風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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11th.Discovery ねらわれた学園 - 8 -

 頭の中を巡っているのは、いったい、誰の記憶なのか。
 ざわめき、息づかい、サンドバッグ、視界が揺れている。どこかを走っているような、誰かと戦っているような、……夷澤、なんだろうか。ぼんやりした意識は、はっきりする前に別の何かに塗りつぶされていく。
 遺跡の入り口、この學園の墓地を見下ろす視界。切り替わって、なにやら話している。相手は、真里野……墨木……トト・ジェフティメス?
 まただ。今度は阿門に、神鳳に、双樹。話し合い。言い争い。切り替わって、バーのマスター?アイスピック投げられた。感覚できない痛みを、目で見ているという不思議を味わう。
 ゆらりゆらり。揺られていた意識が、突然絞り込まれるような、嫌な感覚。黒く、塗りつぶされていくような。なんだ、あれは、誰だ。
 ……喪部?傲慢な笑み。ぐらりぐらり。ぐら。
 わーーーーー、わーーーーー。
 人の声。たくさんの、人の声。音だけの世界に、人影。男と、跪く男。口論?何を話しているのか、まったく分からないのに、なぜか。
『ならば、死ね』
 その声だけが聞こえた。
 あ。
 暗転。
 水の音だけが聞こえる。こぽこぽこぽ。
 真っ暗。
 何にも見えない。
 俺、死んだのか。
 もう、ダメなのか。
 終わってしまったのか。
 沈んでいく。
 そこに、籠もって歪んだ音声が。
『クロウ、そうか、クロウっていうのか』
 あいつの声。
『ハバキ、クロウ……そうか』
 そう。俺は、葉佩九龍。一度なくして、あいつが、取り戻してくれた、名前。
 葉佩九龍。
 あの街の名前をもらっただけだと思っていた。
 そうでは、ないのか―――?

*  *  *

 真っ黒い世界は、目を開けることで終わった。
 まだ水の中にいるようだ。視界が歪んでいる。
 飛び込んできたのは、三人分の顔。
 ここが學園だということを思いだし、意識を切り替えようとするのに、頭が、回らない。
「センパイ!!」
 夷澤、なんでそんな必死な顔してんのさ。あからさまにホッとしているのはダンナ。ルイ先生は、額に手をやって微笑んでいる。
「目が、覚めたか」
「……ぁ、っ、と。ここ、は?」
「私の部屋だ」
 言われて、そういえば、なんだか落ち着いた香りが漂っているなって、気がつく。一度遊びに来たことがあるルイ先生の部屋だ。部屋の色味は落ち着いているのに、壁際に金色に輝く八卦碑が置いてあったり、赤と黄色の飾りランタンがかかっていたりするのがなんだかチャイニーズ。
 ということは、今寝転がっているのはルイ先生のベッドってこと?うわお!!
 慌てて起きようとして、それができないことにちょっと焦る。声が嗄れて、関節が痺れているような違和感。うまく、身体を操れない、おかしな感じ。
「まだ起きちゃダメっすよ!!」
「コラ、夷澤。大きな声を出すんじゃない」
「あ……すんません」
 叱られた犬のようにしゅんとなる夷澤に、もう、遺跡で見せてたような険はない。ダンナもその様子に苦笑いしている。
 それは大変微笑ましいんだけど、いったい、俺は、何でこんなことに?
 目を閉じて記憶を巡らせていると、ルイ先生の声。
「《墓守》を斃したことは覚えているか?」
「えっと……ハイ。それから、落ちてたスニーカーを持ったところまでは」
「そのあと、倒れたんだ」
 ああ、だんだん、思い出してきた。ぶくぶくに膨れた内臓のような《墓守》を倒して、スニーカーを拾い上げたところでぶつりと記憶が断ち切れてる。
「……かっこわるーい」
「馬鹿。そう楽観的に言える状況じゃなかったんだぞ」
 目を開けると、ダンナのちょっとだけ怖い顔。夷澤の次は俺が叱られる番。
「とにかく、良かった。目覚めなかったら夷澤がショック死しそうだったからな」
「な!!何言ってンすか!俺は別に!!」
「だから、大きな声を出してはいけません」
「……ハイ」
 あはは、と笑いながら、そこに、なんだか違和感を持つ。左眼に手をやってみると、痛みはなく、視界はあるのに。なに、コレ?
