風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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3rd.Discovery あの炎をくぐれ! - 6 -

 H.A.N.Tの時刻表示が、もうすぐ日付を変えようとしている。
 現在、ロープを使って寮の部屋から抜け出し、墓場へと向かっている途中。取手にはメールを送ったし、ちゃんと返事が来たから起きてるんだろーな。でも取手は真面目そうだから、明日寝過ごしたりしないよう、今日の探索はさっさと終わらせたいトコ。
 外灯のない墓地はやっぱり暗くて、これじゃどっかから見られても俺だって分かんないだろ?とか思いつつ、例の穴に向かうと。
 そこには先客がいた。一瞬、取手かとも思ったんだけど。それにしては少し、背が足りない。それに……漂ってくるラベンダーの香りは。
「みなかみ…?」
「…よォ」
 怠そうに、眠そうに。俺の声に反応して振り返ったのは、やっぱり皆守だった。
「何で、お前には、」
「葉佩、突然だが、よ…」
 近寄ってきた皆守があんまりに真剣な目をしてたから、思わず俺は言葉を飲み込んでしまう。皆守は俺の前まで来ると、深い呼吸でアロマを吐き出し、聞いてきた。
「お前はカレーの中ではどれが好きだ?」
 ……はい?
 あんまりに状況とは異色な質問に、思わずオウム返しをしそうになってしまう。いきなり何を言い出すかと思えば…。
「例えば肉カレーとか、野菜カレーとか、他にも色々あるだろ?」
「そ、その他、色々、かな…」
「そうだな、確かに肉や野菜のだけがカレーじゃない。シーフードカレーや豆カレー、ハーブカレーなんてのもある。そもそも4種類のスパイスがあれば、それでもうカレーだ。クミン、コリアンダー、チリ、ターメリック。これを同じ分量ずつ」
 うんうん。それは、よく分かる、ケド。
「何で今、そんな、」
「ハハッ、また今度一緒に食いに行こうな」
 な、何!?皆守がとっても友好的だ!しかもよっぽど機嫌が良いのか、わしわしと俺の頭を撫でてくる。そんなことされたら帰れなんて言えなくなるだろーが!!
「お待たせ、葉佩君……あ、皆守君」
「よぉ、取手」
 何にも言えないまま、取手が来てしまった。いや、言おうと思ったその口を、皆守に塞がれてしまった。暗いのを言い事に、後ろからガッチリ、気道の確保もできませんが!?
「皆守君も行くのかい?」
「ああ。何か都合の悪い事でもあるか?」
「いや……君がこの時間まで起きてるなんてすごいな、と思って」
 それから二人は、保健室仲間らしく、明日はサボりだあはははは、なんて談笑し始めている。ちょっと待て!つーか皆守、放して。息させて。お願い。死ぬから。
 俺がもごもごやっていると、まるで今気付いたとでも言うかのように皆守が手を放して、俺の顔を覗き込んでくる。
「ほら、行くぞ。グズグズしてたら本当に睡眠時間が無くなる」
「無くなるって、俺はお前に来いなんて一言も、」
「あー、あー、聞こえません」
 皆守は耳塞いじゃうし、取手は横でクスクス笑ってるし。なんか和んじゃってて、もう追い返せる雰囲気じゃねーじゃん。
「……分かりましたー。ふん、過保護」
「うるさい、さっさと降りろ」
「へいへい」
 まったくうまく誤魔化されたよ、マジで。文句を噛み殺してロープを最初に降りきると、後続の二人が降りやすいようにしっかり張り直す。皆守、取手と続いて到着。
 降りてすぐに気付いたのは、この前来た時には光っていなかった中央の円盤だ。今は西の方向の盤が光を放っている。
「てことは……この先に椎名ちゃんがいるんかね?」
「そう考えて間違いはないと思うよ。おそらく彼女も……君を待ってる」
 取手は、悲痛な面持ちで扉を見た。この向こうに待つ椎名ちゃんの『死』への概念。あんな風に簡単に考えられることは、本当は幸せなのかもしれない。けれど、きっと彼女も何かを失っている。大切な、何か。失う痛みを知るのは確かに辛いけど、でも。
