風云-fengyun-

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8th.Discovery 月光の底 - 8 -

 部屋の中はどこまでも冷え冷えとしていた。それはもう痛いくらいに、まるで侵入者を拒むような温度。墓荒らしへの拒絶、他人の廃絶、トトの心の奥。
「寒……」
 八千穂ちゃんには俺の上着と、防弾ベストを着てもらっている。防寒にもなるし安全だしの一石二鳥。ちょっち重いのが難点だけど死ぬよかマシよね。
「先程までの部屋もそうですが、この部屋は一段と冷え込んでいるでありマス……」
「だね。……さて、お出ましだ」
 カツン、と硬質な音が響き渡った。冷え切った部屋の中、冷気の向こう、冷たい目をした男が一人。
「ヤパーリ来タデスカ……」
 トドメとばかりに冷たい声。ここはどこまでも寒い場所なんだなーって実感する。
「アナタ、コノ《墓》ヲ 荒ラス悪イ人。アナタ、何ヲ 期待シテル?ココニ 金銀財宝ガ 眠ッテル、ソウ思ッテル デスカ?」
「金銀財宝ぉ?んなもん、あったらいいねぇ。そんなのが目的だったら俺の仕事はもっと楽だろね」
「デハ、ドウシテ―――。ワカリマセン……アナタノイウ事」
 分からなくて結構。分かっていただきたくもありません。『敵』に理解されるように喋っちゃおりませんですからねーぇ。
「ボクハ コノ国デ 生キルタメニ、神カラ《墓守》トイウ 役目ヲ授カッタ」
「……神…ね」
 神、という存在を、常日頃は胡散臭いと思ってる俺。神になんて祈ることさえ馬鹿らしいと思ってる。
 でも、……揺るがせることのできないもの、その存在だけは、分かる。
 例え黒でも、《神》が白だと言えば白くなる。世界がそれを糾弾しようと、《神》が認めれば世界にだって刃向かえる。世界すら、敵に回して《神》を信じ抜くことができる。
 その心理だけはね、分かるんだ、俺。
 分かる、けれど。今それをトトと共有して手を取り合うってワケにもいかない。紛うことなく対峙する者、別の何かを信じ合った者、決定的に交わらない者。俺の黒はトトの白、トトの黒は俺の白。
「例エ アナタノ 目的ガ 何デ アロウトモ、ボクハタダ、《墓》ヲ 荒ラス者ヲ 排除 スルダケ―――」
「そーね。どんなにごちゃごちゃ言ってても、結論そこなんだからちゃっちゃーと済ませましょうね」
「九龍クン!!」
 笑いながら殺伐としたことを言うと、八千穂ちゃんが抗議の声を上げる。
 そりゃ、八千穂ちゃんは説得してもらわにゃなんだけど、その前にトトの中に引っ掛かってる何かを解放しないと聞き耳持ってくれないんだよねー、コレが。俺だって無駄な時間を使いたくはありません。
「あのね、ここでは俺らは侵入者でね……」
「でも!トトクンだってちゃんと話せば分かって、」
「くれねぇっ、ての!!」
 間一髪、這い寄ってきたどでかいサソリの一撃を、八千穂ちゃんを押し倒すことで回避。それを脇から砲介の援護が消し去った。
 あっと言う間に湧いて出た虫の大群に囲まれて、あららさあ大変。
 まずは、これを無力化することですね。
「砲介!こいつらは銃弾に弱い。バーストで脳天に叩き込めば倒せるはず。尻尾の毒には要注意な!」
「イエス、イエッサーッ!!」
 一瞬の敬礼、後、散開。踵を揃えて向きを変えた砲介はサソリ退治を開始した。細かな指示を出さなくても何をすべきか一発で分かるのは、日頃一緒に訓練行動してるお陰。俺が何をしたいのか、しようとしてるのか、すぐに理解してくれる砲介君なのでした。
「八千穂ちゃん、その綺麗なナマ足、刺されないように注意してなッ」
「わ、分かった!……って、足~?」
 素っ頓狂な声を出した八千穂ちゃんの援護を受けながら、一匹二匹、サソリを倒していく。(っていうか銃弾とほぼ同じ威力のテニスボールって恐ろしいよね。)