 ちょっとした異変に首を傾げていると、いつの間にか姿を消していたルイ先生が、なにやら手に持って戻って来た。
「さあ、これを飲みなさい。起きられるか?」
「ども」
 夷澤に助けられながら上体を起こして、差し出されたカップに口を、付け……あれ、なんか臭…、
「ぶッ……苦ッ!!!」
「良薬口に苦しだ。我慢して全部飲みなさい」
「……へーい」
 見た目はとろっとしていてはちみつみたいなのに、とんでもなく苦くてまずい飲み物を飲んでいくと、胃の中から身体が温まっていく。たぶん、薬湯かなんかなんだろうね。指の先まで、神経が行き届いて、俺の身体が戻ってくる。……視界だけ、ちょっと、おかしいまま。
「それで、だ」
 飲み終えたのを確認してから、ルイ先生は煙管を持ち替えて俺を指した。
「倒れてからのことと、今の状態を説明しようか」
「お願い、します」
 煙管を口元に運び、それから深く息を吐く。ダンナも夷澤も、俺とルイ先生を見ていた。
「倒れた理由は、おそらく出血性の貧血、もしくはショックだ。戦闘中からおかしかったのは自分でも分かっただろう」
「ハイ……で、でも、貧血を起こしてどうこうってなるほど、大量出血はしてません」
 あくまでも、俺が夷澤―――ファントムに斬りつけられたのは顔面の左半分。動脈を傷つけられたわけでも、傷そのものが深すぎたわけでもない。出血で身体が動かなくなるほどの怪我じゃない。
「頭部は血流や毛細血管が多い。少しの怪我でも出血が酷くなるのは君でも知っているだろう?」
「分かります、けど。でも、それでも、そんな……」
「だから私も『おそらく』と言っている。まあ、聞きなさい。顔の傷だが、遺跡の《魂の井戸》で表向きは完治している。傷跡もない。だが、完治したはずなのに目覚めなかったのでな。うちに運ばせたのさ」
 ……ふと、自分の格好を見ると、ぎゃーーー、砂だらけ!!このまんまベッドに寝てたなんて、ルイ先生に申し訳なさ過ぎる…。てか、目の前の三人は妙にさっぱりしてるけど、きっと、シャワーとか浴びたんだよねぇ。
 そんなことを考えながら、どうしても『見る』ことをしたときにわだかまる違和感をぬぐえない。左眼を押さえてみると、ルイ先生が小さく息をついた。
「やはり、な」
 ふわりふわりと、紫煙が天井へと消えていく。その様子は、やっぱりいつもと違う。
「その左眼、……視覚が、おかしくはないか?」
「えッ!?」
 声を上げたのは、夷澤。ツリ目がさらにキュッとつり上がり、まるで俺、睨まれてるみたい。そんな夷澤に答えをあげないルイ先生。お返事は君がしなさい、とばかりに。
「どうだ?」
「……なんか、変、っす。左側の視界、黒く、靄がかかってるっつーか、黒い霧が渦巻いてるみたいっつーか」
「要は、よく見えてないということか」
 ダンナに左眼を覗き込まれ、仕方なく頷く。
 いや、視界はあるんだ。ちゃんと見えてる。でも、黒が、取れない。ルイ先生に手鏡を貸してもらって見てみたんだけど、自分の左眼はまったく正常で、周りに傷跡もない。なのに、それを見ているこっちは、鏡に映る自分の顔が、黒く霞んで見えている。
「夕薙、夷澤、その様子だと、君たちには見えていないのだろうな。葉佩の左眼の『異変』は」
「先生、それは、どういうことです?」
「オレたちに見えないって、何なんすか!?」
「二人とも落ち着け。当の本人ですら、異変は眼で確かめられないだろう?」
 話を振られて、俺も頷く。鏡の中の左眼そのものには、なんの異常も見当たらない。傷跡も痛みないし、眼球も正常。物理的にはなんらおかしくない。
「だとすれば、異変は、私のように《氣》の取り扱いに長けている者にしか見えていないということになる」
「先生には、どう見えているのですか?」
