風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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11th.Discovery ねらわれた学園 - 4 -

 校舎から出るころ、もう一通メールを受信した。送信者は、夕薙大和。
 それを見ただけで、一瞬、心臓の辺りが絞まったような錯覚。
『俺は、君に命を救われた』
 違う。違う違う。
『まだ、この忌まわしい身体の謎は解けないが、それでも俺は、この學園に来て良かったと思っている』
 そうじゃない。夕薙、違うんだ。解けるかもしれなかったんだ、その謎は。
『なぜなら、君という人間に出会えたから』
 俺が、いなければ。真実に、たどり着けていたかもしれない。
 ……ダンナは、これを、一体どんな気持ちで打ったんだろう。後で、寮に来てくれ、って。話があるって。俺を、許してくれるんだろうか?そもそも、俺は、許されたがっているんだろうか。
 もう、ワケが分からない。
 空はもう暗くなっている。ここに来たときは、まだ夏の名残。今は、冬。三ヶ月で、いろんなことが変わった。季節も、學園も、状況も、俺自身も。なのに、どうして変化に追いついていない気がしてしまうんだろう。
 時間も変わる。夜がそこまで来ている。俺は、夜の子どもだった。夜が住処だった。それだけは変わらない。
 けれど周囲が変わってしまったから、夜でもこうして笑っている。
「けーんちゃーん!」
 武道場の入り口。休憩中なのかぼんやりと佇んでいたお侍を発見。
「九龍か…」
「物思いにふけり候、みたいな?」
「そんなことはない。それに、その使い方は間違っているぞ」
「そいつぁ失礼」
 ちょっと呆れたように顔をしかめる真里野さん。俺は、剣介が執行委員になる前とか知らないけど、俺がここに来たことで何か、変わったんだろうか。
「なにか、考え事ですか?」
「いや……その」
 逡巡。俺の顔を見たり反らしたり。で、何を言い出すかと思いきや。
「お主―――人を好きになったことは、あるか?」
「人を……?」
 唐突な質問に、ちょっとだけ、考えを巡らせる。きっと今、剣介は七瀬ちゃんのことを思っているに違いない。恋する侍。カワイイですこと。だから、
「俺はね、剣介のことが大好きでござるよ!」
「なッ……い、いきなりなにを言い出すのだお主はッ!」
「あははは、ジョーダンだよ、ジョーダン」
「まったく……人をからかうにもほどがあるだろう」
「失礼しました」
 冗談なのに、顔を赤らめる剣介がさらにかわいいでござるよ。
 でもからかっちゃったのは申し訳ないから、一応、答えておくことにする。
「命を……」
「うむ?」
「命を、懸けてもいい。そう想える人なら、いたよ。好きだったかどうかは、分かんない。たぶん、恋という意味では違ったし、でも、愛してはいた」
 無意識に過去形になっちゃってて。でも、恋する真里野さんは気付かないでいてくれた。
「そうか。まあ、お主なら当然そういったことは経験済みだろうな」
「えー、そういうことってどういうことですかーぁ?」
 ニヤニヤしながら聞いてみると、真里野さん、今度こそ言葉に詰まってゆでダコ状態。
「なッ、違ッ、その、あのだな、別に、この問いにはこれといった意味は、ないのだッ!!」
「ふーん?」
「忘れてくれ!!」
「ハハハッ、ハイハイ。忘れました。剣介がどこぞの図書委員長を想って恋患いなんてこと、もう忘れましたー」
「九龍!!」
 おっと、怖い怖い。これ以上怒られないように、トンズラ。
 でも、ちょっと、剣介のおかげで元気出た。なんだろ、こういうやり取り、俺、楽しめてんのかな?偽ってない方の俺も、笑えるようなこと、なのかな。
 ふと、立ち止まる。そこは弓道場。今日、鍵をもらったばかりの場所。やけに静かで、覗いてみるとそこには一人しかいなかった。そういえば、ちょっと前に弓道場が荒らされて大変だったって、言ってたっけ。
