風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |

7th.Discovery 地獄の才能 - 8 -

 硝煙臭い。
 化人創成の間に入って、最初に思ったことがそれだった。
「やはり来たカ、葉佩九龍―――」
 声がくぐもって聞こえるのは、距離が離れているからなのかガスマスクのせいなのか、おそらくは両方なんだろう。背が高くて、加えて髪も立ってる墨木の姿は遠目からでもよく分かる。
「お邪魔しまする。やっぱり来ちゃいました、葉佩でっす」
「……それではこれが最後の警告ダ。命が惜しくば即刻この場から撤退せよ」
 あれ?と思った。だって、今までの執行委員たちって、墓を荒らし回った俺のこと、のっけから生きて返そうなんてしなかったもんよ。昼休みのことがまだ引っ掛かってるのか、それともやっぱり人を殺すことには迷いがあるのか。
 銃を人に向けるとき、そこに迷いは必要ない。
 それなのに、迷うということは、実は自分の任務に自信が持てていないということだ。何かが間違っている、そう感じながら、墨木は俺に銃を向けなくちゃいけない。
「俺、悪いけどここは引けない」
「………」
「他のヤツの時も思ったけど……お前は特に。何としてでも忘れてるなんかを思い出させて、首に縄引っ掛けてでも上に戻るかんな」
「……分からン…貴様、一体何者なのダ……だが、貴様が何であれ、この場所だけは荒らさせる訳にかいかんのダッ。覚悟を決メロ、葉佩九龍」
 言われなくても、覚悟くらいできてら。
 墨木に撃たれて、墨木を撃つ、覚悟。迷わないから、俺は両手を真っ赤に染めてまでここまで生き延びられたんだ。
 フロアに墨木以外の気配が出ると同時にガスHGを投げると同時に爆煙が辺りに立ち込めるのを確認すると同時に真里野の襟首を掴んで引き寄せるのと同時にその耳元に囁いた。
 甲太郎に聞こえないように、でも、はっきり。
「皆守を、頼む」
 突然のことに目を剥いた真里野は、煙に巻かれないよう口元を袖で押さえながら、
「馬鹿なことを申すなッ!お主を護るために拙者はここに…」
「あいつにもし何かあったら、俺、死んでも真里野のこと恨むよ」
「なッ……」
「…っと、真里野のことは、俺がちゃーんと護ってあげるから任されて♪」
 顔が寄ったついでに鼻先にちゅー一発かませば、もう真っ赤になって何にも言えなくなる可愛らしい真理野クン。そんな純情一直線なトコ、好きよ、なんてね。
 儀式の合図、二挺のマズルに口を付けて、俺は化人の群がる中心へと飛び出していった。
 一瞬間後、「九龍ッ!!」と怒鳴り飛ばしてくる声がある。肩越し、視線だけを向けた。
 甲太郎の物凄まじい形相とかち合う。一人で突っ込むな、って言われた気がしたけど敢えて無視した。おそらくは全く温度がないように見える視線だけ返して、そのまま走る。
 もう決めたんだ。俺は、お前のこと護らない。護りたいって思ってしまったから、護らない。
 なんもかんもほん投げて、深層意識の奥の底から「こいつだけは失っちゃいけない」って思った時点で駄目だったんだ。
 そうやって感じた相手を、一度失っている。もう、俺は間違えない。
 二挺拳銃で蝙蝠の眉間を撃ち抜きながら、墨木へと距離を詰めていく。時折飛んでくる9パラは俺のすぐ脇を掠めて、それでもまだまだ当たらない。弾を節約するために蝙蝠を蹴りで沈めて墨木から死角になる壁際に飛び込み、まだ一発ずつ残っていたマガジンを捨てて装填し直した。一匹ほど蝙蝠が後ろに逃げた気がしたけど、大丈夫、俺は真里野のこと信用してる。
