風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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4th.Discovery 明日への追跡 - 8 -

 黄金の扉が閉まった途端、力が抜けた。もう、扉は施錠されていて、皆守が入ってくることはできない。安心したら、一気に暴走する不調の数々。アスピリン暴飲だけじゃ、駄目だったようだ。真っ直ぐ歩けてる事自体がほぼ奇跡と言っていい。
 へたり込みそうになるのを堪えて、壁伝いに歩いた。
 あと、少しの辛抱なんだ。保ってくれ、俺。
 猿の像が並ぶ通路を抜けて、大広間に入ったところで、二重施錠。後ろで壁が、退路を塞いだ。
 戦闘モード、突入。
「オーホホホッ!!ここまで追って来るとはなかなかやるじゃないの」
 部屋の中央には朱堂が立っていて見事な立ち姿で高笑い。普段だったら聞き流せても、今の頭痛にあのバカでかい声は、堪える。
「……そうかよ」
「若い男を夢中にさせるなんて、アタシって罪なオカマ…」
「はいはい」
 ひらひら、手を振ってあしらうと、それなのにうふふ、と笑う朱堂。
「そのクールな眼差しもステキ…って、あら?葉佩九龍、あなた一人なの?皆守甲太郎はいずこ?」
「フラれたもんでね。今頃寮で寝てんだろ」
「ンまぁ!!それじゃ、ここには二人っきりって事ね!なら、アタシがその傷心を慰めてア・ゲ・ル♪」
 朱堂の投げキッスを避ける気力もなくて、俺は、黙って持っていたハンドガン二挺のセーフティを外した。
「でも、せっかく会えたのに残念ね。この《墓》の存在を知ってしまったからにはアタシはアナタを処罰しなくちゃならない」
「執行委員だからだってんだろ?とことん生徒会から嫌われたな俺も。まぁ、いい。とりあえずぶちのめさせてもらう」
「焦っちゃイ・ヤ。その前にアナタたちにはアタシの《力》を見せてあげるわ」
 ぞわりと。背筋に悪寒が走る。これは、嫌な予感、というヤツで。
「どんな生物でも、機械のように同じ同じ動作を寸分違わずに行う事はできないでしょ?でも、もし仮に極度に繊細な筋肉と神経を持つ生物がいたとしたら――――」
「迷わずどっかの研究所送りだな」
「違うわよッ!!もう!そんな事ができたら、例えば、投げたダーツが同じ的を貫き続けることさえ可能になるでしょう」
 つまるところ、それが朱堂の能力ってワケだ。《呪われた力》で、機械のような精密さを手に入れた。
「フフフッ…アナタは、私のダーツから逃げられるかしら?――――アナタのハート、貰います♪」
 そんなもん、いくらでもくれてやるっての。覚悟を決めて、寄り掛かっていた壁から背中を離した。
 どこからともなく現れたサソリ共が、朱堂と俺の間を這いずり回る。そのカサカサという足音がすでに耳障りだ。
「オーホホホッ、これだけを相手にすることができて?」
 朱堂の高笑いが響く中、俺はアサルトベストに入れていた手製の爆薬を、有りっ丈部屋の中央へと投げ入れた。炸裂、数度の発破で、サソリは跡形もなく消し飛んだ。もちろん、朱堂も少なからずダメージを受けて、甲高い叫び声を上げながら後ろへと吹き飛ぶ。
「さて……タイマンといくか」
「くッ、やるじゃない…」
「二人っきりのが、愉しいんだろ?」
 大分軽くなったアサルトベストを一度締め直して、軽く、ベレッタとPCの口径に口付けた。
「その《呪われた力》とかにも飽きてきてたんだ」
 焦げ臭い風の舞う部屋の中央に、歩み寄った。
「人間のナマな力、見せてやるよ」
「……あなた、本当に葉佩九龍…?ちょ、ちょっと待って、アタシの調査によると…」
 阿呆だの間抜けだの女好きだのだらしないだの、随分な言われようだな?
