風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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4th.Discovery 明日への追跡
Night observation - 目測を、見誤った。 -

 あの阿呆が。
 ぶっ倒れやがった。よりにもよって、風邪で。おいおい、頼むぜ、馬鹿は風邪ひかないんじゃなかったのか?あぁ、阿呆はひくのか。迂闊だったぜ畜生。
 変態カマ野郎を捕まえた後、どう考えてもへばったとしか思えない葉佩を、部屋まで担いで帰った。途中、余計なことを言ってくるもんだから部屋の前に放り投げたがな。…それがまずかった訳でもないだろうが、俺が部屋に入ってすぐ、隣の部屋から、バタン、だ。嫌な音を聞いたと思ったぜ。
 葉佩の言ったとおり、無視すれば、良かったんだ。あいつがへばろうがくたばろうが、ただ傍観していれば俺は何に巻き込まれることもなく、平穏という名の連続した時間の繋がりの中で日常を見送りながら過ごすことができる。
 何度もそうしようと思ったさ。だが、それには、葉佩はあまりにも危なっかしすぎた。不安定で、向こう見ずだ。無謀で、無茶で、無計画。よくもこんな三無い性格を素でいけると感心してしまうって域だ。
 その時、隣の部屋でへばっているであろう葉佩を思った。様子を見る限り、かなり状態は悪かったはずだ。それが床で一晩過ごして良くなるか?んなワケあってたまるか。
「クソッ…」
 悪態を吐きながら廊下に出て、葉佩の部屋の前で奴を呼んだ。何度も。ご丁寧にノックまでしてな。だが、返事はなかった。試しにドアノブを捻ってみると、用心深いのかなんなのか、鍵だけはしっかり閉まってやがる。
 こうなったら、放っておけという意味だよな?神なんて信じちゃいないが、何かの啓示だ。関わるな、という。
 けれど、すぐに思い直す。ここで放っておくことを選択したら、それは即ち葉佩の言った言葉通りだと。こんな所まで関わっておいて、都合が悪くなったら放り出す、そんな無責任な愛玩動物の飼い主みたいなことになるのは真っ平ゴメンだった。
 賭けで、葉佩が俺の部屋に出入りする窓が開いているかもしれないと、自分の部屋の窓から葉佩の部屋を覗いてみる。……いるはずなのに、電気が消えている。だが、窓は、ほんの僅か開いていた。
 夜中に、寮の窓から出入りしてるなんて、死んでも他人には見られたくないが、今はその手段しかなかった。
 庇を伝って葉佩の部屋に侵入すると……案の定、だ。部屋の床に仰向けに寝転んでいる葉佩は、俺という侵入者にも全く反応しない。静かな室内には、やけに荒い呼吸が繰り返されるだけだった。
 その葉佩をベッドに引っ張り上げ、凄惨たる有様の制服を脱がせ、さすがにクローゼットを引っかき回すのは気が引けて、俺の部屋着を被せるように着せ、あまりのサイズの合わなさに改めてこいつの華奢さを思い知らされた。このチビが。
 それから、添え付けの冷凍庫から氷を持ち出して、ビニール袋に氷と水入れてタオルで包んで氷嚢を作り、脇の下と額に置いてやった。