「砲介、そっちは!!」
「対象、全滅でありマス!」
 こっちにもサソリはいない。ということは、あとはトトを残すのみ。
 冷え切った部屋の、白い息の向こうで、トトはなんて眼で俺を見るんだろう。虫けらでも見るような……ヤ、もっと下。無関心を見る眼。
 眼の色が揺らがないまま、ゆっくりとトトが両手の平を合わせた。夜会の時に見た、―――攻撃の合図。
 握っていた銃が、一瞬グンと強い力で引かれたような気がして、顔を顰めた次の瞬間には俺の前に立ち塞がるように砲介が立っていた。
「フリーズッ!!」
 トトに向けて、改造銃が火を吹く。砲介の銃はトリガーを引くたびに三発ずつ弾が発射される三点バーストショットだ。
 俺は、砲介の背中を見ながら、こりゃまずいと思った。砲介の首根っこをひっつかみつつ、八千穂ちゃんに被さりつつ、地面と激突しつつ、床に伏せた俺たちの上を、砲介が撃ったはずの弾丸が跳ね返って飛んできた。
「ナッ……!!」
「やっぱり、か」
「これは、どういうことでありマスカ?」
「トトは磁力使いだろ?弾、はじき返すなんて朝飯前っしょ」
 その力は、銃使いの俺たちにとっては天敵とも言える。隣からはくぐもった舌打ちが聞こえた。砲介も分が悪いのは分かってるはず。
 俺は、仕方なく銃をホルスターに戻した。代わりに、背負ってた大剣を抜いて構える。銃撃戦よりヘタクソだけど、真里野の剣ちゃんに御指南頂いてるから使い物にならないほど、できないわけじゃない。と思う。それに俺には殺人キックもありますしー。どこまで墓守に効くかは賭けだけどね。
 次いで放たれた鉄製のあれやこれやの追撃を散開して回避しながら、俺はトトへと距離を詰める。
 近付くにつれ、どんどん背筋が痛くなるのは強力な静電気のせいかもしれない。
 磁力のせいか妙に重くなる剣を一気に振りかぶるのではなく、それを軸に勢いを付けて回転蹴り。トトの体勢が崩れたところに、大剣を叩き付ける……ものの、刃が接触する前に抗いがたい力に弾かれる。
「ンだとッ!?」
「無駄ダ」
 やたらに整った男前が、切れ長の眼で俺を睨み下ろす。手を翳されたときには、大剣ごと反対側の壁まで吹っ飛ばされてた。
「九龍クン!!」
「……ってぇ」
「ご無事でありますカ、九龍ドノ!?」
「まぁ……なんとか」
 ヤ、実は衝撃で脳天クラクラいってますが。なんか視界が揺れてるヨー?
「あー、もー。磁力どうこうってのはこんなにも厄介かね」
 チクショウ、アバラがちょっくらイッたくせぇ。アサルトベストの改良求む。もっと緩衝剤を入れてください。
 腹を押さえた俺を、どうやら重症だと思ったらしい八千穂ちゃんは、そこでビックリ、なんとまぁ両手を広げて仁王立ちで、俺をトトから庇うみたいに立ちはだかった。
「もう、やめてよトトクンッ」
「………墓荒ラシニハ、死ヲ。ソコヲ、退ケ」
「ダメ!ねぇ、トトクン、誰かを傷付けたりすることに意味なんてある!?そんなことを命ずる神様を信じて、キミは救われるの!?」
 八千穂ちゃんの言葉を聞いて、トトの眼が一瞬揺らいで、すぐに色が灯るのが分かった。
 その色は、例えるなら赤。怒りと、血の色。彼女の言葉は、トトにとっては《神》への冒涜でしかないはずだ。今、彼女はトトの白を、黒だと宣言した。
 ヤバい、と思ったその時にはナイフの切っ先は八千穂ちゃんを向いていた。いや、向いていたんじゃなく、すでに狙い澄まされて放たれた後。首の皮一枚を切り裂いて、ナイフは壁に突き立てられていた。
 八千穂ちゃんの首筋を、赤い線が伝う。
 俺も砲介も、一歩も動けない早業だった。もちろん、狙われた八千穂ちゃんも。
「―――黙レ」
「ぁ……っ…」
 立ち塞がったまま、眼を見開いて『殺される』感覚を上っ面だけでも味わったようだ。
