風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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2nd.Discovery 蜃気楼の少年 - 2 -

 三限の授業が終わった。地学の授業は嫌いじゃない。まぁ、あくまで歴史に比べれば、ってことなんだけど。俺は、自分のノートを一度読み返す。日本語と英語と中国語のごっちゃになったトライリンガルノート。ノートの貸し借りとかも学生ぽくって一度はやってみたいけど、こーんな見にくいノートじゃ誰も読めんだろ。
 そのノートをしまったとき、メール受信。
 また七瀬ちゃんからだった。変なメールを送っちゃってスイマセン、てことだけど、全然気にしなくていいのに。律儀な子やね。だからこっちも、気にしないでとメールを返す。そういや、図書館には色々資料がありそうだよな。七瀬ちゃんに頼めば古いもんも見せてもらえるだろうか?
 H.A.N.Tを閉じて、なんとなく廊下に出ると、ふわり、辺りに漂うラベンダーの香り。
「ふァ~ぁ」
 ……ヤツか。
「午前中から授業に出るもんじゃないな。仕方ない……後で保健室でひと寝入りするか」
 振り返ると、でっかい欠伸と共に皆守参上。
 そういや……昨日、俺こいつの上に落っこってパニくったんだよな。絶対変だと思われてる、はず、なんだけど。
「よォ、転校生。どうだ?授業は楽しいか?」
「へ?授業?えー…どうだろう」
「浮かない顔だな。まァ、教師もサラリーマンだ。過大な期待はしないこった」
 そういうワケじゃ、ないんだけど…。別に気にしてないんならいーけどさ。
「そうだ。そういや、八千穂から聞いたんだが…お前、《宝探し屋》なんだって?」
 ガタガタガッシャァーン!!
 コケたついでに、目の前の掃除用具入れにツッコんでそのままばたり。
 や、八千穂ちゃん…しっかり正体バレちゃってる上に、お話しなさったんですか!?ふたりだけの秘密、はどこへ行っちゃったの!?俺よりもこいつを取ったのね、八千穂ちゃぁ~ん!
 つーか、マジで、正体がバレるのはちょっと痛いんですけど、はい。飛行機の中でドクターにも言われたですよ?ただでさえ怪しさ炸裂な学校なのに、おいおい…。
「何、コケてんだよ……」
「いえ、何でもないです…」
「八千穂に見つかったのが運の尽きだったな。まァ、お前が何であろうと俺には関係ない事さ。誰にも、人に言えない秘密のひとつやふたつあるもんだ。俺にはそいつを誰かに喋る趣味はないから安心するんだな」
「………………」
「? おい、どうし、」
「あ、ありがとーーー!皆守ッ!!ありがとー!好き好き愛してる!!」
 良かった、マジで!だって、変な噂が広がって、怪しいってもし退学にでもなったら仕事がおじゃんじゃんか!もー、ありがと、持つべき者は口の堅い、他人に興味のない友達!ってか他人に興味がないっていう時点で友達違う!別にいいけど!
