風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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11th.Discovery ねらわれた学園 - 2 -

 笑っているのは、あいつの真似。
 ただの真似事。
 だから、内面が違うのは、どうしようもないことなのだ。
 俺が笑ったからって、あいつみたいにいつも強くはいられないし、迷うし、悩むし、苦しい。それでも、表層だけは真似できているつもりだった。少なくとも、この學園に来てからしばらくは、外面と深層の遊離は少なかったと思う。
 ……今はもう、俺の本心が、この學園の色々な物事に引きずられ出している。
 甲太郎は、甲太郎だけが、それを許容してくれている。俺は、その言葉だけを頼りにどうにか日々を過ごしている。けれど、夜毎、自分の見たくもない本性を突きつけられる。自分を、暴かれているような気分になる。誰も、俺の、こんな本性には興味がないというのに、俺だけが意識過剰に自分を忌む。
 俺は、……あいつを理解したくて、想っていたくて、ずっと笑っているようになったけれど、根本の出来は全く違うものなのだ。どんなにあいつを求めても、なれない。

*  *  *

 教室に入っても、落ちた気分はなかなか元に戻らず。
 午前中は、ずーっと思考の泥沼をぷーかぷか。テンション上げなきゃと分かってはいるものの、ちっとも上がんない。授業中に当てられても「ハバキ死んでまーす」で押し通し、キレた先生から課題を申し付けられましたとさ。
 鬱陶しい悩みは食欲減退の元。タコ焼きは食った直後に便所で吐いてそれからなんも食ってないのに、昼休みになってもまったく腹など減らず、騒がしい教室にいる気にもなんなかったから廊下へ出る。仕方ない、課題、取りに行きますか。
 あーあーあーん、なんて、呻りながら歩いていると、おっと、A組教室前で美女発見。物憂げな顔してるところがまた魅力的。
「よ、ねーさん」
「あら、九龍」
「なんか、横顔に哀愁漂ってましたがね」
「そぉ?」
 そんなことないわよ、という双樹姐さんだったが、明らかに覇気がない。これが私よおーほほほ、ってなオーラが普段はあるのに。
 俺が変な顔をしたのが分かったのだろうか、姐さんは絶妙な困り顔をしてみせた。この顔で「困ってるの」と言われたら、男は逆らわずに、要望も聞かず、「うん分かった!」って言っちゃうこと間違いなし。
 そして姐さんは言うのでした。
「ねェ、九龍、あなたを腕の立つ《宝探し屋》と見込んでお願いがあるの」
「うん、分かった!」
「……そんなに安請け合いしていいの?」
 いいも何も、断れる男はいませんぜ。
「俺ができることならどんと来いですよ」
 まあ、すっごいゴージャスな見かけの姐さんだけど、中身はバディの中でも一、二の常識人だ。しかも《宝探し屋》と前置きされているんだから、それほどすっ飛んだ願いでもないでしょう。
「じゃあ……あの伝説の《秘薬》を手に入れてきてはもらえないかしら?」
「伝説の、秘薬?」
「それを使われた者は、使った者に無条件に恋をしてしまうという、あの《秘薬》を……」
「はい?」
 俺は、今度こそ相当間抜けな顔をしたはずだ。
 だって、惚れ薬、って。姐さんにとって、一番必要ないもんじゃないの?姐さんがにっこり笑ってお誘いすれば、どんな男も……ああ、コロッといかなそうなのがいるな、一人。
「実は……あたしね、振り向かせたい人がいるの。でも……このあたしの魅力をもってしても、全ッ然、手応えなし。その人は、ちっともこっちを見てはくれない……」
「姐さん……」
「邪道だとは思っているのよ。でも―――あたしは、その人が他の女に心を奪われることを想像するだけで、怖いの」
 恋する姐さん。なーんか、可愛いなあ。こんなにも想われている御仁にも心当たりがあることだし、姐さん、めっちゃ真剣だし、ここは一肌脱いでおかなきゃ男が廃りますがな。
