風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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6th.Discovery 時をかける少女 - 2 -

 手紙の内容は、ひどく簡潔だった。
 まずは、突発的に手紙を出したことに対しての謝罪、次いで好意の伝達。それから改めて逢う意志があることと、その日時。
 えっと、詰まるところ『突然の手紙で失礼します』『葉佩先輩が転校してきてからバスケ部の練習に顔を出してくれたりするのを見て、ずっと気になってました』『逢って、お話させてください』『今日の放課後、もし良かったら礼拝堂まで来てください』ですって。
 うわー、ホントにラブレターだったよ。なんか、感動っていうよりは何で?って感じ。俺のどこに好感を持ったのか突き詰めて聞いてみたい衝動がむくむくと。
 俺は、便せんを畳むと寝っ転がっていた保健室のベッドから起き上がった。寝不足を言い訳に、一限目をサボって初ラブレターに浸ろうと思ってたんだけど、ルイ先生ったら俺の顔を見た途端にベッドに放り込んじゃって。どうやら寝不足が祟って、相当酷い顔色だったらしいね、俺は。
「葉佩、調子はどうだ?」
 カーテンで区切られたベッドスペースに、ルイ先生が顔を出した。慌てて手紙を仕舞おうとしたそれを、見咎められた。
「何だ?それは」
「いーえ!何でもありまっせん!」
「是情書阿?(ラブレターか?)」
「是呀…って、違うっスよ!!」
 ダメだ、中国語で聞かれるとノリでつい、ポロッと…。
「安心しろ、人の恋文を覗く趣味はない」
「……そーっスか」
 もそもそと手紙を仕舞って、愉しげに俺のことを見下ろしてくるルイ先生の視線から逃げてみる。でも、逃げらんないって分かってるから逆に、ふと思いついた疑問を投げかけてみた。
「先生、一個、訊いてもいーっスか?」
「何だ?」
「もし、俺のことを好きになるとしたら、どの辺に惚れます?」
 数秒の沈黙。お前頭大丈夫か?という顔のルイ先生。いや、違うんですよ、聞いてください。
「も、もしもの話ですって!もしも!」
「つまり、君の長所を挙げてみるという意味で捉えればいいのか?」
「……まぁ」
 したらルイ先生は、ふむ、と言ってからまた、俺の顔をじーっと見てきて、
「まずは顔か。年上の女性からは好かれそうだな。その小生意気そうな目つきや男臭くない顔立ちがな」
「…確実に褒めてませんよね、それ」
 童顔のくせに目つきだけは悪いって、もう言われ慣れたし。髭だって生えねーしさ。しょうがねーじゃん?昔のツケで、こんなんなんだからさ。
 っていう俺の不満を知ってか知らずか、ルイ先生はにやりと口角を上げて、長い髪を掻き上げて見せた。
「充分褒めてるだろう?後は、そうだな…人好きのする性格ではあるな」
「人好き…しますか?」
「いつも笑ってる上に愛想が良いだろう。他人の言ってほしい答えに先回りをして、的確に受け答えをするしな。会話をしていて不快にはならんよ。ふざけたようなあからさまな好意を口にしても煙たがられないのも人徳だな」
「それ、って……いつも笑ってて、愛想が良くて、愛してるーとか言い回っても嫌われない、ってことですよね」
 煙管を吹かしていたルイ先生は、突然真顔になった俺を不審に思ったらしい。首を傾げて、顔を近づけてきた。
「どうかしたのか?」
「イエ、何でも」
 何だか、噛み合ってない感じがするのは、多分錯覚じゃない。
 良いところ、長所とか、そういうのを言われても全然ピンと来ないのは、それが俺のことじゃないからだと思う。俺に、そんな美点は備わって、ないから。
