風云-fengyun-

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 3 -

「どういうつもりなんだよあれは」
 八千穂と別れて、甲太郎と二人、廊下に出たところで俺は噛み付いた。人には聞かれないよう小声で、だが。抗議は肘で脇腹を突くことでも示しておく。
「俺は、今までずっとああだっただろうが、何で今更あんなキレ方する必要があんだよ」
「そっちこそ今更だろ。俺はずーっと、ああだったんだがな。お前、まさか気付いてなかったのか?」
 人気のない踊り場まで来て、ようやく俺はにこりともせずに甲太郎を睨め上げる。その視線は、涼しげな顔で受け流された。
「そんな話聞いたこともねぇよ。大体、あんなの冗談だって、普通に分かるだろ?『俺』のやることなんて右から左に流しておけよ。俺だって覚えちゃいない」
「んなことその辺で言ってみろ。女連中がこぞって泣くぞ、九龍」
「泣かねぇよ」
 鼻を鳴らして不機嫌を示す一方、「九龍」と呼ばれたことに内心で安堵する。今、笑っていない意味が伝わっている、と。
「じゃあはっきり聞いておくけどな、何が気に食わないんだよ。八千穂が好きで、俺が近づくと不愉快だっていうなら考える」
「そりゃ逆だ、思いっきり逆だ。俺は、お前が好きなの」
「っ……―――バッカじゃねぇか!?」
 悔しいことに、からかわれていると分かりつつ、自分でも自覚できるほどに顔が熱くなった。
 馬鹿だ。本当に馬鹿だこいつは。
「……もしくは阿呆か」
「何気に失礼なことを言ってんな。つーか、俺のセリフを取るな阿呆」
「阿呆はお前だろ、冗談にしてもタチが悪い」
 視線に、軽い殺意すら織り交ぜて睨んでいるのに、甲太郎は愉しげな微笑みを浮かべるばかり。その顔が、……その、表情が。こいつの心底に根付いている達観を忘れさせるような子供っぽさで、俺はなぜかまた、赤面を自覚する。
「ああ、そういや、さっき床に激突したのは大丈夫だったのか?」
「……大丈夫だよ。誰かさんが避けなければもっと何ともなかったはずだけどな」
「何だ、抱きとめてほしかったのか?」
「そういうことじゃないッ!」
 俺が食って掛かってるのなんてどこ吹く風だ。甲太郎は何気なしに手を伸ばして、あろうことか学ランの裾をまくり上げた。途中で引っ掛かるハンドガンなんて見向きもせず、剥き出しの肌に手を当てた。受け身でも受けきれなかった腰骨の辺り。
「げ、痣になってんじゃねぇか。保健室行くか?」
「そ、の、前に……許可無く人の腹出してんじゃねぇよ、訴えるぞ」
「傷モンになったらやっぱり責任取るのは俺か。しょうがねぇな、嫁に来い」
「人の話を聞け。ぶっ飛ばすぞ」
 握った拳に力が籠もり始めた、それとほぼ同時にH.A.N.Tが震える。甲太郎を押しのけて受信したメールを見ると、そこには……何と言えばいいのだろうか……、ね、熱烈な、その……、
「愛しの旦那様ァ?おい九龍、お前メイドでも雇いだしたのか?」
「んなわけねぇだろッ!第一、送信者が朱堂……」
 言い終わるかどうか。まるでタイミングを見計らったかのように頭上に気配と影。
「危ねぇッ!!」
 落下物が頭の上に降ってくる前に、甲太郎が俺の腕を引く。結果、落ちてきた「何か」だけが派手な音を立てて床にへばり付いた。
 俺たちが今立っているのは踊り場。何かが降ってきたのは、三階から。人ならば無傷なはずはないのだ、が。
「……ウ、ウォウウォウウォウ……だ、旦那さ、ま」
「九ちゃん、逃げるぞ。早くしないと感染る」
「う、うつるって、なにがだろう、おれ、あほうだから、わかんないぃぃ……」
「旦那様ァァァッ!!!」
「ギャァァァァッッ!!」
 ガバッと、大きな(いや失礼)顔を上げたのは、噂の主すどりんだった。額からつつーっと血が垂れている。これ、ちょっとしたホラーかと。
「タキシードのアナタ、白い歯が素敵、ウェディングドレスのアタシ、恥じらう乙女、そんな二人は今日結ばれる、あの麗しの地下遺跡で、永久にト・ワ・エ・モァアァァアァァッ!!」
