風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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9th.Discovery 六番目の小夜子 - 6 -

 突然、H.A.N.Tが震えた。木箱に使わないであろう装備品を込めていた俺は、メールだろうと見当を付けてH.A.N.Tを手に取った。
 一通はタイゾーちゃんから。……カップ麺にチーズトッピングって、どう思う?俺、軽く邪道だと思うんだけど、ダメ?いや、たぶん味はそんなに悪くないと思うんだけど。ほら、俺ってカレーにマヨネーズ、ダメだと思う人間だから。こないださー、マミーズでルーが見えなくなるくらいマヨ掛けしてたヤツがいて、思わず甲太郎と二人で説教しちゃったんだよねー……って、んなことどうでもいいんだよ。
 とりあえずチーズカップ麺を美味しくいただいてくださいという内容の返信をして、二通目を見る。八千穂ちゃんと白岐ちゃんからだ。どうやら今日は八千穂ちゃんの部屋に白岐ちゃんが泊まるみたい。古人曰く、仲良きことは美しきかなですね。
 二人ともお友達になれたようだし、サボリーズは教室に顔出すようになったし、元執行委員はみんな楽しそうに学校行ってるし(ホントのとこはどーだか知らんけど)、なんとなーく、色んな物が上手く回ってる気がする。そう思い込みたい。
 墓は暴ききってないからまだそこまで《生徒会》のみなさまも殺気立ってるワケじゃない。今は、まだ。
 で、そんなよろしい状態現状を守るために、ここらでドロン、なんて。白岐ちゃんにあんなこと言われるまでは考えてた。
 でも、あの一言はきつい。
『私は期待しているの。あなたならきっと、この學園を覆う闇を振り払える―――振り払う《力》になってくれる』
 無理です、なんて言える状況じゃなくなってた。双子は、王が目覚めるとかなんとか言ってた。《墓守》がそれを留めている、って。俺はその留め具を、知らない内に勝手に踏み荒らして外していったというわけで。
 確かに、責任は取らなきゃいけないのかもしれない。
   だが逆を言えば、今、これ以上踏み込まなければこの學園の、少なくとも現状は維持できるわけだろ?阿門が直接行動に出ていない、ってことは、まだ手遅れじゃない。
 とりあえず今日は、美女との約束すっぽかすワケにいかないので潜りますけど、その後は、どうしようか?責任を全部引っ被るつもりで進み続けるか、ここらで遁走してみるか。後者を選びたいけど……學園のよく分からない者は後者を望んでたり。でも、生徒会は出て行けっていう。仕事のことを考えれば、残らなきゃいけない。まだ何も、分かっていないのだから。
 ふと、甲太郎はどう思ってるんだろうとか、考えた。なんとはなしに、ぼんやりと。学校で、阿門と会ったとき、あいつなんて言ってたっけ?馬鹿で阿呆でどうしようもない上に偏屈で他人の顔色ばっか見てるような奴、だったか、失礼だなオイ。ヤ、その通りなんだけど。
 俺は、ベッドに寝っ転がってもらった写真を撮りだして眺める。映ってる窓や看板を指で辿り、想像の中でいつか自分がいた部屋に入る。木箱みたいなベッド、あいつの作業机、あの頃はまだ俺は銃工の副業はやってなかった。狭いキッチンに、似つかわしくないほど並んだ香辛料。ボロボロの棚に、古いCDラジカセが置いてある。CDやテープは沢山あった。ほとんどが海賊版だったけど。本棚には宮沢賢治が入っている。日本語と、中国語訳のものと。昔の、独特の文体で書かれた日本語の方を、あいつはよく俺に呼んでくれた。耳に馴染む声で、唱うように。それが、酷く好きだったことを俺は今、こんなにも強く思いだしている。今日一日、まるっきり忘れていたのに。
 俺は、使うことになるからと出しっぱなしにしておいたベレッタM92FSを手に取った。あいつがよく使っていた銃。少し握りが大きくて、チ……小柄だった俺が使えるようになったのはだいぶ後だったっけ。スタイリッシュなイタリア美女、んなコト言ってたっけ。