 腰が抜けたようにへたり込む八千穂ちゃんの身体を支える。
「くろう、クン……」
 傷は本当に浅い掠り傷だ。わざと外したらしい。ふざけている。
 真っ白い喉に滲む赤い血が、俺の脳味噌に染み込んでくるような錯覚がした。
 気が付いたときには小刻みに震える彼女の身体を思い切り抱き締めて、首筋から伝う血を指でぬぐった。
「……ゴメン」
 守るだなんて言っておいて。あっさり傷付けることを許してしまった。『信用』を裏切った。後悔が脳味噌をどす黒く染め上げる。
 鉄臭いし錆臭い、それはきっとあいつの《力》のせいで、鉄を噛んだ味が口に広がるのは気のせいだと思った。けれどそうじゃないことに気が付いたのは、立ち上がって唇を舐めたときだ。なんのことはない、唇を噛み切っていたらしい。その血はワイシャツの袖で拭った。
 アサルトベストを外し、銃も床に落とす。床に置いてあった大剣は足先でどかした。ワイシャツの袖を肘までまくって、薄い皮のグローブを嵌め直す。
 ふと、夷澤のことを思った。いつも、手加減はしてない、と言っている。けれどそれは嘘だ。俺は、いつだって加減して拳を握る。
 ―――こういう場合、以外は。
 傷付いた氷の床に、わざと音を立てて歩いた。墓守に近付く。
 スポーツ格闘技で相手をしてやる気は欠片もなかった。軍隊式格闘技の構えを取る。とはいっても、これも他の格闘技要素を入れた我流。右手を突き出し、左手の拳で顔面を、肘から手首の部分で心臓をガードする。体重を振り分けて、爪先は猫足に。
 俺は、八千穂明日香に対して本当に申し訳ないと感じている。同時に傷を負わせてしまった自分にどうしようもなく腹を立ててもいる。
 振り返りもせず、トトを見据えたままで声だけ後ろに向けた。
「墨木砲介」
「ハ、ハイッ!!」
「これが、コンファイトだ。―――見せてやる」
 格闘戦が苦手だと言っていたのは今日だったか。ならばちょうどいい。
 誰に合図されたのでもない。ただ、背筋に走った小さな電流だけが身体を前へと突き動かした。同時に、トトも。手を翳して力を発動させる。
 途端、酷い頭痛がした。血圧が異常に上がり、舌が膨れるような嫌な感覚を覚える。黒塚至人の言葉を思いだした。磁力は体内にも影響するんだったか。
 だがそれが、どうだという。
 例え全身の血が沸騰しようと、筋肉が千切れようと、構う必要はない。要は目の前の男を畳むことができれば後はどうでもいいのだ。
 離れるのは完全に不利。ステップを踏んで、目に見えない磁場の力を左右に振って回避してから懐に飛び込む。切れ長の眼が力を行使しようと見開かれるが、それはすぐに驚愕に変わった。目の前にハイキックが飛んできていればそりゃ、驚くだろう。
 脚に角度を付けたブラジリアンハイキックが側頭部を蹴り飛ばした。決して重くはないウェイトだが、トトは綺麗に吹っ飛んだ。普通なら、これでダウンなのだが。流石は墓守だ。よろめきながらも立ち上がってきた。眼の色から冷たさは消えていたけれど。
 コンブーツが傷を付けたのだろう。トトのこめかみから流れていた血は、伝う途中で黒い砂となって空気に混ざっていった。奴がそれを払うこともせず両手を合わせると、すぐに身体が重くなってくる。もしかしたらトトには血液を逆流させることすら簡単なことなのかもしれない。
 そうされる前に数歩の助走後に跳躍、トトの腕を踏み抜きざま長身を飛び越え、背後に回る。着地と同時に姿勢を低くして膝を払った。倒れてくる背中に膝蹴りを入れ、バウンドしたところで飛び上がった。トトの顔の高さまで。
 そのまま勢いを付けて回転蹴りを……、
「ダメェェェッ!!」
 食らわせるのはおあずけ。脚を流して、くるっと空中で回って着地した。トトはスローモーションのように倒れてくる。意識が混濁してるっぽい。打ち所、悪かったぁ?
