風云-fengyun-

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6th.Discovery 時をかける少女 - 7 -

 化人創成の間は静まりかえっていた。人の気配もない。なのに、暗がりからは、声。
「む……」
 真里野だ。細長くなってるらしい区画の、俺が入ってきた場所より少し離れたところに胡座をかいているのが微かに見えた。七瀬ちゃんの身体は、当然の如く闇に慣れてたりしないから目を凝らして必死に見ないと確認できなかったけど。
 何だか瞑想してたって感じなんだけど、どうやら俺の姿に気付いたらしい。
「お主は、確か葉佩と共におった……」
 名乗ろうかとも思ったけど、その前に聞いておかなきゃならないことがあるんだ。
「ひとつ、お聞かせ願えますか?」
「何だ」
「雛川先生は、今どこに…?」
 静かすぎる部屋の中、七瀬ちゃんが大声を出さなくても真里野には聞こえたらしい。身動ぐ気配と、次いで、返事。
「雛川だと?」
「はい。あなたは葉佩さんの携帯ツールに、彼が逃げないように雛川先生を拐かしたという内容のメールを送ったと聞いてます」
「拙者は、葉佩に文など送ってはおらぬ。それに、そのような者を、何故拙者が斯様な場所に連れて来なければならぬのだ?」
 言葉が揺れない、ということは、嘘を吐いてるわけではない?それに、まさかこんな所にとも思うけど、雛川センセの姿も見えない。
「拙者は正々堂々と葉佩と死合いをするためにここにいる」
「そうですか」
 今は七瀬ちゃんだとしても、誰かしら来たのに人質の話をしないってのもおかしい。サムライ真里野、白ですか。てことは、あのメールは誰が?何のために?
 俺が少しの間考え込んでいると、真里野の咳払いが聞こえた。
「そのような事よりも、何故、お主がここに」
「あ…えっと、そのメールが届いてから雛川先生の姿が見えなくなったので、葉佩さんは先生を捜しています。それで……あの、私…」
 まさか「私が入れ替わりました」なんて言えるはずもなく言い淀んでいると、
「言わずとも拙者には分かる。彼奴に命じられたのであろう」
「……ハイ?」
「女子の色仕掛けで拙者を懐柔しようとするとは、葉佩九龍め――――、男子の風上にも置けぬ輩よ」
 え、えーっと…甚だ勘違い?な、七瀬ちゃんで色仕掛けか、こりゃまた、何とも古風な路線というか何というか……アサルトベストにハンドガンでどこをどうやったら色仕掛けに見えるんだろう…。
 それに、色仕掛けすんならもっとすごいの、あ、朱堂けしかけたりとか、そっちの方が効くと思うんだけどなぁ。
「ふ……お主に恨みはないが、女子といえど、この《墓》に入り込む者は斬らねばならぬ。それが、《生徒会執行委員》たる者の務めだ。許せ……」
「嫌です♪」
 冗談でにぃっこり、笑ってみせると、真里野が動揺するのが気配で分かる。つーか、この男、分かり易すぎ。絶対童貞だろ、お前。
「うッ……、そのような笑顔を向けられたら拙者は……、」
 色仕掛け、成功ですか?真里野さん…。俺はあなたのこれからが心配ですよ。七瀬ちゃんならともかく、変な女にホイホイ付いてっちゃったりしないでね?
「くッ、葉佩……、このような策を女子に強要するとは……」
「別段、強要というわけではないのですが…」
 言ってみたものの、全ッ然、聞こえてないみたいですね、声の大きさではなくて、ハイ。こいつ、もしかしたら思いこんだら一直線のとんでもないイノシシ君かもしれない。いいなー、純情って。素敵。
 したら、我に返ったらしい真里野が、首を犬っころのように振って、邪念退散。
「仕方あるまい、死ぬ前に教えてやろう。拙者の剣は《原子刀》という―――」
 真里野が、腰から木刀を引き抜く。仕込み、か?ただの木刀にしか見えないが。
「右目は見えねど、この左目は万物を流れる脈の《緩み》を視る事ができる」
「マジ!?…じゃない、本当ですか…」
 すげぇ!直死の魔眼だ!本物だー!今度、甲太郎と真里野を並べてカレー先輩と志貴とかってやってみよ!