 俺にだって、ちゃんと分かってる。今、こうしてここにいる自分がアンダーカバーとしての任務に従事しているからこその自分であって、本当は……こんなに人好きのするヤツじゃないってことは。
「……みんな、そういう俺だから、好き、なんだよな…」
 手紙くれた子も、遺跡で俺のこと大事な友達だって言ってくれた取手も朱堂も、居場所を与えてくれようとしてた甲太郎も、そういや、俺のこと、何にも知らないんだよな。
 『いつも笑ってて、愛想が良くて、愛してるーとか言い回っても嫌われない』、のは、実は俺じゃないんだけど。そうやって必死に俺をやろうとしてる俺のことは、誰も、知らない。当然だよな、見透かされたら絶対、確実に、みんな離れていくのは分かり切ってる。そう、だから、俺は、俺を隠してるんだけど、でも、みんなの前では俺で、俺は、俺じゃなくて……。
 あれ……。
 なんか、ワケ分かんなくなってきた。
 えっと、つまるところ、みんなが好意を持ってくれてるのって、へらへら笑ってる俺なんだよな?猜疑心だらけで、攻撃的で、斜に構えてて、……っていう、ホントの俺じゃ、ないんだよな。
 分かってた、コトだけど。
 分かってても、ここには俺を知ってるヤツが誰もいないっていう現実に今更ながら気が付いて、一生懸命演じてた自分との落差に愕然とした。
 俺は、違うんだ。
 嘘なんだ、これは。俺は。
 そうじゃない。
 俺じゃない誰かが、持ってた性質だ。
 いつも笑ってて、愛想が良くて、愛してるーとか言い回っても嫌われない。その上、誰かのために必死になれて、意志して生きることを決して諦めない強さを持ってた。
 そんな人間を、俺は一人だけ知ってる。(間違っても、俺じゃない。)
 それは……俺の前から消えた、『あいつ』のことだ。
 合点して、ほんの僅かに落っこった意識に同調するように身体をベッドに落とした。
 知ってた、けど。改めて突き付けられるととんでもなく痛いコトだ。自分に向けられてる好意が、実は自分を介して別の人間の人格に向けられてるっていう真実は、嘘を吐き続けてる俺にとっては戒めのようにも思える。
 ぼんやり天井を仰いで、その景色に突如現れたルイ先生の心配そうな顔を見て、どうでもいいことを一つ、呟いた。
「そう言えばルイ先生って劉雅麗と一字違いですよね」
「…君はあっちのことを、本当によく知ってるな」
「アリス・ラウ、好きですもん、俺。『沒有小鳥的天空』とか、見ましたよ」
 海賊版の、薄汚いビデオテープで。途中ですり切れて映画の中盤があやふやになってしまってるけど、確かに見た映画。その時隣にいたのはあいつで、俺は確かに、俺だった。けど、あいつはラストシーンで必死に歯を食いしばってた俺を、何にも言わずに抱き寄せてくれた。
 俺が俺でも、ちゃんと、受け容れてくれた。
 でも、ここにいる人間たちは――――?
 考えて、答えのあんまりな絶望性にでかい溜め息が漏れた。そして、どうしようもなくてただ、小さく笑った。笑っている俺が、ここにいることを認められている俺だ。
 その時、廊下をバタバタと走っていく足音と共に、「ツチノコだよツチノコー!!」っという元気な雄叫び。聞いたルイ先生が溜め息を吐く。
「ツチノコ……ね。確か日本古来より存在すると言われてきた幻の生物だったな」
 俺はちゃんと、笑って答えた。
「らしいっスねぇ」
「それにしても―――この學園は、閉鎖空間の割に何かと事件が起こるから、退屈する暇がないな」
 ふふふ、と煙管を口に銜えて、ルイ先生は、
「特に誰かさんが転校してきてからは。――――なぁ、葉佩」
 含んだ言葉を詮索するのは止めて、素直に反省。やっぱ、俺、ですよねぇ。前に甲太郎も、『近頃の執行委員のやり方はおかしい』とか言ってたし、それに合わせるように珍現象も勃発してた。てことは、執行委員の攻撃対象である俺が原因の一端をになってるのは明確なわけで…。
