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7th.Discovery 地獄の才能 - 2 -
廊下に出てすぐ、俺が見つけるより先に甲太郎が俺を見つけた。
「九龍――――?」
見れば、アロマパイプに火を着けるところだったらしくて、すぐに銜えた先っぽから細く煙が立ちのぼり始めた。おいおい、今一応授業中ですが…隣の教室の先生、睨んでるぞ?
「なんだ、お前も抜けてきたのか。まァ、授業もないのにあんなところにいても仕方がないしな」
「……うん」
「ん――――?」
甲太郎は、返事をした俺の肩越しにその向こうを見遣った。俺も振り返ると、そこに立っていたのは石田、じゃなくて黒塚。我が栄光の石研部長、って、君のクラスは授業中では?
「やあ。丁度いいところで会ったよ」
「おっつー、今日も元気にしてるかい、石子」
黒塚に手を振りつつ、俺が勝手に命名した黒塚がいつも持ってる石、『石子』に挨拶する。黒塚はえらく嬉しそうに近付いてきた。最近ケースの外からなら石子に触ってもいいって言われてるんだよね。
「ふん。大衆に迎合できない奴がここにもいたな」
「僕は大衆心理なんて興味ないよ」
「そーだそーだ!黒塚が大衆化なんかしたら面白くねーぞ!おりゃー、石を愛し抜いてる黒塚が好きだもーん」
黒塚の横で握り拳を作ると、石子を挟んで向こうからがっちり腕を捕まえられた。両手を握られて、目の前にはキラッキラした黒塚の目。
「葉佩君!素敵だ、君は本当に素敵だよッ!あぁ、スベスベするぅ…」
「おわッ!っと、ニャ、ニャに!?」
男にしては細めで綺麗な指が、俺のほっぺを撫で回す。うっとりとした顔が何とも言えません。
「僕は君を舐めてしまいたい…」
「どわわわわッ、タ、タイム!俺、美味しくないからッ」
ぐぐっと近付いてくる黒塚から身体を引こうとしたとき、そうする前にいきなり、離れちゃったりして。襟首を引っ張られる感覚はもう随分慣れたもの。後ろ取られるなんて不覚、とか、思うこともなくなって、いつの間にか甲太郎の隣に置かれてんだもん。
「お前は石でも舐めてろ」
「ふふふッ、甘いよ皆守君……僕は毎日のように石を舐めているからねッ!次は是非とも葉佩君なのさ」
「どういう理屈だ…。九龍、お前、舐められるんじゃねぇぞ」
「が、がむばる」
首に腕を回されて(半分締められてる気もするけど)呻っていると、黒塚は残念そうに俺の腕を放し、石子に頬ずりをする。
「そうだ、葉佩君。ちょっと気になることがあるんだけどね」
「うん?」
「最近……、石たちが騒いでいるんだ」
「お前な、アニメの見過ぎじゃないのか?」
廊下に、沈黙が降りる。
黒塚は甲太郎と俺を見比べた後、どこからともなく取りだした手帳に、何やら書き出した。
「皆守甲太郎、想像力が著しく欠如、と」
「変なメモを取るな!!」
「じゃあ…皆守甲太郎、好きなタイプはナウシカ、っと。葉佩君は?君なら信じてくれるよね?」
そう言って、思いっきり吹き出した俺に突然話題を振ってくる。甲太郎は突っ込む機会を逸したらしくて、呆れたように俺の頭の上で溜め息を吐いた。
「石……まぁ、落ち着かない感じはするよな。何がってワケじゃないんだけど、」
「ああ、君にも聞こえるんだね。石たちの語る声が!!」
またも接近してきた黒塚の額を甲太郎の手が押して、「……で、結局何が言いたいんだよ」と代わりに答えてくれた。
「うーん、僕は探偵じゃないけどね、一連の事象には何らかの関連性があると見てる」
「それって、やっぱファントムとか生徒会とかのこと?」
「そもそも、生徒会が腐敗し始めたからファントムが現れたのか、それともその逆なのか……」
「どっちにしても、ファントムが現れたことで學園中がゴタゴタし始めたことは、確かだよな」
