風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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8th.Discovery 月光の底 - 5 -

 九時五分前。なんとか時間に間に合って、阿門邸の前まで辿り着いた。
 八千穂ちゃんはもう来ていて、俺を見つけると大きく手を振ってきた。
「九龍クンッ!」
「ごめ、おまたせ」
「よかった~、誰も来なかったらどうしようかと思ってた」
 二人で歩き出して阿門邸に向かう。他にもちらほら向かっているのがいる。
「あ、ダンナと甲太郎はやっぱパスだって」
「せっかく招待状が来たのにね。九龍クン、もしかしてあたしと二人で行くなんて超不満~とか思ってないよね?」
「まさか!!むしろ八千穂ちゃんと二人で行けてラッキー、みたいな」
「ホント?ホント!?よかった~!」
 あら、予想以上の反応。だっていつもそういうこと八千穂ちゃんに言ってるし。ほぼ脊椎反射のノリでさ。
「えへへ、最近、九龍クンが皆守クンとばっかり一緒にいたから、なんだかこうして二人なのってどうかなってちょっとだけ心配だったんだ!」
「何ソレ!?」
 そこ、ちょっと違うくね!?他の女の子だったらともかく、……八千穂ちゃん、恐るべし。
「どうかなも何も、俺は常に八千穂ちゃんと二人でも文句は言わんね」
「ホント?……へへ、今日は楽しんでこようね!あ、そうだ。昼間ね、白岐さんのお見舞いに行ったときこれ、もらったんだよ」
 取り出したのは《温室の鍵》。そういや、今日もらった花も温室で育てたって言ってたっけ。白岐ちゃんに温室に花、うーん、似合いすぎ。
「白岐サンがくれた大事なものだけど、……なんでかな、九龍クンが持っててくれたほうがいい気がする」
「え?俺に?」
「九龍クンならきっと、他のみんなにそうしたように、いつもどこか辛そうな白岐サンを助けてくれそうな気がするからッ」
 買いかぶり過ぎっしょ、いくらなんでも。そりゃ、あれはどうにかしてあげたいって思うけど、俺がどうにかできるもんでもないと思うし。逆に、俺は白岐ちゃんに会うたび、助けられてるというかどうにかされているというか。
 俺には白岐ちゃんの思いを読むことすら、できないし。
 でも、八千穂ちゃんが俺の手の中にそれを押し込んできたから一応受け取っておいて。何に使うのかは分かんないけどポケットの中に入れた。
 阿門邸に入ると、中にはなぜかマスターが立っていて、
「ようこそいらっしゃいました、葉佩さん、八千穂さん」
「あれ?バーのマスターだ。今日はここでお仕事なの?」
「おや、申し上げておりませんでしたか?私、本業はこのお屋敷でのお勤めになります」
「「え゛ッ!?」」
 それ初耳!!何?ヤ、どっかの家に仕えてたのは知ってるよ!?マスターの坊ちゃん話、聞いてるから。でででででも、ってことは……、
「マスター、もしかしてずぅっと俺に話してくれてた『坊ちゃま』って……カイチョー?」
「はい、阿門坊ちゃまになります」
「うわ~、セバスチャンだ……。はッ、もしかして若い頃は敵組織から幼い阿門クンを守ったり―――、」
 敵組織って、何。日本てそんなに物騒なんですか。怖いですねぇ、日本。
「いえいえ、私はただの執事でバーテンでございますよ。それよりもお二人とも、当家の夜会にようこそいらっしゃいました。お会いできるかどうかわかりませんか、坊ちゃまは葉佩さんが来られるのを、大変楽しみにしておられましたよ」
 ……ますます何されるか警戒しちゃうってハナシ。いやん。
 だって楽しみってさ、罠に掛かるのを待ってるっていう楽しみなんじゃなくて?
「って、会えるかわからないって、カイチョーは来ないんすか?」
「いえ、夜会は仮面舞踏会ですので、参加者皆様には仮面をお付けいただくことになっております」
「あ、なるほど。誰が誰だかわからないんだ。面白そ~」
 なんて八千穂ちゃんは楽しんでるみたいだけど、仮面、か。極端に視野が狭くなるとそれはそれで困るな…。周りみんな同じ状況でそうも言ってられないけど。
「皆様には日頃の確執も立場も忘れ、楽しんでいただくための趣向でございます。葉佩さんも本日ばかりは心ゆくまで楽しんでいってください」
「バッチリ!タダ飯食いさせてもらいますッ」
「ははは、そこまで楽しみにしていただけるとは、坊ちゃまも喜ばれることでしょう」
 だと、いいんですけど。……阿門が『喜んで』いるとこがどうにも想像付かない俺。想像力が欠落してるんでしょーか?
