風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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6th.Discovery 時をかける少女 - 3 -

 階段を降りていくと、何だか騒がしい集団がバタバタと目の前を通り過ぎていくのが見えた。
 …まぁだツチノコ騒ぎですか。
 正直、さすがにツチノコはねぇだろうと思ってる俺としては、精々頑張って、くらいにしか思えない。
 でも、こうやって馬鹿なことに敏感に反応して行動できるのが高校生、ってヤツなのかね?俺もここで「ツチノコー!!」つって突っ走れればいいんだけど。そうならないのはやっぱり、高校生に成り切れてないせいなのかもしれない。
 甲太郎に授業出ろよ、とか言っておいてアレだけど今日はどうにも、授業に出るなモードらしい。ていってもこれで保健室なんか直行したらルイ先生に喝入れられそうだから、図書館でサボり倒そうかな。
 七瀬ちゃんに言えば書庫室の鍵も貸してもらえるし、歴史はお勉強しておいて、損はねーだろ。
 決定。今日はサボリ王になる。
 階段を一つ飛ばしにして、廊下を抜けて、図書館の前まで来たときに、対面の音楽室に人がいるのが見えた。あのシルエットは、たぶん、取手。
「譜面を書くのに使っていた、愛用の羽ペンを折ってしまったんだ…」
 声をかけると、何やら困ったように苦笑したから、何かと思ったらそんなこと。
 てか、譜面て羽ペンで書くんだ、へー。
「代わりのペンを作ろうと思ってるんだけど、なかなかいいものがなくて困ってるんだよ。もし《羽》を手に入れていたら、一枚でいいから譲っては貰えないかな?」
「羽…ったって、俺もこんなんしか持ってないけど」
 屋上で拾った長い鳥の羽を取り出すと、途端に取手の表情が軟化する。どうやら、使っていただけそうで。
「うん、手頃な大きさだし、丈夫そうないい《羽》だ。ありがとう、九龍君」
「イエイエ、お役に立てればそれで」
「お礼を言ってはなんだけど、よかったらこれを貰ってくれるかい?」
 嬉しそうに、取手が取りだしたのは……マスクぅ?うん、マスク。虎のマスク。
 冗談かとも思ったんだけど、あんまりな笑顔を見て、本気だって気が付いた。ならば、被って見せましょ?
「ど?似合う?」
「うん、とっても似合ってるよ!」
 うわぁ、何だか褒められてる気がしねぇ!でも、ま、似合ってるって言うんならありがたくいただいておくことにしましょ。
「サンキュな。大事に被るよ」
「ううん、こっちこそ。ありがとうね。新しいペンで書いた新曲、是非君に聴いてもらいたいな」
「……うん。聴かせてやって」
 取手の眼が、俺を見る目が眩しすぎて、直視すら出来なくなりそうで。マスクを被ったままくるりと回れ右。そのまま出て行こうとすると、腕だけが取り残された。
 掴まれた腕を振り解くわけにもいかなくて、振り返ると今度は、さっき甲太郎が見せたみたいな表情とぶつかった。
「九龍君…、あの、」
「ん?」
「いや、何だか、元気がないような気がして…気のせいなら、いいんだけど」
「気のせいだよ」
 気のせいじゃなきゃ、困るよ。
「いつも通りだよ、俺は。どっか、変?」
「いや……そういうわけじゃ、ないんだけど」
「だしょ?んじゃ、俺、午後サボりの子だから。取手もそろそろ昼休み終わるよ?」
「…うん」
 ほぼ無理矢理に納得させて、マスクを被ってるのをいいことに、にこりとも笑わず、俺は音楽室を後にした。マスク、確かに楽かも。笑わなくったって、いいんだもんよ。
