風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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2nd.Discovery 蜃気楼の少年 - 7 -

 痛みを感覚する。
 それは、まだ身体が機能している証拠でもある。次に、その痛みが発生している箇所を確認する。頭だった場合は注意しなければならない。それから、痛みの度合いだ。何かが刺さったような痛みか、それとも打ち付けたような痛みか。
 それから、それから……感覚せよ。 感覚せよ。 感覚―――…。

「葉佩、おい、葉佩!」
 全身を揺り動かされて、俺は目を開けた。目を開ける、そう、俺は、感覚できていた。
 目を開けたのに、まず飛び込んできたのがラベンダーの匂いで、それから皆守、次いで八千穂ちゃんの顔。あ、ゴーグル外されてる。
「葉佩クン、大丈夫!?」
「ん……あ、ぁ…ヘーキ」
 とは言っても、少し頭がボーッとしている。
「損傷は軽微、続行に支障はなし、状況を継続……」
「葉佩?」
「ほぇ?」
 曇る皆守の表情を見て、何かよくないことを呟いたかと焦る。あれ?今、俺、何か言ったっけ?
「今度はみんな一緒に落ちちゃったね」
「八千穂ちゃん……そうだ、怪我は!?」
「大丈夫だよ。これでもテニス部のエースだもん」
 そ、そういう問題ですか?でも、立ち上がって元気だと言うことをアピールするためにくるっと可愛く回って見せてくれるくらいだから、痛みがあるわけではないんだろ。それに、目立った外傷もない。
「そっか、良かった……皆守は?」
「俺の心配より自分の心配しろ」
「俺?俺なら大丈夫。人より三倍頑丈ですから!」
「その様子じゃ大丈夫だな」
 皆守が腕を放したせいで、その腕に支えられていた俺の頭は一気に床とごっつんこ。  痛っ~…。
「そう言えば二人とも、何で帰宅部なの?運動神経良さそうなのに」
「面倒くさいから」
「もう、勿体ないなぁ…ね、葉佩クンは?」
 丁度立ち上がった俺の顔を、八千穂ちゃんが覗き込んでくる。
「え?俺?さぁ……面倒くさいからかな」
「二人とも!?」
 だって、その方が仕事楽じゃん?でも、これからもまたこの遺跡に潜るよ、なんて言ったら、八千穂ちゃん付いて来たがるでしょー。だから、ダメ。言わないのです。
「葉佩」
「うん?」
「お前、あんまり高いとこに登らない方がいいらしいな」
「……スイマセン」
 特記事項に『落下好きです』なんてないはずだけど、そう書かれちゃいそう。あ、『高所が苦手です』か?でもそれもないよな。
「ホント、ゴメン。偉そうなこと言った俺が落ちるんだもんな……バカみてぇ」
「確かに」
「スイマセンでした!」
 生きてたのは、本当に偶然で……運が良かったからだ。人より数段運が悪いはずの俺だけど、いつもギリギリのところで助かる癖(?)は今回も健在だったらしい。足を踏み外したのは運どうこうよりも、ただの不注意だし…。ああ、《宝探し屋》失格。
 また先頭に立って、坂になっている通路を抜け、簡単に解錠できる扉を開けると。
 今度は直後に戦闘突入。二人を庇える壁や遮蔽物もない、だだっ広い区画。
 迷わず、化人なる化け物さんたちのいる中央へガスHGを投げた。広域戦闘での鉄則、戦力減少。爆風で三体がH.A.N.Tの敵影表示から消える。それから真横の人型に銃口を合わせた、つもりだったんだけど。
「よし!退治!!」
 八千穂ちゃんのスマッシュが、化人を消滅させていて、
「あり?」
「葉佩クン、向こうに一体残ってるよ!」
「お、おぅ!」