「そうだな……今日、夷澤から出てきた《黒い砂》。それが、一番近く思える」
 その言葉に、男三人、眼を見合わせる。俺に、黒い砂?どういうこと、それ。
「いや、厳密に言うと違うのだろうな。砂状ではない。爪で裂かれた形そのままに、黒く濁っているとでも言えばいいのか。その跡が、気脈の流れを阻害している」
「そ、んな……」
 絶望的な顔をしているのは、俺じゃなくて夷澤。いやいや、あーたは大丈夫なんだから、そんな顔しなくても……。
「どうすりゃ、治るんすかッ」
「私にも分からん」
「はァ!?」
 わんこは完全に食ってかかる野犬モードになってやがる。ぐるるるう、ってな牙のむき方。
「ちょ、夷澤、落ち着いて。まあ、見えなくなったってワケじゃないんだし、あ、それともお前もどっか痛くし、」
「違いますよッ」
 そんな食い気味に来なくても…。このわんころ、どうやったらなだめられるのでしょう?
「あ、そだそだ。ほれ、これ。お前の宝物だろ?」
 倒れたっちゅーに離さずにいたらしいスニーカーを、ベッドの中から引っ張り出す。良かったー、これなくしてたらどうしょもないもんねー。
「思い出の一品……って、オイ、引っ張んなよ!」
「これよりも今はあんたのこと方がよっぽど大事だッ」
 ……なんて弩ストレートなワンコちゃん。自分で言ってること分かってんのかね。横のアダルト二人、盛大に苦笑いしてるでよ。俺も正直恥ずかしいです。
「待て待て。あのな、普通はここで、その靴見て『俺の宝物です……』とか言ってしんみりするのがセオリーなんだよ。他の先輩たちもやってきたんだからお前も大人しくそれに従って……」
「その傷が治ったら存分にしんみりしますよッ」
 だーかーらー、傷は治ってるんだって。ちょっと見え方が変なだけで。まあ、戦闘するには不都合もあるけど、その辺は何とかほかの器官でカバーしないと。
「心配しないでー、ね?」
「別に心配してるわけじゃねェッ」
 とうとう、胸ぐらをがっつり掴まれた。その眼はえらく真剣で、半ば怒っているようにも見える。氷使いって、フィクションじゃだいたいクールで冷血って相場が決まってるのに、夷澤は正反対だわ。
「あんたが、心配とかそういうことじゃないッ。ただ、あんたの片眼がそんなまんまじゃ、一番強いあんたはもういなくなるってことだ。オレは強いあんたを倒したいんだ。だから、それじゃ困るんすよッ!!」
 ……言いながら、興奮してんのかうっすら目に涙を張るツンデレラ。もう、お前一体どんだけ可愛いの、と。
 思わずよしよーし、と頭を撫でそうになったところで、夷澤がダンナに首根っこ引かれる。ぐえ、と息の詰まる変な声出してら。
「先生、治せないとは?」
「私の《力》は、基本的に道教の流れを組んでいる。つまり、符や碑、香の扱いに寄るところが大きい」
「ですが、戦いのときの《力》は……」
「気功法の一種だよ。通常、人には皆、《氣》が流れている。私の一族は、その力が大きく、また、気功を身につけることでコントロールもしているんだ。だから、ある程度の治癒や身体の異常の回復はできるが……」
「こうなった原因が分かんないと、根本的な解決ができない、ってことっすか」
「そうだな」
 確かに、ルイ先生のいる保健室で眠ってたときは、体調に合わせた香を焚いてくれていた。白岐ちゃんが『消えた』ときに使ったのは、失せもの探しの符。先生は自分の《氣》の力をコントロールする媒介としてそういうものを使っていたんだ。
 でも、俺が睡眠不足になっている根本的な原因は分からないから『治す』ことはできないし、白岐ちゃんのときは、双樹姐さんの力がどんなものか分からないから、塗香で結界を張って匂いを寄せ付けないようにしただけっだったっけ。
