風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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7th.Discovery 地獄の才能 - 3 -

 カレーを食い終わると即行で、八千穂ちゃんと甲太郎を置いてけぼりにしてマミーズを出た。雨はかなり小降りになってたから、傘を持っていってという舞草ちゃんの申し出も謹んでお断りした。
 真っ先に飛び込んだのは保健室。
「ルーイセンセーーーッ!!」
 勇んで飛び込んだものの……あれ?いない。  いつもの煙管独特の匂いも薄くて、気配も違う。ガクッと転けて、それから改めて保健室を見渡してみると、そこにはルイ先生じゃない人影が。
「あれ、取手」
「やあ、九龍君。今日も元気だね」
「あ、ゴメン、うるさかったよな」
「ううん、大丈夫だよ。僕以外には誰もいないようだし」
 何だか所在なさげにしてる取手は、相変わらず顔色が悪い。人のことは言えないけど。
「どったの?ルイ先生は?」
「実は二時限目あたりから頭痛が酷くてね。それで、ルイ先生に薬をもらいに来たんだけど、どうも留守みたいで……弱ったな、どうすればいいんだろう?」
 言われてみれば、いつも以上に顔色が悪い気がする。教室に戻れば俺も頭痛薬持ってるけど…市販されてないし強いしで、あんまりオススメできないからなー。
「じゃ、ベッドで寝てろよ。しんどいんっしょ?」
「そうだね、先生が来るまで少し横になっているよ」
 保健室トリオ(ちなみに取手、甲太郎、俺)にしてみれば、勝手知ったる何とやら、だ。ルイ先生も取手なら寝てても怒らないし。
「ほんじゃ、俺もルイ先生に用事があるから探してくる」
「え…いいのかい?」
「いいも何も、俺が用があんの。気にしないで寝てて」
「ありがとう、九龍君」
「おう。その代わり、また後でピアノ教わりに行くからさ」
 よろしくー、と言って手を振って。この時間なら職員室かなーとか当たりをつけて、向かい側の職員室を覗き込んだ。あれ、珍し、雛川センセはいない。
「しっつれいしまーす……っと、あ、ルイ先生」
「ん?九龍か」
 軽く会釈をしてルイ先生のとこまで歩いていくと、どうやら先生は書類を書いてた最中だったようで。
「どうかしたのか?」
「保健室に取手、来てますよ。頭が痛いとかで。用が済んだら診てやってほしいんすけど」
「そうか、分かった。すぐに行こう。用は、それだけか?」
 手早く書類を片付けながら、ルイ先生が俺を見上げる。その視線が、ある一点で止まった。
「君は、常に生傷が絶えないんだな」
「へ?傷、っスか?」
「その耳の下の傷はどうした?切れているように見えるが」
 言われた所に手を伸ばして、チリッとした痛みが走ることでようやく傷を自覚した。そういえば、朝、夷澤と一戦かましたときになんか食らった気がしないでもない。
「たぶん、ボクシング部のヤツとやり合ったときにカットされたんだと」
「血は止まっているようだが、気が付かなかったのか?髪に隠れて目立たないが、少し深そうだぞ」
「でも、言われてみればって程度なんで、大丈夫っすよ」
 痛みと共に夷澤の顔を思い出して、懐いてくれないなーとちょっと凹む。あいつの縄張り意識の強い馬鹿犬っぷり、結構好きなんだけどな。
「じゃ、俺、戻って取手に先生が来るって伝えておきますね」
「何だ、君は何も用はないのか?」
「あ――、あると言えばあるんですけど、緊急じゃないんで」