 首捻りながらも、まるでオペラ座の怪人みたいな―――ファントムみたいな仮面を受け取って屋敷の広間へ向かった。広間では、コレをつけてなきゃいけないんだって。てか、サイズでかいよずり落ちるよ。
「えっへへ~、どうどう?この仮面?似合ってる?」
「可愛い可愛い、似合ってるよー」
「うん!こういうのってなんかワクワクするよね~ッ!九龍クンのもなかなか似合ってるよ」
 そりゃどーも。コレが似合ってるって言われるのもまたそれはそれでアレですが、八千穂ちゃんのお言葉はありがたく受け取っておきまショ?
「でも、九龍クンもそうだけど、男子の付けてるその白い仮面って―――」
「あ、あの―――」
 八千穂ちゃんが何かを言いかけたとき声を掛けられ、俺たちは振り返った。そこに立っていたのは長身の男子。
「君はもしかして……」
「あー!鎌治!?だよな?」
「あ……う、うん。やっぱり僕なんてすぐにわかってしまうよね」
「って、鎌治だって俺だってすぐ解ったみたいじゃん」
「ごめんね。こんな風に声を掛けるのは無粋かとも思ったんだけど……君を見つけたらなんだか嬉しくなってしまって。迷惑、だっ……うわ!!」
「鎌治ーぃ!!」
 なんだか嬉しいのはこっちだ!!きゃー!とか言いながら鎌治にタックル。
「く、九龍君!?」
「顔も見えないのにお互いのことが分かるなんて……愛だね、コレは愛だよ鎌治ッ」
 ノリで一緒に貼り付いた八千穂ちゃんと一緒に、鎌治を見上げてうひひ、と笑う。
「取手クンにも招待状、届いてたの?」
「いや……僕はここでピアノを弾くように言われてきたんだ君たちが聴いてくれるなら余計に頑張らなくちゃね」
「おー!ピアノで来たんだ!」
「九龍君も弾いてみるかい?」
「ジョーダン!!俺は隅っこで鎌治のピアノを聴かせていただきます」
 鎌治がいるのに何で俺が出る必要があるね……。謹んでお断りすると、鎌治の口元が微笑む。それから準備があると言って行ってしまったけど……緊張してねーかな。ダイジョブかな。
「へ~、取手クンの伴奏で舞踏会なんだね。なんかすごいなァ」
 後ろ姿を見送りながら八千穂ちゃんは感心したように言う。俺も、この夜会が凄いってのは分かる。なんつーか、雰囲気が。普通ではない何かがある。
 その中から、一等普通じゃない気配。後ろに立たれるのは、あんまり気分良くないなぁ。
「お前は―――」
「あらら、どうもこんばんは。どなたかは、存じませんがー」
 立っていたのは黒マントのお兄さんと、赤いドレスに赤い髪のお姉さん。他の連中が制服着用なのに対し、きっちりと正装している。そういや、鎌治もタキシードにタイ締めてたっけ。
「え?ええッ!?もしかして……」
「あらあら、ダメよ。分かっても明かさないのがこの夜会のルール」
 赤いドレスのお姉さんが、唇に指を当てる。
「フフフ、こんばんは、お二人さん。楽しい夜を過ごしているかしら?」
「ええ!そりゃもう!こーんな美少女とパーティに来てこーんな綺麗なお姉さんに声かけていただけるんですから!……仮面で顔分かんないですけど?」
「そう、それはよかったわ」
 ちょうどその時、フロアにピアノの音が響き始めた。鎌治が弾いているのが見える。
「取手クンだ……。やっぱり綺麗な音だな~」
「あなたたち、踊りに行かないのかしら?せっかくの舞踏会だもの、踊らなきゃもったいないわよ」
「え?だってダンスなんてあたし、できないし……」
 八千穂ちゃんが、俺の学ランの裾を握ってくるのが分かった。確かに、こんなとこでこんな雰囲気のに出会したら不安になるのも無理はない。
「そう……。だったら―――ねェ、あなた」
「俺すか?」
「よかったら、あたしと踊ってくださらない?」
 こういうとき、女性からの申し出は断らないのがマナーだ。俺だって差し出された手を取りたいのは山々。でも……ねぇ。
「お誘いは嬉しいのですが、レディ。俺とあなたの身長差ではダンスは難しいと思いませんか?」
「あら」
 彼女はかなり背が高い、上にハイヒールなんかお履きになられてるもんですから、俺と並ぶとアンバランスなことこの上ないでございましょ。だからそれを理由にお断りしようと思ったんだけど……、
「なら、これでいかが?」
