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9th.Discovery 六番目の小夜子 - 7 -
大事を取って、一旦魂の井戸へ退避。甲太郎はようやく万全、て感じで顔色も戻っていた。白岐ちゃんも自分が使った《力》みたいなもので抜けた体力を回復できたいみたいだ。本当に、良かった。
俺は手製の爆薬も組み立てながらずーっと、考える。片っぽでは、これが仕事で、自分で二人を連れてきたんだからちゃんと責任持ちなさいって言う。でももう片方では、怖いよー、もうヤだよー、逃げてぇー、とも言う。
たぶん、ちゃんとやんなさい、ってのはあの女をやろうとしてる俺が思ってんだよな。で、怖い、ってのは俺が心底思ってること。
遺跡から、だけじゃない。いつの間にか後戻りできなくなっていた、學園での自分の状況からもだ。
甲太郎は、何も言わない。けれど、もう知っている。何も言わないのは無言のプレッシャーってやつなんだろうか。もし今、ここから帰ってって言ったとしても、甲太郎は絶対に戻らない。自分が死にかけたっていうのに、絶対にだ。
そんなところだけ、こいつは思いっきり頑なだ。
溜め息をつきながら火炎瓶と混合爆薬を作って、ついでにガスHGとスタンHGも補充完了。
ふと、振り返ると部屋の中には甲太郎がいなかった。外には出たとしても、まさか勝手に他の部屋には入らないだろうからいいんだけど……。大丈夫、だよな?
視線をうろうろさせていると、ちょうどこっちを見た白岐ちゃんと目が合う。
「……皆守さんなら、外の空気が吸いたいと出て行ってしまったわ。止めた方が、よかったかしら」
「ううん、いいよ。大丈夫。危ないことは、しないだろうから」
俺は、脚を流すように座っている白岐ちゃんの隣にしゃがみ込んだ。彼女も、色々と知ってる。薄っぺらい俺の外側を、だいぶ前から無いものとして見ていた気がする。
「変なことを一つ、聞いてもいい?」
「ええ、どうぞ」
「……白岐ちゃんからは、俺はどう、見えてた?」
本当に変なことだ。そう思いながらも、聞きたかった。事柄には完全に踏み込んでいても、人間としては互いに等距離を保っている関係の人が、俺をどう見るのか。
「そう、あなたは……不思議な、人ね」
「……なんか、微妙な評価ね、それ」
「冷たそうなのに、酷く温かい。何も求めていなさそうに見えて、どうしても欲しい物もある。どこかは空っぽなのに、別の場所は満たされている。過去と現在を彷徨うばかりで、未来を見ようとしない臆病なところもあるのね」
ぐさ、ぐさぐさぐさ、べきょ。
言い表すならそんな効果音だ。要するに、見透かされてると。温かいってのがどこのことなのかは分からないけど、他は概ねその通り。自分でも自覚していることだ。特に最後のくだりがね。まさに。
「それから……自分のことが嫌いで嫌いで、どうしようもない」
「う゛ッ……」
「だから、受け容れてもらえるはずがないと思いこんで、踏み込むこともできない」
「ええと、ハイ、もうそこまででいいですスイマセン、俺が悪かったです」
途中から、白岐ちゃんの顔がいたずらっ子のそれに変わっていた。言い当てることで変わる俺の顔色でも楽しんでるかのようだ。酷いや。
「……悪くは、ないわ」
「え?」
「悪いのではない。あなたはそこに、気付かなくては」
今度こそ、黙り込むしかなかった。曖昧に笑いながら、心中では絶賛溜め息中。
悪くない、なんてことあるはずないのに。
俺は、居たたまれなくなって立ち上がった。白岐ちゃんはまだ少し休みたいと言うから彼女を置いて、部屋を出る。甲太郎は魂の井戸を出てすぐのところに立っていた。
「……どこ、行くんだ」
何も言わずに、階下に降りようとする俺を甲太郎が引き留める。
「どこ、って。下にあった宝壺とか石碑とか調べてくるんだけど……。ほら、この一番下。あったっしょ?」
「………」