 そんじゃ、失礼しますと頭を下げて、職員室を出た。
 保健室に戻って「ただいまー」と声をかけると、そこにいたのは取手じゃなくて…、
「甲太郎……取手は?」
「さァな」
 神聖な保健室だってのに構わずにアロマをぷかぷか吹かし続ける甲太郎は、サボりが目的なのか体調が悪いのか、長椅子にごろんと横になった。
「保健室の布団を持ち出して屋上で寝たら、さぞかし気持ちが良いだろうな」
「そーだねぇ」
 目を閉じた甲太郎の横を通って、ベッドで寝てるはずの取手を覗こうとしたら、長椅子から伸びた手に、腕を掴まれた。
「今度二人でこっそり運んで行ってみないか?」
 日本人にしては色の薄い瞳が、じーっと、こっちを見てる。直視したら目が離せなくなっちゃいそうで、慌てて逸らせて、笑った。
「それなら晴れた日が良いなー!ルイ先生が出張の日でも狙って!」
「さすが九龍、そうだよ、それでこそ友達ってもんだ。同志よ、そのうち《昼寝同好会》でも創設しようぜ」
「で、会員二人だけなんだろ?」
 やんわりと、握られた手から逃げて、ベッドスペースを隔てているカーテンを開けた。取手は、眠っているらしい。でも、やっぱり頭は痛いのか、眉間に浅い皺が刻まれてる。
 すぐに引っ込もうかと思ったんだけど…何だか寝苦しそうでほっとけなくて、つい横の丸椅子に座って顔を覗き込んだ。
「Somewhere over the rainbow way up high...」
 小さい声で歌い始めると、取手が僅かに身動いだ。げ、うるさかったかなと思って黙ると、またキュッと眉間に皺が寄る。
 恐る恐る続きを歌うと、心なしか表情が柔らかくなったように見えた。
「There's a land that I heard once in lullaby...」
 規則正しい寝息が聞こえてくる。寝返りを打ってこっちを向いた取手の頭は、半分布団にくるまって完全に無防備だった。
「Somewhere over the rainbow bluebirds fly... Birds fly over the rainbow why then or why can't I...」
 平和だなぁ、なんて思いながら、そろそろルイ先生が来そうな気がして上掛け布団を軽く叩いてからベッドスペースを出た。
 甲太郎は…と見れば、長椅子で寝っこけてる。え?今の今だけど、とか思ったけど、こいつなら三秒で寝れると思い直した。
 起こすのも忍びなくて、すぐにルイ先生が来るだろうから放っておこうとしたけど、指に挟まったままのアロマパイプだけが危なっかしかったから抜き取って、カートリッジをルイ先生の灰皿に落とし、甲太郎の手の中に戻した。
 ……寝てるからじっくり見れるけど、ホント、整った造作してると思う。羨ましいなぁ、チクショウが。
 癖のある前髪にそっと触れて、梳いてみた。ふわふわしてて、触り心地がいいけど、起きてるときは絶対、触らして、なんて言えなくなってる。最近は、本当に。
 な、なんか変にドキドキして来ちゃって、ふざけてるんだよって自分に言い聞かせるように、甲太郎の鼻を摘む。途端、眉間に皺が寄って、慌てて手を離した。起きなかったから良かったけどさ。
 やっぱ……甲太郎も女の子から告白されたりしてんのかな。そういう素振り全然見せないから分かんないけど…、そういえば、俺は甲太郎のことなんにも知らないんだよなー。
 『友達』だって、言うけどさ、知り合い、友達、それ以上のボーダーが俺にはよく分かりません。甲太郎は俺のどれでもある気がするし、どれでもない気もする。
