風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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クリスマス記念SS ワラキア -黒と赤- - 2 -

 九龍が消えた。忽然と、その姿が部屋から消えたのだ。
 数十秒まで後ろにいたはずの九龍だ。部屋を出るなら物音くらい立てるはず。それにこの遺跡が怪しいと言うことはあいつも何度も口にしていた。こういった場所で迂闊な行動を取るほどあいつは阿呆でもないし、そういう意味では優秀な、トップハンターなのだ。
「九龍、九龍ッ!!」
 部屋はそれほど広くない。隠れているならすぐに見つかる。呼ぶ声も聞こえないはずはない。
「九龍、隠れてんのか?冗談にならないからさっさと出てこいッ」
 返事はない。嫌な汗がこめかみを伝った。俺も、九龍がふざけているとは考えていない。だが消えたとしたらどこに?まさか、気付かないところに穴があって落ちたとでもいうのか?
 慎重に床を叩いて回るが、それらしいトラップはどこにもない。一度その部屋を出て、遺跡入り口付近まで戻ってみるが見つからない。外に出てしまうと化人が復活するのが常だが、そういう気配はないため、外に出たわけではないのだろう。
 床が抜ける部屋で懐中電灯を使い、まさか落ちたかと捜してみる。あいつは真っ黒い姿をしているから見つけるのは難しい。……その剣山状態のそこに九龍は見つからなかった。だが、白い物が見える。考えたくはないが、人骨、の可能性がある。
 本当になんて場所だ。早く済ませて、九龍を連れて帰りたい。
 俺は、どんどん不安になっていた。九龍が消えた部屋に戻り、再度見落としがないか確認をする。床だけでなく、壁も調べていくと九龍がいた辺りの壁、そこから血の臭いが漂ってきた。懐中電灯で照らすと、壁に血の跡が。九龍がここに寄り掛かったなら、首の辺りがちょうど着く高さだ。
 壁を押してみるがビクともしない。だが、叩いてみると妙な音がすることが分かった。亀裂が入っているわけではないが、もしかしたら。
 俺はアサルトライフルに付けたAG36に榴弾をセットした。九龍が持たせてくれた物が役に立った。グレネードランチャーならばもろくなっている壁くらい破壊できるはずだ。構えて、射出。一発目で壁が崩れる。その向こうに、もう一部屋あるのが見えた。まだ壊れきれない壁に向かってグレネード二発目。
 壁は完全に破壊され、俺は次の区画へ飛び込んだ。
 ……妙な、部屋だった。薄気味悪いと言い換えてもいい。
 部屋の壁にはしゃれこうべがずらりと並んで引っかかっている。それだけでも胸糞が悪い光景なのだが、懐中電灯を当て、よく見ると髪や皮膚の一部じゃないかという物体がこびり付いていた。つまり、作り物ではなく、元は生首が提げられていたと言うことだ。
 本当にカレーが食えなくなりそうだと思いながら部屋の中央を見ると、そこには箱が一つが置いてあった。いや、箱ではない。棺だ。棺桶。人間が一人、余裕で入れそうな大きさの棺が置かれている。なぜ棺だということが分かったかって?そりゃあれだ、この間見た吸血鬼が満載の映画に登場したもの、ほとんどそのまんまだったからだ。
 大体入っている物は予想できた。誰かの遺体だろ?おそらくは、この部屋の悪趣味きわまりない装飾みたいなものが大好きな。
 今は九龍を捜すのが先決だと思い、無視しようとした。……だが、なぜか、胸騒ぎがしたのだ。良い物が入っているはずのない棺桶を見て、開けなければいけない衝動に駆られたのだ。
