風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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8th.Discovery Brew - 夜の終わりを告げる声 -

 全部の片が付いた後。一人、遺跡に残った。三人には、ロゼッタに送る情報をまとめてから出るとかなんとか、適当に言い訳をして魂の井戸に籠もった。
 穴の開いた肩は一瞬で癒され、伴う激痛もどこかに消えた。ただ、少しばかり時間が経っていたせいか、学ランを脱いだ下にはひきつれのような傷痕が残ってしまった。……いや、この傷痕は昔負ったものだったかもしれない。決して大きいとは言えない自分の体躯にいくつの傷が刻まれたのか、いつ負ったものなのか。
 そんな事はもう、覚えていない。
 生まれてから今までの間、自分の負った傷を全て克明に覚えている人間などそうはいない。どこで転んだとか遊具から落ちたとか喧嘩したとか。俺にとって骨が抉れていることは、それと同意義なのだ。どこで殴られたとか蹴られたとか、撃たれた、とか。覚えてなくて、当然。
 一通り傷の確認を終えて、動けることを確認してから武器を揃え直した。おかしな使い方をしたせいか、ベレッタの調子は今ひとつだ。銃の不調を侮ってはいけない。技かな差が命取りになる。S&W社のタクティカル・カスタムメイド、PC356を二挺、腰にぶら提げた。
 ―――ぶら提げてから、気が付いた。自分がまだ、この遺跡で何かと戦うつもりなのだと。背負う者、守る者、側に立つ者がない状態で、何かと。
 井戸から煙草も取り出して、……吸い口をナイフでカットしてから火を着けた。普段よりも強い煙が肺に落ちるのが分かる。(戦いの中で死ぬのでなければ、ほぼ間違いなく俺は肺を傷めて死ぬ。)快楽というものは得てして身体に悪いものだ。逆が然り、とは言わないが。
 笑わずにいるというのは楽でいい。できることなら顔面の余分な筋肉など使わないで過ごしたい。できないから、行き詰まっているのだろうけど。今の自分を鏡で見たら、恐ろしいまでに表情がないはずだ。
 そんな面と銃を引っ提げて、魂の井戸を出た。タクティカルブーツは消音仕様なのに、それでも静かすぎる大広間には心臓の鼓動のような足音が響く。コッ、コッ、コッ、コッ。コツ。
 立ち止まった扉の前。そこは、黒塚至人を連れてきたときに酷く感動していた廊下だ。何でも、「水晶のようでいて水晶ではないうるわしの君よ」だそうだが、俺には何のことだか分からない。確かに廊下に並んだ鉱石は水晶に近い無水珪酸成分が検出されたが、……麗しいという感覚が分からないのだ。その石を見て何かがざわめくというのは、まぁ、分からないでもない。それはこの學園に赴任して、初めて知った感覚だ。
 俺がこの地に来て、初めて知ったという事はかなり多い。石の知識、日本の歴史、ピアノの弾き方、早く購買に到着するコツに授業の上手いサボり方。それらは全て、今までの人生には必要のないものだった。それなのに今はそれらを身につけ、あまつさえ……楽しんですら、いる。
 利害を介さない『友人』という存在も、隣にあるのだという。クラスメイト、それからバディ。彼らが葉佩九龍を慕ってくるたびに、戸惑いながら思うことがある。
 ―――俺で、いいのか、と。
 不思議とこの地に馴染み始めている俺の肌が、ふとした疑問で世界との壁を感じるようになる。俺でいいのか。あんたが笑いかけている相手は、とんでもない大嘘つきだというのに。
