風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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クリスマス記念SS ワラキア -黒と赤- - 3 -

 遺跡で意識を失ってから。
 ずっと、誰かの声が耳元にあった。得体の知れない気配も。背筋を滑る、嫌な怖気も。
 ゆっくりと意識が自分の元に戻ってきて、ようやく感覚というものを取り戻したとき、真っ先に首筋の違和感に気が付いた。熱い。物凄く。
 誰も、いないはず。なのに気配だけがあるという不可思議な感覚が首筋にあった。あえて言うなら……舐められている。首筋というよりは傷を、傷というよりは流れる血を。おかしなことに、舌が首に当たる感触だけはあるものの、それが物理的に与えられてる感覚なのかと言われればそれが分からない。
 まとまらない思考。それを邪魔するように、まるで呪詛のように声が割り込んでくる。
『血によって、操り、血によって、結ばれる』
 背筋が痛い。冷たい何かで傷を嬲られる。痛みは少ない。ただ、熱い。
 さらに、気配が身体中に広がってきた。首筋から肩、胸、両腕、腹、脚、爪先。
 他人の気配を感じれば反応できるように仕込まれている身体が、なぜかまったく動かない。指先ひとつ、自分の意志が伝わらない。
 そのうち、強く、首筋を咬まれる感触があった。何かが、おそらくは牙のようなものが、首の柔らかい部分に食い込む。痛み、はない。これは痛みではない。過ぎた熱があるだけ。
 声は、次第に脳に直接響いてくるようだった。
 まるで、愉しむように流れ込んでくる。
『これは、よい器になる』
(器……?なんの、ことだ……)
『濁らぬ血、淀まぬ眼、清き肌―――そして昏き想いの深淵』
 ぞくりと肌が総毛立つ。何かが身体中を這っている気がする。
(何だ……これは…)
 相変わらず首筋は熱い。そして、心臓までが強く鼓動する。
 状況が読めない。けれど、よくないことだけは分かる。  必死に甲太郎の名を繰り返した。頭の中で、何度も何度も。血の臭いだけが漂う中で、ラベンダーの匂いを思い出そうとした。
 甲太郎、甲太郎、甲太郎―――。
 
 その時だった。
 地面が爆ぜるような震動が全身を襲った。途端、身体中を覆っていた気配が消える。ゆっくりと、頭の中にラベンダーの匂いが戻ってくる。
 甲太郎。
 いっそう強く呼んだ脳内に、別の何かを刻み込むように。
『双の心臓、双の魂。―――我は、永遠なり』
 
 声が、響いた。

*  *  *

 夜這いというものをかけられたことはあるけどかけたことはない。そんな俺の記念すべき初夜這いだったのに何にも覚えてないなんて!なんて、冗談めかして言ったら甲太郎に怒られた。お前は自分の状況が分かってるのかとのことですが……正直、把握し切れてないのが本当。
 病院でのことも、それから図書館でのことも。俺にはほとんど記憶がない。ただぼんやりと、けれどいつも甲太郎のことを考えてたようなことだけは、覚えてる。
 それから、あの声。
『血によって操られ、血によって結ばれる』
『我は、永遠なり』
 あの声が頭に響くと、ぼーっとして首筋や心臓が熱くなる。何にもワケが分からなくなって、意識を触られて攫われていくような妙な感じ。誰かが、確かに頭の中……っていうか、俺の中に陣取ってるようだった。
 図書館から麓のホテルに戻って、今は自分たちの部屋にいる。部屋にいるのは俺、甲太郎、それからミナさん。彼女は甲太郎が書いた書庫室の閲覧用紙に漏れがあったとかで、それを知らせに来て俺が甲太郎にのし掛かってるのを発見したらしい。
 最初は単にビックリしただけだったけど、近付いて見えた俺の眼が、―――赤い色で。更に驚いて大声を上げてしまったんだって。
 俺のハッキリした記憶は、そこからしかない。ミナさんが腰抜かしてて、俺は甲太郎に襲いかかってて、目の前には見開かれた甲太郎の眼。
