風云-fengyun-

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11th.Discovery ねらわれた学園 - 7 -

 さらさらと、砂が降り続けている。
 砂状化がさらに進んでしまったら、いつか、この場所は崩れてしまうんだろうか?
 薄暗く、視界の効かない部屋の中央付近に歩み出ると、砂煙の向こうから声が聞こえてきた。
「愚かな奴だ―――」
 浮かび上がるは白い仮面。表情をうかがい知ることはできない。
「呪われた遺跡を追って来るとは」
「あんたを追ってきただけ、ってことでもないんだけどな。進むには、潜って、《墓守》を斃さなきゃいけない」
「誰にも、我を斃すことなどできない。この《鍵》を使い、《墓》の奥底に封印されし者を解放するのだ」
 さて、その言葉をどう捉えればいいのか。俺はダンナとルイ先生と、目配せし合う。
「《墓》に封印されている者、それって、あんた自身なんじゃないのか?」
「………」
「解放したら、そのあと、どうなっちゃうんだろうね?《秘宝》が出てくる?それとも、《王》サマが登場して、死者を蘇らせる《力》をくれる?」
 さらさらと、砂が降り続けている。
 少しの間、誰も言葉を発しなかった。この場所はもうすでに崩れ始めていて、どこか廃墟にも似ている。ルイ先生は、故郷にも似ていると言った。降っているのが雪だったら、きっと悲しい気持ちになるんだと思う。
 沈黙を、ファントムが破った。バチン、長い爪が鳴る。
「これ以上、邪魔をするなら死んでもらう―――」
「あいにくだけど、今のお前ごとき相手をするほど、俺の本気は安くないよ」
「何……?」
「全力で蹴り殺されたいなら……その悪趣味な仮面を剥いでからだ」
 パン、と掌と拳を合わせる。ゆらり、とファントムは後ろに下がる。マントで顔を覆い、
「我は《ファントム》。《ファントム》とは幻影。幻影を斃せる者などいない」
「なら、引きずり出してやるよ、現実に」
 黒い靄が、ファントムの周りでコウモリの形に変わる。顕現と同時に、一匹、脳天に銃弾を叩き込んで消滅させた。
「お二人さん、ちょっと、手伝ってもらってもいーっすか?」
「無論、そのつもりで来ているからな」
「どーもっす。たぶん、今、あそこらへんにいるコウモリたちが先行してたかってくると思います。俺は、ファントムのとこに飛び込むから、雑魚を引き受けてほしいんすわ」
「おやすいご用だが……助力はいらないか?」
「あいつは、どうしても、俺がやんなきゃなんです」
 ダンナはまだ何か言いたそうだったが、ルイ先生が制す。
「分かったよ。背中は任せなさい。思った通りにするといい」
「ありがとうございます」
 一礼、銃を再度構える。キーキーと鳴きながら飛んでくるコウモリに、銃弾を浴びせながら走る。コウモリは俺に向かってこようとするが、それを後方の二人が引きつけてくれる。頼もしすぎますこと!
 数匹のコウモリをやり過ごし、後ろが順調に片付けているのを気配で確認し、ファントムと対峙。
 戯れのように何発か撃ってみると、ファントムはマントを翻して回避した。かなり動きが素早い。それに加えて砂で視界が悪すぎる。さて、どうくるか、間合いを確かめながら様子見。
 ひらひらと、黒いマントが目くらましのようにはためく。それに惑わされると、来たッ!!
「甘い甘い!」
 跳びかかりからの、鋭い爪の攻撃。前髪を僅かに切り払われるくらいの至近距離で、回避。バックステップを踏みながら、射撃、ファントムが飛び込んでくるのを、横っ飛びで逃げる。そしてまた、撃つ、撃つ、撃つ。
 有効打にならないなんて分かってる。そんなことはどうでもいい。
 ただ、少しずつ少しずつ、ヤツのダメージは蓄積されていく。
「どん臭ぇなあ。一発ぐらい当ててみろよ」
「貴様ッ……」
 わざと、挑発するように飛び回る。あっちも機動力があるだろうけど、悪いが俺はその上だ。素早さが身の上同士の戦いなら、負ける道理がないってーの。
 右足で踏み込んでくる、そこからの攻撃は必ず下からの左、だろ?
