風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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11th.Discovery ねらわれた学園 - 5 -

 甲太郎と別れて、みっちゃん渡し用の錫杖を持って、今、夕薙の部屋の、ドアの前。
 深く深ぁく、呼吸をする。
 心を決めて、ノック。
「はい」
「あ……ダンナ?」
 声をかけると、名乗る前にドアが開いた。
「来たか、九龍」
 いつも通り。笑顔。
 だけど、やっぱりちょっと、やつれたような気がする。
「入ってくれ」
「う、ん」
 招かれて、今朝ぶりの部屋にお邪魔する。整理されていて、余計な物が少ない部屋。生活感が、すごく薄い。夕薙が、この學園を仮の場所と決めているのが分かるような。
 そこに座っててくれ、って椅子を促されて、ダンナはそのまま奥に引っ込む。
「九龍、コーヒーでいいか?インスタントで悪いんだが」
「あ、うん。あんがと」
 カチャカチャと食器の鳴る音。そのほかには沈黙しかない、ってのがどうにもいたたまれなくて、背中に声を掛けた。
「身体は、どう?」
「この通り。もう大丈夫だ」
「……そっか」
 湯気を立てるカップを二つ持って登場したダンナは、一つを俺に手渡し、自分はベッドに座る。
「ハハ、俺の大丈夫は、本当に大丈夫だ。君みたいに無理をしたりはしていないよ」
「俺だって別に!大丈夫なときしかそう、言ってないし…」
「ダウト」
 悪戯っぽく言われて、危うくコーヒー吹くとこだった。俺があわあわするのが面白いのか、いつも通りの大人びた微笑みを浮かべて、ダンナがひと息。ふうっと嘆息した。
「来てもらって、悪かったな」
「んなの、全然……俺も、来なきゃって、思ってたし」
「そうか」
 そう。呼ばれたからじゃない。俺は、ここに来なければいけなかったんだ。ちゃんと伝えておかないといけないことがある。
「昨日のこと。本当に、ゴメン。申し訳なかったって思ってる。それを、言いにきたんだ」
「ちょっと待て九龍、それは、」
「プロだから、コレは仕事で、俺はこなさなければいけないんだけど。それって、誰かの命と引き替えにできるもんじゃなかったんだ。たぶん、俺がダンナの立場だったらほとんど絶望していると思う。それも考えられないで頭に血が上って、俺、」
「ストップ、ちょっと待ってくれ」
「お詫びに何ができるかって考えたん、」
「ハイ。そこまでだ」
 強制終了、とでもいうかのように、ダンナに口をふさがれた。大きな手。俺の顔なんて、覆ってしまえそうなほど。
「まったく、君ってやつは…」
「んぐ…」
「あのな、九龍。昨日のことは、……全面的に、俺が悪い」
「んーんー!」
「大人しくしなさい。俺にも謝るチャンスぐらいくれ。な?」
「………」
「はい。で、どこまで言ったんだったかな?ああ、そうそう、だから、君が謝る必要は全くない。俺は、君が《宝探し屋》だってことを知った上で、情報を探り、利用し、裏切ったんだ」
「…………」
「聞いたよな?俺のことを信じているか、って。君は迷うことなく『信じている』と答えてくれた。その信頼を、裏切った。本当にすまなかった。許してもらえるようなことではないと思う。ただ……償いは、したい。身勝手だと言われるかもしれないが」
 ダンナが、ふさいでいた手を離した。それは、まるでお返事は?と問いかけられているよう。
 そんなのさ。
 そんなの、だって俺は、ダンナの取った行動は、仕方がないと思っているのに。許すも許さないもない。仕方がなかったんだ。
 それなのにさ。
「九龍」
 ダンナは真剣な顔で、真っ直ぐに、射るように俺を見て、
「俺は、君の力になりたい」
 怖ろしいことを、言うんだ。
「もしも、君さえよければ一緒に連れて行ってはもらないか―――?」
 んぐ、と。口はふさがれていないのに、喉から変な音が漏れた。
 一瞬、何を言われているのかよく分からなくて、もう一度ゆっくりと、自分の中に言葉を落としていくと、それがとんでもない言葉だということに気がつく。
 一緒に、って。一緒に?遺跡に?探索に?