 知らないまま『死』を体感せずに生き抜くことなんて、できないと思う。ずっと先、生きていくうちに行き詰まっちゃうだろーな。だったら、早いウチに痛い目見といた方がいい。
「んだば、行きますかね」
 思った通り、扉は開閉可能。慎重に押してみると、そこは取手が居たエリアとはまた一風変わった部屋だった。H.A.N.T情報では、礼道入り口。なんのこっちゃ。
「君の力になれればいいけど…」
「頼りにしてますよ」
「あ、ありがとう…頑張るよ」
 なだらかな坂を下りて行くと、まず目に付いたのが蝶々。前の区画にもいたヤツかと思ったんだけど、見ればいつもおまけのように落ちているメモがない。
 紫色の蝶。不意に俺は、それに向かって手を伸ばしていた。何で?んなこと知るか。
 蝶は、ゆっくり俺の指の上に乗ってきた。それから、礼をするかのように翅を降ろす。
 次に飛び立った蝶を、俺は目で追いきることができなかった。何故か。それは、その蝶が、人型へと変化したからだ。
 蝶の羽が仮面となる、もう垂涎モンのナイスバディのお姉さんに早変わり。びっくり。どういう仕掛けになってんだ、こりゃ。
「この世は泡沫の蝶の夢…」
 何だ、その胡蝶の夢は。
「求め彷徨う者よ。ようこそ、智の迷宮へ。わたくしは、古代の叡智と共に在る者」
 彼女の声は、口元から発せられてない気がする。なんていうか、脳に直接響いてるような…干渉力の強い音波に似ている。
「悪魔、天使、魔女、精霊…。或いは慈愛に満ち溢れた女神。或いは冷酷無比なる鉄の番人」
「………」
「古来、人間はわたくしを様々な存在に見立てようとする。そのいずれもが正しく、またそのいずれもが、異なる」
 形があり、そして形無いもの。見る物によって姿を変える、妖。
「ただ、あなたの先人達はいつの頃からか、わたくしをマダム・バタフライと呼ぶわ」
 蝶々夫人、てワケ?想い人との約束だけを抱いて、最後には精神が壊れてしまった女性。
 うわ。曰く有り過ぎな名前。
「どう? わたくしに似合いの名ではなくて?」
「とっても、よくお似合いで」
「ふふふ。素敵な賛辞をありがとう」
 どういたしまして。願わくば素性を明かしてほしいところだけど、きっと、彼女は自分が何者かはどうでもいいんだろ。だから俺もどうでもいい。肝心なのは、彼女が敵か、それとも味方か、傍観者か。
「この出会いすらも仮初めに過ぎぬもの…。葉佩九龍―――」
 葉佩、九龍。どうして俺の名を。それに、なんでそんなに、なんだろう、馴染むような、懐かしい、ような……。
「若き探求者よ。あなたが我が望みを叶える者ならば、わたくしもまたそれに報いましょう」
「協力関係を結びましょう、ってか?」
 感覚が、脳ミソの中身が、共鳴する。俺が、彼女の名前を知った時に既に、彼女は俺の中にいたのかもしれない。
「ふふふ…」
 艶っぽい笑い。騙されちゃいそうな、騙されたくなるような。
「あなたがわたくしの望みを叶えてくれるたび、わたくしもまた、さらなる宝であなたの望みに応えるでしょう」
「……今んトコ、間に合ってます」
「そう……ならばお行きなさい。その心の望むままに…」
 蝶々夫人は、また会いましょう、と言い残して消えた。残ったのは、ひらひら舞う紫色の蝶だけ。
「何だったんだ、今の…」
 皆守の声で、ようやく俺は現実に引き戻された。
 イヤほんと、『この世は泡沫の蝶の夢』って感じ。どれが現実か、頭おかしくなりそーだ。
「この遺跡の神秘って事で。さー、キリキリ行ってみましょう」
 世の中には解明できないことだってあるさ!たぶんね。
 気を取り直して、近くにあった長い梯子を登る。先頭の俺は登り切ってから、安全を確認して下に呼びかけた。
 次に登ってきたのは取手。
「皆守は?」
「あ……ダルいって、まだ下かもしれない」
 にゃ~ろ~!!さっさと進まないとこんな怪しい遺跡の床をベッドに寝ることになるぞ?俺だって早く帰りたいっての!