 分かっていて、『いつものように』正面から受けたりはしない。予想通りに振られた斬撃をするっと躱して、冗談みたいな射撃。
 撃った弾数は多くはないけれど、ほぼ全てが仮面に当たり、跳弾している。
 いい加減鬱陶しいのか、次に撃った弾は虫でも追い払うかのようにマントで払われた。
「遊んでいるつもりか?貴様の力、その程度ではなかろう」
「あれ?俺、あんたとやり合ったことでもあったっけ?んなこと、なかったと思うんだけど」
 笑ってみせると、面白くないのかファントムの動きがさらに激しくなる。爪は何度もすれすれを走る。そのたびに、後ろからは心配そうな声が飛ぶ。
 大丈夫。やられるわけには、いかないん、でねッ!!
「これは今日の姐さんの分!」
「ぐッ……」
「で、コレがお前にいいように丸め込まれた《執行委員》の分!!」
 今度はちょっと真面目な連射。射線から逃げようとするが、逃がすか!先に先に位置取りをし、奴を煽る。
「ほらほら、終わっちゃうよ?」
 相手の足が止まったのを見て、マガジンを変える。スタミナ切れ?いや、そんなはずはない。スタミナなら俺の方がずっとないんだから、本当ならさっさと終わらせないといけないんだけどね。慣れない砂上戦闘、足にも結構キている。でも、今日は、焦らすだけ焦らすんだ。
 一撃も「触れられない」という状態に、ファントムが苛立っているのは手に取るように分かる。
「なぜ本気で戦わないッ!?」
「楽しくないもの。そっちだって、『本気』じゃねーでしょー?」
 どちらも息は切れていないものの、ファントムはバチンバチンバチンバチンと何度も爪を擦り合わせている。
「お前じゃ、俺は殺せない。絶対にだ」
「……ならばッ」
 影はマントを翻す。俺の眼はそれを追うことができたけれど、……バディの二人の視線が追いついていない!
 一気に二人に肉薄される。追うが、二人との距離と積もった砂に足を取られて、不可思議な移動法に追いつくことができない。
 躍りかかるファントム。臨戦態勢の夕薙のダンナ。互いに振られる腕、割って入った螺旋の光、力の衝突。
 ようやく追いついた俺は、余波で弾かれながらも片足で軸を取って反転、更なる力で二人に斬りかかるファントムを見た。
 反射的に、近くにいたダンナの腕を乱暴に引く。―――右爪を回避。
 ワン・ツーで振られていた左の爪がルイ先生に届くのは避けられないと判断、被さるように身体を押し倒す。
 ―――左眼に、灼熱。
 斬られた、と自覚するよりも早く臨戦、降ってきた腕を眼前で押しとどめる。
「九龍ッ!」
 怒声と共に飛んできたのは、ダンナお得意の超音波攻撃。ガツッという脳味噌への衝撃と、追ってやってくる不確かな平衡感覚には覚えがある。
 のしかかってきていたファントムの力も弱まった。好機。腹部に思い切り蹴りを入れて跳ね飛ばし、体勢を立て直して反撃開始。ルイ先生の力か、耳鳴りが一瞬で治癒し、三半規管も元通り。片眼が見えないのはご愛敬ということで、トドメをくれてやることにする。行くなと呼び止める二人を制し、腹を押さえるファントムに二挺拳銃を向け発砲。的確に、狙って、厭味のように仮面だけ。格闘戦で本気?ジョーダン。そんなん被っているウチは、絶対ヤダ。
 足下が覚束なくなるまで撃ち尽くし、膝をついたところで歩み寄る。仮面には、バッキリヒビが入っている。もうひと息、か。
「まー、よくもやってくれたよなぁ。左眼、おじゃんですよ」
「くッ……」
「やり方がこすいんだよ、人質取りゃいいってもんじゃないの。こういうのは」
 あと二、三メートルというところで、ファントムはそれ以上来るなというように爪を振る。
「ふざけるなッ!本気で、戦え!!」
「へー?……何で?」