「司書さんに聞いたら、古い資料とかは書庫室に多いって聞いて、それで書庫室に行って……とにかくずっと、資料を漁ってたんだ。どれくらい経ったか、俺、本とか読み始めると時間の感覚狂っちゃうんだけど、とにかく足音が聞こえてきたんだ。で、『あ、甲太郎だ』って思った。たぶん、甲太郎が来たんだろうなって」
「………」
「そう思ったら、……声が、聞こえて。ぼーっとしてきちゃって、首と胸が異常に熱くなって……」
「そこからはよく覚えてない、ってことか」
 憮然とした甲太郎の声音に、頷く。だって本当に俺は覚えてない。何にも、ってワケじゃないんだけど、自分が何したのかとかは全然分かんない。ただ、甲太郎が近くにいたってことだけを覚えてるんだ。
「声、か……」
「遺跡でも聞いたんだ。その時も声を聞いてから、意識がなくなった」
「男性のものでしたか?女性のものでしたか?」
「……たぶん、男だと思う。凄く低くて、響く声」
 ミナさんは自分の目の前で奇行を起こしたというのに俺のことを全然怖がったりしない。むしろ心配してくれてるみたいだ。もちろん驚いては、いるみたいだけど。
「ミナカミさん、声、聞きましたか?」
「いや、何も。九龍とあんなに密着していたんだ、お前に聞こえて俺に聞こえないはずないだろう?……もちろん、普通に考えれば、だが」
 俺は、なんとなく二人には聞こえないんじゃないかと思った。だってあんまりに自分の中から発せられているような声で、きっと俺にしか聞こえないんじゃないかと思ったんだ。
「病院の時も今回も、両方声を聞いたんだな?」
「そう」
「で、どちらのときも記憶がほとんどない」
「そう」
 それが、コレまで分かってる俺の全部。
 甲太郎は、ふぅっと溜め息をつき、コーヒーを口に運んだ。甘くない上に豆から挽いた、甲太郎の特性コーヒー。ミナさんも感激しながら飲んでいる。俺はといえば……それを飲む気にもならないくらい、凹。
「俺が見たお前は、両方眼が真っ赤だった。あとはそうだな、やたらに積極的だったってことくらいか」
 あれは悪くないが、と甲太郎が冗談だか本気だか分かんない口調で言う。俺、ハラハラ。ミナさんがいるところでそんな大っぴらに……ここ、キリスト正教の国よ?ミナさんがそういうのダメ派の人だったらどうすんだ!
「ということは、分かっているのは謎の声、あやふやな記憶、赤くなる眼。そういうことでしょうか」
「今のところはな」
 コーヒーのお代わりを自分で淹れようとした甲太郎が、俺のカップの中身を見て眉をひそめる。一口も手を付けてないということが分かったからだと思う。コーヒー好きの俺は、話しながらでも普段はがっぽがっぽ飲むんだけど。
「現実にある事実がそれだとして、ここからは憶測になるんだが……」
「ミナカミさん、私もお代わりいただけますか?」
「おう」
 二人分のコーヒーを淹れながら、合間にラベンダーを香らせる甲太郎が、こっちを振り返って話を続ける。
「あの異変はお前の意識が薄くなるときに起こっている可能性が高い」
「へ?だって、病院の時はともかく、図書館では俺、居眠りとかしてないよ?」
「眠っているときはもちろん、お前の本の読み方は異常だ。完全に没頭して、時折俺が話しかけても気が付かないことあるだろ。つまり、本を読む以外の所にまったく意識が向いていない。そういう状態だ」
「まあ、……そうだね」
 俺に奇襲を掛けるなら寝込みよりもむしろ、ゲームをしてるときもしくは本を読んでいるときがいいって言ったのも甲太郎だった。そのどっちも、俺は完全に目の前のものに集中しきってしまうから。無防備って意味では、寝ているときよりもむしろそっち。
「もしあれが一種の暗示による行動だとしたら、意識が薄いときに起きた理由が説明できる。九龍、思い出さないか?二年前の、ちょうどこれくらいの時期だよ」
「二年前?……あッ!」
「思い出したろ?」
「ゲーテ全集第二巻の裏!!」
「……何だそりゃ」
 七瀬ちゃん再びの時です。ええ。
