてしまったのか……」
 悔いるような言葉尻、けれど、本当はとても大事にしているものだということが受け取る手つきで分かる。細い指先で、そっと、撫でるように。
「このかんざしは、僕がこの場所に来て、―――そして、あの日、阿門様の意志に殉ずることを決めた日に、彼に預けたものです」
「そ、か」
「よりにもよって、君が取り戻してくれるとは」
「だよねぇ、敵さん、だもんねぇ」
 俺が苦く笑うと、みっちゃんもわずかに、口角を上げる。けれど、その端正な顔には痣。口の中も切っているのか、喋るたびに少し顔をしかめている。
 口の端についた血があまりに痛々しくて、思わず手を伸ばしてぬぐってしまった。
「ゴメン、痛かったっしょ?」
「ええ、とても」
「……ホントすんません」
 がっくり項垂れると、くすくすと、いつものみっちゃん笑いが降ってきた。
「葉佩君」
「うぃ」
「……いつか、僕の話を聞いてくれますか?」
「俺でよければ。葉佩九龍、ココロの相談室は24時間365日受け付けておりますよ」
 ただし俺自身も若干情緒不安定気味ですが。いや、若干、とか気味とかじゃないけどさ。それでも。人の話くらいは聞けると思う。なんてったって、自分の話は、できないから。
「まさか、そんなことを言ってもらえるとは夢にも思いませんでしたよ。……僕は、あなたの事情を知りもせず、不可抗力とはいえ『一番してはいけないこと』をしてしまったようなのに」
「え……、あ、んー、まあ、ほら、それはそれっていうか」
「怒られましたよ」
「誰に?」
 ほらまた、なんだか話が見えない。俺は、どうしちゃってたワケ?もしかして、怒ったってのは、……思い当たるのは隣でばりっばりに存在感をむき出しにしていらっしゃるお方とかですかい?
「……俺じゃねぇぞ」
 視線を投げたからか、問いかけの前に答えが返ってくる。甲太郎、でないとすると、俺に降りかかった現象を知っている人間は……誰?
「あなたに、ですよ。葉佩君。……いえ、あれは、きっと……―――!!」
 何か言いかけ、だが次の瞬間、辺りの空気が一気にどす暗く変化する。重い。視覚的なものでない、感覚的に感じる何か、が。
 この部屋に舞い降りた。ゾッとするような、怖気をたたえた何か。
「この……強い霊力は……」
「みっちゃんッ!?」
「気を、つけてください、葉佩君ッ……これは―――!!」
 みっちゃんの眼から、光が消える。ふっ、と、まるで生きているものではないような……死者の眼のそれに変わる。視線に射すくめられた俺は、背筋を噛み砕かれるような感触に、指一本、動かせなくなる。理科室で、図書室で感じた寒気が一気に駆け上ってきて、ガタガタと身体が震えた。
「……誰、だ、お前」
『ク、クックックッ……』
 ここは地面の底で、だから正しく地の底なんだが、そうではない、もっと下。あるとするなら、地獄とかいう名前が付いていそうな場所から這い出た、そんな声だった。神鳳充という人間の声帯を使った、異形の、声。
 憑かれた。これは、昼間の七瀬月魅と同じ現象だ。そして、おそらくは憑いているモノも同じ。  思わず後ずさった俺の肩は、甲太郎が支えてくれている。俺が、こういうものに弱いって、知っているから。
『よくぞ、ここまで来た。人の子よ―――』
「いき、なり、上から目線で、いったい、なんなんだよ、あんた」
『我はアラハバキなり……。お前が、我を目覚めさせた者か?』
「目覚めさせる?んな、覚えはねぇけど、この墓を荒らしてんのは、俺だ」
 歯が鳴るほど寒いのに、息はなぜか白くならず、俺は、俺が勝手に寒がっているだけだと自覚する。
『クックック……。それほどまでに我が《宝》を望むか』
「我が……?それじゃ、まるで、この遺跡の、秘宝は、あんたのもんだって、言い種だな?」
 堪えて、食いしばって、銃と甲太郎の温度だけを頼りに目の前の何かを睨む。番人?墓守?……違う、こいつ、主、だ。この遺跡の、主。
「声、ばっかで、実体は、どーしたよ。俺、幽霊、ダメなんだよな。この手で、殴れないものとは、勝負、できねー……」
『我は、この遺跡の奥底―――深い闇の彼方からこの念を送っておる。お前の探す《宝》は、我が袂にある』
「……まだ、真打ちは出てこないって、ワケだ」
『人の子よ―――、もし、我が元まで辿り着けたなら、お前に《宝》の力を授けよう。神の叡智を集積した偉大なる《秘宝》の力を……』
 さらにその声は、まるで俺が「いらね」というのを見越したようにたたみ掛けてきた。
『人の手ではどうにもならぬ、そう―――死者を、黄泉還らせることさえも、できるやもしれぬぞ?』
「!!………死者、を」
 頭をよぎったのは、夢の中のあいつの笑顔。喪った、大切な思い出。それが、もし、実感に、なるとしたら……?