「どわァッ!!」
 本当に失礼なことだけど、俺は心底ビビって甲太郎に庇われながら壁にへばり付いてしまう。俺に向かってビヨーンと飛び掛かってきたところを、お約束で甲太郎が蹴り落とす。何だか今日は威力倍増気味です。
「寄るな、外道」
「酷!甲太郎それ酷いッ」
「そ、そうよ皆守甲太郎!!ダーリンを嫁になんて聞き捨てならないわ!ダーリンはアタシのダーリンよッ!!」
「誰がてめぇなんぞにくれてやるか。顔のサイズ半分にして出直してきやがれ」
「な、な、な、なんですってぇぇぇッ!!」
 甲太郎の脚越し、二人は火花が散りそうなイキオイでガン付け合い。これは俺にどうしろと。
「わぁお、本人無視して争奪戦?「どっち!?」とか聞かないでね、俺逃げるから」
 そのうち見物人なんかも集まりだしちゃったりして、本当に俺、逃げたい気分。
「邪魔しないでちょうだい皆守甲太郎!アタシは、ダーリンにどうしても聞きたいことがあったからこうやって来てるんですからねッ」
「どうせろくでもないことだろうよ。てめぇの下らない妄言で九ちゃんの耳を汚すのは忍びない」
「何よ!!いつもいつもダーリンを独り占めしてッ!アタシだってダーリンのことを愛してるのよッ!!」
「独り占めも何も九ちゃんがここにいるのは本人の意志だ。こいつが、俺の隣を、選んでんだ文句あんのっぐはッ……」
 これ以上喋らせたらなんかとんでもないことになりそうで、俺は無言で甲太郎の腹に肘をぶち込む。てかもうギャラリー変な目で見てるよこっち!!
「で、で、で、なななな何?すどりん俺に、何か用?」
「そうそう、そうなのよ、ダーリン。ねぇ?『薔薇』『向日葵』『桃』、この中であなたが好きな花はどれかしら?」
「花?えーと、その中なら、……桃?喰えるし……」
 するとすどりん、例の手帳を取り出して中を改める。
「桃の花言葉は『恋の奴隷』。ダーリンには身も心も捧げるのが一番、……と。いやだわァ、もうッ。ありがとッ、今後の参考にさせてもらうわ~。……ウフッ」
 聞くだけ聞いて満足したのか、すどりんは投げキッスをくれると、バイビーと言い残して足取りも軽やかに去っていった。見物人もいなくなって、俺はようやく噎せ込んでいる甲太郎に視線を向けた。
「……滅多なこと、口走んなよ」
「……だからって鳩尾に肘くれんのは無しだろ」
「自業自得だ」
 フン、と顔を背けたその先、踊り場の上、静かな気配が歩き去っていくのが視界に入ってきた。長い髪に長身、何より涼しすぎる目元。……生徒会役員、確か、会計だったか?双樹が言っていた「大がかり」な策とは何か。せっかくの助言だ。聞いておくに越したことはない。
 奴が向かう先は上の階。石研の部室やら何やらがある。
「甲太郎、ちょっと上に行って来る」
「あ?上?お、おい、九龍ッ」
 呼び止める甲太郎に片手で悪いという意思表示をしてから階段を駆け上がる。追いかけてこないのは……肘打ちのせいか。
 階段を上がりながら、頭の中に神鳳の姿を思い浮かべる。参謀、という言葉がピッタリくるような立ち姿。弓道部の部長もやってるんだったか。だとすれば、獲物は弓か。同じ遠距離レンジならば負けることはないし、体術に疎ければ敢えて近距離に突っ込んでもいい。
 神鳳は俺が付いてきているのを知ってか知らずか(いや、おそらく気付いてはいるんだろうが)、なんと、石研の部室へと入っていく。……予想外だ。似つかわしくない。
 しかも部室の中を覗き込むと、神鳳と黒塚の二人きり。それも凄い絵面だが、声を掛けようかどうか一瞬逡巡した間に、俺の姿は見つかっていた。……黒塚に。
「フフフフフ……そこにいるのは九龍君だねッ!?」
「げッ……」
「……僕の勘が正しければ、」
 扉をガラッと開けた黒塚博士、おもむろに俺の肩を引き寄せると、バンバンと背中を叩く。いつもに増してハイテンション、何があったんですか!?