 メモをバラバラと捲っていく朱堂の顔に、狙いを定めて、照射。
「んぎゃぁぁッ!!な、何すんじゃわれぇッ!」
「戦闘中によそ見してんじゃねぇよ」
 そのまま二挺を交互に連射。顔を庇っていた朱堂が動くをのを見て、猿の像の陰に隠れた、瞬間。さっきまで俺の立っていた位置を綺麗に通過していく数本のダーツ。
 見事な狙いだと、認めざるを得ないダーツの腕だ。
 でも。
 この力には決定的な欠点がある。そして、朱堂はまだそれに気付いてないらしい。
「さーぁ、出てらっしゃい!アタシのダーツの虜にしてあげるわッ」
「言われなくても」
 跳躍、銅像の上から、朱堂を狙撃する。俺が横から飛び出してくると思って構えていた朱堂は、避けることも間に合わずに全弾喰らった。
 だが、すぐに移動をすると、着地をした俺にダーツを投げてきた。的確に心臓を狙った数発は、けれど俺には当たらない。
「外れ。ココ、ちゃんと、心臓狙って投げてみろ」
 自分の胸を指で叩いてみせると、朱堂は躍起になったようにダーツを乱発してきた。
 そのどれも、俺には当たらない。
 当然だ。
「キィィィィッ!!どうしてッ、どうして当たらないの!?アタシの必殺必中のダーツがッ!」
「さぁて、な。俺への愛ってのが足らないんだろ」
「そ、そんなはずはないわッ!!」
 確かに、朱堂の狙いは完璧だ。完璧すぎるほどだ。見てる限り、ダーツは全て、狙ったところに飛んでいると言える。
 けれど。ダーツに追尾機能が付随してるワケじゃない。トマホークみたいにどこまでも追ってこれるはずがない。つまり、俺が朱堂の能力を上回って、回避すればいいだけのことだ。
 猿の像から対岸の猿の像まで、走りながら移動射撃。当てるつもりはなく、単なる威嚇だけれど、後ろには俺の残像でも追うかのように次々とダーツがすり抜けていく。どうやら、ダーツの本数には限りがないらしい。
 マガジンを抜いて、セット。ゴーグルを降ろして、体熱反応を確認した。銅像の影から腕だけを出して撃つと、向こうの方で悲鳴が上がった。同時に、ばたりと倒れる音。
 ……やったか?
 ゴーグルを外して顔を出すと、ばったり、朱堂は床に倒れていた。
 ろくな判断もしないでフラフラと出て行った俺は、相当頭が呆けていたのかもしれない。
 朱堂の周りでは、《黒い砂》がふわふわ浮いては沈み、空気と同化しようとしている。あれは……。
 その黒い砂に気を取られていた俺は、飛んできたダーツを避けきることができなかった。静止しているものに対しては、必中を誇る朱堂のダーツは、俺の両手を見事に射抜いていた。
「ッ…、」
「オーホホホッ!掛かったわね葉佩九龍!アタシの演技…オスカー女優も真っ青ねッ!!」
「……色んな意味で、真っ青だろうな」
 銃を弾き飛ばされて、その上飛び掛かってきた朱堂の下敷きっていう状況では、俺も真っ青だ。朱堂は女のような言葉遣いに仕草だが、身長はおそらく皆守よりもでかい。体格では、完全に負ける。しかも関節を押さえつけられてしまっては、見動くこともできない。
 息を吐いて視線を横に向けると、皆守が巻いてくれた手の包帯が、放たれたダーツに貫かれて赤く染まっていた。痛みは、もうあまり感じない。
「処罰はもうちょっと愉しんでから、ね?」