 化人をあらかた片付けて、(そういえばこの区画には皆守甲太郎と二人だけで潜ったんだったなんてことを思いだしながら、本当に無意識のように殺戮していた)、太陽神のいる部屋の前に立った。黄金の扉。物々しい。先にいるのはただの墓守だというのに。
 同じような無意識の一環で、先程までの戦闘で熱を持った銃に指を滑らせた。世界で唯一残った、愛おしいもの。俺は銃を、いっそ愛していると言ってもいい。
 詰まるところ。それは同時に、殺すという行為をためらわないことを意味する。
 學園の人間は(雰囲気が不穏だと言いながら)、やはりどこか平和ボケしている。俺の傍にいるということ。それは、いつ殺されてもおかしくないということとイコールだ。
 友達に、そんなことするはずない、なんて。思っているならそれは間違いだと言ってやりたい。
 自分で分かっている。邪魔だ、と感じれば息をするように誰かを殺してしまうのだ。
 だから、そうならないように葉佩九龍って人間を作って生活してるというのに、なぜかこの學園の人間はそれを崩して俺を引きずり出そうとする。おかしい。正気の沙汰とは思えない。
 言うなれば再犯続きの殺人犯が隣で笑っているようなものだ。
 だから、何度も何度も自問する。他の人間には聞けないから。俺でいいのか、と。だが答えがほしいわけではない。答えを突き付けられるくらいなら、疑問の真ん中に漂っていた方がマシだ。否定しかない答えに、辿り着くくらいなら。
『眩しいかえ?』
 扉の向こうの天照神が問い掛ける。俺は応えない。もう、何度も何度も発せられた問いと共に、眩い光球が飛んでくるのだ。それはこの部屋に入ってから繰り返された言葉でもあるし、何度もこの部屋に来るから繰り返される言葉でもある。
 化人に銃撃が効きやすく、部屋が広いせいで機動力を生かしやすい。そんな理由で俺はよくこの部屋に足を踏み入れる。その度に天照神は眩しいかと俺に問い掛け、俺は答えず、消滅させる。何度も何度も、繰り返し。俺の暇潰しルーチンワークに付き合って、何度も甦る哀れな墓守だ。神の名を語るくせに、人間一人滅せない。
 次第に俺は、この化人が愛おしくなってくる。思えば、無意味な殺戮、なんてものを飽きず繰り返す俺に、飽きずに付き合ってくれているのだ。その姿を見ても批難することなく。この地で、なんにもない『俺』を受け容れてくれるのが遺跡の化人共だなんて、しかも奴らは俺に討滅されるしかないなんて。滑稽すぎて、笑えない。
 広い部屋に、等間隔で置かれた石像の陰に飛び込み、弾倉を取り替える。遠くから身体を引きずるように天照神が近付いてくるのが分かる。もう半死半生だろう。俺なんて、かすり傷すら負っていないのに。
『……眩しい、かえ?』
 合成されたような声はどこか苦しげだ。掠れたノイズのようだ。どこか蠱惑的で、俺は誘われるようにふらふらと、トドメを刺すために部屋の中央へ躍り出ていた。
 天照神……という名の俺の得物と目が合った。なぜだか、酷く愛おしかった。殺されてやってもいいかと思った。こんなワケ分からない心境で、自分の居場所も『友人』との有り様も宙ぶらりんな今、いつも殺してるんだからたまには殺されるのもいいんじゃないかと、思ったのだ。
 けれども。
 銃を下ろそうとした手は、『葉佩九龍』によって止められる。
 ―――今、死んでみ?八千穂ちゃんなんか泣くぜー?「あの時無理矢理にでも一緒に帰ってればよかった!」とかさ。で、他のバディも悲しむだろうしさ。いやいや、悲しむっても俺にね?嘘こいてる方の俺にね。
 だからさ、死ぬのは止めとこうぜ、マジで。俺が死ぬと、悲しむ人がいる。生きるのって難しくないんだから、積極的に死ぬことだけは、さ。
 仕方なく、俺は銃を構え直した。瀕死の化人は最期の攻撃モーションに入る。