 一歩ずつ近付いて、重そうな蓋に手を掛ける。実際、それは重かった。蝶番のない形だったため、蓋自体をずらして中を覗く。
 ―――驚いた。
 声を出すのも忘れてその光景に魅入ってしまうほど、驚いた。
 棺桶の中にいたのは死体でもミイラでもない。九龍だった。目は固く閉じられている。暗闇の中に、真っ白い顔と首筋が浮かび上がるようだ。首元はどす黒く染まっていて、それが血だということは見ても分かったし、棺桶の中に籠もった血の臭いでも判別できた。
 一瞬、九龍が死んでいるんじゃないかという絶望的な憶測が頭に浮かぶ。
「九龍、おい、起きろ、九龍ッ」
 何度も名前を呼び、首裏に腕を回して抱き起こす。身体は驚くほど冷たかったが、首筋だけは熱かった。とりあえず脈が触れていることだけは確認できて、ホッと息をついた。
 横抱きにし、ぐったりとした身体を棺桶から引っ張り出す。まず首の血を見たが、血は止まっているようだ。
 だが、何度呼んでも目を覚まさない。冷たかった身体に体温が戻ってきているのに、一向に反応がない。
 俺は、ここから戻ることを決めていた。ハンターである九龍がこんな状態で先に進むのは無理だ。俺は石碑は読めないし、H.A.N.Tが無ければ行動も制限される。そのH.A.N.Tをタクティカルベストから取り出して確認すると、状態異常『悪寒』が表示されていた。だが生命値はそれほど危ないものではない。
 一度九龍の身体を床に横たえて、部屋をもう一度見て回る。H.A.N.Tでしゃれこうべやその部屋に置かれている物を記録し、再度九龍を抱き上げた。
 ショットガンにアサルトライフル、それに九龍を抱えるのはかなり負担だったが、なんとか外まで戻ることができた。普段鍛えていてよかったと心底思いながら、俺は携帯電話で麓に待機している調査員の女に電話を掛けた。調査の一時中断と、九龍の負傷を伝えるために。

*  *  *

 迎えに来た車に乗り込み、九龍はそのまま麓の村にある病院に収容されることになった。案の定、傷の方は大したことなかったが、意識がないのが問題らしい。念のため検査をするとのことで、俺と車をかっ飛ばした調査員の女は待合室で待たされている。
「……ハバキさん、大丈夫でしょうか」
「まあ、息はしているし傷も浅い。そのうち適当に起きるだろう」
 アロマパイプを銜えて、背もたれに寄り掛かると、隣から禁煙ですよという声が掛かる。煙草じゃねぇよと返すと女は黙った。目を伏せて俯くと、まつげの長さが際立つ。髪がグレーなら睫毛もグレーなんだな、なんてことをぼんやり考えていると。
「やっぱり、あの遺跡には入るべきではなかったんでしょうか……」
「あ?」
「入り口に刻まれた紋章も文句も、まるで呪いのようなものでした。その意味をちゃんと把握しきらないうちにあなたがたを中に踏み込ませてしまった。……申し訳、ありません」
 苦渋を滲ませる口調で俺を見上げた女の目は、後悔の色で真っ暗だった。そんな顔されると、こっちが困る。何しろ依頼主に何の落ち度もないのだ。今までの経験と照らし合わせて『大丈夫だろう』と高をくくって踏み込んだ俺たちが悪いのだ。責任のすべては、こちら側にある。
「……あんたがたは何も悪くない。もし情報を隠してたとかいうなら、」
「そ、そんなことはありませんッ」
「だろ?だったら、いいんだ。俺たちは《宝探し屋》という商売で飯を食ってる。普通の人間は踏み込まない場所に立ち入って、古代の禁忌を破り続けてここにいる。時には、こういうことだってある。気に病むことはねぇよ」
 ぼんやりと九龍を想いながら、ぼんやりと遺跡のことを考え、ぼんやりとした色の煙を見つめる。