「え……っと、」
「君が、嫌だ、というならば諦める。だが、身勝手ついでに言わせてもらうと、君の力になりたいということも本音だが、あの遺跡をもっと調べてみたいということも、ある」
 それは、嘘だ。だって、ダンナの持つ力を使えば、俺と一緒に潜らなくても遺跡を調査することができる。それこそ、ダンナの好きなように。
 なのに、俺が、手を取りやすいように、気持ちが軽くなるように、そんな申し出をする。
「ダンナ、それ、ずるい」
「ハハ、そうかな」
「……でも、そういう、ずるい手とか反則とか平気で使われる方が……俺は、楽。ありがと」
「九龍…」
 その時の顔を見て、思った。ふっと、緊張のゆるんだ、眉尻の下がった顔。ダンナも、緊張していたんだなって、思った。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
「でもでも、危ないことはホントやめて。体調が悪そうって思ったらすぐ引き返して。気になることがあったらすぐに言って。ロゼッタの機密事項はさすがに漏らせないけど、遺跡についての調査書類だったらある程度見せることもできるから、必要なら言って」
「九龍……ありがとう」
 お礼を言われることなんて、なんにも。だって危うく、ダンナのこと、ぶち殺しちゃうところだったんだから。
「許しを得たところで。……一つ、聞きたいことがあるんだが」
「ハイ、夕薙サン」
「甲太郎のことをどう思っている」
「……うぃ!?」
 どどどど、どうって、どう、って、ドゥー?
「ど、どういう、意味で?」
「真夜中に遺跡に入った君を、甲太郎が追いかけていったりしただろう?普段から見ていて思ったんだが、距離感が、ほかのバディたちとは全然違うんだなと」
「その、違いのワケ?」
「まあ、そんなところだ」
 少し、考える。俺にとっての甲太郎がなんなのかって、そんなの改めて考えたりはしなかったから、答えに、少し詰まる。
 詰まるのは即ち、自分でも消化できてなかったこのでもあり。下手に掘り下げると自滅しそうで、引っかかっているそれはコーヒーで飲み下した。
「……俺、睡眠障害持ちで」
「よく、真っ白な顔をしているもんな」
「だからね、たまにね、遺跡で、寝てたのよ」
「あの中で!?」
 おう、珍しい、ダンナの目を剥くほど驚いた顔。なんか、ちょっと勝った感じがする!
「そう。あそこだと、ちょっと、眠れてたんだ」
「そ、そうか…」
「暗さとか重さとか、深さとか冷たさとか、俺と、近い感じがして」
 コーヒーをすすってちらりと顔を上げ、ダンナの表情を見て、意を決した。
「ダンナ、たぶん分かってると思うから、言うけど、ホントはこーんなには、ニコニコしてないんだ俺」
 知ってる、でしょう。夜のことも陰から見てて、昼だってもの凄い観察力。きっと、昨日のことも重なって、俺がどういうヤツなのかは、ね?
「……何度か、見たな。鋭くて、感情の薄い目をする君を。昨日も、感じたしな」
「ハハ…やっぱ、分かってたよね」
 そこで別段軽蔑したりしないで、普通の顔してられるのがダンナのいいところっちゃーいいところだよね。俺も、ちょっと気が楽になった。
「笑うの、しんどいなーとか、きっついなーってとき、墓に潜ってると、落ち着くっていうか。肌に馴染むっていうか」
「………」
「つまりは、そっち側に限りなく近い、生き方をしてきたんだけど」
 普通なら、異常と思われるような、そんな俺のことを、甲太郎は。
「それでも、いいんだって」
「あいつが、そう言ったのか」
「いいから、見せろって。隠すなって。笑うなって」
 そのまんまでも、いいんだって。
「だから、今は遺跡じゃなくて甲太郎のところに逃げ込んでる。そういう感じ」
 逃げ場。うん。言葉に出したら、すごく、しっくりきた。ともすれば落ちてぺちゃんこになりそうな俺を、どうにか支えてくれる場所。
 ダンナは少し黙って、考える素振りを見せる。
「そっち側の君を、俺たちには見せてくれないのか?」
「やだよー。結構、危ないよ?」
 たぶん、ダンナの予想斜め向こうを行く酷さですよ、そっち側な俺。さすがにお見せできませんぜ。
「そう、か。そこまでは、信頼されていない、か」
「っと、そういうわけじゃ、ないんだけど」
「ハハ、冗談だ。君と甲太郎の間に割って入ろうとは思っていないさ」
「ちょっと!そういう間柄ではございませんよ!!」
 一体どれが冗談なんですか!まったく。
「でも、ダンナ、どうして甲太郎のこと…」
「ああ、そうだ。九龍」
 にっこり、全力ではぐらかしが入った。
「できれば、今日から探索に付き合わせてほしい」
 話を遮られたけど、発せられた言葉にビックリしてちょっとそれどころじゃない!今日?今日からって言ったこの人!?