「この現象の原因が分かれば、それに合った符を書き、治すことができるかもしれんがな。そのために、夷澤と葉佩には少し話を聞かせてもらわんと」
「先生、俺は九龍の体力が心配だ。もう時間も遅いし、左眼の異常もそうだが出血もしていたのも事実です。少し、休ませたいのですが」
「そう、だな。葉佩、今日はここに泊まりなさい。話は明日、」
「いえ、ここで話します」
「センパイ!」
「夷澤の話も聞いておきたいし、結構遺跡も深いところまで潜ってるから、もしかしたらもうそんなに時間の猶予がない気もする。……ンな顔しなくても、だいじょーぶ。俺は平気」
「……九龍の『大丈夫』は当てにならんからなァ。死線の向こう側に転げ落ちそうなときでも笑ってそう言ってそうな気がするよ」
「何気に酷いこと言ってるよ、それ!」
 それに、夷澤が語る話は、ファントムを、それから遺跡の亡霊を追っていたダンナがいるところで聞いておきたい。ルイ先生を見ると、すんごいしかめっ面。じーーーっと見返し続けていると、どうにか折れてくれた。
「分かったよ。君がそう言うなら、仕方ない」
「ありがとございます。……そう、俺、夷澤にいくつか聞きたいことがあって」
「……なんすか」
「いつくらいから、ファントムが入り込んでた?」
 夷澤は集まった視線に少したじろぎながら、考え込む仕草。
「正確には、オレも、分かんないっすよ。ただ、センパイが転校してきた記憶は、しっかりあります。それからしばらくして、墓地を見廻ってたら、声がして……。だんだん、夜の記憶が薄くなってった」
「夜だけ?」
「最初は。オレもあんま気にしてなくて。夜なんて寝ちまえば、記憶、ないですから。でも、ここ数週間、昼も、記憶が飛ぶことがあって、たぶん、記憶がないときは、アレの意識だったんだと思います」
 アレ、か。夷澤に取り付いていたアレ。おそらくは、みっちゃんに憑いた者と同じはず。
「記憶がないということは、取り憑いていたのが何者なのかは分からないんだな」
「……ハイ。あ、でも、ずっと声は、何かを探していた。遺跡の最奥に至る《鍵》。でも、求めているのは、センパイが探しているような《秘宝》とかじゃなかった、……気がする」
「ふむ…」
 ちらっと、ルイ先生がこちらを見る。ダンナも、君の見解は?とばかりに。
「やっぱり、夷澤に取り憑いていた者、それって、墓の最下層に眠っている何か……たぶん、昨日俺とダンナが会った《アラハバキ》って名乗るヤツだと思う」
「俺も、そう思うな。七瀬が取り憑かれていたというのも同じ者だろう。彼女も、夜な夜な《鍵》を探していた。だが、なぜ夷澤にファントムとしての役割を与えたんだろうな」
「オレが、《生徒会》だからじゃないっすか?ほかの生徒よりは、断然動きやすい」
「それもあると思うよ。でも、それだけじゃない、と思う」
 けれど、うん、これは、俺の予想でしかないんだけど、たぶん。夷澤とアラハバキ、それにも関係があるような気がしてならない。それが、俺が夷澤に聞きたいこと。
「あのさ、夷澤。もしかして、出身、東北とかあっち、寒いとこじゃない?」
「な、なんで知ってんすか!?」
「知ってるワケじゃないよ。だから聞いてるんじゃん」
「……まあ、東北じゃないけど、新潟っす。それがなんだっつーんすか」
 俺は、不思議そうな顔をしている三人に、コレはあくまで仮定だけど、と前置きをして話し出した。
 まず、あの遺跡に眠っているの《アラハバキ》と名乗った者が、その通り、荒吐神だとして。それを信仰していたのは荒吐族、つまり、《蝦夷》。《まつろわぬ民》とも呼ばれていた人たちだ。
 信仰は、土地に根付く。それこそ、数百年、数千年という単位で。
