風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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6th.Discovery 時をかける少女 - 4 -

 アムロさんに投げられたせいだろうか、七瀬ちゃんと衝突した衝撃からだろうか、身体がうまく動いてくれなかった。いちいち動くたびに筋肉が軋む……こんな感覚は今までにない。まさか、本当にどこかに深刻な障害が起こってるのかもしれない。
 倉庫のように荷物の積まれた廊下の突き当たりには誰もいなかった。
 嫌に息の切れる身体を持て余し、荒れる呼吸を押さえようと膝に手を突いて、深呼吸しようとした。
「だ~れだッ?」
 後ろから羽交い締めにされたのは、その時だ。咄嗟に拘束から逃れようと、相手―――おそらくアムロさんの顎の位置に頭突きをいれようと思ったのに、身体が全く動かない。不思議なくらい、それはまるで俺の身体じゃなかった。
「おっと、動くなよ?騒がれると面倒なんでな。どうやら、こっちに追ってきたのは君一人か。中々、いい勘をしているじゃないか」
 そりゃどうも、と言いたいところだったけれど口を塞がれてるせいで声が出ない。そして、その手すら振り解けないほど、何故か俺は非力だった。
「ここを抜け出すまで、ちょっとだけ付き合ってもらおう。安心しな。痛い思いはさせないから」
 とか言いながら、なぜかアムロさんの手がケツに伸びた。そんな趣味でもあった?なんて頭の隅に過ぎらせながら、右手を引き抜き肘鉄、そして振り返りざまに上段蹴りをいれようとした。
 それがまたしても不発。脚が全く上がらなくて、中段を蹴り飛ばすことになってしまった。
「うぉッ!!う、く……ブレクサスに……」
 それでも詰まれた段ボールの中に転がったアムロさんは、運良く(運悪く?)入ったらしいみぞおちを押さえて悶えていた。
「くぉらァァァッ!!何すんじゃいッ!!ったく、なんつ~馬鹿力だ。そんなに力一杯蹴るこたないだろ!?」
「愛…、ムチ…っす……ッ、ゲホッ」
 まずい、肺が痛い。背中打ったせいか?息が切れてるせいか?声すらもまともに出なかった。
 一体、どうなっちゃったんだ俺は…。
「いや、愛の鞭とか言われてもだな……。俺には、そういう趣味はないし―――って何言わせんじゃいッ!!」
 勝手に言ったんじゃん。ホント、面白いなぁ、この人。
 んなこと考えながら、倒れたアムロさんの胸ぐらを掴み上げようとした俺の後ろで、気配。
「そいつが、校内で目撃されたっていう不審者か?」
 ……皆守甲太郎。
 あの屋上から、騒ぎを聞いて駆けつけた、にしてもここまで来るのがちょいと早過ぎやしない?
「離れていろ。後は、俺が引き受ける」
「お~、君はあの時の無気力高校生君」
 アムロさんは俺が引き離されたことで、後ろにいた甲太郎の姿を確認したらしい。それは、甲太郎も同じことだったようだ。
「ん?何だ、あの時のおっさんじゃないか」
「誰がおっさんだ、誰が」
「何してんだよ、こんな日中の校内で……。人目に付かないようにどっかに潜んで調査するだの何だの言ってなかったか」
 俺が何も言わなくても、皆守クンは尋問役にピッタリです。
「いや、そうなんだが…。調べたい場所があったんで、生徒が別のことに気を取られている間に調べようかと」
「別のことに気を…?」
「あぁ。ツチノコ騒動―――中々、名案だろ」
「ア、ムロ、さんが?うわさ、を?」
 あ、ダメだコリャ。耳鳴りまでして、自分の声がやたら高く、ぐわんぐわん頭の中で響く。
「……何でお前がこの男の名前を知ってるんだ」
「俺は自己紹介した覚えはないんだが」
 へ?二人とも、何言って…んだ?だって、俺ら三人で……顔合わせたこと、あったよな?