 これからガチンコ勝負ってな俺の思考の中に、皆守甲太郎の存在なんかあっていいはずがなくて、浮かび上がりそうなラベンダーの移り香を硝煙の臭いで打ち消した。
 近接銃撃VS近接銃撃、二挺拳銃VS二挺拳銃、負けていいはずがない。
 壁の際を銃弾が掠めていく。弾切れなんか端から期待していない。本人が言ったことを信じましょう?
 威嚇のために腕だけ出して弾を散らせる。僅かに跡切れた弾幕の間に飛びだして、水平移動しながらの二挺撃ち。呪われた力とかいうヤツのせいだかなんだか、銃弾相手にもほとんど怯まない墨木は、案の定すぐに応戦してきた。
 室内戦闘において、最強を誇る二挺拳銃。でも、墨木の戦い方は軍用銃撃戦用のそれじゃなかった。おそらくは我流、だから、時折俺の予想とは違う動きをする。
 霧が出ているようにぼやけた視界の中で、墨木の射撃は正確だった。俺のこめかみ、皮一枚を切り裂いて壁に当たった弾が跳弾するのが気配で分かった。
 この視界が墨木に有効なテリトリーだとしたら、俺は、もっと濃い霧を作るしかない。
 ゴム風船と小麦粉で作った簡易粉爆弾を投げつける。すぐに空中で撃ち落とされるけど、それが狙いだ。空中で破裂し、辺り一面に舞い上がった粉が舞い落ちる前に、接近する。
 ゴーグルに手を掛けていた墨木の手元を、突っ込んだ低姿勢から横薙ぎに蹴り飛ばす。さすがは銃使い、銃こそは取り落とさなかったものの、真っ白い視界の中から急に飛び出してきた俺に驚いたらしい墨木は、闇雲に銃弾を撒き散らした。
 肩に一撃、太腿の表面に一撃、火傷に似た痛みが走るけど、知らないフリをして墨木の長身を肩越しに飛び越え、背中に回り込みながら腰のバックアップガンを後方へ蹴り飛ばす。
 墨木が振り返る頃には、脚を振り上げる準備がしてあって、それはそのままこめかみを抉った。ガスマスクのせいで対したダメージはなかったようだが、ゴーグルに大きくヒビが入るのが見える。そのまま降りた脚を軸足に飛び回し蹴りを喰らわせれば、呆気なく吹っ飛んだ。
 仰向けに倒れた墨木に乗り上げて、眉間にベレッタを突き付ける。もちろん、墨木の銃は床に押し付けて。
「これが、いちいち撃つたびに迷う人間と、迷わない人間の差ってワケ。分かった?」
「くッ……」
「お前、人、殺したことないだろ?」
 俺の言葉に、マスクの下の、生の墨木の眼が揺れる。呻いて、足掻いて、迷って、それから俺の左手をはね除けて、銃を突きつけ返す。
 靄の中から飛び出してきた甲太郎と真里野が俺たちの姿を見て驚いたみたいだけど、少し離れた場所から一歩も近寄ってこなかった。状況は、分かってるらしい。
「見る、ナ……見るナッ見るナァァァァッ!!」
 じっと、銃の先っぽではなくて墨木のゴーグルの奥ばかり見詰めていたせいか、発作のように暴れ出す。ウェイトで遙かに劣る俺は、跳ね飛ばされそうになりながらそれでも筋肉の窪みを押さえつけて堪えた。
「俺にはお前が見えてんだよ、お前からも俺は見えてんだろうが」
 問答無用で動けなくなった墨木が、まるで最後の砦のように、俺の腹に向けていた銃を鼻先数センチ手前に突き付けた。
 俺の名前を誰かが呼ぶ。二人分の声の質量を感じながら、そっちを見ることはしなかった。
「撃てよ。簡単だろ?セーフティは外してあるんだから、あとは、そう、そのままトリガー引けば、俺の頭に穴が空く。晴れてお前は、墓を護った英雄、ってな」
「ウ、ゥゥゥ……ぐゥゥ…」
「俺が引き金、引いたところでお前らは死なないもんな。どうやったってお前は死なない。安心して殺ればいい―――それが、正しいんだろ?」
 墓荒らしには死を。
 執行委員お決まりのセリフを逆に言ってやる。
