風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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6th.Discovery Brew - 撃剣の行方 -

 拙者が生きてきた人生は、決して長いとは言えぬ。されどその中でも様々な経験、修行を積み、他の者とは画した生き方を選んできた自負はある。
 だが、まだまだ甘かった。
 拙者は、斯様に不可思議な存在を今の今まで知るよしもなかったのだ。
 葉佩九龍。
 今、まさに拙者と剣を合わせている男の目の昏さといったら、どうだ?人の闇、そんなものは飽くほど見てきたと思ってきたが、葉佩のそれは何物とも言い難い。
 眼の力に、知らず惹き込まれていた拙者の意識は、竹刀の爆ぜる音で戻ってきた。
「余所見はいけんよ?」
 衝撃で離れた葉佩が、竹刀を構えたまま笑っている。真剣勝負の最中に笑うとは何事か、そのようなことを思っても口に出すことができぬままに、竹刀を構え直した。

*  *  *


「仕切直し、さしてください」
 葉佩が参びいの教室に入るなり拙者に頭を下げてきたのが、今日の昼休みのことだ。
 遺跡では葉佩が現れなかったために決着は持ち越しとなっていた。だが、既に拙者には葉佩との戦いに命を懸ける故はなく、何より、誰かを手に掛けるということを躊躇いそうに思えた。
 しかし、葉佩はそれで良いと言う。
「純粋にね、ガチンコでやりたいんだ。約束破っておいて悪いんだけど、一戦でいいんだ。俺と、やんない?」
 約束を違えた理由は聞いていた。雛川教師が何者かに拐かされたというのは事実であるようだ。拙者の元へ参った女子――――七瀬殿が言う通り、葉佩は漢としての体面などよりも人命を尊んじた。結果として、こうして拙者に頭を下げてまで再戦を申し出ている。
 その時に、分かった。
 葉佩もまた、戦いに生きる者なのだと。
 さもなくばあの日に見せた眼などできるはずもない。
 だが、清廉な剣の道を歩んできた者とも違う昏さは、忘れることなどできないであろう。葉佩は、剣に強さの意味など見出してはいない。戦いの意味も拙者とは違う。
 七瀬殿の言葉を思い出しながら、再戦の願いに、頷いていた。

*  *  *

 間合いを開けた状態から、葉佩の様子を見遣る。
 締まり無く笑っているように見えて、その実、この男は真剣そのものだ。笑みを作ることで身体から余分な力が抜け、自身の間合いと拍を確実に物にしている。
 葉佩の剣は、まるで陽炎か幻惑か。力押しの剣では勝てぬ、そう、突き付けられた心持ちがした。暖簾に腕押し、柳に風。剣道と言うにはあまりに収まらぬ奇抜な動作で翻弄し、気が付けば懐に飛び込まれている。技量による間合いの取り合いを得手としている拙者にとっては、この上なく戦り辛い相手と言えた。
「やるな…葉佩」
「そりゃ、ちょっとぐらいできなきゃつまんないっしょ?」
 一見するとまるで邪気のなさそうな笑顔で、しかし構えは解かない。爪先で道場の床を刻むように叩く動作の後、何の前触れもなく飛び込んできた。
 辛うじて一閃を受け止め、力での押し合いになる。さすれば体躯の華奢な葉佩は分が悪い。小柄なために体勢の面でも条件は悪いはず。上から押し付けると僅かに顔を歪めたが、刹那、その姿が消えた。
 押していたものが無くなり踏鞴を踏んだ拙者に、右手方向から打ち上げられる剣。後方に跳びすさることで拙者の剣から逃げた葉佩の反撃であった。辛うじて反応し、右の手一本で竹刀を止める。
 速さを存分に活かした戦法は、どこか七瀬殿を思い起こさせる。彼女もまた、様々な策を弄して、自身の不利をものともせずに拙者に勝ったのだ。あの時ほど自分の未熟さに恥じ入ったことはない。色仕掛け、奇策、七瀬殿の動きのひとつひとつに動揺し、敗けた挙げ句に現れた《墓守》から守ってもらうなど……男子としてあるまじき姿だ。その上、宝であった手紙まで我が手に取り戻してくれたとなれば、どうして力を認めずと言えよう?
 武人たるもの、勝つためには相手の弱みに付け込むくらいの心意気でなければいけないのだと教えられた気がした。勿論、拙者は正々堂々、正面から闘うことに拘りを持っているが、七瀬殿や葉佩は、正反対の考えを持っているのだ。
 強さの計り合いではない戦い。戯れではなく、生きるが為に命を懸ける戦い。その身を置くにはなんと過酷なのか。思い返せば、拙者はそのような戦いをしたことはなかった。強くなるため、そして、強さの意味を知るための剣、それのみ…。
 そして、拙者は七瀬殿に敗けた。
 戦いの後に七瀬殿が拙者に掛けた言葉。

『私は戦う意味を持っています。護りたい人、待っていてくれる人、その人たちにもう一度会いたいから戦うことができたのです』

 拙者には、果たしてそのような人間がいただろうか?命を賭しても構わない、そう思える相手がいるだろうか?
 葉佩には、護りたい誰かが、いるというのだろうか?
 目の前の男は、笑いを収めてただ真摯に拙者を見詰める。眼が、もしも物を語るとしたら「殺してやる」とでも言いそうな、凶暴で粗野な眼差しだ。野に放たれた野獣は、人を喰らうときに斯様な眼をするのだろうか、そう思わずにはいられなくなる。
 唐突に、その眼差しが酷く好きだと思った。七瀬殿によく似た、高い熱を孕んだ眼を見れば、言葉なぞなくとも通じ合うことができる。
 そのような相手とこうして剣を交わらせていることが、この上ない幸福に思えた。
「……拙者は、お主を戦う意味にしたい」
 口に出した途端、葉佩の表情が緩んだ。呆けたような面構えに戻り、それから泡を食ったように間合いを開けた。
「お、お前ね、イキナリ何だよ、そりゃ」
「思ったことを言ったまで。深い意味はない」
「…イヤ、言葉そのものが深いよ?」
 緊張の糸が解けたのか、顔を仄かに染め上げて頭を掻いている。
「お主のような強い相手と、また戦いたい。そのためには拙者も葉佩も健在でなければならぬ。お主がまた、遺跡を進むというならば拙者はお主を護ることを厭わぬだろう」
 竹刀を構えたまま告げると、葉佩は、竹刀で自らの肩を叩いて溜め息を吐いた。
「何だよ、そういう意味か、べっくらいこいたー。変な意味で取っちゃったじゃん」
「???」
「唐突だよなー、真里ヤンて。やっぱイノシシ君だわ」
 ……拙者は人間だが?
 首を傾げると、葉佩は「気にせんでいいよ」と言う。訳が解らん。
「でもさー、真里野?」
「何だ」
「また、戦いたいって言うけど、これだってまだ、終わってねーぜ?」
 そうしてまた、葉佩は凄艶で凶悪な笑みを浮かべた。
 七瀬殿とは似ても似つかぬ容なのだがどうしてか、拙者はその笑みに見惚れる。そうして葉佩の霜剣を待ち受けながら、心が震えるのを感じるのだ。

End...