「おや、葉佩君じゃないですか」
「ども」
 正座で黙想していたみっちゃんは、片目だけを開けるように俺を認めた。すっと立ち上がって、こちらにやってきた。
「ゴメン、邪魔しちゃった?」
「いえ、今日は部活も休みですし、気にしないでください」
「ん。すぐ、行くから」
 みっちゃんには今日、痛いことを指摘された。俺の後ろに、黒い影が張り付いてる、って。それがなんなのか、俺には見えないんだけど。
「そうだ。葉佩君。君に折り入って相談があるんです」
「俺に?」
「ええ。実は、《墓》の最深部が近づいてきたせいか、最近どうも霊たちの干渉が激しくて……」
「あ、っと……それって、俺のせい、だよね」
 顔が引きつったのが、みっちゃんにも分かったんだろう。穏やかに首を振った。
「それを君が気に病む必要はありません。必然なのですから」
「……あんがと。で、俺は、どうすればいい?」
「何か、そういった力を押さえることのできそうな《神聖な道具》はありませんか?」
「《神聖な道具》!?えっと……」
 どどどどうしよう、八卦碑?はルイ先生にあげちゃったし、俺の持ってる武器とかは物騒きわまりないし、みっちゃんにあげられるようなもの?
「な、ないかも……」
「そうですか……。実は、かれこれもう、二日はまともに眠れてないんですよね」
 ぞくっと、背筋に冷たいものが走る。考えろ、考えるんだ。《神聖な道具》、神聖な…。
「もちろん、僕も気をつけはしますが―――」
 みっちゃんの、開眼。俺はもう、一歩も動けない。
「万が一、寝ている間に僕の恨みの念がうっかり飛んでしまったら、すみません」
「ッ………」
 息を呑む。脳裏を、昨日の出来事が過ぎっていく。恨みの念。死者たちの声。立ち上がることすら許されない寒さ。
 おそらく、顔面蒼白になってたんだと思う。みっちゃんは、ハッとしたように俺の肩に手を置いた。
「失礼。冗談が、過ぎました」
「あ、うん、平気。大丈夫。全然、えっと、」
 耳鳴りがして、みっちゃんの声が遠く聞こえる。俺は、慌てて肩に置かれた手を取った。
「あ、ある!!あると思う。墓ン中で見つけた物の中にあると思うから、ちょっと、待ってて。すぐ取ってくる」
 様子がおかしすぎたのは、明白。踵を返した俺の腕を、一瞬早く、みっちゃんが取る。
「葉佩君!!……謝ります。君は……苦手なんでしたね」
 そんな、真摯な顔で謝られるなんて。自分が、どんな顔をしているのか逆に不安になる。言葉が出てこなくて、仕方なく、促されるまま弓道場の入り口に腰掛けた。ちょっとだけ、ヘビに睨まれた、というより噛み付かれたカエルの気分。
 みっちゃんは立ったまま、少しの間、沈黙。俺も、どうしていいか分かんなくて黙りっぱなし。やがて、
「僕は昨日、君とは戦っていません」
「……へ?」
 そういえ、ば。いろいろあって忘れていたけど、俺、気がついたときには《化人創世の間》でボケッとしてたんだ。みっちゃんは、もうボロボロで、黒い砂が抜けきった後。墓守が顕現していて、すぐに戦闘に入った。
 じゃあ、みっちゃんを倒したのは、誰だ?
「甲太郎か、砲介…?」
「いえ。表向きは、君でした」
「表向き?てか、俺、みっちゃんがどういう戦い方するのかも、どう決着付けたかも、全然知らない。……覚えて、ないのかな」
 みっちゃんは、ふうっ、と。深く、長い嘆息。それだけで、少し背筋がざわめく。
「一人称は『あたし』。ずいぶんと粗暴な口調で、戦い方も荒かった。お連れの二人のことも、まったく意に介していない様子。ただ、僕が君を傷つけたという一点において、酷く腹を立てていました」
 怒られましたよ、とみっちゃんらしからぬ冗談めいた口調。
 口元に笑みを浮かべるみっちゃんを、けれど、俺は、信じられないような眼差しでしか見ることができない。
 どういう、こと?