 不意に、肩を掴む手が強くなる。痛いほど、甲太郎は俺の肩を抱く。まるで主の言葉に俺が引きずられるのを引き留めようとするかのように行くな、とでも言うかのように。
『お前のそばに常に在る《幻影》を、過去さえも歪めて姿を留め置くことができるとしても、お前は《力》を求めぬと言うのか?』
「…………」
 くそったれ。こいつには全てが視えているらしい。俺の過去も、思い出も、夢の中身すらすべて。胸くそ悪い、……けれど、何よりむかつくのは、その言葉に揺らいでる俺の意志だ。
 あいつが、還ってくる?……それを、俺が、どれだけ望んだのか、こいつは知っているとでも言うのだろうか?俺の、想いを、どれだけ?
 寒さとは別のところから来る、本能的な怒りで身体が震える。媒体が神鳳だということも忘れて拳が出そうになった、そこへ、
「では、俺にもそいつを授けてもらおうか―――、その《秘宝》の力って奴をな」
 聞き覚えのある声がした。
 すっ、と、悪寒とは別に、嫌な予感、というヤツがした。こんな時間に、墓守以外が、こんな場所に来る……。
「……ダンナ」
「よぉ」
 学ランを肩に掛け、悠然と佇む。夕薙大和はここにいるのがさも当然という顔をして。ああ、昼間、嫌な予感がすると言ったのは、こいつだったっけか。
『貴様は何者だ?我にその氣を感じさせぬとは……《魂》なき《墓守》とも違う……』
「死人は墓で眠るものだ。俺はただの―――人間さ」
 その言葉は、まるで俺に投げかけられたようだった。死人は墓で眠るもの。そして、この場で眠りについている者は誰もおらず、墓守も解き放たれた。……ここにいるのは、ただの人間たち、のはず。
 それなのに神鳳の身体に怪異が舞い降り、居てはいけないはずの人間が居る異常事態。
『……人の子とはいつの世にも変わらず愚かな者よ。《大いなる力》を巡り血で血を洗うか』
 頭痛い。頭が痛い。本当に痛い。けれど、それは、甲太郎以外には漏らしてはいけない。約束をした。ここには別の人間がいる。
『いいだろう。《秘宝》が欲しければ見事勝ち残ってみせるがよい。お前たちのどちらが秘宝を得るに相応しいか、我に示してみせよ』
「……今夜の墓地はいつもより異様な雰囲気に包まれている。やはり後を追ってきて正解だったようだ……。九龍―――悪いが、今ここで、俺と戦ってもらうぞ」
 俺は葉佩九龍で、ここは仕事場で、よくワケの分からないことになっているけれどとりあえずなぜか知らないけれどクラスメイトと一戦かますようなコトの成り行き。俺の意志ってのを置いてけぼりにしたまま。
 ッハハ、ここまでくると、もう何でもアリなんでしょ。
 ダンナの『俺を信じているのか?』という問いかけがズシンと腹にのし掛かってきた。そーね。ハハ、そーゆーことだったわけね。信じるというのは、そういうことなのですね。
 そっか。信じていたんだ。こうなる、って。だから、大丈夫。俺は冷静を取り戻す。頭が芯から冷えてきて、何でも受け入れる準備万端。いつでも状況は開始できますよ、ドーゾ?