「君は僕が何よりも欲しいものを持っているんじゃないか!?」
「へ?」
「ほら、まるで《裁きの雷》の如き輝きを放つ、あの―――」
「……えぇっと、……裁判官の石、のこと、でしょうかね?」
「おおおおおおおおォォォッ!!」
「も、持ってるし、欲しいならプレゼントするけど、今手元にないから後で、寮の部屋に持っていくのでよい?」
 悶絶し、全身で喜びを表現した博士は、力一杯俺のことを抱き締める。肩越しに見える神鳳のみっちゃんの笑顔が心なしか引きつってるように見えるんですけど……。
「九龍君ッ!君はやはり僕の最愛の心の友だ!!この恩は一生忘れない!!いや、……たとえ僕が死んでも、僕の石たちが永劫語り継ぐだろう!!」
「そ、そこまでしてもらわなくても、ええ、結構ですが……喜んで頂けたなら光栄ですヨ」
「これに対して礼をするには、それ相応のものを渡さなければいけないよね」
 いい、いい、と手を振る俺に、博士が握らせてきた物、それは《青生生玉》。……これって、とぉっても、貴重な物だと思うんですが。俺、裁判官の石、ごろごろ持ってるのに、いいのかしら。
 言ってみても、博士は感動するばっかりで、もうちょいで頬ずりしてきそうなイキオイ。
 と、それを見ていたみっちゃんの視線が、俺から、少しだけ上に外れる。
 何?と思う間もない、首根っこを思い切り引っ張られて、数秒の呼吸困難に陥る。こんなんする奴は一人しかいねーー!!
「てめー、首絞めんじゃねー!やるならもっとマイルドにやれ」
「分かった」
 振り返った先にいた甲太郎は、俺と目が合った途端いやぁな笑い。何をされるのかと後退る間もなし。首筋に腕を回されて、確かに「マイルド」にぎゅぅ。
 一瞬で耳まで熱くなって、息が詰まる。遅れて、
「ぎぃやァァッ!!」
「……失礼だな。マイルドにやってやったのに」
 耳に当たる息とか!ついでのように腹に回ってる片腕だとか!マイルド履き違えてるっての!!