 そんなの、俺、一人しか知らない。いや、確かに昨日、夢を見た。遺跡の見せる時たまの夢。あいつが出てきて、俺に、愛していると言ってくれた。愛してる、って。
「ずいぶんと、君を、大切に想っている誰かでした」
「それって……」
「僕は、それが誰なのかは知りません」
 周りはもう夜。少し向こうを、部活を終えた生徒たちが歩いて行く。
 ここは、どこなんだろう。俺が生きてきた場所じゃないというのに、なんであいつが、現れたりするんだろう。
「君は過去と、それから、目に見えざる者を怖れているようですが」
 そう。奪った命の怨嗟を、怖れている。
 でも、過去と、目に見えないあいつのことは、愛している。
「少なくとも、僕が見た、戦った彼女は、君を強く想っていました」
「…………」
「だから君は、すべてを怖れたり否定しなくてもいいんじゃないか、と。僕は思います」
 みっちゃんが励ましてくれてることは、分かった。朝、言っていた黒い影っていうのが、誰のことかも分かった。朝から続いていた耳鳴りは止んでいて、辺りの暗さを、すごく心地よく感じる。
 生きてきた場所じゃない。でも、自分で決めれば、どこまでも深く夜に潜れる。ここでも、できる。
「……あんがと。みっちゃん」
「別に、お礼を言われることじゃありませんよ」
「でも、サンキュ。お礼に、ちゃんと持ってくるから。神聖ななんたら」
「なんたらでは困ります」
「へーい」
 ぺんぺんと、ケツを払う。立ち上がって、一礼。さっきまでの、みっちゃんのおっかなさはどこかに消えた。細っこいツリ眼も、今はやわらかく見える。
「じゃ、ちょっと待ってて。取ってくる」
「すぐでなくてもいいですよ」
「へーい」
 弓道場はもう閉めるっていうから、生徒会室で待っててもらうことにした。もうすぐ二学期が終わるから、いろいろ書類の整理があるんだって。生徒会も大変だ。
 二学期が、終わる。そう思うと、一段寒さが深まったような気がする。コートの襟元を絞って、マフラーを少しきつく。寒いけれど、腹の辺りが少しあったかいような気がした。暗闇に手をかざすとぼんやりと白く浮かび上がる。その周りには何も見えないけれど、みっちゃんが見れば、黒い何かがまとわりついているんだろうか。
 両の手を重ねて、額に押しつける。
 大丈夫。夜の中にいれば、俺は、平気。自分に言い聞かせた、そのとき。
「何、祈ってんだ?」
 後ろからの声に、全身の力が抜ける。振り返る、でも、一度すどりんに引っかかったことを思い出して慎重に。
「九龍?」
 良かった。
「どうしたんだ」
「……なんでもない」
 肩に鞄を掛けた、気怠そうな佇まい。ゆっくりと歩いてきて、隣に並びかける。
「なんでもないようには、見えなかったけどな」
「本当に、何でもない」
「そ、か」
 どちらともなく歩き出す。寒がりだという甲太郎は、コートの襟をしっかり立てていた。
「そういえば、昨日」
「ああ」
「さっき、神鳳から聞いたんだけど、な。俺じゃない誰かに倒されたって」
「…………」
 昨日、あの場にいたはずの甲太郎からは返事がなかった。けれど、聞いてくれているはず。そう思って、話を続ける。
「話したことあるだろ。育ての親。たぶん、そいつが現れたんだと思う。俺は覚えていなくて……何か、話したか?」
「……いや」
「そうか…」
 あいつと甲太郎が出くわしたら、何を話すのか。見てみたかった気もする。案外、ウマが合いそうな気もするんだが。
「神鳳いわく、俺に憑いているらしい」
 憑いている。その表現がおかしくて、思わず笑ってしまう。フリではなく。