 それから覗き込んだ先の眼は切れ長で、もしかしたら素顔は男前なのかもしれない、なんてことを考える。
「どうしたよ。俺は、生身だぜ?」
 手伝ってやろうか?と厚手のグローブ越しに手を重ね、トリガーに指をかける。
 ある種、賭だったのかもしれない。
「ウ……うあァァァァァッ!!」
 俺の手は払いのけられ、同時に墨木の銃が床の上を滑り、甲太郎と真里野の足下で止まった。
 墨木の敗けが、決まった。
 引き金を絞った俺の一撃が黒い砂を呼び出し、呻いた墨木の身体からは力が抜けた。
 人を撃つことの怖さ、これで痛感してくれたと思う。これでいい。もう二度と、正義を盾に人を撃つなんて事、しなくなるはずだ。
 気を失った墨木の身体を担ぎ上げようとしたとき、肩に走った痛みに落としそうになる。そういえば、一発貫通してたか、って考えるより早く、肩に掛かる重さがなくなった。
 顔を上げる気はしなかった。そこにいるのが、着流し姿ではなかったから。きっと見上げれば酷く不機嫌そうな顔でもしてるんだろ?勝手に突っ込むな、とかって。
 甲太郎が部屋の端に墨木を寝かせたのを確認し、黒い砂が形作る影から離れた。
 カサカサと耳障りな音を立てて近寄ってくるサソリを、真里野がまとめて二体、俺が銃撃で残りを倒した。片腕は思うように扱えず右手一挺撃ちだけど、仕方ない。
 あらかた片付けて、止血のためにシャツを引き裂いて巻き付けていると、
「九龍ッ、大事ないか!?」
「うん?大丈夫だよ、ヘーキ。神経も血管も問題なし……問題は、あいつだ」
 霧の向こうから現れた巨体。大木かって言うほどのサイズ。銃弾なんか効きません、てか?多めに持ってきたガスHGで何とかなるといいんだけど…。
 とにかくまずは弱点を見つけないと、貴重な炸薬を無駄に使うことになる。ゴーグルの索敵モードを更に絞って、薄もやの向こうに浮かんだ敵影に肉薄しようと踏み出した。
 途端、身体がおかしな方向に傾ぐ。不可思議な力量は俺の腕を引っ張って、自然、俺はそっちに向かざるを得ない。
 ぶつかった、険しい視線。
「……お前ッ」
 俺はその手を振り払う。
 こんな所でこいつに構って立ち止まるわけにはいかない。―――こいつを、建前と言い訳にはしたくない。頼むから、俺の想いを繋がないでください。
 無言のまま駆け出し、でも、甲太郎が掴んだ部分には熱が溜まっていく。
 ―――参ったなぁ、もう。
 指先でゴーグルを目元まで落とし、体熱視界の中を泳ぐように。甲太郎から離れ、墓守に近付く。
 デュアル・ハンドガン・コンバット・シューティング。姿が視認できるできないのギリギリの位置から射撃を始める。頭、頸、胴体を上から嬲るように、9パラ弾と356弾を散らす。ゆったりとした大木からの反撃はそのうち一度だけ。大降りに腕を振り回すけど、転がってすぐに跳ね上がり、回避。距離を取った後、威嚇と撹乱のため銃撃を続け、切迫。
 一発が土手っ腹のど真ん中に吸い込まれた。そこで、体熱反応が大きく揺らぐ。
 見つけた。弱点。
 バックステップを踏んで離脱後、両手に持てるだけのガスHGを装備。
 霧の向こうから現れた大木に、唇で栓を飛ばした一発を投げつける。炸裂手前でもう一発。連動作用で爆破の威力は桁違いに跳ね上がった。
 呻いて崩れかける大木に、その暇すら与えない。連続して爆薬を投げつけ、決着を付ける!
 数発の手榴弾が一気に暴発。その爆風に煽られ、身体が傾ぐ。強烈な加薬臭の中で、金属音と共に現れた一挺の銃、そのトリガーがいつの間にか俺の手の中に収まっていて。
 やってきたのは、墨木の記憶の、奔流だった。