「そういうマイルドさは求めてないッ!一切!まったく!!」
「何だよにゃーにゃーうるせぇなあ。お前、そりゃ猫だ」
「誰もにゃーにゃー言ってねぇし!!」
 そうやって不毛すぎる言い合いをし合っている俺たちを見て、博士、一言。
「あー、ゴメンねぇ、皆守君が占有権を持ってるんだったっけ。あ、でも僕にとっての最愛の友も九龍君だからねぇ」
「ほぉ?葉佩君と皆守君はそういう間柄だったのですが」
 ふむふむと、みっちゃんまで。酷いぜそれはよ。
「ご、誤解なんですが……」
「そういうことでしたらここに長居するのはお邪魔でしょうかね」
「うんにゃ!全然!てか、石研に用があったんじゃね?ゴメン、もしかしなくても俺が邪魔したよな」
「そんなことはないですよ。……最近、ちょっと災難が続いていましてね。それで、《石研》に《パワーストーン》を貰いに来たんです。葉佩君は《パワーストーン》をご存じですか?」
「んー。ぼちぼち。お守りとかに使われたり、あと、古くは卜占とか呪術にも使われてたってヤツでしょ」
「フフッ、葉佩君は博識なんですね」
 なぁんて、全部石研にある資料から得た知識なんですけど。最近読書に見境がなくてね。図書室制覇したら次は各部室、みたいな。
「っと、そういえば君は石研所属でしたか」
「えーっと、うーんと、……どうでしょ」
 博士に疑問の視線を求めると、ぶんぶんと首を縦に振りながら踊り始める。
「九龍君は石研の名誉部員だよ!!フフフ、石たちは彼のことが大好きなのさ!もちろん僕もね」
「さ、さいで……」
「なるほど、《石研》所属は伊達ではないということですね。……でも葉佩君、君は確かGUN部やボクシング部にも所属していませんでしたか?」
「……ええ、まあ、所属というほどのものではないですが。遊びに行ってるだけのような」
「そうだったんですか。いえ、うちの犬がですね、どうも各所で暴れ回っているようですので葉佩君のところに繋いでおこうかと思ったのですが」
「……それは前にも申し上げましたが、遠慮願いマスデス、ハイ」
 無理ですよ、と手を振ると、みっちゃんはふぅと嘆息を一発。相当お疲れの模様。それともワンコが頭痛の種になってるんでしょうか?それとも毎朝おっぱじまるストリートファイトのせいだったりして?
「ところで葉佩君。君なら、どんな《パワーストーン》が欲しいですか?」
「へ?俺?」
「たとえば魔除けとか、力をもたらすものだとか、あとは恋愛運を高めるものなどもあるようですが」
「えー、そん中なら魔除けかなぁ……」
 どうにも全体的に運の悪い俺。パッシブスキルは疫病神。魔除けとかほしいね。それで運が上向きになるならさ。
「ふ~む……君の身の回りでも、何か災難が起こってると……?」
「そーそー!今とかね!……だーーッ!!腰回り触るな、ケツ撫でるな!!」
「何だ、てっきり不感症なのかと」
「阿呆ーーーーッ!!」
 再度喰らわせようとしたエルボーは見事に避けられて、そのまま甲太郎は一歩二歩、後ろに下がる。そのふざけた態度が気に食わねー!
「……お互い、苦労しますね」
「まったくですよホントにッ」
 足踏んづけてやろうかと思ったわッ!人が見てるところで何しやがる!……見てないところでやるのもどうかと思うけど。
「あー、えー、じゃあ、どうもお邪魔しました、撤退します」
「あれ?九龍君、部室に何か用があったんじゃないのかい?」
「うんにゃ、そういうわけでもなく。この男のセクハラから逃げてきたトコだったんです」
「人聞きが悪いぞオイ」
「概ね事実」
 少し後方に立つ甲太郎を睨み上げると、逆の方向、前に立っていたみっちゃんが不敵に笑った。
「よろしいのですか?……僕が石研に何をしに来たのか、それが気になっていたのでは?」
 やっぱり、お見通しって、ね。だけど本当に石もらいに来ただけっぽいし、博士とも和やかムードだし。元より、喧嘩を売りにきたわけでもなし。せっかくの昼休みを物騒にしちゃうのももったいない。
 大がかり、は気になるけどね。他に人がいるところでする話でもない。
「……まー、そんなとこだったけど、もういいや。昼飯まだだし」
「そうですか。では」
