風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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2nd.Discovery 蜃気楼の少年 - 5 -

 取手が立ち去ってから、最初に口を開いたのは八千穂ちゃんだった。
「ルイ先生、取手クンは何で先生に心理療法を?」
「……そうだな。本人が君たちに聞いてもらいたいと望むのならば、聞かせてやってもいいだろう。あの墓地と、取手の心の関係を」
 墓地との、関係?それって、取手と仲の良かったヤツが行方不明になったとか、墓地で誰かに襲われたとか、そういうことでなくて?
「取手の心の闇の大半はあの墓地に由来している事が分かっている。あの子の墓地に対する過敏な反応が、それを物語っているからな。ただ、どう関係しているのか、それがまだ掴めないのさ」
「でも、この学園の生徒って結構墓地に敏感じゃないっすか?化け物とか、幽霊とか、呪いとか。みんな言ってません?」
「取手のあれは、そんなものじゃない」
 ルイ先生は、細長い煙管を一ふかしすると、溜め息のように吐き出した。
「人は極度の心理的圧迫により、無意識下にある心の防衛機構が働く傾向がある。《防衛規制》といってな」
「防衛規制?」
 話の途中で首を傾げる八千穂ちゃんに、俺は簡単に噛み砕いて説明をする。
「簡単に言えば、すっごいプライドの高いヤツが、ずーっと付き合ってた恋人にフラれたとして、でも、フラれたって認めたくないから自分からフった、って思いこむことで立ち直ったりする感じかな」
「なるほど…」
「取手の場合は、それの、もっと進行したような状態だ。現実にあった出来事をまるでなかったかのように振る舞ったり、逆に存在もしない物を見たと言ったりして」
「…そんな」
 健全な人間には、たぶん分からない感覚なんだろうな。
「ウソとは、違うんだよ。周りからしてみればそれは現実に起こってないはずのことでも、本人の中では現実で、真実なんだ。あるんだよ、そういう……」
 そこまで言って、皆守が何か言いたげな目で見ていることに気が付いたから、やめた。余計な詮索はしないヤツだからいいけど……言いすぎたかも。
「私もあの子にカウンセリングを試みたんだが、心を覆う闇は思った以上に深い」
「そういえば、取手クンが変わったのは、お姉さんが病気で亡くなったからだって聞いた事がある…」
 情報通だね、八千穂ちゃん。よくご存じデスコト。
「私も他の先生方や取手の両親から、姉の取手さゆりのことは聞いた。取手の姉は、この天香學園の生徒だったらしい。ピアノがとても巧く、コンクールでも優勝するぐらいの腕を持っていたそうだ」
 思い浮かぶのは、真っ暗な音楽室でピアノを触っていた取手の後ろ姿。そうして、姉の面影を追っていたってか?
「だが、ある日音楽室で女友達とふざけていた時にたまたまピアノの足が折れて、その下敷きに…。その事故の後遺症で以前のように両手の指が使えなくなったとされている」
 奏者の指、運動選手の靱帯、ボクサーの網膜。あ、皆守のアロマとか。似たようなもんだ。切っても切れないもので、切ったら終わるもの。
「だが真実はそうではない」
「え?」
「取手の姉は、すでに病に侵されていたそうだ。主治医がそう証言している。巧みに動く指やピアノを弾き続けるために必要な体力さえ奪うほど重い病にな」
 何だ、そのグデグデの展開。どこぞの天才ピアニストのようだ。
「姉を崇拝していた弟がその真実を知ったときの衝撃は想像に難くないさ」
「それじゃ、やっぱりお姉さんの事が……」
「そうだな。それが引き金になって、《防衛規制》が働いているとも考えられるし―――そうでないともいえる」
 ああ、まどろっこしい。一体結論はどこだ。
「何故なら、あの子の記憶からは姉の死に関する部分がごっそり抜け落ちているのさ。まるで、何か忌まわしい呪いにでもかかって封印されているかのようにね」
「ちッ、また呪いかよ」
 今まで黙っていた皆守が、吐き捨てるように言う。まぁ、気持ち分からないでもないけど。
「姉の死の記憶が抜け落ちているにも関わらず、心が救われる事がない。一体、何があの子をそうさせているのか…」
「でも、墓地に関係する何かが、取手クンの心の傷になっているのなら、それを解く鍵は墓地にあるのかも……怪しげな穴もあったし」
 あー…、もぅ。あんまりね、そういうことを人にしゃべらない方がいいっての。ほら、皆守も睨んでるよ?
