風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |

クリスマス記念SS ワラキア -黒と赤- - 8 -

 死んだはずだった。
 心臓が破れる生々しい感覚も確かにあった。血が流れすぎて指先が凍えるように冷たくなっていくのも感じた。だから、間違いなく死んだはずだった。
 それなのに死んだはずの俺は、自分の身体とは別の『誰か』の中にあった。意識の中身を色で言うなら、赤。濁ったような赤の中に閉じこめられ、俺の意識はほとんど機能していなかった。
 これが『死』か、とぼんやりと考えながら真っ赤な中を漂い続ける。
 ふと、赤い空間に、最期に見た甲太郎の顔を思い浮かべる。随分と、微妙な顔をしていた気がする。焦って怒って、それでいて泣きそうだった。
 あんな顔、させるつもりはなかった。
 できるなら共に生きていきたかったけれど、それが無理なら諦めるしかない。幸いなのかどうなのかは知らないが、俺は諦めることだけは得意だ。
 だが……甲太郎はどうだったか。あいつも、妙なところで諦めるのが特技だったはず。その方向性は、随分と俺と酷似していた気がする。
 自分を諦めるのは得意なのに……相手だけは、どうしても諦められない。俺は甲太郎が諦められなかったから、自分を殺した。甲太郎は、俺がさっさと自分を諦めてしまったから、もう俺を諦めないって選択はできない。
 そうなったら、あいつ、どうすんだろ……。まさか、後を追ってきたりしないよな?
 少しだけ不安になり、ならば俺がもし甲太郎を先に諦めなきゃいけない事態になったらどうするだろうと考えて、怖気に襲われた。ああ、間違いなく生きてはいかない。俺はそれができるほど前向きな、人間らしい人間じゃない。
 なら、甲太郎ももしかしたらさっさとここに来てしまうかもしれない。
 それじゃあ、俺が甲太郎を選んだ意味がない。生きて、どこかで幸せになってくれればいいけど、死んでしまえばそれは無意味だ。
 唐突に、戻らなければと思った。戻って、甲太郎に死ぬんじゃねぇぞと言い残してこなければ。そうでなければ死にきれない。
 甲太郎。ダメだ。諦めるな、どうにか生きて。
 願った、その時、意識が強烈に揺さぶられた。まるでアサルトベストの上からフルオート射撃を喰らったときのような内臓が暴れる感覚。
 同時に、真っ赤だった意識のどこかが破れた。俺は一部を真っ赤な何かに残したまま、……自分の意識を、僅かに取り戻した。
 目を開ければそこは、真っ暗闇。目が慣れると同時に音も帰ってくる。ここは、潜った遺跡の中だ。俺が死んだ場所。そして、耳に入ってくるのは耳鳴りと、……間違いなく戦いの音。H.A.N.Tらしき音声も、しきりに戦闘区画展開中と伝えてくる。
 凍える指先を動かし、探った床の先で硬い何かに触れた。引き寄せ、輪郭をなぞる。
 間違いない。ベレッタだ。俺の愛銃、ロゼッタカスタム。それに砲介九式。触れるだけで、酷く安心した。
 がちがちに固まった身体は思うように動いてくれなかったが、それでもどうにか上体を起こすことはできた。自分の服を見ればべったりと血が付いている。その代わりに、左胸から肩に掛けて大きく広がっていたはずの痣が、目に見えて分かるほど薄くなっていた。ずっと訴えていた熱も引いている。
(……どういうことだよ、これ)
 耳鳴りが治まり、けれど相変わらず酷い頭痛が続く頭を押さえ、顔を上げた俺が見たのは、死ぬより酷い光景。
 甲太郎と思しき人影が、髪の長い男に殺され掛けている。アサルトライフルを楯にどうにか凌いでいるようだが、体勢は悪い。押されているのが分かる。
 一瞬で、足りない血が沸騰した。甲太郎を殺そうとするなんざ、いい度胸だ。ミンチにしてもまだ足りない。俺にとって、一番許せない行為だ。
 歯を食いしばり、立ち上がろうとして、酷い眩暈に膝を折る。くらりと視界が暗転する中、真っ赤な空間と、なぜか自分が甲太郎を見下ろしている視覚が交互に見える。どういうことだか分からない。けれど、膝をついたときにはもう元に戻っていた。
 くらくらする頭が貧血を訴え、再度倒れ込みそうになるが必死に堪えた。前を向けば、今にも甲太郎が殺されそうになっているから。
 動かない身体を持て余し、けれど微かに出た声だけでサーベルを持つ男に制止を掛ける。掠れた低い声。まるで俺のものではないようだ。
 だが、声が出たことで身体の変な緊張が解けた。足裏に力を込めて立ち上がり、銃を構える。狙いを、今まさにサーベルを振り下ろそうとしている男に合わせ、ショット。
 弾は男の肩から先を吹き飛ばした。