 もう、この状態からしてすでに処罰を受けてる気がしなくもないが、それは口に出さずに、朱堂を見上げた。にやりと、笑ってみせる。
「そのお愉しみは…俺は一緒に愉しんじゃダメなワケ?」
「あら、じゃあ同意ってことで良いのかしら?」
「どうぞ?その代わり、腕、放してほしいなぁ……なんて」
 そう言っても、まだ朱堂は疑り深げに顔を覗き込んでくる。
「ダーメ。そう言って男はオカマを騙すのよ」
「もし変なコトしたら、殺していいからさ」
 身体から力を抜いて上目遣いで笑ってみせると、ようやく朱堂が右肩と左の肘関節を押さえていた手を放す。
「ウフフ、素直な男は好きよ」
「そ?」
 ゆっくり、解放された両手を上げていく。血が、手首を伝って制服を汚していくのが分かった。そのまま、朱堂の首に巻き付けて、軽く引き寄せる。そして近付いた耳元に、囁いた。
「さて、俺もオスカーいただきましょうか」
「えッ…?」
 捕まえた朱堂の首根っこを腕でホールドして、捻るようにして上体を引き寄せる。そのまま身体を回しこんで、上下、反転。あっと言う間に朱堂を俯せにして上に乗り上げた俺は、近くに転がっていたPCを拾い上げ、残弾全て、吐き出した。
「ああん……、か、身体が…燃えるゥゥゥッ!!」
 朱堂の身体から、残りの黒い砂が全て吐き出された。それはあっという間に形を作り、その姿はまるで巨大な人面魚だ。太陽神、天照。
 H.A.N.Tが危険警告を出すのを聞きながら、とりあえず、近くの猿の像の影に朱堂を引き込んで、同時にマガジンを取り替えた。
 近付いてくる蛇を撃ちながら、巨大人面魚との距離を測る。
 どうやら、ここまでの強行で俺の頭と身体はボロボロらしい。何と言っても、目の前の光景が二重にダブって見える辺り、生還率はかなり低いと見た。
「あー…キツいな、これ……」
 誰にも聴かれてないと分かれば、簡単に弱音が吐ける。
 あらかた蛇を片付けて、さて、大物退治といこうかと顔を出そうとした俺の横を、一瞬、すべてを焼き尽くすかのような熱量の光が走り去っていった。
 冗談、マジかよ?あの光は、まずい。直視は確実に失明コースだ。ゴーグル越しでも、耐えられるか分からない。
 さすが天照……太陽神、ってとこか。
『眩しいかえ…?』
「ああ、滅茶苦茶、なッ!!」
 音を立てて放電された光。次の光が充電されるまで、一定時間かかるようだ。その時間が、勝負。
 銃撃に強くないことを祈って、飛び出して連射。マガジンが空になるまで打ち続ける。9パラと356弾はよく効いてるようだったが…まずい、人面魚の尾が、輝きだした。けど、相手も虫の息だ。
 頼む、このまま、押し切れてくれ。祈るように引き金を引き続けた。
 ゴーグル越しに見える人面魚の被ダメージ量が上がっていって、後少し。なのに、PCが先に空撃ちになる。弾切れ…そして、人面魚から放たれる眩い光。
 光速より早く、俺は目を閉じた。そして、手に感じたベレッタの引き金がやけに軽いことも感じた。こっちも、弾切れだ。光の衝撃を感じて弾き飛ばされながら、それでも引き金を、引き続けた。
 ……弾は、確かに弾切れのはずだったのに。何故か、一度だけ、引き金から手応え。銃身の跳ねる、確かなリコイル。その一撃で、人面魚は、消滅した。