 本人前にして、お前の一挙一動にいちいち心臓が反応してます、何て口が裂けても言えないのは確かだけど、我慢したまま隣にいるのはちょいとしんどい。
 さっさと普通の状態に戻らないと。これはきっと、七瀬ちゃんと入れ替わって、氣とか魂とかそういうのに『女性』が入っちゃったせいだからね。じゃなきゃ、いくら何でもここまで甲太郎にオロオロするわけがにゃい。
「さーて、と」
 まだ時間もあるし、図書室にでも行って来ようっと、保健室を出た俺は、相当呆けていたらしい。
 だって、甲太郎がそんとき実は起きてたってことに、全然気が付いてなかったんだから。

*  *  *

 図書室の前で真っ先に見つけたのは、着流し剣士の彼。中を覗き込んで、入るか止めようか考えてるっぽい。
「よッ、真里野、入んないの?」
「は……葉佩か。今の時間は《昼休み》だ」
「そうだね」
「我々生徒が、自由に過ごすことができる時間帯である」
「ほうほう」
「拙者は、本を読みたいと思ってここへ来たわけだ」
「うんうん」
「本当に、ただそれだけだ」
 話ながら、真里野をずるずると図書室の中に引っ張っていく。連れ込まないといつまで経っても入ろうか迷ってそうなんだもんよ。
 まぁ、いいよ。本を読みに来たってことにしてやる。
「別におかしなことではなかろう?」
「ハイハイ。おかしくないよ、図書室だもんな、本を読みに来てトーゼン」
「う、うむ、そうなのだ。拙者は本を読みたいだけなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ無関心に本に没頭したいだけなのだ。本当にそれだけなのだ。分かったか?」
「わーった、わーったよ、七ッ瀬ちゃぁ~ん」
 カウンターの七瀬ちゃんを小声な大声で(?)呼ぶと、顔を上げた七瀬ちゃんがはにかんだように笑って手を振った。
 途端、真里野が固まる。分かり易いヤツ。
 硬直したのはそのままにしてカウンターに向かうと、七瀬ちゃんは百科事典を抱えて、耳打ちするように俺に顔を寄せてきた。
「葉佩さん、そ、その節はどうも」
「どーも」
 笑ってひらひら手を振ってみせる。
「あれから体調の方はどうですか?」
「ぼちぼち、ってとこ」
「フフッ、よかった。もう本調子に戻られたようですね」
 そうとも言い切れないところが心苦しい限りですが。
「私のほうもなんとか元通りになりました。もっとも、最初の三日ほどは筋肉痛でろくに動けませんでしたけどね」
「……申し訳ない、デス」
 ボロボロになった制服、関節にテーピングをこれでもかってほど巻き付けた身体、百メートルがめっちゃ早く走れるようになるガーターベルト装備で目覚めた七瀬ちゃんは酷くビックリしたらしい。制服はちゃんと弁償して、結局、全部喋らされた。
 正体も目的も、八千穂ちゃんたちを巻き込んでることも。最近、色んな人に色んなことバレっぱなしだなーって、思う。そのうち夕薙のダンナとかルイ先生にもバレそうな気がする。
「ところで―――どういうわけか、私たちが、その……付き合ってる、なんておかしな噂が流れてますよね。いったい、どうしてこんなことになってしまったのか……」
「…ホンットーに、申し訳ない…」
「あッ、いえ、別に迷惑とかそういうことではなくてですね、私たち、あんなことがあったとはいえ、まだお互い知らないことが多いというか、やだ、わ、私ったら一体何を言って―――」
 百科事典で顔を隠した七瀬ちゃん、耳まで真っ赤。そんなに恐縮しなくても結構ですよ?