*  *  *

 硝煙の臭いがする。
 懐かしくて、いつも俺の傍にあった臭いだ。
 誰かの、声がする。
 
 
『――――いいか、砲介』
 アレ……日本の、自衛官だ。
『兄ちゃんは毎日、お前や、父さん母さんや友達や大切な人や、この国に住む全部の人を守るために働いている。兄ちゃんはそのために銃を持ってるんだ』
 ああ、この人が、墨木の宝の在処、大切な人、―――兄ちゃん、か。
 その傍らに立ってるのが、たぶん、小さい頃の墨木なんだろうな。
『でもッ、でも、あいつら……。僕のことを変な目で……嫌な目で見るんだ。だからッ―――』
『砲介。銃は自分の身を守るためだけのものじゃない。ましてや誰かを傷付けるためのものなんかじゃない。大切なものを守るためのものだ。ほら、これ―――』
 手渡された改造銃。見覚えがあると思ったら、墨木が使ってた銃だった。
 墨木の兄ちゃんは、墨木の首に何かを掛ける。
『ボクの……銃?兄ちゃん、これ、引き金がない』
『引き金はこっちだ。ほら、こうすれば、首から提げられるだろ?』
『………』
 墓守が姿を変えた、墨木の《宝》。
 このままだったら、正義は歪むことすらしなかっただろうに。
『分かるな、砲介。次にお前がその引き金を、銃に取り付ける日が来るとしたら―――その理由はたったひとつだ』
『大切なものを……、守る……ため?』
『あぁ、そうだ。もう二度と、引き金を引くための理由を間違えるなよ。いいな、砲介―――』
 
 大切なものを―――大切な者を、守る、ため。
 
 墨木は一度、間違えた。
 俺も一度、間違えてる。
 
 墨木は二度と間違えないだろう。
 記憶と、正義の意味と、約束と、何よりあのトリガーを取り戻したから。



 だったら、
 俺は?