『あんたは、あたしが守ってやるから』

 まさか、な…。
 電熱の光を喰らって、全身が痺れる感覚の中、俺は壁に、へたり込んだ。

*  *  *

「葉佩ッ!!」
「あー、皆守、お疲れー、終わったよーん」
 部屋の扉が解錠されて、それと同時に飛び込んできた皆守がしたことは、もちろん俺を殴ることだった。
 まぁ、そうしようと、思ったんだろうけど、あんまりにあんまりな俺の状態を見て、手は出せずに胸ぐら掴んで宙吊りにするだけ。それから、諦めたように溜め息を吐いて放り出すと、怖い目で見下ろしてきた。
「この野郎…」
 そりゃ、電撃喰らって所々焦げ臭い上、折角巻いてくれた包帯が血みどろになってたら、ねぇ?自分でやらなくても痛い目見たって分かるじゃん?でも皆守は、やっぱり怒っていて。
「……やっぱりお前がしてんのは自己犠牲だ。それ以外の何物でもない」
「ヤ…だからさー、それは言ってるじゃん、俺は、」
「俺の目の前に、お前はいるだろうが。それを存在として認めないなんて言い訳は、俺は聞けない」
 はーい、了解ー。次から気を付けさせて頂きますー。いえーい、頭痛ぁいー。げーろげろ。
「あ、八千穂ちゃんにメールしておいたから、たぶんもう上に来てると思うよ。あいつ、連れて行かなきゃ」
「あいつ…?あぁ、あれか」
 朱堂は、壁に寄り掛かったまま白目を剥いてる。結構不気味。
 俺が立ち上がって近寄ろうとすると、皆守の方がさっさと行ってしまった。そして、しばらく朱堂を見下ろして、何をするのかと思えば。
 べきょ。思いっきり、蹴り。……皆守のマジ蹴りは痛いぞぉ…。
 朱堂もバッチリ目を覚ましたようで、しばらくきょろきょろ辺りを見回した後、おもむろに目の前の皆守に抱きつこうとして二発目を喰らっていた。
 俺は、斃した人面魚の遺した、女の子の使うコンパクトのような物を持って二人に近付いた。
「お目覚め?」
「葉佩九龍……へへッ……やるじゃねぇか。いいモン喰らっちまったぜ」
「はは、ゴメンねー。負けらんなくってさ」
 血に染まらないよう、布切れで巻いたコンパクトを、朱堂に手渡した。これが、きっとこいつの《宝》だと思って。
「このコンパクトは、あたしが買ったコンパクト……。何ッ!?この気持ち……何なのッ!?ずっと忘れていたこの湧き上がる感情は――――ッ!!」
 叫んで、俺に向かってダイビングしてきた朱堂を、皆守が本当に、容赦のない蹴りで沈めた。朱堂、本日二回目のダウンですね。もう、ぐうの音も出ないって感じに落ちてます。
「ったく…こいつとはどう頑張っても相互理解なんてのはできないな」
「わっかんないぜー?じっくり話し合えば案外…」
「却下。大却下。」
 そのままげしげし朱堂を足蹴にした後(もしかしてSっ気でもあんのかな、コイツ)、苛立ったようにアロマを吸って、俺を振り返る。
「こいつは、……もの凄く嫌だが、俺が引っ張っていくから。お前は先に行って魂の何とかって部屋に入ってこい」
「え…いいよ、別に、俺は」
「却下。大却下。俺はお前まで引きずるのはゴメンだからな。行け」
 顎で指図されて、反論もできずに先に行くしかなかった。というか、朱堂を最終的に沈めたのは君だよね?もうその時には、そういうことも一切、口にする気力もなかったけど。