 時にはこういうことだってある。覚悟はしているつもりだ。だが、できるなら俺が、あいつの楯になりたいと考えたりもする。
「もし、誰かに責任があるとしたら……守りきれなかった、俺のせいだ」
 しばらくして。医者が俺の元へやって来た。ルーマニア語が分からないことを告げると、調査員が通訳をしてくれた。
「異常は見られません。傷から細菌に感染したということもありませんしね。脳にも異常がないので、すぐに目覚めると思います。病室に案内しますので、どうぞ」
 連れられて、病室へ向かう。白基調の病室の中で、着替えさせられたらしい九龍は未だ昏々と眠っていた。
 医者は何かあったら呼んでくれと告げ、病室を出て行った。依頼主の連中の配慮だろう、大したことないという割にここは個室だ。
 調査員はH.A.N.Tから出力した情報と持ち帰った化人もどきの破片の分析班と合流すると言って、ほどなくして帰っていった。今は他の人間に騒がれたくないため、かえってありがたい。
 ベッドの横に椅子を出して座り、眠る九龍を見る。最近ではかなり大人びたと思っていた風貌も、眠っていればやはりまだ幼い。(同い年の俺が言うのもなんだが。)そういえばこの国の連中も九龍は童顔だと言っていた。
 俺はずっと一緒にいたから、ふとした瞬間にこいつから漂う大人のにおいを嗅ぎとることができるのかもしれない。しかも、子どもと大人が混在する危ういこと極まりないにおいだ。子どもっぽくくるくると表情を変えるときも、冴えたとしか言いようのない視線で真っ直ぐ俺を見据えるときも、どちらにせよがっちり囚われてしまうことには変わりがない。本当に、危ない。いつだって気を引き締めていないと完全に落っこちる。そして、その感覚はもう既に、病み付きになり始めている。
 目を閉じている今は感じないそれを、引っ張り出してみたいと思って。まぶたにまで掛かる前髪を、そっと掻き上げた。普段なら触れられたら目を覚ます質なのに、今はピクリとも動かない。それが、余計に不安を煽る。
 ……簡単に終わる調査のはずだったのに、何がどうなったらこう面倒なことになるのだろう。九龍と出会ってからずっとだ。波風が立たないときがない。落ち着かないし安定しないし、ワケの分からないことは毎度降りかかってくるし。
 それでも懲りずに共にあろうとするのは、……何でだろーな、ったく。
「……この阿呆たれが」
 答えを持ってるのは全部こいつだ。結局いつだって何もかも、こいつ中心に回ってるっていうのが俺の世界だ。あーあ、俺の世界くらい自分で回していきたいもんだがな。畜生。
「九龍」
 首筋の傷に触れ、名前を呼ぶ。目覚めろと願って。
 だが、首筋に指が触れた途端、軽い痛みが走って反射的に手を離す。静電気か?驚いて寝顔を凝視すると、その喉元が僅かに上下した。伴って呼吸が乱れ……ゆっくりと目を開けた。
「九龍ッ!?」
「こ……たろ…」
「ああ。大丈夫か?」
「……ここ、は?」
「病院だ。お前、遺跡で意識なくして倒れてたんだぞ」
 すると、九龍は目を伏せ、小さく頷いた。あんまりに弱々しい様子で、目が覚めたというのに俺は不安になった。
「とにかく、医者呼ぶから。今日はゆっくり休め」
 ナースコールでやってきた看護士と医者は、九龍が目を覚ましたのを診ると二、三尋問し、問題がないと分かったのか一日の入院を告げて戻っていった。俺は調査員たちに九龍が目覚めたことと明日はホテルに戻ると言うことを連絡し、病室に戻った。
 九龍は、また目を閉じていた。疲れているのだろうか。そういえば顔色が普段より更に悪い。血が抜けたせいもあるだろうが、遺跡で抱き起こしたときの異様に低かった体温も気になる。