「わーった、了解」
「本当!?」
「ただし、俺が持ってくるのが本当に伝説の《秘薬》かどうか、確証はないよ?ただ、あの遺跡の中で採れるものを配合すると、そういうものができそうだっていうだけであって……」
「それでもいい、お願い!」
 へいへい、合点。確か、混ぜて作るまでもなく、遺跡からゲットレしたものが部屋にあったはず。H.A.N.Tの照合でも有害物質無しって判定が出たから、誰かに飲ませても大丈夫デショ。
 すぐに戻る、そう告げてその場を後にする。今から取ってくればすぐだし、昼休みは始まったばかりだし。
 とんとん階段を降りて玄関に向かう途中、そういえばと課題のことを思い出す。
 職員室に寄り道することにして中を覗いてみると、ちょうど出ようとしていた雛川センセに出くわす。
「葉佩君?」
「あ、雛川センセ」
「ちょうどよかったわ。預かりものをしていたのよ。ハイ、これ」
 手渡されたのは数枚のプリント。うわ、なんかの問題集をコピーしたらしいよ。
「課題ですって。もう、居眠りでもしていたの?」
「……そんなようなところで…」
「ダメよ?授業はちゃんと受けなきゃ」
 めっ、と雛川センセらしい可愛い叱責。俺はやに下がりながら、はーいと間延びした返事をしておく。
 先生は満足そうによろしい、と頷いた後、唐突に何かを思い出したように持っていた参考書の類をあさり始めた。
「ね、葉佩君。ちょっとアンケートに協力してもらいたいんだけれど」
「ハイ?」
「あなたにとって、一番興味があるのはこの中でどれかしら?」
 差し出されたのは、古文、言語学、受験対策の参考書。うーん、この中だったら……、
「言語学、っすかねぇ」
「まあ、そうなの?」
「俺にとっちゃ、日本語、ムツカシイデース、だし」
「確かに『言語』って、日常生活の中で自然に、かつ無意識に使われているけれど、いざ勉強してみようとすると、実はとても奥が深くて研究のし甲斐があるのよね」
 そうそう。俺だって、色んな国の色んな言語を話すことはできるけれども、それってその国で過ごすことで身に付いた『生言語』。だから、きちんとした言葉っていうのを喋ることができない。
 ていう意味では、やっぱり言語学をちゃんとやってみたいかな。
「……そうね、もう少し、カリキュラムに取り込んでみてもいいかもしれないわね。ありがとう、葉佩君。参考になったわ」
「いいえー。あ、でも、今俺ら三年じゃないっすか。他のヤツらに聞けば、受験勉強がいいって言いいそうっすよね」
「そんなことないよ!」
 あら八千穂ちゃん。両手にプリントと参考書持って……そういえば、彼女も授業中トチりっぱなしで、召集を食らったんだったっけ。
「あたしは受験勉強より、もっともっと違うことを学びたいと思うよ。知識だけじゃつまらないし、勉強も嫌いになっちゃいそうだし」
「八千穂さん……」
「だからヒナ先生、受験勉強だけじゃなくて、色んなことを授業でやってくださいね!」
 雛川センセをひとしきり感動させて、俺と八千穂ちゃんは職員室を出た。
「……受験勉強云々もいいけど、俺らはまず、この課題を片付けないとなんだよねー」
「ホントだね……」
「八千穂ちゃん、今日ずーっとシオシオだったけど、大丈夫?」
 今も、どよーんと影をしょっている。ついでにはーはー溜息ついて、やっぱこれって、朝のメールの件が原因かね?朝練は、元気にやっているように見えたんだけど。
「……鏡が割れるのってさ、なんか不吉だよね?」
 あ、やっぱり。
「今日一日大人しくしてろってことなのかなあ……」
「いやー、大人しい八千穂ちゃんなんてなんか大変でしょー」
「でもさー……」
 で、また「はァ」ですよ。あんまりにしおれているもんだから、その様子に思わず笑っちゃうと、八千穂ちゃんはむーっとジト目でこっちを見てくる。
 いけないいけない。機嫌を損ねないうちに、
「ええと、そんなアナタに貢ぎ物です」