 出血とかそういうのよりも、とにかく身体中が重たくて、床に落としたベレッタを拾い上げるだけでそのまま倒れそうってなイキオイ。
 皆守と朱堂を二人っきりってのはある意味非常に(ここ四倍角)、危ない気がしなくもなかったけど、ま、皆守なら黄金の右脚があるんだから大丈夫っしょ。
 魂の井戸に倒れ込んで、両手の傷と、焼け焦げた内臓が癒えるのを待った。血はすぐに止まったけど、流れ出た血は戻らないワケで。当然染まった血の色も、戻らない。仰向けのまま両手を上げて、黒く変色し始めている包帯を見た。
 長かった今日が、やっと終わる…その安堵感から、遠退いていきそうになる意識を繋ぎ止めるのに、必死だった。

*  *  *

「あぁッ……アタシの負けね…」
 墓地に戻ってから、皆守の蹴りで目を覚ました朱堂は、俺を見て泣き崩れた。そりゃもう、女形のように仰々しく。スカーフみたいなのを噛んで、とっても熱っぽい目で見上げてくる。
「そんなこと、ないって。ヘップバーンもヴィヴィアン・リーも真っ青」
「負けたアタシにそんな言葉を…」
 一体お前らはあそこで何をしていたという皆守の視線。何にも分かってない八千穂ちゃんの視線。
 いちいち朱堂が俺に抱きついてくるから、いちいち皆守も蹴りを入れることになる。
「葉佩九龍―――。アタシの完敗よ……コレ」
「……へ?」
「貰ってぐだざァァァァい!!」
 唐突にどアップになった朱堂にビビって後退ろうと思ったんだけど、その前に皆守に引っ張られて引き離された。
 手を伸ばして、渡された物だけ受け取ると、「そんなモン貰うな!」と皆守が叱る。それから、当然のように朱堂を蹴る。何だか、俺が腫れ物扱いされてる気分だ。
「さァ、それじゃ、白状してもらうわよッ?」
 八千穂ちゃんが俺らと朱堂の間に仁王立ち。迫力あるね。
「何で女子寮を監視していたのか――――」
「そ、それは……」
「それは、何よ?」
 そっからは、完全に俺と皆守は蚊帳の外。
「それは、それは……………羨ましかったのよォォォッ!!」
「え……?」
「アタシは……、アナタたち女生徒が羨ましかったの……。花のように美しく、蝶のように優雅な女性たちの姿がァァァ――――」
 ああ、もうどうしよう。どうにもしたくない感じ。
「アタシだって、そういう風に生まれたかったァァァッ!!だから、アタシは、いつも遠くからアナタたちを眺めていた。ただ……遠くから」
 それを、世間では覗きと言うんだけど…なんか、突っ込んじゃダ・メ、みたいな雰囲気。
「でも、もう、それも終わり。いいわ……。アタシをみんなの前に突き出しなさい。アタシを公衆の面前に晒して、そして、存分に裁くといいわ。誰も、アタシの気持ちなんてわからない。アタシの気持ちなんてッ!!」
 完全に、スポットライト独り占め、って感じ。そのライトの中に入っていく、勇気ある少女が一人。泣き崩れる朱堂に手を差し伸べた。
「わかったわ……。朱堂クン――ううん、茂美チャンの気持ち、あたし、よくわかったよ」
「え……?」
「誰にでも、夢や憧れはあるよね。きっと、あたしが茂美チャンでもきっと同じ事をしているかもしれない」
 え?覗きをするんですか?