「そんな馬鹿な、って思ったけれど……それでもいいか、とも思う」
 あの遺跡ではもう、何が起きても不思議はない。
「過去のことだとか、幽霊だとか、そういうものに手酷くやられた気がしていたけど、それだけじゃないって思ったら、少し楽になった」
 もう一度、手をかざしてみる、と。
 突然、甲太郎がその手を掴んだ。
「な、んだよ」
 甲太郎は、立ち止まって真っ直ぐ俺を見ていた。シン、と、空気が凍える音がしそうだ。ふと、遺跡でのことを思い出す。トラップに引っかかり、骨を潰したこと。化人に素手で殴りかかり、血まみれにしたこと。どちらの時も、そこには甲太郎がいたんだったか。
 俺は、どうしたらいいか分からず、戸惑いのまま甲太郎を見返す。まだ、生徒は下校している最中だ。こんなところで男二人、端から見ればさぞ奇異なことだろう。
「帰、ろうぜ…早く、」
 突然、甲太郎が、剥き出しの右手を、自らの口元に当てた。
「何……ッ」
「……冷たい」
 はあ、と。息を吐きかけられる。そういえば、トレードマークのアロマパイプが唇にない。けれど、その吐息がラベンダーの匂いをまとっている、そんな錯覚を覚える。
「甲太郎……?」
「帰るぞ」
「あ、ちょ……おい!」
 握られたままの、右手が。なぜか甲太郎のコートのポケットにしまわれている。どういうことだこれは。
「止めろ!何考えてるんだ、」
「これだけ暗けりゃ見えやしねーよ」
「そ、そういう問題じゃ……」
「俺が」
「え?」
「俺が、寒い。だから我慢しろ」
 そう言って歩き出そうとするが、俺はまだ、戸惑ったまま。
 しびれを切らしたのか、甲太郎は怒ったような顔をして言ってのけた。
「離したくない。文句あるか」
「んな……」
 誰かに手を取られたままだと、いざというときに臨戦態勢を取れない、だとか。そもそもこのままだとうまく転がることもできない、だとか。いろいろなことが頭の中を巡るが、甲太郎の眼力には、勝てなかった。
 そもそも、その言葉は宣誓のようだった。俺を通して、まるで、別の何かに言い放つかのような。
 その瞬間、まるで、肩を後ろに引かれるような錯覚に襲われる。動くな、と強い力でその場に留められているかのようだ。甲太郎は、ポケットの中で、殊更強く、手を握る。
 夜が更けていく。俺の呼吸も、甲太郎の呼吸も白い。なぜ、そんな眼をするんだ?怒りと、恐怖と、不安と、……切望。それらを全て、身のうちに押さえ込むかのような。
 もし、それが、俺のせいだというのなら。
「……寮に着いたら、離せよ。こっ恥ずかしい」
 僅かな力で、甲太郎の手を握りかえしてみる。途端に、甲太郎は心底安堵したような、力の抜けた顔(阿呆面と言ってやる)をしてみせた。……クソ、俺はこいつのこの顔に弱い。
 すると、この場に引き留めようとしていたおかしな感触が、ふっと消え去るような気がした。そうして手を引かれるように歩き出し、存外、つないでいる手が温かいことに充足する。口には出さないが。
 その代わり、つらつらと、別に思っていたことを吐き出した。
「寮に、戻ったら」
「ああ、離してやるよ」
「そうじゃない!……夕薙のところに、行こうと思う」
「大和の?ああ、具合はどうなんだ。カウンセラーが保健室にいるってことは、大事ではないんだろう?」
「回復は、したらしい。さっきメールが来ていた。話が、あるんだと」
「……大丈夫なのか?」
 何が、と聞き返そうとして、甲太郎は心配性な上に過保護だから、すべてのことに対して言っているんだと思い当たる。それに、今日は保健室で失態を見せてしまった。
「大丈夫、だ」