 仕方なく、もう一度呼びかけると、「あー、ダルい…」というワケの分からない返事が返ってきた。ほどなくして、皆守登頂。
「ダルいんだったら帰ってもいーぜ?」
「あ?誰が帰るなんつったよ」
 さいですか。じゃあちゃんと起きてろよ?
 あくびする皆守の背を叩いて、西方向へ歩き出す。途中に、見覚えのあるデカい扉があった。
「開閉可能…?」
 まさか、ここに椎名ちゃんが?簡単すぎるだろ?と首を捻っていると。
「ここは、僕が居た場所だ」
「あぁ、繋がってんだな」
「墓守を失った部屋には、別の墓守が置かれる……おそらく、この部屋もね」
 この扉一枚隔てて向こうには、神産巣日がいるってこと。あの、四つん這いの。クエストこなすために潜った時に何度か戦ったけど、今日はんなことしてる場合じゃないんだよな。
 そのままスルーして、北へ。今度は普通の扉があって、おっと、開閉可能ときたもんだ。
 次の区画は…
「闇か…」
 取手が呟いたように、見事なまでに真っ暗。一寸先も、ってヤツ。
 迷わずゴーグルを暗視モードに切り替えた。H.A.N.Tが反応していないことから、敵影は確認できないけど、この暗さじゃ気は抜けない。
「行くっきゃない、か…」
 周囲を警戒しながら歩を進める。周囲にはね、注意してたんだよ。でも、灯台もと暗しというか何というか、踏み出した足が何かを、踏んでしまった感触。……ポチッとな?
 突然、不吉な作動音が響いた。それから、にわかにH.A.N.Tが騒ぎ始める。敵影を確認?分かってらい!!
「まずいな。囲まれたみたいだぜ…」
 皆守の舌打ちを聞きながら、索敵を続けた。だって目の前の敵影の位置情報には前方に四体しか確認できてない。けれど、気配はもっと多い上に、画面上にはマークが六つ。
 となると、後ろか!?
「取手!後ろにもいるかもしんないから、」
「任せて……君の背中は僕が守るよ」
 ……泣けるね、ホントに。
 他人に背中を任せるなんて本当はどうかと思うけど、今はそういうこと言ってられる状況じゃないし。いっちょ、よろしこ。
 一応背後にも注意を払いつつ、俺は前方にMP5を構えた。熱線視界、ノクトビジョンの向こうに映る、笠を被った着流し風骸骨。変なの。
 側面から銃撃をかましたけど、効き目はイマイチ。それでも二体撃破して、奥にいるのから攻撃をもらわないよう、後退する。
 すると、今まで索敵画面に映らなかった敵影をH.A.N.Tが捉えた。やっぱ、後ろね。
 でも反転してる場合じゃない。前方の二体はすぐそこまで迫っていた。射撃の構えながら後退しようとしたけど、後ろの敵影も移動を始めている。
 一撃覚悟で、右にいた一体にポイントを合わせて照射。同時に、左の骸骨から何かが飛んでくる。
 右骸骨を撃破と同時に、肩に鋭い痛み。硬質で鋭利な何かを投げられたようだ。ナイフとか、そんなもん。骸骨が投げナイフってのも変な感じだけど。
「葉佩君!!」
 取手が俺の微かな呻き声を聞き取ったらしい。俺の前に立ちはだかると、腕を大きく広げた。
「…この曲を聴くがいい」
 俺も食らったことのある、スーパーソニックウェイブ、フォルツァンド。取手の能力はしての精気を吸い…そして自らの糧にする。取手の背中からなんつーか、あったかい《気》のようなモノを感じて、気付けば腕の傷から少し痛みが引いていた。
 再度、サブマシンガンを構えて、取手の横から骸骨に向かってパラベラムを散らす。
 斃したのを確認して振り返ると、なんと、目の前にもう骸骨が迫っていた。
