風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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4th.Discovery 明日への追跡
Night observation - そんな視線が困るんです -

 それは、誰の声だったのか。
 考えるべくもなく、俺を名前で呼ぶヤツなんてあいつしかいない。熱出てるみたいだし、参ってるし、だから幻聴だったんだろうって、思った。こうやって記憶が色々と思い出すから眠るのが嫌だったのに、律儀にも俺は声を探してさまよいだした。
 夢なのか現実なのか。今までいた場所が夢だったことは、自分が目を開けた感覚で分かった。
 熱のせいか、視界が妙にグルグル回る。うー…気持ち悪。
 何度か瞬きをして、最初に感じたのは、匂い。嗅ぎ慣れた…カレーと、それからラベンダーの匂いがした。だから一瞬、ここは皆守の部屋かと妙な錯覚をしたけど、はっきり覚醒してみれば、紛れもない俺の部屋。
 ただ、そこに、いるはずのない人がいてちょっと驚いたけど。
「お目覚めかい?」
「……ルイ、センセ?」
 な、何で?
 ベッドの横の椅子で、チャイナに白衣、綺麗に足を組んだルイ先生がふわふわ煙管を吹かしてる。夢よりも現実味のない状況、これどうよ?
「まったく…カレーとラベンダーなんて、あの坊やじゃあるまいし」
 部屋の中を見渡したルイ先生が、呆れたように呟いた。
「それより、なんで、先生が?」
「何も聞いてないのか?……フフ」
 その笑いの意味が分からないです。ええ、全然。
「朝も早くにな、皆守甲太郎が保健室に来て君のことを話していったんだよ。診てやってくれとな」
「皆守が…?」
「そうだ」
 ……そういえば、皆守とカレーが食えるだのなんだのって話をした気がする、けど、それっていつのことだ?時間の感覚が無くて、こりゃ相当呆けてるなと自分でも呆れた。
「で…皆守は」
「さてね。私が来たときにはもういなかったが……隣が、彼の部屋のようだな」
「分かります?」
「そんな、感じがするだけだがな」
 よく、分かんねーけど、先生がそう言うんならそうなんだろ。
 皆守……カレーの話をしたのは、現実、だよな?レトルトカレーで、お湯がどうとか、えーっと、だからカレーの匂いがすんのかね?あ、でも俺はお湯の話しかしなかったと思うんだけど…呆けてカレーが食べたいとかごねたのかもしんない。ヤバ。
「あいつ……何か、言ってましたか?」
「何かというと?」
「その、俺が、へばったとか以外の、話を」
「何も」
 何も…?ああ、何も。わっかんねーなぁ、あいつ。
「それよりも、君の話をしよう、葉佩」
「ハイ?」
「君の症状だがね、風邪だ。それと疲労」
「さいですか……へしょい体力だな、俺も…」
 ちょっとばっかりショック。たかが風邪、それに疲れでここまでへばるなんて、ね?
 息を吐いてベッドから上体を起こした俺に、ルイ先生は床に落ちて水だけになっていた氷嚢を投げて寄越した。それから、
「君の場合、別に要因が有るとも言えるがな」
 煙管から細く昇る煙の向こうで、ルイ先生が髪を掻き上げた。似合うなぁ、相変わらず、そういうポーズが。
「別…って、俺は持病とかねーっスけど…」
「だが、人より昼の時間が長いはずだ」
 ……あぁ、それ。
 でも、ルイ先生に話した事なんて、なかったはずだけど?なーんで分かっちゃうのかな、顔色悪いせい?
「あれ?俺、そのこと先生に話しましたっけ?」
「いや?だが、分かる。君は随分と氣のバランスを崩しているからね」
「氣……ですか?」
 東洋的な考え方、なのかもしれないけど、俺みたいな仕事をしてるとそれが迷信だと言い切れないところが怖い。ヘラクレイオンの遺跡から出てきた魂も然り、墓地の遺跡を守るあの番人達にしても然り。魂魄や気というものは、確かに人体の一部として人間を形成してるんじゃないかって、思ってる。
「変なんスか?俺」
「ああ。随分と不安定だ。まず第一に眠りの問題がある。普通の人間は、昼と夜が来ることに合わせて覚醒と睡眠のバランスを取っている。サーカディアン・リズムなどと言っているがな。だが、君の場合はそれができていない。これを兆しに、君の氣―――精神というものがうまく保てなくなる場合だってある」
 わー、怖い。それって、このままいくと俺はちょっと壊れた人になる可能性があるって意味ですよね?それを否定しきれないところがまた、なんともね。
 ルイ先生は、傍にあった薬莢入れの空缶に煙管の灰を落として、また口に銜える。存分に味わってから唇を放し、そして俺の中を、覗く。
「それに、君は実に不思議な氣を持っている。酷く硬質で冷たい氣と、正反対に柔らかで温かい氣。普通の人間はね、葉佩。それをひとつに混ぜ込んで個の人間として成る。だが君は……それを分けてしまっている」
 逸らしようがないくらい真っ直ぐ、目の中を見られてるのが分かる。きっと、この人の前では何を取り繕ってもムリなんだろうなっていう確信があった。
「私はそのことをどうこう君に問うつもりはないが、問題は君の中にあるということだけは覚えておいてほしい」
「はぁ…」
 よく分かんないけど、まぁ頑張れってことか、よしよし。
 絶対違う気はしたけど、無理矢理自分を納得させて、そろり、ルイ先生の視線から逃げた。
「で、この風邪も、氣が安定してないせいなんスか?」