「なッ―――違うぞ、俺は断じてそんな、」
「あー、もう、本当に優しいねぇ、皆守。よッ、いい男!!」
 思わずバシバシ腕を叩くと、皆守に睨まれた。怖。
「まァ、んなことよりお前ら今日も《墓地》に行く―――、」
「きゃァァァ!!」
 皆守の言葉を遮るように響いた絶叫。俺らは同時に顔を見合わせると、
「音楽室の方からだな。行ってみよう」
「ガッテン」
 昨日、八千穂ちゃんに案内してもらった音楽室までの階段を駆け下りると、踊り場に女の子がしゃがみ込んでる。スカートからおみ足!いや、落ち着け俺。
「おい、どうした」
 はい、皆守クン冷静。
「あ……あ、お…音楽室に……」
 呆然と指差された先の音楽室を、俺と皆守はそっと覗き込んだ。真っ暗だ。昨日はあの取手とかいうヤツがいたけど、今日は、誰も……
「ん?誰か倒れているな」
 君、冷静すぎだから。
 もうちょっと状況を鑑みて、一般人らしく慌てふためいてくださいよ。って、大概俺も落ち着いてるよなぁ。
「助けて……」
 でも、声が女の子だと分かればイチモクサン、だ。
「大丈夫ですかーー!!」
「……お前な」
 呆れたような皆守の声を置き去りに、俺は女の子に駆け寄った。
 声が出ている。助けを求めたという事は意識レベルはハッキリしていると言う事で、俺は両目の下に手を当てて眼球を覗き込んだ。
 皆守が近付いてくるのが、ラベンダーの匂いで分かる。
「お前、手慣れてるんだな。……昨日の事といい」
「そーでもねーよ」
 怪しまれたとしても。こんな時に一般人の猫被るとか言ってらんねーわけさ。
「手……あたしの手が…」
「手?」
 小刻みに震える彼女の上半身を起こし、言われたとおり手を見てみると。
「こいつは……」
 さすがの皆守も、もちろん俺も、絶句。
「あたしの手……あたしの」
「手が…干からびてる」
「うう……」
 彼女の手は、まるでミイラだ。水分の多い臓器を抜き出し、血肉を乾かし、そうして精製する、あのミイラ。
 だが彼女の身体は、至って普通だ。お、なかなか可愛い。顔面蒼白だけど。
「何があった?」
「誰かが音楽室にいて……あたしに飛び掛かったと思ったら、突然そこの窓から逃げ出して」
「この窓から?まるで猿だな」
 そう言って、昨日、俺が窓から出入りしていた事を思い出したのか、皆守は俺を見る。違う、違うよ!俺じゃないよ!いくら女の子好きでも、こんな酷い事はしないよ!!と言う意味を込めて首を振ったら、分かってる、と言うように頷いた。
「どんな奴だった?」
「分からない……わからない」
「思い出せッ、どんな奴だった?」
「化け物……化け物がァァァ―――。ああァ、あァァァ―――」
 パニックを起こした女の子のミイラのような手が、何かを掴もうと空を掴む。どうやら、過呼吸も起こしているようだ。
 柄じゃないけど、俺は。目を見開いて痙攣したように震える彼女を抱きしめた。……下心はねぇぞ。それから荒い呼吸を繰り返す彼女の背に手を当てて撫でる。
「何やって、」
「落ち着いて、ゆっくり呼吸するんだ。焦らないで、深呼吸して」
 彼女の呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。過呼吸のままどっかに移動させるよりは、負担が軽くなるだろう。俺は、彼女の手があまり外に見えないよう、自分の学ランを脱いで掛けた。
「……とりあえず保健室に運ぶぞ」
「あいよ」
 とは言っても、実質皆守がお姫様だっこでその子を運んでったんだけどさ。どーせ俺はチ……あんまり背が高くないですよーだ!
 皆守は保健室に着くなり、大声を上げた。
「おい、急患だ。いるか、カウンセラー?おいッ、いないのか!!」
「皆守ー、保健室ではお静かに」
「何、七瀬みたいな事言ってンだ!」
 あら、七瀬ちゃんともお知り合いなのね、って、どわぁぁっ!
 カウンセラーの先生がいないか、きょろきょろと見回してた俺の前に、突然人影。
「そこをどいてくれ…」
「あー、どうも、すんませんッ」
 ビビって横に退くと、その人は礼を言った後、
「君は……誰だ?」
「葉佩、九龍、と申しますぅ」
「葉佩九龍?そうか……君が転校してきたという―――」
「へい」
 そうでやんす。あら俺ったら有名人。てか転校生が珍しいだけ?でもこの学校、転校生多いんじゃないっけ?
