風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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4th.Discovery 明日への追跡 - 1 -

 何としてでも守りたいと願う存在ができたとき。
 それは、幸福なんだと思う。
 存在が、それだけで生きる証明と意義と糧になってくれるから。
 もしも、そんな存在と出会うことができたら、俺は。
 運命さえ愛したっていいと思った。
 
 何としてでも守りたいと願う存在を失ったとき。
 それは、恐怖なんだと思う。
 存在の、それから自分の、そして世界の持つ意味を、一瞬にして消し去ってしまうから。
 もしも、そんな存在を失ってしまったら、俺は。
 運命なんて壊したっていいと思う。

*  *  *

 不調は、朝からだった。
 どうもね、怠いの。体中の関節がぎちぎちいってんのと、妙な倦怠感。軽い頭痛も伴っちゃってヤな感じ。疲れてんだなー、やっぱり。環境適応能力はそこそこ優れてるつもりだったんだけど、やっぱり慣れない場所ってのは知らないウチに気ぃ張ってんのかも。
 とまぁ、それくらいに考えて、相も変わらず寝た、って感覚があんまり無いまま、起床。
 起きちゃえば、怠さとかって結構なんでもないことなんだよね。気のせいか、くらいで。頭振って、顔洗って、そうすればスッキリサッパリ、ほれ、いつも通り。
 もう大分慣れた寝不足の身体を思い切り伸ばして、関節の鳴る音を聞いてから、ふと、机の上に置きっぱなしになってるH.A.N.Tを見た。
 10月6日。天香學園に来てから、もう二週間になるんだねぇ。その間に集まった情報…二週間て期間を考えれば及第点てとこかな。たぶん、秘宝とやらが眠ってるのはあの墓地で、でも、墓地を進むには鍵が必要。その鍵は……この学校の《生徒会執行委員》の方々。で、彼らは何者かによって大事な宝を墓地に封じられてて、それと引き替えに《呪われた力》ってのを手に入れてる。そこまでは、間違いないよなー、オーケーオーケー。
 問題は、その執行委員が誰だか把握することができなくて、だから簡単には先に進めないってこと。鍵が作動しなくちゃ扉が開かないからなぁ。
 椎名ちゃんの一件が済んだ後も、何度かクエストこなしがてら遺跡に潜ってみたけど、やっぱ他の扉は開かなかった。ハクション大魔王も倒して、奥の扉にもトライしてみたけど、ダメ。閉じたまま。やっぱり、次の鍵は他の執行委員なんだろーな。
 あー、厄介。執行委員の目処が付かないのも厄介だけど、それ以上に、……おそらく、執行委員はみんな、取手や椎名ちゃんみたいに何かが欠落してるんだろうから。それが怖い。墓地には沢山扉があって、その数だけ執行委員がいるとすれば、その数だけ、俺は対峙しなくちゃならない。
 大切なものが、欠落した人間。即ちそれは………、
 あー、やめた!!考えたって、しゃーないもんな。次の執行委員が出てくるまではとりあえず考えないことにしよう、ウン。
「おーしゃーッ!!今日も気張っていきまっしょい!!」
 気合い一発、拳を固めた俺の前で、H.A.N.Tがバイブ。おろ、メール?
『朝っぱらからうるせぇ』
 お隣部屋の、皆守クンからでした。はーい、すいませんでしたッ!!
「みーなかみー、ごっめんねーーーーぇッ!!」
 窓から隣に向かって怒鳴ると、部屋全体が震える勢いで、壁が揺れた。
 おぉ、怖。

*  *  *

 その日、学校は宇宙人の噂で持ちきりだった。
 もう、朝からみーんな、その話。異星人に誘拐されるとか、実験されるとか、やれ金髪ナイスバディだ、やれ巨乳美女だ、みんな好きだねぇ。
 俺はといえば、まぁ巨乳は好きだけど、異星人じゃ、なぁ?ヤる気も失せるってモンです。米国とか欧州に行けば金髪なんて珍しくもないし、日本人よりは体格がおよろしいからグラマーっちゃあグラマーだし。見飽きたワケじゃないけど、俺は、こう、もうちょっと細身で日本人体型の方が…。
 おっと、メールだ。思考中断。誰だ、誰だーっと…。お、椎名ちゃんじゃん。
『こうやって、誰かにメールするなんてリカにとっては、初めての経験で、今とてもドキドキしてますわ』
 取手といい、椎名ちゃんといい、執行委員は素直さ基準で選出されてるんですかね?なんつーか、こうじーんと来る。
『あなたはリカにとって、初めての人ですの』
 初めての人…え、えーっと、素直にその言葉を受け取ってもよろしおすか?初めての人かぁ…響きが素敵。もう、喜んで初めての人になりますが?