「お前の大丈夫は、信用できないからな」
「……いつ、信用をなくすようなことをしたっていうんだ」
「いつってお前、いつもだろうが」
「…………」
 言い返せない。悔しいが。
「とにかく、大丈夫だ。いろいろ、夕薙には言っておきたいこともある。言われる覚悟も、できている」
「言われる?」
「お前のせいで、ってな」
 いや、きっと、夕薙はそんなことは言わない。俺を、許すだろう。今の、素の俺でもそう思うのだから間違いない。そういう男だ。あれは。
「俺も一緒に行ってやろうか」
「馬鹿言え。一人で行かなくてどうする」
「まあ、大和なら心配要らないだろうが、もし何かあったら泣きつきに来い。仇くらいは討ってやる」
「……バカ」
 甲太郎が笑う。それだけで、こちらも少し笑えてくる。
「あ」
「あ?」
「保健室に、忘れ物した」
「なにを」
「双樹からもらった、抱き枕」
「あー、そういや、昼間持ってたな。……双樹から?」
「今から取りに行くか……。いつまでも保健室に置いておくわけには、」
「ダメだ止めとけ。あの女からなんざロクなモンじゃない。どうせよく眠れる匂いがどうとか言ってたんだろうが、信用するな。大体お前は、おかしな者を連中からもらいすぎだろう。これ以上部屋に物を増やす気か?」
「そこまで言われる筋合いはない!」
「お前には抱き枕なんて必要ない。眠れないなら俺が付いててやる。そんなもん、保健室に寄付しろ寄付」
「はァ?」
 何言ってやがる、そう応じようとしたとき、辺りにただならぬ気配が漂っているのを感じた。……この、薔薇の匂いは。
「オーッホホホホ!!」
 マズいヤバい!!振り返って即行、甲太郎の手を振りほどく……バカ離せーーー!!
 すどりん、部活帰りのご様子。アレレ、お嬢様、何部でございましたっけ?てかホント、離してこーたろーさーーーん!男二人でお手手つないで帰ってるとか、特にすどりんにバレたら結構困る!!
「ダーリン、今帰りなのねん♪」
「そ、そそそそうそう」
「ついでにアンタも」
「ふん」
 あー、すどりん、昼間は八千穂ちゃんと、夜は甲太郎と見えない火花を散らしている。この空気、なんとかせねば…!そしてこの状態に気がつかれないうちに撤退したい!!
「すすすどりん、部活、終わったとこ?」
「そうなのよー。そういえばダーリン、アタシ、前から思ってたんだけど~、アナタって、とぉってもいい身体してるわよねェ~」
「え?そ、そうかな、んなことないよ、ほら、背とかもそんなにないし、ムキムキマッチョメンとかでもないし、ね?」
「そんなことない!!惚れ惚れするわァ」
 上っから下っまで、舐めるような視線。甲太郎は、ぎゅうっと手を握ってくる。知らず、俺も、振り払いたいのに握りかえしてしまう。
「その身体を維持するために、相当なトレーニング積んでるんでしょ?」
「トレーニング、ったって、俺、帰宅部だし、夜は、ね、遺跡にいるし、ちゃんと鍛える時間とかはなくて……」
「隠したってダ~メ!」
 じり、じり、と。にじり寄ってくるすどりん。その迫力に、一歩ずつ後退してしまう俺ら。
「それでねッ、アタシからの提案なんだけどォ~」
 な、なんだろ、えまーじぇんしーな、感じ?
「よかったら、アタシと一緒にトレーニングしない?一人よりも二人のほうが効率的だと思うんだけど。ね?ストレッチから筋トレ、走り込み……手取り足取り、組んず解れつ……どうかしらァァ!!」
「九ちゃん、逃げるぞ!!」
 がばァッ!!と、すどりんが飛びかかってくるのを、甲太郎が握っていた手をそのまま掴んで引っ張ったことで回避。間一髪。そのままダッシュ!!