 そんな不届きなことを考えて、今度は図書室の扉を開ける。一瞬、視線が集まるのを感じるけど当然だよな、頭、虎ですもん。そのうち七不思議にカウントされたりしてね『怪奇・虎男』みたいに。
 視線は全て無視しくさって、七瀬ちゃんを探す。姿が見当たらないけど…大体この時間は図書室にいる、はず、っと、
 見っつけた。
「変ね…確かこの辺りに……」
「七瀬っちゃーん」
「きゃあッ!」
 カウンターの中で屈んでいた七瀬ちゃんは、振り返って見た俺の姿にビビったらしくて、口元に手を当ててその場に尻餅。図書室ではお静かに、って言ってる彼女が大きな声を上げるのも珍しいやね。
「あー、ごめん、驚いた?オレオレ」
「は、葉佩、さん?」
「イエス、マム、俺です」
 気の抜けた敬礼を見て、ようやく七瀬ちゃんは笑ってくれた。良かった。
「…どうしたんですか?その格好は…」
「聞かないでプリーズ。そっちは?なんか、探しモンだった?」
「ええ。実は最近図書室の備品が頻繁に消えるんです」
 ……ギクっ…。
「今も、なくなってしまったものを探していたところで……」
 ……へ、へーぇ。
「ついこの間まで、確かあの棚に入っていたはずなのに、一体どこへ行ってしまったのかしら…」
「あ、あの、さぁ。それって、こーんなものだったり、しない?」
「あッ……、これですッ!私が探していたのは!」
 これ、とは。何本ものボールペンだったりして。
「ありがとう、葉佩さん。これで図書委員としての務めを果たせました。たいしたものではありませんが、これはほんのお礼です」
「えッ…いや、これは、その…」
「あなたが見つけてくれて本当に良かった。ふぅ…これからは、もっと管理体制をしっかりしていかなければ」
 七瀬ちゃんは、ボールペンを図書室から持ち出した本人にお礼を言うばかりかプリンまで渡してくれちゃって。
 目の前にいるの、犯人ですよ?なんて、言い出したりはしないけど。
「あのー、それでですね、書庫室の鍵を、貸していただきたいんですが」
「分かりました。今日は放課後、書庫室の整理をするので開けっぱなしにしておきますから。えっと、昼休み中だけ、ですか?」
「いんや、午後一杯」
「そう言うと思ってました。私はまた放課後に来ますから。それまではどうぞ」
 七瀬ちゃんは書庫室の鍵を開けると、それをポケットに入れて図書室から出て行った。
 最近は、結構こういうことになってる。七瀬ちゃんにはどうやら半分ほど正体がバレてるみたいで、すごく協力的なんだわ。この際、全部話して協力してもらうのも良いかなーって、思ったり。
「さて、と」
 書庫室の床に座り込んで、この間調べてた本を引っ張り出した。図書室のボールペンは、実はこうやって書庫室に籠もるとき、メモを取るのに使ったのを何度か持ち出しちゃって、そのまま忘れてたもの。今日も多分使うけど、ちゃんと戻さないとなー。
 本を読み始めてすぐ、視界が狭いことに気が付いた。そういや、マスクしっぱなしだったんだっけ。
 読書には不便だけど、あると楽っていえば楽かもしんない。
 いっそ、これをずっと被ったままで生活できたら楽なんじゃないかって思う。いつも、オールウェイズにこにこしてるってのは、正直結構しんどい。凹んだ後だと余計に笑ってる精神状態にないしね。
 うーん、俺、たぶん工作員とか向かないタイプなんだろうなぁ。最近になって、自分の感情の波がかなり荒っぽいってことに気が付いちゃった。
 昔は―――それでもまだ、表面だけは必死に揺れないようにって気張ってたっけ。その代わり性格キツくて人との折り合いがつけらんないから、人間関係はいっつも硬化してたよな。