*  *  *

 意識が飛んでたのは、爆風に煽られて身体が倒れるまでのほんの数秒のことだった。叩き付けられた硬い床の感触で覚醒し、それから銃にセーフティを掛けて三人の所に戻る。
 墨木はまだぐったりしたままだったから、無理に起こさずに担いでいくことにした。
 俺が受けた傷は浅くもなく深くもなく、ってところで。肩の傷は綺麗に弾も抜けてたし、所詮改造銃って威力だったから魂の井戸に入った途端に完治した。それでも制服の綻びまでは直らないから、所々焼け焦げたり切られたりしてて燦々たる有様だったけど。
 それを真里野はえらく心配し、甲太郎は冷たい目で見てきた。そろそろ俺の「大丈夫」は本気で信用されない感じ。困ったね。
 俺は装備をそこで部屋に送って、まだ気が付かない墨木を担いだまま墓場の上に戻った。
「すーみーき、起ーきーてッ」
 墓石に頭を預けるという罰当たりな状態に寝かせた墨木の上に乗り上げ、軽く頬を叩く。ガスマスク越しだから効かねーのかなー…。それとも俺、やりすぎた?
 溜め息を吐いて、心臓付近に装備しているコルトのコンバットダガーナイフをコンコン叩くと、ようやくといった感じで墨木の口から声が漏れた。
 ゴーグルの奥を覗き込むと、目がゆっくりと開くのが分かる。
「……兄貴…」
 うは、盛大に寝呆けてるな、コイツ。
「オハヨ、墨木」
「葉佩、九龍…ドノ?」
「うい。起きられっか?」
 墨木は頷き、俺が退くと同時に上半身を起こして胡座をかいた。首を落として、いかにも凹んでます、ってな様子。
 俺は黙って、手の中にずっと握っていたトリガーを墨木に渡した。
 ガスマスクの向こう、表情は読めなかったけれど、しばらくしてくぐもった声が聞こえてきて、俺は思わず反対側を向いた。
「こ……皆守、真里野、あっち向いてホイ!」
「は?」
「いいから、あっち向くんだよッ!」
 おそらく墨木はマスクを取りたいだろうから、誰も墨木を見ない方がいい。
 程なく後ろから嗚咽が聞こえてきた。妙に籠もった声ではなかったから、今はガスマスクを外して泣いているんだろう。
 泣けるなら、大丈夫。まだ、大丈夫。
 墨木の鳴き声をBGMに、いつの間にか雲ひとつ無くなった空をぼんやり見上げた。
『いいか、九龍―――誰かを守る、そんなのは銃を使うための言い訳だ。誰かが後ろにいると思えば、人は暴力を振るうことを躊躇わなくなる。守るという建前の元……傷付けることが、正義になる。だから、強くなるんだ。誰を守ろうとしなくても、自分の想いと信念で貫ける正義を持て。守ることを、言い訳にするな』
 ………やっぱ、お前の言ってることは無茶苦茶だったと思うよ。
 お前は一人、この世界で異質だったんだ。強すぎたんだよ。誰かを守る、その大義がないとこうして人は、何かを違えてしまう。お前みたいに一人で律って、正義になれる人間なんて、俺は、お前以外に知らない。
 守らなくちゃいけない者があったときは、躊躇なくそれを守って。
 でも、それを闘う理由にしてはいけない―――か。
 俺にはそんな事、できそうにない。
 俺にはあいつが正義だった。あいつのために生きることが全てだと思ってた。
 それも、全部、言い訳だったのか……?
 考えながら、ぶちぶち墓場の雑草を抜いていると、後ろから声が掛かった。
「葉佩ドノ……」
 ガスマスク越しの声。振り返ると、しっかり装着した墨木が俺の方を向いている。
「子どもの頃から、自分は弱い人間でシタ。人がみんな自分を見て笑っているような気がシテ…。そんな自分をいつでも優しく諭し、導いてくれたのが兄でシタ」
 項垂れた墨木は、拳を地面に叩き付けた。
「どうしてこんな大切なことを忘れていたのカッ!だから、あんな仮面の男に簡単に言いくるめられテ……。クッ…自分が、情けないでありマスッ……」
 仮面の男。そのキーワードは酷く引っ掛かったけど、今はそれを詰問している時じゃなかった。こういうとき、どうすりゃいいかなんてあの女は教えてくれなかったけど、俺が凹んだときはいつも、こうしてた。
 胡座をかいている墨木の膝元に乗り上げて、首の後ろに腕を回した。頬に、ガスマスクの硬い感触が当たる。後ろで野郎二人が絶句するような気配があったけど、無視。
 この過剰接触が平気なのは、単なる近さだと思う。硝煙と加薬と血煙の混じった、戦闘の臭い。それが微かに墨木からしてくるからこうしていても俺はどうこうならない。
「だいじょーぶ。誰も許してくんなくても、俺が許す。その代わり、お前が傷付けた人間には、土下座してでも謝れ。それは執行委員の連中みんなが、やってきたことだ」
「は、葉佩ドノ…」
 墨木の声が上擦った上に震えてる。怖い、のかな。だよな、自分の非をさらけ出して謝るのって、怖いもんな。
 抱擁を解いて正面切って向かい合うと、表情が見えないながら墨木が何かを決意したのが伝わってきた。
(…その前に盛大に背中に蹴りを食らいましたがね。背骨が凍る一撃でした。)
「葉佩ドノ、自分の銃は、葉佩ドノにとって必要でしょうカ?」
「それは……墨木が決めることだって。お前が選んで、お前が決めるの。正しいことは、人に選んでもらうモンじゃないっしょ?」
「葉佩ドノ……じ、自分のような者には勿体ないお言葉でありマスッ。これを、是非もらって欲しいでありマスッ!自分のポートレートをあげるでアリマスッ」
 ポートレートって…と思いつつ受け取ればやっぱりいつものプリクラで。『明るい未来へ羽ばたこう!!』って、警察の犯罪抑制用ポスターのようだった。
「ありがと。……へへッ、これで銃の話が思う存分できそ♪」
 あれだけ精巧で桁違いに完成度の高い改造銃、滅多にお目にかかれないもんねーぇ。てっぽーマニアとしては是非膝を突き合わせて一晩ほど語り合ってみたいですよ。
 その意味を込めて、手を握って上下に降ると、墨木はその手をしっかりと握り返してきた。
「葉佩ドノが取り戻してくれたのでありマス。自分の、大切な宝を……。今度は…自分が葉佩ドノの力になる番でありマス!!今度こそ、この銃に賭けて自分は自分の大切なものを守るでありマスッ!!」
 ……それで、強くなれるなら、いい。
 墨木も、他のみんなもきっとそれで強くなれる。
 ―――だったら、俺は?
 大切な者を守るという決意に対して、曖昧に笑うことしかできねーじゃねぇかよ。
 遺跡の中で、背筋に怖気が走る瞬間を味わったから。護りたいと思ってしまった甲太郎を、失ったらと考えるだけで、今もダメだ。握った拳の中に嫌な温度の汗を掻いてるのが分かるくらい。
 あの女の言った、言い訳としての「守りたい者」じゃない。
 心底、どっか奥の奥、頭で理解するのと全然違う場所から来る強烈な、「失いたくない者」が、甲太郎だ。
 ああ、頭が湧いてる。
 墨木に向かっていつも通り笑って見せながら、俺は、背後に立つ気配に、ずっと怯え続けていた。