「だから、茂美チャンだけが悪いとは思えないんだ…」
 いや、悪いよ、充分。
「いいのかよ、八千穂?」
「うん。夢に憧れる事を誰も責める事なんて出来ないよ。この事は、ここにいるあたしたちだけの胸にしまっておこうよ」
「まァ、お前がそれでいいってならいいけどな」
 いいだろ?と、皆守が俺を見下ろす。当然、俺は法の部外者だから朱堂を捕まえはすれど、裁くこととかはできませーん。
「女子寮のみんなには、あたしから、うまく誤魔化しておくから」
「ありがとう……。ありがとう、八千穂サン…」
「ううん。あたしこそゴメンね。何か、茂美チャンの事、誤解していたみたい。これからは、いい友達でいよ?ね?」
「八千穂サン…」
 こうして美しい友情が生まれましたとさ、めでたしめでたし。
 って、こう行っちゃわないのが世の中の常ってもんで。
「ほら、誰かにみつかる前に早く行って」
「何から何までありがとう。それじゃ、みんな、またね――」
 弾けるようなステップで去ろうとした朱堂が、俺とぶつかり、よろけた。
 ……俺の方はと言えば、ちょっと肩が当たったくらいでふらついて、我慢してきた色んなモンが脂汗になって首筋を濡らすってな状態だったんだけど。朦朧としながら、それでも倒れることは皆守にしがみつくことで何とか回避した。
「あっ、ゴメンなさい、葉佩ちゃんにぶつかっちゃって。シゲミったら、ドジッ子さん」
「おいッ、朱堂。お前の学ランから何か落ちたぞ?」
 しがみついたりしたらはっ倒されるんじゃないかと思ったんだけど、意外や意外、皆守はしっかり俺の肩を捕まえたままで、俺の足下を指差した。
「あッ、いっけないッ」
 俺の足下に散らばったのは、紙切れ…?しゃがんで、拾うのを手伝おうとした俺は、……落ちていた物の正体を知って、眩暈を起こした。
「あっ、いっけないッ。男子生徒に頼まれていた写真を落しちゃったんだわ。せっかく、苦労して隠し撮りしたのに」
 その言葉通り。散らばっていたのは、八千穂ちゃんたち女子生徒の、パンチラ、着替え、その他諸々。いつもなら大騒ぎする俺も、今日ばっかりはトドメを食らったかのようにしゃがんだまま動けなくなった。
「おい、葉佩?どうし…た、って、コレ…」
 さすがの皆守も、写真を見て言葉尻が引きつっている。
「汚れたら売り物にならないから、気をつけなくっちゃ。ふ~、ふ~」
 俺の手の中にあった着替え写真も抜き取って、朱堂は写真に付いた泥を丁寧に除け、息を吹きかけた。
 ……………もう、疲れたよ、俺は。
「さて、と――――それじゃ、改めて、みんな、バイビ~♪」
 スキップしながら去ろうとする朱堂を、彼女が、逃がすはずがなかった。
「ちょっと、待たんかいッ!!」
「何かしら? 八千穂サ―――、」
 どごぉッ、と、凄まじい音がして、朱堂が横に吹き飛んだ。八千穂ちゃん、必殺ストレートが炸裂。
「あうッ!!なっ、いきなり、何すんじゃ―――、ぐはッ!!」
 次は、立ち上がり掛けた朱堂に食らわす必殺のアンプリティアー。朱堂、頭から地面に激突。
「お、おおぉぉ…」
「その写真は、ど、う、い、う、こ、と?」
 ゆらり、八千穂ちゃんが沈んだ朱堂に迫る。
「こッ、これはその………ちょ、ちょっと、待って、アタシの話を聞いてッ!!ねッ? 話だけでも!!」
 顔からドクドク血を流しながら、朱堂が必死に弁解を計る。
「なぁに?言ってごらんなさい?」
「えッ、え~と……」
 沈黙が降りる。次は何を言うのか、全員が見守る中。
「ア……アイム・ユア・ファーザー」
「ブッ…!!」
 爆笑しそうになるのを、必死で息を止めて堪える。ここで笑っちゃいけない。だって、そこに、夜叉鬼も真っ青な八千穂ちゃんが、降臨してるのだから。
 八千穂ちゃんは拳を戦慄かせ、ワンツーで朱堂の顔面を捉えた。鼻血を吹いて斃れる朱堂。襲いかかる容赦のない拳、そして蹴り。
 繰り広げられているのは正に地獄絵図。
「うぐォッ!!た……助けて…」