 あれは墓守が神鳳のみっちゃんだったとき。七瀬ちゃんが墓に眠る王に操られて校内を徘徊してたんだ。彼女は『夜な夜な』、取り憑かれていたはずだ。(みっちゃんが墓から怨念を引っ張り出したときもだけど、アレは例外だよな。)
「ね、そん時も七瀬ちゃん、声が聞こえたとか言ってた。ほら、鍵を探してたって」
「お二人とも、前にもこんなことが?」
 怪訝そうな顔をするミナさんに、俺と戻ってきた甲太郎は同時に頷く。
「前例があれば話は早い。これはたぶん、精密検査だのそういうことじゃ原因は分からないだろう。もし頼るとすれば心理学系だ。カウンセリングとかな」
「それもたぶん根本的な解決にはならない気もするから、やっぱり行き着く先は、遺跡」
 結論は出た。今日はもう遅いから無理だけど、明日あの遺跡に向かえばいい。そこに何か手掛かりがあるはずだ。 「そうと決まれば準備して、明日はゴーですね」
 ぐっと親指を立てて笑ってみせる。それからようやく、俺もコーヒーを口に入れた。俺自身、原因がどこにあるか分かりかけたから安心していたのかも。コーヒーは冷めかけていたけど、舌に優しい、はずだった。
「……あれ?」
「どうした?冷めたなら入れなおしてやるぞ」
「いや、えっと、冷めたっていうかなんていうか……味、無くね?」
「は?」
 俺の言葉にぽかんとしたのは、甲太郎とミナさんだ。自分のカップを見下ろしてそれからまた、俺を見て。その目が何言ってんだ、と言っている。
「ちゃんと、味はありますけど……」
「俺の淹れたコーヒーにケチつけるなんて、見上げた根性だなお前」
「違、ホントに、なんか薄いっていうかいつもと違うっていうか」
「ちょっと貸してみろ」
 甲太郎が俺の手からカップを取る。そのまま口を付けるけど、その表情は怪訝そうなままだ。
「な?」
「いや、冷めてはいるが味は別に」
 やっぱり入れ直してやる、と甲太郎が二杯目を持ってきてくれた。温かいコーヒー。口を付けて、飲み下す。
「あ、ゴメン、何か普通にうまい」
「だろう?それはそれで言い方失礼だがな」
「やっぱり冷めていたので味が変わってしまったんでしょうかね」
 ミナさんは安心したように頷いて自分のコーヒーを飲み干し、おいしいと言って笑う。そうだね、と笑ってもう一口飲み込みながら、やっぱり何の味もしないことに、俺は少し不安になった。舌の上を、コーヒーではない、けれど無味だからとって水でもない、そんな何かが滑っていく。
 それでも半分ほど飲み干したところで、ミナさんが自分の部屋に戻っていった。何冊か図書館で借りた本を読みたいんだとか。
「さて、こっちはデータを照合しないとだな」
「そーだね、今日中にやっておかないと」
 俺はH.A.N.Tを持ち込んだパソコンに繋げて、更にロゼッタのデータベースに繋げる。データを放って放って受け取ってまとめて、ちかちかと点滅する画面を見るとなんだかまた頭がぼーっとしてくる。
 俺はまたあの声が聞こえてくる前に、甲太郎を振り返った。
「な、今日は部屋分けようぜ」
「……あ?」
 弾薬の確認をしていた甲太郎が、手を止めて俺を睨め上げる。
「何言ってんだ、お前」
「いいじゃん、ほら、この国宿泊費安いし。もうちょっとこの作業掛かるから甲太郎、先に寝た方がいいだろうし」
 だから、ね?今からフロントに連絡すれば取ってくれるよ。
 そう言い切ろうとして、甲太郎の深い溜め息に阻まれる。
「……どうせ、また下らないこと考えてるんだろ」
「下らないこと……って」
「夜中、またおかしくなったりしたらって、んなことだろ?」
 そんなこと、と言われてしまえば確かにそんなことだ。またあんなことが起こるという確証はないのだから。でも、俺にはなんとなくだけど分かる。声が聞こえるから。その声は、何かを欲している。俺にはそれが、どうしても甲太郎である気がしてならない。
 奇行の引き金は、甲太郎。妙な確信があるんだ。
「……俺にも、今の状況がよく分かってない。たぶん、遺跡のことでこうなっているということ以外は。でもなんとなく分かることがあってさ。それが、甲太郎なんだ」