「そんな、唔使驚、疑わしそうに見ないでよー。すぐ帰ってくる、」
「却下。俺も行く」
……あっれぇ?何でバレたんだろ。本当は、先に進もうとしたこと。完璧にバレてる。嘘だって。もう一発大嘘が判明してるから全部疑ってかかられてんのかな。
「了解。あと、どの扉が開くかも見てくるけど」
「ああ」
ハシゴを使うのが面倒で、そのまま中央付近の足場にぴょんと跳んで降りると、甲太郎も付いてきた。……なんていうか、イヤな運動神経だなー、こいつ。本当に普通の高校生かよ。
「えぇっと、……放射能保護スーツ?」
「ああ、さっきの部屋、それを使えばよかったのか」
「っぽいねぇ。申し訳ない、デス」
出てきた放射能保護スーツは、思いっきりさっきの部屋仕様だった。これに気付いてれば、事態はもっとなんとかなったかもしれない。俺のミス。ちゃんと、一度全部調べるべきだった。
さすがにこう、なんとかなったはずの物が目の前に突き付けられるとさすがに落ち込んでしまう。背中に影でも背負っちゃってたのかもしれない。甲太郎が舌打ちをするのが聞こえる。
「あのなぁ。もう済んだことだろ?俺も白岐も、お前も無事だった。それでいいんじゃないのか」
「……だと、いいんですが」
そうもいかないのが俺の稼業。もう済んだこと、で全部済ませてらんないんだよね、これが。
吹き抜けの一階からはこれとマグネシウム、それから石碑のありがたいお言葉をゲットレ。H.A.N.Tにメモるついでに江見メモも入手。
「『凍った区画の壁を通して聞こえてきた振動音はこれだったのだ』、か……」
「凍った区画ってのはあれか、雪降ってたところか」
「それが、この隣か上か……マップ見ると、上みたいだね」
ということは、この機械が雪を降らせてたってこと?もしこれが本当に太古の日本の技術だとしたらマジで、世紀の大発見だ。
それから上に戻る途中で螺旋状金属とかいうのをゲットレ、魂の井戸の上にある通路の扉が一箇所解錠されているのを確認して、魂の井戸に戻った。
白岐ちゃんが、もう大丈夫というから次の区画に向かうことにする。彼女の手を引き、梯子を登るのを手伝いながら通路を渡り、扉の前。
機械油の臭いを感じて、壁の向こう側にいる化人を思う。どういう布陣でも最短で倒せるよう、爆薬を手元に、扉を開ける。
―――突然の、完全なる闇。
H.A.N.Tは化人の気配を探知した。戦闘区画を展開し、俺はノクトビジョンのスイッチも切り替えずにガスHGを放り投げた。床に着弾する前に、爆発。部屋の中央辺りに化人が浮かんでいたのだ。
「なるほど、暗闇で待ち伏せか。……ま、お前ならワケないだろ?」
甲太郎の言葉後半が酷く重たくのし掛かる。さっき、あんなことになったから余計に。ワケない、ように踏ん張らなきゃいけないところだ。
ゴーグルを暗視にスイッチ、まだ壊れきらないパイプ背負った二体に切迫してパラベラムを撃ち込む。最初の爆撃のダメージのせいか呆気なく壊れたのを確認する前に、横から俺たちを感知して出撃してくるポンコツ二足歩行に標的を変える。
甲太郎と白岐ちゃんはまだ入り口付近にいる。そこには絶対、近付かせない。二人に一番近いところから出てきた二体に片手ずつ、弱点となっている首の駆動部を狙って銃撃を繰り出す。
片付いたころ、残り三体ほどが部屋の中央に密集した。そこに、ガスHGを投げる。
倒した、と思った。そこで一瞬だけ気を抜いたのは確かに事実。絶対に、やっちゃいけないことだったのに。
密着していたせいで、一番奥にいたポンコツは爆風の直撃も爆炎の温度も免れていた。半壊した身体を震わせて、攻撃を見舞ってくる。
咄嗟、二人を庇うために避けることを諦め、直撃をもらう。全身を走る高圧の電流。スタンガンを、凶悪なほど改造したような威力だ。一瞬、身体が自分の意識とは知らないところで大きく跳ねたのが分かった。痺れに、右手の銃を取り落としてしまう。左手も、指がまともに動かない。