*  *  *

 それが、昨日の事だ。
 葉佩は昏々と眠り続け、俺はその旨を雛川に伝える為に朝のHRから教室にいるという奇跡に近い大偉業を成し遂げて、一限の前に寮に戻った。八千穂と、それからあのカマがきゃんきゃんうるさかったが、全部無視してきた。あんなのが見舞いに押しかけたら最後、こいつは無理して笑うに決まってるだろうから。
 口の中に突っ込んでおいた体温計を、いい加減時間になったから引っこ抜いてみると。38.7度。葉佩の平熱なんざ知らないが、普通に考えれば高熱の類だ。
 熱で溶かされた氷嚢を新しく変えるため、額からそれを退けた。
 クセのない、真っ直ぐな黒い髪が、線のように額に幾筋も貼り付いていた。普段は睡眠障害のせいで血色の悪い頬も、今日ばかりは熱で赤くなっている。
 俺は、氷嚢の効果で一時的に冷たくなっている額に手を伸ばした。貼り付いた髪を掻き上げる。嗚呼、なんとなく、今なら捨て猫を拾う人間の気持ちが分かる気がする…。
 今まで、ずっと閉じられていた双眸がうっすら開いたのは、その時だ。
 ……何でこうも、タイミング悪く目を覚ますんだこいつは。
「あ……れ?」
 咄嗟に、俺は手を引っ込めた。
 葉佩は焦点の合わない視線をしばらくさまよわせて、それから俺を見上げてくる。
「みなかみ……えッ、なんでッ!?」
 勢いよく起きあがったはいいが、眩暈を起こしたらしく、起きあがったと同じ速度でベッドに沈む。その際、なんとも器用にベッドの縁に後頭部をぶつけて、それで完全に覚醒したらしい。頭を押さえて呻いている。
 阿呆だ、本当に。阿呆の殿堂入り決定だ。崇め奉ってやる。
「え、えーっと…」
「何から聞きたい」
「とりあえず、ここ、どこ?」
「お前の部屋だ」
「何で、皆守?」
「知るか」
「えー…。じゃあ、今、いつ?」
「何つー日本語だ…。今は、10月7日の朝10時ちょっと過ぎってとこだ」
「へ?」
 昨日の夜倒れて、それから眠り続けてたことを告げると、葉佩はなぜか顔を顰めて、礼と詫びを繰り返した。
「んなことよりも、大丈夫なのか?お前の身体だ、どうなんだよ」
「ぉぅょ。ダイジョーブだぜぃ、うん、おーいぇー」
「……本当に大丈夫かよ」
「よゆー」
 余裕?真っ赤な顔して何言ってやがる。
 今の葉佩のどこを見ても余裕なんてものは見あたらない。むしろ真逆だろうが。どうしてこう、頑なに不調を伝えようとしないのだろうか。昨日一日ずっと、葉佩は最悪な体調だったにも関わらず、一度もそれを漏らさなかった。今日もそのスタンスは変わってないようで、何も言わずに腕で目元を覆っている。
 持っていた替えの氷嚢を放り投げると、見えてもいなかっただろうに空いていた手で受け止めて目隠ししていた腕をずらして俺を見上げた。
「……あんがとね」
 …………。
 あー…、あーっと、なんだ、その、目がやたらと潤んでんのは、熱があるからだよな。そうだ、落ち着け、俺。というか落ち着け心臓。目の前にいるのは葉佩九龍だ、なんで焦る必要があるんだよ?ったく…調子狂うぜ。
「と、とにかく、だ。今日は寝てろ。出歩くんじゃないぞ」
「あはは、さすがに今日はちょっとムリ、かな…」
 葉佩は力無く笑った後、やはり苦しいのか、身体を僅かに横に傾けて、首筋に氷嚢を当てた。
 目を閉じて浅い呼吸を繰り返す葉佩は、いつものこいつからは想像するのが難しいくらいに弱っていて、だからつい、手を差し伸べてしまう。
「何か、食えそうか?」
「……カレー」
「弱ってるときに刺激物なんざ食うもんじゃねぇだろ」
「でも、カレー。あんさー、そこの、棚の下にー、レトルトカレーあるからー、できればお湯だけ沸かしていってほしいなぁ、なぁんて……」
 熱出してるときにカレー、しかもレトルトときたもんだ。それで本当に治すつもりか?この阿呆が。確かにレトルトカレーは手軽で楽かもしれないが、栄養を摂る物としては考えられていないって相場が決まってる。
「どうしても、カレーか?」
「……つーか、いいよ。ゴメン、大丈夫だからさ、部屋、戻って」
 普段は阿呆のようにくっついてきてぎゃーぎゃーうるさいのに、こういうときだけ神妙になりやがる。変なとこで遠慮なんかしやがって、似合わねーんだよ、お前には。
 ―――いや、似合わない、ふりをしているのか、いつもは。
「ヘーキだよ。ダイジョーブ。ちょっと熱出たくらいなんだし。寝てりゃ治るよ」
 嘘だ。こいつは、本当に辛いときには誰にも頼らないし、辛いことを口に出すようなこともしない。
 結局、俺たちは誰も、こいつに信用されてないんだろ?だから自分が弱っているという状況を伝えようともしないし、独りで抱え込んで沈静させるんだ。俺たち、いわゆるバディって連中は葉佩が伏せったことなんて何も知らず、知らされず、こいつが孤独を糧に治癒し終わった後の阿呆みたいな笑顔を見て騙されるんだ。自分はこの男の、仲間だと。近付くことを、許されていると。
 それが許せないと思うのは、おそらく俺の問題で、俺の勝手だ。だが、ハッキリ言って気に食わない。普段は自分をさらけ出してオープンで、何もやましいことはないって阿呆面晒して誰にでも友好的に接して、けれどその実、自分の内面の奥は見せずに遮断したままだというこいつの在り方が、どうしようもなく、気に食わない。いっそ腹立たしい。
 そして、そんなことを無視しておけばいいのにいちいち気にして感情に細波を立てている自分が、一番腹立たしいのだ。葉佩がどうだろうと、構わなければいいだけのこと。それなのに。
「本当に、カレーなら食えるのか?」
「んー?んー……ん。」
「分かんねーよ、それじゃあ」
 たぶん肯定なんだろうが、もうそれどころじゃないらしい。ざまぁねーぜ。いつものツケだ、へばってろ。
 そう。そうやって部屋から出てって、放っておけばいいだけの話だろうが。せめてもの情けで湯を湧かすくらいはやってやってもいいが、それで終わりにすればいい。
 なのに、あの野郎が譫言のように大丈夫だ、平気だと繰り返すから、留まっちまうんだよ。あいつが大丈夫だと言ったときは、大抵逆だ。笑ったりなんかしたら最低だ。かなりギリギリだと思って間違いはない。
「……ちょっと待ってろ」
 返事は待たなかった。どうせまともな判断能力なんてないんだろうしな。
 そうして部屋に戻って、机の上に置きっぱなしになっていたカレー鍋と、小型冷蔵庫の中から野菜、肉等々、そして棚に並んだスパイスを持って、葉佩の部屋に戻った。
 ほんの数分の間だったが、もう葉佩は眠りに落ちていた。普段眠れない分、極限まで体力が落ちたときでないと眠れないのかもしれない。
 不意に、葉佩が何か呟いた。その言葉―――名前は、前にも聞いたことがある。屋上でうたた寝した葉佩が呼んだ名前だ。日本の名前ではない。だが……直感で、分かる。おそらくは、女の名前。時折、葉佩の昔話にも出て来る女。俺が知り得る中で、こいつにとっての、唯一の特別。
 今、ここにいるのはその女じゃないのに、葉佩がそいつの名前を呼んだことに酷く苛立った。
 今、ここにいるのは俺だ。それを分からせたいと、思った。何故だかは、自分でも分からない。
 ただ、あいつの眼の中に、自分の存在が漠然と広がる景色の中の一部のように映るなんてのは、耐えられない。葉佩の存在価値基準の枠から外れたかった。その他大勢にカウントされて、周りの奴らに見せるのと同じような、仮面みたいな嘘臭い笑顔を貼り付けて応対されるなんて真っ平だ。
 そう思ったら、
「九龍」
 寝っこける葉佩を見ながら、そう呼んでいた。
 途端に、葉佩―――九龍の呼吸が落ち着く。苦しげに眉間に皺を寄せていたくせに、表情も柔らかくなった。
 今、一体お前は、誰に名前を呼ばれたと思った?
 ここにいるのは、俺だ、九龍。
 そんな一連の感情が自分の中にあることに気が付いた瞬間、大きな失態と過ちに気が付いた。
 ――――これは、他人に対しての興味であり、一種の執着ではないか。
 最初の『監視』という目的からは、相当分ずれ込んでいる。いつの間に、俺はこんな危うい距離まで踏み込んでいたんだ?等間隔を保っていたと思っていたが、今、胸の内にあるの感情は、確かな温度を持っている。
 まずった。失態だ。
 だが、そう思う傍らで、腹を括った自分も確かに存在している。ここまで近付いて、今から安全な距離を保つために離れられるか……答えは、ノーだ。
 肯定の答えを出すには、最初からあいつに近付かないという以外に方法はない。基本からして普通じゃなかった《転校生》に、俺が近付かないというのも不可能だしな。知り合ってから「石のように扱え」など、土台無理な話だ。
 無謀で、無茶で、無計画な九龍が遺跡で言った言葉を、不意に思い出す。