「俺?俺がどうしたってんだよ」
「たぶん、だけど。ぼけっとしても覚えてるのが甲太郎のことだけなんだから、それってなんか意味があることなんだと思う」
 甲太郎が黙る。今の状況は甲太郎にだって正確に把握できてるわけじゃない。ならば当の本人の感覚を優先させて様子を見るのも大事だって、たぶん分かってくれてると思う。
「異変の時、二回とも傍にいたのは甲太郎だ。もしかしたらそれに何か意味があるかもしんないっしょ?」
「だったら不安要素は取り除く、ってわけか」
「俺、なんか間違ったこと言ってる?」
「……いや。正しいさ」
 正しいよ、と口の中で呟いて、甲太郎はカートリッジケースを置いて立ち上がった。アロマパイプを銜えたままで頭を掻く。
「なんとなくだが、俺にだって分かってる。ああなってたお前は、確かに俺の名前は呼んでいた。きっと、何か意味があるんだろう」
「うん」
「そうするのが正解かもしれない。分かってる」
 俺の所まで歩いてきた甲太郎が、座ってる俺の目線の高さまで屈んでくる。
「でもな」
「……うん」
「お前にも分かっておいてほしいことくらいある」
「うん?」
 ただでさえ近い距離が、いっそう近付く。
 ああヤバイ。もしかしたらこういうときが一番ヤバイかも。意識が全部、根こそぎ持っていかれる。後ろから撃たれたらたぶん何の抵抗もせずに死んでしまえる。
「心配なんだよ。よく分からない状況だから、こそ。お前をひとりにするのが心配だし、不安だ。……その辺だけは、分かっとけよ」
「…………」
 何も返事をしないのは、否定したいからとか分かってないからとかそういうことじゃない。あわわわわわ、って頭ん中がテンパってどうにもなんないからだ。できることならギャーーーッて叫んでこっから遁走したいけど、そうしちゃいけないってことは分かるから必死で堪える。
 チクショー、ムードなんて俺の天敵だ!
「今日は一人で寝てやるけど、終わったら覚悟しとけよ」
「う、うぃ」
「言ったな?」
 甲太郎は意地悪く笑う。その顔がふっと優しく緩んで、近付いてくる。
 降りてきた唇からは、さっきまでは感じなかったコーヒーの味がした。苦いはず、なのに、甘い。ちょっと、クセになりそうだった。

*  *  *

 パソコンの電源を落としたのは、夜もかなりいい時間だった。とっくに日付は変わり、ヒーターを全開にしてても窓の外に目を遣れば冷え込んでるのが分かった。
 甲太郎はこの部屋の向かいにもう一つ部屋を取り、そっちに移動していた。クリスマスシーズンだってのに部屋が取れたのは、小さい集落の中にあるホテルからだったからだと思う。仮設拠点としているここは、ブカレストと違ってネオンがそこら中に灯っていたりはしない。
 俺は、甲太郎が淹れていってくれたコーヒーに口を付ける。……やっぱり、なんの味もしない。小腹が空いたから作業中に食べたドーナツみたいな焼き菓子も、まったく味がしなかった。
 甲太郎とミナさんには隠してたけど、コーヒーもお菓子もその匂いすら感じなくなってた。
 いつから、だろう。病院から帰ってきた日はまだ違和感なんかなかったはず。いや、あったのかな。食べ物に関しての味とかをあまり意識してないから思い出せない。
 俺は、とりあえず今日の自分の感覚を忘れないようにメモっておく。記憶が曖昧になったこととか、味がしないこととか。この異常がさらに増えないよう願いながら、シャワー浴びるために服を脱ぐ。シャワールームに入って、ふと、鏡に映った自分を見て思わず声を上げそうになった。
 痣、だ。首筋と左胸にあった痣が大きくなっている。……いや、大きくなったというか、首筋の方の痣は下の方に広がり、左胸の痣は上の方に広がっている。まるで、腕を伸ばし合うように。
「な、んだ、コレ……」
 見間違い、ではないはず。昼間見たときはこんなじゃなかった。痣が成長する?んな阿呆な。
 内出血、ならば広がることもあるかもしんないけどこれはもう、そんなんじゃない。もっと、なんていうか、禍々しい感じがする。