*  *  *

 これは、絶対に、七瀬ちゃんと入れ替わったアレのせいだ。
 男が四人(しかもあんまり見ない取り合わせ)、雁首揃えて寮に戻りながら、俺はずっとそんなことを考えていた。ちらっと隣の真里野を見上げて、アレ?でも、七瀬ちゃん思考ならよろめくのは真里野が打倒じゃね?とか。墨木にはあんなに簡単に抱きつけたのに、甲太郎は絶対にダメだろうなー、とか。仲良い男子の顔を次々に思い浮かべて、そういやみんな、結構自分から接触していく分には大丈夫かもしんない、だとしたらやっぱり甲太郎だけなのか、うーん、みたいな。
 今も、当たり前のように俺の隣には甲太郎がいるけど、ぶっちゃけ顔を向けられない。どの面下げて話していいのか分からない。
 これは、さっさとルイ先生のところにいって、強制的にでも治してもらうのが打倒じゃないか?
 まだあんまり遅い時間じゃないから会いに行っても怒られないかもしれない。
 ………そうだ、そーしよ。
「悪り、俺ちょっと行くトコあんだわ」
「どちらへ行かれるのでありますカ?」
「うん?ちょっと雛川センセのトコ。あ、雛川センセは俺がこの仕事してるって知ってるから、その話」
 丁度、今日、その話をしたところだ。誤魔化すには打って付けの話題だったかもしんない。
「先、戻ってて。今ならまだ、寮の玄関、閉まってないっしょ?」
 ひらひら手を振って、分かれ道を三人とは違う方へ。引き留めさせる間は与えなかった。
 俺の全力ダッシュは100メートルを10秒ちょいで走る。あっと言う間に、教員棟に飛び込んで、ルイ先生にメールを送る。返事が返ってくる前に表札を探した。
 と、その前に見慣れた先生を一人発見した。何のことはない雛川センセ。噂をすれば、ってヤツ?
「雛川セーンセッ」
「あら、葉佩君」
「こんなとこで何してんスか?」
「それは私のセリフでしょう?先生の誰かに会いに来たの?」
「そりゃもう雛川センセに♪」
「ふふ、葉佩君たら」
 ルイ先生から返事も来なくて、俺はその場でちょっとだけ雛川センセと雑談を交わした。先生は、髪留めが好きらしい。ほら、この学校って閉鎖的じゃん?先生たちも外に出ることができなくって、買い物に行けないんだとさ。
「センセ、俺、知り合いから髪留めもらったんスよ、琥珀の、すっげー綺麗なヤツ。俺は使わないから今度プレゼントしますよ」
「本当に?嬉しいわ、ありがとう、葉佩君」
 うふふ、と微笑んだ雛川センセは、それから少し、真っ直ぐな目をして俺を見た。
「……葉佩君」
「ハイ?」
「先生ね、あなたの話を聞いてから、ずっと考えていたの。この學園やあなたのことをもっとよく知る為には、どうしたらいいのか―――」
 ……何だかほんのり嫌な予感。
「それでね、考えついたの。こうするのが、一番いいんじゃないかって。よかったらこれ……もらってくれる?」
 う、げ。げげげ。マジっすか?先生、遺跡って、死ぬ可能性もあるんスよ?そんな簡単に…いや、でも先生公認の方が何かとやり易いのか?
 一応出されたプリクラと連絡先を受け取っておいて、先生を遺跡に引っ張り込むことだけはないようにしようと心に決めた。先生と七瀬ちゃんは……ねぇ?
「先生に力になれることがあれば、いつでも連絡してね。待ってるわ」
「うーぃ」
 気の抜けた敬礼をしてみせた所で、H.A.N.Tが鳴った。見れば、今からおいでという内容のルイ先生からのメール。家は、すぐそこらしい(当たり前だけど)。
「っと、じゃあ、先生も誘拐されないように早く帰ってくださいね?」