『理由、だよ』

『俺が……戦うための』

 だんだん、嘘を見抜くのは巧くなってきたと思う。その言葉も、嘘だ。
 
 ―――死ぬための、理由。

 そうなんだろう?
 と、問いかけたところでへばってるこいつは返事はしないが…おそらく普段も絶対に頷いたりはしないんだろうな。そういうヤツだ。
 人好きのする笑顔と性格のせいで気付かれにくいと思うが、こいつは手負いの獣だ。誰にも懐かない。頑なに自分を否定して、危うい方向へとひた走っていくあいつだからこそ、俺は興味を持ち、止めなければいけないと思ったんだろ?
 ならば、落下寸前、危ないとこまで近付いて見張ってやろうじゃないか。

 幾分安らかに眠る九龍の額に氷嚢を宛ってやって、俺は添え付けの狭い台所に立った。
 昨日の昼飯…カレーパンを買ってきてくれたら礼をするとも言ってあった。これは、その礼だと思えばいい。正確には使ってるカレー鍋だが、まぁいいだろう。
 誰かの為に料理をするなんて本当に久しぶりだとつらつら考えながら、俺は病人を振り返る。俺の目測を狂わせた、阿呆な《宝探し屋》。

 九龍。
 お前が死ぬための理由になんて、なってたまるか。
 自己犠牲なんて、許さない。俺はお前のことを存在として、認識してんだから、な。

End...