 日本は信仰に対して、結構薄い民族だとは言われているけど、俺からしてみればそれって嘘だ。お墓参りはきちんとするし、神社仏閣は大切にしてる。神や仏に背くようなことをすると、『バチが当たる』って、その考え方は未だ根深い畏怖として残っているし。
 つまり、土着の『信仰』ってのが日本人の根底にあるってことなんじゃないかな、と。
「それが、オレの出身と何の関係が?」
「俺、日本の一般漢字に詳しくないんだけど、『夷』を使った名字って珍しくない?」
「そうだな。確かに、人偏の『伊』や井戸の『井』を使うことが多い。イザワという名前にしても同じだと思うぞ」
「『夷』っていう漢字にはいろんな意味があって、えびす神を指してたりもする。でも、これ一文字だけで東方の民を意味するような強い文字でもあるから、もしかしたら、夷澤って、まつろわぬ民の血を引いていたり、荒吐神の信仰を受け継いでいるところに生まれたんじゃないかなって」
「……なるほどな。アラハバキと名乗った者が荒吐神であるならば、自らを信仰している者は精神の結びつきが強い。乗っ取るのは容易いだろうな」
 一般的に、蝦夷は東北地方、本州の北端、それから北海道に住んでいたって言われているから、もしかしたら全然違うのかもしれない。でも、今の新潟を含む『越の国』が蝦夷征討の最前線になったり基地が造られたりしたことを考えると、可能性は、ゼロじゃない。
「オレ、そんなこと、全然知らなかった……」
「あ、いや、だから、可能性ね。的外れかもしんない。ただの憶測」
「俺は、その説はいい線いっているんじゃないかと思うぞ。名にはそれぞれ意味がある。だがな、そうなってくるときな臭いのが、」
「「喪部」」
「ああ」
 遺跡で思いついたのはそれだ。喪部がもしも、物部―――邇芸速日命の子孫の流れを汲む者だとすれば、この遺跡とそもそも大きく関係してくることになる。《まつろわぬ民》を率いていたのが長髄彦。そして、神代、彼が仕えていた神は邇芸速日命。
 喪部は、《まつろわぬ民》の親方の神様の子孫ってこともあり得るワケだ。
「何をしようとしてるのかは分かんないけど、ヤツも《鍵》を探していた……。どこか、そう遠くないうちに、ぶつかる。―――殺りあわないと」
 チリッ、と、一瞬、左眼に焼けるような痛みが走る。まるで、俺の昂ぶりに同調したかのようだった。信仰も、秘宝も、目的もなんにも関係ないところで、あいつを始末しなければ。ふと、頭には『共食い』という言葉が過ぎっていった。
 シーツを握る手に力が籠もる。その手に、ルイ先生が手を重ねてきた。
「まあ、待て。そう急くな」
 温かい……氣?それが、流れ込んでくるよう。
「もし、喪部がその眼に関する何かを握っているのだとしても、生徒会の黒い砂が関わっているのだとしても、ただの怪異ではないことは分かった。もっと根深い、信仰と血と、古の因縁によるものだろう。私も少し調べてみるよ。とにかく、今すぐにどうこうはできないのだから、夕薙と夷澤は部屋に戻りなさい。……いい加減、私も眠い」
 時計を見れば、とっくに日付変更してた。
「あ、俺も部屋、戻ります。だいぶ体力回復したし」
「君はまだダメだ。何かあったとき、すぐに診られた方がいいだろう」
「でも、ロゼッタにいろいろ報告しないとだし、ホントに身体動きますし。あと、明日の準備も一応しなきゃだし」
 明日は祝日だってのになぜか学校がある。でも、冬休みに入るまでになるべく情報収集したいから、休みたくはないんだよね。まだまだ聞きたいことや話しておかなきゃいけないことはたくさんある気がするんだけど、これ以上はルイ先生の部屋でやるわけにもいかない。
 心配してくれるルイ先生を説得して、俺とダンナと夷澤、三人は部屋を後にした。(その直後、ルイ先生の部屋に気配が一つ忍び込んだ気がしたんだけど、気のせいだよね?)