 色んなこと、思い出せる。煙草の銘柄、好きなコーヒーの種類、淹れ具合、癖、使っていた銃、よく唱っていた歌、好みの歌手、柔らかさの少ない指先に、「愛してるよ」って俺に言うときに三日月のように細くなる眼。
 記憶は、忘却分を取り戻すかのようにどんどん深みに落ちていく。あの日。突然。銃声。怒号。血煙。涙。呼ぶ声。それから、……『ゴメン』。
 いけない。そう思って首を振ってベッドから降りた。写真を机の上に置いて、装備を調え部屋を出る。じっとしてると、どんどん思考が回っていってしまうから。
 今日は誰もバディに誘わない。正直、合わせる顔がない。こんな状態で戦闘して、俺、自分がまともなまんまでいられる自信がない。
 ずるずると墓地に向かいながら、煙草を一本。なんとなく、落ち着く気がしないでもない。そんな錯覚がするから、止められない。禁煙は三年で終わったなー。根性続かない俺。
 逆を言えば、ここ三年ほどは自分が追い詰められたりしなかったってことだ。あいつっぽく振る舞って、表面上の自分は思いきり開け放して他人とテキトーな距離でテキトーに接した。あーぁ。こんなトコこなきゃまだ禁煙してただろうにまったく。俺が肺ガンで死んだらどうしてくれる。……まあ、どうってことはないんだろうけど。
 今日は墓守のじいちゃんいねぇなあ、なんて、小屋を覗き込みながら奥へ。墓地に入って少しのところで俺は立ち止まった。そのまま、踵を返したくなる。別に、何が見えたってワケじゃない。見えたんじゃない。道標のように残される双樹姐さんの熟れた臭いと、……そこに隠れるように漂うラベンダーの匂いだ。思わず舌打ちをして、煙草をもみ消し携帯灰皿へ。
 部屋に戻ろうか、進もうか、迷っている俺の背後に誰かが立った。
「九龍さん……」
「!?……白岐ちゃん、な、何、してんの。八千穂ちゃんは?」
 だってさっきメールで。白岐ちゃん、お泊まりって。なのに何でこんなとこに。
「あなたはきっと、今日遺跡に向かうだろうって八千穂さんが……。私が生徒会に囚われていたということは、何か鍵になるだろうから行ってあげてと言われたの」
「……行ってあげて、って」
「本当は八千穂さんも来たがっていたのだけれど、あなたからバディの要請が入らないから待っている、と」
 ああ、もう、余計なことを……。とても困った。困ったから頭を抱えてみた。前門の虎後門の狼。まさにこのことでしょう。二進も三進もいきやしねぇ。
「あの……もしも、私が足手纏いになるというのなら部屋に、」
「あーあー。いい、いい。そんなことないよ、大丈夫」
 んなことしてみぃ。八千穂ちゃんがまた心配してヘタしたら追っかけて来かねない。それが一番困る。
「今日の、相手はですね、白岐ちゃんを忘れさせた張本人なんですよ。だから、俺としてはその辺がちょっと不安で」
「……やっぱり行かない方がいいかしら」
 こんなとき、あいつならどうする?シミュレーション開始。
『ったぁく、危ないつってんのに。……しゃーねーな、おいで。その代わり、死にそうになっても文句は垂れんじゃねぇぞ?』
 それで、結局危ない目に合わせもせずに護りきっちゃうんだろ?そういうヤツだ。こんな事、まるで何でもないっていう風に。
 俺にはできない。無理だ。……でも、そうするしかない。今は、俺、あいつをやってんだから。
「大丈夫。行こうか。その代わり危ないのは分かってね?」
「ええ、分かったわ」
 こうするしか、ない。あとは、先にいるヤツだけだ。
 真っ暗な墓地を、白岐ちゃんの手を引いて進む。時折つまずきそうになる彼女は、學園の鍵を握っているかもしれないというのにあんまりに普通の女の子だ。夜目も利かない、戦うこともできない。
 それなのに、どうして危ないことをしたがるのか。俺が何をやるのか、本当に見守りに……見張りに、来たのだろうか。それは視界に入ってきた男にも、同じことが言える。
「うっす」
「……よぉ。……白岐、か?」
「こんばんは」
 甲太郎は、物凄いビミョーな顔で俺たちを見てる。俺、白岐ちゃん、それから繋いだ手。俺はやんわりと手を離した。
「やっだなー、甲太郎ったら真夜中にランデブー待ちぼうけなんて、すどりんにやったら泣いて喜んでくれるよ?」