「……すんません、お騒がせ、起こして」
 さすがパッシブスキル『疫病神』。こんな所でも発揮されちゃってるんだねぇ。
「ふむ……君は、自分が引き金であることをしっかりと認識しているようだな」
「……………」
「だが、そこまで悲観することはない。君だって、事件を起こそうとして起こしているわけではないのだろうし……」
 そりゃ、自ら進んで厄災を呼び込みたいとは思いませんて。
「んだば、お世話様でした、午後授業は出るんで行きますね」
「ああ」
「また変なことを呼び込んだら、そん時もよろしくお願いしますー♪」
「そうならないことを願っているぞ」
 保健室のドアに手を掛けて、開けようとして一旦、ルイ先生を振り返った。
「……ありがとう、ございました」
 そのまま彼女の顔は見ずに、俺は保健室を出た。
 食欲があんまりないせいで、売店には寄らず、階段を登っていく。三階の廊下、声を掛けられたのは、そこで。
「おい、葉佩」
 そう言えばこの声の主を、俺は今日、一度も見てないかもしんない。
 顔を上げると、そこには片手を上げて気さくに微笑む夕薙のダンナ。
「よォ。今、授業が終ったのか? 俺は、どうも昨日から具合が悪くて、丁度、今来たところでな」
「あぁ、だから今日会わなかったんだ」
「しかし、この騒ぎは何だ? 虫取り網やモップを持った生徒たちとすれ違ったが…」
「ツチノコですよ、ダンナ。ツチノコ見たヤツがいて、捕まえて一攫千金だって。あ、何でも願いが叶うんだっけか?」
 途端に、夕薙はもんの凄い呆れ返ったって顔になる。気持ち、分からなくもないけど。
「おいおい……ここはどこだ? 未開のジャングルや秘境の奥地じゃないだろ? 新宿だぞ?塀に囲まれているとは言え、東京のど真ん中だ。現代の象徴とも言える場所で、ツチノコとはな。どうなっているんだ。この学園は……」
 それから。一拍間をおいて、訝しげに俺の顔を覗き込んできた。
「まさか、君もツチノコが学園にいるとか思っているんじゃないだろうな?」
「いたらいいね!!捕まえたらどっかに売っぱらって焼き肉でも食いに行こうぜ?」
 言いながら、また横を走っていった虫取り編み軍団に「頑張ってー」と手を振ったら、それで夕薙も俺がふざけてるって分かったらしい。
「そうか。捜そうと思っていないならそれでいいさ」
 で、ネス湖のネッシーとか、また懐かしいネタを持ち出してUMA否定説を力説する。俺はまぁ、どっちでもいい派だからね。
「そういうのって、いるいないどうとかって言うより見つけたいっていうエゴと浪漫なんデショ」
「『不明』というのは明らかになっていないという意味だけではなく、明らかにできないという意味もあるだろう。つまり、奇跡だの呪いだのと一緒で、UFOやUMAなども存在しないと言う事さ」
「分かんないよ!こうして俺とダンナが出会えたってのも奇跡かもしれないじゃない!」
 ってシナ作って言った瞬間に、廊下中から一斉注目。シーンとなっちゃって、笑顔のまま凍った俺のこめかみを冷や汗流れたときに、夕薙は大きく咳払いをした。
「いずれにせよ、俺にはツチノコだの何だのより、大切なことがある」
「???」
「こうも、身体の調子が悪いと學園の生活もままならないし、不自由で仕方なくてな。まったく……、歯痒い事この上ない。頑丈そうな身体をしていながら、情けない話さ」
「別に情けないとは思わないけど。五体満足なだけ充分だぜ?」
 慰めたつもりとかは無かった。ただ、身体が弱いって言いながらも学校へ出てきて何より平和に生きてられるなんて俺にとっては充分なことだと思う。
「……ありがとう、優しいんだな、君は」
 ヤ、慰めてないってば。変なの。
