風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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6th.Discovery Brew - 青色少年 -

「ルイ先生ー、いますかー?」
 声の主は、部屋に入ってくる前に分かっていた。だが、敢えて名は呼ばずに部屋に招き入れた。
「開いているぞ、入れ」
「失礼しまーす」
 入ってきたのは、案の定、規格よりも幾分小柄な生徒だった。名を、葉佩九龍というこの少年は、昨日は七瀬月魅という少女の形をしていた。意味が分からないだろう。私にだって未知の出来事だったのだから仕方がない。
 葉佩は不慮の事故から七瀬月魅という女生徒と意識と肉体が入れ替わるという事態に陥ったのだった。
 今日、こうして葉佩九龍がとても「らしい」様子でここへやって来たということは、おそらくは無事に元に戻れたということなのだろう。
 ……無事、というには頬の青痣が痛々しいが。
「ほぉ…男前が上がったな」
「そーですか……そう見えますか」
 ぐったりとした様子で長椅子に座り込んだ葉佩だったが、どうやら今日はよく眠れたようで、いつもの顔色の悪さが見られない。抜けるように色が白いのは変わらないため、青痣がやけに目立って見えるが。
「凄まじいストレートでしたからね。危うくK.O.食らうトコでした」
「食らったんじゃないのか」
「ええ、ああ、まあ」
 へらへらと緩んだ表情で笑う少年は、しかしその実、掴み所がなく得体が知れない。今のように朗らかな笑顔を見せているときもあるが、時折、これが二十に満たない少年が見せる顔か、と言うほどに陰鬱で、何かを達観しきってしまったように変わることもある。その二面が氣となって見えることもあるが……大抵は今のような笑顔で全てを覆い隠してしまっている。
 人当たりは、いいのだろう。悪い噂はあまり聞かない。ただ、この年頃特有の僅かに色めいた噂が、男女の区別なくまとわりついているという辺りに疑問を抱かないわけでもないが。彼の傍らに常にある『友人』の姿を、そういえば今日は一度も見ていない。
「センセ、あんまり目立ちすぎると何なんで、冷やしておきたいんですけど」
「その痣はしばらく残るぞ。青から紫色に変色して、だんだん色が落ち着いてくるがな」
「どれくらい掛かります?」
「そうだな……一週間もあれば薄くなるんじゃないか?」
 一週間か、と、葉佩は呟く。
 おそらくは自分の顔に傷が、と言う意味で言っているわけではないのだろう。豪快に彼を殴り飛ばしたクラスメートがいつまでも気にしてしまうのではないかということを、考えているのだ、この少年は。
「もしも目立たせたくないのならファンデーションを塗るという手もあるが?」
「あー…、それも、しょうがないっスかね」
「どれ、見せてみろ」
 治療がてら、葉佩に近寄って正面から覗き込むと――――なるほど、男前が上がったというのは正しいかもしれないと感じる。元が童顔な少年だが、おそらくは幼く見えるのは容貌だけなのだろう。顔に傷を受けたことで、表情が締まり、彼の持つ雰囲気に追い付いたように思われた。
「これは大したものだが…八千穂の手の方は何ともなかったのか?」
 傷は頬骨に綺麗に入ってしまっている。もしかしたら八千穂の手の方も打ち身や痣ができているかもしれない、それを口にしたのだが。
「あ、そりゃ大丈夫です。俺だって殴られ方くらい心得てますから」
 普通の高校生はそんなさじ加減、分からんはずだが?しかも咄嗟に対処できるなど、やはりこの子の『正体』云々を抜きにしても、葉佩は只者ではない気がしてならない。
 昨日、例の入れ替わり事故の時も、妙に落ち着いていた。あんな状態に陥れば焦って取り乱すのが普通なのだろうが、葉佩はもう一方の七瀬月魅を絶妙に演じきってしまった。私の元に来た当初は多少なりとも慌てていたようにも見えたが……あれすら、慌てていた演技だったのかもしれないと余計な勘ぐりを入れてしまう。
 が、敢えてそのことは追求はせずにおいて、頬に氷嚢を当ててやった。
「すんませーん、お手数かけます」
「君たちの手当をするのが私の仕事だ、気にするな……ん?」
 目に入ってきた白い首筋に、赤い箇所を見つけた。もう十月も後半だ。蚊に刺されたというには時期が過ぎている気がするが?