 痛みはない。なのに不安ばかりがある。甲太郎に知らせようかと考えて、もう遅い時間だから寝ているだろうと見当を付けてやめておく。
 適当にシャワーを浴びて、すぐに布団に潜った。けれど、眠れない。心なしか痣が熱を持っているような気がする。もしも眠ったら、意識を途切れさせたら、また何かしでかすかもしれない。部屋一つ変えたくらいで、俺の戦闘力は防ぎきれるはずがない。今度ばかりは自分の戦闘力が疎ましい。
 眠ったらダメだ、そんな恐怖を抱え込んだまま、俺は朝を迎えた。

*  *  *

 朝、甲太郎とミナさんに痣のことを伝えて、朝食をとってから遺跡に向かう準備をする。
「痣もそうだが、お前、傷の方は大丈夫なのか?朝飯もあんまり食ってなかったみたいだし」
「傷?うん、ダイジョブだよ。それよりなんか痣の方が目立つよなー。昨日は首、ガーゼ付けてたから目立たなかったけど」
 今日は何だかガーゼよりもでかくなってます、痣。
「とにかくさっさと行って、なんとかしませう」
「そうだな。もう遺跡の内部構造も分かってる。あの部屋までは苦労せずに行けるんじゃないか」
 今日も武装は俺がハンドガン二挺拳銃、甲太郎がアサルトライフルにショットガン。遺跡の前のバックアップをミナさんに頼んで、再度人外魔境に踏み込んでいく。
 最初の区画では何もなし、次の部屋で蝙蝠の大群が襲撃してきて、その次で足場トラップ&蝙蝠と犬、で、ゾンビもどきさんに拷問道具の並んだ部屋。最後の部屋には甲太郎がグレネードランチャーで開けたという穴がある。その向こうに、部屋が、一つ。
 そこまで問題なく進んできた俺の足が、部屋の前で止まった。何だか……嫌な感じがする。
「どうした?」
「ん……なんか、ヤな感じ」
 声は聞こえない、けど、左胸と首筋がちょっと熱い。無意識に首筋を押さえたのを気にしてか、甲太郎が心配そうに顔を覗き込んでくる。大丈夫、と告げると先に部屋に入っていった。
「これだ。この中に寝てたんだぞ、お前」
「うわ悪趣味」
 甲太郎がアサルトライフルの銃口で指した先にあったのは、棺桶。普通のものよりたぶん大きい。蓋には記録にあった通りの紋章。やっぱりヴラド・ワラキア公のものと酷似している。
「棺桶の中、なんかあるかもしんない。調べてみる。甲太郎、壁の方に他に隠されてる部屋がないか探してみてくれる?」
「……分かった」
 何だか、甲太郎は浮かない顔。気になることでもあるのかと聞いてみれば、お前また消えんなよ、なんて返される。そうそう消えたりできないデショ、と冗談めかして言ってみたものの、声に呼ばれたときの抗えない感じを思い出すと笑ってはいられない。
 それでも大丈夫だよと笑ってみせて、棺桶の調査に入る。材質、造り、そこから分かる年代。それから、確かに反応がある、人がここにいたという痕跡。
「甲太郎」
「おう」
「やっぱりここ、人が寝てた形跡がある。あ、もちろん俺じゃなくてね」
「そうか」
「そっちはどう?」
「悪趣味なしゃれこうべが並んでるだけだ。壁の薄さを見てもこの先に部屋がある感じはないぞ」
 そのしゃれこうべが、本当に不気味。我慢して調べてみたんだけど、甲太郎が前見たときに思った通り、たぶん元々は生首だったものだ。肉とか皮とかが着いたまま、さらされるようにここに飾られたということで。
 でもここにはこれ以上何もなさそうだ。あるとしたら、ここかなって思ってたんだけど。手掛かりなしはまずいから、俺は考えてから棺桶の中に入ってみた。
「何やってんだお前ッ」
「いや、寝っ転がってみればなんか分かったりしないかなー、と……」
 甲太郎にどやされながらもそこに寝転がって、目を閉じる。蓋も閉めてみてって言ったんだけどそれはダメだって。本当に色々と心配みたい。
「んー……」
 真っ暗な、物音一つない静寂の中。俺の呼吸以外は甲太郎の気配しか伝わってこない。静かに、ただ静かにそこに在るようにした。ここに眠ってた人間は、こんな静寂の中でずっと時間を過ごしてたんだろうな。俺には甲太郎がいたけど、ここにいた誰かにはもっと冷たい静けさしかなかったはずだ。