 色々聞かなければいけないことがあるのは分かっていた。だが、ぐったりしている九龍を問い詰める気にはならなかった。看護士に頼んで付添用のベッドを部屋に入れてもらい、今日はそこに泊まることにした。
 九龍は何度か目を開けたが、俺の姿を確認すると少しだけ笑い、また眠りに戻っていってしまう。
 真っ白い腕に点滴が入れられていくのを見ながら、俺はまた、妙な胸騒ぎを覚えていた。

*  *  *

 消灯時間になり、病院全体が眠る。九龍が深く寝入ったのを確認して、俺も眠りについた。スプリングの効かない安物ベッドだったが、こちらもかなり疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ち、どれくらいの時間が過ぎたのか。
 ……頬に何かが触れた。
 泥のように沈む意識が、触れられる先から徐々に戻ってくる。その、徐々に、が加速度をつけたのは、感触が唇の上にも落ちてきたからだった。
「!?………ッ」
 目を開けて、真っ先に飛び込んできたのは真っ黒い髪。何かが、俺の上に乗り上げていて、しかもどうやら寝込みを襲われているらしい。だが、何かを蹴り飛ばさなかったのは施される口付けに覚えがあったからだ。
「っ、九龍、……んッ」
 息苦しさを感じるほどに深く。ほどなくして唇が離れ、顔が離れたところで俺はその姿を確認した。
 黒い髪にツリ気味の眼。造作そのものは、九龍だった。
 だが、半分寝呆けていた頭が一気に覚醒した。弾かれるように上体を起こし、自分の身体を肘で支える。
 俺の上にいたのは九龍、そっくりの誰かだった。ほとんど九龍だった。違うのは、その眼の色だ。猫のような眼の、中の色は朱。
 ―――九龍、じゃない。
 恐ろしいほどに酷似しているけれど、九龍の眼は、黒だ。あんな血の色ではない。
「お前……」
 誰だ?そう、問い掛けようとする前に。
「……コータロー」
 平時なら絶対に見せない、卒倒しそうなほど艶やかな笑み。二年、ずっと隣にいた俺ですらほとんど見ないような笑い方だった。正直、それだけで軽くその気になったほどだ。
 だが、目の前のこいつは九龍じゃなかった。俺は、ちらりとあいつが眠るはずのベッドに目を遣った。そこに九龍の姿はない。目の前のヤツを見れば、九龍が眠る前に着ていたそのままの恰好をしている。首元には、治療した後の保護ガーゼ。
「甲太郎」
 しかも、九龍の声で、俺の名を呼ぶ。愛おしげに、指先が頬を撫でる。腕を伸ばし、首に巻き付け、また、顔が近付く。その先は、今度は顔じゃない。俺の首筋に九龍が口付けようとしたその時、ふと、血の臭いが漂っていることに気が付いた。見れば、点滴を無理矢理外したのだろう。九龍の腕には血が滲んでいた。
「九龍?」
 名前を呼ぶと、九龍の動きが止まる。様子がおかしい。
「おい、九龍ッ」
 肩を掴み、何度か揺さぶると俯いていた九龍が顔を上げた。その眼は、もういつも通りの黒。
「こ、う、たろ?」
「お前、どうしたんだよ、点滴は?」
「ぇ……あ。点滴……」
 呆けたように俺の顔を見ている。一体どうしたと言うんだ。
 とにかくこのおかしな状況をどうにかしようと、俺に乗り上げている九龍を支えながら身体を起こした。そこまでしてようやく、九龍に普段通りの反応が戻ってきた。
「こ、甲太郎!?あ、うわッ!ちょ、ちょっと待った、コレ、何?どーゆコト!?何やってんの甲太郎!」
「とりあえず落ち着け。それからよく考えろ。この状態で何で俺がどうこうしたことになるんだ」
 混乱して頭を抱える九龍をベッドに戻し、点滴が外れたとナースコールを入れる。ちょうど点滴は落ちきっていたようで、看護士はそれを片付けると見回りに戻っていった。