石子を愛おしげにさすっていた黒塚が、ふと視線を上げて真顔になった。
「石が、大地がざわめいている。それが何を意味するか――――。この學園で石が沢山ある場所といったら、あそこしかないよねぇ」
「墓地か……?仮にもしそうだとして、何故、《生徒会》と反目する必要があるんだ?」
「さあねぇ…僕は生徒会の人間じゃないからそこまでは分からない。だけど、葉佩君にも無関係な話じゃなさそうだから、まぁ、一応伝えておいた方がいいかなと思って」
君のこと、僕だって心配してるんだからね。
それを聞いて、なんかマジでじーんと来た。
「く、黒塚……いえ、ししょーーーーッ!!」
「 や め ろ 。」
腕を広げて黒塚と石子にダイブ!は頭をみっしり掴まれて未遂だったけど。もう、涙ちょちょ切れてまうってなくらい感動。
それじゃ~、と言ってラララと歌いながら去っていく黒塚を見送りながら、何とも言えない気持ちになった。
ぼーっと黒塚の背中を見てた俺を引っ張り戻したのは甲太郎の呟きで、いつの間にか腕が離れてたから、俺は振り返って奴を見上げた。
「……ますます訳が分からなくなってきた…」
「それは黒塚が分かんねーってこと?それとも、」
「《生徒会》に反目するファントムは、《転校生》の味方となりうるのか、って事だ」
じぃーっと見下ろされて、息が、詰まる。
や、やっぱダメだ、こいつ追いかけて来るんじゃなかった!教室で八千穂ちゃんとまったりしてれば良かったー、なんて、喉元に迫り上がってくる血の流れを感じて、思う。
思わず、わざとらしいくらい勢いよく目を逸らしちゃって、やってからヤバっと焦った。
「……まァ、あくまでお前の問題で俺には関係ないがな」
冷たい声音で言い返されて、自分が悪いのに、何だか上ってきた血が凍るような心持ち。俯いたまま上手く笑顔が作れない。
「そー、だよな。アハ、なのに毎度、巻き込んじゃって、もーしわけない、デス」
「…………」
「ゴメン」
バチンと手を合わせ、顔を上げたときにはちゃんとバッチリ笑ってたと思う。じゃあねー、と言って教室に戻ろうとして(もう何で教室出てきたのか分かんないよね)、ひらひら振った手を掴まれたときには、ビックリしたけど。
「……手に負えなければ声掛けな。気が向けば手伝ってやるよ」
そーんなこと言いながら、いつでも手伝ってくれんだよな、甲太郎は。
優しいトコも過保護なトコも世話焼きなトコも、俺の表面に向けられてるって。分かってて甘ったれてる俺も俺。こんな訳分からん状態になってるのもそのせいなんだろうけど、……だとしたら、距離感を取り損ねた挙げ句、離れるタイミングまで逃しちゃったって事で。もう、本当に一定距離、空けなきゃ俺はダメかもしんない。
これ以上は本当に、しんどい。甲太郎の前で笑いたくもないときにへらへらすんの、もうイヤだ。でも、笑わなくなったら最後って気がするから、できない。
色々、そういうことを考えながら甲太郎の顔、見上げたときに丁度チャイムが鳴った。四限終了。廊下の空気にも、教室からの雑踏が混ざり始める。妙に緊迫してた雰囲気もそれで緩和されて……甲太郎は肩から力を抜いて「飯でも食いに行くか」と言う。
頷いて返して、こうしてるのが当たり前になってることに、違和感を感じた。
* * *
元々、誰かを伴って行動するのは苦手だった。
違うな、誰かと伴って、行動するのが苦手だったんだ。
自分の意志の介入なしに、使役されるために他人の側にいることは割と得意だったけど、こうやって互いに損にも得にもならない、ただそこに在るっていう関わり方は、今までの人生でほとんど経験がない。
昔、ある女と暮らしてた時だって、それなりの損得勘定はあった。俺もあいつも、お互いを生きるための戦力として割り切って考えてた面も確かに、あったし。それ以上の感情で相殺してはいたけども、どこかでいつも殺伐としていた気がする。