 鏡の中に忍ばせておいた鏡をプレゼントフォーユー。
「えッ……これって、新しい鏡!?」
「古いけど、まだ使えると思うんだ」
「もらってもいいの……?」
「貢ぎ物ですもの」
 手渡すと、八千穂ちゃんはそれをしっかり胸に抱きしめる。その仕草が可愛いったらない。
「ありがとう、すっごく嬉しい……。九チャンがくれたこの鏡……あたし、ずっと大事にするよ」
「えーえー、喜んでもらえたならよかった」
「あ、そうだッ」
 持っていた荷物を何やらごそごそ。取り出したのは、ずいぶんと可愛らしい包みだった。
「これ……よかったら、食べて」
「何、これ?」
「お、お弁当……」
「八千穂ちゃんが?って、いいの?もらって。八千穂ちゃんが食べる分じゃねーの?」
「と思ったんだけど、新作パンが出てたから友だちがそれ買って待ってるんだ。だから、どうぞ」
 あ、要は残飯処理なわけですか。でも、八千穂ちゃんの手作りなら喜ん、で……あれ?八千穂サン?家庭科……お得意、でしたっけ?
「九チャンの口にあうといいんだけど」
「う、うん、ありがと!昼飯食ってないから、ありがたく、いただきます」
 例え、どんな素っ頓狂な味だろうと、おいしく食してみせますよ!
 グッと親指を突き出して、覚悟完了。ありがとうとお礼を言うと、八千穂ちゃんはニコニコしながら手を振って、廊下をぱたぱた駆けていった。
 いい、笑顔。嘘なんか微塵もにじまなそうな、笑顔。
 また、顔がこわばりそうになって、喉が鳴る。ダメだ、ダメダメ。まだ学校内。そうだ、早く、ねーさんに進呈するブツを取って来なきゃ。
 外は、マミーズで昼飯を食おうとする生徒が行き交っている。通り過ぎるとき、微かに漂ってきたカレーの臭いにも俺の胃袋は反応せず。スルーして、寮へと向かう。
 さすがに昼休みに寮に戻る人間はそうそういないらしく、閑散とした感じ。自分の部屋に向かおうとして……ダンナの部屋の前で、立ち止まる。
 人の気配。動いてはないみたいだ。ルイ先生は、いないっぽい。
 まだ、起きていないのかな、ダンナ。
 寄ろうとして……止めた。何を言えばいいか分からないし、合わせる顔がない。
 意気地なし。自分でもそう思うけど、頭の中の『お前のせいだ』という声からは逃げられそうもない。あいつなら、というか、あいつには、こんな声聞こえないんだろうな。良心の呵責とか?あいつに良心はあっても、それを発揮しなかったからといって後悔に苛まれることなんてない。
 俺には良心なんてないだろうけど、行動した後に後悔して悔やむなんてのはしょっちゅう。
 この性格、ホント嫌だわ。
 鬱々とした気分で自分の部屋まで戻り、お姫様に渡すものを探す。惚れ薬…こりゃ、飲んで本当に惚れるかどうかの確証はまったく無い。ま、こういうのってある意味気休めだし、もしこれで姐さんと会長がラヴラヴになればそれはそれで万々歳。
 見つけたそれを、割れないように二連ポウチにしまい、寮を出る。
 そうして校舎に戻る、途中。
 耳元で、バリバリっと空気の裂けるような音のする、錯覚。
 反射的に上を見ると、……目が合った。
 時計台の窓から、にこやかにこちらを見下ろす喪部の、殺気立った視線。
 無視するかどうか、僅かに逡巡したものの、俺の足はふらりと時計台に向かっていた。
 階段を一段一段上がるたび、笑顔の仮面が引き剥がれ、本性が顔を出す。張りつめる空気と緊張感。―――まるで、命を奪い合う瞬間のような。
 痛々しい。そして、嫌気がさす、それなのに、自分を剥き出しにしてもいいという安堵と高揚。同じ者がこの學園にもいる。
「やァ、葉佩」
 白岐の閉じこめられていた部屋から、喪部は下を覗いていた。俺を認めると、口元にだけ笑いを張り付かせて振り返る。
「よく気付いてくれたね、ボクの視線に」
「……異端だからな。お互い」
「ハハッ、やっぱりキミはいいねぇ」
 粘っついた口調が気に障る。俺の指は、無意識に隠した銃を探っていた。こいつの前に立つといつもそうだ。本能が、殺せと呻っているに違いない。