 このまま、一方的に葬ってしまうのは簡単だ。指先を少し、動かせばいいだけ。けれども、目の前の天照神がどうしても愛おしかった。最期の力を振り絞ってまで、俺を殺そうとしてくれる姿が。
 だから痛み分けにしようと決めたのは意思なのか、無意識なのか、ただの反射か。俺はゴーグルの視界を瞬間的にノクトビジョンへと切り替えていた。集光力が格段に跳ね上がり、世界が凄まじい明るさに包まれる。
『眩、しい、か……え』
 身体を小刻みに震わせて、光を放つ。光を直視しながら、俺は引き金を引く。世界はただ明るかった。真っ白い世界は、ただそれだけで俺の眼を焼き尽くした。白だけしかない世界に、音が響く。タタンタタンタタン。PC356の確かな手応え。あっと言う間に、部屋に残る気配は俺だけのものになった。
「―――ごめん」
 口をついて出たのは、誰への謝罪だったか。欺き続けている學園の人間にか、今消滅したサンドバッグ代わりの墓守にか、それとも、嘘で造り上げたいもしない葉佩九龍という存在に対して、か。
 とにかく世界は真っ白で、同じように意識も真っ白だったが、それは直に黒へと色を変えた。完全に黒だった。ゴーグルを外しても世界は黒いままだった。
 それでも、今日感じたような恐怖は欠片もない。ここには俺しかいないのだから。背負う者、守る者、側に立つ者もなにもない。何も、怖くない。さっきあれだけ怖かったのは、何だったんだと嗤えるほど。
 何も見えないまま壁に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。周囲にあるのは、俺が発する音だけ。荒れた呼吸音と心臓の鼓動。まだ生きている。死ぬことを選ばなければ、生きているのは当然だ。
 しゃがみ込んだまま、煙草を探り、火を着けた。失明したというのに、何やってんだか。危機感など何もなしに、身体に染み込む煙を愉しんだ。
 今、怖くないどころか、安心すらしていた。ここに化人が侵入してくる可能性はほぼゼロだ。ここにいた奴らは俺が一度遺跡から出ない限り現れない。それに無理して笑う必要はないし、誰かを失う心配もない。視力が無くても何も問題ないのだ。次第に呼吸も鼓動も収まってきて、辺りは完全に何もなくなる。
 恐ろしいまでの安堵感の中で、俺は背を丸め、膝を抱くように寝転がっていた。人間が最も落ち着く体勢だ。凍死する人間は大抵この格好で発見されるという。自分の体温を抱くように、胎児のように丸まって。
 その気持ちがなんとなく分かる気がした。指先が熱くなったことを感じて煙草をもみ消し、身体の力を抜いた。少しだけ背が伸びる。静かだった。何も見えない。
 ―――ああ、きっと。
 俺の居場所は。この土地での俺の居場所は、ここなのだ。
 満足するまで銃を撃って化人を殺し、自分も少しだけ傷み、戦ったという証拠を手に入れ、その後の静けさの中、一人。
 長く深く、息を吐き出して呼吸を確かめる。床の冷たさですら、今は優しい気がする。
 ……病んでんな、俺。人間のクセに他人より床か。化人か。いや、病んでいるのは元からか。遠いところにいる、と言った八千穂明日香は、こういう俺の性質を見越していたのかもしれない。遠いところ。近くはない。あの、俺にとっては非日常でしかない教室の中に居場所なんてものはない。俺は戦いの名残の場所で寝転がっている。居心地がいい。正気の沙汰ではないのだろう。たぶん。
 どれくらいか、そうしたままで。とろとろと思考を持て余していた脳裏に、誰かの気配が引っ掛かった。近付いてくる。警戒はしない。必要ないからだ。気配はすぐそこで止まって、俺に触れた。
『相変わらず、こんな硬いトコで寝てんのか?』