 言うと、そのまま綺麗な長い脚からハイヒールを脱ぎ去った。赤いペディキュアが眩しい素足。おいおいおい、マジですか。そこまでされてそんな風に微笑われたら、できませんなんて言えねーじゃん。
 俺はもう、諦めて彼女の手を取った。
 同伴者らしき阿門に「お借りしても?」と聞けば無言で頷いてくる。あ、同伴者に許可取るのはマナーね、基本的な。
「フフフ、光栄だわ。それじゃあ、少しの間、彼氏をお借りするわね」
「か、彼氏だなんてッ……」
 おう、そんなに否定しなくても。
「あら照れちゃって、可愛いわね。フフフ、それじゃあ、また後で。さ、行きましょう」
 腕を引かれそうになるから、そりゃねーだろと、彼女の腕を引き返す。逆の手は軽く腰に回してフロアへ向かう。せめてこれくらいさせてね、格好付かんから。
 フロアに出た途端、彼女の迫力で場所が開く。こうなったらヤケで中央まで行って、手を組んだ。
「ダンスは踊れて?」
「ま、ぼちぼちってとこですかね」
「曲は緩やかな四拍子。みんな見よう見真似で好きに踊っているようだけど、あなたならどうする?」
「スローフォックストロット」
「あら、驚いた。そういうからには当然踊ってくれるのでしょう?」
「って言いたいとこなんスけど……」
 ちらりと足下を見る。彼女は素足。身長差の問題は(多少問題あるにせよ)解決したものの、今度はヒールがないことに因る弊害。ヒールがないとターンが格段に難しくなる。
「ターンは確かに難しいわね。けれど踊れなくはないわ。リードをお任せしてもいいかしら?」
「俺も、男の子ですから。頑張らせていただきます」
 ワルツってわけじゃないから礼はしないで彼女と組む。  フェザー・ステップ、フォックストロットの最初にやるステップから、ダンスが始まる。
 えーっと、スローフォックストロットのステップ、げ、ワルツとごっちゃになる。三秒待って、思い出すから……、右、左、右右、左、フォールアウェイ・リバース・アンド・スリップ・ピポット。よし。
「足、大丈夫っすか?」
 腰を引き、ターンを助けてから近付いた綺麗な顔に聞いてみる。踏んだりぶつかったりはしてないつもりだけど、社交ダンスを甘く見ちゃいけない。本当は裸足でやったりは絶対にしないんだから。
「ええ、大丈夫よ。ダンス、お上手ね」
「どーも。そう言っていただけて光栄ですよん」
 ナチュラルターンの代わりに彼女の膝裏に腕を入れて、横抱きのままくるっと回ってみせる。フロアの周りからは歓声が上がった。
「と、まぁこんなこともできますよ、と」
 さすがにイキナリのことにビックリしたのか、仮面の下から鳶色の眼が見開かれてる。
 足下に気を付けて彼女を降ろすと、さっきよりも幾分近い距離で手を組み直された。彼女の周りからは何だか分からない、けれど綺麗な匂いが漂ってくる。
「……あなた……、危険な香りのする人ね」
「はぃ?」
「あたし、匂いにはうるさい方なの。あなたからは、他の人からはまるで感じない様々な香りがするわ」
「そうすか?風呂、ちゃんと入ってきましたけど?」
「フフ、そうじゃなくて。土、埃、血……。鉄錆、太陽。そして……硝煙」
 俺の手に、僅かに力が入ったのを彼女は見逃さなかった。聡い人だ。俺の手を逆に握り締めてきて、眼を覗き込んでくる。
「ねェ……あなた、本当は何者なの?……もしも、あたしがそう訪ねたら、あなたは本当のことを教えてくれるのかしら?」
「それは、ご想像にお任せします、としか。俺が何であっても、今、あなたの前にいる俺も、俺です。それじゃ物足りないでしょーか?」
「フフフッ、かわし方も上手なのね。ますます気に入ったわ」
「そりゃまた光栄」
 いつの間にか、何でか知らないけどフロアには俺たちしかいなくなっていた。他に踊ってた奴ら、完全に見物に回ってやがる。つーわけで、男の方が背が低いという変なペアは完全に晒し者。イヤむしろ外野はみんな、俺の相手が放つ凄まじい色気にあてられてるのかもしれない。
 俺?俺は、確かにナイスバディもいいんだけど、匂いの方が気になっちゃって。あとはちゃんとステップ踏むので精一杯。
「あら―――曲もそろそろ終わりね」
「っすね」
「今夜はありがとう。とても楽しかったわ」