 ダンナは帰り道、抱っこしてくれるとか言い出すし、夷澤はずーーっと肩貸そうとしてくれるし、もう、なんなのこの過保護ブラザーズ!あ、ダンナは面白がってるだけかもしんないけど。
 今日は月が出ていない夜だったけど、真夜中、さらに黒が深い。ダンナの身体に異変が起きてないのはいいことだけど、今日の探索では、結局なにも、ダンナが求めている答えは見つからなかった。
「ダンナ……」
「ん?」
「ゴメンねぇ、せっかく付き合ってもらったのに、なんも収穫なくて」
「なんだ、そんなことか。それは君が気にすることじゃないさ。それに、収穫ならばそこにいるだろ?」
「へ?」
 ダンナが顎で指すのは、夷澤?まあ、確かにファントムの呪縛からは解放されたけどさ。
「今日の話を聞いて合点したよ。この學園で起きている一連の出来事、それは、決して偶然起きている訳ではないと分かったのさ。信仰や血脈で縁のある者たちが、この場所に集う……まるで、パズルのピースがはまっていくかのように。偶然であり得ると思うか?」
「……もしも決められていたとしたら、」
 そこまで言って、考えてしまう。
 この學園に『呼び寄せられた』としたら、俺は、一体何のために?遺跡の精霊のような二人の女の子の口から出た《九龍の秘宝》という言葉。俺の名前。葉佩……『ハバキ』、客人の意味を持つ。それも、全部、偶然?
「決められていたと、したら。理由が、あるはず。だよね」
「その理由ってのが、《秘宝》なのか、それとも別のものなのか…。阿門サンなら、全部知ってる気がするんすけどね」
「教えてくれなそー」
 それを聞けるときっていうのは、たぶん、遺跡の中で対峙したときなんだと思う。喪部とやり合うのが先か、会長が先か。戦って、その後。俺は、何を知りたいんだろう。
 一人でいろいろ考え込む横で、ダンナと夷澤は、ダンナの身体の話をしている。俺がダウンしている間に、その話がルイ先生から出たらしい。みっちゃんからはさわりだけしか聞いていなかったという夷澤は、ずいぶん興味深げに聞き入っている。
「夕薙サンの呪いってのも、オレたちの《黒い砂》ってのも、似てるような気がしないでもねーっすね」
「だから、呪いじゃない。そんな非科学的なものではない。神鳳も、そう話していた」
「でも、センパイの左眼だって、もしかしたら同じようなもんかもしんないっすよ」
 口調は軽いけど、こっちを見た夷澤の顔は真剣そのもの。じーっと、俺の左眼を覗き込んでくる。
「そもそも、呪いってのはなんなんすかね?人の感情は、脳で制御されてる。そういうもんを、外に出してコントロールできるルイ先生みたいな人もいる。それをマイナスの方に振ったら『呪い』になるなら、仕組みは分かるじゃないっすか」
「……ふむ。確かにな」
「《氣》ってヤツがどうこうじゃなくったっていい。例えば誰かを強く憎んで、殺したいという気持ちを糧に強くなる。で、相手を殺すって行為を実行する。それだって感情が原因となった上での結果なら、呪いっていったっていいくらいだと思うんすよ」
 俺とダンナは顔を見合わせる。それから夷澤を見て、また、顔を見合わせる。
 それは……なんていうか、盲点。俺の、発想外。あれ?すごいな、こいつ。
「な、なんすか。オレ、変なこと言いました?」
「いや、そういう発想もあるのか、と思ってな」
「うん。そっか。どんな現象にも原因があって、結果に結びつくには媒介が必要。その媒介がダンナも俺も、不確定なんだね」
 科学では解明できないような現象、でも、原因と過程が分かれば、なぜその結果に辿り着いたかは分かる。そうなれば、科学的、非科学的なんて関係なくなる。
「……まあ、センパイのソレは、オレが原因の一部でもあるんだし、アンタがそのまんまじゃオレも収まりがつかないんで。次に遺跡に潜るときは呼んでくださいよ。コレ、カワイイ後輩からのプレゼントっす」
 目も合わせないで押しつけられたのは、夷澤の連絡先(といつものプリクラ)。照れ隠しなのか何なのか、そっぽ向いたままメガネを押し上げる素振り。なのにプリクラでは決めポーズで王子って!