「おりゃー、別に構わないんだけど。七瀬ちゃんもあんまり気にしない方がいいよ?」
「よかった、迷惑なんじゃないかって、思ってました」
「まさか!俺は七瀬ちゃん好きだもんよ。全然迷惑じゃないよー」
 こういう台詞がさらっと出る、それくらいは七瀬ちゃんのこと、好きだと思う。
 七瀬ちゃんは百科事典から少しだけ顔を出して、何やら俺に差し出してきた。
「あの、良かったら……これ、もらってください」
「え、いいの?」
「私、あなたのことがもっと知りたいです。私が力になれることなら何でも協力しますから、いつでもご連絡くださいね」
 もう、七瀬ちゃんには散々お世話になってる気がするんだけど。ちゃんと協力してもらえるのはすごく助かる。
「あ、そだ。じゃあ、お友達を紹介しましょう。まーりやー、おいでー」
「!!!」
 後ろで硬直していた真里野が解凍された。おろおろしたのが丸分かりな様子で、俺の首根っこを引っ掴んでずるずると本棚の陰に身を隠した。
「何だよー。七瀬ちゃん、あの子っしょ?遺跡で、ホレ。挨拶くらいしなよー」
 実は俺だけど。なんちゃって、言ったら絶対ショックだよな、真里野、ププッ。
 当の真里野は泡食ったように俺の肩を掴んで揺する。
「葉佩!あ、あんなこととは、一体…」
「落ち着いてー真里野さーん。全然、あなたが想像してるようなことではないですよー」
 ガクガク揺さぶられながら、わー、とか、あー、とか。  つーか、絶対想像が付かないはずですから。
「真里野、破廉恥なこと想像したっしょ」
「な、!!拙者は、断じてそのような…!」
「大丈夫。俺と七瀬ちゃんはお友達だから。お付き合いしてるってのもデマだからね。嘘だと思うなら七瀬ちゃんに聞いてみそ」
 あっち、って本棚から顔を出して、こっちを見ていた七瀬ちゃんに手を振ってみる、と、また首根っこ掴まれて引き戻された。
「何だよ?」
「その、だな……あの日、遺跡で会った彼女と、今の彼女は…何かが、違う気がするのだが」
 ギクッ…。
「あ、あれだよ。女の子は昼の顔と夜の顔が違うって言うじゃん?ソレソレ!もう、よく分かんないこと言ってないで、さっさと挨拶して来いよ」
 本棚から真里野の背中を押し出して、二人がぎこちなく会話を始めたのを見届けて、ほっと胸を撫で下ろした。
 …やっぱ、違和感あるんだなぁ、あの七瀬ちゃんとin俺じゃ。ぼーっと二人を見ながら、そう言えばどっちかの話が食い違っちゃったらバレてもおかしくないんだって思った。まぁ、バレたところで困るのは真里野だけだけど。
「お?九龍じゃないか」
「ん――――?ああ、ダンナ、ども」
 後ろから薄い雑誌で頭を叩かれて、振り返ると微笑んでる夕薙のダンナが。あの、いつもの余裕たっぷりな感じのね。
「今日も勉強かい?熱心だな」
「お馬鹿さんなので。ちょっとでもやらないと」
「そうなのか?そういう割には成績は良いだろう?」
「得意な科目はね。英語必要な生活してて英語喋れなかったらホントにただの阿呆じゃん」
 苦笑して頭の上に乗ってる雑誌を見ると……月刊『うむ』?これってエイリアン特集とか心霊現象とか、あ、ナイトメアとかいう超常現象の特集もやってた、そう言う雑誌だろ?
「ダンナ、こういうの好きだっけ?」
「君は、《呪い》なんかの類を信じるほうか?」
 逆に聞かれて、ちょっと考える。で、出た答えは。
「あったら嫌だって思うタイプ」
「ほう……」
「うまくいかないこととかどうにもならないことを呪いとかのせいにして逃げるのが嫌」
 結局は、信じてないのかもしれない。信じるのが、怖いのかも。呪いとか、それに縛られることとか、目に見えない、幻惑に囚われてどこへも行けなくなりそうなのは、怖い。
「君は、自分の目で見たことしか信じないタイプか?」
「どーかな、今までは全部、目に見えてきたから」
 悪夢も、幻覚も、思い出も、俺は全部この目で見てきた。見たものだからそこにあると思う。例え、錯覚でも。
「―――俺と同じだな」
「あー、ダンナ、そんな感じする」
 俺はいたって、軽い気持ちで言ったんだけど…どうやらダンナにとっては全然軽くない問題だったようだ。
「神も悪魔も奇跡も祟りもこの世には存在しない。あんなものが存在するなんて、絶対に有り得ないんだ」