 触れようと手を伸ばしたとき、気配に気付いたのか葉佩が僅かに身動いだ。
「な、何か?」
「首筋、どうした?赤くなっているぞ」
 手近にあった鏡を渡し、葉佩がそれを覗き込んだ途端、氷嚢を押さえる手とは逆の手で、首筋を隠した。
「? 傷か?虫さされのようにも見えるが、痛みはあるか?」
「なななな無いです、ええ、全ッ然!」
 怪しい。
「顔が赤いぞ」
「気ぃのせいですよ!は、はははは、どうしたんだろーなー、蚊に食われたかなー、俺って、血が美味しいから!!」
 言いながら、けれど忙しなく視線が動く。
 首筋の赤い痕なんて、虫さされじゃなければ他には………もしや。
「ふむ。その虫は随分大きくはないか?」
「へ?」
「そうだな、背は私よりも高くて、身体の成分のおおよそ六割がカレー、残りがアロマで形成されている……違うか?」
「ち が い ま す ッ !」
 おかしいな。葉佩と親しく、尚かつ過度の接近を許すのは學園でもかなり限られているように思うが、八千穂はあまりこういった行動に出そうにない。他の面々、生徒会の執行委員を見てもその手のことには疎そうだ。
 だとすれば消去法で皆守甲太郎なのだがな。
「そんなまさかなんで甲、じゃない皆守が俺にそんな事する必要があるんですかまったくルイ先生ったら妄想力が逞しいんだからははははは」
 噛まずに一息で言ってのけるところがますます怪しい。
「そうか。君は、普段は嘘を吐くのが得意でも、こういったことだと嘘を吐けない体質らしいな」
「いや、だから、違うんですよぉ!」
「同意なのか?」
「まさか!!」
「……種草莓(キスマーク)」
「う゛ッ……」
 とうとう首を両手で押さえた葉佩は、私が氷嚢を拾ってやるまでそのまま凍り付いたように固まっていた。決定的だ。そうか、この手の嘘は吐けないんだな。
「でもあのですねこれは何というか事故です事故、接触事故というか消せない過ちというか禁断の愛ではなくてですね、ええと」
「言ってる意味がさっぱり分からん」
 葉佩の滅多にない混乱ぶりが、見ていて非常に楽しい。
 がっくりと、観念したように撃沈した葉佩はそれでも何とか顔を上げ、
「そ、そ、それはそれとして、えっと、そうそう!質問をですね、しに来たんですよ俺は」
 と、無理矢理に笑った。口元が引きつっている。
 私は、笑いを堪えて言葉を促した。
「あのぉ、そのぉ、ですね。メールで、ルイ先生、『早く戻らないと取り返しのつかないことになる』って送ってましたよね」
「ああ」
「そ、それって、どう、取り返しがつかなくなるんでしょう…」
「そうだな、まず心配したのは七瀬と人格が混同してしまうことだ。自分が本当は何者なのか分からなくなったり、そういうことだ。他には、やはり長く男性として在れば《陽の氣》が増大してしまうだろうし、女性で在れば《陰の氣》が増す」
「それって、つまるところ…」
「七瀬が男らしくなり、君が女らしくなる可能性もあったということだ。まぁ、それは大丈夫だったようだがな。七瀬の様子を見に行ったら変わりはないようだったぞ」
 葉佩は首に手を当てたまま、神妙な顔をしていたが、やがて、何かを決したように口を開いた。
「俺、の方が、ですね、ちょっと、変なんですが」
「変?」
 ごくり、と葉佩は唾を飲む。
 そして、
「お、男にドキドキしちゃったら、そりゃー、もう、取り返し、つきませんか?」
「つかんな」
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ…」
「冗談だが」
「うぉぉぉぉ…」
 面白い。実に面白い。何か言うたびに、葉佩は長椅子の上をゴロゴロ転げ回る。重症だ。
 力尽きたのかぐったりと芋虫のように丸まる姿を見ていると、昔、弟をからかうとこんな反応を見せていたということをふと、思い出した。
「ははは、まぁ、いいじゃないか。正常な範囲内だよ、それは」
「……真っ当な正常からは少しズレてるって事ですか」
「少しな」
「あぁぁああぁぁぁ…」
 ついに頭を抱えてしまう。
 このままでも面白くて良いのだが、カウンセラーという立場ではそうもいくまい。
「だがな、この場合は状況が特殊なのだから仕方ないだろう」
「ぅ?」
「君の《氣》が不安定なことは前にも話したと思うが、それに今回入れ替わりが起こり、加えて彼はいつも君の隣にいるだろう?それが合わされば多少なりとも精神に作用を及ぼしても不思議ではない。氣が落ち着けば、いつも通りかもしれんぞ」
 途端に、葉佩の顔が輝いた。長椅子の上に立ち上がって拳を握り締める。
「そーですよね!そーだ、そーだ、気の迷いだ!ですよねー、良かった!!」
 変わり身の早い子だ。
 私が『男』というのを『皆守甲太郎』と限定していることに気付いているのだろうか?あまりにあっさり肯定された気にもなるが…まぁ、他は考えてないと言うことか。
「あー、スッキリした!じゃあ俺、授業出てきまぁす!お世話様っした!」
 止める間もなく、葉佩は保健室を出て行ってしまった。
 ……あれでは、万が一気の迷いでなかったときにショックを受けるのではないかと心配になったが。それに、あのキスマークも付けたまま虫さされで通すのだろうか。聡い生徒には気付かれるだろうが…それはそれで、面白いから私としてはいいことなのかもしれない。
 だが、底が知れない、何かを隠し持っているような葉佩でも、自分の真に迫ることになるとああも子供っぽくなるのかと思うと、少し、安心した。まだ、彼は――――彼らは、若い。余計なことを考えすぎたりせずに、真っ直ぐ突き抜けるように在ってほしいと、今は願うばかりだ。

End...