「……そいつに、…触るな……」
 今度は掠れはしなかったが、それでも低く響く声に変わりはない。
 甲太郎は、一瞬だけ俺を振り返った。信じられない、という顔をしている。まるで奇跡でも見るような顔だ。俺は奇跡なんかじゃないのに。
 だがすぐに、男に向き直り一蹴り。男の身体が傾いだ隙に、距離を空けた。
 俺は……早くあの男をぶち殺さなければいけないのに、身体のふらつきに耐えかねていた。瞬く視界の中で、何度も赤と自分を行き来する。もしかしたら、さっきまで俺が在ったのはあの男の中だったのかもしれない。そしてまだ、一部を置いたまま。
 それでも頭を振って、戦闘態勢を全開まで持っていく。死後硬直とでも言うのだろうか、関節が変に固まっているせいで指先まで神経が行き渡らないような感覚があるが、戦場ではそんなこと言っていられない。
 手に持ったベレッタと、砲介九式を抜き、構え。ふらふらの連射をしながら、甲太郎から離れた男に一気に切迫する。男は、俺がさっき夢で見た男だった。つまりは俺の中にいた男。血を求めていた、ワラキア公の血を受ける者。
 こいつが普通じゃないことは、吹き飛ばしたはずの腕が戻っていることで理解した。ならばとりあえず、跡形もなく吹き飛ばしてみて様子を見る。
 脳天に一撃、喉に一撃、胸に数発銃弾を叩き込み、それでも動こうとする前に上段蹴り、首を折る確かな手応えを感じる間もなく降ろした足を軸に回し蹴り。男は数メートル吹き飛んで、動かなくなった。
 ……これしか動いていないにもかかわらず、俺もヘバってしまったのだが。
「九龍ッ」
 膝に手を付いてヘタる俺の元に、甲太郎がやってくる。顔を上げてそれを見るだけでまた、脱力しそうになった。
「油断するな、あいつはあれじゃ……ッ」
 駆け寄ってきて何か言おうとした甲太郎の指先を捕まえ、引き寄せる。何も言わずに首に腕を回し、体温を確かめるように抱き締めた。体温が高い。触れている部分から、温度が流れ込んでくるようだ。
 甲太郎は鼓動を速くし必死で何か言おうとしていたが、じきに「あーッ!チクショウ」と呻いて抱き締め返してきた。長く吐かれた溜め息は、酷く熱を帯びている。
「お前、滅茶苦茶冷たいぞ」
「……一応、死んでたから」
 そうしていたのはほんの数秒。これで、充電完了。すぐに身体を離すと、甲太郎は言おうとしていた言葉をようやく続けた。
「小躍りして喜びたいとこだが、それは後だ。今はあいつを片付ける方が先決だ」
「そうか、残念。甲太郎の小躍りを見てみたかった気もするんだが」
「終わったら飽きるほど見せてやる、……くるぞッ」
 音もなく突撃してきた男の一振りが、俺と甲太郎のちょうど中間を薙いでいった。飛び退さった後で男が狙いを定めたのはやはり俺だった。
 振り下ろされたサーベルを、二挺拳銃を交差させることで受け止め、腹に蹴りを入れる。更に距離を空けようとバックステップを踏むが、やはり普段通りとはいかない。加えて襲ってきた酷い眩暈に距離感を掴み損ねて、シャツと薄皮が削がれていく。アサルトベストはなぜか脱がされていたため、身体は軽いが防御は薄い。それを考えて攻撃しないと危ない。
 どうにかかわしつづけていたものの、正面からあの真っ赤な眼で見据えられた途端、足下が硬直する。感覚が、というより身体を動かそうとする意志が誰かに堰き止められているかのようだ。男と向かい合ったまま、俺はその場から動けなくなってしまった。
『抜け出たか。……支配から離れた貴様は、消えているべきものだ』
 仕方がない、と男は呟いて俺の後頭部を押さえつけてきた。意識が、ぶれる。男が何をするのか分かっていても、指一本、動かない。首筋に触れた唇の感触に鳥肌を立てた、その向こうに。
 甲太郎が見えた。次いで爆音、呻く男、途端に動くようになった身体はさっきよりも軽く動き、膝は男の顎を抉っていた。
 けど、なぜか……甲太郎の持つアサルトライフル、それに装着されたグレネードランチャーはこちらには向けられていなかった。グレネードのような破壊力の高い火器を、火線上に俺がいる状態で向けるはずがないのは当然としても方向はまったくの逆。
 そして男を見下ろせば、得体の知れない赤い霧状の何かを身体から発散させていた。―――驚いたことに、その赤が、すべて俺に入ってくる。何が起こっているのか、今までの経験を引っ張り出しても該当無し。辛うじて引っ掛かるのは……天香で見た、黒い砂。
「九龍、そいつはおそらく実体じゃないッ」
 離れたところから怒鳴った甲太郎は、すでに二発目の射出準備に入っている。その先にあるのは……絵?