「何?」
「な・ん・で?《鍵》は手に入れて、この先にも進める。なら、なんで俺を待ってたの」
 砲介九式を仮面に突きつける。左半分の視界はなく、どくどくと熱があふれ出しているけれど、それでも血をぬぐおうとは思わなかった。
「な…ぜ、だと……」
「忘れてるんなら思い出せ。さもなきゃ永劫、お前の相手なんざしないぜ?」
 パァンッと、一際甲高い、俺の彼女の叫び声。それは、ファントムの仮面をかち割った。
 ―――さらさらと、砂が降り続けている。
 ヤツは、仮面が割れた瞬間、頭を押さえて崩れ落ちた。
「う……か、仮面が……。く、そ……この《鍵》を使って……早く、最後の《封印》を……」
 ほとんど、譫言。
 両手で顔を覆い、叫びは続く。
「ないッ!!《鍵》はどこだッ!?くッ……なんだ、顔が……俺の顔が……うう……ここはドコだ?なぜオレはこんな場所にいる?何だ、この服は?オレは―――オレは、」
「お前は、絡み癖があってしつこくてやる気が鬱陶しくて、結構努力家で素直でマジメな格闘馬鹿」
 首が振られる。真っ黒い髪に、砂が積もっていた。
「オレは一体……オレは、誰だ…」
 片手で顔を覆ったまま、顔を上げる。目が合う。俺は、血まみれの手で、頭に積もった砂を払ってやる。
「―――夷澤、凍也。お前に、凶器なんて似合わないよ」
「セン、パイ……?」
 かっぴらいていた瞳孔がすぼみ、焦点が合う。まるで迷子みたいに泣きそうな顔をしているファントム―――夷澤は、俺を俺と認識した瞬間、頭に置かれていた手を思い切り振り払った。
 食いしばられる歯。喉元からこぼれるうなり声。そうだ、その顔。
「オレは……《生徒会副会長補佐役》。この《墓》を守るのが役目」
「そう、こなくっちゃ」
 払われた手で、血をぬぐう。左眼のなくなった顔は、触れるだけで激痛が走るのに、なぜか俺は笑っていた。
 自分を取り戻したワンコくんは、本物の犬のように頭を振って、砂を振り落としている。
「チッ……まるで、悪い夢をみていたかのようだぜ……。いつものように《墓》を見廻っていたときに《声》が聞こえて……そのあとは……」
 自分への苛立ちをぶつけるように、夷澤が床を叩く。手にはめた長い爪を放り投げて、
「クソッ、情けねェッ!!!このオレが、いいように操られていたなんてよッ!!!」
 ぎしりと歯を食いしばり、立ち上がる。それから、闘志が燃えたぎっているかのような眼で、俺を睨み付ける。
「葉佩、九龍ッ!!」
「あいよ」
「もう一度、オレと戦えッ!!オレの《力》はこんなもんじゃないッ!!」
「望むところ」
「この《音速の拳》を見切れるヤツなんていないんだからな。オレの《拳》が通った後は、空気さえ凍りつく―――」
 夷澤の両腕が、青く光っているように見える。今まで見たことがない、あいつの《力》。
「あんたに、勝てる……今ここで、証明してやるッ!!」
 構えるファイティング・ポーズ。俺も、銃をしまって構えを作る。
「やってやるよ。覚悟しやがれ」
「その眼でやろうってのか?」
「片眼が見えないくらいでちょうどいい。ハンデがいるかって、言っただろ?」
「なめやがって……」
 夷澤の眼に宿っているのは、未だ昏い炎。そうか、ファントムから元に戻しただけでは、あの《黒い砂》は吐き出されない。夷澤の何かは、失われたまま。
 それでは、お望み通り、ボッコボコにしてくれようか。
 夷澤が深く息を吸い、吐き出したのが合図。
 飛び出して来るのを、今度は躱すのではなく、ガードに掛けて受け止める。その途端、覚えのある音波攻撃が飛んできた。夷澤の身体が後方に吹っ飛び、俺は腕を引かれる。
「君は馬鹿かッ!?」