「九龍君、例の物、ヨロシク頼んだよ~」
「おう!」
 ひらひら、手を振って部室を出れば当然のように甲太郎も付いてくる。
 少し歩いたところで振り返れば、さも愉しそうにアロマパイプを燻らす姿が目に入ってきた。
 ……セクハラだとか触るなだとか、文句は言ってはみるものの、その実、触れられる体温に酷く安堵するのは確かだ。ただ、触り方と、触れられるのに慣れていないという点において妙に動揺したり赤面したりすることになるのだが。
「……普通にできないもんなのかよ」
「何がだ?」
「何でもない」
 そもそも俺には普通の基準なんて分からないのだ。それを求めたところでどうにもならないと思い直し、後ろから来る甲太郎に並び掛ける。
「そういや九龍、お前、本当に『身も心も捧げる』タイプが好きなのか?」
「……何でそういう話になるんだよ」
「実際んとこ、どうなんだよ」
「別に、つーか、タイプとか、よく分からない」
「そういや、お前、今も浮いた話聞かないが、前はどうだったんだ?やっぱり、例のあいつに惚れてたのか?」
 ……甲太郎は、珍しく興味津々と言ったように俺の顔を覗き込んでくる。
 前に、ラブレター、というものをもらったときのことだ。甲太郎は俺に、好みのタイプを聞いてきて、俺の答えを聞き、「それは誰でもいいのと同じだ」と宣った。
 俺ももちろん自分を繕っていたし、そういった意味では、今初めて、まともに甲太郎と色恋沙汰の話をしているということになる。
 そして、俺はそれに正確な答えを返すことができない。「惚れた」人間が、いないからだ。
「甲太郎、もしお前に姉妹がいるとする。寝相が悪くてむしろ腹出して寝て、トランクスにタンクトップ一枚でうろついたり、気に入らない人間は視界に入っただけでぶっ飛ばすような姉妹だ。……惚れるか?」
「………ないな」
「そういうのを受け入れて一緒にいるっていうのは、惚れるとか惚れないじゃなくて、家族だったからだ。今なら、そういう風に思える。現に一度もそいつと寝たいと思ったことないからな」
 発言の直後、なぜか甲太郎は立ち止まった。まだ階段は降りきっていないのに何だ、と俺もつられて立ち止まる。
「惚れてたんじゃ、ないのか?」
「……よく、分かんねぇよ。たぶん、違うんじゃないか?ずっと昔は、そういうふうに思ってたかもしれないけどな。少なくとも、俺が男で、あいつが女であることをしっかり意識しだしたときには、もうあいつは俺にとって家族で、師匠で、相棒だった」
「そういう、もん、なのか」
 不思議そうに言うな。俺にとっては、そうだったんだ。愛していた、それは確かだが、そういった感情を抱く相手が一人しかいない、つまり比較対象がないとそれがどういった愛なのかなんて分からない。
 あいつに対する想いを愛だとして、それ以外というと。
「そもそも恋をしたことが、たぶん、まだ、ない。そんな暇も余裕もなかった。強すぎるあいつに付いていくだけで、精一杯だった。生きることを、それだけに費やしてた」
「……八千穂か誰かに、金髪のボインが初恋だとかなんとか、言ってなかったか?」
「よく覚えてるな、そんなこと。……冗談だよ。往々にしてああいう連中、俺よりもでかいから逆にコンプレックスだ」
 そこまでぼやいて、俺はとんでもないことを言ってるんじゃなかろうかと口を噤む。それとも、日本の高校生というものはこういう話を普通にするものなのだろうか?例えば戦場ならもっと下品な話になるし、あいつは俺が他の女にまったく興味を示さないのを心配しつつ、何も言わなかった。
 ……だから、この手の話の高校生らしさが、もしかしたら俺には一番把握できていないところかもしれない。
「浮いた話を聞かないのはそっちだろ。保健室に通うのはルイ教師目当てだとか、サボり魔なのは実は雛川教師の気を引くためだとか、七瀬が気になるから絡んでみるだとか、八千穂が結局一番だ、とか?」
「……気になる、か?」
 ぐっと顔を近づけられ、得意の意地の悪げな笑みを向けられて、慌てて首を振る。いやだが待て、この反応こそ間違ってないか?でも変な意味で気になっているわけではなく、ただの興味として……その興味の向け方を間違ったか?