「……で、どういうコトでしょう、コレは」
「それはこっちが聞きたい。目が覚めたらいきなりああだったんだぞこっちは。襲うのは結構だが場所を選べ場所を」
「スミマセン……て、そうじゃなくて!」
「でも事実だ。乗っかってたのはお前だろうが」
「……ウソぉ」
 様子を見ると、おかしいのは一発だ。演技ではなく、本当に九龍はワケが分からないようだった。顔を真っ赤にして俯いて、俺の顔を見ようともしやがらねえ。
「とりあえず、今日のことは覚えてるか?」
「今日の、こと……?」
「ああ。お前、今日遺跡で、突然部屋から消えたんだぞ?覚えてるか?あのゾンビみたいなのがいた部屋だ」
「……なんとなく、覚えてる」
「なんとなく?」
 九龍が頷く。
「あの部屋でちょっと気分が悪くなって、ワケ分かんなくなって、よろよろして壁に寄り掛かったら……意識が飛びました」
「はぁ?」
 要領を得ない。九龍は、基本的に仕事のことは曖昧にせずちゃんと伝えてくる。それがこんなにも意味不明な文章を作り出すのだから事態があまりよくない、ということだけはしっかり伝わった。
「で、さっきのは。何だったんだ」
「アレ、は……。ゴメン、ホントによく、覚えてなくて」
 思い出すように額に当てていた手が、首筋に流れた。痛むのか、保護ガーゼの上から傷を押さえつけているように見える。
「痛むのか?傷……」
「……声」
 九龍の手が、保護ガーゼをむしり取る。その下の傷が剥き出しになり……俺は息を呑んだ。
 蛍光灯の下で、不健康に白い肌がさらされる。その白さを蝕むように、首筋に黒い何かが浮かび上がった。
「なッ……」
 傷の周囲が、痣のように変色していたのだ。
 九龍は呆然としたようにそこに手を当て、そのまま、俺を見上げた。
「声が聞こえた」
 いつもと同じ真っ黒い眼。そこに、いつもとは違う不安と困惑を乗せている。
「……声が、聞こえたんだ。血によって結ばれるって、声が」

*  *  *

 次の日、九龍は退院し、俺たちはホテルに戻った。首元の痣のことは気になったが、医者は内出血だろうと言っていた。普通はそう考えるのだろうが……俺たちの周りで起きる現象に『普通』はない。おそらく、遺跡と九龍の奇行に関係しているのだろう。
 俺が九龍を見つけた状況、それから九龍が聞いたという『声』。それを総合して考えると、あの遺跡には何かがいると考えるのが妥当だという結論に至った。九龍は自分が棺桶に押し込められていた事に驚いていたが、確かに暗闇に放り込まれた感覚があったという。
「夢かもしれないけど、誰かがいたような気もする」
「で?血がどうだって言ったのか、そいつが」
「そう。それが聞こえて、首とかがすごく熱くなったのは、なんとなく感覚として残ってる」
 ホテルのソファで、九龍は上半身裸でコーヒーを飲む。着替えをしたときに気付いたらしいのだが、左胸、ちょうど心臓の辺りにも首筋と同じようなどす黒い痣が浮かんでいたのだ。
「どこかで胸を打ったりしたか?」
「覚えがないなー。つーか、押したりしても痛みがないんだよな。内出血なら痛むだろ?そうじゃなくて……なんか、変な感じ」
 九龍はさっきから痣を押したり爪を立てたりしている。だが、自分の内にある感覚を上手く言葉にできないらしい。
「十中八九、遺跡が関係してるだろうな」
「たぶんね。なんか、こういう変なことが起こると高校時代を思い出すよねー」
 んなことを言いながら呑気にコーヒーを啜る。自分の身に何が起こっているのか把握はしてるだろうが、こいつはそれを不安に感じても表には出さない。そうして自分を守るスタンスなのだ。
「なら、もう一度遺跡に潜ってみるか」