「このまま借りを作っておくのもオレの主義に反するん……」
「い、い、いざわーーーー!!!」
「おわッ!!?」
 このわんこーーー!と感激のあまりタックル。それをダンナが支えたもんだから、俺とダンナにサンドイッチされて、夷澤がもがく。
「ちょ、なにすんすか!!?離してくださいよ暑苦しい!!」
「いいじゃーん、かわいい後輩への愛情表現だよーぅ」
「俺も、君の考え方には驚かされたよ。賢いなー、ハハハ」
「てか、あんた、まだ砂まみれじゃないっすか!!うわ、ふざけんなーーー!!!!」
 わしゃわしゃと、本当に犬のようになで回されて、静かな夜に夷澤のわめき声が響いた。

*  *  *

 男子寮に戻って、外階段から中に戻る。ダンナとはそこでバイバイ。
 夷澤は二年生だから階が違うんだけど、俺の眼がどうのこうのって、部屋まで送ってくれるみたい。
「そんな、心配しなくてもだいじょーぶだって!」
「大丈夫、って、目の前暗いんでしょうが!」
「いや、片方だけだし、元々夜目は利く方だから。ね?」
「ハイハイハイハイ」
 全然かわいくない後輩ですよ、この態度。人の話、聞いちゃいねぇ。
「……それに、やっぱ、オレにも原因はあるんだし」
 前言撤回。やっぱりかわいいわ。
「だーかーら、気にしなくていいって。こんな目でも、ちゃんと夷澤より強いから!」
「……むっかつく」
 と言いながらも、本日は停戦。殴りかかってくることもなく、結局部屋まで来てもらっちゃった。
「送ってくれてサンキュ」
「あんた、砂まみれなんだからちゃんと身体洗ってから寝てくださいよ」
「夷澤も結局砂っぽくなっちゃったねぇ」
「誰のせいっすか!!」
「しーーーー!!!」
 でかい声を出した夷澤の口をふさぐ。夷澤もしまった、って顔をしている。声は、暗い廊下の向こうまで響いて消えていった。
「もー、大っきい声出したらみんな起きちまうでしょうが」
「……すんません」
 ホント、イイ時間なんですから。こんな砂まみれのボロボロな格好で廊下うろうろしているの見つかったら、言い訳のしようがない。
 と、その時だった。
 背後で、ドアの開く音。俺と夷澤、同時にギクリと身体を強ばらせる。
「おい、今何時だと思ってんだ……って、お前か」
「こ、甲太郎?」
 振り返ると、ドアを開けてこっちを覗き込んでくる甲太郎サン。もろに不機嫌、というのが顔に書いてある。そこにいたのが俺だと分かっても、その険が消えない。
 というか、見ているのは俺……の向こう、夷澤?
「ゴメン、すぐ、部屋戻るから。夷澤も、今日はありがと」
「……ハイ」
 振り返れば、夷澤もずいぶんと怖い顔をしている。二人、そんなに睨み合うほど仲が悪かったっけ?
