風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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8th.Discovery Brew - 違える世界の真ん中で -

 遺跡から魂を取り戻してから数日。
 その日、ボクと葉佩サンは3-Cの教室でお昼ご飯を食べていました。まだまだ學園でトモダチと呼べる人は少なくて、だから葉佩サンやバディの人たちと一緒にいることが多いのです。元《執行委員》も葉佩サンのトモダチも、まるでボクがここにいるのが当たり前のように受け容れてくれました。
 珍しくボクと葉佩サンは二人でいて、そこにやってきたのが八千穂サンと椎名サンでした。
「ドウモ、コンニチハデス」
「おろろ、二人ともどったの。姿が見えないと思ったらー」
 女性二人は目配せし合うと、何かを後ろ手に持ったまま近付いてきます。何を隠しているんだろうと思えば……
「じゃじゃーんッ!」
 現れたのは可愛らしく包まれた何か。甘い匂いが漂ってくるそれは。
「リカたち、一緒にお菓子を作ったんですの。九龍クンに食べてもらおうと思いまして」
「奈々子ちゃんに味付けみてもらったから、味はバッチリ保証できるよ!」
 とても嬉しそうに笑う椎名サンと、親指を立ててみせる八千穂サン。
 誰かの手作りお菓子なんて、日本に来てからは初めてのこと。葉佩サンも驚いたようで、机の上に乗せられた包みを開いていきます。
「へぇ!すっごいじゃん。二人で作ったの?」
「そうですわ。どうぞ、食べてくださいまし」
 お二人は元《執行委員》とバディという対立した立場であったはずですが、今ではとても仲が良いようです。(この間は椎名サンが八千穂サンにレース編みを教えているのを見かけました。)
「食べていいの?」
「モチ!どんどん食べてー」
 昼ご飯をあらかた食べ終えていた葉佩サンは、お菓子に手を伸ばし始めました。その横では二人が一所懸命力作の説明をしていきます。プリン、クッキー、ブラウニー……それらはとても、美味しそうに見えました。
 けれど……。
「トトクン、食べないの?」
「お菓子はお嫌いですか?」
「うまいよ、コレ。騙されたと思って食ってみれば?」
「アノ、ボクハ……ソノ」
 並べられた色とりどりのお菓子を目の前にしても、それを口にしていいのかどうか、迷ってしまうのです。
 好意はとても嬉しく、ありがたく、決して味に疑問を持っているというわけでもない。しかし、ボクには差し出された食べ物を安易に口に入れることのできない理由があるのです。
 皆サンの視線が向けられて、ボクはどう説明しようか口籠もってしまいました。日本語で説明するための言葉を選んでいると、その前に。
「あぁ!そっか」
 葉佩サンは何かを思いついたように手を打って、おもむろにブラウニーを一つ、口へ運びました。何度か咀嚼し、
「このブラウニーって……もしかして、リキュールとかブランデーとかそういうの、入ってる?」
「あ!ブランデーを入れたけど……ほんのちょっとだよ?」
「じゃ、こりゃ無理だ」
「えぇー?」
 八千穂サン、椎名サンは不思議そうな顔で葉佩サンとお菓子を交互に見比べていました。
 ボクは、まさかと思いました。だって、まさか、なのです。ボクの周りの日本人で、そのような知識を持っていた人なんていなかったから。
「プリンも、たしかゼラチン入ってる気がすんだけど」
「う、うん。粉ゼラチンで作ったから」
「じゃ、これも無理かな」
 プリンのカップを指で弾き、ボクをちらりと見上げ、苦笑するのです。
 葉佩サンは、知っているのです。そして、だからこそ目の前のお菓子に何が入っているか八千穂サンたちに聞いているのです。ボクは、どうして葉佩サンがそんな事を知っているのか分かりません。葉佩サンは日本人のはずなのに。そんなことを知っている必要はないはずなのに。
「こっちのクッキー、焼くときとか油使った?ラードっぽいのとか」
「えっと、サラダ油、かな。ブランデーもこれには使ってないよ」
「じゃ、これなら食えるぜ、トト!」
 葉佩サンは嬉しそうに、それはそれは嬉しそうに、ボクにそれを差し出します。アルコールも、獣脂も入っていない食物。とても甘い匂いのクッキーを、ボクは一口食べてみました。