 目の前には、珍しい、鬼のような形相のルイ先生。そして、横にはダンナが俺を守るかのように立ちふさがっている。
「その目は危ないッ!ここでは私でも治せないんだぞ!」
「あ、ハイ、でもまあ、終わればきっと……」
「治らなかったらどうする気だ!?」
「そしたら、それは、そのときで……」
 もう一度、馬鹿かと罵声。いつもは阿呆って言われてるのにねぇ。
「とにかく、血だけは止めろ。頭部の出血は危険だ」
「いや、今はそれよりも……」
「九龍、言うことを聞くんだ」
 ダンナにも怒られる。そして、羽交い締めにされて、傷口を水でざっと流される。それからダンナが持たせてくれた救急キットにあった消毒薬とガーゼを、顔の左側に巻かれた。
「あまり頭は振るな。いや、それよりも、夕薙、私と君で彼の相手を、」
「ダメですッ!!」
 首を振ってみせると、後ろからダンナに頭を押さえられた。あ、振っちゃいけないんだっけ。
「センセ、あいつとだけは、俺がやらなきゃなんです」
「だが、君は…」
「ていうか、俺が、やりたいんです。だから、あいつに手は出さないでください」
 出さないで。違うな、出させない、だな。こんな辛気くさい遺跡探索に付き合ってもらってアレなんだけど、やっぱり、これは、俺とあいつの問題。ダンナもルイ先生も、分かってくれるはず。
「……いつも、戦っているんだったな」
「そう。だから、決着を付けないと」
 顔を両手で挟まれて、なんにも動かせないけど、ダンナには伝わった。
 分かった、と言って手を離してくれる。
「養護教諭としては、認めるわけにはいかないんだがな…」
 先生も嘆息して、渋々立ち上がった。
 二人が下がると、吹っ飛ばされたダメージからは早々に回復していた夷澤が、トントン、と爪先で床を叩きながら立っている。ふふふ、それ、俺のクセなんだけど?
「話は、終わったンすか」
「ええ。あの二人は見てるだけ。戦うのは、俺とお前さん、だけ」
 じわりじわりとしみ出してくる血の感触は知らないフリして、再度構えを取る。右手は拳を作り、前に突き出す。左手は心臓の前から、少し離した位置に。右脚を猫足に、重心は均等に。
 間合いを取り合う均衡を、今度は俺が破る。大きく跳んで、踏み込んだ足を軸に、もう片脚を振り上げる。それを、上体をかがめて回避した夷澤は、コンパクトなたたみ打ちを見舞ってくる。
 すれすれで避けた、はずだったんだけど、
「おわッ」
 なんじゃこりゃ!右側の鎖骨から剥き出しの首筋の辺り、当たってないのに一瞬で凍りつきやがった!
「《音速の拳》ってのは、こういうことかい…」
 今までこんなんなかったでしょうよ!!《墓守》スペシャルってことかい!?
 とにかくバックステップを数回踏み、距離を開けてから自分の拳で氷をたたき割る。ほっといて凍傷にでもなったら嫌だかんね。
 そこに、夷澤がすっ飛んでくる。息つく間もない攻撃、ってヤツだ。右足で踏み込んでくる、そこからの攻撃は必ず下からの左、のはずが、
「食らえッ」
「っ、と!」
 ストレートが飛んできて、予想外の攻撃に一瞬ひるむ。しかも、積もる砂に足を取られてバランスまで崩れた。回避は無理。ガードを上げて、急所は外す。
 ―――くそったれ、威力が上がってやがる。
 結構ヤバい体勢になっているのに、俺、なんかもう、笑い出したくって仕方なかった。ガードした腕がバッキバキに凍ってんのに、ねえ?
 人は成長するし、強くなる。それを今、目の当たりにしている。《墓守》の力とか関係なく、強くなってるその様子を。
「笑ってんじゃ、ねぇッ」
「笑ってないヨー」
 前にも、そんなこと言われたね。大丈夫。手を抜いているわけじゃない。振られた拳を跳んで躱し、着地した足で踏み込んだ、そこに。
(―――テッ・カン・コー!?)