 そんな俺の健全妄想モードを中断させる、ラベンダーの匂い。
「……ったく、アホか。メディアに踊らされやがって」
 いつの間にか、俺の隣には皆守が佇んでいた。
 どうやら金髪ナイスバディの異星人と交配する妄想を膨らませて鼻血吹いちゃった可愛らしいクラスメイトに対して呆れてる模様。ま、俺が考えてることを知られたらたぶん同じように呆れられるんだろーな。
「よッ。オハヨ。…ってオハヨって時間でもないよな。朝、ちゃんと起きてたっぽいのにこの時間に出勤ですか?」
「うるせーなぁ。お前のせいで目が覚めたってだけで、普段の俺はあの時間だって寝てるんだ」
「そりゃーごめんあそばっせー」
 形だけ謝ってH.A.N.Tを閉じると、また後ろで誰かが鼻血を吹いて駆けていく。素敵なガッコだな、ここ。
「…なんか、俺は、この學園で過ごしているのが情けなくなってきたぜ」
「そ?みんな素敵に健全じゃんか」
「葉佩、まさかお前も金髪美人の異星人に興味があったりするのか?」
 金髪美人、ねぇ。MIBⅡのサーリーナみたいな美女だったら全然可だけど、あれも正体は人型じゃねーもんな。
「大体、金髪が美女とかグラマーって決めつけること自体おかしいと思うぜ?俺は断然アジア系が好き。胸はあるに越したことはねーけど、それよりやっぱ全体のバランスだよな。アイリッシュとかロシアンの方々も俺らの年代はみんな細いけど、その先は結構肉付き良くなっちゃうし、やっぱ、その辺はアジア系がダントツだと思う……って、皆守?どーした?」
「……何でもねーよ」
 あれ、呆れてますか。そうですか。皆守、溜め息一発の後、
「何にせよ、異星人ていや、蛸みたいな形って相場が決まってるしな。人間好きのお前は興味持たないか」
「やっぱ、ヒトと近い形してた方が気分的に」
「まぁ、UFOだの異星人だのテレビや小説が作り上げた虚構に過ぎないさ。まったく……下らないぜ」
 へぇ、さすが皆守、今日もドライさ加減が炸裂してるね。高校生でしょー、もっと夢を持とうぜ、夢を。って俺が言うのも変か。
「古人曰く――――、」
 瞬間的に、俺と皆守はシンクロしたと思う。なんつーか、空気が変わるのを肌で感じたっつーの?ぞわっとして、同時に振り返った。
「『人間の姿は気味が悪くて好感が持てないが、慣れれば大丈夫だろう』」
「七瀬ッ」
 教室の入り口からこちらを見ているのは、今日も重たげに本を抱える七瀬ちゃんだった。彼女はゆっくりとウチの教室に入ってくると、俺と皆守を交互に見比べた。
「他の星の人からしたら、私たち人間も異星人ではないでしょうか」
 どうやら、俺たちの話を聞いていた模様。七瀬月魅、地獄耳っと、H.A.N.Tにメモっとこ。
「この広い宇宙の中で深い叡智と文明を持った生物が人間だけな筈はありません。私は必ず銀河系のどこかに知的生命体がいると信じています。葉佩さんは、どうお思いですか?」
「俺?んー、いてもいいと思うよ」
「そうですよねッ!!やっぱり、葉佩さんもそう思いますか?」
 例えば。水星の話になるけど、あそこは地球よりも太陽に近くて、表層温度が昼間は400度とかになるわけだ(しかも夜にはマイナスになる)。世界屈指の技術をもってしても、近付くのがやっとってくらいの温度だから、とてもじゃないけど生物が住むことはできない、ってみんな思ってるワケでしょ。
 でもさ、俺たちの身体構造とは全く異なる生物がいたら、どーなる?逆転の発想だ。400度の中で生きるように身体ができていて、そんで、そいつらも思ってるかもしんない。
『俺たちの星からー、ふたつばっかり向こうの惑星?何、地球?うん、そこってさー、15度位の温度で、しかも昼と夜の温度差がほとんどないんだってー。信じられるぅ?そんな星に生き物が住んでるわけないよねー、あははは』
 ってな会話を、してるかも分かんないワケだ。
 だから俺は、異星人がいるって説を否定はしないよ。
「NASAのSETI計画という地球外生命探査もその信念に基づいて行われています」