「何言ってんの!?無理無理!!もう夜だし、病み上がりでしょ!!」
「今日は雲が出ているから大丈夫だ。身体も問題ない。ルイ先生からのお墨付きだったもらっている」
「でも……」
「それにな。……ファントムの動きが、少しばかり気になる」
「え?」
 どういうことですか。いきなりファントムの話なんて。
 ダンナの気になる人リスト、喪部・甲太郎・ファントム。何だろ?ピンとこない辺り、まだ、この學園の深部にたどり着けてないような気がする。
「実は、俺が《墓守》として墓地を徘徊していたときに、あいつを―――《ファントム》らしき影を何度か見掛けているんだ。おそらく、あいつが《墓》から出てきた《亡霊》である可能性が高い」
「亡霊、か…」
 本体だけでは動くことのできない亡霊は、誰かの身体に憑いて徘徊を続ける…。それは、七瀬ちゃんであったり、ほかの霊現象で悩む生徒であったり、―――ファントムの身体の持ち主であったり。
 今までの《墓守》の順番を考えるに、次はあいつの番。そして、今日の妙に苛ついた様子。加えて、ファントムの身体的特徴と、高所から飛び降りても至って無事な頑健さ。
 背の高さは俺とそこまで大きくは変わらない。頑丈なのは、《黒い砂》のドーピングって考えればつじつまが合う。ほら、いくら憑き物だったとしても、身体能力ってのはそうそう変えられるもんじゃない。亡霊に憑かれたからって、七瀬ちゃんがスタントマンみたいな真似、できそうにないでしょ?
 いや、予想でしかないから、まだダンナにもその話はしない。
 ただ、決戦になるかもしれない、ということは、「気になる」というダンナの言葉と合致する。
「神鳳に取り憑いたのも、おそらくは同じもののように思うんだ。だから、ちょっと気になってな。今日潜るのならば、同行したいんだ」
「でも…たぶん、だけど、俺は今日、ファントムと戦うし……倒して、しまうよ?」
「だからさ。その前に、ふん捕まえていろいろと吐かせてやるのさ」
 その場に立ち会わせてほしい、そう言って笑う。
 例え、本心でなくても。
「分かった……。でも、無理、しないで」
「ああ」
 話はそこで終わった。他愛もないことを二、三話して、遺跡に潜る時間を確認してから部屋を出た。この後、姐さんのところに行かなきゃいけないから、すぐ出発じゃないしね。
 そーだ、ダンナを連れて行くなら、もしものときのために、ルイ先生にも来てもらいたい。付き合って、くれるかな?
 一応、お願いのメールを送って、寮を出た。向かう先は生徒会室…っと、いけね、もう姐さんとの約束の時間だ。みっちゃんにはちょっと待っててもらうようにメールをして、プールへ向かう。
 冬も暮れてる夜八時にプールって、改めてすごい待ち合わせ場所だよねぇ。なんて思っていたんだけど、考えてみればウチ、温水プールだったわけで。さすが私立。これなら水泳部だって年中練習ができる。
 到着して室内に入ると、競泳用プールがゆらゆらと揺らいでいるのが分かる。プールサイドに近づいていくと、ざばっと水の音。って、ちょっと姐さん!?
「あら……来てくれたのね。メール、読んでくれた?」
「よ、よ、読みましたけどねーさん、またすっごい水着で!」
 目のやり場に困るどころの騒ぎじゃないですよ!!目のやり場しかない!!ヒモヒモ!ヒモ水着!!てかねーさんそのタトゥー、ホンモノ?