「まあッ!!早速特訓開始!?アタシ、脚には自信があるのよッ!!皆守甲太郎!!ダーリンを捕まえたらアタシがいただくわ!!オカマの脚力見せたるでェェェッ!!」
「ぅ、ぉ、わァァァッ!!」
「こっちだ!!」
 寮の方に回られてしまって、仕方ない、元来た道を逃げる!!すどりん、陸上部だったんだ!!クッソ足速ぇええ!!でも、こっちも体育SSコンビ、意地でも逃げる!!
 でもでもでもでも、ちょ、何で!?すごいスピードなんですけど!!
「追い、つかれる……!!」
「阿呆!追いつかれたら骨までしゃぶられる、隠れるぞッ」
 走ってたら捕まる、そう思ったときだった。
「隊長ッ!!こちらでありマス!!」
「え、ぁ、砲介!?」
 突然、腕を引っ張られて物影に。ちょうど、二人分隠れられるくらいの大きさの。
 さっきの声、砲介だよな、と顔を出そうとすると甲太郎に押し込められる。そうだった。声も出しちゃダメだ。狭い空間で甲太郎と、まるで頭から抱えられるようにして、息を殺す。
 そこへ。
「ダッアリィィィン、どこなのーー!!って、アラ?墨木ちゃん」
「朱堂ドノ、こんなところでどうなさったでありマスかッ」
「ねェ、こっちにダーリンと皆守甲太郎が走ってこなかった?」
「ハッ、お見かけしましたでありマスッ。お二人なら、あちらへ走って行かれたでありマスッ」
「まッ!!ありがと、墨木ちゃん。もォ~、ダーリンたら、逃がさないんだから!!」
 足音と共に、オーッホッホッホ!!という高笑いが去っていく。
 ……助かった。
「隊長、ご無事でありマスかッ」
 物影の向こうから、見慣れたガスマスクがひょいっと顔を出す。嗚呼、砲介が今天使に見えますであります!!
「朱堂ドノは、校庭の方に向かったでありマスッ」
「サンキュー、砲介、助かった」
 ごそごそと、物影から這い出る。……あり?冷蔵庫?ってことは、ここ、粗大ゴミとかも廃棄される廃屋街か。
「お二人とも、お怪我ハ」
「ないない。大丈夫」
「助かったぜ墨木。礼を言う」
 掻い摘んで追いかけられた経緯を説明すると、砲介はぶるっと身を震わせて、逃げ切れて幸いでありマス、って。
「で、砲介は……GUN部の練習?」
「ハッ。というより、自主練でありマスッ。トトドノと肥後ドノにご一緒いただきマシたッ」
「へ?」
 砲介が手に持った無線でなにやら呼びかける。すると、廃屋とおぼしき二棟の建物から、それぞれトトとタイゾーちゃんがこんばんは。あらら、なんだか不思議なメンツ。
 聞けば、お互いに戦闘に関して得手不得手があって(例えば鉄砲マニアな砲介は磁力を操るトトと相性が悪かったり、トトは周りに鉄を含む物がないとタイゾーちゃんの近接攻撃に対応できなかったり)、それを補うためにここで模擬戦闘してたんだって。なんか、……青春?
