風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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10th.Discovery 七瀬ふたたび - 2 -

 鼻歌を唱いながら階段を駆け上がり、踊り場に立ったその時。落ち着きのない俺の動きを諫めるように、辺りに鈴の音が響き渡る。
 それは予兆。遺跡を見守り、導く者の。
『開けないで……』
 だから、その時俺が聞いた声は空耳なんかではなくて、突然目の前が光り出したのを、さも当然のように受け入れていた。
『《王》の意識が溢れていく……』
「小夜ちゃん、真夕ちゃん」
 現れた二人は俺の呼びかけに少しだけ微笑みを見せ、けれどすぐにいつもの憂い顔になる。
『気を付けて、葉佩……。次の《墓守》があなたを狙っています。そして、その陰で《王》の僕が暗躍を始めている……』
「王の、僕?」
『《墓守》は本能で《墓》を守る――』
 またも電波だ。凡人の俺には何が何だか分からない。
 そういえば、前に遭遇したときにも言っていた。逆ピラと、《王》を眠らせている遺跡。最初、俺は王が会長のことなのかと思ってたんだけど、たぶん、違う。会長も眠らせておく側の人間だ。ってことは、僕ってのは、墓守じゃないってことになっちゃう。墓を守るということは、王を守ると言うこととはまた別の意味なのか?
『それは遥か昔より繰り返されてきた、呪われし因果……。どうか、彼らを傷付けないで。あなたのためにも、《墓守》のためにも……』
 彼ら、っていうのを《生徒会》だとしたら傷付けないなんてのは無理な話だ。だって、戦うんだから。傷付けない、なんてできるわけがない。
 ……でも、戦って傷付いて、それが全部悪いことだとも、思っていない。少なくとも、今の俺は。
「小夜ちゃん、真夕ちゃん、それはきっと、俺には無理」
『………』
「でも、傷付いたりしなきゃ分かんないことだってきっとあるよ。自分が痛い思いしないと、他人に与える痛みに鈍感になる。知ってる?人間は、拳と拳で殴り合うとさ、友達になれるんだぜー?」
『殴り合って……ですか?』
「そ。そうやって、俺はここまで色んなヤツと対峙してきた。そんで今はオトモダチやってるんだから。古人曰く、昨日の敵は今日の友なのですよ」
 ふざけるように言って、シュッシュとファイティングポーズを取ってみれば、小夜ちゃんと真夕ちゃんは驚いたような顔をしてから、口元に手を当ててくすくす笑った。
『あなたは優しい人。まるで、在りし日のあの方のよう……』
「あの方?」
 いちいち指している人のことが分からなくて混乱する俺。現国は苦手な子です。
『あなたの強さならば、きっとそれが叶うとわたしたちは信じています。もうこれ以上、誰も傷付かないで……』
『嘆きと絶望の声は、《王》を目覚めへと導いてしまう……』
『《王》と《秘宝》は因縁深きもの――』
 王。
 こいつが分からないことには、きっと話の筋すら見えてこないんだ。正体のヒントだけでもほしいなー、って思ってたら。
『どうか、《王》を静かに眠らせて上げて……心優しき人の子よ、どうかこの地に平穏を――』
「え、あ、ちょ、ちょっとー、待った!!」
 俺の制止の声なぞ聞いちゃいねぇ。謎を振り逃げしてまたも二人は消えてしまった。ホント、何だってんだろうね?