「そだね。でもその前に調査員の人たちにサンプルと資料の分析結果を聞きに行かなきゃ。俺がいたっていう部屋の記録、見ておかなきゃだし」
 俺たちの泊まっているホテルには博物館から派遣された調査員も何人か滞在している。鑑定や分析に必要な機材もある程度持ち込んでいるらしい。とは言っても、H.A.N.T一つあれば大抵のことはなんとかなるのだが。
 九龍が上着を着込んでいる間に調査員に連絡をし、今から行くことを伝えた。
 機材が持ち込んである部屋には調査員たちが詰めていて、広めの部屋のはずがかなり人口密度が高い。
「ちぃーっス。ども」
「ハバキさん!お身体、もう大丈夫なんですか?」
「ダイジョブですよ。医者からさっさと出てけって言われたほどですから。……で、色々と確認しに来たんですが」
 軽口を叩いて見せてからすぐにプロの顔になり、九龍はデータを受け取るためにH.A.N.Tを機材に繋いだ。その間に出力したデータを渡され、口頭で簡単に説明を受ける。そこで告げられたあのサンプルの正体に俺たちは少なからず驚かされた。
「持ち帰られた『指』ですが、あれは99.7%の確率で人間のものです」
「人間……」
「けれど細胞の状態を見ると死後数百年は経っていることが分かります。ですがお話によるとこれが動いて襲ってきた、とか……」
「えぇっと、事実です」
「…………」
 調査員の女が黙り込む。当たり前と言えば当たり前だが、普段ロゼッタの科学班を見ている俺からは随分と新鮮な反応だった。ロゼッタのヤツらは死人が動いたと告げれば、うきうきとその様子を聞いてくるだろうからな。
「信じられないことかもしれないが、こればかりは実際に遺跡に潜った俺たちの話を信じてもらいたい」
「全長一メートルくらいの蝙蝠が群になってましたし、その人間だって反応が出たヤツらは思いっきり俺たちを襲ってきましたよ」
 彼女は髪を乱暴に掻き上げて俺と九龍を睨めるように見る。それでも賢明に理解しようとはしているようだ。数日経てばロゼッタからも科学班のヤツらが来ると連絡を受けている。ヤツらと仕事をすれば一週間で常識というものが分からなくなるだろうから、悩めるのは今のうちだ。
「うし、ダウンロード完了」
 H.A.N.Tを立ち上げてデータを確認した九龍は、眉間に皺を寄せて画面を凝視する。出力された物より、H.A.N.Tに取り込んで分析を加えたデータの方が九龍にとっては頼りになるらしい。それを自分の頭の中に叩き込んで、知識と経験を総動員させ、さらに分析する。
「この、紋章……」
「ああ、お前が嵌ってた棺桶の蓋のか?」
「そう。これ、ワラキア公の紋章っぽくない?えっと、洗礼名がヴラドの」
「書類にあったヤツか。でも、ちょっと違うんじゃないか?模様だけじゃなくて、彫られた文句も」
 俺も紙束をめくって確認する。問題の紋章と書類に載っていた、つまり遺跡の入り口に刻まれていた紋章は酷似している。ただ、やはり少し違う。
「うん。ヴラド・ヴォエヴォダの文字がないし、ワラキア・ハンガリーの君主だって文句もない」
「じゃ、なんて書いてあるんだ?」
「んー、と。待って。風化したところを埋めて、H.A.N.Tが翻訳出してくれそう、……血によって操り、結ばれる。二つの心臓を持つ。永遠の命よ、っぽい」
「血によって、結ばれる?」
 その文句を繰り返した、途端。さっと、色を抜いたように九龍の顔が青ざめる。俺も、思い当たった。九龍が聞いたという声だ。
 俺たちは顔を見合わせ、それから調査員に向き直った。そして、九龍が告げる。自分が聞いたという声と、胸と首筋に浮かんだ痣のことを。半信半疑だった調査員たちも、実際に九龍が痣を見せると驚いたようだ。その痣も記録し、データの海に放り込む。