 あんまりに強い言葉。思わずその裏を探っちゃいそうになって、ぐっと堪える。
 その代わり、昔、ある人から聞いた言葉を思い出した。
「……怒んないで、聞いてくれる?」
「何だ?」
「確かにそういうの、俺は存在しないと思ってる。でも、それを信じて縋って祈って頼って最後の取っ掛かりにして生きてる人も、いるんだ。願いを、生きる最後の糧にしてる人にとっては目に見えてない物が、大切だったりするから…」
 ヤ、だから何って訳じゃないんだけど…何言ってんだろ、俺……。
 あいつみたいにしようと思っても、あいつみたいに上手く言葉がまとまんなくって、やっぱ脳ミソ足りてないって自覚、撃沈。
 何を伝えたかったんだか完全に自分の中でぐるぐるし始めた俺の頭を、今度は手で、夕薙が叩く……違うな、撫でてきた。
「君は……優しいんだな」
「……ぅ、え?」
 思ってもみないことを言われて、ビックリ。それに、別に優しいのは俺じゃない、んだけど…。
 あれ?でも、俺自身がそう感じて喋ったってことは、コレって俺の考えなのか?それとも、単なる受け売り?猿真似してるだけ、かもしんない。
「俺は、別に優しくなんかない。それ、ホントに優しい奴に失礼だよ」
「優しいと言われるのは嫌か?」
「……そーじゃ、ないけど」
 あんまりに俺に似合わな過ぎる言葉だから、違和感がある、ってだけ。
「あ、そういえば、ダンナ、白岐ちゃんともうデート、した?」
「いや?してないが」
「そっかー。俺、さっき白岐ちゃんにその事、言われてさ。そういえばゴハンしてないなー、と思って」
 話を変えがてら提案してみたら、それが何だか違う方向へ。
「じゃあ、今度二人で食事でもどうだい?」
「誰と?」
「君と」
「俺と?ダンナで?」
 あらまー、意外なお誘いですこと。何だか裏がありそうで怖いんですけど…。
「白岐にも、興味はある。だが、俺は君のことも気になるんだな」
「俺ぇ?」
 それって、要するにもうバレちゃってるってこと!?もー、俺、夕薙に見られたこと、ホントにないってば!なのに何故か、知ってるっぽいこと言うんだよな、ダンナ。甲太郎とは違う意味で心臓に悪いね。
「ダンナが思ってるような面白いこと何にもないよ?」
「別に何を探ろうって訳じゃないさ。ただ、君とデートがしたいってだけだよ」
「うわ、趣味悪りぃ!」
 ようやく冗談に取ることができて、肩の力が抜けた。
「ハハハッ、まァ、この話は甲太郎には内緒で、な」
「皆守?何で?」
「言ったら付いてくるだろう?」
「えー?来ないよ、怠いとか面倒くさいとか言って」
「……だといいがな」
 何だか呆れたように、肩を竦める。
 夕薙って、甲太郎のことよぉく知ってるっていう感じがすごくする。行動とか癖とか、あー、お友達っていうそんな雰囲気。俺なんか未だに甲太郎が予想の範疇越えたことするからビックリしっぱなしですよ、ホントに。
「あー、でも夕薙だったら男子寮にいるんだから、別に部屋で一緒にメシ食ったっていーんだよな。俺、料理はできる方だから、ダンナ、今度おいでよ」
 部屋を片付けて証拠を隠滅したときにね!
「君は料理ができるのかい?」
「だって両親とはずっと離れてたし。自活組ですから料理は得意っすよ」
「そうか。じゃあ有り難くご相伴にあずかろうかな」
 一度、何をどこまでどう知ってるのかちゃんと探りを入れたいって本音もあるし。変に緊張して甲太郎とメシ食うなら、ダンナと楽しくゴハンした方が有意義、カモ。
 そんなことしてたらチャイムが鳴って、ふと見ると真里野と七瀬ちゃんは何だか噛み合わない会話をしているようだった。(The 地獄耳葉佩。)
 微笑ましいけど…真里野、顔真っ赤。分かり易すぎ。後で上がらないで女の子と話せる方法でも伝授してあげよっかね。あ、俺じゃ無理?確かに。
「ダンナは次の授業どーすんの?」
「そろそろ時間か。じゃ、行くかい?」
「おうよ」
 今度来たときは絶対に月刊『うむ』を読破しようと心に決め、ダンナと一緒に図書室を出た。話ながら歩いて、ちょうど階段の踊り場に差し掛かったとき、窓から見えた長い髪。
 あれは、美術室――――白岐ちゃんか?