 王、か……。待てよ?さっき、神武東征の話をしたばかりだ。ここの墓は日本神話に準えられている。ってことは、王ってのもその中に出てくる、いや、まだ語られていない神武東征以後のどっかで登場する誰かのことかもしれない。
 ……それが誰か、思い当たらない辺り、まだお勉強不足ですね。
 やっぱりここは図書室に戻るべきか、考えているところにまた、声を掛けられた。
「キミ―――今、誰と話していたんだい?」
 ぞっと、背筋が総毛立った。
 声をかけられたことにでも、その声に含まれていた嫌な感じにでもない。声の主が背後に迫っていたことに、気付かなかったことに対してだ。
 どうやって振り返るべきか、一瞬考え、半瞬で銃を持っていることをしっかりと再認識し、俺は四半瞬で殺気を出さないよう自分を抑える。
「葉佩……やはりキミは、他の奴らとはどこか違うね。初めて見たときからキミには興味があったんだ」
「……へーぇ、でも俺、男に興味示されてもまったく嬉しくないわーぁ」
 作り笑いを貼り付けて、さも無害なようなフリをして、俺は喪部を振り返る。その瞬間、銃を突きつけられていてもそれが当たり前だと構えていられるような戦闘態勢を身体に強いたまま。
 こいつは、嫌いだ。無視すらできない。
 生理的なところからくる同族嫌悪。自分のまずい部分だけ突き付けられたら人は誰だって不快になる。喪部は、ほぼマイナスで構成されてる俺という存在の、さらにマイナス振り切ってるところだけをまるで見せつけるように誇示する存在だ。
 きっと、こいつ、人殺してるんだろうなー、なんて。
「この學園には間抜けな羊と愚かな羊飼いしかいないのかと思ったけど、……キミとなら仲良くなれそうな気がするよ」
「そ?たぶん盛大に勘違いだと思うけど」
「ふぅん……。キミはボクに興味がないのか」
「いやだから、男に興味持たれる趣味も持つ趣味もないから」
 わざとらしく肩を竦めて、適当にへらっと笑ってみせる。興味がある?あー、そりゃあるよ。得意な得物はなんですか?どちらの戦場に行ってらっさいました?これまでどんだけ殺らかしたことありますか?
 へらりへらり。
 すると喪部は、俺とは真逆の質の、一瞬で底の読めそうな作り笑いを顔に貼り付けた。
「キミからはボクに近い匂いを感じるのさ」
「あ、ほら、寮の洗濯物、同じ洗剤で洗ってるからじゃね?」
 あくまで、何も解らない『間抜けな羊』の皮を被る。でも、ホントは分かってる。俺も喪部も、羊の群を乱す侵入者だ。こんな感じを撒き散らして、普通の人間面できるはずがない。
 喪部の同じ臭い、という言葉をそう解釈していた。だから、次の瞬間言われたセリフは不覚にも想定していなくて、繕う作り笑いも一気に剥がれてしまう。
「そうやって頭の悪いフリをして、隠しているのはどっちの正体だい?」
「……何?」
「今の本業と、昔の生業。もしかして、キミがなぜ上着の下にそんなものを隠し持っているのか、本当の理由は誰も知らないのかい?」
 ああ、そうか、と思い当たる。
 喪部が転校してきた日。あれは確か、《抱香師》の匂いのせいで化けの皮が剥がれていたときだった。そして喪部は、一番最初から俺の何かを知っていた。今の本業、昔の生業、つまり、両方知っているということ。
 ならば、いくら笑って見せても無駄なはずだ。
「頭の悪いのはフリじゃないかもしれないぜ」
「どうかな。『噂』じゃ、頭の切れる男だと聞いているけれど」
「潜入先で男と駆け落ちしたなんて噂が立つのは間抜け以外の何者でもないだろうが」