「ふふ、似合う?」
「てか、ねーさん以外に着こなせる人を知りません!」
「ありがと」
 髪と身体をバスタオルで拭きながら、姐さんは笑う。本当に女子高生なのこの方?
「で、お呼び出しのご用件は如何様な?」
「来てもらったのはね。あなたに知っておいてほしいことがあったからなの」
「知っておいてほしいこと?」
「それは―――《秘宝》へとつながる封印を解くための《鍵》について」
「《鍵》ね…」
 《鍵》は、見つけたか?
 そのセリフ、昨日も聞いた。墓から這い出た亡霊の声。今まで《鍵》は執行委員たちそのものだと思ってたけど、張本人の亡霊様は、そんなもんじゃないって言っていた。
「あなたが、《秘宝》を手に入れるためなら、なくてはならないもの。あなたならきっと、その《鍵》で―――この學園を呪いから解放してくれるかもしれない。そう思ったの……」
「……《秘宝》に辿り着くために、《鍵》ってのがどうしても必要なのだとしたら。うん。そうだね。俺にもきっと、必要なもの。でもさ、この學園の呪いを守ってるのは《生徒会》であり、会長でしょ?それをどうこうしちゃって、いいのかね?」
 ちゃぷ、ちゃぷと、室内プールにに水音だけが反響する。ガラス張りの屋根からは、雲の切れ間から月明かり。夕薙の命を吸い取る、夜の灯。ねーさんは、少し遠くを見た。この人はただの執行委員じゃない。生徒会本部の人間だ。ほかのヤツらより、知っていることは多いはず。
「その話は、後でゆっくり……」
「え…」
「その前に、今日は月明かりもキレイだし、一緒に泳がない?」
 同じ微笑みなのに、ねーさんの眼が、ここを、見ていない。この場所の空気が、張り詰めている。
「美女と、一緒に泳げるなんて、光栄だよねぇ」
「ふふふッ。何なら裸で泳いでもいいのよ?」
「わー、そりゃ、誘いに乗らないと、ね」
 姐さんと視線がかみ合う。眼だけで、頷く。
 声は、すぐに降ってきた。
「今、話してもらおうか?《鍵》の在処をな」
「あら?どうやら學園の《幻影》がお出ましのようね?」
「おーおー、今日も高いところからご苦労さん」
 話していた場所からすぐ近く、観客席の手すりの上にいつの間にやらのファントムさん。どいつもこいつも、何とかと煙はうんちゃらかんちゃら、ですよ?
「生憎、《鍵》なら、ここにはないわ。それに、何であたしが《鍵》のある場所を知っているって思うの?」
 その言葉を聞き終わるか否か、突然ファントムの白い仮面が揺らいだ。ほとんど同時に、俺は持っていた銃を抜く。
 ファントムが降りたのは、―――姐さんの背後だった。
 カチャリ、という音は、セーフティを解除した音か、それとも、奴が長い爪を翻した音か。姐さんの真っ白い首筋に、鈍く光るファントムの得物が押しつけられていた。
「クククッ……《生徒会室》にあった《鍵》がなくなっていた―――。持ち出したのは、お前だろう?」
「な、んで、あたしが……」
「アモンの手から奪い去り、この男に渡すつもりで持ち出したに決まっている。女というのは、いつの時代でも男を裏切るものだからな」
 馬鹿なヤツ。本気で会長を裏切るとでも思ってんのかね。それはありえない。俺に手を貸しているのは、こちらに付いたからじゃない。こっち側から見える《生徒会》を、会長に伝えるためだ。たぶん。おそらくは。
「《鍵》はどこだ?教えなければ、痛い目をみるぞ?」
「おーい」
 ひらひらと銃口を振ると、ゆらりとファントムの視線が上がる。
「鍵、鍵ってさ。あんたは《秘宝》と《鍵》のこと、どこまで知ってんの。さっさとその手、離して吐いてくんねぇかな」
「クックック、この状況でそんな口を叩くと、後悔することになるぞ」
「そんなこと、言っていいの?ねーさんは、『敵』ではないんじゃない?」
「………何を、言っている」
