風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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9th.Discovery
Night observation - また明日、は来ない -

 ―――俺、人殺しですし。

 たぶん、日本でいう小学生くらいの頃から殺ってました。


 驚かなかったと言えば、嘘になる。当然だろ?いきなり人殺し宣言をされれば、少なからず驚くもんだ。それも、さも当然のように笑って言われたら。
 それでも騒がずにいられたのは、どこかで「やっぱりな」と思っていたからだろう。
 やっぱり、そうだったのか。
 あいつが時折見せる昏い眼を見れば、表ばかりを歩いてきたようには見えなかった。むしろ、俺たちが知りようのない裏側をずっとここまで歩いてきたのでは、と。ロゼッタ協会というものではなく、さらに、もっと深い闇の中を。
 あいつは笑いながらそのどす暗さを隠してきたのだ。學園に紛れるために、その暗さを自分のできうる限り薄めて。
 だが、それも限界なのだろう。
 九龍がやって来た当初の學園ならばまだ隠していられたかもしれない。けれどあいつが遺跡の鍵を求め、扉を開き、《墓守》たちを解放していくうちに學園の闇は薄れていった。少なくとも以前ほど陰鬱な空気は感じない。
 代わりに遺跡の中に闇が籠もりだし、九龍自身が明るさから隠れるようにその場所を好むようになった。學園から闇が払われれば払われるほど、纏う嘘は大きくなり、眠れる時間も減っていく。あいつが遺跡の硬い床で眠るのは、真なる闇に近いからなのだろう。明るくない、自分に近い闇の濃さが漂う、だからこそ安らげる。
 普通じゃない。
 ……だが、普通じゃないからこそ、きっとこんなにも気になってしまうのだ。行動、言動、仕草、表情、一つ一つが。