 戦闘への意識を最高まで高揚させる。指先まで、殺戮の感触を張り巡らせ、喪部と向かい合う。どう動かれても対応できるよう、脚に重心を振り分ける。立ち姿の変化に当然喪部は気付いていて、分かっているとでもいうようにわざとらしく隙を見せる。
 隣を教室移動の生徒たちが歩いていく中、俺と喪部は「にこやかに」睨み合ったまま。朝の空気の温度が、この周りだけ妙に冷えている気がする。
「……同じ匂いってのは否定しない。俺もあんたも、あっち側には行けない」
「へぇ、認めるんだね」
「だからといって全部を一緒にするな。前にも言った。俺は、ただそこに生きるだけの人間の邪魔をする気はない」
 一人だけ真人間ぶるつもりじゃないが、喪部には、どうしても同じだと思えない部分がある。どこ、とはいえない。だが確実に、何か譲れない一点で俺たちは交わらない。
 喪部は立ち姿から隙を消した。視線だけは逃さないまま、思考の端で喪部を始末する方法を組み上げる。きっと相手も同じことを考えているんだということがなんとなく伝わる辺り、やはり俺たちは同じ位置にいる。
 だからといって、同じ存在というわけでは、断じてない。
「……番犬でも気取るつもりか?」
「そんな柄じゃない」
 小走りに脇をかけていく生徒の後ろ姿を見ながら、そうだもうすぐ授業が始まる、と思った。こんなところで、油を売ってる場合ではないのだ。
 売るのは、喧嘩だけにしておいたほうがいい。
「俺が邪魔をするのは、俺の邪魔をした奴だけだ」
 言外の、つまりお前だ、という意味までしっかり伝わったらしい。歩き出し、すれ違いざま、喪部の手が脇腹に触れた。―――上着に隠した『そんなもの』。ざらりと撫で上げられ、背筋に、悪寒。
 構わず俺はすり抜けた。そんなもの、の理由を誰も知らないわけじゃない。だから、構わない。
 そういえば、喪部もあまり授業に出ているのを見ない。雛川教師はこいつも構い倒して出席率を上げる気だろうかと、どうでもいいことを考えた。

*  *  *

「あら?」
 よくよく今日は呼び止められる日デスコト。よっぽど俺を授業に出したがらないようだ。
「こんなところでばったり出会うのも新鮮で悪くはないわね」
 色っぽい声。振り向いた先の赤い髪が眩しくて、俺はちょっと眼を細める。
「オハヨ、姐さん」
「フフッ、急がないともう授業が始まっちゃうわよ?それとも《転校生》さんは決められた授業なんかには興味はないのかしら」
「ありますよ、ありまくりです。廊下ダッシュで教室に戻ろうかってイキオイ」
「あら、葉佩は真面目なのね。呼び止めたりしてごめんなさい。あたしもこれから化学の授業に出るところなのよ」
「姐さん、化学好きなん?」
「割と好きなの。あの特殊な香りの中で過ごすのって」
 分銅好きな八千穂ちゃんといい、香り好きな双樹ちゃんといい、爆破物作成好きな椎名ちゃんといい……学生の本分は学業ですよ?みなさん分かってらっしゃいますかね?
「ところで、……気付いてるかしら」
 ここで世間話はおしまい。姐さんが俺を呼び止めたホントの理由のようだ。
「學園中に嫌な気配が満ちているわ。これは間違いなくあいつの仕業」
「あいつ……、ね」
 ちらりと、真っ黒な長い髪と、狐を思わせる眼差しが浮かぶ。
「まさかここまで大がかりな手に出るとは思わなかったけど……」
 姐さんの記憶操作ってのも充分大がかりだったと思うけど、とは思っても口に出さない賢い俺。そんな彼女が言う大がかりって、どんだけ?