 Serch for Extraterrestrial Intelligence、サティ計画。よく知ってんね、七瀬ちゃんたら博識。
 でもあれって、今は中断されてんじゃなかったっけ?予算が足んなくて。
「1960年に世界初の異星人探査《オズマ計画》を実行したフランク・ドレイク博士は、この銀河系に存在する知的生命体の数=Nを……」
 方程式が、うんぬんかんぬん。
 俺が知ってるのは、《オズマ計画》ってのが、あの有名な『オズの魔法使い』から取ってるってこととその計画が成功しなかったこと、それから観測対象になったのが南天15星座の中の、くじら座とエリダヌス座だってことくらい。七瀬ちゃんみたいに方程式まで覚えておりません。
 もう、感心して黒板に描かれる方程式に見入っちゃう。意味は、よく分からんけど。
「この方程式に基づいて計算した場合――――すでに今の時点で、この式で割り出される答えは0にはなりえません。なぜなら…」
 七瀬ちゃんの言わんとしてることはすぐに分かった。だから、一緒に言ってみた。
「「すでに銀河系には人間の住む地球が存在しているから」」
 思いっきりハモって、七瀬ちゃんたらビックリ顔。
「そ、そうです……私たちって、何か似てますね…。きっといつか、その存在が明らかになる日が来ると私は思っています。皆守君もそうは思わ―――皆守君?」
 あーあ…。よっぽど退屈だったんだろうなぁ、こいつ。
「ぐぅぐぅ……」
「ホントに寝たのか?おーい、皆守?起きないとチューしちゃうぞ」
「えッ!?」
 律儀に七瀬ちゃんがビックリして顔を赤くした。
「あ、冗談だから、ジョーダン」
「ふァ~あ。お?異星人談義は終わったか?」
 見計らったかのように、皆守が片目を開けた。こりゃ、寝たふりだな。
「まァ、もし異星人がいたら、俺も会ってみたいもんだぜ」
 まるで異星人なんて信じてない口調の皆守に、七瀬ちゃんは不敵に笑ってみせる。
「ふふふ……、気を付けた方がいいですよ」
「何をだよ?」
「異星人は、常に私たち人間を誘拐する機会を窺っています」
 きゃー怖い。誘拐されて異種交配?金髪美人異星人と?
「彼らは不思議な光で私たちを包み込み、自分たちの母艦に連れて行って実験するんです。そして、実験が終われば、記憶を消して何事もなかったかのように元の場所に帰す。UFOの光が発せられた時に止まった時計は、再び動き出し、誘拐された人の首筋には実験の痕跡である赤い斑点が残るといいます」
「んなバカな」
 皆守は、フンと鼻で笑うけど、七瀬ちゃんは「いいえ」と首を振って、かの有名なヒル夫妻の異星人による誘拐事件の話を始めた。
 ある夫婦がニューハンプシャー州ランカスターで、光る点を見つけて、それに誘拐されたって話。今もあそこはUFOが見れるってんで名物観光スポットになってる。
「彼らは連れ去られた二時間の記憶が無く、その後の逆行催眠の結果、異星人に誘拐されていたことが判明したんです」
 七瀬ちゃんの口調は、まるで見てきたみたいだ。俺も思わずふんふんと頷いてしまう。
 チャイムが鳴ったのはその時で、それが七瀬ちゃんのスイッチを通常モードへと変えた。
「あッ、いけないッ!つい長話を―――。休み時間に図書館で本を整理しなくちゃならないんだったわッ」
「あぁ、そぅ…」
 皆守は呆れてるし、俺は苦笑しかできない。八千穂ちゃんといい七瀬ちゃんといい、ちょっとばっかり暴走のケがあるよな、やっぱり…。
「それじゃあ、また」
「ん。じゃーね」
 手を振って見送って、七瀬ちゃんは廊下に駆けていった、んだけど。すぐに戻って、顔だけ扉から出して、こっちを見て微笑んだ。
「探索頑張ってくださいね」
「うん、がんば……るぉぇ、えぇ!?」
 今、何て言った!?探索、頑張ってくださいね、だと!?
 それってバレてるってことっスか?こないだの夕薙も俺が何やってるか知ってるっぽかったけど、七瀬ちゃんまでそんなこと…マジで?