 可哀相、だとは思わない。可哀相って思ってあげられるような余裕は俺にはありません。甲太郎とのことでいっぱいいっぱいです。
 でも……、
(誰かがそばにいてくれれば、静かでもいいはずなんだけど)
 なんとはなしにそう思って、眠っていたはずの誰かに思考を沿わせるように、呼吸を本当にゆっくり、小さく繰り返す。
 どれくらいそうしてたんだろう。その思考が、ゆらっと揺れた。突然じゃなく、気が付いてたらそうだった。俺の意識は浮き上がっていて、いつの間にか棺桶から抜け出していた。でも、甲太郎はいない。本当に暗くて、独りで、なぜかそこから離れていく。
 向かったのは拷問道具とゾンビの部屋。その壁に意識が向かっていく。ぶつかる、って、思って抗い、意識を必死に散らせる。微かに感じるラベンダーの香りを頼りに、強く甲太郎を想った。
 そこで俺は目を開けた。凄く、すごく嫌な感じだった。
 目の前にあった甲太郎の顔は、心配そうに歪められている。
「どうした、大丈夫か?」
「あ……、うん」
 起き上がってみれば、変な汗を大量に掻いてる。やっぱりというかなんというか、痣は熱かった。
「俺、どれくらいこうしてた?」
「どれくらいって、ほんの一分くらいだろ?」
「そ、そっか」
 そんな短時間でこの異様な発汗。それから、あの妙な感じ。……夢?
「な、ちょっと前の部屋行ってみてもいいか?」
「ああ。拷問道具のあったとこか」
 甲太郎に助け起こされて、穴を通って前の部屋に戻る。さっきの夢の中では穴なんて開いてなかった。そして、ぶつかりそうになった壁はこの対角線上にある。叩いてみると、少し違った反響音がした。
「な、あの壁に一発、ぶっ放してくんない?」
「なんか、あんのか」
「分かんないけど、頼む」
「了解、相棒」
 今日もグレネードを持っている甲太郎が、アサルトライフルを構える。発射。凄まじい音を立てて壁が、壊れた。
「っと、ビンゴ、みたいだな。お前、何でここに部屋があるって分かったんだ?」
「……なんとなく」
「声、でも聞こえたか?」
 ちょっと怖い感じで詰め寄られ、慌てて首を横に振る。妙な感覚はあったけどあの声は聞いてないからウソじゃない。
「違う違う!本当に、なんとなく」
「……そうかよ」
 うわー、うっさんくせぇって目。そんな疑わなくったっていいじゃんー。
「と、とにかく行ってみません?」
「そうだな」
 踏み込んだ部屋は未だ土埃でもうもうとしてたけど、ノクトビジョンを通してみれば大体分かる。
 そこは、……書斎、とでも言えそうな場所だった。あ、でも本がぎっちりあるって言うんじゃなくて、机と椅子とあとは何だかよく分かんないものがごちゃごちゃと置かれた変な部屋だった。
「何だ、コリャ」
 埃も収まってきたところで、甲太郎が疑問の声を上げる。古い本があることに気付いて、すぐにアロマパイプの火を消した。
「普通の書斎、って感じじゃねぇな」
「てかコレ、何」
 机の上には理科の実験で使いそうな機材が置いてある。もちろん、時代はもっと古いだろうけど、エジプト博物館で見た古代の採血器みたいなのとか、万力とか、お皿も沢山。
「九龍、これ……」
 本棚を調べていた甲太郎が一冊の本を開いていた。書かれていたのは……魔法陣?
「あらら、まさかこの部屋の主はアレイスター・クロウラーですか」
「黒魔術か?」
「かも。俺はそっちにあんま詳しくないからなんとも言えないけど……、とにかく手分けして情報記録しましょう」
 重要そうな本はいくつか持ち帰ることにして、あとは部屋に置いてある器材、机や壁に刻まれた奇妙な模様、魔方陣みたいなものを互いに手持ちのツールに取り込む。
「……本格的にエクソシストにでも頼みたい気分になってくるな」
「聖水とかほしいよね」
「魔除けか?」
「効果があるうちは弱いモンスターに襲われません」
「………」
 ヤ、冗談言ってるけどちゃんと仕事してるよ?してるよ?遊んでないよ?