 思考が方向を定めないまま回っている俺の頬に、甲太郎が触れる。
「顔、真っ赤だぞ。お前の百面相、面白れぇな。無愛想で無表情で無感動なんてどっから出てきた?」
「ッ―――……うるさい、別にそれは俺が言いだしたことじゃないし第一無表情かどうかなんて自分で分かるもんでもないだろ!」
「まぁ、そうか。そういうもんか」
 顎に手を当て、納得した素振りで歩き出す。
 なんだか、元の話を上手くはぐらかされた気がしないでもないが、きっと聞かれたくないことなのだろう。俺と違って、きっと甲太郎には今まで生きてきた中で一人や二人は、好きな人、というのがいたはずなのだから。
 皆守甲太郎が惚れる人。俺には、それがどんな人間だか想像すらつかない。
 横を歩く甲太郎に視線を滑らせる。甲太郎は気付いて、僅かに首を傾げる。俺が何でもないと首を振ると、変なヤツ、と笑う。
 甲太郎は、恋をした相手にはこんな優しい眼差しよりも、もっともっと、特別な目を向けるのだろうか。
 なぜだか俺は、それを少しだけ、嫌だと思った。

*  *  *

 石研に寄り道をして時間を食ったせいで、なんと俺たちは昼飯を食いっぱぐれた。時間が遅めだったせいでパンも売り切れ。カレーにありつけないと分かった甲太郎は、五時限目が始まる前に早々にドロン。俺は空きっ腹でぐったり机の上に伸びてみる。
「先生、なかなか来ないと思ったらやっぱり自習になっちゃったね」
「ねぇー。こんなことならぶっちぎって昼メシ食い行きゃよかった」
「この調子で次の時間も自習になったらいいな~なんてねッ」
 八千穂ちゃんは冗談めかして言っているけど、事実、そうなる可能性がないとは言えない。だってクラスん中でも何人か体調不良訴えてるヤツいるし、今日は朝から保健室が満員御礼。自習は頻発するし中には倒れるヤツとかまでいたらしい。
 これが大がかりな何ちゃらなのか、確かに《生徒会役員》のニオイがぷんぷんするんだけど……みっちゃんがねぇ、魔除けのパワーストーンをもらってた辺りがちょっと気に掛かる。もしかしたらみっちゃん自身、得体の知れない何かの影響を受けている、かもしれないんだから。
「でもホント、今日はどうなっちゃってるんだろ……。こんな時に幽花ちゃんも夕薙クンも皆守クンも、早速誰もいないんだもん!このクラスであたしの心の友は九チャンだけだよォ~!」
「おーおー。よしよし。大丈夫、なんかあっても幽霊とか以外なら勝てるから。守っちゃるぜよ」
「……えへへッ、なんか、今日の九チャン、やけに優しいね」
「そ?いつもっしょ、いつも」
 こちらのおいらはいつでも女の子の味方。特に可愛い女の子なら尚更だ。
「……あの」
 ほら来た、可愛い子がもう一人。
 戸口に立つのは七瀬ちゃん。俺と八千穂ちゃんは椅子をずるずるひきずって入り口に向かう。
「夕薙さんなら、さっき温室の方へ行くのが窓から見えましたよ」
「って、七瀬ちゃん随分な地獄耳ね」
「月魅、どったの?A組も自習?」
「ええ。なので図書室の本でも整理しようかと思って。それと八千穂さんの声が高くてよく耳に入ってくるからで、特別私が地獄耳なわけではありませんよ?ちなみに地獄耳とは元来の意味からすれば遠くの音を聞き取れるというわけではなく……」
「あー、ハイハイ!もぉ、月魅がそういうの話し始めるとどんどん話がずれていくんだからね!」
 八千穂ちゃんが腰に手を当てて頬を膨らませると、七瀬ちゃんは困ったように眼鏡を押し上げる。
「それにしても夕薙クンが温室なんてアヤシイなぁ~」