 しかも、今度は逆に俺に向かって、
「君は、どこか具合が悪い所はないか?」
「なーいよーん。健康だけが取り柄でやんす!」
「……そうか?」
 夕薙は俺の顔を覗き込んで怪訝そう。たまにいるんだよね、嘘を見抜くのがべらぼうに巧いヤツが。医学上、俺を健康体って言うには結構無理があるだろうしなぁ。寝れないし。
 したら夕薙はポンポンと、いつものように俺の頭を叩いてきて、
「身体と精神というのは、深い関係を持っている」
 それから、東洋医学のこととか、精神が遺伝子にどんな作用を及ぼすかとか、色々。
 奥が深いね、東洋神秘。
「俺は奇跡や呪いなど信じてもいないが、これは、さほど非科学的なことではないさ」
「かもねー」
 遺跡とか化人とか、そろそろ非科学的と現実の区別が付かなくなってる今日この頃。
「医学になんて限界があるもんな。どうやっても飛び越えられない一線を越えるのは、そういうことなんかも」
 例えば、死んだ人間を生き返らせる、とか。
「あ、でも奇跡はやっぱりあるって!俺とダンナの愛の奇跡がー、」
「あーーー、分かった、分かったよ。本当に君って奴は……、でも、そこまで俺の意見に同意した奴は初めてだよ」
 口を塞がれてもごもごしてると、ふと、夕薙の動きが止まった。その視線の先には―――彼女だ。
「あれは、白岐……。あの方角だと、温室を見ているのか?」
「かな」
 思わずいつものノリで白岐っちゃぁ~ん、とか呼びそうになって、でも、やめた。異端の俺は、異端の白岐ちゃんにぶつかるといつも彼女の雰囲気を壊してしまう。で、仕返しとばかりに彼女は知らず、俺の厚い面の皮を引き剥がしてくる。
 でも、気配に気付いたのか、白岐ちゃんはじっと、数秒俺のことを睨み付けるように見据えて。それからスッと、視線を逸らして歩いてきた。
 俺らの前に来ると、視線を上げる。
「こんにちは。そこをどいてくれる?」
「おっと、ごめんちゃーい」
 にっこり笑って退こうとしたら、
「……この學園の闇に触れたはずなのに無邪気なのね」
「そ?」
「それとも、自分が犯している禁忌の重要さに気付いてないだけ?」
 あ、たぶんそっち。
 口に出さずに、退こうと夕薙の服の裾を引っ張ろうとするんだけど、あら、夕薙さん退く気ゼロ。
「何を見ていたんだ?」
 白岐ちゃんはただ、温度のない目で夕薙を見上げる。
「今、窓の外を見ていただろう? 何を見ていたんだ?」
「別に何も……。ただ、外を眺めていただけ」
「嘘を言うな」
 夕薙の口調の温度が上がる、その分だけ、白岐ちゃんの視線の温度が下がる。……すげぇ攻防戦。
「あの温室に何かあるのか? それとも―――温室の方角に」
「そういえば、あなたも《転校生》だったわね」
 白岐ちゃんの視線の対象、今度は俺。
「《転校生》というのは、皆好奇心が旺盛なのかしら?」
「さーね、どうだろ?俺、そんな好奇心旺盛に見える?八千穂ちゃんじゃあるまーいし」
 八千穂ちゃんの名前が出たせいか、ほんの少しだけ白岐ちゃんの雰囲気が軟化した。こないだお茶したって、散々八千穂ちゃんからノロケ話を聞きましたから、活用させていただきます。
「そう………この學園にくる《転校生》だけが特別なのだと思っていたわ」
「別に俺と葉佩は《転校生》同士この学園に早く馴染もうとしていただけだ。《転校生》が、新天地の事を知りたがるのは当然だろ」
「二人がそんなに仲がいいとは知らなかったわ」
「そー!何てったってラブラブですか…むぐッ」
 後ろから、また口封じ。ゴメン、夕薙、つい甲太郎の時のクセで…。
「お、男の友情は女には理解できないものさ」
「…………」
 やー、白岐ちゃんがものごっつい呆れた顔で見てますぜ。どうしようかしら、変な誤解されてたら!夕薙って白岐ちゃんのこと好きだって言ってたよなー。……そうは、思えないのも本音だけど。