 咳き込みながら、それを口に出そうとしたとき、近くが騒がしくなってきた。
「そんな事より、早く逃げた方がいいんじゃないか?じきに、ここを捜しに教師や生徒が来るぜ?」
「見逃してくれんのか?」
「別におっさんが捕まろうが捕まるまいが、俺には関係ない話だ」
 出ました、皆守節。俺は関係ない、っていいながら、実はちょっと心配してんだ。
「それに、《生徒会》や教師連中に事情聴取されるのもかったるい事この上ないしな。お前も、見逃してやっていいと思うだろ?」
 視線を向けられて、俺は当然、頷く。
「元より、その、つもりで、追いかけ…だから」
「……意外と話が分かるじゃないか。俺はてっきり反対するもんだと思っていたがな」
「へ?なんで」
「何でって……」
 甲太郎が、変な顔して首を傾げる。
 …あれ、俺、ちゃんと葉佩九龍やってるはずなのに、何でこんな顔されなきゃなんねーの?別に変なこと、言ってないよな?
「まァまァ、同じ學園の生徒同士仲良くしなきゃダメだぞ?どっちも俺のことを好きなのはよく分かったからさ」
「はーい♪」
 返事をして、いつも通り、蹴られるのを覚悟で甲太郎の腕に貼り付いたら……、
「何考えてんだ?お前……離れろよ」
 本気で、拒否られた。かなりハッキリした拒絶だ。組んだ腕を、切るようにして振り払われる。
 あ、れ……?
 もしかして、さっきの屋上で変なコト言ったのが、拙かった?
 それとも、単に俺が、こういう事をするのが本気で嫌だとか?
 アムロさんの手前、とかそういうことじゃない。視線が、本当に嫌悪に近かった。

 近付くな。
 
 そう言われた気がした。

 俺の頭の中が真っ白になっている間にアムロさんは颯爽と去っていき、後の気まずい雰囲気の中に俺と甲太郎が残された。
 甲太郎はその背を見送りながらぶつぶつ何か呟いていたけど、俺には全く届いていない。少しずつ少しずつ頭の中で甲太郎が廊下から隔離され、その姿だけがくっきりと浮かび上がって見えていた。
「あ、あの…さ、えと……」
 声が出ないのは、変調のせいだけじゃない。
 完全な拒絶の態度に、まるで咽が絞められているような感覚に襲われていた。
 反対に耳鳴りは治まって、甲太郎の声だけがやけにハッキリ聞こえた。
「それじゃ、もう俺は行くぞ?ダルいんで、今日は早退することにしたんだ。じゃあな」
 何の感情も見せないまま、俺に背を向ける。
 『一緒にサボるか?』も、『ま、精々勉強に励め』なんてのも、何もなしで。
 ……他人に嫌悪されたり拒絶されたりすることには、慣れている、はずだった。なのに、今、目の前の男が俺を否定しただけで、身体が正常な動作を拒否するまでにショックを受けてる。痛くて、辛くて、苦しくて、それが何でなのか訳が分からなくなりそうになる混乱を必死で堪えて、それでもただ、笑うしかなかった。
「…分かった。じゃ、お大事に」
 いつも通りに笑えてたどうかは甚だ怪しい。ただ、やたらに高く響いた自分の声と、甲太郎が立ち止まって振り返っただけで鼓動した心臓だけは、確かな異常だった。
「お前は俺のことを嫌っているものだと思ってたぜ」
「きら、って?…え?」
「そういや、気になってたんだが教室に戻る前に、そこの鏡で髪や服を直した方がいいぞ」
 転んだみたいに髪がボサボサだぜ、なんて。俺が寝癖つけたまま学校来ることがあるのを知ってるくせに、一体何を言ってるんだろう?
 けれどもワケが分からないまま、言われた通り、のろのろと鏡を見た瞬間――――、
 文字通り、絶句した。
 そこに映っていたのは、頭髪は肩までの長さ、特徴的なのは丸メガネ、そして天香學園女子制服を着た、女性…。
 七瀬、月魅。それ以外には見えなかった。
 鏡、それは分かっていたけれど、俺は思わずそこに七瀬ちゃんがいるのかと思って手を伸ばしてしまった。すると、鏡の前の七瀬ちゃんも、全く同じ動きをし、指先が鏡の上で触れた。
「ん?どうしたんだよ。変な顔をして?」
 今度こそ、甲太郎の声さえ耳から抜けていった。
 落ち着け、落ち着いて、落ち着いたら、落ち着いたとき、そう、大丈夫、落ち着いて、まずは古典的だけどこれだ。
「おい…何やってんだ?」
 頬をつねると、後ろから甲太郎の呆れたような声。
 普通に、痛い。鏡の中の七瀬ちゃんの頬も、僅かに赤くなってる。
 頭から血の気が引いていく。それを追うように、頬、首筋、肩と身体に触れていき―――、
「おッ、おい!何やってんだよッ!!」
 さっきよりも慌てたような声。
 俺の手の中には、俺の身体にあるはずのない、柔らかい二つの感触。胸。おっぱい。脂肪の塊。その感触がある。
「どうかしたのか?」
「え、あ……『古人曰く』…」
「はぁ?何だよ、突然。さっきのおっさんにどこか怪我でもさせられたのか?おいッ、七瀬」
 眩暈がした。これは、衝突の後遺症とかじゃない。ただ本当に、眩暈がした。
 俺は何故か、七瀬月魅だった。えっと、さっきまでは確か葉佩九龍だった。……よな?