「何だ、A組の取手じゃないか」
「取手?」
 取手……って、昨日のピアノ…。
「また保健室でサボってたのか?」
「僕は別にサボってる訳じゃないよ。最近、割れるように頭が痛くなるんだ。気を失うくらいに激しい痛みがして。だから保健室に薬をもらいに」
「そうか」
 何やら皆守とはお知り合いな様子。何だかんだ、結構色んなとこに知り合いがいるんだねぇ、皆守。
「僕は3-Aの取手鎌治。皆守君とは、よく保健室で会う内に話すようになって。といっても、僕はルイ先生にカウンセリングをしてもらいに来ているだけで……」
「皆守みたいにサボって寝にきているワケじゃあない、と」
「……お前らな」
 皆守のこめかみがピクリと動く。だってホントのことじゃん。
「……そういえば、気になってたんだけど、その女子…どうかしたのかい?」
 皆守が抱えている女の子は、ぐったりと動かない。俺はそっと、学ランをどかした。
「新たな犠牲者さ。前回、《墓地》で行方不明になった男子生徒に続いてな。誰だか知らないが酷い事するぜ」
 男子生徒ならまだしも、こんな可愛い子が被害者なんて酷すぎる。きっとこの子は、本当は綺麗な手をしてたんだろうに。
「……それじゃ、僕は行くよ」
「たまには屋上で太陽にでも当たれよ?お前、顔色悪いぜ?」
 取手は微かに頷くようなそうでないような、微妙なリアクションを取って保健室から出て行った。
「大丈夫かよ、取手の奴……。―――っと、そうだ、こうしている場合じゃない」
 開いたベッドに彼女を寝かせ、更に皆守は叫ぶ。
「おいッ、カウンセラー!!いないのかッ!!」
「騒々しいな。そんなに大声を出さないでも聞こえる」
 今度は、返事があった。皆守が開けたカーテンの向こうには…おいおい、確かにこりゃ美人な先生だわ。組んだ足がお美しい。しかも、チャイナですか、センセ。
「カウンセリングをお望みかい?また後にしてくれ。こっちはいい気分で一服していた所なんだ」
「いるなら返事くらいしろよ」
「いちいちうるさい坊やだな。病人なら奥の空いているベッドに寝かしておくといい。こいつを吸い終わったら診てやろう」
 先生は、煙管を燻らせながら艶然と笑った。でもね、先生、ちょっとそういう場合じゃないんでやんすよ。
「おくつろぎの所スイマセンけど、ちょっと危ない急患なんスけど…」
「やれやれ、分かったよ。すぐに診ればいいんだろ?……っと、誰だ、君は」
 立ち上がり、それから俺を振り返る。煙管独特の鼻を突くきつめの香のような匂いが漂ってきた。うーん、これならラベンダーの方が良いなぁ、俺。
「うちのクラスの転校生だ。職員会議で聞いてないのかよ?」
「ああ、そういえば、昨日の会議でそんなような事を言っていたな……確か名前は―――」
「葉佩九龍っス」
 どうも思い出してもらえそうにないから名乗ってみました。
「そうそう、葉佩九龍。誰かと違って目上の者に対する口の利き方ができているじゃないか」
 そう言って先生が見上げるのはもちろん皆守クン。美人には丁寧に接する方がよいよ。
「礼をわきまえている生徒は大好きだよ」
「俺も綺麗な先生は大好きです!」
 先生は俺をちらりと流し見ると、意味ありげに笑った。
「私の名前は劉瑞麗。広東語の正式な名前はソイライだが、生徒は大概、ルイと呼んでいる。中国の福建省から、去年この學園に赴任してきたばかりでな」
「福建!?真的…」
「ほほぅ、私の故郷を知っているのか?」
 知ってるも何も、一時期福建にいたがね自分。
「あ、いや、ハイ。親が、いろんなとこ行く仕事なもんで…」
「ハハ、そうか」
 ルイ先生の気配が途端に柔らかくなる。良かったー、どうも警戒されてた気がしたんだよな。
「私はカウンセラーもやっているからな。悩みがあればいつでも保健室に来るといい。優しく手ほどきしてあげようじゃないか。フフフッ」
「わぁ感激♪もう隅から隅まで診てください!!」
「そんなに喜ぶとは、まだまだ子供だな」
 年下はお嫌いですか?センセ。
「んなこと話してる場合じゃないだろッ」
 一人蚊帳の外だった皆守がご立腹です。
「こいつを見ろよ、手が干からびてて―――、」
「なるほどな」
 ………反応薄!!こんな患者、見慣れてますか?東京ってばおっとろしいとこじゃー。
「まるで枯木だな……精気が吸い取られているようだ。どこで見つけたんだ?」
「音楽室に倒れていたのさ」
「音楽室に?そうか……」
 含みのある言い方。皆守も引っ掛かったようだ。
「何か知ってるのかよ」
「いいや」
 本当ですか、先生?