「コ、コレハ……」
 喋るたびに黒い砂が吐き出される。
「何故……、何故コンナコトガ……」
 トトの身体が痙攣する。
「神ヨッ―――!!」
 がくりと力が抜けた。なぜかその身体を抱きかかえるなんて状況になりながら、駆け寄ろうとする八千穂ちゃんを制した。
「下がって!」
「く、九龍クン、そっちに、何か……」
「分ぁってる!」
 冷気がどんどん強くなってる。おりゃー、もう振り返りたくないですよ、正直なトコ。でももう一戦あるのは分かり切ってることで、しょうがなく俺はトトを抱き上げて(お姫様だっこってヤツ!!)部屋の端に運ぼうとした。
 その背中に、火傷のような痛みが走る。トトを危うく放り出しそうになって、どうにか頭と肩を抱えるようにして転がった。
 駆け寄ってきた砲介にトトを預けて背中に手を当てると、驚いたね、凍り付いてんだもん。ワイシャツ一枚だったのも敗因ね。
「九龍ドノ、これヲ」
「おっとサンキュ」
 アサルトベストに大剣、コンバットナイフ、それから銃。これさえあれば地上に戻れる。八千穂ちゃんも砲介も一時間後にはベッドの中だ。
「あいつには銃撃いくらやってもオーケーだから。八千穂ちゃんをガードしつつ援護ヨロシク」
「了解でありマスッ」
 そうして振り返った俺の目に飛び込んできたのは、氷のオブジェみたいな《墓守》。氷の鬼みたい。嬰児の顔が付いていて、その身体まで氷の中で透けて見える。あんまり、気持ちの良いもんじゃないね。
「八千穂ちゃん、砲介、周りの雑魚を頼む」
「分かった!」
 ラケットと改造銃、それぞれ自分の得物を構えた二人が近寄ってくる蛇を撃退していく。頼もしいネェ。
 俺は俺で背中に貼り付いてる氷を引きちぎり(赤く染まってたのは見ないふりをする)、アサルトベストを身につけた。大剣を背負い、銃を構え、墓守に向かう。
 歩くたんびに腰が痛くてもう、イヤになるよね。性格には腰じゃなくて背中なんだけど。
 氷鬼は甲高い声を出しながら近付いてくる。耳障りの良くない声だ。突然、冷気のようなものが発せられ、それは氷柱みたいな形で襲ってきた。
 床の上に転がりながらそれを回避、伏臥姿勢から二挺拳銃を浴びせる。パリンパリンと氷が削れるたびに墓守は悲鳴を上げた。蹌踉めいた隙に跳ね上がり、距離を詰めて連射。砲介の銃と違ってセミオートオンリーな(ゼニガメ仕様でね)俺の銃。それでもいい!って立ち上がってからも撃ち続けたんだけど。
 なんとまぁ、冷気に当てられたのかなんなのか、左手の指先にいつの間にか感覚がなくなってた。凍傷、まではいってないけど、げげっと思ったそこを狙われた。
 隙なんて、ホント一瞬くらいのモンだったはずなのに、放たれた氷柱みたいなものは俺の左肩を的確に貫いていて、しかも勢いそのままに壁に縫い止められるような状態になっていた。
 痛みに気付くのがワンテンポ遅れたのは冷たさで緩和されたから?それも八千穂ちゃんの絶叫ですぐに気付かされるんだけど、その痛みときたら。
 肉まで抉られてるところにドライアイスを突っ込まれてみ?
 さすがに、俺も呻いていた。ヤ、叫んでいた。
「うッ、く、ァァ……!!」
「九龍クンッ!!」
 熱いんだか冷たいんだかもう分かんない。ただ、身体を引きずるように近付いてくる氷鬼に、八千穂ちゃんと砲介が攻撃を加えていることだけは分かった。
 氷の矛先は、俺から二人に変わったらしい。冗談じゃねぇよ。俺はまるで、自分の目が見えなくなったような気がしていた。存在しているはずなのに、何もできない役立たず。
 俺は右手に握っていた銃を捨てた。(落としすぎていい加減馬鹿になってるかも。)三連ポウチからガスHGを取り出し、栓を抜く。
「二人とも、散開退避ッ」
 怒鳴った途端、砲介が八千穂ちゃんを庇うように抱えて伏せる。俺は、あるだけのガスHGを投げつけた。爆発と閃光と煙幕が連続しておきる中、空いた右手で左肩に刺さった氷柱を抜く。ついでに我慢しきれなくて叫んじゃったりもして。だって痛いのよ。
「あ゛ー……チクショウ」
 壁際にへたり込みそうになりながら、それでも大剣を構え、墓守に向き直る。ヤツは今、二人を相手にしていた。銃撃とボールを食らう横顔が見える。
 俺の左肩は、たぶん使い物にならない。仕方ないから右肩に大剣を構える。銃?ちょっと火力が足らなそうでね。
 部屋の中心の『撃ち合い』までダッシュで詰めて、攻撃モーションに入った墓守に向けて飛ぶ。落ちる勢いのまま大剣を振り下ろし、そのまま下まで振り抜いた。氷の硬い感触と……人のような柔らかい感触。
 バランスが崩れて床に落ちそうになった俺が見たのは、キラキラと氷が砕かれていく中に残った、……あれは、枠縁?書かれているのはおそらく、ヒエロ=グルフィカ―――カルトゥシュ?