 早く『殺せる』理由が訪れないか、頭の隅で考える。
「こうして高い場所から地上を見下ろすと―――下を歩く人間が、まるで地べたを這う蟻のように見えてこないかい?」
「そういや、あったな。人がゴミのようだってくだらないセリフが」
「ほう―――そんな答えを返してくるとは、正直意外だったよ。キミには素質があるよ。ボクの同志達と同じ素質が、ね」
 そりゃ、あるだろうよ。人殺しなんざ、どこまで行ってもとどのつまりは同じこと。こいつが何者かは知らないが、同属であることに何の疑いも持ってはいない。だからこそ、こんなに、戦闘態勢に入ったまま気持ちだけは楽なのだ。
「聞きたいことがある」
「何だい?」
「あんたは……俺が何なのか、いつから知っている」
 喪部が、爬虫類のような毒々しさで嗤う。まるで、それを聞かれることを待っていたとでもいうような薄ら寒さ。
「葉佩、九龍……。おそらくは、キミが思っている以上にキミの名は有名だよ。『こちら側』ではね」
「…………」
「いや、語弊があるかな。流布されている噂は、キミの存在であって名ではない。キミの名前を知る者はほとんどいないだろうからね。ボクだって、名前を知ったのはつい最近だ」
 当たり前だ。この仕事に就くまで、自分の本名など名乗ることはなかったのだから。喪部は、つまるところ、本名を知る前から俺のことを知っていたと言いたいのだろう。
 互いに、互いの正体を探る。喪部は、いつ俺が尻尾を出すか、俺は、奴がどこまで何を知っているか。
「キミのことは誰もが知っている。そして―――その数だけ、キミは殺意の対象だ」
 ……またか。
 いつもなら鼻で笑って済ませるが、今日ばかりはタイミングが悪すぎる。目の端が動くのは、自分でも分かった。それを目敏く見つけた喪部の眼は、大層愉快げに歪んでいた。
「この、退屈な安寧に溺れた場所でキミが生きていけるのか、ボクは心配で仕方ないよ。……ククッ」
「その言葉をそっくりそのまま返してやる」
 吐き捨てついでに舌打ちを残し、時計塔を降りようとして、足を止める。最近覚えたばかりの慣用句が頭をよぎったからだ。
「喪部、この国にはな、いい格言がひとつあるんだ。……なんとかと煙は高いところが好き、ってな」
 その時の喪部の顔は見なかった。代わりに背中の向こうから強烈な悪気が飛んでくる。考えてみれば、屋上に時計台に、こいつがいるのは高い場所ばかり。そこから他人を見下すようなことばかり言っているのだから、まさに、だ。
 とはいえ、それと同属ということは俺も大概馬鹿なのだろうな、と自嘲する。
 しばらくは仏頂面のまま歩いていたものの、周りに人が増えてくればそうもいかない。葉佩九龍こそ、馬鹿のようにへらへら笑っていなければ。

*  *  *

「ねえっさーん、いますかー?」
 3-Aの教室入り口から、燃えるような赤い髪を探す。双樹姐さんは、俺に気がつくと片手を上げて近づいてきた。
「九龍……あの、」
「お待たせいたしました。ご所望のお品は、こちらでよろしいでしょうか?」
 ポウチから媚薬を取り出す。
「これが、あの伝説の《秘薬》……」
 姐さんは、怖々とした様子でそれを受け取り、蓋を開ける。鼻を近づけて手で仰いで、臭いを確かめてる。俺には分からない匂いがあるんだろうか。
「……ありがとう、九龍。さすが、あたしの見込んだ人だわ」
「あ、ホンモノだった?お眼鏡にかなって光栄ですじゃ」
 姐さんは、例えようもないほど綺麗な眼で、妖しげに笑う。さっきまでの、ちょっと不安そうな様子とは大違い。
「あたしはね―――たとえ、邪道だと分かっていても、これを使うつもりよ」
 まさに、捕食者。ぎらりと光るのは、雌豹のそれ。狙われたら逃げられなさそう。
 これじゃ、カイチョの行く末も……推して知るべし。
「絶対……逃がさないんだから」
「……さ、さいですか」
 怖ぇー!女の子、怖ぇー!!