 とりあえず今日は遺跡に向かうことはせず、今ある情報を繋がる限り繋げる作業を優先することに決まった。調査員たちはまたデータとの格闘、俺たちは、新しく手に入ったデータを更に調べるため、図書館に向かうことにした。車で三十分ほどの場所にあった図書館は大きく、古かった。昔の資料を漁るにはもってこいのタイプだ。
 あの女は俺たちに着いてきた。九龍が頼んだのだ。図書館をうろつくのに、俺がルーマニア語が分からないから不便だということらしい。
「調べるのはこの地域の史料に絞ろう。もしくは関係のあるもの」
「ワラキア公ヴラド・ツェペシュ、ってことは年代は1300年から1500年か」
「トルコ十字軍のこともね」
「フォークロアについての資料も当たってみましょう。この辺りの集落についての物を中心に」
「うっす。よろしくお願いします」
 一通りルーマニア語の読み書きができる九龍は、一人で歴史書のコーナーに向かっていった。
 俺と調査員は、もっと絞ったこの集落独自の史料を見ることにした。
「あー……、ドムニソァラ、さんだったか?」
「ミナで結構ですよ。そっちはルーマニア語で『お嬢さん』という意味なので、何度も呼ばれるとちょっと……」
「へぇ」
「先祖が女系で。小さな村の領主を治めていたことからそう呼ばれたものが姓になったと聞いています。ですが、私もお嬢さんなんていう歳でもないですしね」
 灰色の長い髪を束ねたミナはいくつか棚から本を抜き出し、内容を確認して俺に伝えてくる。「不死者」という意味の『モロイ』の伝説、疫病が流行ったときに死者の肉を食えば治るとされていた俗信、民謡に残る吸血鬼の姿……。
 すべてを聞き取り、記憶し、持たされたタブレットに記録していく。そうして膨大な量の情報を囓っていっても、まだこれだというものに辿り着いた気はしない。又聞きしているのも情報の輪郭を歪ませているのかもしれない。
 さすがに図書館でアロマパイプふかすわけにもいかないため、集中力が途切れてくるのも普段より早い。髪に指をかきいれてから大きく伸びをすると、ミナも疲れたのか掛けていたメガネを外して目元を押さえていた。
「……お疲れ」
「いえ……普段、博物館では書庫管理もしているのでこれくらいはなんてことないはずなのですが」
「自分で読んだことを他人に聞かせてるから余計に疲れるんだろ」
「かも、しれませんね。少し休憩しましょうか?あちらにカフェがありますので」
「そう、するか」
「えっと、ハバキさんは……」
 どうしましょう、と首を傾げたミナに首を振り返す。
「あいつと普通の人間を一緒にしない方がいい。今頃鬼のような集中力で本、漁ってるだろうよ」
 俺は彼女と二人で、図書館に併設されたカフェに向かった。ようやく一服できる。この国の変に甘いコーヒーは好きにはなれないが、この際贅沢は言わない。ミナは今日はコーヒーを頼み、平気な顔をして飲んでいるが。
「それにしても、すごいんですね、《宝探し屋》っていう仕事は」
「あいつか?」
「いえ、ミナカミさんもです。ほら、書類を渡したときも今までの経験と知識からどんどん別の情報を見つけ出していましたよね?ああいうの」
「ああ。ありゃいつものことだ」
「それが、すごいと思うんです。私も調査員だけど、あれほどの知識はとっても。一体どれだけ勉強したらあんなふうになれるんですか?」
 俺たちより年は上だろうし大人びた風貌をしている女が、一瞬八千穂と七瀬を足して割ったような顔をした。好奇心と知識欲にてっぺんまで浸かった阿呆の顔だ。
「ただ、毎日本を読んで史料と睨み合って、人知を越えたような出来事に出会して何度か死にかけりゃ誰でもああなる。―――失いたくは、ないからな」