「危ナイッ!」
 地面に激突すれすれ、そこで俺は砲介に助けられていた。頭から落ちそうな所を拾っていただきました。危ねぇ。
「九龍ドノ、大丈夫でありますカ!?」
「えー、大丈夫ですよーぉ。ちょいと痛いけど、すぐ治るっしょ。……で、砲介。俺はあんまりお姫様だっこというものをされるのは、好きではなくてですね、とても助かったのですが降ろしていたけると有り難いですねぇ」
「ハッ!」
 ようやく降ろされて、俺は八千穂ちゃんを見た。カルトゥシュを握り締めた彼女は、今にも泣きそうな顔で俺を見てる。
「……九龍クン」
「あー……その、ゴメン。首、大丈夫?」
「だい、じょうぶに、決まってるじゃないッ」
 途端、タックルを食らった。せっかく立ったのに押し倒されて、座り込んだ体勢で彼女を受け止める。八千穂ちゃんは、たぶん泣いている。肩が小刻みに震えていた。
「か、肩、穴、開いちゃってるよぉ……」
「コレ?ヘーキヘーキ。なんとかの井戸、入れば治るから」
「う゛~~……」
「こんなの、掠り傷です」
 あやすように背中を叩くと、お団子頭をぐりぐりと傷んでない方の肩に寄せてきた。
「……血の臭いがするよ」
「ハハ、めんごー」
「早く、治そ」
「そだね……その前、に」
 金色のカルトゥシュ。書かれているのはやはりヒエロ=グルフィカ。エジプトでみっちりその辺を叩き込まれてるから書いてある文字はなんとか読むことができる。
「……読め、るの?」
「dhwty……ジェフティ?神の名?」
 ふと、何かを思いついたんだけど、思いついた何かが形作る前に俺の本能は敵意をキャッチしていた。無意識に、後ろ手に八千穂ちゃんを庇うようにして立ち上がり、気配の元を振り返る。
「あら。お目覚め?」
 トトは、額に手を当てながら、ふらりと立ち上がった。辛そうなのは目に見えて明らか。呻きながら、それでも言葉を吐き出す。
「ボクハ……、斃サレル ワケニハ イカナイ……」
「やーめとけ。もうそっちに勝ち目、ねーもん。これ以上やるってんなら、俺、」
 殺しちゃうよ?と言いかけて、慌てて止めた。殺すのはまずいよねぇ。八千穂ちゃんと砲介もいるのに。
「《墓守》トシテノ役目ヲ失ッテ ボクハ ドウヤッテ 生キテイケバ イイカ 分カラナイ……誰モ知ラナイ国デ……、ヒトリボッチデ……ボクハ、ボクハッ―――」
「どうやっても何も、生きたいように生きりゃいいじゃんか。生きるのなんて難しくねぇもん。息をするように、生きりゃいいんだから」
 肩に穴が開こうが腰骨やら肩甲骨やらが吹き飛ぼうが身体中が銃創だらけだろうががまともな国籍が無かろうが、―――大切な者を失おうが。生きるのはこんなにも容易い。難しいことだったら、俺は今頃こんな所にいない。
「生きるのに、大義なんていらねーんだよ」
「クッ……」
 トトが攻撃の構えを取る。両手を翳し、同時に俺の全身が総毛立つ。トトの周りに、いつの間にか短剣が浮かんでいた。
「アナタ、イナクナル。ソレデ、スベテ元通リ―――」
 あーあ。もう、目が据わっちゃってる。俺はきっと、トトにとっての黒い点。白い白い世界にぽつんと落ちてる黒い点。目障りで、どうしようもない。
 短剣が放たれた。後ろには八千穂ちゃん。避けられるはずもない状況。しょうがないから俺はトトを見据えるしかない。
 八千穂ちゃんの絶叫に混ざって、ふと、誰かの声が聞こえた気がした。


 剣よ。
 剣は殺戮のために抜かれ、きらめくまでに磨き上げられる。
 お前に空しい幻を示し、欺きの占いを行ったが故に剣は悪に穢れた者どもの首に置かれる。
 彼らの日が、終わりの刑罰の時にやってくる。
 

 あれは何の本だったか。聖書の一節だったか、死刑囚にかけられる最期の言葉だったか?避けることを考えない俺にとって、剣はまさに裁きの一振り。これって、きっと甘んじて受け容れるべきだ。
 俺が死んで、全てが元通り。そうなればいいのかもしれないって、ちらっと考えた。そうしたらもう誰も間違えない。バディのみんなも、ドライじゃないあいつも。
 それなのになぜか、短剣は俺の目の前で止まった。直後にからんと音を立てて床に落ちた。