 しかも、なんか構えてるし!コースは…俺の頭。勘弁してくれよ…。しかも、俺の運の悪さは絶好調で、こんなときにバッテリーが切れた。これじゃ、距離感も測れない。
 けど、避けるわけにはいかなかった。取手と皆守が後ろにいるのに、避けていいはずがない。そんな時、漂ってきたラベンダーの香りと、皆守の怠そうな声。
「あァ、眠い…」
 この声に前の探索でも何度も助けられた事を思い出して、途端に、背中に感じる皆守の体温に安心感を覚えていた。あーホントに、背中を預けてるって感じ。
 堪らなくなって、銃声で感傷を吹っ飛ばす。ついでに敵も、吹っ飛ばす。何も見えない暗闇だったけど、後ろの皆守の息づかいとか、取手の気配とか感じてると、不思議と怖くないんだよな。
 弾をバラ撒いてるうちに弱点にヒットしたらしい。そのままトリガーを引きっぱなしにして、ようやく最後の一体も、どこかに消えていった。
「安らかに眠るがいい…」
 フィニッシュブロウ、取手の美声、なんつってね。皆守もそうだけど、なんとなく、二人の声は低くて落ち着いてて耳障りがいい。好きだなー、俺は。
「そうだ、二人とも怪我してない?」
「僕は大丈夫だけど…」
 で、皆守からは返事無し。まさかどっか傷めたのか!?慌てて暗闇の中、皆守を探すと、いきなり腕を引っ張られた。
「おわ!何だよ、ビビったぁ」
「二人とも、じゃねぇだろ」
 皆守が暗闇の中、探るように身体に触れてきた。なんか、くすぐったい。
「俺?俺は大丈夫だって!」
「どこがだ」
 血の臭いに辿り着いたらしい皆守は、舌打ちをして俺の肩を掴んだ。そこは、さっき攻撃を喰らった場所。不意打ちに、思わず呻き声を上げてしまう。
「無理すんじゃねーよ」
「って、お前が掴むからだろ!」
 気にしなければ、気にもならない程度の怪我だ。これくらいで標準が狂うほど、俺の射撃精度は悪くないつもりだぜ?
「ホント、平気だって。取手のおかげで結構傷塞がってるし」
「でも葉佩君、血が出てるなら治療しないと、こういう古い遺跡とかってどんな菌がいるか分からないし…」
「ほら、取手も言ってるだろうが。2対1。お前の負け」
「どんな勝負だよ!」
 でも、分が悪いのは確かだった。しかも二人とも俺のこと、心配して言ってるんだから質が悪い。しょうがねーなぁ…。
「次の区画が暗くなかったら治療するよ。こんなに暗くちゃどーしょもねーもん。とりあえずギミック解除してからねー」
 皆守の手を肩からどかすと、心配してくれたことに対しての礼を言った。
「サンキュな」
 返事はなく、ただ頭に手を置かれただけ。
 そのまま壁伝いに扉の方へと移動していくと、途中で例の蛇型スイッチ発見。カチッとな。
 ギミックは解除されたらしく、どこかで鍵の開く音が聞こえた。扉は目の前。開けてみると、今度はそれほど暗くはなかった。つっても、さっきよりは、って程度だけど。
 入ってすぐ、目の前に像みたいなものがあって、近付こうとしたら、襟首を掴まれた。
「おい、それよりも先にその傷、どうにかしろ」
「あー、そーだったね」
 肩の傷を見ると、あらヤだ、制服が名誉の負傷?10センチほどの切れ目が入っている。でも傷自体はちょっと抉れてる程度で大したことはない。とりあえず、止血だけはしておこう。
 上着を脱いで下に来ていた黒いシャツを肩だけ抜く。救急キットから消毒剤と包帯を出して、消毒剤塗って、包帯の端を口に銜えて、グルグル巻いてハイお終い、のはずだったんだけど。
「貸せ」
 皆守に包帯を取られてしまった。返せ、と言う間もなく、
「取手、この阿呆の腕持ってろ」
「分かった」
 はい?