「それよりもまだ俺の質問に答えてないぜ? 一体、そこの窓から何を見ていたのか…?」
「ただ景色を―――。そう答えたはずよ」
「そうかい、わかった。そういうことにしておこう」
 絶対に言葉通りでない返事をして、形だけ、夕薙は頷いた。
「話はそれだけ? それじゃ、私は行くわ」
「おっと―――」
 白岐ちゃんがすり抜けようとした横を、夕薙は腕を衝立にするようにして塞ぐ。彼女の顔に浮かぶ困惑を楽しむかのような様子で。
「待てよ、白岐。今度晩飯でも一緒にどうだい?」
 おっと、デートのお誘いです!ただし、甘やかさなんて欠片もない口調で。恋人同士とかには絶対にない、まるで探り合うような、試すような誘い方だった。
 それに白岐ちゃんがどう答えるか、見ていた俺に、突然降りかかった言葉。
「葉佩さんが一緒なら考えてあげてもいいわ」
「…はい?」
「葉佩が?」
「どうかしら?」
 あのですね、夕薙なしだったらイエーイオッケー、なんだけど、俺にわざわざお邪魔虫やれと?そういうことか?  意味を計りかねて夕薙を見上げると、了承の意味なのか頷いてきたから、俺も。
「いいよー、デートのお邪魔にならなければ、だけど」
 したら、白岐ちゃんは珍しく口元に笑みを浮かべた。
「私も葉佩さんとゆっくり話しをしてみたかったわ」
「そ?嬉しいなー♪」
「………。それじゃ」
 風みたいに気配もなく、俺と夕薙の間を抜けて、白岐ちゃんは廊下の向こう。つくづく不思議な子だよなー。いくら安全パイだからって俺を誘うか、フツー。
 夕薙と俺、二人で白岐ちゃんの後ろ姿を見詰めてると、
「葉佩」
「ん?」
「前にも言ったが、この学園には謎が多いとは思わないか?」
「思う」
「生徒たちの間で実しやかに囁かれている怪談。墓地や廃屋などの学園という景色には不似合いな場所。一見、無関係に思える全ての点は―――俺には、どれも、一つの真実に繋がっているような気がしてならないのさ」
 で、俺は少しずつそれを繋ぎ始めちゃってるせいで、生徒会から目を付けられた、と。そこまでひた隠しにされると、やっぱ気になっちゃうよ、ねぇ?
「俺の見たところ、白岐は何かを知っている。この学園に隠された何かをな」
「だから、白岐ちゃんのコト、好きだって言ってんだ?」
 夕薙は、ちょっとだけ笑う。
 もしかしたら、本当に、少しは彼女を気に掛けてるのかも。
「それじゃ、俺はちょっと屋上で風に当たって来る」
「あー!待った俺も行く!」
「そうか。じゃあ、行こうか」
 背中を軽く叩かれて、前みたいに俺が階段、一段先を歩いて、屋上。
 けったいなことが続いているってのに、空だけは変わらずに蒼。俺の体調も學園の謎も遺跡の神秘すらきっと関係ない。地球が今消えたとしても、空だけはあり続けるんだから。
「今日は随分と良い天気だな。君、こういう日には何をする?」
「んー、やっぱ昼寝っしょ。今日は一日寝て過ごしたいくらい」
「なるほど…で、早速それを実践するためにここへ来たというわけか。邪魔して悪かったな」
「ヤだん、もう、誰も邪魔だなんて言ってねーじゃんよ」
 バチン、夕薙の太い腕を叩いて、屋上の真ん中まで走った。それからぴょーんとロンダートからの後転とび、着地!眠気で足下ふらついたけど、そこはもうご愛敬ってコトで。落ちてた長い羽を拾ってひらひら振ってると、
「本当に元気が良いな、君は」
「そう?」
 そう見えるなら、俺は結構誤魔化すのがうまいってコトだよな?へへッ、上出来。
 俺は屋上のフェンスの方を向いて、さっき白岐ちゃんが見てた温室―――もしかしたらその先を、見てみた。やっぱり彼女のコトって、よくわっかんねーなぁ。俺に女心、なんてもんは十年早い?