 ちょうど曲が終わって、彼女と俺は手を離す。彼女の身体も離れて、そうすると今までそこに漂っていた匂いも薄くなる。
「次に会うとき、あたしたちの関係はどうなっているかしら……楽しみにしているわ。《転校生》サン」
「……そうっすね」
 おそらく……十中八九は、相対する者として、向かい合うんだろうけど。今だけはそれを言わずに、手の甲にだけ口付けた。
 俺たちのダンスはこれでおしまい。俺はさっさと引っ込んで八千穂ちゃんの元へと戻った。
「九龍クン!!格好良かったよ~!」
「うぃー、お粗末」
 おどけて両手を上に上げ、もうやらないよということをアピール。さっきのはぶっちゃけ、彼女がとてつもなく上手だったからこそ踊れたわけで。つか、ヒールなしでよくあんなターンができるもんだと驚いたくらいだ。
「さてさて、俺はちょっと休憩ー。飲み物、もらってくんね」
「あ。あたしも行くー」
 二人で並んで。歩き出そうとしたその背後から。
「きゃああァァァッ!!」
 突如、凄まじい絶叫が響いた。八千穂ちゃんと二人、弾かれたように声のした方を見て―――揃って絶句した。
 俺は、不覚にも、一瞬だけ、何が起こっているのか分からなかった。
 だって、空中に女の子が浮いてるんだぜ?はい?って思うだろ。
 周囲は騒然、女の子の友達らしき子は泣きながら名前を呼び続けてる。
「うわぁぁぁッ、何だ、アレ!!」
「見てッ!!か、髪が、シャンデリアにくっついてる……?」
 どうやらそういうこと、らしい。長い髪がシャンデリアに絡まっているのか―――張り付いてでもいるのか、女の子の身体は完全に宙づり。まるで、首でもくくっているようにも見える。シャンデリアはかなりの高さがあって、下からの救出は時間がかかりそうだと判断した。
「く、九龍クンッ!!何これ……どうなってるの!?あ、ねェ、九龍クン!?」
 どうなってるかってのは、残念ながら俺にも分からない。けれどどうにかしなければいけないということだけは分かる。
 シャンデリアは、ちょうど中二階と同じくらいの高さに吊られている。二階に上がるまでの階段から、なんとかなりそうな距離。
 騒ぎの輪から離れて、階段を途中まで上がる。下にいる連中は、騒ぐばかりで助ける気がないらしい。酷い話だ。
「ね、九龍クン!?何するの!?」
 追い付いてきた八千穂ちゃんが息を切らしながら問うてくる。
「んなの……助けんだよッ!!」
 ワイヤーフックがあれば、とちらりと考えたけど、ないモンはしょうがない。まさか、銃で髪を撃ち飛ばすわけにもいかないし、手を伸ばして届くかと言ったらそういう距離でもない。
 シャンデリアの耐久重量はかなりありそうだ、吊られている彼女の体重ぐらいでは傾ぎもしない。
「九龍クン……もしかして…」
「下の連中退かしておけッ!!」
 言い捨てると、そのまま、階段の手すりからシャンデリアに飛び移った。着地と同時に欠けたガラス片が飛び散る。……シャンデリア自体は、重さに耐えているらしい。
 八千穂ちゃんは素晴らしい!俺の奇行に何も言わず、俺が言った通りに下の人間を誘導してる。
「八千穂ちゃんッ、下にテーブル積んで!」
「分かった!!」
 吊り上げられている彼女は、髪だけで全体重を支えている状態だ。身動ぎもしないと言うことからショックで意識が飛んでるのが分かる。呼んでも反応がなく、だらりと力が抜けたまま。
 八千穂ちゃんが下にいた連中とテーブルを積んでる間、俺は足をシャンデリアに引っかけて、逆さの状態から彼女の腕を取った。幸いにも長い髪だ、引き上げれば緩みが生まれて身体に掛かる力も減る。
(……どうなんてんだ、こりゃ…!!)
 彼女を腕に抱いてみたものの、髪はどんだけ引っ張ってもビクともしない。まるで強力磁石かなんかのようにシャンデリアにびっちり。絡んでるわけでもない。取れやしねぇ。逆にギリギリ、緩めた分まで締められてる気がする。
「まだかッ!?」
「もうすぐだからッ」
 フロアにテーブルが二段ほど積まれたとき。どこかでケータイが鳴った。短い着信音だった気がする。それからガタガタと音がして……ほどなく。
「ぎゃあああァァァッ!!」
 今度は何だ!?一体よ!!