 なんて阿呆いこと考えてる間に、真里野の説明はあらかた終わっていた。悪い、微妙に聞いてなかった。
「つまり、拙者の剣は次元を引き裂いて斬る剣術。斬られても痛みなど感じる間もない故、安心すると良い」
 よく分かんなかったけど、似たような原理のを(とあるゲームで)見た事あるから大体分かる。こいつが狙ってくるのはいわゆる人体急所とかじゃなくて、一点とか一線なんだろ?そこを崩すと、ルイ先生の言う《氣》が崩れて、存在が存在として保てなくなる。だから、何があってもあいつが狙ったところだけは斬らせちゃいけない。
 要点を頭の中で整理しながら、真里野を見据える。あいつから見る七瀬ちゃんは、たぶん「余裕」って顔してんだろうなぁ。ヤ、実は全然余裕じゃないけどね。
「では、そろそろ覚悟は良いか?お主には、ここで死んでもらう――――」
「お相手、仕ります」
 突然張りつめた空気に、俺は、背中から得物を引き抜いて構えた。
 それが何か見えてるらしい真里野は一瞬呆けて、その直後、言葉を失うほどに、ぷっつん。
 当然だよな、七瀬ちゃんが構えてるのって、プールで拾ってきたただのモップだもんよ。
「そのような得物で拙者と死合うなど……お主、拙者を愚弄する気かッ!」
「いいえ。この細腕では太刀を振り回すことなどできません。これが、私に最も適した得物……それとも、今更になって女子は相手にできぬと言うおつもりですか?」
 モップを構えて格好付けても格好付かないのは、分かってますが。しょうがねーじゃん!バット振っただけでこっちがふらつくんだもんよ。それに、身体が七瀬ちゃんだとしても、なめられるのは好きではなくてよ?なぁんて、口角を釣り上げてみちゃったりして。
 でも、真里野が激昂してくれるのはありがたい。少しでも流れがこっちに傾いてくれないと、この身体じゃ勝てる気がしねぇもんな。
「くッ……後で後悔しても知らぬぞ」
「結構です。そちらこそ、あまり女を甘く見ないことですね」
 口八丁炸裂。少しでも余裕ぶって見せないと、ね。
 って、お互い格好付けたところに。
『まぁ、たぁいへ~ん。ほら、早く準備してぇ』
「……………今のは?」
「……………お気になさらず」
 戦闘区画、展開を告げてくれるのは良いんですけどね、H.A.N.Tちゃん…。これじゃ、真里野が黙りたくなる気持ち、分かるわ。俺だって黙り込みたいもんよ…ごめんね、真里野、こんなおまけが付いてきちゃって。
 俺も、大概力が抜けちゃって、ぐったりしてたらいきなり目の前に蜘蛛襲来。ハンドガンはこいつら雑魚のために持ってきたから、迷わず引き抜く。ダブルハンド・シュート・スタンディング。いつもは片手撃ちだけど、今日はがっちり両手撃ち。関節外したくないもんね。
 すぐそこにいた一匹、それから近付いてきた一匹を急所狙いの狙撃で倒し、前からがさごそやってくるのは団体さん。それは、吹っ飛んでもらいましょう!
 ガスHGを連続でほん投げて、『イッちゃった』という殲滅ナビゲーションの後、爆煙の向こうから真里野が、ゆっくりと近付いてきた。さっきと比べるとかなりの至近距離で、表情までよく見える。
「お主、やりおる…」
「この程度で感心していただいては」
「……ならば、いざ尋常に、勝負!」
「七瀬月魅、推して参る!」
 カチャリ、と。時代劇でサムライが刃を返すときのような音が響いた。それが本当の開戦の合図だった。
 間合いを計るため、お互いに得物を降ろして構える。
 うぉ、隙がねぇ!見事だね、こりゃ。背中にヤな汗かいてるよ、マジで。
 一瞬でも気を抜いたら、間違いなく突っ込んでこられるのは分かってた。それを避けられるだけの反射能力がこの身体に備わってない事も。なら、隙を作って、こっちから突貫、あるのみ!