「なー、女心ってどうやったら分かるようになると思う?」
「何だ、突然。気になる子でもいるのか?」
「そりゃ、もう!いつだって恋のアンテナ巡ってますから」
 髪の毛ひとつまみして、「父さん、妖気です!」って言ったら笑われた。
 でも、ふざけてられたのはそこまでで、次の瞬間夕薙が摘んでいたあるモノを目にして、俺は一気にフリーズした。
 それは、白桃色の封筒。朝、貰ったラブレター。
「さっき、回ったときに落としたぞ」
「あちゃ。ゴメン、あんがと」
 夕薙の手の中から手紙を受け取って、ほんの僅かに端っこが折れてたのを、丁寧に伸ばし直した。
「もしかして、ラブレター、ってヤツかい?」
「うーんと…」否定するのは、これをくれた彼女に失礼な気がして、「まぁ、一応」
「そうか…」
 からかうでもなく、追求するでもなく、ただ夕薙は頷いた。
「君を好きになるなんて、可哀想な子だ」
 そうしてただ、感想を述べる。
「あっはっは、こんなへっぽこ好きになるんだもん、ねぇ」
 可哀想、っていうのを、人間の本質が見抜けないという意味で捉えたんだけど、実は違ったらしくて、答えが外れたことを示すために首を振られた。
「いや、目の付け所はなかなかだと思うぞ。ただ――――想いが叶う確率は絶望的に低いだろうなと、思ってな」
「そーぉ?俺、顔見て可愛かったら即行で付き合っちゃうかもよ?」
 ふざけて笑って、でも。
「そうだとしても、だ。君は、彼女―――女の子だよな?―――を見てあげることができないんじゃないのか?真っ直ぐ向かい合い、恋をされて、それに応えられるか?」
「できるよ。何で?」
 鉄壁に笑う。
 でも嘘は、簡単に見破られた。
 夕薙はちょっとだけ笑うことで、俺の嘘を否定する。
「普通の女の子じゃ、耐えられないだろうな、君の隣は」
「俺は…選り好みはしないよ」
「……強くなくちゃ、ダメなんじゃないのか?」
 一体、夕薙は何をどこまで知ってるんだろ?仕事も遺跡も、過去までも知ってるような言い方されると流石にぎょっとする。
 俺が口籠もるのを合図にしたかのように、夕薙は真面目な顔して何度か軽く、頷いた。でもそれから見せた意味ありげな微笑みがちょっと気になったりして。
「…何だよ」
「いや、何でも」
 俺はフェンスの向こうを見て、夕薙はフェンスに背を預けて。ざらっと風が吹いたとき、背を放した。
「……すまない、ちょっと急用を思い出したから俺はもう行くな」
「へ?」
「デートはまた今度、な―――九龍」
 クロウ、という響きに俺が過剰反応すること、夕薙は多分、知らないで言ってるんだと思うけど。突然の申し出、心臓が口から飛び出しそうになるのを呑み込んで、俺は、止める間もなく去っていく夕薙の背中を見送るしかなかった。
 一人で屋上に取り残されて、じゃあ俺も、昼メシも食ってないことだし教室戻ろっかなって思ってドアの所まで歩いていくと。
「九龍」
「ぉ、え?アレ、甲太郎!?」
 給水タンクの陰になって気が付かなかったんだけど、そこにはしっかり甲太郎が立っていた。
「い、いつからいたんだよ?」
「お前らが他愛もない天気の話をしてたときからだ」
 …最初っからじゃん。
「いたんなら、声かけてくれりゃ良かったのに」
「掛けたろ、今」
「ヤ、夕薙がいたときにさ」
 すると甲太郎は口元だけでふっと笑って、
「邪魔するつもりはなかったんだがな」
「邪魔って?」
「デートだったんだろ。大和のヤツ、俺に気付いて出て行ったんだよ」
「何で」
「さぁな」
 変なの。よく分かんないけど、とりあえず梯子を登って甲太郎の横に座ってみた。文句言われるかなーとかちょっと思ったけど、意外にあっさり許容されちゃいました。
 甲太郎の横顔を仰ぐように見ると、視線に気付いた甲太郎が意味を含まない眼を返してきた。その目はただ笑うことだけで返事をする俺を見て、ちょっとだけ、不機嫌そうに滲む。