「………」
「ちょうどよかった。宵っ張りついでに一緒にどう?」
 下下、と指でさせば、何だかすっげー嫌そうな顔であっち向いてプイ。……行くの嫌なら何でここにいるよ、あーた。
「……いや、別に嫌ならいいんですけどー」
 すると、甲太郎は俺の頭のてっぺんから爪先まで睨めて、チラッと白岐ちゃんを見て、俺を見て。
「……つーか、この状況じゃどう考えても俺は邪魔なんじゃないのか」
「ハイぃ?」
 俺は一気に脱力した。白岐ちゃんも驚いたように口元に手を当てている。そうかい、そっちのほうかい。そりゃ、勘違いも甚だしい。どうしてくれよう。
「えーっと、あのですね、……全ッ然、そういうことじゃないから」
「私は、その、八千穂さんに頼まれて、九龍さんが心配だからと……」
「そーそー。行くならさっさと行こうぜ。白岐ちゃん、今日は八千穂ちゃんのお部屋にお泊まりなんだと」
「……そうかよ」
 そこまで言ってもまだ訝しがるような視線を向けられる。何なの。一体何なのよ。つーか、何でそんな顔すんだよ。万が一、億が一、白岐ちゃんと俺がそういう関係だったとしても、甲太郎がそんなかをする必要なくね?それともあれですか。
「まさか、ヤキモチ?コータローさん」
「ばっ、何言ってんだ阿呆ッ」
「ふぅーん、へぇー」
 甲太郎はー、八千穂ちゃーん、みたいなー、子がー、好きだとー、思ってましたー。そうか、オリエンタルで神秘的な美少女が好みなのね。言ってみればモーゼルみたいな子か。あ、俺も好きー。
「ま、イイケド。行く?行かない?俺、もう行くけど」
「そのつもりで来たんだよ」
「じゃ、行きましょーか。白岐ちゃーん、俺が降りたら続いてきてねー」
 そう声を掛けたんだけど、白岐ちゃんは顎の辺りに手を当てて、ちょっと考え込みモード。どうしたんだろう、何か心配でもあるのかなと思ったら、
「やきもち、……私に妬いたのではなくて?」
「……なんでやねん」
 俺は頭を抱え込みたくなるのを堪えて、一番最初にロープを降りた。

*  *  *

 大広間は化人の襲撃もなく、至って安全。それを知ってるから、俺は白岐ちゃんが降りてくるのを助けたところで、大広間にある宝箱を回収して回ることにした。今まで放っておいたんだよね。でも……もしかしたら、ここに潜るのも最後かもしれない。ロゼッタ協会に必要な物があるんだったら、今取って回った方がいい。
 一箇所、南東にある壺だけ鍵を解除できなくて諦めたけど、他は全部ゲットレ。その中には、前に白岐ちゃんにもらった花もあった。ここにあるってことは、きっと不思議な効能とかあるんだろーな。
「おーい、九龍ッ」
 最後に降りてきた甲太郎が、俺を呼んだ。声がよく反響するところだから、離れていても聞こえる。
「ういーッス」
 二人が歩いてくるのが見えて、俺は高台の足場から飛び降りた。
「お待たへ」
「……なんだ、それ」
「注連縄、にしか見えないデスネー」
「そっちは」
「……世紀の新発見、神秘!河童の手、とか?」
 一見干物の猿の手にしか見せません。H.A.N.Tの反応を見るとミイラの手、らしいけど。
 俺はそれらを魂の井戸に放り込んで、新しく鍵の開いた区画の扉を開いた。
 横幅の狭い通路、壁は、何だか無機質な感じがする。設置されているハシゴを用心しながら降りていくと、ようやく少しだけ空間に余裕のある場所に出る。置いてあった宝箱からは芳砂とか金属ナトリウム、硫化水素が手に入った。これでまた爆薬ができるー、なんて。発想間違ってる?《宝探し屋》としては間違ってないと思うんだけど。
「ああ……」
 通路の向こうの方で白岐ちゃんの声がした。まさか、何か出たかと思って急行すると、なんのことはない。紫色の蝶々が、ひらひらしてる。
 ……俺は、今日に限っては『彼女』に触れたくはなかった、けれど、触れないわけにはいかない、そんな気もして。
「いらっしゃい……」
 指先に降りた蝶は、蝶々夫人に姿を変えた。
「また会えたわね。若き探求者よ……」
「どーも、こんばんは」
 軽く会釈をすると、彼女は仮面の向こう、眼を細めて俺を見てくる。……なんだ?