 でも、そんなん確認する間もなく、突然腕の中が重くなった。髪が、離れる。
 墜ちると思った瞬間に身体を反転、女の子を腕の中に抱えて背中から積まれていたテーブルに激突した。
「っつ~~!!」
「大丈夫、九龍クン!?」
「そ、れより、さっきの悲鳴はなんざんしょ!?」
 気を失ったままの彼女を友達らしき子に預けて、俺と八千穂ちゃんは悲鳴が聞こえたという屋敷の外に向かった。
「―――?あれ、あの子……。ね、葉佩クン、窓の外にいる子ってもしかして……」
 途中、窓の外を見た八千穂ちゃんが指差す。そこに立っていたのは、
「……トト・ジェフティメス」
 暗がりの中、あの白い上着はよく目立つ。表情まではよく分からなかったけど、ただ、奴の周りにふわりふわりと何かが浮いているのだけはよく分かった。
 とにかく外へ。飛び出して、すぐ。倒れてる男子生徒を見つけたのは八千穂ちゃんだった。
「葉佩クン、あそこに!!」
 駆け寄ってそいつを助け起こすと同時に、今度は八千穂ちゃんが絶叫。
「きゃーッ!!歯、歯がないよ!!どうしちゃったのッ!?」
「い、いひはほんへひへ……」
「いひはひ……?あ、石!石ね!?飛んできて……当たったの?」
 前歯が砕けたせいか、発音できないそれを八千穂ちゃんが通訳する。うーん、器用だねぇ。俺、そいつが言ってるのがフランス語に聞こえるアルよ。
「とにかく、そりゃさすがに俺でもどーにもならん。ルイ先生んとこ、知らせて来ねぇと」
「……ねェ、葉佩クン…、これって、『五番目の童謡』じゃない?一人目の女の子は、シャンデリアに髪の毛が絡まってて……二人目のこの子は飛んできた石に歯を折られた……。これって、まるで童謡の歌詞そのもの―――」
 八千穂ちゃんの言葉が終わるか終わらないか、遮ったのは俺のH.A.N.T。マナーモードの振動が腰に響く。
「ど、どうしたの九龍クン…」
「……『お前は三人目』」
 一人は、髪を縛って置いてきた。二人は、歯を折って置いてきた。
 三人は、―――剣を刺して置いてきた。
 途端、発現する殺気。バリバリ、という妙な音と共に、背筋を嫌な感触が駆ける。
 ―――来るッ!!
「九龍クンッ!!危ないッ―――」
 暗がりから真っ直ぐ俺を目指す、それは研ぎ澄まされたようなナイフの刃。
 一瞬間、回避か防御の二択が浮かぶ。更に半瞬間で回避という選択肢を捨てる。後ろには二人がいる。避けられるはずもない。最後の四半瞬間で、腕を諦めるつもりで心臓と頭部を庇うようにして差し出した。
 やられる、覚悟して、その後の攻撃を頭に描いたその時。
「構えッ!!撃てッ―――!!」
 どこからか聞こえた号令が、ナイフを叩き落としたかのような錯覚がした。本当は、飛んできた銃弾のお陰なんだけど、どっちにしても俺を助けた声には聞き覚えがあって。ついでに、このシチュエーションにも覚えがあったけど、剣介さんはなにも『撃たない』。
 ナイフの破片で頬が削られた痛みを感覚するより早く、そいつが俺の前に駆け寄ってきた。
「間に合って良かったでありマスッ!!」
「ほ、うすけ……?」
「九龍ドノ、お怪我はありませんでしょうカッ!?」
 ビシッと敬礼が決まって、もう格好良いったらないよ?墨木砲介!ここでこういうタイミングで助けに来るのは反則でしょう!!
「ナイナイ!!全然ダイジョブだよーぅ!!」
「それは良かったでありマスッ!自分もホッとしたでありマス」
 もーぅ、剣介といい砲介といい、いざって時の登場の仕方が格好良すぎる。
「気を付けてくだサイッ、敵はどうやら磁力を操るようでありマス」
「らしい、ね」
 俺の腰に提げてあるグロックもさっきから引っ張られてる。銃身が何であれ、銃弾は磁力に反応する。その、引き寄せられる先から、誰かが出てきた。白い上着で、切れ長の目の。
「―――誰ダッ!!」
「何故……彼ヲ助ケル?」
 見据える先は砲介だった。同じ、元、執行委員。
「やっぱりキミが、その《力》で……。どうして九龍クンやみんなを襲ったりしたの!?」
「アノ宴ニ招カレシ者ハ、ミナ罪深キ魂ヲ持ツ者。ボクハタダ、神ノ導キニ従ッタダケ」
「神……。貴様にとってそれが《生徒会》なのカ?」
 その問いかけには、トトは答えなかった。代わりに、さっきと同じ事を砲介に問う。
「……アナタ、何故彼ヲ助ケタ?彼ヲ助ケルコトデ、ソレデ、アナタハ何、得スル?」
「得……で、ありマスカ?」
 砲介が言い淀む。……そういや、何でみんな、俺のこと助けてくれんの?得、しないじゃん。何にもさー。
 なのに、砲介ったら。