 合成音ではない、けれどどこか近く、遙か遠く、そんなところから響く声があった。
『上に行けばベッドがあるってのに、貧乏性』
「悪かったな」
 俺の声も、どこか違う場所から響いている気がする。
『……で、相変わらず、ぐだぐだ悩んでいる、と』
「うるせ」
『今度はどーしたい。人肌でも恋しいかい?床に寝っ転がっちゃって』
 髪を柔らかく撫でられる。声音はからかっているのに、手付きはどこまでも優しい。その指でいつも、こいつは俺の頑なさを解いていく。今も、すでに、鼻の奥に熱い塊がある。
『泣くなよーぅ』
「泣いてねーよ……まだ」
『ハハ』
 何度も何度も手が頭を撫でていく。昔は子ども扱いするなと怒ったものだ。いつからか怒らなくなって、それが少し大人になった証拠だと、こいつは笑って言ったんだったか。
「こんなとこしか、居る場所がねぇんだよ」
『そーか?……そーかな』
「笑ってりゃ、多少違うけど」
『そりゃお前、のっけからあたしみたいにへらへら笑ってっからだよ。ちゃーんとお前さんのまんまでいれば、まんまなまま誰かの隣にいられたんじゃねぇの?』
「……んなワケあるか」
 俺だって嫌いな俺だ。受け容れてくれたのが十数年生きてきてこの女だけだ。それなのにたった数ヶ月で、一体誰が。
 ……一瞬だけ、頭に皆守甲太郎が浮かんで、けれどすぐに掻き消した。あいつは、この上、地上の人間なのだ。
『クロウはさ、考えすぎなんだよ。もっと勝手に生きていいと思うぜ?』
「どうやって」
『だーかーら、女の子に優しくしなきゃとか他人を不快にしちゃいかんとか。お前さんは元から気ぃ使いのワガママ言えない奴なんだから、わざわざ無理して笑ったりしなくていーってこった』
「俺は、別に……気使いなんて、」
『昔からそうだったろうがよ。ワガママなんて、言わせても言わなかったろうが。あーあ、育て方が悪かったかね。こんなにひねちゃって』
 髪が、乱暴にかき乱される。俺は、俺の性格がこいつのせいだなんて思っちゃいない。俺の世界がうまくいかないのは、全て俺だけのせいだ。
『……そうやって、背負っちゃわないでさ。誰かにちょっとでも寄っかかってみたら?』
「お前に、したみたいにか?」
『そしたら抱き締めてくれるかもよ?あたしみたいに』
 そんなこと、あるはずがない。俺は、―――例えば皆守甲太郎のことを、信用している。絶対に、俺を受け容れないだろうと、信じ切っている。
 思考は口にしていないはずなのに、なぜかこいつに流れ込んでいるような気がして、そしてそれは正しかった。
『ったく、寂しんぼー』
「……かもな」
 否定をしないことが、精一杯の素直さだ。これ以上は言わない、という意思表示で更に背を丸めた。上からは吐息を零すような笑い声が降ってくる。
 言わなくても分かるよ、というこいつの意思表示だ。
『さて、じゃあどうしてほしい?』
「……言わせんのかよ」
 もう少しこのままでいさせてくれ、なんて。絶対に口に出せないことを知っていて、そんな事を言うのだから始末が悪い。……言わないのに分からせようとする俺も、大概始末が悪いのだから他人のことは言えないが。
『寝て、ないんだろ?』
「…………」
『寝るの、下手だもんな。しゃーない、特別サービスだ』
 横向きに寝転がっていた、こめかみに。そっと触れるのは唇の感覚。今となっては懐かしい、寝る前の儀式だ。
『おやすみ、クロウ。あんたが寝るまでは、傍にいてやるよ』
「………」
 サンキュ、と言ったのだが、聞こえたかどうか。笑った気配がそこにあって、額から前髪を掻き上げられた。
 繰り返し髪を撫でられ、頬に触れられ、しまいには子守歌までやってきた。鼻の奥の熱は、とうに溶けて眼からダダ漏れしていた。鼻水だけは根性でこらえた。