「いや、風邪自体は普通の風邪だ。ここまで悪化したのは、君の無理と氣のせい……ふふ、まさに気のせいかもしれないが」
「うぃー」
「どうやら君は、体力が極限状態にまでならないと身体を休めたがらないようだからな。せめて肉体だけは毎晩休めた方がいい。横になって目を閉じているだけでも疲労は取れるはずだ」
 それからルイ先生は、机の上に置かれた小さい紙袋を煙管で指して、
「一応薬も用意した。何だ、その顔は。安心しろ。これでも薬剤師の免許は持っている。漢方なぞ専門だぞ?解熱剤に頭痛薬……アスピリンなど多飲するんじゃないぞ…それから、」
 やっぱ、なんか話したでしょー、皆守クン。俺、ルイ先生の前でアスピリンがぶ飲みしたことねーもんよ。
 それが顔に出たのか、ルイ先生はフッと笑って首を振る。
「そこにアスピリンの瓶が置いてあったんだよ。まだ使用保証期限が何年も残ってるような新品が空になるなんて、少し暴飲が過ぎるんじゃないのか?」
「……ぅぃー」
 そういうことですか…スイマセン。
「それから。あの台所に作り置きされてるものを食べるなら、一応これもだ。整腸剤」
「作り置き?え、俺、何もしてませんけど…」
「なら、誰かが作ってくれたんじゃないのか?伏せってる、君のために」
 その誰かは、間違いようもなく皆守甲太郎だ。
 ……なんとなく、ものごっつい、凹む。何でこんなに凹むんだか分かんないけど、凹む。
「あとは、よく寝て身体を休めることだ。それが、一番の治療法になる」
「係呀、リョーカイです」
 ほげーっと、気の抜けた敬礼をしてみせると、ルイ先生は微笑んで、それから「好好休息喇」と広東発音で言い残して部屋を出て行った。
 途端にドッと、気が抜けた。やっぱ、部屋に人がいるのって緊張するんかも。あ、だから皆守は俺が部屋に侵入するのを嫌がるのか、そーかそーか。
 って、何だよ、作り置きって。
 みしみし呻る関節を無視して、俺はベッドから起きあがった。……これ、誰のシャツ?いや、まぁそれは後で考えよう。
 そこはかとなくラベンダーの匂いがしてくるサイズの合わないシャツに嫌な予感を感じながら、台所を覗いた。コンロに、見覚えのない鍋がひとつ。匂いの元は、そこ。近付いて、蓋を開ければほらそこに。めちゃくちゃに旨そうな匂いを漂わせるカレーの姿が。
 で、脇に、メモ書きが置いてあった。取って、見ると『カレーパンの礼』だって。
 記憶をいくらか巻き戻して、昨日の昼休みだ。皆守に昼飯のカレーパン調達してくるよう頼まれた。そのお礼だって。
 ちょっと本気で、泣けた。ルイ先生が出て行ったときよりも更に、何ていうか、この學園に来てからずっと張ってた緊張感みたいなモンが一気に抜けちゃって、もう、ダメ。台所の床に、膝抱えてしゃがみ込んでしまった。
 その途端に、シャツから香るラベンダーが、急速に存在感を増してきた。
 皆守甲太郎。
 あいつは、一体何なんだろ。
 ……ホントは、気付いてたんだ。
 皆守が、単純な好意で近付いてきたんじゃないっていうこと。俺を見る目はどこまでも訝しがるような感じで、だから、皆守の前では注意して行動してた、つもり。
 最初はさ、監視されてると思ったんだぜ?
 雛川先生にもルイ先生にも、それなりに注意を向けられてるってのは分かってたけど、やっぱさ、あいつは。
 皆守甲太郎は。あいつの視線は。
 確実に俺を監視してる……と、思ってたんだわ。
 念入りな忠告とか、生徒会のこととか、墓場のこととか、会ってすぐの《転校生》に対して、あいつはあまりに過干渉だった。友達が心配ってなら分かるけど、俺と皆守の距離はただの知り合いにも満たない程度だと思ってたから。
 だから、最初は不自然だと感じてた。態度とか、射るような視線とか。探るように俺のことを見下ろしてきて、俺が何も見せなければフッと目を逸らす。それは単なる対象への興味じゃない。真意を計ろうとして、計りかねて、だから見てるっていう、そういう視線だった。監視の視線、俺が、何者で、この學園で何をしようとしてるのかを見定めようとする色を匂わせてた。
 でも最近、思うんよ。何か、違う、って。最初、俺を《転校生》って呼んでたときの眼と今では、明らかに違う温度で俺のことを見てる。
 でも、なら、何で?
 分かんねぇ。全然、分からん。
 探るようなんじゃなくて、当たり前のように皆守がそこにいて、当たり前のように俺のことを見てる。そんな視線に晒されたら、警戒の仕様もないし、どうしていいか分かんね。
 謎男、皆守。
 監視してるんじゃないなら、何で俺のこと、見るわけ?その視線、何の意味があるわけ?
 …なぁんて、本人に聞けるはずもない。
 そんで、こうして目の前に監視って名目だけじゃ絶対に説明できない事柄とか突き付けられると…もう、ホント参る。参った。参りましたよー、皆守クン。
 カレーの匂いと、ラベンダーの匂いと、それから目的不明な皆守の行動がガンガンに涙腺を稼働させて。色々考えたけど結局はこうして心配されるのが嬉しいんだって気付いた瞬間、それがどうしょもなく情けなくて、涙。
 突然、部屋の扉が叩かれた。誰かは、見当が付いてる。きっと、あいつが入ってくるんだろ?どうしよ、嗚呼もう。心の準備ができてませんですよ。
 俺は立ち上がれないまま、数刻先に頭を巡らせる。
 扉が、開く音がした。
 部屋にひとつ、気配が増える。
 近付いてくる足音。

 涙はまだ、止まっていない。

End...