 彼女の口調はいつも通りだけど、気を張っているっていうのは雰囲気で分かる。
 そのまま銃口を流して奥にいた水槽野郎に向け、照射。サブマシンガン特有の痺れるような反動が全身を覆う頃には、もう水槽野郎は消滅していた。
「何だ、もう終わっちまったのかよ」
「お陰様で」
「あァ、眠い…」
 そればっかだね、君は。眠いってことはいいことだけどさ。
 大あくびをかます皆守は放っておいて、俺はその部屋を見回る。すると、扉からすぐ近くのところで、『不連続な反響音を確認』ですって。
 パルスHGを投げ、壁を破壊した先の小部屋で青い石ころを入手。
「石……そういえば、今日、黒塚ってヤツに石舐めたいかとか聞かれたんだよなぁ」
「黒塚クンは石、大ッ好きだからねー」
「思わず舐めちゃったよ、俺」
「え゛ッ……」
 石をしまい、さっき来た扉じゃない方の扉から出ると、飛び石になっている区画だった。
「戻って来れたみたいだね!」
「もう落ちたくはないな」
「……気を付けさせていただきます」
 んで、今度はひとつひとつ足下を確認しながら飛んでいく。蛇型スイッチを入れると、どこかで解錠音がした。
「お、左側に箱があるな」
 いくつか跳んだところで、皆守がパイプを左に指した。ホーントだ。中にあったのは硝酸という薬品で、そう言えばヘラクレイオンでも見つけたと思い出した。最初に戦闘が起きた区画で塩酸を手に入れてたから、王水を作ることができる。
「葉佩ク~ン!こっち、鎖で扉が閉められちゃってる!」
 奥で、八千穂ちゃんの声がする。最後の飛び石を跳んで彼岸に降り立つと、皆守が眠そうな顔で何かに寄り掛かっている。
「起きてる?」
「眠ィ…」
「そんな顔してるよ」
 結構夜も遅いもんな、ダルダル眠男の皆守クンはそろそろお眠の時間なんでしょかね。
 そのままそこで寝てしまいそうな皆守の手を引いて八千穂ちゃんの所に行くと、確かに扉には黄金の鎖が絡まっていた。もうひとつ扉があったけど、そっちは護符扉。ロックフォードアドベンチャーで見た。だからたぶん後回しで良いんだろう。てことは、黄金の鎖。
「ああ、それか」
 やっぱり王水だねぇ。てことは、調合だ。その場に座り込んで硝酸と塩酸の調合を始めると、珍しく、俺の手元を皆守が覗き込んできた。
「……薬品臭い」
「じゃあ負けないようにアロマ吹かしておくれ」
 硝酸と塩酸、適当に混ぜたんじゃうまくいかない。大体1対3て比でよく混ぜまっしょう。ほどなくして王水が完成した。金だけでなく、プラチナとかも溶かしちゃう劇薬といってもいい酸だ。取り扱い注意、ってね。
 それを黄金の鎖にかけると、じわじわと溶け出した。
「オープン、てね」
「おら、八千穂、行くぞ」
「ガッテン、副隊長!」
「……誰が副隊長だ」
 和気藹々と次の区画に進むと、そこはどうやら大広間。薄暗いのは変わらないけど、なんだかヤな感じ。
 背筋がざわりとした直後、何かが作動した音と、敵影。
「やっぱりな…」
 敵影は四方に散っている。迂闊に飛び出せば、囲まれる。
 俺は二人を引っ張って柱の陰に隠れると、敵が動き出すのを待って、集まったところにガスHGを投げた。
 爆光、爆音、爆風。H.A.N.Tの敵影表示からポイントが三つ消えた。けど、まだ一体残っている。
「葉佩クン、右!!」
 八千穂ちゃんの声で右手を振り返ったときには、もう水槽野郎がすぐそこまで来ていた。
 咄嗟に八千穂ちゃんを突き飛ばして、庇うように立ち塞がった俺の鼻に、強く香るラベンダーの香り。
「アロマがうまいぜ…」
「お、お前!ンなこと言ってる、って、おい!」
 本当に眠いらしく、皆守は、銃を構えている俺を後ろから抱え込んできた。
 こ、こんなときに寝るなこの野郎!!