 強烈に、ここしかない、と思った。誰もいない戦いの後の冷たい床の上、でもいい。でも、こいつの隣がいい。言えない我が儘を言えるとしたら、ここにいたいとごねただろう。けれど俺がそんなことが素直に言えるほど真っ直ぐな性格じゃないのは自分が一番知っている。
 ずっとその声と指を追っていた意識は、いつの間にか閉じていた。
 最後に感じたのは、そっとまぶたを撫でる手の平。暖かい、体温。俺の、大切な。

 ―――大切、な……、

*  *  *

「ロウ…クロウ……、九龍ッ!オイ!!」
 揺さぶられ、名前を呼ばれ、ようやく俺は目を開けた。と、同時に皆守甲太郎の顔があって、少なからず(声が出ない程度には)驚いた。
「……あ…甲太郎?」
「あ、じゃねぇだろ!こんのッ、……阿呆が…」
 後半脱力したように言って、甲太郎は頭を項垂れる。
 俺はこの状況に軽く混乱して、まずは自分がどこにいるのか把握しようとした。今回甲太郎は遺跡に連れてきていない。だから、遺跡にいるはずがない。なのに周りを見渡せばそこは朱堂がいた化人創成の間で、起こり得るはずのない状況に、一瞬これが夢の続きなんじゃないかと疑った。
「九龍?」
 黙り込んで甲太郎の顔を凝視していると、訝しげに逆に覗き込まれる。慌てて何でもない、と首を振ってから、そういえば甲太郎の顔がはっきり見えていることに気が付いた。
 ……目が見えなくなったところから夢だった、とか?
「おい、九龍、頭でも打ったか?怪我でもしてんのか?どっか痛むのか!?」
「了……、好…無問」
「は?」
「あ、いや、大丈夫。どこも、痛まない」
 痛んでいない、はず。とにかく身体に感じる痛みはどこにもない。けれど、今この状況がどうなっているのかを把握しかねている。とりあえず、今は、夢ではない、らしい。
 俺の呆けた顔を見て甲太郎は眉間に皺を寄せる。どうやら俺は抱き起こされているようで、その至近距離に耐えられなくて腕の中から逃げた。
 いけね、呆けてる場合じゃねぇや。
「何やってたんだよ、こんなとこで。一人で寝転がってるから焦っただろうが」
「……ゴメーン。で、でも、甲太郎こそ何やってんの」
「何じゃねぇだろ、いつまで経っても部屋に戻ってこないで、八千穂にメールしたらとっくに戻ったって言うし」
「で、……何で?」
 甲太郎は、溜め息を吐いてしゃがみ込む。膝を立てて、そっぽを向いたままアロマパイプに火を着けようとするから、俺は気を利かせてライターを差し出してやった。なぜか甲太郎は嫌そうな顔をしてそれでも火を受け取る。
 黙り込んでしまった甲太郎が何も教えてくれないから、俺はH.A.N.Tを見て今の情報を得ようとした。
 ……驚いた。朝になってやんの。
 ここしばらく夜、眠ることなんてなかったのに、六、七時間爆睡ですよ。久しぶりに、しっかりがっつり眠ったって事になる。
 しかも、眠りが深すぎて近付いてきた甲太郎に気が付けないなんて。
 H.A.N.Tを見つめたまま瞬きもしない俺をさすがに不審に思ったのか、白い煙をくゆらせていた甲太郎は口を開いた。
「一人で遺跡に残ったって言うから来てみりゃ……」
「は?まさか探しに来てくれたとか言わねぇよな」
 まっさかねー、とへらりと笑ってこっちも煙草に火を着けると、そりゃあもう、おっかねぇ、眼で睨まれた。……マジですか、皆守サン。
「何で、また……」
 今度はこっちが絶句。
 だってこいつは面倒くさがり。しかも八千穂ちゃんが戻るまでは起きてたってことだろ?それは甲太郎にとっちゃー夜更かしでしょうよ。で、こんな時間に(まだ七時前)起きてんだから寝不足じゃねぇの?