「……え?」
 どうしてそれを、と言われるのを見越して、俺は素早くその場を立ち去った。冗談ですよ、ジョーダン。
 にしても、……みんな、死ぬってことに対しての観念が薄いよなー。日本人て、そうなの?ヤ、俺も血統は日本人らしいんだけどさ、育ちが如何せんあそこだから。七瀬ちゃんと雛川センセをバディにして、もし俺が死んだらどうするんだろ?一緒に死んでくれる気があって、これを渡してんのかな…謎だ。
 そんなことをしているウチに、あっと言う間にルイ先生宅へ。
 インターフォンを鳴らして待っていると、扉が内側から開いた。
「こんな時間にどうした?葉佩」
「こんばんは。えーっと、ちょっとあのですね、入れ替わりのことでお話がありまして」
「ああ、七瀬とのか。とりあえず入れ」
「お邪魔しまーす」
 教員棟は社宅街みたいになってて外観はあんまり変わらない家が並んでるんだけど、ルイ先生の部屋は外側からは想像も付かないくらいオリエンタルが炸裂してた。リビングには香の匂いが漂ってて、俺には何が何だか分からないような妖しげな符とか札とかが置いてある。
「ほぇー…女の人の部屋って、こんなんなってんスね…ビックリ」
「私を基準に考えない方がいいぞ」
 ルイ先生は意味ありげに微笑んでから、俺の前に湯気の立つカップを置いた。
「冬茶だ。少し早いが、今日は冷えるから良いだろう」
「うわ、すんません、ありがとうございます」
 一体、この部屋や香やお茶には何の作用があるんだろう。どう、言い出そうか考えていたくせに、座って一口飲んで一息入れただけで、俺の口は勝手に喋りだしていた。
「七瀬ちゃんと入れ替わったすぐ後くらいに、ちょっと体調がおかしくなりまして」
「それは、七瀬と入れ替わった影響でってことか?」
「たぶん」
「どんな感じにだ?」
「…………」
 流石に迷った。おいおい、養護教諭にこんな頭沸いた話するってどーなのよ?とかね、思ったんだけど、溺れる物は藁をも掴むって思いだし、まだまだ先の有りそうな潜入調査中、ずっとこんなモンを抱えていくのは相当しんどいのは分かりすぎるほど。
「あの、ですねぇ……なんつーか、ちょっと日常生活で違和感を感じると言いますか、普通でいられなくなると言いますか」
 ルイ先生は一瞬ひどく怪訝そうな顔をした。。やっぱり、センセから見てもちょっと俺の状態はおかしいのかもしれない。
 そう思って、次の言葉を待ってたんだ。そしたら。
「おかしな事を言うんだな」
「はぇ?」
「乱れていた《氣》のバランスは、疾うに戻っているぞ」
「……ぇ」
「戻ってから二、三日は波形が乱れていたが、今はもう影響は残っていないはずだが」
 
 嘘、だろ?

「まだ何か変調があるのか?」

 だって、それ、つまり……。
 
「葉佩?どうした?」

 七瀬ちゃんのことは関係なく、俺が、俺として……甲太郎のこと

「…………え?」

 ―――隣にいてほしい誰かとして、認識してしまっていると、いうこと。

 もう、ルイ先生の声も聞こえてなかった。
 あってはならない事態に陥った。
 自分がここまでおかしい人間だとは、思ってもいなかった。
 けれど……俺の意識の中に、皆守甲太郎が居座っているのは事実だ。
 事実だ…が。
 それだけは何があっても表に出してはならない。あいつに、これ以上傾いちゃいけない。気付かれるわけにはいかない。
 このまま穏やかに任務を終えるためには、徹底的に自分を殺すことが必要だと。
 その時、痛感した。

End...