だから、こうしてただ誰かと並んで廊下を歩く、なんて、あの頃から考えれば異常とも言える事態なのかもしれない。
……それが、更に異常になったのかなんなのか、ちょっと前なら何にも考えずに甲太郎の横にいられたのに、今じゃ何も考えないということに多少の労力が必要になる。つまり、いつでも余計なことを考えてしまうわけで、上手く言えないけどなんていうか、落ち着かないとか心臓が痛いとかちょっとしたことであっとなるっていうかぐっとくるっていうかかっとなるっていうか……あぁ、意味分かんね…。
「ん――――?」
頭の中がパンク寸前になってたときに突然甲太郎が立ち止まったから、何事かと妙に慌ててしまう。
「ど、どったの?」
「何でもねぇよ。ただ雨が降って来たってだけだ」
気が付けばもう昇降口まで降りてきてて、うわぁ、歩いてたときの記憶がほとんどないって俺、どうよ。
甲太郎は玄関から外に腕を出して、降りの感じを確かめてる。
「濡れて行くにはちょっと勢いが強すぎるな」
「だったら、売店でパンにする?」
「いや、傘を取ってくるからここで待っててくれ」
「じゃあ俺、先に行って席取っとくわ」
それで手を振って出て行こうとすると、いきなり後ろから蹴られた。
「痛ッて!何だよ!?」
「お前、傘の意味分かってるか?」
「??? 分かってるよ?雨の中、濡れて歩いてると怪しいから差すんだろ?」
「…………とにかく取ってくるから、ここで待ってろ。いいな」
怖い顔で、鼻先にアロマパイプを突き付けられて、仕方なく頷く。そしたら甲太郎は「あァ、悪いな」とか言って。つーかお前が言わせたんだろ?とは言わないでおくけどさ。ムッとした顔はしてたらしくて、
「そんな顔するなよ。マミーズまで入れてってやるから」
そう言って柔らかく笑った甲太郎に軽く頭を叩かれて、硬直。その状態は甲太郎が廊下の向こうに歩いていくまで続いて、追うように頭に血が上ってくる。その顔、強烈…。
泡食って振り返った瞬間に押し戸の枠に頭をゴン、ああ格好悪い、向こうで女の子が笑ってる。
頭を押さえたまま、よろよろと昇降口の外に出ると、確かに雨は結構強めに降っていた。でも、俺はこれくらいなら気にしないで外を歩ける。混むのヤダし、先にマミーズ行っちゃおうかなとかちょっと考えて、空を見上げた。
――――雨は、嫌いじゃない。
ノイズのような音の波の中で、雨粒を受けるように手を伸ばした。こうやって、赤く汚れた手を洗ったことがあったんだ。灰色の廃墟群の中で、黒衣の俺の手はやたら白くて、そこを真っ赤な血が流れ落ちてくのはかなり鮮烈に覚えてる。臭いまで、しっかりと。
それにこの視界の悪さとノイズなら、もしもここでボロ泣きしたとしても、誰かにバレる可能性、低いし、そういう意味じゃ、雨は何もかも隠してくれるんだ。
思考にどっぷり浸かりきっていたとき、不意に何かを叫ぶような声でシャットアウトしてた感覚を元に戻した。……何の声だろ、演説?イマイチ聞き取れなかったんだけど、思考が通常に戻ったことで、いつの間にかかなり濡れていた自分に気が付いたりして。うわ、甲太郎がまた怒る。
もう遅いかな、とも思ったけど昇降口に避難して、鬱陶しい前髪を絞って、八千穂ちゃんから借りてる授業中用の髪留めで纏め上げた。学ランが妙に重いのはきっと濡れたせいだよなー。
一度学ランを脱いで絞ろうかと下駄箱の方に向き直るとそこに、誰かがいるのに気が付いた。
何だろ…呻いてるっぽい、ケド…。
「ウッ……うウゥッ……」
「誰か、いんの?大丈夫か?」
下駄箱の陰に隠れるようにして、誰か蹲ってる。
「おい!?」
「―――――!?みッ、見るナッ!!」
「は、ハイッ!」
声の勢いに押されるように、俺は思わず反対側を向いてしまった。ど、どーしたぁ?俺、なんかした?