「……九龍?」
「ん、オーライ、ですよ。いいじゃないっすか、河原で拳で殴り合いでお前強いなお前もな?素敵なシチュエーションじゃないですか?俺そういうの大好き」
「……お前のその想いが本物なら……、お前の持てる力の全てで俺を……斃してみろ」
「上等」
「お前のその手で《秘宝》を手に入れてみろ」
「言われるまでも」
「俺も、俺の信念にかけて手加減はしない」
「そうこなくっちゃ」
 頭はどんどん冷えてくる。背筋の寒さは変わらないのに、指先は戦闘のために銃をスタンバイさせる。口を挟もうとする二人を視線で制すると、夕薙だけを見る。合図し合って、フロアの真ん中へ。あー、なんか誰かが言ってるけど、もう聞こえない。寒気ももう、知らない。
「なあ、ダンナ」
「何だ?」
「ホントは最初から、全部分かってた?」
「んー、まあ、な」
「そんで、俺に近づいてみようと」
「早い話が、そうなるな」
「そっか」
「すまんな」
「謝らなくていいよ。ダンナには、ダンナの事情がある。人間て、みーんな、そう。だから、ヘーキ」
「…………」
「大丈夫。平気。なんとなく、分かってたから。だってダンナ、色々意味深に知りすぎてたし。なんかあるんだろーなー、って分かってて俺も正体バラしたわけだし」
「九龍、俺は、」
「大丈夫。平気。………そんでも、ちょいと、クるねこりゃ。裏切られるのとも違うよな。ただの、……友人に、」
『死ねって、言われているだけだよね』
 その言葉は辛うじて飲み込んだ。これ以上喋ったら、俺がミジメ。銃をきっちりセットして、戦闘準備は万全。もし三連戦だったら結構きつかったはずだけど、一戦目は俺の与り知らぬところで終わってたし、二戦目も砲介の力のおかげで楽勝。
 今日のメインは、ここにあったわけだ。納得。世の中上手く回ってるね。
「そんじゃ、やろっか」
「………ああ」
「いっこ、聞くけど、ダンナはフツーのひと?」
「……?」
「銃で撃たれても、死なない人?例えば、ココの墓守さんたちみたいに。そうじゃなきゃ、俺、素手でやんなきゃ―――殺しちゃうもんな、きっと」
 変なの。やりあおう、って言ったのはダンナのはずなのに、たぶん今、困った顔をしているのはダンナの方だ。腹くくってんだかそうでもないんだか。まあ、決闘、ですからね、どっちが勝っても負けても恨みっこなし、ということで。
「俺は、やられるつもりはない」
「おー、すげー自信。……でも普通の人はみんな平等に、鉄砲で撃たれりゃ死ぬんすよ。だから、確認。俺に撃たれても、殺されないでいてくれる?」
「……殺られないさ。普通をどう定義するかにもよるが、きっと俺は『普通』ではないだろうからな」
「よっしゃ。じゃ、遠慮無く」
「そっちこそ、自分の心配は一切なし、か?君が倒れれば、君が築いてきたものがすべて崩壊するというのに」
「大丈夫、平気。俺は殺られないよ。だから、ダンナも遠慮しないで。全部、壊す気できてよ」
「すごい、自信だな。ならば、―――その力、見せてもらうぞ」
「死合おう。どっちかが、斃れるまで、ね」
 ルール無用の戦闘だ。最低ラインは一つ。殺さないこと。それ以外なら、何をやってもいいんだって。
 さて、どうしようか?ダンナに得物は見当たらない。あの体格じゃ素手ゴロっていう線もあるけど、それにしては言い回しが気にかかる。普通、じゃないって。でもだからなんだって?俺はいつだって、普通じゃないのと戦ってきた。
 大丈夫。平気。負けたりしない。
 勝利に必要なのは、強さ。強さに求められるのは、集中と、感情の遮断と、忍耐。それから、狂気をしまう正気の鞘。大丈夫。平気。言い聞かせれば、俺はいつでも、正気に、戻れる。はず。
 飛び出す。
 夕薙、構える。
 様子見、弾道上に左足。―――万が一、普通だったとしても死なない部位。
 着弾。けれど夕薙はびくともしない。普通じゃない、嘘じゃない。
 カウンター。振られる両腕。
 俺に、《何か》が向かってくる。
 咄嗟にステップアウト。
 軌道からずれた、と思ったのになぜか着弾。
 数メートル吹っ飛ばされて、よろめく。
 平衡感覚、消失。どうやら耳鳴りが酷いせい。
 『 キィーーーーーーン 』
 誰かが叫んだ気がした。無視。
 コンマ、思考。
 普通、じゃない攻撃。不可視。衝撃と共に耳鳴り。
 認識を改める。
 人間じゃなくて、化人と戦っているモード。
 体勢が崩れたまま二挺砲火。
 有効打にならず。
 体勢を立て直す前に再度振られる両腕。
 そういえば、結構なダメージ。
 連打はキツい。
 不十分にも回避体勢。
 直撃は免れる、はず―――アレ?