「初めて会った時とは見違えるよう。ここまでを踏破して見たもの、得たもので、あなたという存在は洗練されてゆく」
「そう、ですかね」
「あなたは……変化を喜ばしい事と思う?」
 喜ばしいも、何も……俺は、別に何も変われていない。最初に彼女に会ったときと、一体何が変わったっていうんだろう。
「変化は、望んでいるかもしれない。でも……自分の何が変わったかって言われても、それは分かりません」
 マダム・バタフライは視線の落ちた俺の頬に、そっと手を伸ばした。
「あなたは現にこうして迷宮の扉を開け、その足を延ばしている」
「…………」
「変化はあなたの身に起こっているだけではなく、あなたによってもたらされているもの」
 俺が、俺に変化をもたらす?自分の身の置き方も分かっていないのに、どうしろというのだろう。
「それでも変化を押しとどめようとするのなら、大いなる力が必要になるわ。あなたはそれを手に入れられるかしら……?」
「俺は、……分っかんないんですって、ホント」
 進みたいのか、止まりたいのか。留まりたいのか、逃げ出したいのか。ここにいていいのか、それとも、いるべきではないのか。
 今の、こうやってる俺じゃなくなるって事は、つまりはここにいられないということなのに。変化は止められないのだという。マジで、どうすりゃいいんだよそれ。
「今はまだ、分からなくても、進み続ければ見えてくるものもあるわ。分からないなら進めばいい。疲れたなら立ち止まればいい。……けれど、過去を振り返っても、答えは見つからないわ」
 彼女はそれだけ言うと消えてしまった。最後に瞬いた眼差しが、心配げに揺れたのは何で?言葉の意味も、重みも、答えも何も俺には分からないのに。
 出て来る溜め息は重たい。見透かされた気がする、なのに、俺の後ろに立ってる二人も人を見透かすことに掛けては天下一品だ。逃げ場、無し。
「さて、と。行こっか、ね?」
 白岐ちゃんは物珍しげにふよふよと飛ぶ蝶に触れていたが、俺が声をかけると頷いて後を着いてきた。甲太郎は……あー、なんかもういいや。胡散臭そう。ヤ、ずーっとそんなんだけどさ。
 通路を抜けて、扉を開けるとそこは一気に開けていた。吹き抜けの大部屋。出っ張りみたいになってる足場を踏み外したら真っ逆さま、そんな感じ。
「うわっおーぅ」
「なんか…機械っぽい、ところだな。俺、苦手なんだこういうの。というわけで頑張ってくれ。よろしくな」
 えぇー?のっけからやる気ない発言かましてくれましたよ、なんなのホント。やる気ないなら来んな!