ポンコツは、ガションガションと機械らしい音を立てながら尚もこちらに近付いてくる。そして、もう一度の攻撃モーション。俺はまだ、撃てない。
死ぬか?と思った。けれど死ねないとも思った。当たり前だ。だって背中には二人が。なんとしても、こいつだけは壊さなきゃ死ねないでしょうが。
せめて武器を渡してから、そんなこと考えながら電撃が迫ってくるのを待った。
……けれど、衝撃はない。代わりに、脳味噌が揺れるのに合わせるように、身体がぐらぐら。芯を外した攻撃は、そこで霧散して消えた。残るのは、強く香ったラベンダー。
「魂が、震えている……」
次いで、さっきの罠の所で見たような白岐ちゃんの《力》を感じて、温もりと共に戻ってくる感覚。左手に残ったベレッタを弾がなくなるまで吐き出して、戦闘は終了した。
……同時に、痺れのせいでずるっと足から崩れてしまう。
「九龍!?」
「ぁ……ゴメ」
「ゴメンじゃないッ。白岐、そこ開けろ。こいつを……」
「あーあー、大丈夫!ヘーキ」
「大丈夫じゃないだろうが!」
「大丈夫、デス。もう大丈夫。平気」
白岐ちゃんのお陰だと思う、足も指先も正座しすぎて痺れた程度に回復している。敵さえでなければ、普通に行動することは可能。
「それよりあっち、なんかギミックが、」
「それよりって何言ってんだ、お前、自分の身体のが大切だとか……」
そこまで言って、甲太郎は舌打ちする。そして、「ああ、思わないのか」と吐き捨てるように。
……ちゃんと、思ってるのに。だってここで俺が死んだら二人が大変だ。少なくとも、双樹姐さんをなんとかするまでは、俺は死んじゃいけないんだ。分かってるよそんなこと。
俺は落ちた銃を拾い上げてマガジンキャッチ、弾薬を装填すると目の前のギミックに近付いた。
「火遠理命の像……って、簡易電池ぃ?」
持ってきてねーっつーの。簡易電池ってのは、ゴーグルの暗視モードの時に大量に電力を使うからそれの予備動力なんだけど……俺、基本的に夜目が利くからあんまりノクトビジョンにしないんだよね。だから、簡易電池も持ち合わせなし。調合で作れるんだけど、材料も持ってない。
仕方ない。
「スイマセン、戻らないとか言っておきながら戻ることになりました。誰か電池……なんか持ってないもんね」
「魂の井戸、か?」
「そ。」
すると甲太郎は、絶妙に微妙な顔をする。あの、たまぁに見せるほにゃっとした猫みたいな。俺、これダメ。見るたびにしんどさだけが加速する。
逃げるようにその部屋を飛び出し、魂の井戸で簡易電池を調達してから深呼吸。
本当に、俺は使い物にならなくなったらしい。しかも、使い物にならなくさせたのは甲太郎だ。砲介のいた区画でも思ったけど、俺はやっぱり甲太郎に踏み込みすぎた。だからこんなにも怖い。
失うことも、本当のことを知られたことも、その上でどう思われるのかって事も。
魂の井戸に入ったってのに指先がかたかた震えるのはさっきの後遺症なんかじゃない。純粋で単純で根深い恐怖。トラウマとかいう名前も付いてる。踏み込んで、大切に思って、失いたくなかったはずの人間を失って、自分でも気が狂れたのかというほどおかしくなったこと。忘れてない。もう二度と、あんな事はイヤだ。
二人の待つ部屋に戻りながら、進みたくない、嫌だ嫌だと足が鈍る。
「ただいまー」
「おかえりなさい。……電池は、あった?」
「ういっス、ばっちりでやんす」
高々と掲げてみせると、白岐ちゃんはちょっとだけ笑った。それを火遠理命像にセットすると、現れたのは《豊玉毘売の真実》という秘宝。
……うげ、嫌な予感がする。
「どうした?」
「い、やぁ……火遠理命と豊玉毘売って、結局うまくいかなかったカップルなんだよな。そのー、鶴の恩返し的なオチで。だから、ただで済むかなーと思って」
「だからって、これをどうにかしなければそこの扉は閉まったままだぞ」
「だよ、ね」