「敢えていうならば、心が得をするのでありマスッ」
「ココロ……?」
「そうでありマスッ。大切な人を守れて、その人の役に立てる。それが嬉しいのでありマスッ!!」
 …………うぇー…。
 なぁに、言っちゃってんの。目の前でトトも唖然としてるよ砲介。俺だって唖然としちゃうよ、ホント。一体、俺を何だと思ってるんだよぉ…。
「………」
「トトクン、得とか、そんなの関係ないよ。キミにだって大切な友達が……、守りたい大切なものがあるでしょ?」
「大切ナ、人……トモダチ…?ワカラナイ、トモダチ、ッテ、何ダ」
 友達って、何だ。
 それが、今の俺には分からない。ちょうどどんなもんだと考えてるときにそんなこそ言われたって、答えられるはずねぇじゃねーかよ。
「コノ国、ボクハイツモ、一人。誰モガミナ、月ノ光ノヨウニ 冷タイ瞳デ ボクヲ見ル」
「………」
「コンナ異国ノ地デ 大切ナ モノナド 見ツカル ハズナイ」
「…やっぱ、そうなのかな」
「エ……?」
 俺のセリフに、驚いたのはトトだけじゃなく。八千穂ちゃんも、俺の前に立った砲介も俺を振り返ったりする。
「国の違いって、……やっぱ、大事なんだろうな」
「……九龍クン?」
「でもさ、そういうのすらない人間て、だったらどうすりゃいーわけ?」
 どこにもない人間、何でもない人間、世界の法則に組み込まれてない人間。
 国籍の違いなんて毛すらも気にしないどころかそんなもんないんだから、自分にとってどこが異国でどこが自国か分かんない。そういう人間は、どこに行っても『違う場所から来た者』になって、自分の戻る国ってもんがないんだ。
「どこに行ったって外国人になっちゃうってことは、そういうヤツってトモダチできないって、そーゆーことっしょ?」
 あー、きっと今、俺の目つきは相当悪いだろうなぁとか思いながら。でも笑ってる自覚あるから余計にヤな顔してんだろ。
 トトは顔を歪めてる。哀しいのか悔しいのか返答に困ってるのか、きゅっと唇を噛みしめて俯いた。
「ボクハ……、ボクノ使命ヲ果タサナケレバ……」
 踵を返して走り去ったトトを八千穂ちゃんが呼び止めたけど、そのまま姿を消してしまった。おそらくはあの遺跡にいくんだろう。
「……トトクンも、何か大切なものをなくしちゃったのかな……。ねぇ、九龍クン、……九龍クンも、」
「んなことより。こいつ、どーにかしないと」
 時折小さく呻く彼。歯を折られた痛みで意識が結構朦朧としてるっぽい。
「そ、そうだッ、とにかくルイ先生に連絡しなくちゃッ」
「自分は、屋敷へ女生徒の救出に向かうでありマスッ」
「おぅ。とりあえず降ろしてはあるから様子見てきてくれっか?」
「九龍ドノは……、墓地へ行かれるでありマスカ?」
 気遣わしげな砲介の声。ガスマスク越しでもなんとなく分かる。
「そーだね。行ってくる。行くことが良いことなのかは分かんないけど、俺にはそれしかできないから」
「それでこそ、自分の信じる九龍ドノでありマスッ!!あの者は待っていると思うのでありマスッ。自分のように……九龍ドノがあの暗闇から救い出してくれるのを」
 そこまで言われると、またそれはそれでプレッシャーなんだけどさ。だって、俺が行って何するって、墓荒らしをするしかやってないんだから。黒い砂がどうとか、そんなの俺がどうこうしたワケじゃないしさ。
「では、自分は行くでありマスッ。九龍ドノの御武運をお祈りしているのでありマスッ」
「あいよ!……砲介!」
「ハイ、何でありマスカッ」
「準備、しといて!遺跡に、潜る準備!」
 走り出し掛けていた砲介が、律儀に足を止めて振り返る。それから敬礼をして、
「りょ、了解でありマスッ!!」
 一礼すると走り去っていった。
「あたしはここでルイ先生が来てくれるまで、ここでこの子を診てる。九龍クンは、色々と準備もあるだろうから先に行って」
「おぅ」
「あたしも……、先生が来てくれたらすぐに行けると思うから、もしもあたしの力が必要なら声かけてね」
 男子生徒の傍らにしゃがみ込んだ八千穂ちゃんは、上目遣いに見上げてくる。物言いたげな視線に、何?と返してやれば、言いにくそうに、それでも小さな声で。
「九龍クン……あたしは、九龍クンの友達だと思ってるよ?」
「……うん。俺も」
「だから、あんな寂しいこと、言わないで?あたしも、バディのみんなも、九龍クンのこと大事に思ってるんだよ」
「ハハ、あんがとね。……でも、ほら。別に俺の事じゃなくてね。そういう人間もいるんだよってハナシ」
 誤魔化して笑って。バレないようにひらひら手を振って。