「物理とか科学とか、苦手だったっけ?」
「ていうより、ちゃんと生きてるもののが扱いやすいってだけだ」
「へー」
 そんな事を話しながら、白岐ちゃんが落ちないように時折振り返りながら、足場をぐるっと回ってみる。一箇所、扉があってそこは施錠されていない。
 銃を構えて、開けてみる。何にも、いないっぽい。
「大丈夫、入って」
 銃を収めてから白岐ちゃんを招き入れて、次いで甲太郎も。狭い通路になってたからあんまり動き回れないけど、ここからどっかに出られるのかなー。
 なんて、考えながら壁を叩いてたら、奥へと歩いていった白岐ちゃんが。
「ここは……あッ」
「白岐ちゃん!?」
 奥の床が抜けていたらしい。咄嗟に彼女の腕を掴んで引き寄せようとしたけど、手遅れ。落下を始めていたため、俺も体重を掛けきれずに巻き込まれる。
「九龍ッ!!」
 甲太郎が手を伸ばすけど、一瞬遅かった。落ちる、嫌な感覚の中、どうにか白岐ちゃんを抱えて体勢だけは入れ替える。直後、衝撃。受け身を取ったものの、高さはかなりのものだったらしく、肺を打って息が詰まる。
 思わず出た呻き声が聞こえたのか、俺の上に乗っかってる状態の白岐ちゃんが慌てたように顔を覗き込んでくる。
「ごめんなさい……。……大丈夫?」
「あー……、なん、とか」
 げふっと咳き込んで起き上がれば、あーら、何ともまあオイシイ体勢。こんな風に女の子を堂々と抱き締められることって滅多にないよな。
「白岐ちゃんこそ、怪我は?」
「私は大丈夫。あなたが、庇ってくれたから……」
「イエイエ、俺、コレでも男の子ですから」
 しかも丈夫だし。床に叩き付けられてもダイジョーブ。なんてVサインしてへらへら笑ってたら。
「どわッ!!?」
 降ってきた。甲太郎が。それも、なんか特撮ヒーローみたいに格好良く降ってきた。……かなりの高さなのに、着地まで決めた。すげぇ。
「九龍、大丈夫かッ……って、お前ら、何、やってんだよ」
「へ?あ、ああ、コレは、ですね」
 甲太郎はいつまで抱きあってんだと言わんばかりに俺の首根っこを引っ掴んで白岐ちゃんから引っ剥がした。あ、こういう感じ、なんか久しぶりかも。そんで蹴られるんだよね、げしっと。あ、やっぱり。
「ったく、いちゃつきたいなら人の見てないところでやれよ」
「いちゃついてたんじゃないってば!もし落ちたのが甲太郎でも同じことになってたって」
「……そうかよ」
「あ、でもタイゾーちゃんとか鎌治はなぁ……なんせ確実に潰されそうな気が」
 ぶつくさ言いながら、自分の状態と武装の確認をし直す。……ちょっと、右肩と左脚の付け根を変な風にやったっぽいけど……まあ、これくらいは許容範囲内だ。
 大丈夫。平気平気と自分に言い聞かせて、落ちたとこからすぐ傍にあった扉を開けた。
 途端、目の前にロボットが。二速歩行型だ!ザクとは違うのだよザクとは……って、グフよりはゲルググっぽいよーな。いや、あの等身はガンダム?