一応、万が一に備えて暗闇の向こうの方にいる白岐ちゃんを呼んで、全員を確認。それから秘宝を像から外した。……案の定、H.A.N.Tが罠の作動を告げる。
「やっぱり!」
「で、どうすりゃいいんだ!?暗くて何も見えないぞ」
「九龍さん、そこの窪みの中に何かスイッチのような物があったのだけれど……」
「ナイス白岐ちゃん!とりあえずそこに退避して、スイッチ入れてみて!甲太郎はこっち!」
一番手前、近くにあった窪みに白岐ちゃんを押し込んで、次いで反対側の窪みに甲太郎を。そこで、今まで立っていた場所を何か恐ろしい熱量が通過していくのが分かった。狭い窪みの中、熱い風が入ってこないよう必死に甲太郎を壁に押し付ける。
罠が去って、次の罠が作動するまでの僅かな間に俺は次のスイッチまでダッシュ。蛇型スイッチを作動させて、さらに横の窪みに滑り込む。一気に解除してしまおうと、そこから反対側の窪みまで走る、その途中に。
部屋に立ち上る殺意を感じた。足を止めたわけでもないのに、最後の解除スイッチまでの距離がやけに長く感じる。
吐き出される何かを見たわけじゃない。けれど、音だけは耳に飛び込んでくる。届くか届かないか、今回はそんなんばっかりだなとか思いながら、でもこれだけじゃたぶん死なないだろうという変な自信もあった。
骨くらいなら折れても罠は解除できる、そう思っていた俺の身体に走る、激突とは別の衝撃。何かが突っ込んできた勢いそのまま、半ば押し倒され気味に窪みに飛び込んだ俺の後ろを、熱量が通過していく。
何が起こったのか。一瞬呆然とした俺を余所に、上に乗り上げている甲太郎は腕を伸ばしてスイッチを解除した。H.A.N.Tの声がどこか遠くの方で聞こえる。けれど俺の意識には引っ掛からない。
当然だ。うつ伏せになってて身動き取れない上に、背中に体温、首筋に荒れた呼吸、肩には抱えるように腕が回っていて、一気に頭ん中がテンパった。
「く、ろ……無事か?」
「………」
「おい、聞こえ、てんのか?」
振り返ることなんか、ムリ。声すら出せない。どうにか甲太郎の下から這い出そうと藻掻くんだけど、ガッチリ固められててできない。体温ばっかりがどんどん上がっていく。
「怪我でも、したのかよ」
「………」
「九龍?」
仰向けにされそうな気配を感じ取って、俺は有りっ丈の力を込めて甲太郎を押しのけた。暗闇で良かった。ゴーグル付けてて良かった。本当に。首を思いっきり横に向けて、目を合わさないようにして、窪みから抜け出そうとする。
止めようとしたのか、俺の腕を掴んだ甲太郎が低く呻ったのはその時。
さぁっと、上っていた血が一気に降りていく音を聞いた。俺のことを助けながら、心配しながら、当の甲太郎が怪我をしていたのだ。血の臭いが、確かにしていた。
離れたかったけどそうもいかない。しゃがみ込むと、無言で甲太郎の背後に回った。右肩から背中にかけて、制服が破れている。血の臭いと共に、僅かに焦げた臭いもしていた。
酷い傷だ。
「白岐ちゃん」
呼べば、すぐそこまで来ていた彼女は暗闇の中から姿を現した。
「応急処置してから魂の井戸に運ぶ。ちょっとだけ、魂振の祝詞、だっけ?読んでほしいんだけど」
「分かったわ」
暗闇が仄かな灯りに照らされる。俺には何を言っているのかも分からない言葉が力になり、傷が緩やかに修復されていく。けれど完治、とまではいかない。出血は大方止まったけれどまだ滲んでいるし、火傷は引き攣れのようになってしまっている。
俺は学ランを引っ剥がし、ペットボトルの水をガーゼに浸して患部に当てた。しばらくそうして冷やしてから、消毒剤と軟膏を塗って、別のガーゼを貼り付ける。
「甲太郎。立って。一旦戻るから」
「……大丈夫だって」
「何言ってんの。早くして」
「大丈夫だっつってんだろうが」
「なわけないでしょ。行くよ」
腕を引いて外まで連れ出そうとするのを、甲太郎は頑なに拒む。先に行くぞと、俺とは逆の方向を向いて歩き出そうとする。真っ暗の中、完全に行き先が、違う。電池が切れてノクトビジョンを外してからも、白岐ちゃんを挟んで俺たちは睨み合った。
