風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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9th.Discovery Brew - クロネコ -

「ねーさん、そこ、気を付けて」
 決して小さくはない段差の向こうで、葉佩があたしに手を差し伸べる。
 実は、簡単に飛び越せるんだけど、あたしは黙って葉佩の手を取った。
 一見細っこく見える腕は、けれどそこそこの力で(しかも、あたしがバランスを崩さないように細心の注意を払って)、身体を段差の上へと導き上げる。
 ありがとう、と言うと、どういたしましてと柔らかい微笑みが返ってくる。少しばかり低くなる視線の先で、猫を思わせる眼で笑ってる。そういえば、學園の敷地内には、葉佩が餌付けして慣らした猫がいるという話をふと思い出した。
 猫は縄張り意識が強いっていうけれど、猫同士で大丈夫なのかしら。なんて、とりとめのないことまで。
 ぼんやりと葉佩の顔を見ていたせいかしら。首を傾げて、「俺、そんなに変な顔?」ですって。違うわよ、まったく。
「変、じゃなくて、猫みたいな顔してると思ったのよ」
「……猫っスか」
「そ。おっきなツリ眼。猫っぽいわよ」
「にゃー」
 黒猫が面倒くさそうに笑う。手には銃を持って、真夜中、墓地の真下で。
 ここは例の遺跡で、あたしは葉佩九龍のバディで、今夜は二人で、二人だけで地下の探索に潜っている。本当は他のバディも誰か来るはずだったのを、あたしがわがままを言ってやめさせた。
 だって、他の人たちは今まで一緒だったからいいじゃない。
 あたしの一言で、葉佩は他のバディに要請を出すのを止めた。
 そうだね、美女と二人っきりでデートができるなら、そっちのが楽しいよね。
 ですって。
 もう、あたしの方が困っちゃったわよ。本当は、ちょっと困らせたかっただけなのに、そんなにあっさり、……あっさり、あたしを選んでくれたかのようなことされたら。困って、でも、やっぱり少しだけ嬉しくて、こうやって楽しくなっちゃうのよ。
 本当なら、こんな埃っぽい遺跡、全然好きじゃない。黴臭いし、饐えた臭いが漂ってるし。足場が悪いから何度も転びそうになったし。(これは、まあ、ハイヒールを履いているあたしも悪いのだけれど。)
 でも、その度に葉佩が手を伸ばして支えてくれる。その手を取るたび、あたしはまた、少しだけ楽しくなる。
「双樹姐さんもさ、猫っぽいよ」
「あたしが?」
「猫、っつーか、猫科?女豹みたいな」
「それ、ちょっと失礼よ?」
「ごめんちゃーい」
 葉佩は戯けたように肩を竦めた後、突如部屋に現れた化け物に意識を向ける。音もなく腰の銃を取り、捕食者の顔になって飛び掛かる。あたしは壁により掛かって、目を閉じた。
 血の臭いは、しない。化人から血臭が漂ってきたことは一度もない。生き物でないから、きっと血も流れてないのね。
 圧倒的なのは火薬の匂い。部屋いっぱいに広がったそれは、まるで葉佩の中にある殺意の量にも似ている。気配には出さないけれど、匂いでは分かる。あまり心地いいとは言えない炸裂音が何度が響き、その度に空気が震え、葉佩の殺意が一つ一つ化人の存在を掻き消していくのが分かる。
 やがて漂ってくるのは、ほんの僅かな汗の匂い。普通の人間なら絶対に気付かない程度の、微弱な匂い。あたしはゆっくり目を開けて、部屋の真ん中に佇む葉佩を見た。息も荒らさず、つまらなそうな顔をしている。実際、ほとんど汗なんか掻いてないのよ、あいつ。
 でも、あたしには分かる。
 体臭、っていうのは簡単に言えばフェロモンてヤツで。動物は縄張りを決めるときも求愛するときも匂いを使うの。人間はそれほど野生ではないから、言葉や仕草や態度で自分を示すんだけど、時に、匂いは強く人を惹きつけることもある。
 今の葉佩が、そう。
 涼しい顔をしてるのに、今の今まで身体は運動能力をフルに使って活動していた。あたしはその姿を敢えて見ていないから、頭の中で彼は好きに動いてくれる。
 きっと、戦い方も猫みたいなのよ。身軽で、敏捷。普段は隠している爪や牙をここぞとばかりに閃かせて、獲物を狩る。あたしの想像の中で、葉佩はそうやって戦っている。
 匂いは、そんな想像の輪郭をより深く、鮮やかにしてくれる。身体の芯に染み込むような、甘い感覚を付け加えてくれる。
「強いのね」
 戻ってきた葉佩に声を掛けると、猫みたいな眼差しが少しだけ垂れた。
「相手が弱いの。この辺のはね、遊び甲斐がないんです」
 その言い種まで、まるでじゃれる相手に不満があった猫のよう。黒猫の顔には、やっぱり汗の玉なんて浮いていない。
 あたしは、また一つワガママを思いついた。つまらないなら、楽しくなりたいもの。それも、二人でね。
「なら、もっと手強い相手と戦えばいいじゃない」
「……んー」
 葉佩は難しい顔をする。乗り気ではない、っていう顔。そりゃ、そうよね。だって今日の目的はクエストという《宝探し屋》版お使いみたいなものですもの。化人と戦いに来たのではないわ。それこそ、無駄なこと。
 でも、あたしはもっと見たかった。戦いの中で野生を剥き出しにする葉佩がどんなものか、知りたかった。ううん、見なくてもいいの。そうね……言ってみれば、その人間ぶった上っ面を剥いでほしいの。
「行きましょ。夜は、長いんだから」
 ハンターの了解も取らず勝手に行動するバディ。こういうとき、《宝探し屋》さんはどうするのかしら?