 今、こうして猫被ってアンダーカバーやってると、外面がいいっていうことが如何に物事を上手く運ぶのに必要かっていうのが分かる。俺が、俺のまんまじゃ絶対に人間の輪から孤立しそうだもんよ。
 ……それはそれで、良かったのかもしれないのに、今じゃもう、周りにいる人たちが離れてったら嫌だって、それくらいにまで思うようになってる。この場所が、特別な場所になり始めてる。
 要因の一端は、たぶん學園の謎とか呪いとか、そういう秘密めいた何かがあるからなんだろうけど、それ以上に。
 皆守甲太郎、だろうなぁ…。
 あの「おかえり」はちょっと、強烈だった。ここに帰ってきてもいいって、居場所があるんだって、言われた気がした。
 ここ最近根無し草状態だった人間からしてみれば、迎えてくれる人がいるっていう、そのことだけで帰ってこようって、何があっても戻ろうって、そう思うことができる。
 まさか甲太郎が、そんなことまで考えてたとは思わない。留守番してた、で、俺が帰ってきたから声をかけたって、それくらいのことなんだろうけど、あれだけで俺は、甲太郎の傍にいられたらいいって、思うようになっちゃうんだ。
 でも、隣にいるには、素のままの俺じゃダメだって、さっき言われた気がした。
 だよなぁ……俺だって、俺なんか、ヤだもんよ。
「あーあ…」
 ほこりだらけの床に寝っ転がって、天井を見上げる。今地震が起きたら、確実に大量の本で圧死できるね。本に埋もれて死ぬよりは腹上死の方が楽しそうだよなー。
『圧死?ヤダよ、んな間抜けな死に方!死に様は格好良くいくの!!そう決めてんの!!』
 って、あいつなら言うかもしんない。
『要は死ぬか死なないかで、死に方は問題じゃねぇだろ』
 って、俺なら言ってたかもしんない。
 友達にするなら、絶対前者を選ぶだろうから、俺はそれのフリをする。
 だから、みんなから選ばれてるようで、実は選ばれてないのが、俺。本性出したら、誰もが俺から離れていく気がする。だから、このままでいるしか、ないんだよな。
 ポケットから、持ち歩いてたラブレターを引っ張り出した。
 これを書いた子は、どんな気持ちで書いたんだろ?手紙を書くって、たぶんすごい勇気だと思う。字に書くと、否が応にも自分の想いと向き合わなくちゃならなくなるし。それで書いたのに、渡した相手は周りを騙くらかして学生やってるインチキ高校生だって知ったら、どう思うんだろ。
 バレなければいいことだし、あと数ヶ月なら、周りを欺ける自信はある。
 でも、……皆守甲太郎に関わってると…もっと言えば隣にいると、どうにも堪らなくなる。
 そこでそうやって笑ってるのは、俺だけど、俺じゃないんだよって。
 俺を見てよ、俺を受け容れてよ、って。
 何でそんなこと思うのかは、全然、分かんないんだけど。

*  *  *

 いつの間にか、床に寝そべってたまま本当に寝てたみたいだ。
 H.A.N.Tで時間を確認すると、もうすぐ五限が終わる。ヤベ、何にもやんないまま……不毛な数時間だったなぁ。鍵、折角開けてもらったのに七瀬ちゃんに悪いコトしちゃったかも。
 そういや、七瀬ちゃんが鍵閉めに来るんだよな?俺、ここにいなきゃ拙いかな。六限が終わった後に慌ただしく鞄とかそういう荷物は取りに戻ってると下校時間過ぎちゃうんだよな。どうしよ、人が出入りしたりする前にさっさと荷物を持って来ちゃった方がいいかもしんない。
