風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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5th.Discovery Brew - 図書室に住む者 -

 彼は、昼休みになると私の所へやってきます。いえ、それは朝からの時も、午前の休み時間のこともあります。
 3-Cの転校生、葉佩九龍さん。私に用があると言うよりは、私の持っている書庫室の鍵、それから書庫室に並ぶ本達に用があるのだと思います。
 私は彼と共に図書室へ行き、それから、図書委員でさえ滅多に立ち入ることのない、書庫室を開けるのです。そこには天香學園創設以来から集められた膨大な数の書物が並んでいます。
 彼はそこへ入ると、あとは何も語らずに黙々と書物を読み解くことに専念するのです。
 私は、ただそれを見ているだけ。お手伝いすることも出来ずに、かといって彼の側に近付くことも出来ずに、結局はそっと、立ち去ることしかできません。

*  *  *

 始まりは、いつのことだったでしょうか。
 日にちまでは覚えていませんが、確か朝のHRが終わってすぐ。授業が始まるまでのその間の時間に、私は誰かに名前を呼ばれました。振り返って、教室の入り口で見つけたのが彼でした。
 葉佩さんは、唐突に、私に書庫室の鍵を貸してくれないかと言ったんです。勿論、鍵は図書委員が監理するものだから貸すことは出来ないといいました。例え、他の生徒が隠し場所を知っていて勝手に入り込むことがあったとしても、です。けれど葉佩さんは引き下がりませんでした。
 どうして、そこまで?と、聞くと、彼はしばらく考えてから、あの、誰にでも見せる明るい笑顔で言ったんです。「成績の底上げ♪」と。
 ふざけた物言いだと思いました。でも、ふざけてない証拠に笑顔なはずの彼の目は真剣で、それは、明らかに以前の彼とは違っていました。……普通の転校生じゃないということは薄々気が付いていたけれど。
 彼は、前にも図書室にはよく来ていたんです。たぶん、図書室内の日本史、それも古代史に関する本はほとんど読んでしまったんじゃないかしら。それでも足りなくなるような何かがあった、そう考えてもいいと思うんです。
 私は、鍵を貸すことはできないけれど、書庫室に入る事は承諾しました。ただし、その前に私に声をかけてほしいと。すると彼は、書庫室の鍵の隠し場所が分かってからも、律儀に私を捜してから書庫室へ入るようになったんです。