*  *  *

 双樹の《力》で今日一日、學園中が白岐幽花を忘れた。それは九龍も同じだったが、ただ一つ違うのは、忘れたのが白岐だけではなかったということ。
 最初はあいつが何を欠いたのか分からなかった。だが、とにかく仏頂面で不機嫌そうで、口角を釣り上げることすら面倒だ、と言わんばかりの無表情にあいつの『素』を少しだけ、垣間見た気がした。中国で暮らしていたという過去や、本当の形を。
 それなのに中身ばかりは普段のままで、不機嫌さを顔に出したまま周りの人間の世話を焼く姿などおかしくて仕方がなかった。無理に笑ってない分、言葉は率直で棘を含んでいたが(自分の発した言葉の率直さを後悔してさらに不機嫌になる様など、普段の軽快に喋る奴からは想像もできない)、端々に潜む皮肉や嫌味ですら他人を不快にさせはしない……と、俺は思っていた。他の連中がどうだかは知らない。あいつらだって今日一日、おかしかったのだから。
 とにかく、俺はそっちの葉佩九龍の方が良かったのだ。嘘を貼り付けて笑う九龍よりも、数段。不機嫌な眼差しを向けられてるたび、あいつの中身に触れたような気になれた。防壁のような笑顔の向こう、決して他人に見せようとしない部分。他のヤツらが普段と同じだと思いこんでいる中で、俺だけがそれに触れている。例えようもない優越感と―――もっと言うなら恍惚感。
 さらに言ってしまえば元に戻らなければいい、とさえ思った。いや、元があっちならばやはり元のままでいてくれ、と。それがお前の本当なら、包み隠さず嘘もなしで、全てを俺に突き付けろと。
 それを拒むのは他ならぬ九龍自身で、保健室であいつは自分が嫌いだと言って泣いた。それを聞いて、腹立たしさを感じたのが正直なところ。俺は嘘をつき続けてへらへらと笑うお前が嫌いだ。嘘が嫌いなんじゃない。嘘が、あたかも葉佩九龍という人格を造り上げているように見せることがどうしようもなく嫌なのだ。
 聞けば(と言っても立ち聞きだったが)、あいつが普段笑ってばかりいるのは失った人間の影響なのだという。そいつの真似をすれば、気持ちが分かるかもしれない?ああ、九龍は昔から阿呆だったのだなとしみじみ思った。昼間の、小賢しさを全開にした九龍が阿呆だったというのを思うと少しだけ気が晴れた。
 人間を真似たところでそいつの全てを理解できるわけではない。それができたら世の中に争いはない。なのに、あいつは。信じ込み、実践し、失ってからここまでを生きてきたのだという。何という愚かさ。俺は笑い出したくなった。それはもう、腹を抱えて笑い出したくなった。
 笑えなかったのは、それがあいつの真実で、俺に他人の過去を馬鹿にする趣味がなかったからだ。だから普段通りの顔をして出て行ったら、九龍の奴、眼を見開いて俺を凝視した。まるでそのまま死んでしまいそうな顔だった。
 ―――俺、人殺しですし。
 そんな声がもう一度聞こえた気がしたが、俺はもう驚かなかった。こいつが人殺しだからといって、だから何だという気がした。善悪の線引きが違うからといって、それがどうしたとその時の俺は安易に考えていた。
 ただただあいつの本性を引きずり出したいがために、遺跡で追い詰めるような行動を取り、笑えなくしようとした。次第に笑顔が張りつめていく九龍は、正直見ていて愉しかった。いつ破裂するか分からないほどに膨らんだ風船のようだとも思った。割れてしまえ。もう二度と、笑えなくなればいい。
 確かに安易と言えば安易だったのだろう。俺が思う以上に、あいつの底は暗く、深かった。キレて弾けたようでいてどこまでも澱んで濁った、底のない眼で俺を睨み―――銃を突き付けた、その時になってようやく俺は気付いたのだ。
 きっと、こいつは前にもこうして誰かに銃を突き付けたのだ。その時は、引き金を引いたのだろう。俺には分かった。澱んで濁った真っ黒な眼、それが何かを完全に諦めていたからだ。誰かを、なのか、自分を、なのか、それは分からないが。
 気付いたのはそれだけじゃない。もっと奥深かった、自分の愚かしさにも、だ。銃を向けられながら、それでもこいつの方がいいと思った。むしろ、この激しさが欲しいとすら思っていた。
 一瞬だけ、九龍のささくれた神経を更に逆立てたいと思ったが、本当に切羽詰まったような顔してたからこれ以上は危ないなとなんとなく感じてやめた。今死んでもいいことは何もない。
 右手を血塗れにして化人を破壊した九龍は酷く疲れた、荒廃したような眼をして佇んでいた。もう嫌だと拗ねているようでもあった。確かに、この眼で地上の學園に立ったら一発で異端扱いだろう。この場所はそういう意味では似合いなのかもしれなかった。暗く暗く、地下深く沈んだ場所。あいつの色が、馴染む場所。
 あいつはそれからすぐに笑ったけれど、眼だけが酷薄なまま。一度晒したそれは、隠そうとしても隠しきれなかった。少なくとも俺には、そう映った。
 真夜中も更けに更けきったいい時間だというのにまったく眠くならない。むしろ楽しかった。切羽詰まったようなあいつの背中を追いかけるだけで、陰鬱で黴臭い、薄闇に鈍色を落としたような遺跡が、笑い出したいくらいの色味で輝きだしたようだった。
 痛みを騙そうとする手を握り、呻かせ喘がせ泣かせて本音を吐かせて、強い力で睨む視線をも楽しんだ。嘘はない。本当が刺す。それが心底、心地良かった。血塗れの指、力もない、弱さを握られているくせに眼だけは折れない。死んだような眼が、俺への感情で燃えて揺れる。間近で見られるなんて、何という贅沢か。
 双樹の記憶を解き放ち、地上に戻ってからもあいつは変わらなかったから、変わらない眼をしていたから俺はてっきりあいつが腹を括ったのかと思った。腹括って、不機嫌で無愛想で仏頂面で、どこか憮然とした眼を剥き出しにしてこの學園に居座るつもりなんだろうと。
 その名前のないほどの喜びに比べたら、人を殺したことなどどうということはないように思えた。思えば、俺は愚かだった。ほとんど舞い上がっていたのだろう。普通に考えれば、異常なことだというのに。
 だから、九龍の発したサインを見逃した。いつもなら必ず気付くはずの、癖に。
『聴日見!』
 また、明日。そんなの日本語で言えばいい。中国語だかなんだか知らんが、それで言う意味は一つ。
 嘘、だ。
 俺は自分がぬかるんだ微睡みに落ちる最後の最後、今日の出来事をなんとなく思い返しながら夢を描きかける途中に、その事に気が付いた。どこかで、夜の空気が割れる音を聞き、飛び起きる。
 また明日、の嘘。永遠に来ないまた明日。眠りの前の挨拶にしては重い。
 俺は九龍の部屋の扉を叩いた。真夜中だというのに随分と盛大な音が響いた。俺は、いつも安眠を妨害する九龍と犬に、もう文句は言えないなとどこかで思った。九龍は応えない。仕方がない。無断で造って持ったままになっている鍵で中に入った。
 冬の匂いがするな、と思った。煙草の残り香や、積まれた木の匂い。僅かに開いた窓からは濃厚な冬の夜が覗いていた。空気が痛いほどに凍える。人の温度が欠落した、部屋。
 ―――無人の、部屋。
 留守にしていても何かしらの気配が置かれていた九龍の部屋とは一変している。バディの連中からもらったワケの分からない物体はどこへ行った?図書室から大量に持ち込んだ貸禁図書は。パソコンに繋がれていた得体の知れない器材は。その前に、パソコンは。モデルガンは。ゲーム機にプラモデルにCDにDVDは。
 部屋にはただ木箱が積まれている。他には何もない。人の気配すらなくした部屋。
 俺は、呆然とした。真夜中、二時と三時の間の時間。暖房どころか凍えて冷え切った隣人の部屋で、立ち竦む。  行ってしまった。
 ―――行ってしまった?
 また明日と言い残して、それを全て嘘にして、あいつはどこかへ。
 
 窓から見える月は、牙を剥き出しにした傲慢さでにやにや笑っていた。