「何故……」
 何故?そりゃ俺が聞きたい。何故―――殺って、くれなかったのか。
「アナタ、自分ガ可愛クナイデスカッ!ドウシテ自分ノ事、考エナイッ!ドウシテ……」
「……どうして、かねぇ」
 俺は、短剣を拾い上げた。こっちにもヒエロ=グルフィカが柄の部分に刻まれている。
「自分のことばっかり考えてるぜ?俺は。自分ばっかり可愛い」
「デハ ドウシテ 避ケナイ デスカッ!ドウシテ、アナタハ ボクヲ 避ケナイ……」
「だってさ。自分の痛みなんて自分で我慢すりゃいいじゃん。でも、他人の痛みを代わりに感じてやるこたできねーし。そんなどうにもならないこと背負い込むよりは、俺は自分が痛い方が楽だと思うわけ。あ、別にMっ気はねーけど」
 そういうことなのよ。ただの自己中なのよ。自分の力でどうにもできない事象が嫌いなだけの、ただの自己中。
 俺は拾った短剣とカルトゥシュを持ってトトの居る場所まで歩み寄った。歩くたんびに肩が唸る。痛い、ケド。これがもし八千穂ちゃんとか砲介の身体に付いた傷だったらって考えるとそっちのがゾッとする。肩代わりできない痛みなんて。
「ほら、コレ」
 血で汚れないように右の手に持ったカルトゥシュをトトに差し出す。力無く床にしゃがみ込んでいたトトは、ゆっくりと顔を上げて、それを受け取った。
 途端に、意識が端から白く染め上がる。
「何……?ソノ光……ソレハ―――マサカッ―――!!」

*  *  *

 砂のにおいがする。乾いた熱砂のにおいだ。
 どこまでも広がる砂漠と太陽の中に、誰かが立っている。ターバンを巻いた男と、子どもだ。
「―――ジェフティメス。誇り高き神の名を持つ子よ」
 ジェフティメス……dhwty、ギリシア語では、トトメス。そうか、この子どもが、トト。トト・ジェフティメス。
「お前はこれから、様々な場所に行き、様々な人と出会うだろう。中にはお前を拒絶し、傷付け、その誇りを貶めようとする場所や人もあるはずだ。だが、決して己の心を閉ざしてはならない。人にとって本当に大切な宝とはいつの世にも、人と人との関わりの中にこそ見出すことのできるものだからだ」
 男の顔はよく分からない。強すぎる太陽の光が逆光になっているせいだ。
 ただ、なぜだかまったく知らない、という気にはならなかった。トトと何かを共有しているせいだろうか?
「人と人との……関わり?どうしてそんな当たり前のものが宝なの?」
「それが当たり前だと思える今のお前が幸せなんじゃよ」
 トトは……確かにその意味では幸せだ。だって、俺はいつだって他人との繋がりを当たり前の、自然なこととして受け止めたことがないから。いつだってその繋がりを『異質』としか見ていなかったから。
 おそらくは親子、そうでなくても近しい者同士の姿を見て、俺は素直に羨ましいと思った。
 こんな風に生きていくことについて語ってくれる、過たないよう導いてくれる人の存在を。
 ―――ここは、なんて満たされた空間なのだろう。
「やがてお前も知るときが来るだろう。勇敢なる我が子よ。人生という名の荒野を果敢に進むがよい。神がお前を見守りお導きくださるように、これをやろう。儂と儂の出会った《宝》との大切な想い出じゃ」
 そこで手渡されたのが、金色のカルトゥシュだった。父から子へ、受け継がれる想い出。
「お前もいつか、そういう相手と出会い、道を共にすることができるよう、儂はいつでも祈っているよ―――」
 ここは、何て満たされた空間なのだろう。幼い日のトトには何もかもが満ち溢れていたのだ。未来も、希望も、当たり前に繋がれていた日々も、生きる場所も、与えられる愛ですら。
 トトはきっと、見失っただけだ。無くしたワケじゃない。それはやはり、幸せなことなのだろう。
 元から持ち合わせていない人間と違って、取り戻すことができるのだから。
 異様に胸が痛い気がした。俺はこの感覚を知っている。満ち足りた感覚を。なのに、どうしようもなく突き放された気がするのは何故だ?取り戻せるはずがないと信じ込んでいるのは。
 ……何故だ?