「ん?どうした?」
「ゴメン、ちょっと俺、先に行く」
 手を合わせて、階段を数段飛ばしで登る。
 まだ少しなら時間がある。どうしても、白岐ちゃんの見てるものが気になってしょーがない。甲太郎じゃないけど、一体、彼女が何をどこまで知ってるのか。
 教室に戻っていく奴らの波に逆らうように特別教室の並ぶ方へと向かう。
 美術室の付近には人気がなかったけど『無人』というには違和感があった。
「しっつれい、いたしまする。白岐ちゃーん?」
「葉佩さん……」
 やっぱり、そうだ。窓辺から外を眺めていたのは、白岐ちゃんだった。
「今日は美術部でもない人ばかりたくさん来る日ね」
「たくさん?俺以外にも来たの?」
「……八千穂さんが」
「おぅ、悪いね、煩い面子がゴロゴロと」
「いえ、別に嫌だと言ってるわけではないのだけれど…」
 なら良かった。
 そんで、俺、困るわけ。別に目的があってここに来た訳じゃなくて、白岐ちゃんが遠くを見てたから、気になってって言うだけだから、それ以上何にも言うことがない。八千穂ちゃんはきっと、白岐ちゃんと仲良くなりたくて来たんだろうけど。
「………葉佩さんは」
「うぃ?」
「絵は、好き?」
「…見るだけ、なら」
 美術C5、壊滅的です。
 対象を脳ミソに結びつける過程でブレさせちゃうのが原因らしいんだけど、俺のデッサン、凄ぇよ?人物デッサンなのに、仕上がりを見た甲太郎には『……タコか、これ?』って言われるレベル。すごいだろ。
「私も好き。見るのも、描くのも」
「へぇ…」
「絵に関わっているときが一番落ち着くから」
 すごい、俺、今、白岐ちゃんの新境地開拓な気分。彼女の嗜好なんて聞くの初めてだからさ。
「現実という絵はまるで騙し絵のよう。人によって、立場によってまるで見方が変わってします。あなたの真実が、他の人にとっても真実だと思いこまない事ね」
 幻惑、実像のない影、俺が出会った白マスクと、正義の味方だっていうファントム。
 俺の真実は他人にとっては虚偽で、誰かが信じて止まないことも俺にとってはただの戯れ事に思えたりする、つまりはそういうこと。
 逆言えば真実なんてひとつじゃないなら、自分が真実だと思ったことを貫くしかないわけ。
「『本当』っていうのがどこにあるのか、探したらダメなんだって……分かってるはずだったんだけどね」
 白岐ちゃんの座ってる椅子の並び、そのうち彼女の隣の隣に座って脚を投げ出す。僅かに俯いていた白岐ちゃんが顔を上げると、連動して動く長い髪がとっても綺麗だ。
 綺麗な髪に綺麗な眼を携えて、いっそ清々しいほど真っ直ぐに。
「…あなたの影は、何を探しているの?」
「なぁに、かな。ね?」
 見抜かれちゃってる感が凄すぎて、もう否定する気も全然なし。
 白岐ちゃんを見返すこともできなくて雨の空に視線を飛ばして、聴覚のどこかで本鈴を聞いてみる。もう授業が始まるってのに、白岐ちゃんが席を立つ気配はナッシング。俺のお喋りに付き合ってくれるとか?