『――――――!!』
 聴覚がない分、強く感じる嗅覚の刺激。甘い甘い、ラベンダーの。
 ダメだってば、甲太郎、これは、一対一の勝負なんです。
 部外者が手を出しちゃ、ダメなんです。
『        』
 また何か、言われている気がする。音のない、空気を伝わる振動。
 甲太郎の腕の中っていうのは、本当に心地いい。
 殺し合いを、一瞬忘れそう。
『        』
 大丈夫。平気。そんな怖い顔しなくても。
 大丈夫。平気。だから、その手を、離して。
 庇ってくれた有り難い腕を、怪我をしない程度に思い切り突き飛ばして、お礼をこめてにっこり笑顔。
 甲太郎、表情硬直。
 何も聞こえなくて、よかった。
 今、あの声で「九龍」、なんて呼ばれたら、間違って撃っちゃいそうだったから。
 矛先は別だ。あっち。
 もう一度攻撃を繰り出そうとしている。
 攻撃範囲は大体把握。
 回避方法も閃いた。
 腕が振り抜かれる、その瞬間の夕薙の顔。
 間抜けったらないね。
 自分に向かってくる二挺の銃を視線が凝視。
 気が、俺から逸れる。
 銃を投げつけた後、一気に距離を詰める。
 夕薙の次撃、不発。
 歪む顔を、振り抜いた脚で蹴り飛ばす。
 体重を掛けきった上段飛び回し蹴り。
 俺を銃だけ男、だと思った?
 バァーーーーーーーカ。
 着地した脚を軸に、逆脚を振り上げて連打。
 顎を蹴破る。
 ぐらり、傾く巨体。
 防御なのか攻撃なのか、動き掛けた腕をこっちも腕で封じて、瞬間、見つめ合い。
 にぃぃっこり笑いかけてみる。
 驚愕する夕薙。ザマァ。
 パっと手を離し、よろめく身体に上段蹴りからの踵落とし。
 けれど俺自身も平衡感覚が鈍っていて、ヨロヨロ。
 その隙に、夕薙が再度攻撃態勢へ。
 あ、まずい。でも、大丈夫。平気。
 ガツン、と脳味噌に衝撃。
 一瞬、ブラックアウト。
 耳鳴りは止んだ。
 代わりにまったく何も聞こえなくなった。
 体勢が崩れて低くなる。
 そこへ、夕薙の拳が。
 ――――待ってました。
 こんな体勢からも闘れるんです。
 素敵な格闘技ねカポエィラ。
 必殺サントアマーロ。
 低い姿勢から脚を振り上げながら開脚。
 ブレイクダンスの要領で勢いを付けて、蹴撃。
 ワン、ツー、確かなインパクト。
 こっちはそのまま立ち上がり、夕薙はダウン。
 倒れた身体に乗り上げて、温存していた拳を打ち抜く。
 すっげ、本当に、壊れない。
 いくら俺のパンチが軽いっつっても、人殺しの連打で意識、保ってるなんて。
 こりゃ、殺るにはやっぱ、あれでしょ。
 腰のホルスター、投げた代わりのバックアップガン。
 しっかり構えて、ショッ――――