暗闇の中で見えているか分からないけれど、きっと俺は酷く嫌な眼をしていると思う。
「お願い。戻って。ただの火傷じゃないかもしれない。もし罠に熱量以外の何かがあったとすれば、今は大丈夫でもだんだん壊疽してきたりするんだから。それに、早く冷やさないと」
「だから、大丈夫だって言ってるだろ。ほら、先行こうぜ」
「甲太郎ッ」
破れた学ランを羽織り、歩き出そうとする腕を取って引き止めると、―――逆に、腕を掴まれて、凄まれる。
「お前はいつも、こうだろう?」
「!! ……でも、俺と、甲太郎じゃ、」
「何も変わらないんだよ。お前なら、これくらい大丈夫だ、そう言って先に進む。俺がそうして何が悪い。―――行くぞ」
下がっていた血は、背筋の辺りにわだかまって凍り付く。なんて意趣返しだ。酷すぎる。眩暈がしてくる。俺は、自分のどこかが切れそうになるのを感じる。震える指が行き着く先は、ベレッタ?俺はそれで、何をどうするつもりなのだろう。
甲太郎は勝手に暗闇の中の扉を開けてしまった。細く光が入ってくる。一度だけ振り返った甲太郎が、早く来いよと視線で誘ってきた。俺は白岐ちゃんの手を取って甲太郎に追い付く。扉の向こうに滑り込むと、当然のように敵が待っていた。
「うっとうしい数が出たもんだな……」
化人とこちらの間に遮蔽物は何もない。とりあえず一発、着弾発破型の手製榴弾を中央に放ってから、うんざりしたように呟いた甲太郎の手も取って、問答無用で部屋の隅に退避させる。
……都合のいいことに、部屋の端には崩れかけの壁がある。俺は壁を発破させ、現れた細い通路に二人を押し込んだ。
「九龍ッ!」
そのまま戦闘に戻ろうとする俺の腕を、甲太郎が掴んだ。俺に、こんなところで問答やってる余裕はない。早く、早くあれを片付けないといけない。仕方ないから甲太郎を蹴り飛ばす。
絶妙なガードで直撃を避けた甲太郎の後ろで、白岐幽花が息を呑むのが見えた。俺は敢えてそちらは見ないようにする。
「……てめぇ、」
「動くな。そこにいろ」
どうして元職業殺人者の蹴りをああも見事に避けることができたのか、今は考えないでおく。そんな場合じゃない。俺は早く戦闘がしたい。
なのに、甲太郎はどうしても突貫を止めたいらしい。通路から飛び出してこようとする。仕方ない。これは仕方のないことだ。指先が行き着く先。手の中にはベレッタ、俺は、それを甲太郎に突き付ける。M92FS。セーフティ操作。スライドを引く。あとは指を動かせば弾は射出される。
「そこから、動くなと、言った。俺の邪魔をするな。―――殺すぞ」
ようやく、甲太郎は足を止めた。眉間に突き付けられる銃が冗談じゃないことが伝わったのだろう。その判断は正しい。俺は仲間を撃てる。
―――あの時のように。
甲太郎の眼の中が段々と曇っていくのを確認してから、踵を返した。爆薬の籠もる部屋の中。噴煙を肺まで吸い込み走り出しながら、やっぱり駄目なのだと痛切に思った。
襲いかかってくる化人に、頼むから一人の時に来てくれと願った。
一人の時ならいくらでも遊んでやれる。俺だってそれを楽しめるかもしれない。
でも、後ろに誰かいるときは、本当にやめてくれ。ようやく分かった。俺は、人を護るのに向いてないのだ。あいつのことだって、護りたいって思ってた。だから強くなった。あいつが泣かなくても、戦わなくてもよくなるくらいに強くなってみせるって思って、そうなったのに。
なのに結局護れなかった。泣かせてしまって、失った。
今だって、護りきれない者を背負って傷付けて持て余して銃を向ける。これが人のやることか?仲間に銃を向け、脅して黙らせる。俺は間違いなくクズだ。人を厭うことができない。だから、だから来ないでくれ。