 水槽野郎の衝撃波が来る。後ろでは八千穂ちゃんが叫んでいるのが聞こえる。撃ったパラベラムは衝撃波に弾かれて。
「あぁ、眠い…」
 せめて、皆守だけは庇おうとした俺だったが、また、皆守が船漕いでるのに合わせてゆらゆら、揺れている間に攻撃を回避していた。その間に、銃弾を撃ち込んで、撃破。
 息が荒れて、その呼吸の深いところを狙って、ラベンダーの匂いが入ってくるモンだから、もう。
「ちょ、ちょい、皆守、起きろ!!おい!」
 近いんだってばよ!!髪の毛が首筋に触れてくすぐったいし!
「皆守クン!こんなとこで寝ちゃダメだよッ」
「ん?あぁ、悪い」
「葉佩クンが重たいって!」
 ええ。重いです。重たいです。
 ようやく皆守は離れてくれたものの、なんか、全身にラベンダーの匂いが染みついたような気がして……何だかなぁ。
 気を取り直して、安全領域に入った区画を進んでいくと、先はどこを見ても、柱柱柱、ってな具合。
 途中に大きな階段というか坂があって、そこの先の壁を爆破している間に八千穂ちゃんがまた紙切れを拾ってきてくれた。蝶々のヤツね。
 どうやらこの遺跡は、日本の神話とかそう言うのを元にして作られている、らしい。
 その先の足場までジャンプしていくと、宝壺があって、中に入っていたのは境の爺さんから貰ったものと同じようなオルゴールみたいなのだった。
「可愛いー!」
 一緒に跳んできた八千穂ちゃんが、手元を覗き込んで言う。
「あげよっか?」
「いいの?」
「たぶんここを突破するには関係ないモンだろうしね」
 それだけで、八千穂ちゃんは大喜びしてくれる。無邪気は美徳ですね、ハイ。
 飛び降りて、下にいた皆守を見ると、また半分寝ている。すまんね、こんな時間まで引っ張り回しちゃって。すぐ出ますからねー。
 そこから先は、今度は石像石像石像。目が回りそう。
「大きな石像が一杯あるね~」
「どうやら全部同じ方向を向いて…ん? そうでもないか」
 皆守が、ある石像を見上げて呟いた。それは、全員が同じ方向を向いているのにひとつだけ反対方向を見ていた。
「ね、葉佩クン、これは何?」
 その近くには、石碑。俺は、頭を抱えてしゃがみ込みたくなった。
「それは……要するにヒントだよ」
 俺が読めるかどうかは果てしなく怪しいけど。でも、八千穂ちゃんは期待いっぱいの『読んで』って目で。ああ、ここで読めなかったらめっちゃ格好悪いよ?
 H.A.N.Tを起動して、文字を解析していく。
「神々、並ぶ……見送る…?何をだ?」
 俺が読み取れたのはそこまで。なんとなく、この石像は神を象ったもので、皆同じ方向で何かを見送ったって事は分かった。
「つまり、違う方向を見てるヤツの向きを変えればいいって事か」
「そんな適当でいいのか?失敗してそのでかい坂から石でも転がってきたら洒落にならないからな」
 皆守の一言で、血の気が引いた。そ、そういう可能性もあるわけですね…。
「あ、あのさ、二人ともちょっと上にあがっててくんない?」
「上?」
 訝しがる二人の前で、俺は上段に設置されていた突起にワイヤーガンのフックを引っ掛けた。
「これで、上がってて」
「何で」
「罠が作動したら困るっしょ」
「お前は」
「ギミックの解除」
 先にワイヤーを伝って上に登り、八千穂ちゃんを引っ張り上げた。それから皆守に手を出すと、あいつ、アロマをくゆらせて俺を見上げるだけ。
「何やってんだよ」
「そこまで登る体力が残ってねぇ。眠い」
 だってよ。もう、真性ダルダル人間。
「……トラップでどうなっても知らんぜよ」