「それだけあなたの存在が《生徒会》にとって危険だということよ」
「……邪魔っ子だからねぇ」
 呟くと、彼女は力無く首を振った。そうじゃないのよ、という意味なのか、その通りよ、という意味なのか俺には分からない。
「葉佩、あなたがあたしの大切なものを取り戻してくれたから、今は以前よりもはっきりと分かるわ。あたしはまだ阿門様のお傍を離れるわけにはいかない……」
「うん、そりゃ、そうだよね」
「……ねぇ?あの方をこの學園に縛り付ける重い鎖があなたには想像できて?」
 そんなもん、分かるはずがない。けれど分からないのは全部じゃない。会長が、そこまでこの學園と遺跡にこだわるその理由は分からないけど、そこまでこだわらなければならない何かが、相当重要だということも分かる。
 きっとその何かが、会長の譲れない一点なんだ。
「例えば、大切な何か一つがあったとする。絶対に誰にも触れさせたくない、冒されたくない唯一で、その何かを護らなければならないっていう気持ちは、分かるよ」
 俺の世界にもかつてあった、たった一つ。失った今だから余計に分かる。
「その唯一が重いとか苦痛とか、そういうものになっちゃうっていう気持ちは分かんないけどね。縛られる、っていうのは……うん、分かる、かも」
「そう………」
「会長はさ、その上立場とか色々あるデショ。簡単にへたってらんないだろうし。その辺キツいだろうね。だからやっぱ、双樹ちゃんは会長と一緒にいた方がいいと思うよ」
 俺なんかダメダメで、寝らんないとか視力がおかしくなったとか一気に色々噴出したってのに。会長はずっと何かに耐え続けてる。……強い、なー。
 墓守を統べる學園の王様と、墓の下に封じられているという遺跡の王様。俺は、その真ん中で引っかき回すという立ち位置だから、会長にはやっぱりちょいとばっかり申し訳ない気もあるのよ、これでも。
「……あなたは、優しい人ね」
「イヤイヤ、優しいとか優しくないとかじゃなくて、ただの感想なんですが」
「それでも、よ」
 姐さんが柔らかく笑って、俺の頭に(まるであやすように!)手を乗せたとき、H.A.N.Tがメール受信。マナーモードにしてなかったせいで派手に音を立てて、ちょっとビビる。
 こんな朝っぱらから、誰からだろ?
「あら―――?フフフッ、可愛いあの子からのメール?」
 少し高い目線から、俺の手元を覗き込んだ姐さんが、送信者を見て言った。可愛いあの子……まぁ、可愛いっちゃー可愛いわな。白岐ちゃん。どっちかっていったら美人系だけど。
「あたしもそろそろ行かなくちゃ。それじゃあね、九龍」
 ぺしぺしと俺の頭のてっぺん叩いて、思いっきりのガキんちょ扱いをしてから、長い脚を見せびらかすかの如く綺麗なウォーキングで廊下の向こうへ行ってしまう。腰の位置、高ぇ。
「……って、見取れてる場合じゃねぇ!!」
 さっき、授業が始まるチャイムは鳴った。先生たちに見つからないよう、俺は足音を消してダッシュで教室に滑り込む。

*  *  *

 授業は始まってたけど先生は来てなかったというラッキーな一限を受けて、今は昼休み。隣の席の八千穂ちゃんが教科書を片付けながら話しかけてくる。
「九チャンッ」
 最近妙なあだ名が付き始めた俺。九官鳥か。
「ん?」
「月魅、大丈夫だった?ホントはあたしもついて行ってあげたかったんだけど、部活の引継のことで急に顧問の先生に呼ばれちゃって」
「あー、七瀬ちゃんなら大丈夫そうだったよ。ある意味大丈夫じゃないけど、大変な病気とかじゃないって。何かあったらすぐルイ先生も診てくれるって言ってたし」
 伝えると、八千穂ちゃんは心底ホッとしたようににっこり。オトモダチ思いなのです。
「ホント、九チャンが行ってくれてよかった。ありがとね!」
「何だいそんな他人行儀な。俺と八千穂ちゃんと七瀬ちゃんの仲でしょーよ。これくらいなんてことなくてよ」
「えへへッ」