「何だよ、一人でやるからいいって、」
「文句を言うな」
 ですって。
 でもさー、こんな怪しい遺跡のど真ん中で男三人、しゃがんで雁首揃えて、何やってんだって話じゃね?しかも沈黙。居心地悪いなぁ…。
「そういや、《フォルツァンド》って、音楽用語だよな」
 なんとか話題を見つけようと、腕を持ってる取手に話し掛けた。
「よく知ってるね。その通りだよ」
「イタリア語音楽記号で、《強調された》って、意味だっけ?でもさ、フォルツァーレが《強制する》だからちょっと違う?」
 取手は驚いたって顔で俺を見る。そんなに意外?
「すごい…葉佩君、音楽が好きなんだね」
「ん、まぁ。つーか、そう言うの大好きな知り合いがいてさ。ピアノ、好きなヤツだったんだけどね」
「へぇ…」
 声を漏らしたのは取手と皆守、同時。
「そいつのせいで、最初は音譜も読めなかったのに、やたらと詳しくなっちゃって」
「女か?」
「さぁて、どーでっしょ…って、痛い痛い!」
 俺の答えが気に入らなかったのか、皆守は妙にキツく包帯を縛り上げて治療終了。荒療治だな、オイ。大丈夫かい?と声をかけてくれる取手とは大違いだ。
 しかも皆守クンたら、服を着終わるまでずーっと見てるんだもんよ。
「いやん、エッチ」
「阿呆」
 呆れたように言い放った後、大きな嘆息。疲れた?あ、俺のせいか。
「……女だよ」
「………」
「可愛くはなかったけど」
 付け加えると、皆守は気が済んだのか、部屋の中央に向かって歩き出した。
 部屋には像と、その周りを囲むように堀。もっとよく見ようと、皆守の後を追って並び掛けたその時。
 また罠が作動した。どこからか不気味な嗤い声が聞こえてきて、目の前に並んでいた壺が化人へと変わった。
 けど、幸い側面向きだ。咄嗟に皆守の腕を引いて後ろへ下がらせ、まず蜘蛛を弱点の首の付け根を撃って、一体撃破。その向こうにいるのは、何だ?背中からパイプみたいの生えてんぞ?試しに撃ってみたら弱点だったけど…こりゃ前向かれたら厄介だわ。
 突っ込もうかと、一瞬考えた。でもできなかったのは、襟首を掴まれて引っ張られたからだ。
 引きずり込まれたのは柱の陰。引きずったのは、言わずと知れた皆守クン。
「何!?どうかしたのか!?」
「一人で突っ込むな。言っただろうが」
 ……『俺が泣く』から、って?
 冗談めかして見上げた俺の目に飛び込んできたのは、やけに険しい皆守の目だった。
 あ、ヤバい。そう思った。
 こいつ、冗談でも何でもなくて、マジで俺が突っ込むの、嫌がってる。つーか、怖がってる?
 そういや、椎名ちゃんと廊下でやり合った時も、こいつは言ってたっけ。
『お前も知ってるのか、その痛みを』
 死を、間近で経験した人間だけが分かる、痛み。皆守はそれをまた味わうのが怖いのかもしれない。
 だから、俺は。ことさら軽く笑って見せた。
「わーったよ、ダイジョーブ。一人でいかない」
「…………」
 柱の陰から、現れた蜘蛛を撃ち殺し、その向こうを覗き込む。順調に近付いてきてるパイプが太い柱を通過した時、俺は取手に向かって叫んだ。
「取手、後ろから頼む!」
「分かったよ!」
 柱を回り込んで、取手はパイプの後ろに回った。俺はそのまま飛び出して、相手が攻撃モーションにはいるのも構わず撃ちまくる。加えて、ダメージの増加する背後からの攻撃を喰らって、パイプは見る見るうちに弱っていった。
 あと、一撃。そこで弾が尽きたのは、完璧、俺の誤算。あいたたた。
 攻撃を喰らって吹っ飛んで、背中をモロ壁にぶつける。受け身取る暇すらねーっての。一瞬、呼吸が止まって頭ン中が白くなって、それでもヘバるなと叫ぶ俺の根性。感服。