「温室と言えば、の彼女と何かあったりしてね」
「えっ!?もしかしたら二人で温室にいるってこと?……九チャンは、気にならないの?」
「まー、仲良きことは美しきかな、じゃないの?人の恋路をどうこうしようとはおりゃーあんまり思いません」
「ふ~ん、そうなんだ……」
 自分の『そういうこと』にも手が回らないのに、ねぇ。人のこと気にしてる場合じゃありません。ダンナも白岐ちゃんも、……つーかさ、恋愛じゃないでしょあの二人。そういうのにしてはちょっとノリが重すぎやしない?生き別れの兄妹でしたってほうがまだしっくりくる。
「実際二人がどういう関係なのかあたしもよく知らないけど、う~、……でも気になるなぁ」
「じゃあ直接聞いてみれば?お二人はどういう関係?って」
「……私はそういうことにはあんまり、興味本位で首を突っ込むべきではないと思いますよ」
「お、真っ当な意見」
「茶化さないでください」
「あ、あははッ。うん、まあ、そうだよね。そうなんだけど……あ、そういえば月魅、もうホントに平気なの?」
 お堅い七瀬ちゃんの相手は大変だろうなぁ剣介、なんて俺が思っている間にするっと話は変えられていて、話題は今日のおかしな雰囲気について。
「ええ、今はなんともありません。ただ、瑞麗先生が言っていたことで思い出したのですが……、九龍さん、口寄せ、というのを知っていますか?」
「恐山のイタコさん?霊を降ろすって言うあれでしょ?」
「そうです。現在では彼女たちの使う技こそが口寄せと呼ばれています」
 説明しよう。……つったって、あんまりに有名だよね。恐山のイタコさん。あそこは霊場の一つでそういう力が強い場所だとされてる。イタコさんは女の人ばっかりで、それは古来神様とかおばけさんとか降ろすのは巫女の役目だとされていたからなのです。ちゃんちゃん。
「ほんで。イタコと体調不良と何の関係が」
「……実は近頃、毎晩のように誰かの声を聞くんです。初めは、どこか遠くから聞こえてくる声のような気がしていたのですが、よくよく考えてみるとそれはどうも私自身の口から出ていた声ではないかと……」
「えええッ!?そ、それってまさか……月魅が何かに取り憑かれちゃってるってこと!?」
「うぇぇ。憑かれるなんて、トトじゃあるまいし……」
 つーか、嫌だよそういう話。俺ダメなんだよ拳で殴れない系。エイリアンとかプレデターとかフレディとかブギーマンとかジェイソンとかならタイマンでどうにかなっても、……背後にぼんやり実体ないなんちゃら、は無理。怖いの。勝てないってことが。
「私が取り憑かれているかもしれないとして……一体、それは何の霊なのでしょう。一心不乱に何かを探しているようなのですが」
「ちょ、っちょちょっちょ、と、取り憑かれてるの前提?」
「そこで思ったんです。私がこの何者かの霊に協力することで、この學園の謎にまた一歩近付くことができ……」
「で・き・ま・せ・んッ!!」
 俺大慌て。思わず椅子ひっくり返して立ち上がっちゃうってもん。
 まったく何を言っているのこの子は。俺はね、別にね、幽霊を否定しちゃー、いません。化人がいるんだから幽霊だっているやもしれんでしょう。俺、遺跡でよく変な女の霊みたいなもんに絡まれるしね。
 だから、余計にダメなのです。いたとして、実体がないから、俺、勝てないでしょ?物体として在ってくれれば殺す自信があるけど、そもそも死んでるって反則だよ。
「ダメです、ダメ。それは無茶です。七瀬ちゃん、よぉーく考えてごらん。その辺の変質者相手にすんじゃないんだよ?分かってる!?」