「それより八千穂ちゃんや、その九チャンて……」
「あッ、そうだ!!九チャン、見て見て!!さっきね、幽花ちゃんからメールもらっちゃった!!すごいよね~、なんか、友達って感じだよね~うんうん」
 俺の話を華麗ににブッちぎって、八千穂ちゃんは携帯画面に見入る。なんか今、友達ランキングを思い切り垣間見たような気がする……。俺、確実に一位は無ぇ。
 テンションの上がりきった八千穂ちゃんはそれだけで飽きたらず、携帯を振る。その手から、するりと滑った携帯電話が空中で放物線。落ちる、ガチャン!という三秒後未来を回避しようと、俺が受け止めようとするより尚早く、伸びてくる手があった。
「―――おっと」
「あら」
 結果、俺の手ごと救出された携帯電話。
「馬鹿、携帯電話なんて振り回すな。一応精密機器なんだから、もう少し大事に扱え。ほらよ」
 それどころか、手を伸ばすためにちょいとよろめいた俺ごと受け止めて、甲太郎は八千穂ちゃんに携帯電話を渡す。
「ありがと、皆守クン」
「……おう」
 甲太郎も何やら携帯をいじっているらしく、すぐに画面に視線を移してしまう。けれどアロマパイプを挟んだままの手は、なぜか俺の頭の上。髪の毛をわしわしと掻き回す。
 今度は八千穂ちゃんが俺の手を掴んで引き寄せるけど、甲太郎はこっちをチラッと見ただけだった。
「ね、皆守クンてさ、鋭いのか鈍いのか、イマイチ分かんなくない?」
「え゛……、めっさめさ鋭いと思ってる俺はダメですか」
「えー、だっていつもダルダルでしょ?なのにあたしの携帯受け止めてくれた手、いつどうやって動いたのかよく見えなかったよ?」
 めっちゃ見えた、とは言えない俺。確かに物凄く素早かった上、受け取るという事前モーションもなかったから、俺が受け止めようとしたんだけど。
「……ね、九チャン、ここは一発、二人で真相を確かめてみない?」
 八千穂ちゃんはいつもいつも、俺の想像斜め向こうの楽しいことを考えますねぇ。
「真相、って何を、どうやって」
「う~ん……後ろから殴ってみるとか!それで反応するかどうかをさー」
「うわ、俺のストレートは結構危ないぜよ」
「う~ん、じゃあ、後ろから蹴ってみるとか?」
「余計危ないって!言っちゃなんだがまともに当たったら骨折れる」
「それくらい加減してよ~。もー、じゃあ九チャンはどうしたいのッ?」
 どうったって……。
 俺はチラッと甲太郎の背中を見る。実際のところ、殴っても蹴ってもカウンターが飛んでくるんじゃないかってのが本音。どっちの場合も、対一般人仕様の加減だと、確実にかわされる。でも、甲太郎が実はどの程度強いのか把握できてないから、ちゃんとした加減もできないのです。
「……タックル、とかかなぁ」
 加減しなくても怪我しなくて、カウンターも飛びづらい、気がする。
「なるほど……。それって結構ナイスアイディアかも!皆守クンてスキンシップに慣れてなさそうだから、すっごいびっくりするだろうなァ~」
 そう!?結構スキンシップ過多じゃない?さっきもだけど、超ぺたぺた触られるよ!?
 なんて言うのはちょいと恥ずかしくて口ごもると、
「よぉ~し!じゃあ、『せーの!』で一緒に行こうね?」
「え?え?マジで?突撃?えぇ!?」
「せ~のッ―――」
 焦る俺、乗り気の八千穂ちゃん、微動だにしない甲太郎。おろおろしながら、それでも甲太郎の方を向いた、その時。
「行っけェ~、九チャン!!」
「―――ウソぉ!?」
 体勢を取る途中、中途半端なままで俺は八千穂ちゃんに押されて甲太郎の方に突っ込む。
 ヤバ、思い切り突き飛ばしてまう!!……なんて、ぶつかる直前までは思ってた。
「あァ?」
 けれど、やる気のない声が響き、目の前から背中が消える。―――見事に、避けられた。
 俺でさえ予想しなかった突撃だったのに、ものの見事に、あっさり。まさかここまで見事にかわされるとは思ってなくて、俺はそのまま目の前の机に突っ込む。