 まさかの上段からの踵落とし。
 左側だったから余計に、反応が遅れた。予定外から飛んできた脚をかわすため、詰めた距離をスウェイバックでまた離す。足先は、俺の鼻っ面すれすれを掠めていった。
「おいおいボクサー、そりゃ反則じゃないのか」
「戦闘に反則なんてない、そういったのは、あんた、だろッ!」
 距離が詰まる。必死を乗っけたような拳をかわし、時々反撃をする。
「そ、やって……へらへら、笑いやがって!!」
「あはは、ゴメン、クセなのよー」
「ふざっけんなぁぁぁッ!!」
 ビュオッと、空気を斬る音。さっきまでより、数段素早い攻撃だった。それを、受けず、躱さず、こちらも拳をたたき付ける。ゴッ。骨のぶつかる鈍い音。革のグローブを付けた拳が凍り出すが、それでも、力を掛けるポイントはこっちのが的確だ。インパクトの瞬間、夷澤の身体が傾いだ。
「力に頼らない!」
「くッ……」
「格闘は力よりも技術。それを忘れちゃ、強くなれないんだって」
 凍ったままの拳を、そのまま鳩尾に叩き込む。衝撃で息が詰まったのか、動きが鈍ったところに、蹴りを見舞う。ガードが遅れた、脇腹に。骨に届く、イイ感触。決して大柄じゃない身体は、綺麗に吹っ飛んだ。
「笑うなっていうけど」
 凍った手を振って、氷をはたき落とす。
「お前さんはね、ちょっと力みすぎ。少し、力抜いて」
「……んだと?」
「俺も、本気でやったげるから」
 ニコリと、ひとつ。笑ってから、ギアを入れ替える。
 笑みなど知らないような顔に戻し、体勢を立て直しきれないところに躍りかかる。咄嗟のガードなど、軽く蹴破る。顔にヒット。眼鏡が飛び、頬に傷ができる。そこから《黒い砂》がこぼれ出す。
 さらさらと、砂が降り続けている。黒い砂は、そこに紛れるように空中を漂う。
 続けざまに蹴り上げた足は、今度はガードに掛かる。ならば、振り下ろした足を軸足に、回転することで威力を上げた回し蹴りを同じところへと叩き込む。ガードが開く。出血からか、酷い眩暈がしたが、構わず拳をねじ込む。カハッ、と潰れた呼吸が吐き出されるのが分かる。
 そのガードが閉じられ、腕が捕まった。至近距離で見合う。
「……オレは、負けない」
「まだ、無理だな」
 弾かれるように互いに距離を取り、次に先手を取ったのは夷澤だ。だが、俺は繰り出された《音速の拳》を見切り、腕を取って捻る。自分の体重を全て乗せ、そのまま床にたたき付けた。
 仰向けで転がされた犬は、低く唸る。上に乗り上げたまま、顔を覗き込んだ。
「力、それから速さだけで押すな。それでは技術を持った人間には勝てない」
「クソ……何で、何で勝てないッ!!」
 興奮が目元に現れている。逆にこちらの襟元を掴まれた。夷澤の頬に、俺の顔面から流れ出した血が落ちていく。
「強くなるのに必要なものは、すべて手に入れた!!あの《力》もだッ。なのに、なぜあんたに勝てないッ!!」
 至近距離でにらみ合うが、その答えは至って簡単なことだ。
「お前に必要だったのは、スポーツを捨てる覚悟でも、一人に固執する意地でも、人外の《力》でもない」
「じゃあ何だったって言うんだよ、他に何があるんだよ、分かんねぇよッ」
「単純だ。『強くなったな』、そう認めてくれる誰かだったんだ」
 俺には、目指す人、そして強くなれば認めてくれる人がいた。何も目指すものがなくて強くなることほど、無意義なことはない。
「……でも、オレには、そんな人がいなかった。強くなった?部活じゃ入部したときから誰より強くて、殴るだけなら誰にも負けなかったんだ。あんたが、現れるまでは、なのにあんたにはどんなに鍛えても勝てなくて、こんな中途半端で誰が、オレを、認めてくれるって、」
「―――強く、なったな」
 言ってから、俺自身が自分の言葉に納得した。
 そうだ。俺は、こいつに対して強くなれと散々けしかけて、煽って、打ち負かして、そうして目に見えて強くなっていく姿が、―――楽しみだったのだ。結局のところ。
 唐突に告げられた夷澤は、呆気にとられたように顔から険をなくしている。
「……え」
「もう、俺と充分タイマン張れる。技量も闘志も覚悟も申し分ない。強くなったよ、お前」