『あなたも早く動いて~』
 静かな部屋に響き渡るH.A.N.Tの空々しいナビゲーションを合図に、俺は一瞬動きの止まった真里野の懐に飛び込んだ。
 それを振り払おうとした原子刀を、小手を叩く事で回避し、そのまま顎にモップの柄を叩き込もうとした、が。真里野の左手で阻止され、逆にモップを掴まれ、大ピンチ。至近距離過ぎて真里野も長さのある原子刀を振り切れないみたいだけど……うわぁ、密着?
 つーか、真里野さん、お顔が真っ赤です。
「大丈、夫…です、か?心臓、ドキドキ、いってますけど?」
 荒れた息で精一杯笑ってみせると、真里野は慌てたようにモップの柄を放して飛び退いた。……こいつに勝つなら、やっぱ色仕掛けとかが一番有効なんだろうなぁ。
 俺は、距離が離れたついでにアサルトベストを脱ぎ捨てた。自殺行為?まさか。たぶん、こっちのが効果、あるだろ。
 スカーフを抜いて首元を緩めると、再度モップを構え直した。七瀬ちゃん、元が可愛くてナイスバディだからね。こういうことは、利用しないと。
「お、お主、何を考えて…」
「こちらの方が動きやすいだけです。お気になさらず」
 気にしてほしい、ってのが本音だけどな。もち、口には出さずにモップを構え、再度飛び込む。薙いでくる一振りを伏臥で避け、身体を跳ね上げる勢いそのままに今度はみぞおちに振り入れた。防御が遅れた上に、真里野の武装は武装とも言えないため、もろに入った手応え。
 ただ、今の俺は非力で、真里野も小さく呻きはしたものの、大ダメージってわけにはいかないようだ。
 怯むことなく振り下ろされた原子刀は、しかし、七瀬ちゃんの細腕が、片手一本で止める。
 掌からは、細い血の筋が流れてくるけれど、痛みは、大したものではない。原子刀を振った真里野は、驚いたように七瀬ちゃんを見下ろしていた。
 七瀬ちゃんは、小さく、微笑む。
「緩みを斬る事ができれば、確かに万物は崩れてしまうでしょう。しかし、緩みとずれたところを打っても、効果は低い……違いますか?」
 図星、デショ。俺、知ってるもんね、直死の魔眼、そのカラクリ。その緩みを見る目、お前の専売特許じゃないんだぞー。
 クスリと、七瀬ちゃんは七瀬ちゃんらしからぬ笑いを浮かべる。視線のさまよった純情真里野君の腕から原子刀を蹴り落とし、詰まった間合いで一突き、二突き。真里野はどうやら体捌きもかなりのものらしく、なかなか急所を狙うことができない。
 けど、密着した瞬間、真里野の目がある一点に注がれた。身長差から、否応なしに目に入るであろう、スカーフを抜いた、胸元。
「……エッチ」
「なッ!な、いや、せ、拙者は断じて、そんな、破廉恥な……」
「なぁんて、隙有り!」
 左脇腹に、綺麗にモップが決まる。渾身の一撃に、ようやく真里野の身体が傾いだ。そのまま膝蹴り一発、脚が上がらないから身体ごと倒して首筋に決めて、真里野が転がるのを確認、こっちもバランスを崩しながらもバックステップを踏んだ。
 女の蹴りで吹っ飛ばされた真里野は、と言えば。
 あ、やっぱ七瀬ちゃんの力じゃ無理ですか?よろよろとですが、しっかり立ち上がってます。
 落とした原子刀を掴んで、ゆらりと振り返った真里野は、口から流れる血を拭った。おー、その目、怖いね。真里野、実は男前だから余計に迫力。俺も、負けないように笑顔を返す。
「降参、しますか?」
「するわけがなかろう…!お主をただの女子と侮っていた事は、認めよう。だが真里野剣介、ここで負けるわけにはいかぬッ」
「私とて、負けるわけにはいきません」
「ならば……これで、終わりにする!」
 脇腹のダメージから左手がほぼ使えない状態の真里野、七瀬ちゃんの身体の俺、おそらく、これでようやく五分だ。
 また、間合いの取り合いに入るけど、真里野の殺気はまるで鬼のよう。鬼なんて見たこたぁねーけど、ホント、そんな感じ。でもって、それを目の前にしたら、俺だって黙っちゃいられない。
 背中をバリバリ、静電気が走る感覚を味わいながら、時折当たる刃先の音と振動で間合いを計る。けど、視線だけは真里野から外さない。銃撃戦は、命を懸けためちゃくそ濃厚なラブシーンだっていうけど……これだって、ある意味そうかもしんない。他の事なんて何一つ頭から抜いて、目の前の野郎のしか見えなくなっちゃうんだから。