 皆守と取手の俺を呼ぶ声が聞こえて、悪いことにその声にパイプが反応してしまった。
 パイプが標的を変える。俺、から、皆守。相も変わらず怠そうなのに、目つきだけが鋭くパイプを見上げてる。
 マガジンを入れ替えてる暇なんてなかった。つーか、何も考える暇がなかった。身体を跳ね上げ、一足飛びでパイプに躍り掛かり、カポエィラの蹴り技で文字通り、ぶっ飛ばした。
 パイプは霧散して、その不透明な質量のせいで足が回りすぎて、俺は見事に着地に失敗。
「葉佩ッ!」
 皆守が珍しく慌てた感じで駆け寄ってきた。
「げーろげろ。ケツ打った。痛い」
「さっき攻撃受けただろう?大丈夫かい?」
 取手も俺の顔を覗き込んでくる。
「あー、結構大丈夫っぽい。ちょっと制服焼けたけど、それだけ」
 実は全身ガクガクだけど、致命的なモノは何もない。普通だったら自分の状態を的確に伝えなくちゃだけど、怪我したとかって言っていちいち治療させられてたんじゃ本当に夜が明けちゃうかんね。
 坂を下りたところにあった扉はやっぱり施錠されている。
「じゃあ、あれか」
 西側に置かれた大きな像。堀には正体不明な青い液体で満ちていた。あんまり落ちない方がよさそ。
 堀を飛び越えて像を調べると、それはどうやら《伊邪那美神の像》で、《炎の涙》を求めているっぽい。
「炎の涙って、何だと思う?」
「さぁな。まさか石像が泣くわけもないだろ」
「あ、葉佩君、あっちにも何かあるよ」
 取手が指差した方向にはでっかい塔のようなものが。近付いて調べてみると、それは大きな窯だった。真ん中には火花が。
「これをもっと燃やせばいいっぽい。延焼剤、作んなきゃ」
「延焼剤?」
「そ。材料、何だったかなぁ…」
 目に入ってきたのは宝箱。開ければビックリ、木炭が出てきた。延焼剤は、これとティッシュで調合可能だ。
 ティッシュ、ティッシュはどこだー、っと。
「一体何を探してるんだ?」
「ティッシュ。俺持ってきたかなー、ティッシュとか…」
「ティッシュならあるよ。ポケットティッシュみたいなのでいいのかな?」
 取手はポケットから天香のロゴ入りのポケットティッシュを取りだした。そうそう、これ!
「ナイス、取手!サンキュ」
「いや…役に立てたなら嬉しいよ」
 そんで、顔見合わせてにこーって。いいなぁ、取手。思わず手だって握っちゃう。
「おい、道具が揃ったならさっさとやれ」
 友情を深め合ってるところを、皆守に襟首掴まれて引っ張られる。
「はーいはい。急がせて頂きますぅ」
 木炭をまとめて筒状にし、ティッシュを巻き付ける。簡単だけどこれで完成。窯にくべると、火花は物凄い勢いで燃えだした。同時に、解錠音。
 扉に向かって歩き出すと、取手が思い出したように顔を覗き込んできた。
「そういえば、さっき…すごかったね、葉佩君」
「ほぇ?何が」
「蹴り技。まるで格闘ゲームのキャラクターみたいだった」
 あー、あれか…。
「カポエィラの蹴りの連続技。なんたらマルテーロゥってヤツなんだけど。飛び上段回し蹴りって感じ」
「どこで覚えたんだ、そんなモン」
「えーっと…あ、さっきのピアノのヤツ。あいつがべらぼうにカポエィラ強かったんだ」
 普通のキックボクシングよりも見た目が派手で、破壊力も高い格闘技を、好んで使うヤツだった。面白そうだったから教えてもらったけど……一度しか勝てなかったなー、俺。
「ピアノが好きで格闘家って……どんな女だ」
「俺、肋骨砕かれたことあるよー」
 へらへら笑って二人を振り返ると、薄闇でも分かるくらい、二人とも顔を引きつらせていた。
 ……大丈夫だよ、そんな危険な女、ここにはいないんだから。
 それは口に出さずに、次の区画への扉を開けた。