 媚薬をぐっと握りしめた姐さんの前からさっさと撤退しようと、踵を返しかけたとき。
「……っと、大切なことを忘れていたわ。ちょっと待ってて、お礼を持ってくるから」
「イエイエイエイエ、そそそんなの結構ですからッ!!お構いなくー……」
 って言っている間に、姐さんはさっさとロッカーから何かを取り出す……えぇッ?
「ハイ、これがお礼よ♪」
「……………わぉ」
 手渡されたのは、特大サイズの抱き枕。ほのかにいい香りが漂ってくるんだけど……だけど、こ、これをどないせーっちゅーねん……。だって、いやこれ、俺の身長と同じくらいあるよ?
「特製のハーブを入れた枕なの。きっとすてきな夢を見ることができるわ」
「あ、ありがとう、とてもとても嬉しいですー」
 大事に使ってね、と言い残し、颯爽と教室に戻る姐さん。弁当と抱き枕を抱えて、途方に暮れる俺。これはもう、昼飯食って昼寝しろってことだよね?そうだよね?そうじゃなくても、弁当はともかく、でかい枕は目立つ目立つ。今から寮に置きに行く暇はないし、枕があってもおかしくない場所、ということで、とりあえず保健室にゴーしてみましょうか。
 周りからじろじろと見られながら一階へ。保健室の前へ行くと、鎌治が出てくるところだった。
「お、鎌治ー」
「はっちゃん」
 ……いや、もう、何にも言わないけどさ。九チャンだろうがはっちゃんだろうが、もう何でもいいけどさ。
「い、今から教室戻るとこ?」
「うん。午前中、ちょっと頭痛がしてね。もう大丈夫だから戻ろうかと思ったんだ」
「そっか。あ、中にルイ先生いる?」
「さっきまでいたんだけど、どこかに行っちゃったな。先生に用だった?」
「いんや、そういうわけじゃないんだけど……これ、置かせてもらおうかなーって」
 抱き枕を掲げてみせると、「それどうしたの?」という反応。至極真っ当だよね。
「双樹のねーさんにもらったんだ」
「そうか……。よかった」
「何が?」
「はっちゃんが調子悪いんじゃなくて。……昨晩、夕薙君も体調崩したっていうし……」
「……ん」
「夕薙君は、大丈夫なのかい?」
「先生がこっち戻ったってことは、大丈夫なんだと思う」
 鎌治は、よかったと微笑んだ後、けれど顔に不安を滲ませる。
「ここ最近、なんだか寒気がするんだよ」
「寒気?」
「外気による寒気じゃない。なんて言ったらいいんだろう。そう―――心の奥底が、少しずつじわじわ凍りついていくような、そんな寒さなんだ」
 まるで、心中、見透かされたような気がしてゾッとした。
 それって、俺が感じているものと、同じもの?