 気合と気合が、どんどん混ざり合うように濃くなって真里野の方が一瞬早く、我慢できなくなったらしい。モップの柄を走らせるように原子刀が迫ってくる。見る間に削られていくモップ、後数センチで七瀬ちゃんの手……というところで、俺は得物を放した。緩みに沿って滑っていた原子刀が、一瞬バランスを崩し、つんのめる。それを見逃しはしなかった。
 右腕を取って関節を決め、床に叩き付ける。呻いた真里野の右脇に、モップを叩き込んだ。
 脇腹は、人体急所のひとつだ。真里野が人に見えない氣の流れを狙うなら、俺は、真っ向勝負ですよ。これで、両脇潰したはずだ。少しの間は痺れて剣が握れないはず。
「むうッ……」
「勝負、ありましたね」
 真里野の上から退き、アサルトベストを拾おうと踵を返したとき、
「こ、これは……か、身体がッ―――!!」
 振りかえると、真里野の身体から黒い砂が噴出していた。…墓守のこと、すっかり失念。てへ。
 急いでアサルトベストを身につけると、駆け戻って真里野を部屋の隅へと運ぼうとした、が。動かねぇよ、チクショウが!なんとか腕を肩に回させて動こうとするが、力が抜けきった身体ってのはうまく動いてくれない。
『まぁ、たぁいへ~んよ?ほら、早く準備して?』
「分かって、ます…!」
 どうにか一メートルほど進んだところで、担いでいた真里野が目を開けた。
「……七瀬、殿…」
「歩け、ますか?まだ敵が、残って、います。あなたは…そこで、休んでて…」
 意識の戻った真里野が歩く支えになって壁際に座らせると、化人の気配がする部屋の中央へ向かおうとした。その腕を、真里野に掴まれる。
「お主、一人では……拙者も…」
「大丈夫。任せてください。伊達に今まで墓守、倒してきてませんから」
「七瀬殿……?」
 いけね。口が滑った。
 訝しがる真里野に首を竦めて見せて、腕を放そうとしない手の甲に、そっと口付けた。
「大丈夫ですから」
 へろへろだってのに律儀に赤くなった真里野の手を振り切って、俺は近付いてきた蝙蝠をガスHG数発で殲滅させた。それから逆方向に向き直ると、笛の音のような音が近付いてくるのが分かった。ハンドガン、ベレッタに銃弾を装填。
 ボスの姿が見えた。……卵?てっきり話の流れから大穴牟運でも出て来るのかと思ったけど、外れっぽい。まぁ、いいや。どっちにしろ、ぶっ飛ばさなきゃいけないことに変わりはない。
 卵の殻に持っていたガスHGを有りっ丈ぶつけると、物陰に隠れた。しかし、突然強くなった笛の音が、耳を壊すように響いてくる。
「ッ――――!!?」
 鼓膜がイカれて、キーンという耳鳴りが聞こえてきた。同時にバランス感覚がおかしくなる。立ち上がったけど身体がふらつき、真っ直ぐが分からない。大変、耳から血とか出てきたらどうしましょう。
 ごめんね、七瀬ちゃん、とか思いながら、揺らいだ視界の中でベレッタを構える。どうやら大量爆撃のお陰で、あっちも結構いっぱいいっぱいな状況らしい。卵の殻に大きなヒビが入っている。その割れ目を狙って9パラを散らせる。一発一発、撃つたびに跳ね上がる腕を押さえて、残弾ギリギリまで。
 よろめいた卵が黒い砂をまき散らし始める。それが止んだとき、半透明になった卵が床に墜落したけど……音もなく、ただ霧散して消えた。
 後には、一枚の紙切れが残っただけ。俺はそれを拾い上げて、真里野に手渡そうとして……。
 
 ――――それが、この身体での、限界だった。

*  *  *

 真っ白い感覚の中で、俺の意識は浮上した。
 周囲を手探る事もできなくて、ただただ、無重力かと思うような空間の中を浮かぶばかり。ほんの僅かに動かせた腕を見ると……まだ、仮初めの身体のまま。細い腕の、指先すら自由にはならない。
 戻れなかったという軽い失望の中、もしかしたら俺は、この身体のまま死んでしまったのではないかと考える。だとしたら―――七瀬月魅には、悪いことをした。あの身体で、彼女は生きていくことができるだろうか?身体が戻らないことを悲観して、自ら命を捨ててしまうだろうか?