「穴…?そういやさっきもそんな事を言っていたな」
 八千穂ちゃんは俺と皆守の視線なんて一向に気にも留めず、さらに話し続ける。
「昨日の夜、墓地の墓石の下に人が通れそうなくらいの穴を見つけたんですけど、なんていうか、いかにも怪しい、って感じの穴で…。もし、取手クンの心の闇を払うきっかけになる鍵があるとしたら、あの穴が怪しい気がするなァ……あたしの勘て結構当たるし」
 考え込む八千穂ちゃんの隣で、顔を見合わせる俺と皆守。どうやら表情からすると、こっちの意見は違う様子。余計な事は、しないほうがいい。皆守は多分、そう思ってるはずだ。そして、俺は……
「あたしたちで、取手クンの力になってあげよッ?ね?」
「……あのさ。八千穂ちゃん」
「うん?」
「キツい事、言うかもしれないけど、取手はさっき、俺たちに関わってほしくなくて、だからルイ先生に話をしてくれ、って言ったわけだろ?」
 本当は、違うにせよ、表向き、取手は離れようとしている。
「俺たちは取手の事なんてほとんど知らない。俺なんて、今日知り合ったばかりだ。そんな状況で、手掛かりは何もないし、あの穴に行ってもできる事なんてないかもしれないだろ?」
「そりゃ、簡単に見つかるとは思ってないけどさ。でも知っちゃった以上、放ってはおけないじゃない」
 八千穂ちゃんの目は真っ直ぐだ。真っ直ぐで眩しくて、目を逸らしたくなるほど。世界の裏も、汚れたところも、何にも知らないっていう強さがある。
「俺も、お前の勘だけで振り回されるなんてゴメンだからな」
「皆守クン…」
「取手の問題は取手の問題だ。俺たちがどうこうできる事じゃない。自分の事は自分で解決するしかない。他人である俺たちには、どうする事もできないのさ。心の傷なんて誰にでもある。別に取手が特別って訳じゃない。そんなの誰の力も借りずに自分の力で乗り越えていくべき事だろ」
 皆守の言葉は、正しくて、正しくない。八千穂ちゃんみたいな子から見たら暴論にすら見えるかもしれない。
「皆守はそれでいいかもしんないけど……そうやって一人で、大丈夫な人間ばかりじゃないと思うけどな」
「もうちょっと骨があると思ったが、意外と甘ちゃんだな」
「八千穂ちゃんとルイ先生に骨抜きされてますから」
「それじゃあ聞くが―――お前は、取手のような人間をこの先もいちいち助けていくつもりなのかよ?そんな事はできないだろ?だったら、余計な首を突っ込まない、」
「なら、皆守は、この先そういう人間、全員見捨てていくのか?」
 意見がぶつかるのと同時に、皆守の視線にも険がこもる。苛ついたように眉間に皺を寄せて、アロマを吐き出した。
「これだけ言っても分からないとはな。取手の事は放っておけ」
「何でそんな薄情なこというのッ?」
「俺は嫌いなんだよ……。悲劇の主人公ぶる奴も、偽善者ぶってる奴もな」
 そう言って、皆守が睨んだのは俺。あらら、お怖いことで。
 俺だって余計なことには首突っ込みたくねぇよ。仕事しなきゃだし、他人のことに構ってる暇もない。でも、ここで取手を突き放したら、たぶん、あいつは更に酷くなる。
 行き着いた先の成れの果てを知ってるのに、放置するなんて。
「……私は全能ではないし、神の癒し手を持っているわけでもない。自分が誰のどんな悩みでも取り除いてあげられるとは思っていない。だから思うのさ。同じ学園の生徒である君たちになら、あの子も私たちに話してくれない事を話してくれるかもしれない。閉ざされた扉を開くための扉は案外、近くに転がっているのかもしれない……とな」
「そう思うのなら、勝手にやれ。ただし、俺を巻き込むな」
 冷たく言い捨てて、皆守はそのまま俺たちに背を向けた。
 ……あいつの言うとおりだ。だって俺は、本当のところを言えば意見は、あいつと同じなのだから。なのにできるかどうかも分からずに「見捨てられない」なんていうのは、端から見れば虫唾が走るに違いない。
「あんな皆守クン、初めて見た……まァ、いっか。無理強いしても仕方ないし。それに葉佩クンが来てくれれば心強いしね」
 八千穂ちゃんは俺に笑いかけてくれるけど、俺は、ちゃんと笑い返せているだろうか。