*  *  *

 突如、ガツンという「いいの」を食らって脳味噌が揺れた。痛っ~、おかげで一気に目が覚めましたが、結構キましたねぇ。
「九龍クン、九龍クンてばッ!!」
「うぃー、起きてるし生きてますよー……だから八千穂ちゃん、その振り上げた手は下ろしてくれると嬉しいんですが」
 すんでの所で目を開けることに成功し、八千穂ちゃんの二発目は食らわずに済んだ。八千穂ちゃんの一撃の威力は身を持って痛感しておりますので、これ以上顔が腫れないことに一安心。
 身体を起こすと隣ではトトが砲介の手を借りて上半身を起こしてるところだった。よく見ればトトの頬も弱冠赤く腫れている。……食らったのか、可哀相に。半ば呆然としてるのは殴られたせいか、それとも白昼夢のせいか。
「もぅ!いきなり倒れるから心配したんだよ!意識がないのになんかぶつぶつ呟いちゃってたし……」
「失血性ショックかと心配したでありマスッ」
「あらら、ホント?ヤ、でも大丈夫だから、全然」
 俺がひらひら手を振ると、涙目の八千穂ちゃんは深く息を吐いた。それからまだ立ち上がれないトトの顔を覗き込む。
「トトクン、……大丈夫?」
「エ……」
「結構強く叩いちゃったし、怪我とかも、平気?」
 心配げな八千穂ちゃんの言葉に、トトは戸惑ったように、それでもゆっくりと頷いた。
「ホント?大丈夫?痛いところとかは?」
「ダ、大丈夫、デス……ドコモ、痛ミハ…」
 そりゃようござんした。俺なんか全身どうにもならんくらい痛いですけどね。ええ。軽く激痛ですよ。
「そう、良かった……。二人していきなり倒れるんだもん、ビックリしちゃったよ」
「アナタ……ボクヲ、心配、シテクレタノデスカ?」
「もちろん!当たり前じゃない」
 当たり前なことを当たり前に言ってのける、それってさっき見てきた『大切なこと』そのまんまでしょ。あっさりと言っちゃう八千穂ちゃんが輝いて見えますよ。ホント、今回は八千穂ちゃんを連れてきて正解だ。
「ダッテ、ボクハ……アナタヲ、アナタ達ヲ傷付ケタ」
 トトは八千穂ちゃんの首の傷を指差し、けれど触れることは躊躇われるようですぐに手を引っ込める。
「え?あ、コレ?大丈夫だよ!もう痛くないしね。そりゃ、ちょっと怖かったけど……」
「………」
 自分のしたことを後悔したのか、サッと顔色を変えて俯くトトに、今度は砲介が声を掛けた。
「自分も、そうでありまシタ。九龍ドノを敵と信じ、傷付けたのでありマス。けれどそのことは咎められなかッタ。九龍ドノは、自分ではなく、他の人々を傷付けたことを謝るように言い、許したのでありマス」
「砲介さん、余分なことは言わなくてよろしい」
「ハッ!イイエ、言わせていただきマスッ。九龍ドノは、自分が傷付きながらも我々バディの《宝》を取り戻してくれたのでありマス。いつだって、彼はそうしてきたのでありマスッ」
 俺、もう穴があったら入りたい気分。無くても掘って入るぜよ。
「貴殿は『自分の居場所がない』と言っていましたが、きっとこの學園にはあるはずでありマス。我々が、九龍ドノの傍にいるように……」
「……ソウ、デスカ」
 しかもそこ、納得しない。頷かない。騙されてるーよー。俺はソンナ立派な人間じゃないヨー。
 って、砲介のガスマスクには妙なフィルターが掛かってるらしく、俺が何を言っても聞いちゃくれねぇ。困るね、ホント。
 なんて考えてたら。
「アノ、葉佩、サン……」
「ん?」
「……コノ国ニ来テ ボク ズット一人デシタ。同ジ制服ヲ着テモ ボクハ ミンナト 同ジニハナレナイ……。故郷ニ 帰ル 日ノタメニ、イッショケンメ 頑張ッテ 勉強シヨウト 思イマシタ。デモ……辛カタデス」