 とりあえず、ガタガタと身体を動かして攻撃モーションに入ったらしいので、銃を抜く前に飛び掛かった。距離を詰め、繰り出される前に突き上げの掌底を見舞う。首から上が変な方向に傾いたところで回し蹴り、鉤付き後、脚の駆動部に貫手を打ち込んで破壊する。ロボットはあっと言う間に廃棄処分になったのでした。
「ひえー、硬ったー。素手はやめよ」
「なんだこのポンコツは……。ここの番兵って事か」
「らしいね。二人ともこっち!隠れて」
 さっきまでポンコツがいたところはちょうど奥にいる敵からは陰になる。俺もそこに身を潜めてから、わしゃわしゃと変な音を立てて近付いてくる敵に向かってスタンHGを一発、ガスHGを一発放り投げた。
 これで少しは弱体化してるといいんだけど。ゴーグルの熱源探知では、まだ奥に二体ほどいる。
 隠れたままやってくるのを待ち伏せ、近付いたところで二挺拳銃可動部の弱点狙い。一体、ポンコツを廃棄。奥から出てきたパイプ背負ってるのは滑り込みで攻撃を避け、背後を取って撃つべし撃つべし。
 そこでH.A.N.Tは戦闘の終了を告げた。
「なんだよ、もう終わっちまったのか」
「おう。ちょろいっすよー」
 俺は肩を竦めて見せてから、すぐそこにあった石碑を確認する。
『供物は全部で四つ捧げよ。一つ目は玉祖命に。二つ目は布刀玉命に。』
「四つ~?五つの間違い違うか?」
 天孫降臨の供物って意味なら、五伴緒の天兒屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命で五人に捧げるはずなんだけど……。すると、部屋の向こうの方でまた白岐ちゃんが呼ぶ。
「これ……じゃないかしら」
「お、ホントだ。ああ、何だ。もう天兒屋命は済んでるんだ」
 だったらあの碑文の通りに、次は玉祖命、二つ目は布刀玉命に。並びでこういう捧げ方するなら、次は伊斯許理度売命で、ラスト天宇受売命……どう?
 どうやら正解だったっぽい。お勉強はしておくべきだね。
 仕掛けの反対側にあった扉、そこも開くようになってたけど開錠音がしたのはもっと奥だった。途中で宝壺からナトリウム剤をゲットレして、一番奥へ。したら、微妙にヒビ入ってる壁を発見。
「ちょっち下がってー。壊すから」
 で、ちゅどーん。奥にはハシゴが。登っていくと、そこには扉があった。よし、ビンゴだね。
 それでは突入、って思ったとき、俺はその扉の前で立ち止まってしまった。
 この区画全体に漂う化学薬品っぽい臭い……それとは少し違う、ガスのような硫黄臭さ。何だ……?何の臭いだ、コレ。
「どうした、九龍」
「……なんか、臭う」
「なんかって。……お前、煙草の吸いすぎで身体に染みついたんじゃねぇのか?」
「甲太郎のアロマほどじゃないですー!」
 言い合いながら、やっぱりなんかおかしい気がして、でも開けなきゃ進めないだろうなーと思って扉を開けた。
 そして部屋に、踏み込んだ瞬間。
 生存本能が一気に全開までに達し、ここが完全に危険だと言うことを察知した。鼻を刺すような臭いを感じて、咄嗟に後に続く二人を押し出そうとする。けれど遅かった。二人とももう入ってきていて、扉は閉まってしまう。
「ッ……!!」
「なんなんだ、この臭い……」
「二人、とも、息を止めろッ」
 扉は完全にロックされている。H.A.N.Tは罠の作動を告げていて、つまりはそういうことだ。解除しなければ、出ることもできない。
 澱んだ空気の部屋。吐き気と頭痛が襲ってくる。間違いなく、有毒ガスの類だろう。長居をするのは死を意味する。更に悪いことには、俺にはガスの種類が分からないため、上に溜まるものか下に溜まるものかの判別ができない。これでは、指示が出せない……!
 とにかくなんとかしなくては、そう思って持っていたペットボトルの水を救急キットのガーゼに浸して二人に手渡した。
「なるべく、直接、これを吸うな……ッ」
「言われなくても、分かって、る……」
「甲太郎!?」
 ぐらりと甲太郎の身体が傾ぐ。受け止めながら、俺は最悪を考える。とにかく、とにかくこの部屋から出なければ。だが何の処置もしないでトラップの解除に行って、もしも、……甲太郎が死んだら?