「……手紙」
「うん?」
「ラブレター。もらったって?」
「あぁ、うーん、まぁ一応」
 さっき夕薙に返したのと似た、曖昧な肯定に、甲太郎は何故かさらにもう一段、不機嫌を深くした。
「そうか」
「あ、もしかして、悔しい?俺がラブレターなんか貰っちゃって!」
「まさか」
「じゃあ妬いたとか!!」
「うるさい」
 げ。マジで機嫌悪いよ、コレ。きゅっと、綺麗に寄せられた眉根がそれを物語ってる。
 何だろう?その不機嫌の理由が分からない。俺が鈍いせいなのか、全く俺に否がないところで不機嫌になられてるのか。
「な、な」
「ん?」
「お前の好きな女の子のタイプって、どんなの?」
 沈黙してると気まずいから、話題を出そうと思ってこれ。実際、気になるんだもんよ、こいつの好きなタイプの子。
「やっぱ八千穂ちゃんみたいな子?でもルイ先生みたいな大人の女の人ってのも似合う気がするなー。大穴でいつも意見が対立してる七瀬ちゃんとか」
「それじゃあタイプじゃなくて好きな女だろうが」
「あ、そっか」
 何を焦ってんだろ、俺は。
 喋りすぎた口を閉じて、極力発言を押さえようと黙り込むと、今度は甲太郎から。
「そういうお前は、どうなんだよ」
「俺?」
「そう。好きな、女のタイプ」
「だって、さっき聞いてたんだろ?」
 だったら、誰でもオッケーって言ってたのも聞いてるはずなんだけど…?
「本音は、どうなんだよ。誰でもいいわけじゃねーんだろ?」
「……うーん」
 本音を言えば、弱い女の子は苦手だったりする。できれば、隣に立つにあたって、俺と同等程度の戦闘力が欲しい。そうじゃなくちゃ、安心して一緒にいられない。
 それが、普通の恋人って言うのを選択する観点から言えば間違ってるのは分かってるよ?でも、俺は今までもこれからも、戦う以外の生き方はできないし、それしか知らないんだ。だったら一緒に居てくれる人は、強い人じゃなくちゃダメ。俺にはまだ、誰かを護りきる力なんてないから。
 パッと、頭にルイ先生が浮かんだんだけど、でも逆に俺が対象外だということに気が付いてすぐに頭から消した。
 で、しばらく考え込んで出した答えは、
「俺のことを、否定しない人、かな」
「……………」
「で、俺を置いていかない人だったら尚良い。それで強かったら、もう言うことなし」
 うわー、もの凄く怪訝そうな顔で甲太郎サンたら俺のこと見てますよ。まぁ、だろうなぁ。
 でも、俺の顔を覗き込んで甲太郎が言った言葉は、少なからず俺をビックリさせるモノで。
「……否定しないってのは、全て引っくるめたお前を、ってことか?」
「え…っと、どう、かな」
 曖昧に笑ってみせると、それが気に入らなかったのかなんなのか、睨まれた後に目を逸らされた。
「お、俺のはどうだっていいだろ?甲太郎はどうなんだよ」
「別に、タイプとかはねぇよ」
「でも好きになった人とか、いるっしょ?」
「さぁ、な」
「うわ、狡!俺にだけ言わせて!」
 さして、気になったわけでもない、と思う。でも笑って見せながら、俺は、そういえばこいつのこと何にも知らないなーって、思い当たった。それは、俺が知らせてない代償なのか、甲太郎がただ話したがらないだけなのか。分からないけど、俺はこいつの今より前を、何にも知らない。
「秘密主義ね、甲太郎クン」
「でも、案外お前みたいなのは、嫌いじゃないかもな」
 ……きっと、調子がおかしいせいだ。冗談の、そんな一言で、俺のどこかがささくれ立つ。
 俺がこいつを知らないのと等しく、違う、それ以上にこいつは俺のことを知らないのに、簡単にさも受け容れてくれそうなことを言うから。
 突き放したくなる。
 知らないくせに、って。
「さっき、さ」