 それは、とても美味しい食物でした。許された食料で作られた甘さ。
「コレ、トテモトテモ、美味シイデス!本当ニ!」
「ホント!?良かった~!」
 八千穂サンと椎名サンは、手を取り合うようにして喜んでいました。となりでは葉佩サンもクッキーを頬張って、美味しいと言って微笑います。
「でも、何で食べちゃいけないものとかがあったの?アレルギーとか?」
 他のお菓子に皆さんが手を伸ばし始める中、八千穂サンがボクと葉佩サンを見て聞いてきました。それに葉佩サンが答えます。
「ハラーム、だよな?」
「ハ、ハイ」
「「ハラーム?」」  二人には聞き慣れない言葉なのでしょう。顔を見合わせ、首を傾げる。
「イスラムは、まあ宗派によってだけど、どれも戒律が厳しい。食べ物にも規制がある。豚、正しく屠殺してない牛とか鳥、アルコール。これらは口にしちゃいけないんだ」
 haram。それは禁止を意味する言葉。我らが《神》の許さぬ物。ハラームに定められた食物を口にすることは、アッラーを崇める者にとって重大な禁忌になるのです。
「だから、トトは動物性の油とかアルコールとか、そういうの使わないお菓子じゃないと食えないんだ」
「そう、なんだ……」
 その通り。けれどやはり疑問なのです。イスラムにとっては知っていなければいけない知識、しかし葉佩サンはイスラム教徒ではないはず。どこかでハラール・リストでも見たのでしょうか。でも、ならば、なぜ?
 やはり葉佩サンは不思議な人です。
「でも、面倒くさいですわね。リカは神様を信じていますけどそんなに厳しくはありませんわよ?」
「そのハラム、だっけ?そういうのって、ほんのちょっとでもダメなの?」
 二人は、納得がいかないという顔をしていました。
 ボクにとってハラール、ハラームは当たり前の規定として生まれたときから定められていたもの。けれど無宗教者や他宗教を信仰する人にとっては異端ととられてもおかしくはないのです。それはボクが他の宗教の規律を見て不思議に思うのと同じ事。それは分かっていることなのです。
 ……それを伝えようとするのですが、拙い日本語でどう伝えればいいのか。
 迷っていると、プリンを食べ終わった葉佩サンがほおづえを付いたまま言ったのです。
「ただのルールとかってワケじゃないんだ。宗教ってのは侮れないもんでね。教えに背くことは重大な禁忌だから、信者は絶対にやらないんだ。日本は無宗教だからそういうトコ頓着ないけど、世界中には宗教を核にしてできあがって国だってあるんだから、一概にたかが宗教、なんて絶対に言わない方がいいよ。怖いんだから。未だに自分の信じる神以外受け入れられずに戦争してる国なんてゴロゴロある」
「授業でもやったね。同じ宗教でも争ってたり、他の神様を信仰している人を攻撃したり……考え方とか信じてるモノが違うっていうだけで戦争するなんて、アタシにはよく分かんないけど」
 八千穂サンの言葉は、悲しい現実です。ボクもアッラーを信じています。けれど世界にはアッラーを否定する人もいます。それはとても悲しいこと。ボクもそういった人には怒りを覚えることもあります。
 信じる神の違いで戦う。決して聖典は戦いを説いているわけではないのに。
 八千穂サンの思いは、とても平和です。唯一人の神を信じていないから、そのことで争う気持ちが分からないという。けれども同時に、ボクにはそのことも少しだけ悲しい。
 ボクにとってアッラーの教えの元に生きることは当然のことなのに、八千穂サン……というより、日本人は宗教に対しての考えがとても軽いように感じるのです。軽いことが悪いとは言わない。けれど、悲しい。
 彼らにはその程度のものでも、僕らにとっては人生の、生きる根底と言ってもいいものなのに。
 そこで曇ったボクの表情を察したのか、葉佩サンは言いました。
「日本人には理解しづらいかもしんない。でも、理解できないからってそれを否定するだけじゃなくてさ。ちゃんとその宗教のこと勉強して、自分なりの考えを持った方がイイと、俺は思うよ」
 決して冗談めかした言い方ではなく、けれど押しつけがましくもなく。この人は自分の考えをしっかり持っているのだと、改めてボクは思いました。そして、そんな発言をする葉佩サンは、一体宗教戦争などをどう見ているのかも話を聞いてみたくなりました。無関心なわけでもなく、かといって傾倒しているわけでもなさそうで……ますます彼は不思議な人。