「しっかもさー、危ないでしょうよー。一人でこんなとこ」
「お前も一人だろうが。それより、何やってたんだよ、一人で、残って」
 化人と戯れてましたなんて。言えるか。危ない人じゃん俺。ヤ、事実結構病んでるけどさ。
「まぁ、色々と。クエストとかね。夜遅くなっちゃったらかみんなは帰ってもらいました」
「……で、寝こけてたと」
「らしいね」
 俺は苦笑を返して、立ち上がる。途端、妙な酩酊感を感じて額を押さえた。近くにあるラベンダーの濃い匂いのせいか。数時間前までは血と硝煙の臭いばかりだったのに。当てられたように、くらりと脳味噌が揺れた。
「気分、悪いのか?」
「へ?あ、……いんや、大丈夫。全然大丈夫」
 気遣わしげに伸ばされた手から逃げるように転がっていたPC356を拾って、甲太郎を振り返る。
「……本当かよ」
「ホント。全然、ヘーキ。大丈夫。唔使擔心」
 そのまま部屋の出口へ向かう。これじゃあまるで逃げてるみたいだって、誤魔化してるみたいだって自分でも思う。
 だとしたら一体何から逃げてんだろね。
 甲太郎は、すぐに追い付いてきて俺の腕を掴んだ。
「九龍、本当に、」
「……大丈夫だってば」
 俺は疲れたように笑うしかない。ここを出たら、また学校に行かなきゃ。そう思うと何かが重い。
 今だって。甲太郎との間に妙な距離を感じる。壁かもしれない。それを乗り越えようとするよりは、ここに居続けた方が楽だって、俺はそんな風に思ってる。
 とにかく、俺の夜は終わった。柔らかい時間も終わった。これから先は嘘で固まる。笑いながら、精神を細く削り取りながら時間を食いつぶしていく。
 で、きっと。今日の夜もここに来て、俺を待ちわびる化人を殺戮して、床に寝転がって朝を迎える、とか。
 ちらりと甲太郎を見上げた。
 もしも俺がそのまま目覚めなくて、ずぅーっと寝っこけてたら、探しに来てくれるんだろうか。
 それともすぐに俺のことなんか忘れて、一人、骨が風化するまでここにいるんだろうか。
「……信じてるヨー、甲太郎のこと」
 冗談めかして笑うと、目の前の眠たげな顔は『胸糞悪い』とでも言いたげに変化した。

*  *  *

 それから。
 それが俺の日課になった。
 学校行って、放課後になったら寮に帰って、夜は煙草と銃持って遺跡に潜って、化人を嬲り殺して、その度に自分も少しだけ傷んで(例えば悪寒や耳鳴りに襲われてみたり捻挫してみたり)、遺跡で眠る。
 不思議なことに、負った傷や後遺症みたいなものは目が覚めると治っていた。しかも遺跡で目覚めるときは寝不足後の無駄な不快感とかずるずると惰眠を貪りたくなるだとかそういうことが全然無くて、あんまりに健康的な眠りを久しぶりに享受したような気さえする。
 あれから彼女の声を聴くことはなかったけれど、誰もいない遺跡の部屋で化人たちの残滓のような気配を感じ続けるのは心地良かった。
 そうして、眠って、毎朝。
 俺を起こしに来るのは皆守甲太郎。広い遺跡の中、俺がどこにいるのか探し当て、気配一つ悟らせずに俺の所までやってくる。来なくていいよって言ってるのにやってくる。そのために、俺は甲太郎が危なくないよう、遺跡中の化人を討滅して回ってる。(部屋のベッドで寝るって選択肢は俺の中にはない。)
 甲太郎は名前を呼ぶだけで、他には何も言わずに俺を迎えに来る。ラベンダーの匂いを漂わせながら、困ったような苦しそうな微妙な表情をして。まるで、俺を上の世界に繋ぎ止めておくように毎朝、毎朝。
 俺は甲太郎の声で目を覚ます。俺の名前を、呼ぶ声で。

End...