 記憶を手繰る。アムロさんとで食わしたところからだ。いや、その前に真里野に喧嘩を売られた記憶がある。その後、八千穂ちゃんは俺を確かに『九龍クン』と呼び、アムロさんは『少年』と呼んだ。
 それから、全力ダッシュ……七瀬ちゃんと、激突…あれが?
 非科学的だ、けれど、現実だ。俺は今、中身は葉佩九龍、身体は七瀬月魅として在る。それを確固たる事実として自我認識にして、誤らないようにしないと…。不安になっていくと、いずれ俺は葉佩九龍としていた事実さえ、忘れてしまう。
 意識を確立させ、俺は、甲太郎に向き直った。
 七瀬月魅が、彼の前には立ってるはずだった。
 でも、……でも。
 俺、だよ?甲太郎、俺は、ここだ。七瀬月魅じゃない俺を、見ては、くれない?
「あ、あの……」
「何だ」
「……俺が、七瀬月魅じゃなくて、葉佩九龍だって言ったら、…信じて、くれるか?」
 賭だった。信じてくれなかったら、七瀬ちゃんがおかしいと思われる。けれど、分かって欲しかった。甲太郎に、俺はここにいるって、信じて欲しかった。俺の言葉を。俺を。
 でも。
「お前が九龍だ?どういう意味だよ?おかしな事言い出しやがって……ノイローゼだのストレスだのそういう話なら瑞麗にでも相談するんだな」
 甲太郎の答えは、それだった。
 その瞬間、彼の目の前にいる人間は、七瀬月魅になった。
「す、すみません……おかしなこと、言いましたね。疲れてるのかもしれません…」
 俯いて、なんとか微笑みを作ろうとしたけれど……できない。
 チャイムの音と共に甲太郎はスピーカーに視線を向けた。
「ん?六時限目の授業が始まる。俺は早退するからいいが、お前は早く教室に戻った方がいいんじゃないか?これからは、せいぜい不審者には気を付けろよ」
 皆守甲太郎は、七瀬月魅に優しい言葉を掛ける。
「はい、ありがとうございます」
「じゃあな……あぁ、そうだ、早退の事、九龍のヤツを見かけたら伝えといてくれ。捜してるんだが、見当たらなくてな」
 そうして遠ざかる足音が、耳鳴りにも似て。
 チャイムの余韻も、甲太郎の残り香も、全部が消え去ってからもう一度、鏡を覗いた。悪夢を願って、でも、それは夢より酷い現実だ。俺は、身体が七瀬月魅になっている。
 皆守甲太郎は、成りきった七瀬月魅を疑わなかった。俺は、ちゃんと演技、できていたんだ。
「ハ、ハハ……は、は」
 空笑いが零れる。
 結局、中身を見てくれていたワケじゃなかった。
 皆守甲太郎は、俺ではなく、俺が演じていた潜入用葉佩九龍を許容した。
 そして、今。
 
 俺を、拒絶した。

*  *  *

 放心した後、考えついたのは『葉佩九龍』との接触だった。七瀬月魅は葉佩九龍の身体の中にいるかもしれない。可能性としては考え得ることだ。行き先は3-Aか?3-Cか?もし入れ替わりが起きているなら、おそらく彼女も気付いているはず。
 とにかく、教室棟へ戻ることが先決、と思ったとき、通りかかったのは保健室の前だった。
 もしかしたら、という思いが過ぎる。
 ルイ先生は優れたカウンセラーであり、気孔を使う。前に俺が熱を出してぶっ倒れたとき、見てもないのに隣が皆守甲太郎の部屋だって見抜いた。
 一か八か、だった。
 保健室の扉に手を掛け、僅かに開けた。
 中から人の気配がする。そして、
「入りたまえ。葉佩だろ?」
 一気に、扉を半ば乱暴に全開にした。目の前には、驚いたようなルイ先生が、それでも優雅な所作で椅子に腰掛けていた。
「ん?七瀬ではないか。間違えてすまなかった。おかしいな……葉佩の《氣》を確かに感じたのだが」