「そいつから離れろ、絵を吹っ飛ばすッ!!」
 言われた通り、退避行動に入った俺は、けれど足下に掛かった負荷のせいで踏鞴を踏んでつんのめる。脚に絡み付いていた男は、凄まじい怪力で俺を引き倒してきた。ヒトの力とは到底思えない。
「九龍!?」
「いい、から……やれッ!」
 二発目が炸裂し、男の拘束が僅かに緩む。だが、甲太郎の持つアサルトライフルも限界らしい。トラブルが起きたのだろう、取り落とすのが見えた。
 舌打ちをしてから、振り返り確認した男は凄まじい形相だった。皮膚は破れ、顔面半分の肉は爛れ落ちている。ずるずると、身体を引きずるように脚から這い上がってくるそれの姿はまるで映画で見たゾンビのようだ。身体からはひっきりなしに赤い粉末が零れだし、俺の中に入ってきた。
 その間も、俺は男を見下ろしながら真っ赤な空間にいながらなぜか俺自身を見下ろしながら、何度も視界が転換し続ける感覚に酔った。だが、与えられた痛みに、自分の中に意識が帰ってくる。
『貴、様らッ……』
「つ、……ぅ」
 肉の刮げた指が、強い力で剥き出しの腹の辺りを掻き切る。鋭い痛みと、肉の剥げる嫌な感触に思わず呻いてしまった。
「俺、は、あんたが勝手に生き続けてるだけなら、何も手出しはしなかった」
『だが貴様らはこうして墓を荒らす。私の命の円環を断ち切ろうとする』
「そりゃあ、な。てめぇが悪い。狙う獲物を間違えた」
『いいや、違うはずはない。貴様が奥に飼う闇は、私が持つ物と同等だ。その臭いを間違うはずが……』
「間違いなんだよ。そいつがそもそもの、な。……甲太郎ッ!!」
 腰のポウチに入っていた手榴弾のピンを解除して甲太郎の方に放り投げた。一瞬で俺の意図を汲み取った甲太郎は、まだ空中にあるそれを上段蹴りで飾ってあった絵まで蹴り飛ばした。
 俺はそのまま男にのし掛かられ、首に荒い呼吸を感じた。爆破と、もう一度、取り込まれるのとどちらが先か、咄嗟に手に持っていたベレッタで、男のこめかみを撃ち抜いた。
 爆破音が響いたのは、その直後。男は俺の目の前で、まるで発破されたかのように吹き飛んだ。瞬間、俺は耳元で凄まじい怨嗟を聞いた。それから自分が吹っ飛ぶような感覚と真っ赤な視覚が弾ける感覚に交互に襲われ……やがて、自分に戻ってきた。
「……あんたが持ってたもんより、よっぽど暗くて深いっつーの」
 俺が、甲太郎に対して、そして甲太郎を傷付けようとするものに対して抱くそれは。永遠に生きようとする欲望なんかより、手の付けられないものだ。
「九龍、無事か?」
「ああ、なんとか……あの時のシュート練習、役に立ったろ?」
「不毛だとばっかり思ってたがな。意外なところで役に立つもんだ。……立てるか?」
「……足下、ふらつくけど」
「貧血かもな。ほら、肩貸せ」
 甲太郎に支えられて立ち上がり、火薬の臭いを立ち上らせる壁に近付いた。
 絵、が在った場所は火薬だけではない異様な臭いの中にあった。
「血……だよな」
「見ろよ」
 漂う血臭の原因は、絵の下にできた血溜まりのせいだ。絵の断片からは、……有り得ないことだが、血が滴っている。
「この絵が本体だったってことか?」
「少なくとも、あれは甦ってきてないぜ」
「……甲太郎、奥」
 顎でしゃくった先、壊れた壁のその向こう。ぽっかりと空いた空間に上層で見たのとよく似た棺が置かれていた。
 壊れた壁を乗り越える体力すら残ってない俺を床に降ろし、甲太郎は壁一枚向こうへ。蓋を開け、中を覗き込んでからこちらを振り返った。