「ア………ありがとう、で、ありマス…」
「いえいえ、えっと、それより大丈夫か?どっか悪い?」
「あ、あのッ、自分は――――」
後ろを向いたままだから分かんないけど、遠ざかる気配はない。俺は、そのまま傘立ての所に座った。
「あ、あのッ……、その……」
「うん?」
「ど、どうしても、怖いのでありマス。自分を見る人の視線が……痛くて、苦しくて……、恐ろしいのでありマス。ですから、そのッ……」
途切れ途切れに聞こえてくる声は、酷く苦しげだった。その苦しさって、肉体的なものじゃなくて、違うどこかが病んじゃってるときみたいな感じの苦しさのような気がして、すごく気になった。
同族…とか言うと失礼だけど、俺、こいつの言うこと身につまされるくらいによく分かるから。
「は……ハハ…、何故、見も知らぬ方に自分はこんな事を話してるでありマスカ……。まったく、情けないでありマス……」
「……俺、分かるよ、それ」
「え……」
分かるよ、すごく。俺だって、あいつの視線は、意味もなく怖い。何かをバラされるとか、そういうことじゃなくて、漠然と、ただ怖い。
「ウソ、ついてるときとかさ。ダメなの俺も。人に見られると、探られてるような気がしちゃう」
「…………」
「でも、頭のどっかでは、強烈に本当のこと、暴いてもらいたい気もする。……ってこと、ウソついてるときには誰にも言えねぇじゃん?俺も自分で何言ってるって感じだけど、何にも知らない相手だから、言えてんの、かも」
引かれたかしら、とか思ったけど、そんなことは、なかったらしい。
「……貴殿の言葉は何故か、自分を安心させてくれるでありマス……」
「そ?」
「見も知らぬ方だからこそ、こうして安心して話せるのかもしれないでありマス……」
軍隊口調の彼は、風邪でも引いてるのかくぐもった声音で、長い長い溜め息を吐いた。
「クッ……こんな事では正義を貫くことなどできナイ……こんな事デハ…」
何?と思うような台詞を残して、行っちゃったみたいなんだけど…今の、どういう意味だ?顔を出せない、正義という言葉、それで一瞬、まさかファントム?とか思ったけど、なんか、墓地でのふざけた物言いとはあんまりに違いすぎて、すぐに考えは頭から消した。その代わりに別の可能性はあるかも、と思ったけどね。
でも、色々と考えようとしたときに甲太郎が戻ってきて、それどころじゃなくなった。
「待たせたな、九龍。どうした?何かあったのか?―――って、お前!何でそんなに濡れてんだよ!?」
「え?あ、ちょっと、先に行ってようと思ったんだけど、雨強すぎて断念して、コレ…」
「阿呆ッ」
お約束のように蹴飛ばされ腰をさすっていると、タオル取ってくるとか取ってこないとか言い出しそうだったから必死で止めた。昼休み終わっちゃうよ、って、俺が悪いんだけど。
んなことやってたら後ろから、
「よッ、お二人さんッ。これからゴハン?」
って、八千穂ちゃん登場。
「あれ?九龍クン、濡れてない?」
「あー、ちょっとね」
「ダメだよ、風邪ひいちゃうよ?コレ使って」
八千穂ちゃんは、ミニタオルを取りだして、俺に差し出してくれた。
「ダイジョーブだって、そんなに濡れてない、」
「ダーメッ!ほら、髪の毛から水、垂れてるよ?」
そう言って拭いてくれるのはすっげー、有り難いんだけど、や、八千穂ちゃん、分かってます?俺、君とそれほど背丈が変わらないから接近すると、顔、近いんだよ、かなり…。
女の子って睫毛長ぇなー、とか、目がでっけぇなーとか、あー、ちょっと身を乗り出したらチューできるとか色々、妄想が暴走します。
「おい」
考えてたことを見透かしたかのようなタイミングで、甲太郎が俺の肩を掴んで自分の方に引っ張った。結構な力で、呆気なく俺と八千穂ちゃんの密着終了。
「さっさと行くぞ。昼休みが終わる」
「あぁ、そっか」
腕を引かれるまま、外に出ようとすると八千穂ちゃんが、
「えっへへ~。マミーズ行くんでしょ?一緒していい?」
「モチのロンで!八千穂ちゃんと一緒だったらご飯が旨い!」
「……え?あっはは、やだな~。そんなこと言ったって、奢ってなんかあげないよッ」
「バレたか」
九龍クンッ!とか言って笑いながら、八千穂ちゃんは傘を差した。
少し前なら、あの傘の下に入ることは選ばなかったと思う。でも、今じゃ何故か男同士なのに甲太郎の傘に入る方が、選びづらい。
「まァ、八千穂に見つかったのが運の尽きだ。行こうぜ、九龍。ちょっと狭いが入ってけよ」