 俺がもし、死んでしまったのなら、それを気にしてももう、仕方がないのだが。
 半ば諦めに似た気持ちで、俺は何かを待っていた。意識が消えることだったのかもしれないし、誰かが引き戻してくれることだったのかもしれない。
 けれど、直後に俺の周りで起こった変化はそのどれでもなく。
 唐突に、仰向けになっていた俺の前に、一人の女が現れたのだ。
『よ。』
「……よ、じゃねぇだろ…」
 ある意味、予想していたとも言えるし、完全な予想外とも言える登場だった。ただ、望んでいたことは確かかもしれない。
『にしても、お前、それ、面白いすぎでしょ。ヤバい、笑いすぎで死なす気?』
「そう言うと思った」
 俺の反応に、ヤツはさらにおかしげに口角を上げた。それから軽く俺の額を叩いてきて、無重力の中を泳ぐように、俺の前へと移動した。
 触れたいと思った。けれど、この身体は、もうほとんど動かない。
 俺は、思っていた疑問を口にする。
「何で、俺だって分かった?」
『そんなナリしてるのに、って?』
「あぁ」
『何でって聞かれると困るけどさ。あたしが、お前さんを見紛うわけないだろう?見てくれが変わっただけじゃ、何にも変われないんだし』
 当然だろう?と、言われて。ああ、そうだ。こいつに限って俺を俺じゃないなんて言うはずがないよな、と思い直した。俺だって、もしこいつが他の誰かと身体が入れ替わったって言ったとしても、こいつがこいつのままなら間違えない自信がある。
「見紛うわけない、か…」
『そ。例え人間じゃなくなったって、あたしは、クロウを見つけられる自信があるぜ?凄いだろ♪』
「そこまでいくと逆に怖い」
 何だと!と眉間に皺を寄せた女は、『可愛くないねぇ、ホントにお前は』と、昔、俺によく言っていたセリフを吐いた。
「可愛げなんて要らないって、言ってるだろ」
『お前さんみたいな無愛想は、少しくらい可愛げがあったほうがいーんだってば』
「……かも、な」
 現に今、可愛げのある葉佩九龍は、甚く評判が良い。そりゃそうだろう。こいつを真似て日常生活を送っていれば、他人から悪意を受ける事は、人格的にはそうないと言っていい。
 俺は微かに、笑ってみせる。それがどうやら、らしくない笑い方だったようで、目の前の女はすぐに不安げな顔付きに戻った。
『……クロウは、クロウのまんまで、いいんじゃねーの?無理して笑ったり、しなくてもさ』
「そう、思わないヤツだっているんだよ」
『それは、だってさ、お前が隠しちゃってるせいだろ?自分のことを、さ』
「任務遂行の確実性から言って、この方がやりやすそうだっていうだけだ」
 目の前の女は、まだ、哀しそうな眼をしている。…そんな顔すんなよ、似合わねぇだろ、お前には。
 なんて、俺が思ったことすらおそらく、見抜かれてるんだろう。
『あたしは、そのまんまのクロウが、好きだよ。無愛想で無防備で無計画で無鉄砲で無駄に無茶したがる無い無い尽くし、ってさ』
「日本の、普通の高校生にはそんなのいねぇよ」
 それに、と。
 俺は、自由にならない腕を、どうにかそいつに向かって伸ばした。
「いいよ。別に。お前は分かってくれるんだろ、俺のこと」
『…そう、だね』
「だから決めてる。ここにいる間は、可愛げのある葉佩九龍でいよう、って」
 この女によく似た、葉佩九龍ならば……この學園でも居場所があるのだから。
『でも、どんなナリしてても、クロウの根っこは変わんないんだよ?今、大切だと思ってる人間の前くらい、今までのクロウでいても、いいんじゃねーの?』
「……んなわけにいくか」