 勉強ができようが、肌の色だけでイロモノ扱いされる国だよここは。保守的なのは必ずしもいいことにはならない。電車で日本人の隣と黒人の隣、どちらに座るか聞かれたら真っ先に前者の隣に座るのが、日本人の性。トトはそんな国民性の被害者なのかもしれない。
「コノ国デ、尊敬シアエル友ニナド出会エナイ。ダカラ、大切ナ言葉ノ 代ワリニ コノ場所デ 生キテ イクタメノ《力》ヲ 手ニイレマシタ」
「大切な言葉……?」
 トトは声を掛けた八千穂ちゃんを見て、微笑んで頷いた。
「ソウ。父サンハイツモ、ボクニ言ッテマシタ。『勇敢ナ男ハ 自分ノ事ヲ 最後ニ考エル』ト。ソシテイツカ、オ前モ ソンナ人物ト 出会エルダロウ、ト……。ダカラ、子ドモノ頃カラ ボクモズット、憧レテマシタ。イツカ、ソンナ相手ト巡リ会エル日ガ来ルト……」
 ……まさかそれが俺のことだとか、頭のネジ弾け飛んだことは言わないよな、トト・ジェフティメス。んなコト言ったらお前の神が泣くぞ。
「アナタハ 自分ノ身体ヲ張ッテ 二度モ真ッ直グニ ボクヲ受ケ止メテクレタ」
「……あー、うーん、えーっと……」
「例エ、アナタガ何者デモ、ボク、アナタヲ信ジル。コウ思ウノハ、間違イジャナイ、デスヨネ?」
 だれかここで間違ってると言ってやれないもんだろうか。俺が否なんてのは言えるはずがない。ここでトトを突き放すことができたらそりゃ凄まじい鉄の心臓だ。ある意味ね。
 砲介が戦うという意味で俺と近いところにいるなら、トトは存在の有り様という意味で俺と近い。どこにも居場所がないということで浮ついていた魂が、もしも降り立つ場所を見つけたら、……それが俺の傍だって言うなら、笑っていいよって言ってやるしかない。
「俺を、信じることが。間違いじゃないなんて言うわけにはいかない。……でも、もし居場所がここだっていうならさ。俺に許可なんか取らなくてもいればいいんじゃね?」
 少なくとも、俺には肌の色とか国籍とかって無意味なことだから。
 そう付け加えると、トトは拝むように両の手を合わせた。俺に、向かって。
「葉佩サン……ボクハ、ヨウヤク 見ツケル事ガ デキタンデスネ。守ルベキ本当ノ《宝》ヲ……」
「トトクン、それじゃあ……」
「ハイ。アナタガタハ ボクヲ 月ノ光ノ下カラ 暖カナ太陽ノ射ス場所ヘト 連レ出シテクレタ人タチ。コノ国デデキタ、最初ノ大切ナ、トモダチ」
 それからトトはごそごそと何かを取り出した。おそらく、アレだ。
「アノ……ヨカッタラ、コレ、モラテクダサイ」
 ハイビンゴー。プリクラと連絡先。しかもこりゃ……随分と日本を間違えてねーか?八千穂ちゃんなんかは面白がって自分もプリクラ交換し始めてるし、砲介も巻き込まれてるし。
 そんな和気藹々とした雰囲気……友達同士の雰囲気の中、トトが顔を上げて微笑った。
「今度ハ ボクガアナタヲ 助ケル番。アナタト一緒、ボクハ ドンナ困難ニモ 立チ向カイマショウ。我ガ 勇敢ナル 友ノタメニ―――」
 その顔を見て、俺は、トトが居場所を見つけたことを悟った。だから曖昧に笑って――痛みを堪えながら笑って、柔らかな光景に魅入った。
 すぐそこでは八千穂ちゃんや砲介がトトを招き入れて盛り上がっている。なのに俺は血腥いまま、その場所との間に大きな壁を感じた。
 どうしてだろう。俺はふと、八千穂ちゃんの言葉を思い出す。
『九龍クンは遠くにいようとしている』
 遠くに、いようとしている?俺はここにいるのに。本当の居場所なんて俺にはあるんだろうか。
 無性に、誰かに会いたかった。
 八千穂ちゃんのように慈愛の女神みたいな人じゃなくていい。『独り』の感覚を知っていて、俺がこうやってワケ分かんなくなってるときにしょうがねぇなあって言いながら頭叩いて、それからメシでも食おうぜって笑ってくれるヒト。
 俺が世界に愛されていたことが一瞬でもあるんだって、証明してくれる誰かに、抱き締められていたかった。

End...