「……何が悲しくて男と相合い傘なんか」
心境を絶対悟られたくなくて、冗談めかして笑ってみせると、背中を軽く叩かれる。
傘に弾かれた雨音は普段より全然リアルに聞こえて、思わず傘を見上げてしまう。そういえば、傘なんか差したのどれくらいぶりだろ?叩き付けるような雨音は、ほんの少し怖かった。
「八千穂の方に行きたいか?」
「そりゃ、とーぜん!相合い傘って言ったら青春學園ラブコメロマンス王道中の王道!」
「意味分からんが、とりあえずその認識は間違ってると教えてやろう」
「あ、やっぱり?」
そんな事を話しながら歩いてると、少し先を行っていた八千穂ちゃんが止まった。八千穂ちゃんが向けた視線の先には、雨にもかかわらず演説する野郎と、それを囲んだ何人か。
ファントムがこの學園の守護神で、救世主なんだとさ。そんでファントムの名の下に學園に自由を取り戻し、《生徒会》に制裁を、だって。
「あれが今をときめくファントム同盟かァ。この雨の中、元気だなー」
「凄ぇな、日本の学校って。普通にこんな演説やってんだ?」
「阿呆。ありゃ特殊だ」
重っ苦しい湿気の中で、甲太郎がアロマパイプを銜え直した。雨のせいか距離のせいか、なんだかラベンダーの空気を肌から吸ってる感じがする。
「何が自由を取り戻す、だ。自分たちだけじゃ何もできない奴らほど、ああして群れると途端に強気になりやがる」
「危ない傾向だ、ねぇ」
「ああ。それこそファントムの思う壺なんじゃないのか?」
ファントムの目的が分からない以上、安易に騒ぎ立てるのはよくない。もし打倒《生徒会》とか目指してたら、万が一生徒会が倒れたときに學園の統括者がいなくなって、真に混乱しそうだもん。そしたらどうなるか、あいつら、考えたことあんのか?
「でも、みんなホントにこの學園がそんなに嫌いだったのかな。あたしは別にそんなにイヤな事ばっかりじゃなかったよ。確かに、最近の厳しすぎる取り締まりはちょっとおかしいなって思うけど…」
「しゃーないんじゃねーの?普段は妥協して見ないようにしてる綻びが、異端が現れることで見えちゃったら最後、我慢できなくなっちゃうモンだよ。我慢できないのを自分で何とかできればそれでいいけど……ああして他力本願なのはいただけねーな」
ファントムファントムと、その声が雨音よりもうるさくて顔を顰めた。
大陸にもいるんだよね、ああいうの。それをしばき倒すのも、俺の元のお仕事でした。
止むことのない横目でファントム軍団の演説を聞きながらまたマミーズに向かって歩き出すと、温室に続く渡り廊下に人影を見つけた。
「あれ……?向こうにいるの……、白岐サンかな。何してるんだろ」
「さァな。しかしアイツも本当に一人でいるのが好きだな」
「う~ん、寂しくないのかなァ」
俯き加減の白岐ちゃんは、まだこっちには気付いてなさげ。俺は、思いっきりでかい声で、彼女の名を呼んだ。
「しっらきちゃぁぁんッ!!」
手を振ると、こっちを向いた。
「えへへッ、よ~し、ゴハンに誘っちゃおうッ!!」
「おい、八千穂ッ―――まったく、体力が有り余ってやがるな、あいつは……」
「そこがまた可愛いんじゃん。ほら、行こうぜ?」
肩を叩くと、渋々と言った様子で、それでも甲太郎は歩き出す。
走っていった八千穂ちゃんに追い付くと、彼女はもう白岐ちゃんに声を掛けていた。
「白岐サ~ン、よかったらお昼、一緒に食べようよッ」
「いえ……私はもう、済ませたから」
「ええッ、ホントに!?うぅ~、残念……。ちなみに何食べた?」
「え?あの……、サラダを…」
「それから?」
「それだけ、だけど」
「えぇぇええェェェッ!?」
八千穂ちゃんの驚いたという声に、こっちが驚いた。白岐ちゃんも気圧されたように目をまぁるくしてる。
「そんなのゴハンじゃないよ~!!ダメだって、ゴハンはちゃんと美味しく一杯食べないと!!ね、九龍クン?」
「そ。古人曰く『健全な肉体は健全なゴハンから』ってね」
「そうそうッ。楽しい一日は美味しいゴハンからってよく言うよねッ」
「そう、なの……?」
何だかまだ七瀬ちゃんが残ってる気がしないでもないけど、とか思いつつにっこり笑って頷いて見せた。
「あなたたちはこれから食堂へ行くの?」
「うん、そうだよッ」
「そういえば、葉佩さん……。あなたとは以前、食事の約束をしたんだったわね」
白岐ちゃん、八千穂ちゃん、それから甲太郎の視線が一気にこっちに向けられる。あれ?爆弾発言てヤツ?