 遺跡の階層が深くなればなるほど、自分自身が暴かれていくような気配。必死で保ってきたはずのものが崩れていく感触。大火傷しそうなほど冷たい気配は、じわじわと俺を蝕んでいる。さらされているのが辛くて、苦しくて、気がつくと逃げ出そうとしている。
「僕はこの寒さに覚えがある。これは……あの頃の、あの《遺跡》に囚われていたころ、感じていた寒さだ。はっちゃん、君はこの寒さに囚われないよう、十分気をつけるんだよ」
「そ、だね」
 頷いて、みせるけど。
 もうすでに囚われてしまっている場合は、一体どうしたらいいんだろうか。
「フフッ、君のように暖かい気持ちを持っている人ならきっと大丈夫だね。……安心したよ」
 嘘をつくのももうしんどい。笑ってるのももう限界。
 俺は何でこんなに、追い詰められちゃっているのでしょうか?
 鎌治が手を振って去っていくのを見送りながら、焦燥感でメタメタになっているのを自覚。お前さえ、いなければ。俺の、せいで。
 もしかして、俺はここまで生きてくる間に、少しずつ後悔を溜め込んでいたのかもしれない。
 ……そんなもん、してないはず、だったのにな。
 抱き枕を抱え直して、保健室のドアをがらり。先生がいないなら、俺がベッドを独占できるかな、と思いきや。
 ―――先客が、いた。
 考えてみれば、鎌治が勝手に保健室を無人にするはずがないし、誰かがいるってのは考え得ることだったんだけど。
 その姿を見て、俺は、夕薙のダウンからこっち、ずっと背負い込んできた仄暗い後ろめたさがすっと引いていくのを感じた。同時に、頭の中の声も、止む。
 窓際に立って、外を見ていた甲太郎は、物音に気付いたのだろう、肩越しにこちらを振り返った。口元にアロマパイプを咥え、気怠げに細められていた眼が、柔らかく変化するのが分かった。
「よう、九龍。俺に会いにでも来たのか?」
 冗談めかして、眦を下げるその笑顔が。
 俺を俺として、唯一、許容する。
 その荷物、どうしたんだよ、と言葉が投げかけられ、身体ごと振り返ろうとする瞬間、今まで堪えていたものが一気に決壊し、暴走。気がついたら、背に思い切りヘッドバッドを見舞っていた。
「お、おい、九龍?」
 何も言わずにしがみついた俺を怪訝に思ったのか、背中からは困惑したような気配が伝わってくる。苦笑なのか溜息なのか、ラベンダーの吐息が漏れるのが分かった。
「九龍?」
「……」
「九龍」
「…………」
「九龍」
「……なんだよ」
「そっち、向くぞ」
「向くな」
「阿呆」
 表情は見えない。けれど、口ぶりからして、きっと呆れ返っているのだろう。けれど、身動いでこちらを振り返った甲太郎の顔は、存外だった。
「な、ん、だよ……」
 切羽詰まる、一歩手前とでも言おうか。何かを確かめたいような、心配しているような、訝しがっているような。真っ直ぐ、俺を覗いてくる眼。あまりの直視に、こっちもただただ見返すしかない。
「九龍、だよな」
「何、言ってんだよ」
「いや……なんでもない」
 なんでもないんだ、と自答するように頷き、おもむろに俺の頭を抱え込む。何すんだ、と言いかけると、たたみ込むように、
「今日は、大丈夫なのか」
「大丈夫って、何がだよ」
「………昨日は、ずいぶん辛そうだったから」
「あれは……もう、いい」
「そうか」
 答えて、その後、不安になる。俺が夕薙と戦った時、甲太郎はあの場にいた。そこから、すべてを見ていた。もし、そこで見た俺の姿が、様子がおかしい原因だとしたら?