「なんか、邪魔しちゃったかな。ゴメン」
「いいんでしゅ~。もう真っ暗だから、終わりにしようって言ってたところなんでしゅ」
「そっか、ならよかった」
「ソレヨリ、アノ人ノ毒牙カラ、我ガ王ヲ、守レテヨカタデス」
 ……隊長はまだしも、王とかヤメテ。と言っても、聞いてくれるはずもなく。
「そうだ!九龍くん、もう晩ゴハンは食べたでしゅか~」
「うーん、夕方に弁当食ったから、まだ夕飯って感じじゃないんだよな」
「そうなんでしゅね!ゴハンはいいでしゅよね~。ゴハンを食べると幸せになりましゅね~」
「そだね。しかも聞いてくれ!今日の弁当はカワイーイ女の子からの手作り弁当!!いやー、おいし、」
「手作り弁当だァ?」
 ちょっと、何でそこで甲太郎さん不機嫌な顔すんのさ。いいじゃないさ、俺が誰の弁当食おうが。
「誰からもらったんだそんなの」
「八千穂ちゃん」
「なんだ、あいつか」
「なんだってなんだよ!!せっかく八千穂ちゃんが、」
「まぁまぁ、ケンカはよくないでしゅ!手作りのお弁当、いいでしゅよね?」
「ねー、いいよねー!?」
「今度、ボクも九龍くんのために特製料理作るでしゅ!!」
 拳を突き上げたところで、タイゾーちゃんのお腹がぐーっとなって、みんなでちょっと笑う。そこに、思い出したように砲介が、
「隊長、自分も聞きたいのでありマスガ」
「へい、なんでしょ」
「自分は、銃器の扱いには自信があるのでありマスガッ、戦場における生活技能……サバイバルスキルが正直不得手なのでありマスッ。隊長は、高い生活技能をお持ちでありマスッ。どうやって、技能を磨けばよいと思いマスかッ」
「えー?サバイバルスキル?それって、生き残り戦術とか、料理の腕とか?」
「ハッ。全てにおいて、でありマスッ」
 サバイバルスキルっても、いろいろあるからなー。ジャングルとかで生き残るのと、雪山で生き残るのでは全然方法が違うし、持ち歩くレーションも変わってくるし。でも、まあ、一つ言えることは。
「実戦あるのみ、じゃない?」
「実戦でありマスか……」
「料理は、作らないと覚えないし、サバイバルなんて完全に臨機応変の世界だから、そういう雰囲気とか現場に慣れないと咄嗟の判断できないし。シミュレーションとかもいいけど、実戦でやってみるのが一番おすすめ、かな。もちろん、その前に方法だけは頭に叩き込んでおくけど」
「分かりましたッ。さらに実戦を積んでいくでありマスッ。ありがとうございましたッ」
 ビシッと敬礼。こっちも返してみる。
 三人の訓練は本当に終わるとこだったらしくて、ちょうどいいから一緒に戻ろうか、という話に。といっても、三人は今日の反省会も兼ねて、これからマミーズに行くんだって。仲のよろしいこって。
 すどりんを警戒しながら、やがてマミーズに。手を振った別れ際、トトが胸の前で手を合わせながら言った。
「我ガ王……ファントムノ、事ナノデスガ」
「え?ファントム?」
 飛び出した名前に、首を捻る。どうして突然?
「ボク、前ニ見カケマシタ。彼ハ、少シ普通ト違ウ」
「まあ、あんな仮面付けてるくらいですから」
「仮面、イエ、マルデ《魂》ガフタツアルヨウナ……」
 ドキッ、とした。今日、保健室でルイ先生に言われた言葉。物事の陰陽の話。表と裏が一つになって、形作られる。人間も、そうだ、って。
 俺の表裏も、トトには、そう見えてる?