 言葉でのぞき込むような、腹の探り合い。人質という形を取られている以上、いきなり核心を突くことは避けておく。不本意な状態で間に挟まれた姐さんは、眉をしかめて怪訝そう。
「ちょっと。あたしを置いて話を進めないでちょうだい」
「黙れ!貴様はさっさと《鍵》を渡せ!!」
「あら、教えてほしかったら、あたしを口説き落とすくらいのことはしてごらんなさい?」
 そうか。俺は、ファントムと何度か対面して(時にはヒントをもらったりして)、どういう『者』なのか見当を付けているけど、《生徒会》とこいつ―――遺跡の《亡霊》は対立する立場でしかない。
「《幻影》が姿を現して、直接《生徒会》にケンカを売った。それってさ、いろんなものを背後から操って暗躍するだけじゃ、《鍵》が手に入らなそうになったからってことでよろしい?」
「言ったであろう。《鍵》は《生徒会室》にあった。それを、この女が持ち出したのだ!!」
「きゃあッ」
「ねーさんッ!!」
 姐さんの腕がひねり上げられる。喉の奥を引き絞るようなうめき声が、漏れた。目測だけど、後数センチ動かされれば、肩が外れるか、力によっては腕が折れはず。
 首筋がどんどん冷えていく。水音が聞こえる。ぴりぴりと肌が泡立ち、神経が身体を戦闘態勢へと立ち上げていく。
「逆らえば、腕がへし折れることになる。我が命令に従った方がいい。葉佩九龍。お前も我に逆らおうなどと思わないことだな」
「……逆らわずにいても傷つける気でしょうよ」
「何だその態度はッ!!」
 双樹ちゃんを見る。険しい顔に余裕はない。脂汗が浮かんでる。
 ……これが、ただの人質なら、腕の一本は諦めてもらう。けど、一瞬、逡巡する。彼女は「ただの人質」ではなく、ファントムも「ただの人間の襲撃者」じゃない。
 視線を彼女に移す、と、ぶつかるのは挑発的な視線。縋るようなそれではない。ニヤリ。こんな状況だというのに、艶然と笑う。それを、いいから、話を聞き出して、という意味に解釈。
「もう一度聞く。《鍵》はどこだ?」
「《鍵》?女子寮の部屋の鍵なら、水着の胸元に―――、」
「ふざけるなッ!!」
 激高した声が響き、さらに強く力が掛かる。
「動くんじゃないッ。次は腕を折る」
 それでも姐さんは、歯を食いしばって耐えている。ならば、こちらももう少し話を引き出さなければ。
「双樹咲重、お前もだ。おかしな香りをかがされても困るからな」
「なんで、姐さんの《力》を知ってる?彼女の特殊能力を知ってるのは、俺の周りの人間と、《執行委員》、それから、《生徒会》の役員の連中だけだ」
「我が名は《ファントム》。この學園の影に潜み、いつでも、お前たちを見ていた」
「いつでも、ねぇ?」
 ファントムが、俺の仮定している「ヤツ」だとして、じゃあ、《ファントム》として影で動き出したのはいつからだ?少なくとも、タイゾーちゃんのときには話に出てきていた。剣介のときは、俺の名を騙って、俺と剣介を直接戦わせようとした。
 活動時期を考えると……やっぱり、俺がこの學園に来たことが、《亡霊》を目覚めさせたってことになんのかな。
「あの《遺跡》は長く、永くこの場所にある。それなのに、なぜ、今なワケ?」
「……何?」
「前にもこの遺跡に潜った人はいたでしょ。メモが、遺跡の中に残ってるってことは。それなのに、あんたがその身体を使って這い出してきたのは『今』だ。ずっと、《鍵》は生徒会が持っていたのに?」
 沈黙。それは、ただの沈黙ではなかった。表情はいつものあの仮面。けれども、何か、良くない気配が増大していく。冷え冷えとした夜の温度が、さらに低くなる。そうだった……俺は、これに、弱い……。
「黙れ……葉佩九龍。貴様は、ただ墓を彷徨い歩けばいいのだ。最奥を、目指せ。そして、目覚めの《鍵》を……」
「目覚め、の…?そりゃ、どういう……」
 寒気で銃口が下がる。おそらく、ファントムの拘束も僅かに緩んだのだろう。痛みを堪えながら、成り行きを見ていた姐さんが、