 いや、普通に考えれば、あの時の俺は異常そのものだった。甲太郎でなくとも、困惑するのは分かる。おかしなものを目の当たりにして、それでもいつも通り隣にいてくれ、耐えてくれなど、甲太郎に言えるはずもない。
 それなのに、みっともなく縋りついている自分に、自然と自嘲が湧いて出て、密着していた身体に空間を作る。
「悪い。ちょっと、どうかして……ッ」
 離れようとしたのを、許さなかったのは甲太郎の方だった。俺が引こうとするよりも強い力で、自分の元へと引き寄せる。
「どうかしてるのは今更だし、お互い様だ」
「おい!っ、と、苦し…」
「どうかしてようが、狂ってようが、それはいい。でも、」
 言葉の最後に、甲太郎が何かを囁いた。あまりにも小さく、ささやかな声で、その言葉が何だったか、聞き取ることができなかった。ただ、酷く切実な懇願のにおいがして、俺は返事もできずに立ちすくむ。
 保健室に落ちてきた無音は、しばらくそこに漂っていた。
 甲太郎が、なぜだか泣き出しそうな気がして、俺はといえばこういうときどうするべきなのかまったく分からず、かといって何もしないわけにもいかない気がして、間抜けにも弁当と枕を持ったまま甲太郎の上着を掴んでいた腕を、その背中に回してみる。
 そういえば、俺が最底辺まで下降したとき、あいつがよく、あやすようにしてくれたんだったか、と薄らぼんやりと思い出していた。
「九龍」
「……ん」
 唐突に、甲太郎の腕の力が弱まった。
「お前……大切なものを無くしたことが、あるよな……」
「…………ああ」
「もし、も、だ」
「ん……」
「失ったものと、同じくらい大切なものを、もう一度手に入れたとして……また、無くしたら……どうする」
 さらに唐突に、そんなことを聞いてくる。
 昨日、遺跡でも同じようなことを聞かれた気がする。信じている人間に、手を振りほどかれたら、どうする?と。今日は、それよりもなお、重苦しい問いかけだった。
 ……あいつと、同じくらいに大切に思える誰かが現れて、また、あの時のように殺し合ったりする?
 そんなことになったら、そのときは。
「今度こそ、諦めるだろうな」
 なぜだか、俺がそう呟いた瞬間、甲太郎の身体が僅かばかり硬直した気がした。
「きっと、俺は失うことしかできないんだろうから、二度と、手に入れようとは思わない」
 手を離す、それだけなら、まだいい。ただの別れで済むから。
 でも、そうだ。もしも、甲太郎と、そういう羽目になったとしたら。
 夕薙が相手になっただけで、こんなにも崩れてしまったもろい精神だ。甲太郎だったら、きっと、その場で俺は。
「けど、失うことからは、逃げると思う」
「………」
「俺がいることで、その、誰かが失われるなら……」
 俺が、消えてしまえばいいだけのこと。
 辛うじて飲み込んだ言葉を、甲太郎は理解してしまったのだろうか。驚愕のような、半ば、絶望したかのような、色のない顔をしている。
 そして、自分が投げてきたこの問答を振り払うかのように、俯いて首を振った。
「その……変なこと聞いて、悪かったな。ま、何にしろ大した事じゃない。……忘れてくれ」
 忘れてくれ、と言われてしまえば、追求することもできない。一体、甲太郎に何が起こっていたのか、問いかけようとした、俺の背に。
「話は終わったか、おふたりさん」
 からかうような、責めるような声が突き刺さった。
 保健室の主、参上。コンマで俺は甲太郎を吹っ飛ばし、こんな間抜けな現場を見られたという事実に盛大に赤面しながらルイ先生に振り返った。
 ……嗚呼、その扉は、一体いつ頃から半開きに。
「いくら人目に付かない場所だからと言って、保健室というのは生徒同士がラブシーンをするためにあるわけではないんだが」
「ですよねですよねそうですよねー!!いやいや、別に今のはそういったことではまったくなく、ええ!」
 分かっておりますともー!と、わざとらしい笑顔を作ってみせると、扉に片手をかけているルイ先生からも、非常にわざとらしい、にやっという笑いが返ってきた。
「そうだろうとも。ここは、体調不良者の城だからね。まあ、精神不調者でもいいんだが。で?君たちはカウンセリングでもお望みかい?」
「チッ」
 俺が、何かを答えようとするよりも早く、舌打ちをかました甲太郎が、俺とルイ先生の横を通り抜けていく。や、ルイ先生とすれ違う瞬間、二人がなにやら視線を送りあったのがここからでも分かった。何だろう。意味深。
 そうして、さっさと甲太郎が出て行った後、ルイ先生は盛大に笑い出すのでした。
「おもしろいな、あの子は」
「……はァ」
 甲太郎のこと、面白いって笑って言ってのけられるのって、ルイ先生とダンナくらいなものだと思うヨ……。
「で、今のは何だったんっすか」
「あれかい?いや、盛大に睨み付けられただけだ。よっぽど邪魔されたのが気にくわなかったんだろうな」
「んな阿呆な!」
 ルイ先生の、その笑いは、完全にからかってるときのそれですがな。事実、俺を見て、また笑ってるし。
「それで?君の本件は何だったんだ?まさか本当に皆守といちゃつくためじゃないんだろう?」
「ったりめーっすよ!!てか、今のもいちゃついてたのと違うし!!」
「ははははは」
 だ、ダメだ!完全にペースにはまってる!!