 八千穂ちゃんは納得したんだかしてないんだか、俯いてから呟いた。
「なら、いいんだ。……行ってあげて、九龍クン。あの遺跡で、きっとトトクンが待ってる」
「おぅよ」
 行きますとも。それがお仕事ですからね。頑張らせていただきますよ。
「八千穂ちゃんも、夜更かしの準備をよろしくー。ルイ先生が来て、状況が落ち着いたらメールプリーズ」
「え……?」
「イヤ?だったら無理にとは言わないんだけど」
 イヤなのかいいのか、八千穂ちゃんはふるふると首を横に振る。どっち?と聞けば元気よく「行く!」って返ってくるんだけど。
「ほんじゃ、メール頂戴」
 俺は、これから準備。磁力を操られるんだったら武器はどうしよっかね?とかそんなことばっか。
 だから八千穂ちゃんがいたほうがいいんだ。
 トトを救いたい、っていうなら。ちゃんと人との関係について考えてて思いやりもある八千穂ちゃんがいたほうが絶対に、いい。俺は遺跡を踏破することでいっぱいいっぱいだしね。
 ……救う、だなんて。俺には相手を斃すことしか、できない。
 どうやったら、人間的な根本から八千穂ちゃんみたいな考え方ができるのか、理解すらもできない。
 ああ、もう。俺ったら、ダメダメ。

*  *  *

 ダーメダーメと鼻歌まじりに屋敷から離れようとすると、周りには同じような奴らがいっぱい。どうやらパーティはお開きになったらしく、寮に帰っていく人の流れと合流した。何人かがマミーズに入っていくのが見える。
 そういや、ゴタゴタが連チャンで腹減った。寮に戻るのもナンだし、マミーズでメシ食って行こうかなって中を覗いた。(砲介とか八千穂ちゃんが頑張ってんのにアンタ何やってるとか言うツッコミはナシでね。だって俺、なんもできないもん)
 中には見知った顔がちらほら。同じテーブルでメシ食ってる。あれは、……鎌治に大蔵に、舞草ちゃんが楽しげーに話してる。
「こんばんにゃー」
「いらっしゃいませー。マミーズへようこそ!って、九龍くんじゃないですか~」
 マミーズスマイルの舞草ちゃんの後ろのテーブルから、鎌治と大蔵が手を振ってきた。
 あ、俺、そっち行っていい?いい?サンキュー。ってなワケで俺そこの席、相席ね。……うわ、何か、二人と一緒にいると俺んとこだけ凹んで見えね?舞草ちゃーん、俺、カレーヨロ。
「鎌治は夜会帰り、だよな?大蔵は?」
「ボクもそうでしゅ!夜会ではた~っくさんご馳走が食べられると持って楽しみにしてたでしゅのに、例の騒ぎが起きたせいでちっとも食べられなかったでしゅ。酷いでしゅ~!!」
「ありゃー、なぁ……メシどころじゃなくなっちゃったもんな」
 出されて水を啜って、対面して座る大蔵を見上げる。相当、憤慨してると見た。
「こうなったらここで自棄食いするしかないでしゅ!!九龍くんも、ボクと一緒に食べまくるでしゅ~!!」
「ヨォォッシャァァァ!!入るだけは食うぜ、俺は」
「お~、九龍くん、やる気十分でしゅねッ!?」
 鎌治が苦笑いする横で二人、フードファイトでもするのかっていう盛り上がりです。
 すぐに舞草ちゃんがカレーを持ってきてくれて、さてようやく今日の夕飯。
「さあ、ボクたち二人で『目指せ!!メニュー完全制覇』で食べまくりでしゅ~!!」
「え゛ッ、マジで?俺、さすがにそんなに食えねぇ…」
「九龍くんは小食なんでしゅ!だからそんなに細いしちっちゃいんでしゅよ!」
「……うるせぇやい」
 鎌治も!そこで吹くな!!どうせ二人に比べたら俺はチ……背はそんな高い方じゃねーけどよ!!
「九龍君はその大きさで充分可愛らしいと思うよ?」
「フォローになってねぇよッ!!」
 お返しに鎌治が食ってるオムレツをつっついてやった。フンだ、チクショウめ、背が高いヤツには俺の悩みなんて分かりませんよーだ。
「あ、そういや鎌治、ピアノ、すげーかったな」
「本当かい?ふふ、九龍君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
 ……んなコト言いながらカレーの肉、持っていくあたりが『イイ性格』だよなぁ。
「そういえば、九龍君にちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「ん?」
「君は、極端に緊張してしまったとき、どうやって心を落ち着けるんだい?」
「俺?……うーん、参考に、ならないと思うけどさー」
 例えば、狙撃の瞬間。神経を引き絞って集中力だけの塊になるとき。緊張して、張りつめてその糸が切れそうになるとき。俺はどうしてたっけ?