「君たちは授業に戻れ。後は私に任せておくといい」
「……そうだな。保健室に運んだだけで十分だろう。これ以上関わって、俺たちも厄介な面倒事に巻き込まれるのはゴメンだしな」
 髪に手をやりながら、気だるさ満載でそんなことを。ほーんとに照れ屋なんだから。こいつ、絶対ありがとうとか言われるの嫌いなタイプだよ。
「じゃ、後はよろしく頼むぜ」
「ああ」
「じゃあな」
 保健室を出てすぐ、皆守は廊下に掛かる時計を見上げた。あと少しで四限が終わる。あーあ、サボっちゃったい。まぁ勉強するために来てるワケじゃないからいいんだけど。
「さてっと。そろそろ昼休みだ。保健室が使えない以上、俺は屋上で昼寝でもするかな。じゃあな、転校生――――いや、」
 立ち去り掛けた皆守が、思い出したかのように俺を振り返った。
「葉佩九龍」
 真っ直ぐ、射られるような視線で見据えられて、フルネームを呼ばれる。
 しばらく俺は、自分を作る事も忘れて呆けてしまった。一瞬だけ、記憶が過去へと遡ってしまって、ある人に呼ばれた自分の名前が、そしてそいつの声が、脳裏を過ぎる。

『クロウ…』

 名前を呼ばれ、自分の存在がその人間の中に在ることを確認できた瞬間が、すごく好きだったこと。そしてそれを、忘れてしまっていたこと。唐突に、思い出した。
 ここに来て、誰に呼ばれても何も、思い出さなかったのに。
「どうした…?」
 知らずに、俺は笑ってた。心臓に、あの「すーん」がやってきたのは、きっとラベンダーの香りのせいだ。
「あ、はは…俺、ずっと、お前は俺のこと『転校生』って名前だって認識してると思ってたよ」
「アホ……んなわけあるか」
 皆守は消えたアロマパイプを銜え直して、それから指に何かを挟んで俺に寄越した。
「へ?」
「お前となら、何か上手くやっていけそうな気がするからな」
 それは、八千穂ちゃんがくれたのと同じ、プリクラと連絡先だった。
「俺も気が向けばお前の夜遊びに付き合ってやるよ」
 そりゃ、嬉しいけどさ。でもたぶん、俺が皆守や八千穂ちゃんを誘うことはない。この學園生活だって、言ってしまえば偽りなんだから。俺はここで、転校生の葉佩九龍を演じていればいいんだ。戻るのは、あの怪しい墓地でだけでいい。
「なァ」
「あ?」
「何でそんなこと言うんだよ。あの子は、好奇心だとして、お前は、あの墓場に興味があるのか?それとも他に、何か、」
 つい詰問口調になって、素の自分が顔を出していたことに気付いて、俺は慌てて口を閉ざした。ダメだ、こいつの側はどうも調子が狂う。なぁんでだろうな?
「何でもない!ゴメン、ありがとな、これ」
「……墓地に行くときは教えてくれ。じゃあな」
 同時に、昼休みを告げるチャイムが鳴った。俺が気を取られている間に階段を登る音と共に、皆守は俺の前から消えていた。