 勝てるかどうかはまた別の話だがな、という言葉の終わりは聞こえていたのかいないのか。俺を真っ直ぐ見る眼が、どうやっても泣きそうにしか見えなくて、それを見てはいけない気がしたから、手のひらで目隠しをしてやる。血にまみれた手の下からは、震える、細い声が、聞こえた。
 ―――ありがとう、ございます。
 直後、夷澤の身体は小刻みに震えだし、やがて激しく戦慄いた。残っていた殺気という殺気が残らず溢れだして、遙か向こうで怪異を形作る。
「出たか」
「セン、パイ……。オレも、やり、ます」
「いいから寝てろ。こういう場合、後始末は俺の役目だ」
 脱力した身体を担ぎ上げて、駆け寄ってきた二人に渡す。
「こいつを頼む。適当に応急処置を」
「いや、ダメだ。今度こそ、君は休んでいなさい。……頭を振るなと言っただろうッ」
「すみません、でも、こんなのはあとでいい。時間がない、片眼でも戦闘はできます」
 だが許してはもらえず、血で固まりきったガーゼはむしられ、新しいものをあてがわれた。
 その間に、ホッと、一息。そうやって気が抜けた分、痛みがいっそう強くなった気がする。頭、ガンガンするわー。砂のせいで機動力が落ちるのに、無理矢理動き回ってるから結構しんどいし。
 なーんて、すでに、黒い砂の塊がこちらに向けて動き始めているから、いつまでも休憩しているワケにはいかないんだけど。
「ダンナ、悪い。周りの雑魚を頼む。この視界じゃ細かいのを相手にするには不利だ」
「分かった。九龍、無理はするなよ」
「承知」
 マガジンを再装填。痛みを無視して、暗闇の向こうを睨み付ける。
 不意に、背後から声がした。
「オレ……あんな、ものの、力無しに、あんたと、闘り合いたかった」
「戻ったらやってやるよ。死ぬほどな」
 おっと、ウインクはできませんでしたわ。
 ちょっと目の前が暗くなったりもしてるから、早めにフィニッシュといきたいところ。
 そういえば、生まれてこの方、片眼を潰したのは初めてだ(当たり前だけど)。化人の攻撃で、よく分かんないまま見えなくなったってのはあるけど、こうやって、物理的にがっつりやられたのが、初。もしも、このまま《魂の井戸》でも治らなかったら、どうなっちゃうんだろうね?
 隻眼でハンターやってる人もいるけど、たぶん、俺は無理。銃使いは目が大事だし。そうなったら、また違う仕事探さなくちゃ。つっても、戦えなくなってもできる仕事って、なんだろね。俺、なんもできないんじゃないかなー。
「来るぞッ」
 ダンナもH.A.N.Tも、強襲を告げている。大きく息をついた。あいつを殺らなきゃ、とにもかくにもここから出られない。
 《黒い砂》が形を取ったのは、ずいぶんと奇っ怪な姿をした《墓守》。内臓感満載な見た目は、まるで肉団子みたい。結構な人体臭が漂ってる気がするのは、果たして本当に気のせいか、はたまた俺から発生している血のニオイのせいか。
 いけね。なんか、ぼーっとしちまう。集中、しなきゃ。
 ダンナと、参戦してきたルイ先生が周りの雑魚を片付けてくれている間に、マガジンを入れ替えて肉団子に近づく。ブルブルと身体を揺らすのは、なにかの攻撃の合図に違いない。
 それを分かっているのに、回避行動を取ろうとする足が重い。べったりと、床に取り付いているかのような感触。
 なんだ?身体の動きが、自分の意識より、ワンテンポ、遅い。
 その意識と身体のズレが災いして、一発、でかいのをもろに食らう。幸い、攻撃を食らって後ろに飛ばされたせいで次の攻撃のレンジからは外れたらしい。結構広範囲に届くシロモノだ。
 頭が、ぐわんぐわん渦を巻いているよう。痛みは忘れるフリができても、頭の傷にともなう頭痛に耳鳴り、熱の塊がわだかまる不快感はどうしようもなかった。でも、だからって、足を止めるわけにはいかない。
 動け。動け。動け。
 浮遊する肉塊に射撃で応戦しながら、やがて、身体だけではなく意識そのものが鈍くなっていることに気付く。ダンナと、ルイ先生の動きを、知覚できない。連携することに集中できない。
 おかしい、絶対変だ。じゃなきゃこんな簡単に、壁際なんかに、追い込まれねぇ、っつう、の!!