「私には、あなたがあなたでないように見える」
「そりゃ、具体的に、どーによ?」
「……分からない、けれど」
 戸惑ったように視線を下げたときにだけ、俺は白岐ちゃんを見ることができる。
「胡散臭く見えるんだろ?笑顔が薄ら寒いっていうか、ペラいっていうか、嘘っぽいっつーか」
「ええ」
「即答っスか…」
 参ったね、まったく。その通りだから何も言えないけど、そこまで見透かされちゃってるってんのにへらへらしてなきゃいけないって、どーよ?
「私は……」
「ん?」
「本当のあなたに逢いたい…気が、するの」
「ホントの俺?」
 ぶふッ。無理無理。絶対引くもん。
 でも、なにかを見透かしてそうな白岐ちゃんに逢いたいって言われるのは、結構嬉しい。だから気持ちだけ、ありがたく受け取っておく。
「そのうち、化けの皮が剥がれたらそん時にね。なーんて」
「………」
 勢いをつけて椅子から立ち上がり、部屋の隅に置かれた石膏像の顔を覗き込む。
「葉佩さん?」
「…俺ね、美術の成績壊滅的なんだ。見えた物を、頭がそのまんま受け容れてくんないんだ。どっかでブレて、歪んで、描き上がった物とか出来上がった物はモデルと全然違うくなってんの」
 石膏像の頭を叩いて、手近にあった鉛筆で鼻毛を書いてみた。うん、男前。
「どうすれば、ちゃんと描けるようになるんだろうねぇ」
 そう言って白岐ちゃんを振り返ったんだけど、笑ってくれなくてちょっと残念。だったら怒られるかなーとも思ったんだけどそれもなし。
 代わりに、
「……また来てくれたときには、デッサンくらいなら……」
「教えてくれる?」
「私で、よければ…」
 白岐ちゃんの見ているものが見えたとしたら、きっと真実なんてあまりに簡単に見えてしまうと思う。まるでニュータイプだ。
「じゃ、今度道具を持ってくる」
「ええ」
「よろしくね」
 石膏像に下睫毛まで描き足したところで、鉛筆を置いた。
 誰かが、美術室の外にいることに気付いたんだ。そんな主張するように気配ダダ漏れさせなくても分かるっつーに。
「ほんじゃ、俺、行くから」
「……それじゃあ、また」
「白岐ちゃんもたまには教室来いよ?ただでさえうちのクラス、サボり魔が多いんだから」
「あなたも含めて、でしょう?」
「その通りで」
 そう言われちゃえば、肩を竦めるしかない。
 手を振って美術室から出ようとして振り返ると、鼻毛と下睫毛の石膏像と向き合った白岐ちゃんが困ったように首を傾げていた。……ゴメン、白岐ちゃん。
 さて、と。
 それで、そこにいるヤツだよ。
「こーたろーさーん、サボりですか?」
「…………」
 気付いていたのか、とでも言いたげに。寄り掛かっていた壁から身体を離して、俺に向き直った。
「ちょっと過ぎちゃったけどさ、授業出ようぜ」
「…あぁ」
 一体、甲太郎はいつからここにいたのか、そこまでは分かんなかったけど、もし白岐ちゃんとの会話を聞かれてたとしたらちょっとマズい。
 何も言わないから、探りを入れたりはしないけど。
 そう思うと気まずくて、先に立って歩き出したんだ。そしたら、
「白岐は」
「ん?」
「白岐には………」
「……何?」
 重い沈黙。
 白岐ちゃんには、何?白岐ちゃんには人には見えない何かが見えてるんです!って?それとも白岐ちゃんには彼氏がいるからちょかい出さない方がいい!とか?
 まさか、白岐ちゃんにはぺらぺら何でも話しやがって……は、無いだろうけど。
「…何でもねぇ」
「あ、そ。」
 歯に物挟まった感じが気になるけど?
 気にすると絶対墓穴を掘るから、黙って、先を歩き続けた。少し後ろを、硬質な雰囲気が付いてくるのは分かっていた。
 分かっていたから、振り向けないまま、授業中の教室に戻った。