「たぶん屍体だ。皮膚や髪の一部は完全に残ってる。ミイラ、ってヤツだろうな」
「何か、紋章とかないか?」
「あるぜ。この遺跡のあちこちに刻まれてたヤツと同じ紋章がペンダントに彫られてる」
 他にも何かある、と棺に身体を突っ込んで、甲太郎が取り出したのは一冊の本だった。ぺらぺらとページを捲り、すぐに何が書いてあるのか分からなかったのか肩を竦めて見せた。
「俺には解読不能だが、どうも怪しい臭いがする」
「もしかしたらそいつが没頭してた黒魔術やら悪魔儀式やらの本かもしれない」
「ビンゴ、ってワケか」
「だろうな、おそらくは……つッ…」
 唐突に、左胸に熱が籠もる。肩が、胸が、痛むような熱を伝えてきた。……まさか、
「甲太郎ッ!」
「な、……にッ!?」
 突然棺の中から何かが躍り上がった。離れた位置にいる俺でも、それが人影だと分かる。生きているかどうかは別としても。
 ミイラであろうそれは棺を覗き込んでいた甲太郎に襲いかかり……けれど、取り付いたところでベレッタの引き金を引いた。ミイラの首から上が綺麗に吹き飛ぶ。甲太郎が離れたところで、数発叩き込み、ようやくミイラは沈黙した。
「……なんつー、執念深さっつーかなんつーか……って、おい、九龍!?」
 甲太郎の声が、遠くの方で聞こえた。あんなに、近くにいるのに。胸が熱い。燃えているようだ。立っていることもできず蹲り、胸元を確認した。薄くなっていたはずの痣が、真っ赤に染まっている。まるで血の色。……血?いや、そうじゃない。触れても濡れた感触はない。でも、血が臭う、吐き気がするほど、噎せ返るほど。
「九龍、九龍、おい、どうした!?」
「……こう、たろ…」
 息が吸えない。吐けない。肺が痛む。左側だ。穴が空いた感じはしないのに。酷く痛む。熱いのに、身体の末端からどんどん冷えてくる。
 もしかしたら、また、死ぬのかもしれない。じゃあ、言わなきゃいけない一言があるんじゃなかったか?甲太郎が、後を追ってこないように。
 抱きかかえられて、すぐそこに甲太郎がいる今、言っておかなければ。
「な……俺たち、さ、…毎年、こんなん、じゃね?」
「余計なこと喋ってんじゃねぇ、いいか、息するんだ。吸えるか?」
「……なあ、…な、こうたろ……」
 俺が死んでも、幸せになれよ、とか言おうとして……言葉が出なくなる。苦しさとは、別なところで。
 甲太郎があんまりにも必死な顔して俺を呼ぶから。言葉が出なくなる。俺以外の誰かにこんな顔を見せるなんて、絶対にさせたくなくて。こんなの、俺に向けてだけでいいって思った。
 だから、言いかけた言葉を飲み込んで、覗き込んでくる甲太郎の頬に触れる。
「今も、……こんなん、だったけど……さ」
「ああ、」
「……つぎも…こうかも、しれないけど、」
「ああ」
「そんでも……」
「……ああ」
「一緒に、……いてくれる?」
 甲太郎が眼を見開く。そんなに驚かなくてもいいだろ、とも思う。けれどすぐに、手を握りかえして「あったりまえだろうが」と吐き捨てるように言った。その声が震えていて、ああ、俺って愛されてると場違いに思った。
 あったりまえだろうが、に安心した俺は、少しばかり気を抜いた。身体があんまりに冷えてきて、一気に眠気がやってきたのだ。もう少し弩アップで甲太郎を見ていたかったけれど……身体はとうに限界を超えていた。
 降りるまぶたに耐えきれず……仕方なく、俺は意識を暗闇に落とした。