 一度感じたことのある絶望感を目一杯感じながら、そういえば前科持ちだったと思い出す。あの時も、甲太郎は死にかけた。死んでもおかしくなかった。
 そして、今も。
 頭をフルに回転させても最善の方法というものが思い浮かばず、このままでは白岐幽花、彼女まで倒れてしまうと、当の彼女を振り返った俺は、飛び込んできた姿に驚いて言葉を失った。
 白岐幽花は何かを唱えていた。身体からは黄金色の光が滲みだしている。彼女は甲太郎を引き寄せると、壁にもたれ掛からせるようにしゃがませた。光は、甲太郎にも伝染していく。
「………それは、一体…」
「行って、九龍さん。私たちは大丈夫。だからあなたも早く」
「あ、ああ」
 眉間に皺を寄せ、苦しさを滲ませる甲太郎は不安だったが、俺がここでこうしているわけにはいかない。気休めに口を押さえて、ギミックを解除することに専念することにした。
 目の前に像があるけれどこれは動かない。邇邇芸命の像……ということは、石長と木花佐久夜の像を探すのがいいんだろう。
 細い通路を抜けた先、置かれていたのは木花佐久夜毘売の像。しかも動く。滑るがままに任せて像を動かすと、どこかで物音が。隣……さっきの像か?
 邇邇芸命はこちらに背を向けていて、そこには《婚意の書簡》が貼り付いていた。
「故乞遣其父大山津見神之時、大歡喜而、副其姉石長比賣、令持百取机代之物奉出……」
 だんだんと濁っていく意識をどうにか保つため、図書室で頭に叩き込んだ古事記の邇邇芸命の婚姻の行を思い出して口に出す。《婚意の書簡》は姉妹の父親大山津見神に渡す物……きっとこのギミックは秘宝を、渡すべき神の場所に置けばいいのだ。
 石長比売から入手した《父神の神意》を取れば、大山津見神の背中には《百取机代物》が現れる。代わりに《父神の神意》を収めて、最後の《百取机代物》は邇邇芸命に……。
「…ちく、…しょ……」
 大山津見神像から邇邇芸命像に向かう間に、とうとう目が眩み始めた。心臓の辺りに激痛が走る。肺かもしれない。息ができない。足が止まる。指が震える。頭痛、痙攣、吐き気、怖気。
 けれどこのまま死んでしまうわけにはいかなかった。そこにはまだ二人がいる。罠を解除しない限り、二人も外に出られない。
(……そんなこと、させられるか……ッ)
 俺は、二人の命を預かってここに来た。預かったものは、何があっても帰さなければいけない。死んでも、例え俺が死んでも二人、だけは。
 なのに、霞む視界の向こうで、邇邇芸命像が幾重にもだぶっていく。意志だけは進もうとしているのに、身体がどんどんそれと離れていく。
 ここまで、なのか?ここに来て、殺してしまう?俺は、圧倒的な絶望の中で、自分を呪った。
 膝をつきそうになりながら、震える指で壁を掻く。あと、数十センチ。届く……?いや、届、かない―――。
 
 伸ばした手が空を切る。
 秘宝が、指先から零れていく。
 殺してしまう、そんな思いだけが意識の中に残り、他の全てが死んでしまいそうになる。
 身体から力が抜け、倒れ込む寸前。

 何かに支えられる。
 壁や床でない温度を感じながら、落としたはずの秘宝の音が聞こえないと酷く不思議になる。
 もう感覚まで死んだのだろうか、早過ぎる、なんて。
 思いながら、心臓が痛くて痛くて、堪らなくて、支えていた何かにしがみついた。
 匂いがする。澱んだ部屋の空気じゃない。甘い。柔らかくて、優しい。
 
 意識を完全に飛ばす数瞬間前、俺はどこかで、罠の解除音を聞いた。

*  *  *

 意識を撫でる、柔らかい気配。温かい温度が触れるたび、痛みが溶けていく。髪に触れているらしい指が、頬に降りて、誰かが、俺を呼んで、名前を、声が―――聞こえる。
「…――――?」
 目を開けた、その真ん前に、黒い髪と、黒が少しだけ赤みがかった眼。心配そうにこっちを覗き込んでくる。
「九龍さん……、よかった」
「……白岐、ちゃん?」
 彼女は、泣きそうな顔で微笑いながら、小さく頷いた。俺は、白岐ちゃんが無事だったことに安堵しながら、すぐに別のことに思い当たった。
「罠……罠、は……ッ?」
 俺は、解除した記憶がない。その直前でぶっ倒れたような気がする。
「俺、だって、……解除、してない」
「大丈夫よ。あなたが倒れる前に、……彼が。解除してすぐ、部屋から澱んだ空気は消えたわ」
「彼……」
 それが甲太郎のことだということは、倒れる寸前の感じでなんとなく分かっていた。
「そっか……。白岐ちゃんは、身体、」
「私ならなんともないわ」
 ほっと息を吐いて、そういえばと自分の置かれている状況を確認する。……白岐ちゃんの腕の中?ってオイオイ!!