「えぇ~ッ!!いつの間にそんな事が……」
白岐ちゃんの言う『食事の約束』ってのは、夕薙のダンナと一緒にていう意味だと思ってたんだけど…デートの約束ならそれはそれで素敵ね。
「もォ~、葉佩クン、ずるいよ~!!」
「へへ、イイでっしょー。デートだよん」
「いえ、その……、成り行きと言えば成り行きだったのだけれども」
否定されちゃいました。
「アレ、俺とメシ、嫌?」
「……そうではないの…私なんかと一緒に食事して、本当に楽しいのかしら」
「じゃ、例しに行ってみようよ。女の子とゴハン一緒して楽しくないわけないし、白岐ちゃんみたいな美人さんとなら尚更っしょ?」
「そう……」
「八千穂ちゃんもさー、俺らとゴハンより白岐ちゃんを誘いたいんですって、酷いよな、こんな美少年二匹も捕まえておいて」
「自分で言うな。」
俺が蹴り飛ばされるのがおかしかったのか、白岐ちゃんがほんの少し笑った。よしゃーいいのに、余計なことを八千穂ちゃんが、聞くまでは。
「そういえば、白岐サンも見た?すごいよね~、ファントム同盟。白岐サンもやっぱりファントムは正義の味方だと思う?」
「……羊が安全に生きるためには羊飼いの存在が必要なのに…」
また、ふっと、存在が曖昧になるような無表情に戻った後、白岐ちゃんが見たのは俺だった。
「柵を越え、群をはぐれた羊を果たして誰が護るというの?葉佩さん―――《生徒会》は本当にこの學園にとって不要な存在だとあなたには、言い切れる?」
「つーか、言い切れるも何も、無きゃ困るんじゃない?ここ、結構特殊だし。それに、生徒会がなければ、俺、執行委員の奴らと仲良くなったりもできなかっただろうしね」
みんなラヴだよん、とふざけて言ったら、
「おかしな人」
酷。おかしい言われちゃいましたよ。
「あなたの言う、その愛の力で本当に何かを成すことができるというの?」
「……じゃあ、対立するだけでなんか解決すると思う?」
視界の端で、八千穂ちゃんがおろおろしてる。
ダイジョーブ、別に白岐ちゃんと喧嘩って訳じゃないから。俺、白岐ちゃんとは毎回こうだし。
「あなたはこの學園について何を知っている?あなたの敵は誰?味方は誰?何が正義で何が悪?」
「…………」
この學園については何も知らない。俺の敵は俺で、味方も自分自身。正義はどこにもなくて、悪だって本当はどこにもない。
もちろん、そんな事は言わないけど。
「あなたはもう―――いえ、初めからこの學園で護られるべき子羊ではない。くれぐれも、見誤らない事ね」
「肝に銘じておきまする」
頭を下げて、上げたときには白岐ちゃんは温室に向かって歩き出していた。
相も変わらず、不思議な子。
「あ……。行っちゃった」
「白岐……あいつこそ、この學園の何を知ってるというんだ」
「案外、全部知ってるのかもよ。何もかも、ぜーんぶ。掴み所っていう意味では白岐ちゃんが天香のファントムって感じだよなー」
腰より長い黒髪が温室に入っていく。それを見届けたかのように、八千穂ちゃんがぽそりと。
「白岐サンって、もしかして……。いつもあんな難しい事を考えるのかなあ」
「はぁ?」
「だって、……よく分かんないけど、何だか辛そうに見えたから」
よく見てるよな、八千穂ちゃんて。意外に(って言ったら失礼かもしんないけど)、観察眼は優れてる。誰かが苦しそう、誰かが辛そう、誰かが困ってそう、そう言うことには本当にアンテナが敏感。ある種の特殊能力つーかパッシブスキルだよな。
