風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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7th.Discovery 地獄の才能
Night observation - 縄張り荒らし -

 呆然としたままルイ先生の部屋を出て、いつの間にか自室へ戻っていた。
 焦げ臭い火薬臭い硝煙臭い血腥い、そんな身体がいつもより数段気になって、すぐにシャワーを浴びた。全身の傷を隠す塗料もそろそろ塗り替えないと剥げてくる。
 『普通の高校生』として生活するのは大変だ。
 それは、きっと、人を殺すことよりも難しい。
 泡まみれの自分の身体を見ながら、シャワーの栓を頻繁に開けたり閉めたりしてる自分を思う。水道代も一律で払ってるんだから気にしなくていいのは分かってるけど、自分の生活用水は自分で確保しなくちゃいけなかった頃のクセでどうしてもこうしてしまう。
 きっとこれも、普通じゃない。
 普通って言うのは、本当に難しい。
 栓を捻ってから、頭拭くのもそこそこにバスルームを出た。(そういや、大浴場あるんだっけ?アレ、一度も行ったことねーや。)
 壁一枚向こう側に甲太郎がいるって思い浮かべただけで、脳天を何かが直撃する。同級生とか、バディとか、なんかもう、そういうんじゃない。脳味噌の中、容量の八割は甲太郎で埋まってきてる気がする。
 コレ、何?訳が分かんなくて、すげぇ気持ち悪い。吐き気とかじゃなくて、よく分かんないモノが胃とか肺とか、その辺から迫り上がってくる。
 ああ、重症。で、実感する。怖い、と。
 思いを寄せるのって、もっと穏やかで柔らかで暖かいモンだと思ってた。実際、そうだった。昔、あいつに向けていたあの気持ちは。もっともっと、気高かった。それが、今、隣にいてほしい、護りたい、そう思う相手にはほとんど恐怖すら。
 もう、何も考えたくなくて、部屋着の下だけ履いたところでベッドに倒れ込んだ。そこそこ、疲れてるはずなのにまったく眠気はやってこない。どうせ今は悪夢しか見ないんだろうからそれでいいんだけど。
 ごろごろしてたら口寂しくなって、久しぶりに荷物の中から煙草―――中国銘柄、その名も『上海』を取りだして、デュポンのライターで火を付けた。元々は、あいつが愛用していたライター。
 ふと目を遣れば、ライターには細く『Aarth to earth, Ash to ash, Dust to dust.』と刻まれている。そういえば、銃にも同じ言葉が刻まれていた。
 我らは塵埃から来て、大地へ戻る。
 死刑執行人の刀に刻まれた言葉だ。
 罪を持つ人間を殺すとき、死刑執行人には罪はないのだろうか。神は赦したとしても、人を殺したという事実だけはどうやったって、消えないというのに。
 あいつは、あの女は。この言葉を刻んだ銃で、一体何人葬ったのだろう。
 時には俺を背に護りながら、どれだけ強く在り続けたのだろう。
 俺を、護ると決めていたはずだ。本人だって、そう言っていた。あいつは、俺を強く在る理由として、その意味で護っていたのだろうか?それとも、絶対に失いたくないと思いながら、弱くもならずに戦えたのだろうか?
 失いたくない者ができたとき。俺にはどうやったって、それを失うことなどできない。まだ、この學園の人間は大丈夫だ。辛うじて、戦う理由として留まっている。
 けれどあいつはダメだ。皆守甲太郎。戦う理由にすらしたくない。戦場に連れ出したくない。絶対的な安定の上で、いつでもそこに在って欲しい。怖い。怖い。怖い。いなくなってしまうかも、と考えることが怖い。実際そうなったら、俺は発狂でもするのか。
 再度寝転がり、天井を見ながら煙を吐き出した。一瞬白く濁った視界の向こう、その向こうの窓の方で物音が聞こえ、俺は反射的に身体を起こした。
 枕元に置いたバックアップガン、グロックアドバンスを手探りで引き寄せる。
 窓際に現れた影を見て、すぐさまそれは元の位置に戻されるんだけど。
「甲太郎、どったの」
 内心、酷く動揺してる。けれど顔には出さずに口の端だけを吊り上げてみせた。
 甲太郎は長い脚で窓の敷居を跨ぐと、そのままそこに身体をもたれさせた。一体何をしに来たのか、アロマパイプを銜えたまま俺の方を見て、「煙い」と一言だけ呟いたっきり。
 沈黙が続くから、俺は少しだけ困った。
「……早く寝るんじゃ、なかったっけ?」
「そのつもりだったんだがな」
 コトリと音を立てて、甲太郎が俺の方へ歩いてくる。ラベンダーが、強く香ってきたのに『上海』の臭いが邪魔をする。ベッドに転がしておいた携帯灰皿に煙草を押し付けようとすると、その手を甲太郎に取られた。
「未成年」
「……ですねぇ」
 未成年、たぶんね。ホントの年齢なんて知らねーもんよ。
 俺が元喫煙者だということは甲太郎も知ってる。そのせいか、興味があると言いたげに顔を近づけてきた。
 今更、服を上しか身につけてなかったことを後悔した。男同士、のはずなのに。自分を隠してしまいたい気になるのは、なぜだ?
 間が保たなくて仕方なく手の中の上海を銜える。
「あのねぇ、人の部屋に入るときはノックでしょ。俺だっていつもしてるじゃん」
 冗談めかして言ったのに、目の前の表情は変わらない。ただ少し、笑ったように見えるけど。
 何だか、匂いと匂いが混ざって頭がクラクラする。あてられた、とでも言うのだろうか。甲太郎の所作一つ一つ、それだけで俺のどっかが崩れていく。頭の中で黄色信号が灯ってるのに、理性がブレーキを掛けてくれない感じ。
 へらへら笑えなくなる。冗談も言えなくなる。この距離が、辛くなる。
 正面切ってガン付けあって、負けたのは俺。目を僅かに伏せて、声を立てずに笑った。
「そ、れに、俺がひとりエッチとかしてたらどうするつもりだった?」
 冗談でもこんなこと言えば、甲太郎なら「阿呆」とか言って離れると思ったんだ。でも、全然思惑とは違う方向に事態が進んでいく。
 俺の口から煙草を引っこ抜き、そのまま指で顎を持ち上げてきた。
「手伝ってやる、って言ったら?」
「…………」
 近い。ダメだ。これ以上、入ってくるな、『葉佩九龍』を壊すな。
 本当に危機感を感じた。侵入者を追い出すどころか俺の頭は、手を伸ばせば触れる位置にある体温の存在を確かめようとしてるんだから。
 ベッドがぎし、と音を立てて軋んだ。俺以外の体重が乗ったせいだ。
 甲太郎の目的が分からない。からかってる、だとしても俺にとっては一大事だ。これ以上近付かれたら、おそらく鼓動が聞こえてしまう。心臓の音を止めるなんて、仮死状態になる以外、方法を知らない。
「試してみるのも悪くないかも、な」
 黒じゃない、けれども濃い色の眼の中に映った俺は自分でも笑ってしまうほど困惑していた。どうしよう、って顔してる。らしくもない。けど。このまま引き込まれて、取り込まれて、そうしたらどうする?
 俺は、これ以上弱くなりたくない。
 この男によって自分が分からなくなるなんて、いけない。
 