「む、むり…」
 後退った俺の方を、皆守が引いた。
「さっさとずらかるぞ。今の八千穂はヤバい」
「ガッテン…」
 墓場から逃げ出した俺たちの耳に聞こえてきたのは、哀れな覗き&盗撮犯の断末魔だった……。

*  *  *

 ようやく一日が終わって、寮に辿り着いた頃にはもう、覗き騒ぎは大分沈静化していた感じ。
 物騒に武装した女子もいなかったし、警備員さんもいなくって。おかげで何事もなく寮に戻れたんだけど。
 魂の井戸で、アサルトベストとか色々、部屋に収納しちゃったものの、俺の様相は燦々たるもの。制服はボロボロだし、焼け焦げてるし、ワイシャツの袖口は血で赤いのを通り越して黒いし。
 すでに真っ直ぐ歩くことさえ難しくなってて、階段の踊り場に着く度にへーへーやってたら、なんとビックリ、皆守クンが。
「……ほら、肩貸せよ」
 だって。俺、ビックリしすぎて皆守の顔、凝視しちゃったぜ。
「いーよ。大丈夫。ヘーキだから。先、行っていいって」
「無理すんなよ。ほら」
 皆守が伸ばした手に、けど、簡単に縋ることができないのは、今日のコイツの一言のせいだ。
 アムロさんにぶつかったとき、『怪我でもされたら、連れて帰る俺に負担が掛かるしな』って、確かに言ったから。負担になるくらいなら、放っておかれた方がマシだ。
「ほっといて、いいよ?大丈夫、」
「じゃないんだろうが」
「うわッ!!」
 手を払いのけて、残りの階段を登ろうとした俺は、突然天地が逆になる感覚に、酔った。
 問答無用、荷物のように抱え上げられて、暴れる気力も足りなくて、妙に悔しさが立ちこめる中、お礼よりも先に、口走っていた。
「……こうなるのが、嫌だったのに」
「あ?」
「…降ろして」
「却下」
 やけに硬質に響く声が、ぎりぎりで保っていた俺の神経を灼き切った。限界。もうダメ。
「……降ろせよ、あー、降ろしてください。つーか自分で負担になるなとか言うなら、無視して見ないフリしてればいいだろうが。へばりかけてる人間だってシカトこいてりゃいいだろ?ただの石かなんかだと思っとけよッ!!」
 途中で声が掠れて、まるで別人が喋ってるかのように聞こえた。喉がやられて噎せていると、無言のまま、皆守は歩き出す。
 サイテー。何が最低って、しんどいからって他人にヒス起こしてる自分が。もうホント、最低。今日は絶対厄日だ。
「……スイマセン。言い過ぎました」
 謝っても、返ってくるのはただ、無言。ゆらゆらと揺れる感覚の中で、ひたすら呪詛のように「ゴメン」と繰り返すことしかできなくて。気が付けば、俺の部屋の前だった。
 そこで、荷物のように降ろされて、受け身も取れずに廊下にバタリ。背中を打って呻いていると、皆守は隣の部屋の、つまり皆守の部屋の扉の鍵を開けた。それから、俺を見下ろして、言った。
「お前は、俺をその辺の石かなんかだと思ってんのか?」
「…………それは、」
「どうなんだよ」
 ラベンダーの匂いが、惚けた思考回路を余計に濁らせる。ここで、イエスと答えれば、それでこいつとの関わりも終わって、そうすればこいつが遺跡に行くなんて事もなくなるだろう。
 イエスと、言うべきだった。
 イエスと、言わなければならなかった。
 なのに、何で俺は首を横に振っちゃったんだろ。
「自分にできないことを他人に要求するな」
 皆守はそれだけを言って、部屋の中に消えていった。
 俺は。首を縦に振らなかった自分と、皆守の部屋の扉が閉まる音に打ちのめされながら、何とか立ち上がって、扉の鍵を開けた。
 それから数歩、歩いて。
 抗いがたい眩暈と頭痛で、膝が崩れるのを感じた。蹲って、それから、仰向けになった。
 嫌な汗が噴き出してきて、それから、あまりの気持ちの悪さに涙まで。
 腕で顔を覆う。心臓が、まるで頭にあるかのように、耳元で、鼓動。
 それを聞いたのが、意識の最後。
 
 葉佩九龍、本日二度目の、ブラックアウト――――…。

End...