「フン」
 壁にもたれる皆守はテコでも動きそうにない。仕方ない、何かあったら即行退避させよ。
 俺は南西の像に手を掛けて、他の像と同じ方向に向かせた。どうやら正解。光と共に解錠音。
「八千穂ちゃぁん、行くよー」
 いつの間にか姿を消していた八千穂ちゃんを呼ぶと、
「ね、こんなの見つけたよ!」
 手に持っていたのは、蝙蝠の羽だった。きゃー、滋養強壮によさげ。
「皆守、起きろよ、先行くぜ」
 ホント、早く出ないとこいつが寝死ぬ。置いていくわけにもいかないしなぁ。
 奥の扉を開けて通路に出た途端、目の前には化人。人型のは確か足下が弱点なんだよな、と落ち着いて一体撃破。そのまま先に進もうとしたが、H.A.N.Tにまだ敵影が残っていたから、待ち伏せ。敵影が移動して角から姿を現したときに、側面から射撃して呆気ないほど簡単に戦闘終了。
 通路を行くと、不思議な模様の扉がひとつと、また紙切れ。とりあえず開閉可能となっていた扉の中に入ると、
「う、わァ…」
 八千穂ちゃんは口を開けたまま止まってしまった。
 不思議な色の空気が満ちたそこは、とても安心できる空間だった。まるで、ヘラクレイオンの遺跡の中で見つけた『魂の安らぐ場所』のような。疲れとかが一気に吹き飛んで、身体の力が抜けちゃう感じ。
 中央の井戸を覗き込むと、何だかごちゃごちゃといろいろと入っていた。
「ラード…食塩水…肉もあるし…石ころ?」
 なんかの貯蔵庫か?にしては雑多だなぁ、おい。
 しかも何が便利って、浮遊する三角錐に触れると、どうやら俺の部屋にストックしてある持ち物と物の交換ができるようなのだ。一体どういう仕組みだ?
 まぁ、便利なのはいいことだ。弾丸の補充とガスHGを取りだして、それから。
「ちょっとここで待ってて。外の様子見てくるから」
 言い残して、その部屋を出た。
 通路に置かれた紙切れをH.A.N.Tに取り込んで読んだところ、どうやら、通路の奥にある扉に、何か隠されていそうな感じなんだ。
 やたらに豪奢で、不思議な形の錠の掛かった扉。耳を当ててみると……何かの気配がするんだ。
「ふん、随分と物々しい扉だな」
 マジで、今、心臓にかなりの負荷が掛かったよ!?ビビったぁ…。
「い、いきなり声かけるなよ!ビビるだろ!」
「まさか、一人で入ろうとしたんじゃないだろーな」
「ヤだ、そんなー、怖いですもん、入りませんわよー」
 っと、ホントは行けるもんなら行こうとしたんだけど。そんなこと言ったら怒られそうだからナーイショ、内緒。
「お前な、んなことしたら八千穂が泣くぞ」
 ほら、こいつ、すぐ見抜くんだもんよ。実は普通の高校生じゃないだろ、アロマといい洞察力といい、異常だ。
「せいぜい信用無くさないような行動しろよ」
 やっぱり、異常だ。こうやって何気ない一言で、こいつは俺の中にいつの間にか佇んでいる。アロマを吹かしながら、テコでも動きやしねぇ。それで俺は、ラベンダーの匂いのせいで頭がバカになるんだ。
「……それで、いいじゃん」
「何?」
「軽率で軽薄で、信用無くて。そうすれば、その内誰も俺に近寄らなくなるだろ」
「………」
「誰も、俺を信用しなくなればいい」
 ……思わず本音を吐露していて、しまった、と思ったときには遅かった。皆守、めっちゃ怖い顔してんの。
「なんてね、ウソウソ。ジョーダン」
 話をどうにか逸らそうと、
「皆守ってさ、もしかして八千穂ちゃん好きだったりして?」
「はぁ?」