 距離を詰められそうになったところ、
「これでも食らえッ」
 間に飛び込んできた二人に間一髪助けられる。ダンナの音波アタックで逆にレンジを開け、ルイ先生に引っ張られて部屋の角へ。
「ったく、カウンセリングが必要なようだな…」
 言ってることは冗談めかしていても、ルイ先生の顔は怖い。あれれ、俺、どうなってんだろ?
「スンマセン、なんか、身体、ちょっと重くて……」
「当たり前だ!!分かってないのか?出血量が酷すぎるッ」
 この切り傷でこんなに出血するはずはないんだがな、と吐き捨てられた。そのまま、額に手が当てられ、身体に温かいエネルギーが流れ込んで来る。身体、楽になった、気がする。
「私では体力の回復は難しいが、気付け程度にはなる。どうだ?」
「へい!でーじょぶっす!!」
「だが、これはあくまでも応急処置だ。無理だけはするな」
「うっす!!」
 深呼吸。こんなところでへばってるわけにはいかない。あいつは、夷澤の思い出を身に住まわせているはず。取り返さないと。俺が。
「ダンナ、お待たへ!!」
「ああ。さっさと片付けよう」
「ダンナ、アレ、何発くらい撃てる?」
「あと一、二発が限度ってとこだな」
「十分。あいつが壁の近くに来たら、吹っ飛ばして壁際まで追い詰めてほしいんだ。位置取りは俺が何とかする。ルイ先生は、あいつが攻撃態勢に入りそうになったらアレ、ぶっ放してほしいっす」
「任せておけ」
 大丈夫。平気。頭は回ってる。身体も動く。動かす。鈍重な肉の塊を誘導するように、今度はこちらから壁際に跳ぶ。巨体と壁に挟まれそうな距離まできたところで、後ろからダンナが音波を撃つ、同時に俺は壁を蹴り、ヤツの頭上まで跳んだ。いつもならなんてことのない動きなのに、眩暈で失落しそうになるのを、気合いと根性で留める。
 壁に激突した肉団子は、おぞましい声を上げて、ひるんだように動きを止めた。そこを逃さない。
 上空で身体を捻りながら、左肩部分の管を集中砲火。もう一発、ダンナが撃つ。俺は肉団子を跳び越し、後方に着地。左肩が完全に破壊したのを確認し、今度は右肩にガスHGを投げつける。
 巨体が傾ぐ。それでも、まだ斃しきれない。こちら側に振り返ろうとするのを、今度はルイ先生の攻撃が阻止した。
 最後、トドメは、
「こっち、見んじゃ、ねぇッ!!」
 七支刀を背後のふくらんだ肉の部分に突き刺した。
 ずぶり、と、まるで人を刺したような重い感触。けど、それもやがて、質量を失っていく。重々しい声がかき消える頃には、目の前からは何もなくなっていた。
 後に残るは、夷澤の思い出。大切な、宝物。
 それは一足のスニーカーだった。使い込まれた跡が見える。
 これがなんなのか、夷澤に聞かないと。そう思って、ヤツと、それから頼もしいバディの二人を振り返ろうとしたとき。
 ―――あ、れ。
 あ、れれ。
 右眼の視界が、暗くなり、ぐら、ぐら、と、揺れて、駆け寄ってくるダンナとルイ先生が見えて、それで、
 あ。
 H.A.N.Tが戦闘終了を告げている。
 それが、張り詰めていた意識を、バサリと、断ち切る。
 ダメだ。
 コレ、まずい。
 前のめりに落ちていく身体を、もう、自分ではどうすることもできなかった。