*  *  *

 今日も、そうして彼は本を読んでいます。時折手元の携帯端末に何かを打ち込みながら、真剣に。
 昼休みからかれこれ四時間。もう放課後です。
 下校の時間だからと私が書庫室の戸締まりを確認しようと来たら、まだ彼はそこにいました。彼は、一度書物を読み解き始めると、まるで自分だけの世界に入り込んでしまうような集中の仕方をするんです。そこにいる彼は、普段の彼とは全く異なる人のような気がして、時々、怖くなったりもします。
 きっと、私がいることにも気付いてないんじゃないかしら。瞬きすることすら惜しい、という様子で読み耽る彼に、思わず、声をかけていました。
「古人、曰く―――『専心と勤勉は幸運をもたらす』。葉佩さん、確かに勤勉とは素晴らしい美徳です。ですが…少し根を詰めすぎでは…?」
 声は聞こえたようで、彼はハッと、顔を上げて私を見上げました。……床に座り込んで本を読んでるんですよ?彼は。
「あ……七瀬ちゃん、えーっと、今、何時?」
「もう下校の時刻です。もうすぐ下校放送も鳴ります」
「あちゃ、まーた午後授業サボっちゃったい。あ、すぐ出るから」
 葉佩さんは、携帯端末に本の名前と奥付を打ち込んで、積まれた本を元の場所に戻していきます。
 それを手伝いながら本にまたメモが挟んであるのを見つけました。こっそりその頁を開いてメモを見ると、
 『太陽 月 荒ぶる神 鳥は鷹 バー?カー?』
 ???
 私には何のことだかサッパリ。でもきっと、彼だけに分かる大事なメモなんでしょうね。
 彼の本の読み方は独特で、一冊読み終わると、もう一度目を通し、脇に置いてあるメモ用紙に何かを書き込み、それを頁に挟み込みます。それから、以前読んだ書物の中で同じメモが挟んであるものを探して二冊、または数冊を合わせて読む…。
 一度彼に、どうしてそんな読み方をするのかと聞いたところ、
『一冊だけじゃ何のことか分かんなくても、何冊か合わせて読むと分かったりすることもあるし、ほら、一個の事柄を色んな面から見ることもできるしさ』
 軽く言っていましたが…それには膨大な時間と手間と、そして知識が必要になります。葉佩さんは歴史が苦手と仰っていましたから、本当だとしたら大変な労力じゃないかと思うんです。
「あの、葉佩さん?」
「ハイよ」
「……どうして、ここまで?」
 本当のことを言ってくれないとしても、聞かずにはいられなかった…。彼が、やつれているようにさえ見えて、だから。
 彼は、私を振り返ると、長めの前髪を鬱陶しげに掻き上げて、困ったように笑ったんです。
「古人曰く、『栗一俵を用意して凶年の来るのを待つ』……だっけ?もしもの時のために、だよ。何かがあってから後悔するんじゃなくて、その前に滑稽なくらい周到に慎重に準備をするんだ」
 それは、限りなく『本当』に近い答え。何故か私には、そう思えたんです。
「………たぶん、七瀬ちゃんにも、もうすぐ、」
「え?」
「っと、なんでもね」
 本当の残りは、まだ聞けないようですね…。
 あらかた元の場所に戻し終わった時、丁度下校の音楽が。
「悪りぃ、手伝わせちゃって」
「いえ…それは大丈夫ですが」
 書庫室、そして図書室の鍵を掛けて廊下へ出ると、もう人も疎らでした。早く帰らないと、生徒会の法を犯すことになります。急がないと。
「葉佩さん、荷物は?」
「いけね、教室だ。七瀬ちゃんは……ああ、あんのか」
「はい。急がないと時間が、」
 私がそう言いかけたとき、廊下の向こうから誰かが歩いてきたんです。そうして、手に持っていた何かを葉佩さんに向かって、
「ッ痛~!!」
「阿呆。」
 彼が現れた途端に空気の濃度がぐっと濃くなる。漂うラベンダーの香り。
「ったく、午後の授業サボりやがって」
「お前、出たのかよ」
「寝てた」
「ダメじゃん」
 皆守さんは葉佩さんに荷物を渡しながら、彼越しに私の方を見たんです。
 一瞬、空気が冷えた気がしました。睨まれたりしたわけではないのに、彼の目には読めない何かがあって……敵意に近いものを、向けられた気がしたんです。
 そんな雰囲気に気付いていないのでしょう、葉佩さんはいつもの砕けた口調で皆守さんを見上げました。
「で、何?皆守、もしかして迎えに来てくれたとか?いやん、九龍嬉し~い」
「普通に気持ち悪いぞ」
「酷。」
 そう言いながらも、葉佩さんの表情はとても自然で楽しそうで、まるで書庫室の彼とは別人。張りつめていた気が緩んだようにも見えました。