 ボクが思案する横で、八千穂サンは腕組みをして何かを考えていました。そして、
「動物油とか、アルコールとか使わなければ、トトクンも食べられる?」
「ハイ。……他ニモ、ハラム、禁止サレテイル食ベ物、アリマスガ……」
「じゃあ、アタシ、ちゃんと調べるね!それで、トトクンも食べていいお菓子を作ってくるから」
「アリガトウ、ゴザイマス」
「それから……トトクンの宗教とか神様のこととかも、調べて考えるね!」
「ソレハ……」
 どうして、そこまで?と。正直、ボクは思いました。そんなこと、八千穂サンには関係ないのに。
 なのにボクのそんな心を読んだように、八千穂サンは笑うのです。
「だってトモダチでしょ?だから知りたいの。トモダチのことを想うのって、大事だと思うから」
 そう言った八千穂サンの笑顔は、まるで、遺跡でボクを許してくれたときのような。暖かく、優しく。葉佩サンの周りには、こんな笑顔を持つ人がとても多い。だからボクは、ここにいたいと思う。
 八千穂サンと椎名サンが「カステラとかなら大丈夫かな?」「スイートポテトならそういったものを入れなくても作れますわよ」などと話しているのを聞きながら、ボクはなんだか申し訳なくなってしまいました。彼女たちを大切だと思うから、せっかく作ってくれたお菓子をほとんど食べることができなくて。それから、ボクが食べることができるものを作るために、時間と手間をとらせてしまって。
「ゴメンナサイ、……ボクノ、タメニ」
 キョウシュクデスと頭を下げようとすると、下げる手前で額を軽く叩かれた。誰の手かと思って顔を上げれば、目の前にあったのは葉佩サンの手。
「いいことデショ?」
「エ……?」
「確かに知らなくても生きていけることかもしんないけどさ。でも、こうやって自分と違う世界のことを考えられる機会があるなんて、トトがここにいたからこそじゃん」
「葉佩サン……」
「違う、ってのは悪いことじゃないんだから。謝らなくていいんじゃね?」
「違ウ、コト……悪イコトジャナイ」
「そ」
 クッキーをリスのように噛み砕きながら、葉佩サンは話し込む二人をどこか遠いところを見るような目で見ていました。彼の周りにある空気、それが教室の者とは少し異質な気がしました。
「葉佩サン、アナタモ、少シ違ウ……」
「俺?……んー、まぁ、ねぇ」
 彼は、教室にいる生徒とは違う。《宝探し屋》という顔を持ち、武器の扱いにも長けた戦いに生きる人。ボクに『居場所がない人間』という話をしたように、生まれもはっきりしないのだと言います。それは確かに異質なのかもしれません。
 けれど……、
「デモ、アナタノ違ウ、トテモトテモ イイ違ウ ダト思イマス」
「イイ違う?」
「アナタノ持ツ『違ウ』ノ オカゲデ 変ワレタ人、沢山イマス。ソレ、トテモイイ事」
 ボクの言葉がどこまで伝わったのかは分からない、けれど、葉佩さんは僅かに目を伏せてしまいました。数回の瞬きの後、視線を流すようにボクを見た彼はいつものように微笑っていて。
「イイ事になってるんだとしたら、嬉しいけどね」
「イイ事、ダト、思イマス……」
 ……実は、薄々気付いています。ボクたち元《執行委員》がバディとなったこと、想い出や大切なものを取り戻してくれたのが葉佩サンだと口に出すこと、それらが葉佩サンにとって負担になっているのだと。
 いつだって言うのです。「俺はそんなんじゃないよ」と。苦笑いをしながら、その目の奥を後悔の色に揺らがせていることを、ボクは知っている。自分が他人に影響を及ぼすことを恐れていて、どれだけ周囲が有り難がろうと彼だけは自分を認めない。
 ただ……ボクは、これだけは葉佩サンに伝えたいと思っています。
 ここに、いることを許してくれてありがとう、と。
 思いすら受け取ることを拒み続ける葉佩サンには届いてはいないはず。思いは言葉に出して伝えると重くなってしまう。彼にはその重さが耐え難い負担になるのは分かっている、だから。
 葉佩サンが背を向けたその時に、そっと両掌を合わせるのです。いつか、彼の中に真っ直ぐ思いが届くよう、祈りを込めて。
「……シュクラァン、ラクーム」
 呟くように感謝を伝えると、葉佩サンは振り返り、困ったように口の端だけで笑いました。

End...