俺には、絶対備わりそうもない能力だわさ。
「う~、分かんないッ。考えてたら余計にお腹空いちゃったよ。さーゴハンゴハン!!行こ、二人とも!」
「おい、八千穂――――ったく」
「さっすが、切り替えが早い。もう行っちゃったよ」
雨の中に躍る傘を、甲太郎と二人で憧憬半分、呆れ半分てな面持ちで見遣った。
「結局、こうしてあいつに振り回される羽目になるんだ」
…甲太郎って、彼女があの手のタイプだったら結構尻の下に敷かれそうな気がする。
「……まァ、大した行動力だとは思うがな。さて、それじゃあ行くか」
広げた傘の下、甲太郎が早く入れと呼んだ。
で、少し歩き始めてから、気が付いた。
僅かにこっちに傾けられたビニール傘。俺は濡れないで済むけど、甲太郎の左肩はどうやっても濡れちゃってる気がする。
「な、傘…」
「ん?」
「もうちょっとそっち寄せろよ。甲太郎、肩、濡れてる」
指差して、傘を持ってる右腕を押すと、アロマパイプを持ったままの左手にそれを持ち替え……何をするかと思ったら。
空いた右手で俺の肩を引き寄せた。
「傘じゃなくてお前が寄ればいいんだよ」
「バ、ッカ!俺、濡れてんだからくっついたらそっちが濡れ…」
「いいから寄ってろ」
うっわ、心臓、口から出るっての!顔、上げらんねーよ…。
あー、もう、さっさと元に戻りたい。普通に『お友達』してた方がどんだけ楽だったことか。女の子に入れ替わった弊害って、デカいなぁ。
そんなんで俯きっぱなしだったら、唐突に、甲太郎が立ち止まる。
「どったの?」
「……白岐と言い八千穂と言い七瀬と言い…」
「は?」
どこか険しげな顔で、俺を見下ろしてきた。
「結局お前、女のケツ追っかけて何がしたいんだよ?」
「うーん…………トキメキ?」
「何だそりゃ」
俺だってよく分からんよ。女の子に優しく、野郎に厳しくっていうのは誰かさんのモットーだったし、俺は男だから本能で女の子を追っかけたって何の問題もございません。
「声だけはよくかけてる割に、……そういうのは、全部断ってんだろ?」
「な、何で知ってンの…」
『そういうの』って、要するに女の子から告白されるとか、そういうこと。ここ数週間で数回、お付き合いしてくださいってのを言われたけど、全部お断りしてる。
めちゃめちゃ可愛い子とか、お弁当作ってくれた子とか、泣かないよう必死で唇噛んでた子とか。断るたびに、何てもったいないことしてるんだろうって思ったよ?でも、やっぱりダメで。
「ただ、女好きで軽い葉佩九龍のフリするのが必要なだけなんじゃないのか?」
「……………別に、」
「俺には、そういう風にしか見えない」
「そりゃ…お前の見間違い。折角高校生やれるんだから、そういう『っぽい』こと、したいじゃん?……それだけ」
その時は本気で、前を行く八千穂ちゃんの傘に入りたくなった。
「友達作って、馬鹿騒ぎして、気になる子とかできてちょっとしたことでドキドキしてー、なんて、やってみたかったんだってば」
「ちょっとした、ね…」
フン、と鼻を鳴らした甲太郎は、何も言わずに歩き出した。
「二人とも早くー!」
先行する八千穂ちゃんに手を振り返しながら、その実ずっと、隣の甲太郎のことが気になっていた。
……マミーズで何を食ったかは、正直よく覚えてない。