「そ、それでいーんです!!ルイ先生、オレオレ!!」
 瞬間、俺はこの學園で在らねばならない葉佩九龍を取り戻す。
「何?」
「あの、おかしいと思う気持ちはよぉーく、分かります。でもでも、俺は、葉佩九龍なんスよ!!」
 ルイ先生の表情が曇る。当然だよな、いきなり七瀬ちゃんが「オレオレ!」とか言って、あまつさえ葉佩九龍を名乗るこの謎。でも、ルイ先生になら話せば分かってくれるという愚かな確信があった。
「さっき、廊下をBダッシュしてたら、七瀬ちゃんと衝突事故を起こしましてですね、しばらく朦朧としてたんスけど、気付いたら、この有様で……そんときには、もう七瀬ちゃん、つまり、俺の身体はどっか行っちゃってたわけで」
 正確にはどっか行っちゃったのは七瀬ちゃんの俺の方なんだけど…うわぁ、ややこし。
「なるほど……やはり、私がさっき感じた葉佩の氣は勘違いではなかったという訳か。ふむ……とても興味深い現象だ」
「……当人はそこまで悠長に構えられんですケド」
「私の祖国である中国に伝わる道教の教えでは、」(ハイ、綺麗に無視ですね。)「魂魄―――つまり、霊もそれを包む肉体も、氣という同じ物質から成り立っていると考えられている。君は、霊と肉体は同じ物だと思うか?」
「えっと、ハイ、まぁ。どっちか欠けても、動けなくなるなら…」
「そうだな。私もそう思っている。霊と肉だけでなく、世の摂理や事象のことごとくも同じように氣によって成り立ち、万物はその氣の流れの中で隆盛を繰り返しているのだと」
「氣……それが、霊とか、肉体とかに影響するって事、デスよね」
 そして、以前に言われた俺の氣は酷く不安定だと言うこと。眠れないと言う、その一点に於いて。それから、過去のある一部分に於いて。
「君の身に起こってる事は興味深い現象ではあるが、理解不能な現象ではない」
「はぁ」
「だからこそ逆に言えば、君たちの身体が元に戻る事も可能だと私は思っているわけだ。私の言っている事がわかるか?七瀬―――いや、葉佩」
「なんと、なく。とにかく俺な七瀬ちゃんを探して、氣を、落ち着かせないとなんですよね?」
 ルイ先生は、満足そうに頷くと、煙管を軽く振った。
「まぁ、そういうことだ。入れ替わったときと同じ方法を試せば、あるいは元に戻れるかもしれない」
 あ、じゃあアムロさん探さなくっちゃ。
「七瀬が保健室に来たらすぐに知らせよう。それともう一つ――――このことは、あまり人に話さない方がいい」
「わぁってます。ちゃんと七瀬ちゃんを演れますって。借り物に傷なんか、付けらんねーっすからね」
「ああ。七瀬のためにも、私と君だけの秘密にしておいた方がいいだろう」
「了解です」
 葉佩九龍らしく、軽くふざけた敬礼をしてみせて、ルイ先生を見た。
 俺の中には、確固たる甘えがあった。七瀬月魅の身体をしていても、中身が葉佩九龍―――少なくともこの學園で生活していた葉佩九龍だと気付いてくれた人間がいた事に。
 意味のある視線に気付いて、ルイ先生は首を傾げた。
「どうした?探しに行かないのか?」
「……いえ、行きます。失礼しました」
 一礼をしてから、落ちてきたメガネの位置を直そうとした、その時。
 目の前で白衣が翻った。反応が一瞬遅れたせいで、俺は、ルイ先生の腕の中に収まっていた。
「大丈夫だ。きっと、戻れるさ」
「………ハイ」
 背中に回されたルイ先生の腕の温かさを確かめ、鼓動を聞いて、しがみつくように白衣を握りしめた。それから何度かあやすように背中を叩かれ、知らず強張っていた身体から、力が抜けていった。