 その証拠に、こんなの見つけちゃったよー。
「な。コレ、見て」
「何だこれ」
「日記、みたいだよ?」
 だからといって、その日記には今日は何をして遊びましたーとかそういうコトが書いてあるワケじゃなかった。かなり古いもので読むにも一苦労したけど……。
「何て書いてあるんだ?」
「……カレー、しばらく食べらんなくなるよ」
「…………仕方ないだろ」
「えっとね、これは……5 cinci iunie 、かな?6月5日、うわぉ、要約するとアレです。効率のいい人間の血の搾取の仕方。こっちは乾燥させた血液を固形にして保存するって。あとはー、混ぜるなら他人とのものより血縁関係がある方がいい、更に言えば母子のものがいい……」
「もういい、もういい、腹一杯だ、カレーが食えない」
 甲太郎は唸って、頭を抱える。これでもかなりオブラートに包んで話したんだけど、やっぱり嫌よねぇ、こんな話。
「……そういや昨日、図書館でおかしくなったお前も、んなコト言ってたぞ」
「うぇ?」
「腹が減った。血が欲しい、ってな」
 血が、欲しい。あの声も、血がどうとか言ってた。
「俺の聞いた声って、この部屋の持ち主のものなのかな」
「可能性は高いな。とにかくそれは持って帰ろう。身元が分かるかもしれない」
 甲太郎が本を何冊かと日記を持った。俺は実験道具みたいなのをH.A.N.Tに収めていく。その中のひとつ、蓋がしてある金属製ビーカーみたいなのがあって。中身を確認しようと中を開いた途端。
 ふわりと、血の臭いが漂ってきた。中にあったのは黒い粉。指に取って擦ってみると僅かに赤みが広がった。間違いない、凝固血液だ。どれくらい古いものか分からない、けれど臭いばかりが強く漂う。
 ……血の、臭いが。
 強い眩暈を運んでくる。立ってられなくて机に手を付いた。甲太郎が、呼んでるのが聞こえる。出もずいぶん遠い。その代わりに、声が。
 声が聞こえる。
『血によって操り、血によって結ばれる』
 痛いほど、耳に、頭に響く。痣のある部分が、酷く熱い。
『血を求めよ。永遠を紡ぐ生命の円環を満たせよ』
(うるさい……、黙りやがれ…)
『凡て其は血によって果たされようぞ』
(そんなもん、求めてない……)
『美味なるは、愛し者の朱』
 声が背筋を震わせる。とうとう膝をついて、そこを誰かに支えられた。声が低く笑う。俺は、熱を持ったまま振り返る。
 甲太郎が何か言ってる。聞こえない。
 俺は、何かにせっつかれたように甲太郎にしがみつく。首筋に顔を埋めて、思った。思っちゃいけないことを、思った。
 ―――血を。
 歯を立てて、流れた血を。
「こ、……たろ…ッ」
 絞り出した声に、甲太郎が反応する。ダメだ、絶対ダメだ。ずっと響いている声に抗い続けていると、突然、頬に痛みが走った。
「九龍ッ!!てめ、ぼけてんじゃねぇ!!」
 殴られた、と認識したのは数秒後。声はどっかにいっていて、その代わりに耳に痛いほどの甲太郎の罵声が響く。
「おい、聞こえてんのか!?」
 呆けていると二発目。軽くパチンと叩かれた。
「………ぶった」
「あ?」
「二度もぶった」
 怒ったような顔をする甲太郎に、大丈夫だよという意味で笑って見せた。
「親父にも殴られたことないのにー」
「……阿呆」
 頼むぜこの阿呆、と俺につられるように脱力した甲太郎が床にしゃがみ込む。
「聞こえたのか?」
「……うん」
「なんて」
「色々。……とにかく、出よ。やっぱりここ、ヤだ」
 まだぐるぐる回っている頭のまま、甲太郎に支えられるように。どうにかこうにか遺跡を出たとき、痣の熱はウソのように引いていた。