 こんな、普段、學園で生活する葉佩九龍とは正反対の人間を突き付けられて、あの男が、それを許容するとは思えない。
 この女なら、ありのまま全部、何もかも俺でいることが許されるのに。
「なぁ……俺は、」
『ね、クロウ。あたしはどんなクロウでも本当に、真剣に、どこまでも愛してるって言える。でもね、……一緒には、いてあげられない』
 今、こいつは酷く哀しいことを考えている。それが分かる。手に取るように。
 俺に顔を近づけて、軽く頭を叩いてきて。それからあいつは、唐突に消えた。また、俺には何も言わせてくれないまま。
 後にはひらひら、紫色の蝶が舞うだけで。
 光が霞むに任せて、俺もまた、目を閉じた。

*  *  *

 遠くで声が聞こえた。
 それが段々近付いてくるのを、意識の覚醒として受け止めた。
「七瀬殿、七瀬殿!」
 声がハッキリ聞こえるのと同時に目を開けると……ホント、すぐ目の前に真里野剣介。お互い、ビックリして、真里野なんか慌てて顔を離す始末。
「か、忝ない…。その、なかなか目を覚まさなかった故、心配で…」
「それは、どうも…」
「身体の方は、どうだ?ここに来るまでに魂の井戸―――回復の間に立ち寄ってきたのだが…」
「大丈夫、みたいです」
 夢の通り、俺の身体はまだ七瀬ちゃんのまま。軽い失望はあったものの、けれど目立った外傷はほとんど見られない。あの、おかしな夢の中ではほとんど動かなかった腕が、今では問題なく動く。関節の痛みもほとんどないと言ってもいい。
 ふと気付いて見回してみると、そこは《化人創成の間》じゃなかった。真っ暗で、鬱蒼としてる…ここは、墓地だった。あれー、俺、歩いてきた記憶がございませんが?
「……もしかして、ここまで?」
「む、無論だ。倒れた女子をそのままにしておくなど拙者には出来ぬ」
「ありがとうございました、ちょっと、疲れたみたいで」
 オチるように意識を失った瞬間のことを、朧気に思い出した。そういえば、卵が落としたあの紙は…?
 真里野に聞くと、着物の懐からそれを取りだした。
「これは……手紙だ。拙者の《宝》だ。取り戻すことが出来たのは、七瀬殿、そなたのお陰だ。礼を言わせてほしい」
「いえいえ、とんでもないです」
 二人して三つ折りついて、夜の墓地。怪しい光景なことこの上ないでしょ。しばらくぺこぺこやり合って、どうにか落ち着いた頃。真里野は目を細めて俺を見ると、また、頭を垂れた。
「拙者の、負けだ」
 正座した膝の上に置かれた拳に力がこもる。
「まさか……女子に敗れようとは」
「……………」
 女子とはいえども女子ではないですが。
「いや―――そなたに敗れたということは葉佩九龍に敗れたという事も同然」
 そりゃ、俺だしね。
「拙者は、生まれてからずっと剣の道に生きてきた。ずっと、ただ己を鍛錬するためだけに、修行に明け暮れる日々を送ってきた。ただ、己の技を高めるために。そして、崇高なり路の果てを垣間見んがために」
 真里野の指が、原子刀をなぞる。それはまるで、愛しい恋人にでも触れるが如く、って感じ。
 こいつの今までの人生、俺とは全く違ってる。真里野は、生きる意味を剣に見たんだろ?俺の場合、生きるために銃を取った。戦いの中にいるのに、どうして環境で人の路はこうも変わってしまうんだろうか。
「その悲願が、このような形で潰えることになろうとは……しかも剣の路とは程遠い女子の手によって……。不甲斐なきは、この腕よ。真里野家の御先祖様に合わす顔がないわ。かくなる上は、腹を捌いて自決するのみ」
「え、えぇ!?」
 今、先祖に合わす顔がないって言ったばかりじゃん!何、ソッコー会いに行こうとしてるんだよ!!