「ふむ…葉佩、なんだがな。七瀬に見えると不思議と抵抗がないな」
「わお、役得!」
 離れてから、照れ隠しに笑うと、ルイ先生は照れ隠しでも何でもない笑顔をくれた。
 温もりを、確かめるように後ろ手で手の平を握りしめ、止まった震えがまた起きないように深呼吸をした。
「いっておいで」
「はい」
 再見とルイ先生と挨拶を交わして、保健室を出た。
 ……広東語発音の、舌が上手く回らん…。こんなところでも弊害だな。
 そういや、七瀬ちゃんの身体ってどれくらい動くんだろ?運動…得意だって話はきかねぇなぁ。むしろ、逆じゃねぇか?こんな文学少女真っ向勝負じゃ、期待はできない、か。
 階段を登って、3-C、六限の授業はまだ始まっていなかった。次は地理だけど、先生の姿がまだない。
「あッ、月魅!」
「や、八千穂さん…」
「ん?どしたの?誰かに用?」
「ええ。ちょっと葉佩さんを探しているのですが」
「九龍クン?」
 八千穂ちゃんは、当然目の前にいる俺を無視して教室を見渡した。俺も覗いてみるけど、葉佩九龍の姿は見当たらないようだ。
「アレ?そういえば姿が見えないなァ。廊下で月魅とぶつかった後、起き上がるとどっかに走って行っちゃってさ」
 ということは、やっぱり彼女が俺の中にいると言うこと、かな。だったらH.A.N.Tから彼女のケータイに連絡してみるのがいいかも。
「そうだ、ちょっと待ってて」
「へ?」
「え~と……」
 八千穂ちゃんがケータイを何やら弄ってる。七瀬ちゃんにメールでもしてんのかな?
 ……って、七瀬ちゃんにメール?違う違う!七瀬ちゃん、俺!で、俺が探してんのは葉佩九龍だから…。
「これで、よしっと。今、九龍クンにメール打ったから、すぐに教室に戻ってくると思う、」
 チャラッチャラッチャラチャラ~♪
 はいH.A.N.T鳴りましたー。あっちゃぁ…。だよ、なぁ。葉佩九龍を、探してんだもんな…。
「ん?何か鳴ってるよ?……って、それ九龍クンのじゃ?何で月魅が持ってるの?」
 何で?そりゃ、俺のだから…なんて言えるはずもなく。
「さっきぶつかったときに葉佩さんが落としたのを間違って私が拾ってしまったんです。それを返しに来たんですけど…」
「あ、そうなんだ。すっごいイキオイでぶつかったもんね。怪我、しなかった?」
「ええ、大丈夫です」
 たぶん、頭以外に異常はございませんことよーん。って、俺の身体は、無事か?
「そうだ!月魅、今日、本の整理するとか言ってなかった?忙しいなら、あたしが返しとくけど?」
 げーろげろ。
「い、いえ。あの、は、葉佩さんにも本の整理を手伝ってもらう事になっているので、その話も…」
「九龍クンに?」
「図書室に入り浸り……じゃなくて、よく利用してもらっているので、手伝ってくれるって…」
 嘘は言ってない、嘘は!でも、八千穂ちゃんがモロに怪しいって言う目で見てる!何、その目?
「ふぅ~ん、九龍クンが、ねぇ。そういえば最近、二人よく一緒にいるよね?……もしかして、二人って」
 え、そっち?
「いえいえいえいえいえ、ないない、そんなことあるはずないじゃないですか!」
「あ、慌てちゃって、怪しいんだー!」
「いや、マジで、あーっと、本当に、整理を手伝ってもらうだけで、全ッ然そんなんじゃありませんから!ここ四倍角です!第一、葉佩さんてガサツだしへらへらしてるし粗暴っていうか頭が悪そうっていうか、あまり私、好きではないので」
「……そうかなぁ?あたし、九龍クンの事、好きだよ?」
 あぁ、もう!!嬉しいよチクショウがッ!!