たぶん、半分ほどは泣いていたのだ。視界が滲んでいる。半ベソかきながら、ポンコツをひしゃげさせてスクラップにし、パイプを蜂の巣にして、また別のポンコツを貫手で分解する。硬い物を殴り続けているせいか、皮のグローブはほとんど破れて手の甲は血だらけになっていた。
それでも近接戦を続けるしかないのは相手がどいつも遠距離レンジを得意としているからだ。死角へ死角へ回り込み、火線上挟撃を誘導し自滅させる。そうして殴る蹴る、撃つ。血の臭いとオイルで、辺りは凄いことになっている。
最後の化人は、ケタケタと嘲笑うような音を立てて消えていった。
* * *
数体を集団殲滅したせいか、辺りにはまだ消えきらない残骸が残っている。
いつの間にかすぐ側に来ていた白岐ちゃんが、俺の隣に並び掛けてそれらを見ている。
「彼らには、聞く耳も物言う口も……。もう、何もない……」
「壊しちゃったからね」
消える最後の鉄屑を足で蹴飛ばして退かしてから、奥に向かう。メモが一枚と、黄金の扉。一瞬、このまま先に進んでしまおうかとも考えたけど、止めた。弾薬や爆薬をもう一度補充して万全を整えた方がいい。
俺は白岐ちゃんを振り返った。にっこり笑って、怖がらせないように。
「ここが終点。一旦、戻るよー。色々補充しなきゃなので。あ、歩くの面倒だったらここで待っててもよいよ?たぶんもう何も出ないし」
「いえ……、一緒に行くわ。それよりも九龍さん、その手は……」
「あ、これ?ヘーキヘーキ。骨が潰れただけだから。あの井戸入ればすぐに治ります」
「……痛くはないの?」
「痛いよー、それなりに」
俺にだって痛覚はある。多少人より我慢強いとは言え、肉と皮破って骨が飛び出したらそりゃ痛いでしょう。今の雰囲気じゃなかったら泣き喚いてるよね、ホントなら。
「あいつら硬ってーんだもん、参った」
だらだらと血を垂れ流しながら、俺は白岐ちゃんと部屋の入り口に向かう。途中で、押し込んだ通路に立ち尽くしている甲太郎と目が合った。律儀に、言った通りに、動かないでそこにいる。
「かくれんぼ終わり。もーいーよー」
手招きするとチラッとこっちを見て、寄り掛かっていた壁から離れてこっちに歩いてくる。俺はその眼を見ないようにして、次の部屋に向かう。真っ暗闇の中、無事な左手で白岐ちゃんの手を引いて中央広間に出た。
魂の井戸の前まで来て、白岐ちゃんを中に入れたものの、なぜか甲太郎が通路で立ち止まっている。見なければよかった、と後悔するような嫌な眼をして。
分かっちゃいるけど、まあ、当たり前のことだ。自分に銃突き付けた人間と一緒にいたいとはなかなか思わないもんな、普通は。でも、甲太郎は怪我人だ。魂の井戸には入ってもらわなくちゃ困る。
「どったの。入んないの」
「………」
「甲太郎、―――ッ!?」
素早く伸ばされた腕に、潰れた右手を取られる。力を込められて、あまりの激痛に叫びそうになった。息が、止まる。
「っ、ちょ、はな…せ」
「……前にも」
「な、に」
「前にも、こうやって手、潰したことあったよな」
覚えてる。それは、最初に甲太郎を殺しかけたときのことだ。あの時は罠に引っ掛かって押し天井に手を潰された。
「それ、が、何ッ」
「なあ、痛むか?」
「……大したっ、こと、ねー、から…はッ…も……いいっしょ?」
泣き声にならないよう歯を食いしばるのが精一杯。本当は痛い。超痛い。なのに甲太郎は、その手を、あろう事か、思い切り、握った。
「 」
絶叫しなかったのは、奇跡だったと思う。
俺、奇跡に一票。俺の奇跡なんてそんな軽さだ。いや、痛みが突き抜けすぎて、喉で声が止まっただけだったのかも。とにかく。甲太郎にサドッ気があることは確定した。これ以上意地を張るともっと力を込められる気がする。俺にマゾッ気はない。
「……痛むか?」
「痛い、から、離、して」
奇跡の代償は、潰れた右手だけをまるで差し出すようにして、床に跪くっていう醜態。俯いて顔も上げらんないところを、甲太郎は容赦なく覗き込んでくる。