「待ってください、早まってはいけません!」
「とッ、止めて下さるなッ!!拙者は、拙者はァァァッ!」
 止めるに決まってンだろ馬鹿野郎がッ!
 泡食って真里野に飛びついた俺は、何度か弾き飛ばされそうになりながら何とか原子刀を真里野の手から叩き落とした。このイノシシ男が!やること唐突なんだよ!
「拙者は……うぅ…、せっ……しゃは……ううぅッ…」
「…あなたが私に負けたのは、剣を振るう意味を見いだせていないためではないですか?」
「……剣を、振るう、意味?」
「私は戦う意味を持っています。護りたい人、待っていてくれる人、その人たちにもう一度会いたいから戦うことができたのです」
「誰かの、ために…」
 結構、本音で言ったそのセリフが、真里野君には甚く効いた模様。がっくりと項垂れて、大丈夫かって声かけたくなっちゃうくらい。
 でも、しばらくして顔を上げた真里野は、何だか吹っ切れたようなイイ顔、してた。
「拙者を止めたそなたの温かい手……そなたは、拙者に生きよ―――というのか?そなたのように、葉佩のために……」
 前半についてはイエス。後半については……イヤ、別に俺のために生きてくれなくてもいいいですが。
 んー、でも。こいつの不器用な真っ直ぐさは、なんていうか、参ってしまうくらい好きかもしれない。前は暑苦しいヤツ、嫌いだったんだけどね、どういう心境の変化か、俺。
「あなたがいてくだされば、きっと葉佩さんも心強いと思います。それに私も、あなたには生きていてほしい」
 なんて、またもちょっとマジで言っちゃったりして。
「分かり申した……。拙者もそなたと共にこの剣を捧げ、戦おう。そうだ―――。お主にこれをやろう」
 死ぬことを思いとどまった真里野は、懐から何やら取りだして、俺に渡してきた。
 って、プリクラですか!?ホントに、ここのガッコって、プリクラ常時携帯原則なワケ?にしても……京梧さんじゃん、コレはさ。
「あ、ありがとうございます」
「うむ。……七瀬殿」
「ハイ?」
「拙者……、そなたに出逢えて良かった」
「ハイ?」
「あッ、いや、勘違いしないでくれッ!!別に深い意味で言ったのではない。うッ、うおっほんッ…」
 ……こりゃ、惚れたな、真里野。七瀬ちゃん、ごめんね、ホント。あなたの知らない間にあなたの虜になった野郎が一人……って、真里野さん、あんた、中身が男なお嬢さんに惚れてるって、分かってます?分かってないですよねー、可哀想に。
 俺は、真里野が絶対に中身が俺だって気が付かないことを願いながら引きつった笑いを返す。
「不思議だ……。お主のような女子と葉佩に敗れ、拙者は、何か生まれ変わったような気がする。……ありがとう、いろいろと……」
「………私は、何も」
「ふッ……では、また会おう。さらばだ―――」
 遠ざかっていく真里野の背中を見送っていると、突然、すぐ横の草むらから何かの気配がした。邪悪な何か。勝手に反応した身体が声に向かってコンバットナイフを投げたんだ、けど…。
「ほぁちゃッ!」
「ウソッ!?」
 現れた大きな顔は、その目の前でコンバットナイフを白羽取りする。ま、マジですか?