 けど、俺の内心には気付かず、トトは不安げな眼差しを投げてきた。
「我ガ王ハ、彼が恐ロシクハナイデスカ……?」
 そっか。たぶん、近いうちにヤツと対峙するんだろうな。ファントムも、鍵を探していた。遺跡の深部に近づけば近づくほど、あいつと相まみえる瞬間が迫ってくる。
 知らず、俺は笑っていた。
「我ガ王……?」
「ん?」
「何ダカ楽シソウデス」
「んー、そーねー」
 不思議そうな顔をするトトとほかの連中を見る。うん。楽しい……とは違うけど、一言で言うと。
「望むところだ、かな」
「頼もしいお言葉でありマスッ」
「いえいえ、そんないいもんじゃなくて。ほら、あいつって、たぶんみんなみたいに墓を守ろうとしてるモンじゃないでしょ。どっちかって言えば、俺と同じようなモンなワケで。てことは、思う存分、心置きなくシメていいってことだから」
 二つ心があるっていうのが、引っかかるけど。墓の下でやり合うなら、どの道、両方ともと戦うのがほぼ確定路線。
「ヤパリ、我ガ王ハスゴイ人ナノデス。ボクモ、我ガ王ト一緒ナラキット怖クナイ。ダイジョブデス!!」
 ……そこまで絶賛されるほど、いいことを言った覚えはないですが。
 でも、俺の答えに満足したらしい三人は、手を振ってマミーズへと入っていった。アッサラーム。
 さて、と。
 そういえば、こいつは夕飯をどうする気なのだろうか。
「……で、八千穂はなんでお前に手作り弁当なんか」
「蒸し返すか、その話を」
「答えろ」
 説明しないと面倒な気がして、今日の鏡の件を離して聞かせた。
「それで、弁当をもらったんだ。というより、残飯処理みたいなもんだ。ほかの友だちと新作のパンを食べるからだと。それだけだ」
「なら、いいけどな」
「どういうことだ」
 人には聞いておいて、自分は答えずか。ったく、どういう神経しているんだか。というか、無駄な時間を食ったせいで、双樹との約束まで時間があまりない。夕薙の部屋にも、行かないといけない。神鳳にも錫杖を届けなければ。
「甲太郎、早く戻るぞ。やることがほかにもあ…る、って」
 まただ。
 今度は、手首の辺りを掴まれる。今日のこいつは、何かおかしい。自分がテンパっていたせいで気付かなかったが、昼間、保健室でも様子が変だった。
「手が、どうしたっていうんだよ」
「寮までって約束だ」
「すぐそこだろ」
「いいから」
 ……仕方ない。気の済むまで、握らせといてやる。今度はつなぐ、というより掴まれているため、ほかの連中によしんば見られたとしても言い訳がきく。と、いうことにして諦めた。甲太郎に引かれるように、歩く。
「甲太郎」
「ん?」
「何か、あったのか」
「何が」
「人のこと言えた義理じゃないが、お前も、たいがい様子がおかしい」
「そうか?」
「そうだろ?気がかりなことでもあるのか?」
「別に」
 俺がそういう言い回しをすると嫌がるくせに、自分はそれか。
 何も隠すな。そう言いながら、自分は全てを隠してしまう。甲太郎のことは何もかも信用しているが、……何もかも、知らなすぎるのは、少しばかり不安だ。
 それを口に出したところで、きっと困らせるだけ。そこまでする気はないし、俺に見せたくないなら、隠しておけばいい。
 俺は、甲太郎が提示したままの甲太郎を受け入れる。それだけだ。
 マミーズから寮までは直線で、すぐ。甲太郎が、立ち止まった。
「ほら、着いた。離せよ」
 ひらひらと、掴まれたまま手のひらを振る。視線が、それを追う。
「離さないと、いけないんだな」
「何言ってんだ。そう言ったろ。大体、離さなければどうしようもないだろ。部屋も別だ」
「……そう。そう、だよな」
 俺は、離すんだ。
 まるで、自分に言い聞かせるように、甲太郎が呟く。
 何のことか、俺には、さっぱり理解できない。悪かった、何でもない。早く行こうぜ。そんなふうに促されても、釈然としない気持ちだけが残る。
 先を行く背中を見ながら、もしかすると、と考える。
 俺は、甲太郎を信用している。けれど、甲太郎は俺を信用していないんじゃないか。だから、何も話せない。話さない。
 だとしたら、俺は、どうすればいいのか。……自分が信じている人間に、信じられていない。そんな経験は、今までの人生の中で一度もない。答えは、知らない。甲太郎も教えてはくれないだろう。ならば、俺だけが甲太郎を信じて、その言葉に従っていればいい。
 どこにも行くな。そのままでいろ。
 それでいいと、言った。
 離れた腕には、まだ微かな温度が残る。消えていくそれに、縋り付くように手を重ねてみた。
 甲太郎には、見られないように、そっと。