「痛いなら、痛いって言えばいいんだよ。大丈夫、なんて笑わないでな」
「………」
俺は、涙滲んだ眼で思い切り甲太郎を睨み付けた。
―――甲太郎は、不思議な眼をしていた。こんな酷いことしたってのに、穏やかなこと極まりない。むしろ、微笑んですらいるように見える。すぐに立ち上がって魂の井戸に入って行ってしまったから、本当はどうなのか分からないけれど。
俺はそのまま、しゃがみ込んで泣いた。堪えようと思ったけどムリだった。
分かった。甲太郎のその顔の意味。俺のこと、追い詰めてるんだ。そうだ、そうに違いない。
そういう顔して俺の中に踏み込んできて、来てほしくないのに遺跡の中にまでやって来て、俺の目の前で傷付いたりして。俺を追い詰めてるとしか思えない。そうじゃなきゃ、他に意味が見つからない。
半ば錯乱してたんだと思う。戦場で一番やっちゃいけないことだけど、もう戦闘は終わってると思って、全力で自分の意識に逃げ込んだ。被害妄想と過剰な自意識と自己嫌悪を総動員させて、甲太郎からもこの場所からも、逃げようとした。
行き先は記憶の中の香港、九龍城砦だ。今はもうない、あの写真の場所。俺が一番、幸せに生きてた時間。
……なのに、痛みがそれを邪魔する。痛くない、痛みなんかない。そう思おうとしても、貧弱な痛覚は許してくれなかった。涙が堰き止められないほど強く、痛みは感覚全てを支配している。それが、いやが上にも俺が、この場所に居るんだって現実感を連れてくる。
しばらくの間、声もあげずに泣いて、次に顔を上げたのは、痛んでいた手に柔らかな温度が触れたとき。あんまりにあったかくてやさしくて、俺は泣いてるのも忘れて思わず顔を上げちゃった。
目が合った白岐ちゃんは、触れている手と同じくらいあたたかく微笑んでいる。
「白岐ちゃん……」
「部屋に、入らないの?」
「…………」
ゆっくり、手を握られる。温度のせいか、柔らかい手付きのせいか、さっきみたいな激痛は微塵も感じない。むしろ、触れられてることが気持ちいいくらい。
「皆守さんは……きっと、私が見ているあなたを見たいのではないかしら」
「……俺、を?」
「怖いならば怖い、辛いなら辛い、逃げてしまいたいなら、そう、言ってくれるのを待っているように私には思えるのだけれど」
確かに、怖いし、辛いし、逃げたいし、痛いし嫌だし辞めたいし耐えらんないしきつい。でも、思うのと口に出すのじゃ天と地ほどの差があるでしょ?男の子は我慢しなくちゃならんのです。そうやって、ずっとここまで生きてきたのです。
俺は黙ったままだったけど、白岐ちゃんにならちゃんと伝わってる。そんな気がした。
「九龍さん。たしかに、私たちはあなたに期待している」
「………」
「けれど、知っておいてほしいの。だからといって、あなたの自由がなくなったわけではないということを」
「でも……、この墓を荒らしだしたのは俺だし、ここまできちゃったら、最後まで責任もって、やらなきゃ」
すると、白岐ちゃんは笑いをもっと軽くする。ふふふ、と。大人びた、それでいて重くない。
「だからといって、この世界が終わったりはしないわ。それに、……あなたに責任という言葉は、あまりにも似つかわしくない」
「……そ?そんなに、責任感なさそうに、見える?」
「背負い込むのは、似合っていないわ」
思わず、俺は吹き出した。だってあんまりに見透かされてしまっているから。手はまだ痛むけれど、それでも笑うくらいはできた。
ボロボロの泣き笑いで、それでも身体の力は妙に抜けた。
追い詰められて、潰れそうだったのは手なんかじゃない。俺自身だった。潰れるまで、やらなきゃと思ってた。でもそうじゃない、って。潰れたくないならそう言っていいって。潰れてしまう前に、―――逃げ出してもいい、って。
例え発した白岐ちゃんがそういう意図で言ったんじゃなくても、俺はこう受け取った。
「―――行こっか」
白岐ちゃんが俺に示してくれたのは、抜け道、だった。