「そうじゃなくて!俺はただただサボりぶっこきに、……じゃなくて!ちょっと、この荷物を置かせてもらおうかと思いまして……」
「そういえば、どうしたんだ、その抱き枕は。ずいぶんといい匂いがしているようだが」
「双樹姐さんに、ちょっと頼まれ事をしてそのお礼にいただきました。安眠抱き枕だそうで」
「ほぅ。彼女らしいな。君にぴったりじゃないか」
 だが持ち歩くにはちとデカいですぜ。てか姐さん、まさかこれ常備してるんじゃあるまいか?
「てなわけで、今日の帰りまで、これ、ここに置かせてもらえませんかね?もうすぐ午後の授業始まっちゃうし」
「ああ。構わないよ。……その代わりと言っちゃなんだが」
「へい、何でしょう」
「私の頼まれ事も、一つ聞いてはもらえないか?君にしか頼めないようなことなんだが」
「俺にしか?何でしょ?」
 これで、アムロさんが心底鬱陶しいから消してくれ、とかだったら笑うよ。
「実は、子どもの頃から愛用していた《八卦碑》にヒビが入ってしまって、色々と難儀しているんだ」
ルイ先生が目をやったデスクの上。そこに置かれていたのは、確かに八卦碑。古代中国(日本でも、かな?)の卜占や易には欠かせない道具。厄除けとしても使われているもの。けれど、ルイ先生の言葉通り、縦に大きくひびが入ってる。
「あー……。そりゃ、一般人にはどうにもできませんな」
「だろう?縁起物でもあるから、このまま使い続けるわけにもいかない。そこで相談なのだが……もし、君が《八卦碑》を持っていたら、私に譲ってはもらえないだろうか?」
 八卦碑……、確か、タンスの奥に放り込んであったはず。協会にも渡してないと思う。もちろん、俺には卜術やら巫術の心得はないので、差し上げてしまってノープロブレム。
「じゃあ、用意しておきます。すぐに必要ですか?」
「いや、そうだな……君が、この學園にいる間にもらえればいい」
「何すかそれ」
「気長に待つよ、ということだ」
 気長……ね。そんなに長く、いるんだろうかね俺は。
「おっと、チャイムが鳴っているぞ。早く戻った方がいい」
「はい。……っと、先生」
「何だ?」
 保健室を出ようとして、けれど、このまま出て行くわけにはいかないと、思い直す。
「その……朝の、その……」
「夕薙かい?」
「…………」
 コンコン、と、ルイ先生は灰皿の縁で優しく煙管を鳴らす。俺は、チャイムの余韻を耳の奥に感じながら、どう返事をしていいものやら。
「大丈夫だよ。もう落ち着いて、少しだが食事も取れた。安心しなさい」
「そ……ですか」
「詳しくは、また後で話そう。とにかく、学生の本分は勉強だ」
「……はい」
 ルイ先生の笑顔に見送られて保健室を出てからも、身体の奥の方に小さなとげが刺さったまま。ささくれ立って取れそうにないそれは、一体、どう扱えばいいのやら。
 俺もおかしけりゃ甲太郎もおかしい。
 おかしい理由を聞いてみたいけれど……怖いから、やっぱり、聞けない。