 ああ、そうだ。
「誰かと、……大事な誰かと、どうでもいい話をしてみる、とか」
 どうして同じ煙草なのに中華と飛馬ではあんなに値段が違うのかとか、水虫に一番良い治療法は何かとか(結論は指を切り落とすことだったんだけど)、斉旺燕は何カ所整形してたかとか、目玉焼きには醤油か沙士かとか、ね。
「……なるほど。確かに、君と話していると気分が楽になるね」
「へ?俺?」
「ありがとう、九龍君。今後の参考にしてみるよ」
 ヤ、誰も俺と話せ、なんてさ。言ってないじゃーん、て思うんだけど、あんまりに鎌治がニコニコしてるんで言えませんでした。
 でもさ、ホント。俺のこと、大事だとか言わないで?そんなんじゃ、ないんだ、俺は。
 残りのカレーを腹の中に押し込んで、舞草ちゃんにお冷やのお代わりをもらった。
「ちょっと聞いてくださいよォ」
「ハイハイ、なんざんしょ」
 来るやいなや、舞草ちゃんのマシンガントークが始まる。
「今日の夜会に臨時の仕出しのお手伝いをしに行ったんですけどォ、もう宴も酣!!ってところで、なんと!!怪我人が出る騒ぎが起きちゃってェ、何が起きたのか雇い主からの説明もないし、もうもうもう、すっごくすっごくすっご~く、怖かったんですよ~ッ!!」
「で、怪我はなかった?」
「うッ、うッ……ありがとう~。もう、ほんとにほんっとに怖かったんですよぅ」
 おぉ、舞草ちゃん、泣き真似上手い!!なんて、あんな騒ぎじゃ確かに怖いか、普通の人は。
「結構な騒ぎだったからねー」
「ボク、九龍くんがシャンデリアに飛び乗るところ見たでしゅよ!」
「……あ、見てたの」
 うわ、恥ずかし。顔面から火。
「あの女の子、怪我はなかったようだよ。髪も傷んだりしていなかったようだし」
「そっか!そりゃ良かった」
「でも九龍君は大丈夫だったのかい?背中から落ちたようだし、ほら、頬も切れてる」
 鎌治はすっと、こっちに手を伸ばしてきて。俺の頬に触れるか触れないか、それくらいの位置で突然止まって何かを警戒するかのように店内を右左。
「そ、そういえば、皆守君は……夜会では、見かけなかったけど」
「あいつはもう寝てんじゃね?夜会の前に風呂入ってたから」
「あー!だからちょっと変な感じがしたんでしゅね。謎は全て解けたでしゅ!」
「やっぱり肥後君もそう思った?」
 ……いや、だからさ。一体君らは俺をどういう目で見てるんだい。
「あのね、いつもいつも一緒にいるワケじゃないでしょ」
「でも、普段ならこうやって隣に座るだけで機嫌悪くなってしまうだろう?皆守君は」
「んなワケねーじゃん。気のせい気のせい」
 そう、気のせい気のせい。
「でも、あれはヤキモチだよねぇ」
「でしゅね~」
「おー、勘違い」
 盛大に勘違い。
「あいつはね、そういうんじゃなくて。俺がちょろちょろしてると色んなトコで騒動が起こるだろ?それが面倒だから自分の目の届くところに置いておきたいんだよ」
 そう。そうなんだって。言いながら、思った。
 納得させたいのは誰でもなくて自分で、そう思いこんでおけば万事うまくいくんだって。何もかもが崩れずにそのままであるためにはそれしかないんだって。
 表情の曇る取手たちに、俺は意味もなく大丈夫、と言って笑って見せた。

*  *  *

 八千穂ちゃんと砲介に連絡を入れて、俺は一旦寮に戻った。武器は墓場の井戸で揃えるにしても、細々としたものは部屋から持って行かなくちゃならない。アサルトベストを制服の下に着込んで、三連ポウチには弾薬を、ベルトにはコンバットナイフを。コンバットブーツも用意して、そこで煙草を持っていこうかどうか迷った。
 だって、ね。このガッコでの葉佩九龍のイメージ崩れちゃうもんねぇ。煙草吸いながら仕事なんて、次元か俺は。
「さーぁて、と」
 一通り揃えて部屋を出た。寮にはあまり人影がない。当たり前か、もうかなり遅い時間。夜から動き出す人間なんてそんなに多いはずないんだよねぇ。
 ちらっと隣の部屋を見る。出てくる気配ナシ。だったら捕まらないうちに行こうとした途端。
 胸の中で、H.A.N.Tが震えた。誰かからのメールを着信したらしい。俺は、その差出人を見ただけで本文を読むことを止めた。
 読んだら終わり、なぜか、そんな気がした。