「失いたくない?死にたくない、ではなく?」
「………まあ、そういうことだ」
 《宝探し屋》なんてイカれた商売だ。それにくっついてる俺たちバディも当然イカれてる。更にタチが悪いのは専属バディを持っているハンターと専属バディだ。
 オコーネルだのジャスティーンだの、ヤツらは大切な人間をバディにしている。自分が危険な場所に踏み込むのを分かっていながら、そこに想いを向ける人間を連れて行く。庇護するのではなく、共に在ると決めたからそうするのだが、遺跡にはいつだって死が付きまとう。自分が死ぬ可能性も、バディが死ぬ可能性も。
 専属バディ持ちのハンターの恐ろしいところは、そういう状況の中であるために、普通は最優先に考える自分の命を二の次にしてしまうことにある。最愛の者が失われる危険が高い場所に行くがために、失いたくないと思うのだ。死にたくない、ではなく、失いたくないと。
 そんなイカれ中のイカレ野郎が、俺と九龍だ。
「さて……と。あんたはもう少し史料を当たってくれ。俺は九龍にデータを渡してくる」
「はい。ハバキさんに、病み上がりだから無理しないよう伝えてください」
「ああ」
 俺はミナと別れて九龍を捜した。タブレットにはH.A.N.Tの情報が入っているから、反応がどの辺りにあるか探知することができる。無駄に広い図書館ではそれが役に立った。
 九龍は普通の書架ではなくて、書庫にいるようだ。受付に行ってどうにか通してもらい(英語と片言のルーマニア語でごり押しした)、薄暗い階段を降りていく。行き当たった部屋には棚棚棚棚。ここにどんな書物が収められているかは知らないが、見れば相当に古いものばかりだ。
「九龍もそうだが、……七瀬が卒倒しそうな光景だな」
 独り言ちて、狭い棚の隙間に九龍を捜す。間接照明のせいでかなり暗く、黒一色の九龍を見つけるのは難しい気がしてくる。おおかた、どっかで蹲って本に埋まってるんだろうがな。
 カツカツと、わざと存在を知らせるように足音を立てながら歩く、そして、立ち止まる。ある棚の陰に本当に蹲る人影を見つけた。
「九龍、データベースに放る情報が……、おい、九龍?」
 そこにいたのは九龍だった。九龍だと、認識して、妙な既視感を抱く。九龍のはずだ。だが、何かがおかしい。後ろの棚に寄り掛かるようにしている黒い人影。その周囲に散乱する無数の本。食い散らかすような本の読み方は九龍のクセだ。だから、ここにいるこいつは、九龍なのだ。
「どうした?寝てんのか?」
 考えてみればまだ病み上がりと言ってもいい。行くと言うからそのままに来てしまったが、まだ一日くらいは休ませた方がよかったかもしれない。
「九龍、こんなとこで寝たら風邪引くぞ。一旦戻ろう」
「……か…いた…」
「何だ、起きてんのか。ほら、立てるか?」
「……なか、…すいた」
「腹減ったならホテルに戻って……」
 九龍が顔を上げた。
 そこにあったのは、俺の見知った色じゃない。だが、まったく知らないとも言えない。
「お腹、空いた」
「!!?」
「ねえ、コータロー?」
 言葉尻と口元が同時に吊り上がる。屈んだ俺にゆっくりと腕を伸ばして、頬に触れてきた。
 俺はなぜか、縫い止められたように動けない。絡むようにしなだれかかってくる九龍を、振り払えない。俺に向かう視線が、首筋だけに注がれていることに気付いても、その唇が開くのが分かっても、動くことができない。
 九龍がちらりと視線を上げ、俺のそれと絡まる。そして、言った。
「血が、欲しいんだ」
 ねえ、甲太郎、と。誘うように揺れた眼の色は、まるで血のように真っ赤だった。