 アゴからはまずいとどうにか受け身だけは取ったけど……背中と脇、マジ打ち。骨に衝撃、後から痺れてくる。
「……何やってんだ、お前は」
「あ、あはは、ゴメンねぇ、九チャン、……大丈夫?」
 八千穂ちゃんが手を伸ばしてくれるけど、俺はそれよりも甲太郎の反応速度に驚いていた。ビックリして、目の前の甲太郎を凝視してしまうほど。甲太郎は背中をこちらに向けていて、仮に見えていたとしてもこうも見事に避けられはしないようなタイミングだったのに。
「九チャン、ど、どこか打った?ダイジョブ!?」
「あ、う、ん、大丈夫。平気。ちょっと、ビックリした、だけ」
「まったく……、何が大丈夫?だよ」
「だって、九チャンの方が破壊力ありそうな気がしたんだもん」
 俺の驚きを無視して、甲太郎は俺を引き起こす。背中に付いた埃を払って、眼の中を覗き込んでくる。
「お前なぁ……、九ちゃんも九ちゃんだ。簡単に乗せられやがって」
「あ、ははは、ゴメーン」
「……そういや、あの時はあまりに予想外で、完全に不意を付かれたけどな」
 言われて、思い当たる。マミーズで、だ。確かに一度、俺は甲太郎に飛びついたことがある。その時は成功したんだったか。こんなに和やかじゃなくて、対爆弾で、そう、確か甲太郎を庇おうとして怒られた。
「あの時って?」
「何でもない。単にこいつが阿呆だって話だ。なあ、九ちゃん?」
 俺は、答えずに膨れて見せた。避けられた驚きと、それから、ほんのちょっと、そんなに俺に飛びかかられるのが嫌だったのかよ、という不満を込めて。
「いいよー、別にー。よーぉく、分かったもんよ。甲太郎は俺の抱擁なんて受けたくないのねー」
「はははッ。まあ、そんな顔すんなって」
「うーん、それにしても何で分かったの?何か結局、謎が深まっただけって感じだなぁ」
 腕を組んで考え込みモードの八千穂ちゃんに向かって、今度は甲太郎の盛大なる溜め息が飛ぶ。心底呆れた、って感じの。
「謎もクソもあるか。あんだけ人の後ろでごちゃごちゃやってれば普通、嫌でも気付くだろ」
「あはは、なんだ、バレてたんだ」
 ……バレてたにしても、あの反応速度は普通じゃないと思うけどね。普通じゃない自覚のある俺が言うんだから間違いないと思うんだけど。あ、自信過剰?一応体育はブッちぎってSSなんですけど。
 いろんな意味で負けた気がして、膨れたままフン!と八千穂ちゃんに向き直る。もう髪なんか触らせてたまるか!
「で?八千穂ちゃん、白岐ちゃんからのメール、何だったんだって?」
「―――って、そうだ!幽花ちゃんからメールが来たんだってば。ねッ、九チャンにも来たでしょ?」
「ん。温室に花が咲いたのー、ってヤツ?」
 さっき姐さんに声を掛けられたときに来たメールがそれだ。ちなみに当の白岐ちゃんは授業をおサボりあそばしましたようで。
「あたし、昼休みは月魅の話し聞く約束しちゃってたから、放課後行くからねって返事したんだ。九チャンは?」
「行くとは言ったけどいつとは返事しなかったな、そういや。ほら、俺、温室の鍵持ってっからさ。いつでもいいかなーとか思って」
「用事ないなら、お昼終わってからでも行っておいでよ。幽花ちゃんが一生懸命育てた花、きっとキレイだろうなぁー。しかもそれをわざわざ見せてくれるなんて、すっごく嬉しい!」
 本日も八千穂ちゃんの周りには盛大に虹色オーラが炸裂しております。ま、眩しいぜよ。キラキラしすぎて直視できません。朝、喪部の腐ったようなオーラを食らったせいかな、余計に。
 いいなあ。そう口に出したわけでもないのに、ちら、と甲太郎がこっちを見た。
「そう、だな。あいつが誰かと一緒に温室にいるのなんて、今まで見たことないからな」
「へぇ、ってことは甲太郎、温室よく行くん?」
「……以前は、な。まァ昔の話だ。それより、昼飯にしようぜ」
 ……。うん。まあ。いいけど、ね。