 ルイ先生が学校の連中を足止めしてくれると約束してくれたから、そのまま別れた俺たちは寮に向かって歩き出した。
「皆守クン、取手クンのこと保健室仲間って言ってたのに、どうしたんだろう…」
「あの、さ」
「うん?」
「さっきルイ先生が、防衛規制って、言ってたろ?あれは、取手を苦しめている要因のひとつかもしれないけど、今、取手が自分を保てている要因でもあるんだって、分かる?」
 隣で八千穂ちゃんは、可愛らしく首を傾げる。
「防衛規制があることで、心が壊れないで済むってこともあるんだ。だから、取り除いたからって必ずしも取手が救われる訳じゃない」
「それは、分かるけど……」
 八千穂ちゃんは立ち止まって、俺を、あの真っ直ぐな目で見上げる。
「それでも、今、現に取手クンは苦しんでるんだよ?苦しいっていうのは、辛いんだよ?」
「そ、だね…」
「あたしたちがしようとしてることが正しいか正しくないか、そんなことやってみなきゃ分かんないじゃん!」
 強い。八千穂ちゃんは、本当に。その強さがすごく羨ましい。
「じゃあ、葉佩クン、また夜にね!!」
 寮の前で、俺は八千穂ちゃんと別れた。
 正しいかどうか、やってみなければ分からないという言葉が、やけに重たく響いていた。
 このまま寮に戻って、そういえば皆守の部屋が隣だと思い出して、男子寮を見上げる。灯りの消えた俺の部屋と、灯りの点った皆守の部屋。
 なんとなく、戻るのは気が引けて、俺は寮には戻らずに食堂マミーズに顔を出した。
「いらっしゃいませ~」
 元気よく出迎えてくれたのは、舞草ちゃんだった。席に案内されて、メニューを渡されたけど、とりあえず見る気もあんまりしなかった。
「ご注文はお決まりですか~?」
「舞草ちゃんひとり~」
 いつもの調子で言ったつもりだけど、やっぱりテンションが低い、俺。
「ええええ~ッ、あたしですか~!?あ、あの、まだ仕事中なので『お持ち帰り』はダメですよ?」
「うぃ。じゃあカレーで」
 舞草ちゃんは笑顔で注文を受けると、奥に引っ込んでいった。
 あー、何だか疲れた。あんなとこで、マジにクラスメイトとバトルするつもりはなかったんだよ…。する必要もねーし。いつもみたいにへらへら笑ってやり過ごしておけばいいじゃねぇか。なんであんなマジになったんだよ。
 自分にダメ出しをしていると、丁度カレーライスが運ばれてきた。
 それと同時に、H.A.N.Tにメール。ちょいと行儀が悪いけど、食べながら見ると、それは皆守からだった。
 『さっきは悪かったな』という書き出しから始まったそれは、八千穂ちゃんの言うことにも一理あるということ、それから、墓地に行くなら誘ってくれということ。
 文面に、ちょっと不機嫌がにじみ出ている気がする。あいつの『偽善者』という言葉と八千穂ちゃんの『友達だから』という言葉が頭の中でぐらぐらしていて、碌にカレーも味わえないまま、俺はマミーズを出た。
 再び寮の前に戻ると、皆守の部屋の窓が開いていた。微かに白い煙が立ちのぼっている。火事に見えないこともないけどありゃーアロマだな。
 俺は自分の部屋に戻ると、窓を開けた。そのまま、窓の外の出っ張りを伝って、開けっ放しになっている皆守の部屋の窓から顔を出した。
「みーなかーみくーん、あーそーぼー」
「おわッ!?お、お前、何やってんだ!!」
「夜遊び、行かない?」
 俺の話を聞いているのかいないのか、皆守は慌てたように窓に駆け寄り、
「危ないだろうが!!」
 そのまま俺の身体を引き上げて部屋の中に引きずり込んだ。何か、襟首掴まれて猫になった気分。
「何、考えてんだよ!?また落ちたらどうするッ」
「アイヤー、その節は大変申し訳ありませんでした」
 部屋の真ん中に降ろされた俺は、不機嫌丸出しでベッドに陣取る皆守に向かって頭を下げた。土下座というやつですな。
「そういう事じゃなくてだな…」
 ならどういう意味か、聞き返そうかと思ったが、機嫌が悪そうなのでやめた。これ以上は怒らせたくないかなー、なんて。
「で。何しに来た」
「夜遊びのお誘いに…」
「それなら行くって言ってるだろ」
「はぁ…」
