風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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9th.Discovery Brew - フレーメン -

 空気が痛いほどに冷えた廊下を抜け、玄関に向かう。下校時間を過ぎているせいか校舎内に人影はなく、おそらく玄関にも生徒はいないだろう。俺を待つ、ただ一人を除いて。
 あいつは《生徒会》からも別格の扱いを受けていて、放課後を過ぎてふらふら校舎を彷徨いても(しかも備品をパクっても)厳しく罰せられることがない。《生徒会》に立ちはだかる大きな障害だ、そんな細かいことでいちいち騒いでもいられないんだろうな。
 俺は歩きながらあいつの姿を思い描く。寒さに強いあいつは、それでも最近は黒いコートを着始めた。誰かにもらったとかいうマフラーも巻いて、玄関外の手すりに腰掛けているはずだ。背が足りないせいで脚をぶらつかせながら。鼻歌でも唱っているはずだ。この學園の人間は誰一人として分からない、異国の言葉で。
 果たして、思い描いたそれは現実とほとんどぶれることなく合致する。
「悪い、待たせたな。寒かったろ」
 気付いているはずなのに声を掛けるまで鼻歌は止まず、ようやくといった感じで振り返ると、九龍は小さく首を振った。
「別に、それほど」
 顔に、教室でへばり付かせている笑顔はない。ともすると不機嫌にすら見えそうな面だが、見慣れてくると機嫌が上々だということが僅かな表情から読み取れる。
「本当かよ。……嘘つくなって言っただろうが」
「………本当に、そんなに待ったつもりはないんだよ」
 マフラーに埋めていた顎を引き上げ、頬に触れてみれば温度の低い俺の指より尚低温。そのはずだ、俺は約束の時間から随分遅れている。
「さっきまで」
 真っ直ぐ俺を見据えていた九龍は、視線を流して中庭の方を見た。
 数メートル向こう、こちらを睨むように見ている四つん這いの毛玉。あの毛色と毛並みは間違いない、九龍の「彼女」だ。
「ずっとここにいたから、退屈もしなかったし、抱いてりゃ寒くもない」
「あー、へぇ、そうかよ」
 ラベンダーと九龍が名づけた猫は、俺の気配を察知して離れたのだろう。あれと俺は絶対的に相性が悪い。大体の場合、九龍を挟んで睨み合う。今だってそうだ。猫の毛並みが見事なまでに逆立っている。
「それより、用は終わったのか?だったら、帰ろうぜ」
 手すりから飛び降り、その勢いのまま数段階段を降りた九龍は、その位置から俺を見上げる。猫にガンつけていた俺は、舌打ちをしてその後を追った。
「……猫に喧嘩売ってどうすんだよ」
「気に食わないんだよ、あれは」
「変なヤツ」
 誰のせいだと思ってやがる、と言ったところでこいつはまた全然分からないという顔をするのだから言わないでおく。
 今の九龍は無愛想で無表情で無感情で、無駄に無茶したがる無い無い尽くし、加えて自分のことに無頓着という状態なのだ。
 俺が逃げようとした九龍を引き止めるために言った「嘘を吐くな」という言葉。そこには、いつでも笑っている教室でのあいつも含まれる。九龍は笑い続けることで、自分に対して心を開くバディの連中を騙しているような気になっていたらしい。存在自体が嘘なのに、と。
 だったら嘘でない九龍を、誰かが受け止めればいい。そして俺は、その誰かを他の誰かに譲るのだけは何があっても嫌だった。
 並び立って歩きながら、そっと隣の横顔を盗み見る。……本当に、まったくと言っていいほど、教室での九龍と重ならない。あんまりに重ならないため、俺は教室九龍と仏頂面九龍で名前を呼び分けている。今のこいつには九龍。教室では、「九ちゃん」。ふざけてるだろ?でも、呼び方がふざけていればふざけているほど、こっちに戻ったときにしっかりこいつの存在を感じることができるのだ。
 同じ顔、のはずなのだが。九龍からは甘さと幼さがほとんど感じられない。何かを見据えるときの鋭い視線や、化人に対峙する真剣な表情は、確かにこいつが世界の裏側を生きていた裏付けになる。
 あまりにじっと見ていたせいだろう、視線を感じ取った九龍が俺を見る。睨むわけじゃない。視線が、何だ?と言っている。
「んなに凝視するほど面白い顔か俺は」
「いや、そういうわけじゃなくてだな……」
 まさか見とれていたなんて言えるか阿呆。本当にこっちのこいつは頓着が無さ過ぎて、困る。
「……やりづらいなら、そう言えよ?」
「は?」
「こんな仏頂面してる奴が隣にいても楽しかねぇだろうから」
 今度は間違いなく、変なところにオチている。絶対だ。表情は大して変わらないが、なんとなく分かる。むすっとしているように見えるその実、こういうときは大抵不安で不安でどうしようもなくなっているのだ。
 落っこちて、凹んで、膝抱えて愚図る。繕わない分、ひねた部分はダイレクトに見えるようになった。九龍自身はそれを見られるのを嫌がるが、敢えて、俺はそれを見たいと思う。
 見えたなら、掬い上げる手段だって見つけることもできるだろ?