 ヤ、今は七瀬ちゃんなんだから抱きついてもそこまで文句は言われないと思う……いやいや。
 俺は妄想と煩悩と葛藤しながらぶるぶる首を振った。
「こんにちは…」
 八千穂ちゃんの横から、俺な七瀬ちゃんに向かって声をかけてきた人がいた。
 白岐ちゃんだ。
「あッ、白岐さんッ」
 彼女は、じーっと、俺の方を見てる。まさか、変なコト考えてたのを見抜かれた?まっさかぁ、ね。
「え~っと、月魅に話?」
「七瀬さんに?」
 白岐ちゃんが俺と八千穂ちゃんを見比べて、微かに首を傾げた。
 ……まさか。
「どこに七瀬さんがいるの?」
「え……目の前にいるじゃない」
「そう…あなたには七瀬さんに見えるのね」
 やっぱり。白岐ちゃんには、俺が、『葉佩九龍』に見えてるんだ。
 白岐ちゃんて、普通じゃねーもん。絶対に、一般人には見えない何かを感じてる、はず。この學園の事とか全部引っくるめて、白岐ちゃんは、普通じゃない。
 俺は、少しだけ白岐ちゃんに腕を引いて、八千穂ちゃんには申し訳ないけど内緒話の体勢に入った。
「あ、あの、さ…やっぱ、俺、葉佩九龍に見える?」
「ええ。いつもと同じ。何かを必死に渇望しながら、けれど求める事にすら怯えるあなたに見えるわ」
 ……言ってくれる、ね。
 たぶんそれは、俺が、葉佩九龍の中にいたとしてもそう見られてるんだろう。もう言い返す気も起きねぇっての。
「どういう理由でそうなったかは分からないけれど、元に戻りたいなら七瀬さんを捜す事ね。原因が結果を生むのなら、結果から原因を辿る事もできるはずだから」
「ん。サンキュ」
 白岐ちゃんは、本当にちょっとだけ、微笑むように唇を動かした。それから教室の方へ向き直ろうとして、途中で俺を振り返る。
「…違う姿になった事で、逆に自分の姿が見える事もある。葉佩さん、この學園は、あなたに何を与えるのかしら…?」
「…………」
「それじゃ。さようなら――――」
 そう言って教室の中に入っていってしまった白岐ちゃんを、八千穂ちゃんが慌てて追いかけた。
「あッ、白岐さんッ!じゃ、じゃあ月魅、また後でねッ」
 …好きなんだなぁ、白岐ちゃんのこと。友達になりたいって、言ってたもんな。
 にしても、白岐ちゃんには全部見抜かれてた…。入れ替わった事実だけ、じゃなくて。皆守甲太郎に求めようとしたことも、彼女には求めるまでもなく知られていた。
 だからって、彼女が受け容れてくれる訳じゃないんだけど。たぶん、彼女は傍観するだろうから。學園の呪いも今日みたいなツチノコ騒ぎも、學園を往来する人の波さえ、あの綺麗なガラス玉みたいな目で、見続けるんだ。
 俺のことを、求める事にすら怯えるチキン野郎だって言ってたけど…なら、白岐ちゃんはああやって全てを見通しながら、本当は何を視たいんだろう。
 …どうでもいいことだった。けれど、図書室に向かって歩きながらの手持ちぶさたな思考の中では丁度いい暇潰しだった。
 途中でチャイムが鳴り、一気に廊下から人がいなくなる。先生に見つかると面倒だから、急ぎ足で図書室に向かった。七瀬ちゃん、七瀬ちゃんはいるかなー、っと、さっきから気になっていたスカートのポケットに手を突っ込むと、鍵がふたつ出てきた。《書庫室の鍵》と《司書室の鍵》。へぇ、ちゃんと持ち歩いてるんだ。
 その鍵をガチャガチャやりながら、図書室の扉を開けようとしたとき、隣の司書室から声がした。
「葉佩さん―――」
 一瞬、誰の声か分からなかった。野郎にしてはちょっと高い、でも女の子みたいな甲は全く感じられない声。
 うぉ、コレ俺の声じゃんよ…。
「葉佩さん、こっちです。私です、七瀬です」
「七瀬ちゃん、見ぃっけ」
「あの、廊下で葉佩さんとぶつかって、目が覚めたらこんな風に身体が入れ替わっていて…驚いて、そのままこの部屋に入って鍵を掛けたんです」
 その判断は正しい。たぶん、俺が七瀬ちゃんの役をやってるようには、七瀬ちゃんは俺をやれないだろうから。