 ―――だったら、遠ざけるしかない。
 
 襟元を掴んで、一気に顔を寄せた。眉がピクリと動くのを見て、少しだけ笑って見せた。できうる限り媚びて、下卑た、そんな笑いを。それから耳元で、囁く。
「へーぇ?―――いくら出す?」
 鼻先が付くか付かないかの位置で笑みを深くして、首に腕を絡めた。何も身につけてない上半身が、部屋着越しに甲太郎の胸に触れた。それくらい、ギリギリの密着。
 酷く深い色の眼差しの奥が、見たこともない色に揺れた。
「…ぁ?」
「試すにしても、お楽しみはそっちっしょ?こっちがさせてやるなら、相応の金額、払っていただきたいんですが。絶対妊娠しないっていうだけでも、便利でお得だと思いますけどね?おにーさん」
 瞬間、驚きと、戸惑いと、一瞬だけ見せた嫌悪と侮蔑。
 それが見られれば、もう充分。
「嫌なら、お引き取りくださいな。俺、もう寝るから」
 首から腕を離す。それからにぃっこりと手を振ると、甲太郎は呆気にとられた……というよりは信じられないモノを見る眼をしていた。俺の口元から甲太郎の指先に移っていた煙草から、灰が落ちた。
 それを指差してから、上海を掬い取った。自分の口元に戻してから、肺一杯まで吸い込む。それから吐き出した息は、円く輪を造った煙に変わっていた。
 煙が次第に消えていくのと同じ速度で、甲太郎の表情が変わっていく。険しくなっていって、やがて機嫌を損ねたかのようにそっぽを向く。
 ……引っ張られて傾倒するよりは、軽蔑された方がまだマシだ。
 追い出すという意味を込めて手を振ると、甲太郎は入ってきた窓ではなく、扉へと向かっていった。
「じゃーねー、おやすみー」
「………ああ」
 聞き取れないくらいの小さな声で。そのまま甲太郎は扉の向こうに消えていった。
 後には、ラベンダーの残り香が漂うだけ。
 パタン、という扉の閉まる音を聞きながら、何故かその音でこの世界から遮断された様な気になっていた。切り離したのは、自分のはずなのに。
 上海を携帯灰皿に押し付けた。苦い匂いがする。全然、いい匂いなんかじゃない。
 俺が発するのはどうしてこう、物騒な匂いばかり何だろうな、と、固まっていく思いのどこかで考えた。身体の芯が冷える様に、熱病のような想いの渦が引いていく。けれど、消えないのだろう。どこかで固まって、塊になって、引っ掛かり続ける。要はそれを表面に出さなければいいだけだ。
 おそらく、二度と甲太郎が俺に触れてくることはない。あんなセリフが簡単に口をついて出てくる友人、周りにはいてほしくないだろ。(オカマさんな朱堂を毛嫌いしてる甲太郎のことだ、マイノリティにそこまで理解があるとは考えづらい。)
 意外に潔癖そうだから、身体を金に還元するなんて行為、好きじゃなさそうだし。
 明日からは、友人どころの話じゃないと思う。
 だったら、殊更俺は、天香學園での『葉佩九龍』に徹さなければならない。表面上は誰とでも明るく仲良く付き合っていくんだ。後どれくらいこの學園にいればいいのか分からないけれど、その間ずっと。等間隔で、距離感を間違えないで、甲太郎ともただの同級生+αくらいに振る舞って。
 綺麗に、崩れない笑顔で、過ごすんだ。
 俺の中心だけは崩れないように。何も、間違えないように。弱さを露呈しないように。
 俺は一人で、笑ってる。

End...