「ったーく、遊びに来たんじゃねーっつーに」
 しょうがないですねー。
 そう言って葉佩はあたしの隣に並び掛ける。銃は腰に、微かな火薬の匂いだけを纏わせて、大広間からまた別の区画へ入っていく。そこは、以前あたしが任されていた区画。そして、囚われていた場所でもある。機械油とオイルと薬品の匂いが立ちこめる、無機質な部屋。
 中央の動力室で、葉佩は立ち止まって入る部屋を定めていた。
「何だかんだ言いながら、言うこと聞いてくれるのね」
「尻の下敷かれ人ですから」
 葉佩流にやさしい、を表現するとそうなるのかしらね。素直に見えていい感じにひねてるのよね、この子。
「姐さんてさー、結構Sっ気あるデショ」
「そう見える?」
「局所的Sかな。ヘタレ男子に向けてはそうっぽいよ」
 確かに、自分でも充分加虐的なところがあるのは理解してるわよ?あの方には別ですけど。特に葉佩みたいなタイプは虐めたくなるというか、言うこと聞かせたくなるというか。
「そういうあなたは虐められるの、得意そうね」
「あらら、イヤだわ」
「殻を破らせてみたいっていうか、ね。そういう感じがするのよ」
 頭半分低い位置にある眼を覗き込んで、からかうように告げる。真っ暗な眼の奥は、けれど閉じられたままだった。
 真っ暗闇の中にいる猫のよう。こんなに深くて濃い色をした瞳を持つ人間がいたなんて、と思わず見入ってしまう。
 その眼はあたしの視線に気付いて、スッと細められた。
「S属性から見るとMにでも見えんのかな」
 笑いながら押した扉の向こうには、部屋と同じ無機質な機械人形がケタケタと笑い声のような軋みを上げて待っていた。
「でもね」
 一斉に襲いかかってくるオートマタに爆薬を一つ投げつけて、それが破裂する手前。
「俺は、そう簡単に化けの皮、剥がないよ?」
 葉佩の、人畜無害を地でいくような笑顔を最後に、あたしの視力と聴力はどこかへ消えてなくなった。
 ―――視界と音のない中で、匂いだけがやっぱり葉佩の存在を伝えてくる。
 やられては、いないみたい。当然よね。やっぱり血の臭いはしてこない。けれど、さっきよりは濃く、汗の匂いが漂ってくる。見えない分、あたしは頭の中で葉佩を描く。
 黒猫が、自動式機械人形とじゃれ合う姿。
 微笑ましいようなそれが、―――けれど、一瞬揺らいだ。
 血でも、汗でも、火薬の匂いでもない。得体の知れない何かが、あたしの柔らかい想像を粉々に砕いていった。
 脳裏に過ぎるのは、剥き出しにした牙で屑鉄を噛み砕く獣。じゃれあい、にならず、一方的な破壊で始まって破壊で終わる。
 ぞっとして、思わず腕で自分の身体を掻き抱いて、見えない視界を更に閉じるように目をつむり……。
「姐さん?」
 葉佩の、驚いたような声で目を開けた。
 そこでは何もかもが終わっていて、化人は影も形もなくなっていた。葉佩はうっすらと汗の匂いを滲ませて、けれど顔色一つ変えずにそこにいた。
「気分でも、悪い?それともまさか、化人になんかされた!?」
「……いえ、そうじゃないの。大丈夫よ」
 少し寒いの。
 そう言えば、火薬の匂いが染みついたコートを掛けてくれる。やさしいやさしい、可愛らしい黒い猫。
 浮かべる笑顔のイメージが、あたしの中でぶれる。さっきの、殺戮のイメージは何だったというの?剥き出しにした殺意以上のものは、何なの?ねえ、あなた、まさかそんなふうに笑ったまま戦っていたんじゃないでしょう?
 言葉にしようとして、……やっぱり、やめる。葉佩の笑顔は有無を言わせない強さがある。
 人当たりのよさを演出するだけのものじゃなかったようね、ソレ。分厚い分厚い防護壁。あたしには、越えられそうもない。
「ねえ、葉佩」
「ハイな?」
「どうして?」
 曖昧な問いだった。けれど葉佩には伝わった。発したあたしですら、ぼやけた輪郭でしか捉えることのできなかった問いの意味。
 真っ黒い眼をいたずらの色に染め、戦いの残り香を漂わせ。
「姐さんに、決めた人がいるのと同じ理由じゃない?」
 あたしね、その瞬間、眩暈を感じた。
「決めたから、他の場所ではそうしないの。俺はね、それでいいって、言われたから」
 幼く、少年じみた無害極まりない笑顔。浮かべながら、宝物を扱う手付きで銃をしまう葉佩の後ろ。
 ふんわりと漂ってきたのは、歯が痛くなるほど甘い、
 ―――ラベンダー。

End...