 書庫室を出て、階段に差し掛かったときに丁度、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。急がないと。二段抜かしで階段を駆け上がって、その踊り場で、廊下から聞こえる「ツチノコー!」って騒ぎの喧噪と、上から降りてくる着流し姿を確認した。
「ふッ」
 真里野剣介は、俺を視界に入れると、口角を上げた。
「ども。おはようございやす」
「先刻は邪魔が入ったな。拙者の用件は、簡単至極。先刻も言ったと思うが、今宵、《墓》の奥にて手合わせを願いたいのだ」
「おてての皺と皺を合わせて手合わせ~……って、ゴメン、嘘。そんな睨むなよー」
 真里野クン、どうやらあんまり冗談は好きでないらしい。さっきも怒られたっけ。
「……お主の噂を聞いたのだが…、些か真偽のほどが危うい気がしてきたな…」
「ヤーだよぉ、大丈夫、俺ちゃんと葉佩九龍だから。きっちり《執行委員》をぶっ飛ばしてきましたあるよ」
「…まぁよい。もし、お主の腕前が噂通り、本物であるならば、待ち受ける化人と罠を越えて拙者の元まで辿り着ける筈」
 つまり今まで通り、ってことだよな?墓に潜って、化人を倒して、扉の鍵になってる執行委員をシバく。
「どうかな?拙者の申し出を受けて貰えぬか?」
「こうも正々堂々と喧嘩売られたんなら、借金してでも買わなきゃ漢が廃るってモンでしょ。いいぜぇ、きっちり、ぶっ飛ばさせてもらいましょ」
「自信があるということか?」
 真里野の顔、滅茶苦茶楽しそう。今までにも何人か「戦闘狂」ってのにぶつかったことはあるけど、こんなに純粋に勝負を挑んできたヤツは初めてかもしんない。
 こっちもちょっとだけ楽しくなってきたんだけど、ヤツが腰に下げてる得物を見て、大変なことに気が付いた。
「あッ!でもさ、俺、剣道とかって授業でしかやったことねーぜ?その、今までだって飛び道具使ってたし、近接戦は専ら格闘専門だし」
「ふッ、斯様なことは気にすることでもござらん。拙者は剣のみでしか戦うことを知らぬが、それ故相手が剣でなくとも引けを取ることはない」
「ほー、そいつは楽しみ。了解了解」
「では、今宵、暮六ツ半―――夜の七時に《墓》の奥で待っておる。別に、仲間を連れてきても構わぬぞ?」
 あ、そっか。バディのことがあるんだ…。最近は一人で潜ろうとすると必殺お母ちゃん甲太郎が怒るし、だったら誰かと一緒にっていう選択肢もあるわけだ。そうなったとしても、こいつとはきっと一対一でやることになるだろうから、端で見ててもらお。
 負ける気?んな、勝負する前から負けたつもりになるヤツに、勝機はないよ。
 これ、誰かさんの受け売りだけど。
「これは、死合い故、お互い正々堂々と悔いの残らぬように遣り合おうではないか」
「死合い、ねぇ。……なぁ」
「何だ」
「お前は、俺のことぶっ倒せる自信、ある?」
「無論だ」
「なら……殺せる?俺のこと」
 それは試合じゃなくてきっと、殺死合い。死合うんなら、当然。死っていうのは安易に使っちゃいけない代わりに、使ったときには相応の覚悟が要る。戦って、勝敗が決したその後。
「俺は、そういう言葉を使われたら、容赦とか、できないし、しないつもりだ。死んでから、文句は言うなよ?」
 踊り場に立つ、俺より頭一つ分ほど背の高い真里野を、睨むように見上げた。隻眼とぶつかって、その眼が、少しだけ挑戦的に彩られる。
「…いい目だ」
「は?」
「人斬りの眼だ。決したら最後、容赦をしない修羅の眼だ。お主、普段の腑抜けた演技より、今の様相の方が数段、似合っておる」
 それでは、御免。
 立ちつくしたままの俺の横をすり抜けて、真里野は音もなく階段を降りていった。
「……演技、だと?」
 それって、見透かされてたってことか?