「……おい、葉佩」
 呆然と走り去る七瀬ちゃんの背中を見ていた俺に、皆守が。
「もしかして、七瀬の奴にお前の正体バレてないか?」
「…そんな気がする」
 もー…何で?まぁ、七瀬ちゃんだったらそんなに弊害はなさそうだからいいけどさ。もうこの際全部話して協力してもらおうかね?七瀬ちゃんの知識は、貴重な戦力になりそうだし…。
「……まァ、お前の正体がバレようがなんだろうが俺が困るわけじゃないからいいけどな」
 皆守のこういう態度、ポーズなんだよな。俺は心配なんかしてない、って意味の。本当は違うくせにね。
「だが、もうちょっと気を付けた方がいいと思うぜ?」
 アロマパイプを鼻先に突き付けられて、皆守を見上げると、
「不穏な生徒がいると分かれば、下手すりゃ、退学って事にもなりかねない。せっかくこうして知り合ったんだから、そういう別れってのも寂しいだろ?」
「皆守……そんなに、そんなに俺のことを愛してくれてたのねッ!!」
「いや、愛とかそこまでの話じゃなくてな……」
「ダイジョーブ!安心しろ!俺も愛してる!」
「死ね。」
 ガスンと一発膝裏蹴り。もー、照れちゃって。ほら、クラスの奴らももんの凄い視線で俺らのこと見てるよ、あはは。
「ったく……まァ、お前の場合、退学云々よりあの古びた遺跡の中で死ぬ可能性もあるがな」
 あー、そりゃ言えるかも。
「そうだ。まだ聞いてなかったが、お前は何のために《宝探し屋》なんてやってんだ?」
「俺?」
「金か?名誉か?それとも、スリルか?」
「うーん…」
 金、じゃないなぁ。あんま、興味がない。名誉とかってのもないなー。スリルは好きだけど、スリル中毒ってワケじゃない。耐性ができてんのかも。
「どれでも、ないかなー」
 敢えて言うなら………浄罪、かな。いや、ただ逃げてるだけなのかもしんない。
「どれでもないのか?」
「たぶん。お前の言う三つには、興味ない」
「金でも名誉でもましてや、スリルでもない。だが、命を懸けて危険な遺跡に挑む――――」
 じっと、見透かされる。
 違う。そんなんじゃない。命の重さも大したことない。それに、あの遺跡に潜るのだって、きっと、……うん。
「まったく、おかしな奴だぜ」
「でしょー。よく言われるー」
 軽く笑って、視線を外して、近くにあった机に腰かけた瞬間、……あれ?
 なんか、一瞬目の前がふわっと真っ黒。ヤ、すぐに色は戻ってきたんだけど、視線がボケーッと、どっか飛んじゃったい。あれー、おっかしいなぁ…。
「葉佩?」
「…ん?なに?」
「どうした?ボーッとして。……つーかお前、顔色悪いぞ」
「そーぉ?寝不足のせいじゃね?」
 よく言われるけど、俺、万年色白なんだ。取手ほどじゃないと思うけど。
 俺は自分の顔とかあんま鏡で見たりしねーけど、周りの人から言われるからそうなんだろ?ロゼッタに所属したときにはもう、不眠症全開だったし。
「そういや、お前が不眠症になったのっていつ頃からなんだ?」
「……さぁ?」
 ずーっと、前。もう思い出したくないほど、昔。
 皆守は俺の答えが引っ掛かったのか、ひょいっと身を屈めて顔を覗き込んできた。思わず、目を逸らせちゃって、皆守不審顔。
「本当に大丈夫か?」
「なぁに言ってんだか。全然大丈夫、――――…っ!」
 唐突に、皆守が手を伸ばした。何をされるのか分からなくて、反応できなかった俺は、ラベンダーを纏わせる手が額に触れたことに、心底ビビって、息を呑んだ。思わず身体が強張って、ついでに強烈に漂うアロマの匂いにやられて、眩暈。
 逸らした身体がバランス崩して、衝立にしていた腕が机から外れて、そりゃあもう、派手な音を立てて机から転がり落ちた。受け身取ってなきゃ相当痛かったつーの…。
「葉佩!?どうしたんだよ、大丈夫か?」
「あ、うん、全然、ヘーキ、ダイジョブ」
 あー…ビビった。マジで。普通、何にも言わないで他人に手ェ出すか?……って、日本じゃ、普通なのか。そうだよな。俺だって何も考えずに、取手とか椎名ちゃんにぺたぺた触ってるし、今のだって熱でも測ろうとしたんだろーな。
 でも、やっぱビビる。直接の接触なんて。
 慣れてないから。相手からの、悪意のない接触。怖いワケじゃないけど、でも。
「とにかく、立てる…」
「やばァァァァいッ!!」
 皆守が俺を立たせようと手を伸ばした、その後ろから。思い返すと今日は聞いてなかった声が聞こえてきて。
「きゃッ!!」
 突進を皆守が避けたせいで、彼女が机に激突して俺の上に覆い被さってくる。
「おわッ!!」
「あいたたたた……」
 八千穂ちゃんは腰でも打ったのか、しきりにさすってる。俺はといえば、押しのけられて後ろの机に頭をゴン。踏んだり蹴ったりって、こういう事を言うわけ?