 あまりの妙技に呆然とする俺の前を小走りで走り抜けてった大きな顔は、
「ああん、剣介ちゃん、待って~」
 と、真里野を追いかけていった。
 朱堂さん、あんた、色んな意味で凄すぎですよ。そっか、剣介ちゃん、ね。……え?なに?二人ってそういう、ご関係?なわけねーか。
 そうして二人が見えなくなって、ようやくホッと一息ついた。いや、吐いてる場合じゃないんだけど。まだ、身体戻ってないしね。
 だらだらと放り捨てられたコンバットナイフを拾って、よっこらせと腰を上げると同時に、俺はまたそれを後方へと投げた。おそらくは、回避されることを念頭に置いて。
「……んな殺気ダダ漏れで、隠れてるつもりか?」
 普通じゃない何かを感じて、俺は素の口調で言ってから振り返った。
 墓地の、墓石の上に立っていたのは、白マスク。オペラ座もかくやというような。その白マスクの足下にはコンバットナイフが転がっている。
「クククッ……まさか、他人の身体でありながら、あの剣に打ち勝つとはな」
「…………」
「マリヤめ、口ほどにもない。《転校生》との対決の舞台をわざわざ、用意してやったというのに」
「別に。第三者に何言われようが、俺はあいつと勝負するつもりだったぜ?あんなコスいメール、送られなくてもな」
 俺の声には答えず、白マスクはマントを翻し、墓石から飛び降りた。
「今夜は月も隠れている。……《幻影》を見るには、いい夜だ」
「所属と目的を喋ってもらおうか?拒否は却下な。問答無用でぶっ飛ばすぜ?」
「我の正体を知りたいか?慌てるな……。近いうちに、必ずまた我と会うことになる」
「謹んで、遠慮させていただきます」
 こんな怪しいヤツ、もう会いたかねーっての。でも…なんか、変なんだよな。初対面だってのに、こう、知ってる気がしなくもないような、嫌悪を、あんまり抱かないというか…。平和ボケですか?俺。
「今日は、預かっていたものを返しに来ただけだ。こっちに来いッ!」
「きゃッ!!だ、誰……?あなたは誰なの?」
「雛川センセ…!!野郎、やっぱりてめぇか、何のつもりで、」
「この女は、お前とマリヤを戦わせるために攫わせてもらった。お前の実力がどれほどのものなのか見極めるためだけにな―――。今となっては用もない。返してやろう」
 乱暴に押し付けられた雛川センセを抱きとめて、けれど白マスクから注意は逸らさない。
 ……やることが回りくどい。真里野が俺に喧嘩を売ってたの知って、どうしてここまでやる必要がある?こいつはどこまで、何を知ってる…?
「クククッ……」
「――――ッ!!」
 雛川センセのロープを解くと、彼女は一瞬、状況の把握ができなかったようで、俺と白マスクを交互に見て、混乱してる模様。
「な、七瀬さん?その格好は一体……あ、あなたが、生徒たちが噂をしている《ファントム》とかいう人ねッ?天香學園を狙って、何をしようと……」
 俺も、《ファントム》とか呼ばれた白マスクも、雛川センセの質問には答えなかった。俺は、どう誤魔化そうか思いつかないせい、白マスクは端から相手にしていないから、だと思うけど。
「……葉佩九龍。お前の身体に起きた異変はこの學園を覆いつつある混沌がもたらした結果だ」
「んだと?」
「お前には、《生徒会》を相手に、もっと働いてもらう必要がある。同じ目的を持つ仲間として―――な」
「仲間つーならこの格好、どうにかしてくんない?」
「クククッ……」
 ダメだ、コリャ。
「この學園は呪われている」
 知ってるよ、とツッこみたいのを堪えて、今にも卒倒しそうな雛川センセの肩を支えた。ここで倒れられたら、今の俺じゃ運べないよって、思ったんだけど。
「見るがいい。《墓》を彷徨い、地上へと這い出んと苦悶の叫びを上げる魂たちの姿を」
 突然、目の前が暗くなった。まるで、七瀬ちゃんと入れ替わったときに感じた強烈な眩暈にも似た。同時に背筋にぞくっと来るような呻き声があちこちから響いてきた。
「《生徒会》を斃せ……。《生徒会を》――――…」
「く、ッ……てめ、何、しやが、った……」
「クククッ……」
 歪む。世界が。雛川センセの声が、高く、低く、遠くで、近くで響いて聞こえる。意識の安定が保てない。睡眠とは全く違う強制的な力で引きずられる。
『なッ、七瀬さん、しっかりしてッ!!』
『アーハッハッハッハッハッ!!』
 どうしようもない不快感と、何かが入り込んでくる違和感が全身に襲いかかり――――記憶は、そこで跡切れた。