 あいつと会って、話して、その数分で?まさか。そんなはずない、よな?って、問いかけようとしてももう、ヤツは見えなくなっていて。呆然と去っていった方向を見ながら立ちつくすことしかできない俺の背中に、声をかけた誰か。
「九龍クンッ」
 振り返るまでもなく、そこにいたのは八千穂ちゃん。軽快に階段を降りてくる。
「どしたの?真剣な顔しちゃって」
「ん、ちょっとね」
「あッ、分かった。もしかして、あれでしょ?ツチノコのこと考えてたとか?」
「あはは、そうそう、そのとーり」
「やっぱりね。きっとそうなんじゃないかって思ってたんだ」
 そっか、残念ながら大外れだったりするけど。そういやツチノコのことなんか、綺麗サッパリ頭から抜けてたよ。
「月魅や皆守クンは止めておけって言うけど、捕まえないまでも見てみたいよね~。何てったって、謎の生物だし……。謎を知りたいと思うのは、人間の本能だと、」
「思わない。」
 そんなこと、思わない。俺は、何も、知りたくない。
「……違うの?九龍クンだってそう思うから、あの遺跡を探索してるんだって思ってた」
「違うよ、仕事だから」
「そんな…」
「なんて、ね。んな深刻な顔しないでよジョーダン…」
 だから、気にしないで?という作り笑いを吹っ飛ばすかのような怒号が響いてきたのは、その時。
「泥棒だァァァッ!!」
「えッ!?」
 咄嗟に振り返った俺の目の前に、誰かが階段から飛び降りて、着地した。
「そいつ、ウチの教師じゃないぜッ!!」
「え?えぇ!?」
「ハロー、ちょっとゴメンよ、お嬢ちゃん」
「きゃッ!」
 八千穂ちゃんが突き飛ばされたのを見て、俺は咄嗟にその人の肩とおぼしき場所を掴み、脇腹に拳を入れてねじ上げ……ようとした。
 けれど、一瞬で締めは解かれて、逃げられた。
 しかも油断していた俺は、逆に背中から踊り場に叩き付けられる。意地で掴んだままだった腕のせいで、その人も俺に向かって振ってきた。
「くッ…!!」
 (何だ、こいつ…!)
 なんて。思うより早く正体が分かった。
「おいおい、随分と手荒いな、って、ん?少年、君はいつぞやの――――、」
 見覚えがあるとか無いとか?声を掛ける前に、別の声が追っかけてきてたんだけど。
「おいッ、こっちだッ、階段を降りてったぞ!」
「まッ、マズイ!!じゃあな、少年。バーイッ」
 泥棒呼ばわりされてる自称宇宙刑事アムロさんは、いとも簡単に俺を振り払うと、投げキッスを一発、階段を飛び降りた。
「そいつを逃がすなッ!!」
「……チッ」
 あの人が捕まって、色々がややこしくなる前にさっさと拿捕しちまえ。
「葉佩クンッ!!」
 八千穂ちゃんの声を置き去りに、俺は目の端に捕らえた廊下に逃げるアムロさんの姿を追い始めていた。
 階段を半ばまで一気に飛び降り、更に残りを飛び越す。上から何やら声が挙がったけど、そんなものは無視。廊下の向こうに走り去っていくアムロさんを、ひたすらに追った。
 速い。俺だって、『高校生』にしちゃ走力はあるほうだ、ありすぎるほどに。でも、アムロさんは半端なく、速い。下手したら追いつけない。
 仕方なく廊下を往く生徒にぶつからないよう、身体を低くしてすり抜けるように全力疾走して、ようやく、背中が近くなってきた。
 そう、もう少しで追いつく、はずだった。
「ええっと、まずはD組から本を回収して……、」
「ッ………!!」
 そこは図書室だった。そして、出てきた七瀬ちゃん。突然のことに、止まることも、避けることすらできなかった。
 できることといえば、激突した七瀬ちゃんの頭を抱え込んで、抱きとめるように転がるだけ。
 瞬間、背中と頭にもの凄い衝撃が来た。
 モロに、正面衝突だっての!クソッ…頭、くらくらする…っつ~、ヤベ、どっか、傷めた、かも…。
 身体の状況確認ができないほど、俺の意識は朦朧としていた。ふわふわと浮いたり沈んだりする感覚の中で、それでも手探りで、七瀬ちゃんの身体を確かめようとする。
 手に触れた。本を抱えた手?いや、違う…?七瀬ちゃん、だよな?
 大変なミスをしたらしく、何故か七瀬ちゃんは俺の下にいるようだった。さっき、酷く頭が痛んだはずだったんだけど……今は、そうでもない。
「ちょっと、大丈夫、二人とも?
 あ~!!逃げられちゃうッ!!九龍クン、いつまでも倒れてないで―――月魅はあたしが見てるから早くあいつを追いかけてッ!!」
 八千穂ちゃんの檄になんとか身体を起こして、額に手を当てる。どうやら、動けるようだ。すぐさま立ち上がって眩暈も起こらないことを確認して走り出そうとしたとき、足下にH.A.N.Tが転がってるのが見えた。手早く拾って、さっきアムロさんが逃げていった廊下の向こうへ、走った。