「やっば~いッ!!寝坊しちゃったよ」
 心底、やっちゃったって様子で八千穂ちゃんは首を振ってる。
 で、皆守が八千穂ちゃんに手を貸して、俺は勝手に起きあがった。
「何時だと思ってんだよ?寝坊したって時間じゃないだろが。俺のこと言えないぜ」
「……お前も八千穂ちゃんのこと言えなくない?」
「うるせー」
 でも、確かに八千穂ちゃんが遅刻なんて珍し。
「何か目が覚めたらこんな時間だったんだ。昨日の夜、時計が止まってたから、そのせいかと思ったんだけど、朝見たら動いてるんだよ。不思議なことがあるよね~」
 しきりに首を傾げる、八千穂ちゃん。よっぽど寝坊したのが意外だったんだろーね。
「それに、いつの間にか床で寝てたみたいで首が痛くてさ」
「そりゃ、すっごい寝相だわ」
「い、いつはちゃんと寝てるよ!?ベッドから落ちたりしない筈なんだけどなぁ」
 首をぐるりと回してから手を当てて、そこでまた、八千穂ちゃんは首を捻る。
「あれ~?何か首筋にできてる~」
「なにが?」
 俺と皆守で八千穂ちゃんのうなじを覗き込む。きゃー、うなじがセクスィーでございますこと。俺、女の子のうなじって好きなんだよねー、って、違う違う。
「ホントだ。これ、下手したらキスマークだぜ?」
「……女子寮でか?」
「うわー、俺イケナイ妄想しそうだ」
 言ったところで、八千穂ちゃんに二人してド突かれた。
「もう!何言ってんのよ!でも、ホントに何だろ?虫に刺されたかなぁ。墓地の森が近いせいか、窓から虫が入って来るんだよね」
 気になるのか、何度も首筋に手を遣る八千穂ちゃんを、皆守は何だろ?ずーっと見てる。コラコラ、いくら八千穂ちゃんが可愛いからって見過ぎ。こいつ、マジで八千穂ちゃんが好きなんかね?
「どしたの?皆守クン」
「あァ……いや、別に。ちょっと、気分が悪くなってきただけだ」
「何だよ、ダイジョーブかぁ?」
 さっきと立場逆転。俺が皆守の顔を覗き込むと、わずらわしいっていうかのように手で払う。
「ちょっと保健室で横になってくるわ。じゃあな」
「おーよ。お大事に~」
「……お前も。無理すんなよ?」
「だから、俺は何ともないって」
 ひらひら、手を振って皆守を見送る。
 ったく、目敏い奴。俺の異変なんか見抜くんじゃねぇ。ついでに言えば俺のテリトリーを乱すな。壊すな。入ってくるな。お前は怖いよ、ホント。
 …なのに不愉快じゃないから、余計に、変なんだよな。
「あーぁ、行っちゃった。ヘンな皆守クン」
「ねぇ。ホント変な奴」
 相づちを打って頷くと、八千穂ちゃんは何かを思い出したかのように手を叩いた。
「そうだ、葉佩クン」
「おぅよ、何だい、八千穂ちゃん」
「実は放課後にちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだけど」
「はいはい、八千穂ちゃんの相談なら何でも乗りましょ。どしたい?恋の悩みとか?」
 これで素直に『そうなの』とか言われたら結構凹むかもなー。該当男子の部屋に夜襲かけちゃったりして。
「そんなんじゃないよぉ!…でも、ありがと。葉佩クンて頼りになるよね……」
「そーかぁ?」
 俺の、どこをどう見たら頼りになるんだろ…。
「そんなに長い付き合いじゃないけど、初めて逢った時から他のみんなとは違うなァって」
「長い付き合いも何も、初めて逢ったの、二週間前じゃん」
「あはははッ、そうだよね、あたし、何言ってんだろ」
 一緒にあはははってひとしきり笑ってから、
「とにかく――――詳しい話は放課後にね。部活が終わったら話すから、コートの前で待ってて」
「了解」
「じゃ、放課後に」
 そこで次の授業が始まる合図、聞き慣れたチャイムの音。
 バタバタと席に戻ったんだけど…皆守は、結局教室に戻っては来なかった。