 吹き出してくる感情のまま、一気に、攻撃態勢に入ってた。
「文明が見せるのは銀色の明日って、お前、言ったろ」
「ああ」
「たぶん、銀色の明日なんか見せてくんないぜ?」
「……どういうことだよ」
 甲太郎が、怪訝そうに俺を見る。そう、そのまま、全部で俺のこと疑えばいい。
 疑って、突き放せば、もう。
「人間の悪徳のひとつだよ、傲りってさ。このまま文明を発展させていって、自然とか食い荒らして、結局人類全滅がオチだ。あぁ、その頃はもう俺ら生きてないだろうから全然関係ないハナシなんだろうけどな」
 甲太郎が、黙る。
 どんな顔してるのかは、知らない。顔、まともに見られないし。
「医療は進歩してるって言うけど、それよりもっと進歩してんのは人間を消す方法だぜ?ずっと、原始の時代から、人間て他者を殺す術を発達させてきた。本能なんだよ、殺戮するっていう」
「だがそれは、人間が生き延びるための殺しだろ」
「だから。生きてることから既に度し難い、っていうことだよ」
 できるだけ綺麗に、笑って見せた。知ってるんだ、童顔の俺があっけらかんと笑いながらこういうこと言うと、大体の人間が引くんだよね。壊れてるって、思われるんだろうな。
 ……確かに、自分が分からなくなってる辺り、もう俺はダメなのかもしれないけど。
「銀色、なんかじゃなくて。鈍色なんだよ、きっと」
 否定してほしかったのかもしれない。
 言葉を、じゃなくて、俺を。この學園で受け容れられてしまってる、俺のことを。
 めためたに否定して、その奥にいる俺のことを問答無用で引っ張り出してほしかった。
 でも、ただ引っ張り出すだけじゃなくて、出てきた俺を認めて欲しかった。
 あの日、俺に居場所をくれた時みたいな言葉を、かけてほしかった。
 
 自分が馬鹿なコトした、って気が付いたのは、その時。
 
 甲太郎の表情が、怪訝そうに、まるで不審者でも見るように歪んだ。
「……お前、どうしたんだよ?なんか、調子でも悪ぃのか?」
 ああ、そうか、って。すごい納得。
 俺がね、思ってることを言うと、それはやっぱり『俺』らしくないんだって。調子が悪くて、いつもと違うように見えるって。
 そんなコト言う俺は、俺じゃないって。
 はは、仕方ないよな。そう思われるように、し向けたのだって俺なんだもん。
「ヤ、こないだテレビでそんなようなこと言ってんの見てさ。たまにはちょっと極論っぽいこと言ってみようかなーって思っただけ。ビックリした?」
 沈黙が、肯定の代わり。受け取って、俺は、ただ苦笑するしかなかった。あんまりに甲太郎が真剣な顔するから。真剣に、さっきの俺の言葉に疑問を持ってたから。
 だから、ここで否定しないと、きっとこれからの學園生活がスムーズに送れなくなるんだろうなーって、思った。
「でも、やっぱムツカシイこと言うの、似合わないよなぁ。何でだろ、七瀬ちゃんと甲太郎が論戦してると様になるのにな」
「……九龍、お前、」
「っと、そういや俺、昼メシもまだ食ってねーんだよ」
 甲太郎の言葉を絶って、そのまま給水塔から屋上に飛び降りた。それから見上げる皆守甲太郎は、逆光で、まるで影だった。
「お前も、授業サボんなよー!」
 太陽にも負けない鉄壁の笑顔仮面で手を振って、そのまま逃げるように屋上から立ち去った。
 金属製の思い扉を閉めると同時に、やけにひんやりした空気がまとわりついてくる。それは、たぶん温度のことなんかじゃなくて。
 
 涙が出そうになった。
 でも、泣かなかった。
 泣けなかったんじゃない。
 この學園に派遣された、阿呆でいつも笑ってて、愛想が良くて、愛してるーとか言い回っても嫌われない《宝探し屋》は泣いたりだってする。
 けど俺は、泣かない。
 こんなことで、泣いたり、しない。

 唇を噛みしめたまま、俺は階下へと降りた。