「それじゃ、センパイ。また」
「おう。じゃーね」
 スニーカー片手に、夷澤は自分の部屋に戻っていった。甲太郎とすれ違いざま、また、意味ありげに視線を交わしたんだけど……何なんだろう。その背が見えなくなって、甲太郎と二人きりになった。
 遺跡に潜る前のことを思い出すと、さすがに気まずい。
「……俺も、もう寝るから」
「ああ。……って、お前、それ、砂か?」
「今日のエリアは砂が降ってた。部屋全体が砂状化してたらしい」
「そうか」
 甲太郎が数歩、こちらに歩いてくる。手を伸ばして、髪に付いた砂を払おうとして、手が止まる。
「九龍、どうした……その、目」
「え……」
 左眼に掛かる髪をかきあげ、顔を覗き込んでくる。その表情は、不安と、怪訝と、少しばかりの驚きに彩られていた。
「何があった?ちゃんと、見えてるのか?痛みは?」
 心臓が、動揺を鼓動で示してくる。どくん。強く、速く。
 甲太郎の表情からは、心配している、という様子が伝わってくる。それなのに、何か聞かれるたび、心臓の奥がきりきりと絞まる。声が、出ない。俺にも、夕薙にも、夷澤にさえ見えなかった傷。それがなぜ、甲太郎に見えているのか。
 不意に、左眼が痛んだ。切り裂かれた本物の傷は完治したというのに。幻肢痛だとでも?そんな馬鹿な。
 思わず顔をゆがめてしまったのを、どう捉えたのか。甲太郎はなおさら沈痛な面持ちで、カウンセラーには見せたのか、あいつも一緒に行ったんだろうと言っている。
 咄嗟に、頭の中で何かが叫んだ。
 ―――笑え、と。
 大丈夫、平気、何でもない、そう言って笑え。
「だ、いじょう、ぶ」
 笑うんだ。
「大丈夫。平気」
 何も考えちゃいけない。
「怪我は、《魂の井戸》で治ったから。今は少し、見え方が変なだけ。だから、ヘーキ」
 ルイ先生はああ言ったけど、きっと、見える人と見えない人がいるだけだ。そういえば、白岐ちゃんを忘れたときも、甲太郎は誰も見失っていなかった。そういう人間だって、きっといるんだ。ただ、それだけだ。
「九龍?」
「じゃ、俺、シャワー浴びたいから。おやすみー」
 ひらひら、手を振る。甲太郎の顔が怖い。部屋に帰ろうとするのを、腕を掴んで止められる。
「何が、あったんだ?」
「なに、って」
「そんな風に笑うときは、何か、隠してるときだ」
 隠してない。何を隠していいか、俺にも分かんない。違う。そうじゃない。気付きたくないだけだ。
「なーんにも、隠してねーって」
「嘘をつくな。お前、」
「だって俺、甲太郎のこと、信じてるもん」
 ふっ、と。甲太郎の顔から表情が落ちた。
 俺は、何にも気付かないフリをする。甲太郎が何を考えているのか分かんなくったって、いい。俺をどう見ているのかなんて、関係ない。
 おやすみ、ともう一度告げて部屋に戻り、そのまま扉に背を当てる。深呼吸。治まれ心臓。頼むから、静かにして。隣の部屋からは扉が閉まる音がした。バタン。甲太郎は、俺の部屋の鍵を複製して持っている。この部屋にはロゼッタの機密事項に関する書類もあるっていうのに。それだけ、全部を明け渡している。今も、過去も。
 でも、俺は甲太郎の部屋の合い鍵は持っていないし、あいつのことは何にも知らない。バタン。扉を閉められてしまえば、そこから先に踏み込むことはできない。
 それでいいって思ってた。だったら、なんでこんなにキツいんだろう。知りたい?知るのは怖い。知る権利もない。だったら、我慢。バタン。扉が閉まったら、その向こうで甲太郎が何をしていても、何も想像しない。左眼が痛い。大丈夫。平気。こんなの、なんてことない。
『痛かったら、俺に言え。痛くて泣きたいなら泣け』
 甲太郎の言葉が頭を過ぎる。
 でも、言えない。痛いのは、心臓の奥の方で、泣きたい理由が甲太郎だとしたら。
 言わない。
 大丈夫。平気。
 そっちを覗き込んだりは、絶対に、しないから。

End...