「どうでもいいがさっさと帰るぞ。《執行委員》が出て来ると厄介だ」
「そだね。七瀬ちゃんも、早く行こうぜ」
「あ、はい」
 二人に並び掛けて玄関に向かおうとしたとき、突然、葉佩さんの身体が私の側から離れて……皆守さんの隣に。それがすぐに、皆守さんが葉佩さんを引き寄せたからだと分かりました。
 学生服の首元を掴んで、強引に。まるで、葉佩さんの居場所はここではない、とでもいうように。
 もちろん、葉佩さんは驚いたように皆守さんを見上げて頬を膨らましてたけれど、でも…全然不快そうではなくて、まるで親愛の意味を込めたとでもいうような嘆息をひとつ、漏らしただけ。
「お前、俺の首を絞めるの、趣味?」
「特技だ」
「Sだよそれは。マーキスの称号をプレゼントする」
「いや意味分からんし」
 髪の中に手を入れる皆守さんを見て、ほんの少し、私の中で起こった思い。それは悪戯心かもしれないし、まるで葉佩さんは自分のものだと言わんばかりの行動に対する、抗議だったのかも。
「古人曰く―――『ジュスティーヌとは美徳を最も体現する名である』
 葉佩さん、皆守さんが彼の伯爵ならば、美徳と苦悩の娘になるか悪徳と放蕩の娘になるか、どちらかを選ばねばならないのでは?」
「どっちもゴメン!皆守、お願いだからノーマルでいてね?」
「…だから何の話だ」
 葉佩さんはふざけたように皆守さんの隣を離れ、まるで踊るような足取りで昇降口へと向かっていきました。
 それから少し先で立ち止まって、振り返り、私たちに手を振ったのです。
「ジュスティーヌは七瀬ちゃんに譲る!俺、ジュリエットでいいよーん」
「それは譲られてもあまり嬉しくないのですが…」
 私の声が聞こえたのかどうなのか、葉佩さんは下駄箱の影に消えてしまいました。隣では、溜め息を吐く皆守さん。
「一体何の話なんだ?」
「これから毎日図書室をご利用になれば、分かるのでは?」
「…チッ」
 文学の話だと分かったようで、小さく舌打ちをした後、細く息を吐き出す皆守さん。
 本が好きな、私と葉佩さんだけに分かる会話。そう思って、少しだけ、優越感に浸りながら下駄箱へ降り、玄関から出ました。
 先に出ていた葉佩さんが少年らしい甘やかな笑顔で出迎えてくれるのに対し、皆守さんの不機嫌そうなこと、この上ない。そんなに自分の知らない場所に葉佩さんがいることが嫌なのかしら?だとしたら大変な独占欲ですよね。
 葉佩さんがこの學園に転入する以前までの皆守さんのこと、それほどよく知りませんが、でも、これほど何かに執着するような人だとは見受けられませんでした。だから余計に、変化に驚いてしまうのかもしれません。
「そういや九龍、お前、図書室に籠もりきりで一体何やってんだ?」
「調べ物。ほら、歴史苦手なせいで散々な目にあったからさ」
 僅かに苦さを滲ませる微笑みに、皆守さんは沈黙と、少しの心配で答えていました。そこには確かな信頼感と親愛の情、それと……気のせいか、もっと甘やかな何か。私には割って入れない濃度の空気だと感じました。
 皆守さんは、軽く葉佩さんの頭を叩き、
「あんまり、根詰めるんじゃないぞ?お前が倒れでもしたら、八千穂やら朱堂やらがうるさい」
「ハイハーイ、了解。じゃ、倒れないように皆守クンが見張っててチョーダイ」
 きっと、冗談で言ったのでしょう。でも、皆守さんはまるで天邪鬼の笑顔で、
「ほぉ?なら、そうさせてもらうか。お前の言葉は信用できないからな」
「え…?じょ、ジョーダン、だよ?」
「今更遅い」
「ちょ、ちょいちょい、そんなぁ!」
 授業の出席日数が、とか、雛川先生に文句を言われる、とか。けれど葉佩さんの抗議などどこ吹く風で、皆守さんは。
 青くなったり赤くなったり白くなったりする葉佩さんの顔を覗き込み、言ったのです。
「俺の知らないところでコソコソやってる方が悪い」
 もうきっと、葉佩さんの傍にいるということは、決定事項なんでしょうね
 図書室に住む者が、もう一人増える予感に、思わず零れる溜め息。
「……図書室では飲食禁止です。特にカレーパンなどの油物は厳禁です。それと、それに火を着けたまま入るのはやめてくださいね」
 それと、葉佩さんを、しっかり見ていてあげてください。
 そのことは口に出さずに彼を見上げると、まるでそんなこと言われなくても分かっている、とでも言いたげな。
 予感は、だんだん確信に変わっていきました。明日には、書庫室にもう一つ、ラベンダーの気配が増えるだろう、と。

End...