 慌てて離れようと身体を捻ると、……げーろげろ、腕や脚がビリビリしてる感じでまともに動きゃしねぇてやんの。
「まだ動いては駄目よ。もう少しこうしていて」
「え……?」
 白岐ちゃんは俺の身体の剥き出しの部分、髪だとか頬に触れて何か、俺には分からない言葉を唱えている。それに合わせて彼女の手の平が温かくなって、俺に触れるたび、痛みや痺れが消えていく。それだけじゃない、さっき落下したときに傷めた肩や脚も、すべて。
「す、っげ……」
「魂振の祝詞……魂を身体の中に押さえるの。どうかしら、少しは楽になったといいのだけれど」
「サンキュ、だいぶ楽になった……」
 彼女の腕の中から離れ、立ち上がり、空気が一変した部屋を見渡した。甲太郎は邇邇芸命像の辺りにしゃがみ込んでいた。頭痛がするのか、こめかみを指で押さえている。
「甲太郎……、大丈夫、か?」
「……ああ。頭痛がするけどな。ったく、酷い目にあったぜ」
 苛立ったような舌打ちが、刺さる。
 大丈夫、なんて言って連れてきておきながらこのザマだ。何で俺は、こんなにもこんななんだろう。あいつみたいに、どうしてできないんだろう。何もかも、とは言わない。けれど二人くらいは、護れたっていいんじゃないか?
 しかも、助けられるなんて。
「ゴメン、な。……コレで、二度目だもんな。マジで、ゴメン」
「お前が謝ることじゃないだろ。不可避だったんだ」
「でも、さ、もしものもしもがあって、そんで誰の責任ですかって言われたら、やっぱ俺じゃん」
 苦く笑うと、甲太郎は一瞬、何だか泣きそうな、困ったような顔をする。……そんな顔、しなくていいのに。悪いの、俺だもん。
「本当に、ごめんなさい。それから、ありがと。苦しかったっしょ?なのに、助けてくれて。ホントは俺がやらなきゃいけないのに」
「一人で何でもできると思ってるからだ。……つっても、最初にヘバった俺が言うことじゃないがな。ま、白岐のお陰だ。床に頭擦りつけて礼言っておけよ」
 どうやら、白岐ちゃんの《力》で僅かに回復した甲太郎が、最後は助けてくれたらしい。俺は言われた通り土下座でお礼を言おうとして白岐ちゃんに止められた。なので、立ったまま深く深ぁく頭を下げておきました。
「白岐ちゃんも、あんがと。本当に助かったよー」
「いいえ、おそらくこれもこの遺跡だからできることなのでしょう。死者と墓を守る者と神の集う、この場所だからこそ……」
 きっと、白岐ちゃんは本当にこの遺跡に関わる鍵になる人物なのだろう。
 それは、分かる。ちゃんと分かってる。正しく理解して、それでも。
 俺はここが怖くて仕方ない。白岐ちゃんにとっては重要な場所でも、俺にとってはそうじゃない。
 もう嫌だ。間違えたとしても、俺だけでいい。自分で肩代わりできない者を護れないなんて、やっぱりここにはいられない。いたくない。
 俺は、傷んだ甲太郎と出来損ないの自分を見て、遺跡から二人を連れて逃げ出したくなっていた。