「だってさ、他のヤツとはあんまり仲良さそうに見えないのに八千穂ちゃんとは仲良さげだし、今日来たのだって、八千穂ちゃんの言い分に『一理ある』って思ったからだろ?」
 へらへら笑って横を通り過ぎようとしたら、がっちり腕を掴まれた。
「俺は、自己犠牲なんてもんは大嫌いだ」
「……自己犠牲、ね。俺も嫌いだよ」
「お前のしてることはそれ以外の何でもないだろ。自分の身を挺して他人を護って、満足か?それで残された方が喜ぶとでも思ってんのか?」
 強い口調で諭されるけど、俺にはそれが違うと、ハッキリ言い切れる。
「ね、命の価値って、差があると思う?」
「………」
「命は平等なんて、そんなのは大嘘。だって、さぁ、もしここで俺が死んだとして、お前は泣くか?凹むか?しないだろ?だからいいんだよ、それで」
 皆守に、胸ぐらを掴まれた。殴られるかなー、とも思ったけど、それまでだった。
「あー!二人とも何やってんの!?ダメだよ、喧嘩しちゃ!」
 部屋から出てきた八千穂ちゃんが、険悪な雰囲気の俺たちの間に割って入った。
「あはは、ゴメンね。俺が八千穂ちゃんて可愛いよね、って言ったら皆守が『八千穂は俺のモンだ!』ってキレちゃってさー」
「……そうなの?」
「ンなワケねぇだろッ」
 皆守は不機嫌丸出し、って顔で俺から手を離すとラベンダーの匂いと共に大きなため息を吐き出した。
 何か言いたげな目をしてたけど、俺は、それをあえて無視した。
「わ、すっご~い!金色の扉だ」
「開かないけどな」
「鍵を探さなくちゃだね」
 鍵は、《赤白貝》を求めていた。通路を戻ったところにある部屋…確か開閉可能だったな。
 隊列を整えて中に入ると、思った通り戦闘になった。
 ガスHGで敵数を減らして、八千穂ちゃんのスマッシュと側面照射で撃破した。ガンダムだったらエースだよ、俺ら!
「やったね!!」
 八千穂ちゃんの華麗なガッツポーズが炸裂。メロメロドキュンです。
 素敵な笑顔に見惚れつつ、奥にあった宝壺を破壊して《赤白貝》を入手。ついでにH.A.N.Tが反応した床を破壊して、そこからもアイテムゲット。(……骨?)
「これが鍵だと思うんだけど」
「綺麗だね~」
「秘宝らしいかんね」
 光沢のある、手の平大の《赤白貝》。売ったらおいくら?
 でもまさか売るわけにもいかなくて、部屋を出て、魂の井戸で回復と補給を済ませると『天地開闢の鍵』を開けた。
「大地は混沌より出し、天空と袂を分かつ……」
 それが、天地開闢だ。一体そんな意味をした扉の向こうに、何が待っているというのだろう。
 取手は、何を抱えているんだろう。それを俺たちに、どうこうする権利があるのだろうか?
 まぁ、考えても仕方ないことは、分かってんだけどさ。
「というわけで、この怪しい扉の向こうに行くわけですが」
「ハイ隊長!」
「無理はしないように、安全第一で行きましょう!」
「はぁーい!」
 ノリが良いね、八千穂ちゃん!……ノリが悪いね、皆守クン。
 やる気なさげにアロマを吹かす皆守の腕を掴んで、耳を寄せて「八千穂ちゃんのコト、頼むよ」と言うと、逆に、またも俺の襟首をひっつかむ。思い切り締まって、俺は涙目で振り返ったんだ、けど…
「何だよ!絞まっただ、」
「………俺が泣く。だから、ひとりで突っ込むな」
 そう言って、俺の頭をポンポンと叩く。
 思いがけない、というか絶対予想なんてできない一言だった。
 ゴーグルをしていてよかったと本気で思う。首の絞まった苦しさとかじゃなくて、違うくて…泣きそうに、なったからだ。
 俺はそれを、胸がすーんとするラベンダーのせいにして、扉を開けた。