「阿呆。俺が、そっちがいいって言ったんだからそうやってろ。それに、今のお前見た後で突然けらけら笑われたらいくら俺でもビビるぞ」
「しねぇよ!」
「だろ?それがお前なら、そのまんまでいろ」
 言って、教室でやるように額を軽く叩いてやると、仏頂面をさらにむっとさせて下を向いてしまう。
 怒らせたか、と顔を覗き込むと、そういうわけでもないようで、マフラーに隠れる首元まで真っ赤になっているのが見て取れた。
 「九ちゃん」も、バディの連中に、不意をつかれたようにこういうことを真っ直ぐ言われると真っ赤になってしまう。こっちの九龍もそうだ。間違わず、自分の思うことを口にすると、絶句して押し黙り、耐えられないと言うように顔を真っ赤に染め上げる。
 つまるところ、あっちもこっちも真ん中は同じなのだ。人間を形作る芯が同じで、外殻だけが僅かな差異を見せているだけのこと。本人だけがそれに気付いていない。いや、こっちの九龍を真正面から見ているのは俺だけなのだから、俺しか知らない、と言うのが正しいのか。
 その優越感を、口に出さずに味わう。肩を思い切り引き寄せたくなるのを堪え、代わりに低い位置にある頭に手を乗せた。
 九龍が俺を見上げる。「九ちゃん」は頭に手を置かれるとムキになって払いのけることがある。けれど九龍は、不思議な眼をして見上げてくるだけだ。
 ……だけ、と思っていたが、そうではなかった。間違いだ。九龍は、まだ頬を僅かに染めたまま、酷く柔らかく笑っていた。思わず、足を止めて、それこそ本当に、―――見惚れて、しまいそうな顔で。
 真っ直ぐすぎる眼は、あまりに強く心臓の中心を抉っていく。九龍は、はにかんだまま、言った。
「……ありがとう、な」
 やられた。今度はこっちが血液の逆流を痛感する番だった。正直、このクソ寒い中のぼせて鼻血でも吹くかと思ったほどだ。それくらい、強烈なカウンター。
 あの駄犬、毎日こんなモン喰らってんだな、そりゃ中毒にもなるわ。毎日食って掛かりたくなる気分も分かる。
 俺が黙り込んだのはすぐに九龍に伝わった。笑顔を掻き消して、再び表情をかき消す。
「何だよ」
「……お前、そうやって笑うんだな」
「俺が笑っちゃ、悪るいかよ!」
 悪くない、全然悪くないから安心しろ。
 だが、もう言葉なんて出なかった。俺は、正直すぎる自分の腕が力一杯九龍を抱き竦めようとするのを堪えるのに必死で、声を出している場合ではなかった。自分の口元を押さえ、赤面しているであろうツラをどうにか隠そうとするので、精一杯。
「甲太郎?……おい、どしたんだよ、顔、赤いぜ?熱あんじゃないか?風邪でも引いたかよ」
「……いや、違う、全然そうじゃないから安心しろ、断じて風邪とかじゃない」
「そう、か?」
 その不安げな顔が俺を心配してのことだというのは自惚れではない、だろ?
 すっと細められた眼は猫を思わせ、本物の猫を『彼女』とのたまっている理由も分かる気がする。気むずかしくて気まぐれで、人嫌いの(なのに本当はどうしようもなく寂しがりな)黒猫が、ようやく懐いた、そんな気分。それも、他の人間にはこんな顔をしないという。
 俺が唯一。その事実が狂喜に等しいことであり、ああ、末期だと自覚する。
 大丈夫だ、という意味でひらひらと手を振ってみせれば、まだ納得していないような素振りを見せ、ああ、でも、と黒い毛並みを少し靡かせて、視線をこちらに向けてきた。
「でも、前に、俺がダウンしたときに世話になったからな。だから今度は俺が面倒見てやる。安心して、風邪、引いていいから」
 真顔で、そんなことを言うもんだから、俺はどうしていいか分からなくなって撃沈した。冗談でも、からかうわけでもなく九龍だからこそそんなセリフを真っ直ぐぶつけてくるのだ、まったく。
「どう、したんだよ、変な顔して」
「いや……じゃあ、風邪ひくの、楽しみにしておく」
「……馬鹿か?」
 首を傾げた九龍があんまりに……なんだ、その、可愛らしくというか、いや、愛おしく?そういう感じに見えてしまって、さらに薄着で極寒耐久レースでもして風邪を引こうかと考えた自分を、本気で馬鹿の上のいく大馬鹿だと思った。

End...