 やっぱり不機嫌。アロマに火を付けると、吐き出した煙を俺に向かった吹きかけた。
「お前、本当は分かってるんだろ?」
「何を」
「取手のことだ。八千穂の言うことも確かに一理あるが、それが全て正しいとは思ってないんだろ」
 はい、やっぱり見抜かれてるんですね。そりゃそうか。
「…八千穂ちゃんがさ、言うんだよ。『正しいかどうかはやってみなくちゃ分からない』って」
「それで?」
「八千穂ちゃん、良いよなぁ。自分が正しいって思うこと、あそこまでハッキリ正しいって言える子、そういねぇよ」
 壁に寄り掛かってる皆守の横から枕を拝借してそれを抱えた。そのままごろごろと床を転がってみる。
「勝手に枕取るな、それに掃除したのは一週間前だぞ」
「どうせ夜にはでろでろになるんだからいーんだよ」
 呆れ果てているのか、それ以上は何も言われなかった。
「さっき、結構ヤなこと言っちゃったんだよな、八千穂ちゃんに。あー、嫌われてたらどうしよう。俺、立ち直れない」
 床の上で仰向けのまま、逆さに皆守を見上げる。
「フラれたら慰めて」
「冗談じゃない」
「冗談だって」
 そんな、露骨に嫌な顔をしないでー。傷付いちゃうよ、俺。
「八千穂のこと、好きなのか?」
「好きだよー。八千穂ちゃんも白岐ちゃんも舞草ちゃんも七瀬ちゃんも雛川先生もルイ先生も」
「どれもみんな同じに見える、ってか?」
「まさかぁ」
 みんな違って可愛いよん。なんて言ったらまた呆れられるんだろうな。
 俺はひっくり返って俯せになると、床の上で平泳ぎしてみる。
「何やってんだ…」
「平泳ぎinアロマ」
「アホか」
「アホです」
 そのままカエルのように床にへばり付くと、また襟首を掴まれて持ち上げられた。
「用が済んだらさっさと出て行け」
「へーい」
「……そういや」
「ん?」
「取手に言った、『まだ間に合う』って、どういう意味だ」
 耳聡い奴…。そういう細かいとこ覚えてなくっていいっつーの。
「…取手、まだルイ先生に自分のこと話したり、俺らに話聞かせてもいいって言ってたろ?それって逆に言えば、まだ、救われたいって、あいつ自身が望んでるんだと思うんだよ」
「それが、間に合うって意味か?」
「救われる必要なんかないって思って、周りから差し伸べた手を拒否したら手遅れだと思うけど、まだあいつは……救われたいと思ってる」
 とか偉そうに言っても、吊られた体勢では説得力がないですね。
 皆守は何も答えずに部屋のドアを開けると、そこから俺を放り出した。廊下に居た奴らがビックリした目で俺らを見ている。
「じゃあな」
「はぁい」
 皆守はそこで手を離したのに、また何か思い当たったらしく、周りの視線が気になったのかドアの陰に引っ張り込まれた。
「な、何だよ」
「出掛けるときには声掛けろよ。またロープなんか使って上り下りして怪我でもされたら大事だからな」
「スンマセンでしたッ」
 俺が悪ぅございましたよーだ!つーか顔が近いんだよッ!冗談ではいろいろ言っても、俺は女の子にしか迫る趣味はないし迫られる趣味もない。
「てなワケでお休みなさいましー」
「また今晩な」
 そういう周りに変に思われる意味深なこと言わない!俺とお前が夜また会うって周りに言ってるようなもんじゃねーか!
 俺は部屋に戻ると、クエストを受けるためにパソコンを起動させた。新しい銃を買うにしても資金がないとな。先立つものもの。受けられそうなものを適当に見繕って受注。
 それから亀ショップでガスHGと銃弾を注文しておく。この亀ショップ(本当はジェイドショップってんだけど)、凄い所は注文したその数時間後にはなぜか品物が届くっていう点だ。なんでも亀ショップ独自の運送システムがあるらしくって、本当に便利。
 この亀ショップを運営しているジェイド、って人はこの世界ではかなり有名だ。ロゼッタに所属する《宝探し屋》ではないが、かなり腕利きだと聞いている。一説には、この東京新宿を救った、なんて伝説もあるくらいだ。
 その亀ショップから荷物が届くまでずっと。そして、辺りが夜に覆われて静かになるまでずっと。
 俺はベッドの上でぼんやりとして時間を過ごしたんだ。
 取手のことを少し、考えながら。