「九龍さん、で、でも、私は……」
「駄目だよッ!そんなの危ないよ月魅!霊なんかに取り憑かれて、月魅がどうなっちゃうか分かんないし……」
「でも、古人曰く―――『為せば成る、為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり』、《秘宝》を求める以上、時にはあえて危険に飛び込むことも必要なのではないですか?」
「ならないなりますなればなれなってなるときなりなされ!!とにかく駄目なもんはダメです!あんまり無茶言うと俺ぶっ飛ばしちゃいますよッ!」
 ぜえはあ、肩で息をしながら怒鳴る俺に弱冠八千穂ちゃんは引き気味、クラスの連中はビビリ気味。でも、こればっかりは譲れません。
「ですが、あなたはそうして今まで進んできたのではないのですか!?この學園にやってきた時から今までそうして……」
「この學園云々の前からじゃッ!俺の場合経験値と年季と技量と強さが違うの!その辺の女の子とは桁が違うのッ!」
 どんだけ自信過剰な野郎だと自分でも思うぜ?でも、こんくらい言わないとこの子、やっちゃうんだもんよ。
「しかも幽霊相手て、無茶もいいとこだろぉ……素人さんが化人に喧嘩売るようなモンだぜ」
 試合上がりのボクサーのように椅子にぐったりもたれ掛かって溜め息をつくと、七瀬ちゃんはまた眼鏡をずり上げる。しばらくの沈黙の後、
「……それじゃあ、私はそろそろ図書室に行きます。毎晩、無意識に本を散らかしているらしくて、片付けるのが大変なんです。中には傷付いている本も……早く修復してあげなくては……」
「ホントに、あんまり無理しちゃダメだよ、月魅」
「ええ、私は大丈夫です……それじゃあ、また」
 七瀬ちゃんの後ろ姿に、俺は一抹、どころじゃなくて大津波のように不安が押し寄せるのを感じる。絶対、何かやらかすよあの子。そういう子だもんよ。
「……何かあってからじゃ遅いってのに」
「九チャン……心配なのは分かるけど、ちょっときつく言い過ぎたんじゃない?」
「だって俺、……そういうのから守ってあげる自信、ゼロだぜ?でもって七瀬ちゃん自身にそういう耐性があるかって言われたら、なさそうじゃん?次はぶっ倒れてルイ先生のお世話に、なんてことにもなるかもしれないのに」
 それで済めばいいけど、済まない場合……生きたまま、意識を消されて墓に放り込まれることだってあり得る。
「まあ、そっか。ん~、でもホントに大丈夫かなァ。後でまた様子見に行こうっと」
「そうしてくださいナ」
 自分の席にガタガタ椅子を戻しながら、俺は何発目か知れない溜め息をつきながら八千穂ちゃんに言う。……ホント、あの子は心配だ。何をやらかすか俺の予想のナナメ45度をいってしまうのでね。
「さ~って、チャイムが鳴るまでにはまだ結構、時間があるね。皆守クンはどうせまだマミーズで呑気にカレーでも食べてるんだろうなァ」
「あ、ちくしょ。俺食いっぱぐれなのに」
「九チャンは?この後どうする?」
「時間あるならメシ食ってくらぁ」
「おッ、さっすがはカレー同盟」
「まかせてカレー同盟。次の時間までにはあいつも引っ張って戻ってくるから」
「うん、それじゃ相棒によろしくッ。……駆け落ちは厳禁だよ?」
「八千穂ちゃんッ!!」
「なんてねッ!」
 今の会話だけで血管に何かよくないものが詰まった気がする……。まったく、いい加減みんなその話題から離れてッ!俺、単体で逃げることはあってもヤツを巻き込んだりしませんー。
 あーあー、人の噂は七十五日っていうけど。俺、そんなにこのガッコいるつもりないのよ?