 甲太郎に『昔』があるのは当たり前で、俺たちが知り合ったのはごく最近なんだから俺がその昔を知らないのは当然のはず。全然、普通のことのはずなんだけど、……何だろうね。俺、実は何にも知らないんだよね、甲太郎のことも、學園の過去のことも。
 それを口に出そうとしたとき、唐突に甲太郎が話題を変える。
「なあ九ちゃん、前から思ってたんだが、お前が帰宅部なのって、やっぱり例の夜遊びに集中するためなのか?」
「失礼な!俺、部活いっぱいやってんじゃん!男バスに剣道に石研にボクシング部!GUN部じゃ司令官とか言われちゃってるんですけど」
「……籍は置いてないだろーが」
「まあ、そうなんだけど。……まー、きっちり部活入っちゃったりしたら更に睡眠時間削らなきゃだし」
「ま、確かに一般の部にいたら付かれて夜遊びどころじゃなくなるだろうしな。……つーか、これ以上睡眠時間削ったら普通に死ぬだろお前。帰宅部なら帰宅部らしく、誰よりも早く教室を出て買い食い、寄り道、そんで昼寝。それが正しい帰宅部の姿ってもんだ」
 それが正しいなら、甲太郎は清く正しく真っ当に帰宅部だねぇ。最近は道を外れはじめてんだろうけど。俺のせいね、分かってますとも。
「う~ん、九チャンて、本当に《宝探し屋》一筋って感じだもんね」
「え、そう見える?」
 あ、それちょっと嬉しいな。少なくとも、そこに辿り着くまでのあれやこれやはさておいても、ハンターとしての振る舞いが身についてきたってコトでしょ?あれ?違うかな。
「ね、前から一度聞いてみたかったんだけどさ」
「おう」
「九チャンにとっての《宝》って、……何?」
 思わず、俺は言葉に詰まる。だって、そんな、ねぇ?
 俺がやるのは、誰かにとっての宝を見つけることで、それは協会だったり依頼人だったりするけど、俺の、って言われると……。
 昔は即答してたんだろうけど。でも今は?分からなくなって、答えられなくて、思わず八千穂ちゃんに見えないように上着を握る。引っ掛かっているのはベレッタM92FS。相棒、けれど、宝って聞かれるときっと首を傾げる。
 そうして口籠もっている俺の、銃を握った手に温度が重なった。そっちを見たりなんかしなくても、誰の手かなんてすぐに分かる。途端に、強張っていた何かがほどけていく。喪部に触れられてからこっち、強ばっていた精神の部分まで。
 宝、なんて呼んでいいのか分からない。ただ、俺っていう存在の、何よりも大切なものを《宝》っていうなら、きっと、これだ。
「……人、かなー。物とかじゃなくて、たぶん」
 いや、さすがにくさいかと誤魔化そうとするけど、目の前では八千穂ちゃんがご機嫌に笑ってる。
「えへへッ、九チャン、いいこと言うね!確かに、人との出会いとか、その関わりの中から得たものって、何にも代え難い《宝》だもんね!」
 この瞬間、俺のココロがゴフッと血を吹いたのはナイショ。くさいくさくないの問題じゃなかったですな。八千穂ちゃんならもう何でもあり。言うだけ言って、俺、感動するから。
「あたしも九チャンにとって、《宝》の一つだったりするのかな~、……なんてね!」
「いやもうするする全然する!!八千穂ちゃん好き好き愛してるッ!!」
 てへへ、というえらく可愛らしい笑い方をする八千穂ちゃんの手を握った、直後。ドゴッ、というとても嫌な音が背後から。見つめ合った俺と八千穂ちゃんは、笑顔のまま一瞬で顔面から血を引かせて、ぎしぎしと首だけで音の方を見る。
 甲太郎は、普段と何ら変わらぬ顔のまま携帯電話に視線を向けている。俺と八千穂ちゃんの視線に気付いて、何だよと言いたげに視線を返すのも普段と同じ。
 ただし、甲太郎の脚が隠れている机の底の部分(おそらく鉄製)が、見事に凹んでいる。一体、何に対して怒っていらっしゃるのか、分からないので、とりあえず、俺と八千穂ちゃんは慎ましく繋いだ手を離したのでした。