「とりあえず、ルイ先生と、あと白岐ちゃんにはこのこと、話してあっから。もし何かあったら先生のとこ行ってな。あと、一応七瀬ちゃんを演ってるから、怪しまれてはないと思う。ケータイは、どうしてる?」
「えっと、教室の鞄の中に…」
「じゃ、荷物とか取ってきて図書室のカウンターの中に置いておくから。なるべく連絡は取れるようにしといてくれるとありがたい、デス」
「わ、分かりました…」
 そこで、七瀬ちゃん、どっぷり溜め息。どうでもいいけど、葉佩九龍って辛気くさいと救いようがねぇなぁ…。
「……何でこんな事になってしまったのでしょう?もうずっと、このまま元に戻らなかったら…」
「あはは、俺は別にいいケド。女の子の身体だと女の子に抱きつきたい放題で♪」
「何を言ってるんですかッ!私は嫌です、このまま戻れないなんて!!」
 おーおー、元気、出たね。
「そうそう、その意気。凹んでても解決しないっしょ」
「あッ……。そう、ですよね。このままじっとしてても解決法は見つからないわ。何とか元に戻る方法を探し出さないと……」
 女言葉でもそんなに違和感が無いという自分の声にちょっとウンザリしながら、俺は扉の向こうに話しかけた。
「そだ、俺、ちょっと心当たりがない事もないから、動いてみるけど、身体借りていい?」
「分かりました!では、私はここにある本を調べてみます。何か分かったら連絡しますから、それまでは葉佩さんも私として行動してください」
「ハイハイ、了解。古人曰く―――『蓮の台の半坐を分かつ』デショ」
「それは、ただのことわざのような気もしますが…」
 七瀬ちゃんが笑った。これだけ元気があれば大丈夫だろ。
「それでは、お互い元に戻れるまで頑張りましょう!」
「あいよッ」
「ハイッ、それじゃ、私の身体をよろしくお願いします」
「俺の身体もねー。それね、結構鍛えてるから、いろんなこと、一通りやってみると面白いかもよ。三階から売店まで三秒で辿り着くとか……って、そうだ、ちょっと参考までに聞いておきたいんだけど」
「何でしょう?」
「五十メートル、何秒で走れる?あと、走り幅跳びの記録なんかも」
 少しの沈黙。考え込んでるのか、訝しがってるのか。
「十秒は…かかります。幅跳びは、二メートルとちょっと、です」
「うぃ」
 そんな恐縮しなくてもいいんだけど、もし、あの墓の下に潜る事になったら、この運動神経はちょっと大変かも知れない。ホント、まかり間違ったら死ぬ………って、
「あ゛ぁッ!!」
「どうしました!?」
「ヤ、な、なんでも、ない…」
 真里野のこと、忘れてた…。
 この學園で変な事が起きると、大体解決の糸口はあの遺跡だから潜ろうとは思ってたんだけど…そうだ、真里野に喧嘩売られてたんだよ…。この姿でやるのか?事情話して……分かってくれっかなぁ?
「あ、それと、二年のボクシング部でメガネのびしょーねん、知ってる?ちょっと目つきの悪い」
「え?あ、ハイ。なんとなく、ですが。それが何か?」
「目が合ったら殴りかかってくるから気ぃ付けてね」
「えぇ!?」
「今日はもう一回やってるから大丈夫だと思うけど」
 分かりました、と返事をした葉佩九龍な七瀬ちゃんは、なにやら扉の向こうで屈み込み、少しして、するすると扉の下から何かを差し出してきた。
 見覚えのある封筒……げ、あれは。
「あの、ポケットに、入ってたんですけど……あッ!中は見てませんから!」
「あ゛ー…うん、あんがと」
 この子のこともあったんだ。しかもそういや雛川センセにも呼ばれてるんだ…。
 色々目白押しだけど、あとは。何か注意事項あったっけ?荷物はあとで持っていく、夷澤わんこに注意、あと……、
「……皆守甲太郎に、あんまり近付かないでな」
「はぁ……でも、どうして…」
「今日、機嫌悪ぃの、あいつ。どやされたくなかったら、あいつにだけは見つからないでね」
 よろしくね、と言い残して、俺は司書室から離れた。七瀬ちゃんの荷物を持ってきて、それから、行動開始だ。
 ………長い一日になりそ。