「《鍵》の、在処、なら…喋る気は、ないわ……」
「―――!?ダメだ止めろ!!」
 ひねり上げられている逆の腕が動く。武器である『香り』を展開しようとする気配。だが、一瞬早く、ファントムの爪が閃いた。
「姐さんッ!!」
 力を失った身体が、ファントムの足下に横たわる。左の上腕を、ファントムの爪に切り裂かれていた。その腕を掴んだまま、ファントムは耳障りな高笑いを響かせた。
「クククッ、この爪には毒が塗ってある。我に従わなかった罰だ。逆らったことを後悔し、悶え苦しみながら死ぬがいい」
 筋肉が膨れ、今度こそ飛び出そうとする俺を制したのは、圧倒的な威圧感だった。
「後悔するのは、お前だ」
「――――ッ!?」
 黒よりも黒い影。夜から抜け出した、闇の王。この學園の主が登場した途端、その場の空気が一変する。
「やはり現れたか。學園の影に巣食う《幻影》よ。……正体を、見せてもらおうか」
「動くなッ!!動けばこの女の命は―――、」
「持っていけ」
 会長が放ったのは、木箱のような何か。だが、それが何なのか、確認している場合じゃない。
 ファントムは、それを受け取ると同時に腕を放した。条件反射のように、身体が動く。ファントムが後方へ跳び退り、俺は姐さんを抱き起こした。
「大丈夫、なわけはないよな…」
「九龍……」
 いつも持ち歩いている救急キットを取り出し、応急処置の止血と消毒を施す。
 その間も、二人の応酬は続いていた。
「《鍵》は、くれてやる」
「クククッ。愚かな奴だ。女ごときと引き換えに《鍵》を渡すとはな」
「…………」
「もうここに用はない。ついに、古の《封印》が解かれる時が来た。人間どもよ。見ているがいい―――」
 捨て台詞を残し、ファントムはガラスを破って飛び出していった。
 後に残るのは水音。そして、奴から情報を引き出すために傷ついた、姐さんの荒い息づかい。
「《墓》に向かったか……」
 会長が、ようやく俺たちを振り返った。
「双樹を助けてくれたようだな」
「助けられたのは、どっちだったかな……クソ」
「九龍……いいの。あたしは、大丈夫」
 横たわる姐さんの肩を診る。腕は、完全に筋を違えていた。亜脱臼に近い。これで大丈夫なわけがない。痛みで泣き喚いてもおかしくはない。
「会長、姐さんの身体支えてて」
「何?」
「肩と腕をこれ以上動かないように固定する。痛むと思うから、支えてて」
 三角巾はないから、姐さんが近くのベンチにかけていたバスタオルで応用。痛みを増さないように気をつけながら、脇にガーゼを丸めたクッションを当ててバスタオルを巻く。
「……これで、よし、っと」
 あとは、毒を塗った爪で切られた腕。傷は浅いけど、毒の種類が分からないから対応できない。こうなれば、仕方ない。
「遺跡に連れて行く」
「どういうことだ」
「《魂の井戸》に入れれば、毒は抜けるはず。応急処置で毒が回るのは抑えてあるから、すぐに行けば間に合うと思う。外傷だから、確証はないけど肩も治ると思う」
 そうして姐さんを抱き起こそうとしたとき、それを制したのは会長だった。
「俺が、連れて行こう」
「……………」
 有無を言わせない声音だった。姐さんは、痛みと毒の苦しみに耐えながらも、会長を見ている。
「分かった……。お願い。あと、念のため、あとでルイ先生にも見てもらって」
 会長は、頷くような素振りを見せてから、着ていたコートを姐さんに掛けて抱き上げる。
「……葉佩。《生徒会長》として、礼を言わせてもらおう」
「ダメ、やめて。助けてもらったのはこっちなんだから。姐さんのおかげで、あいつから話を引き出せた。ホントは、最初に、助けなきゃいけなかったのに」
「……ふッ」
 今のは、笑い?口元だけに、笑みのようなものを浮かべて、会長は出て行こうとして、振り返る。
「今日のところは、双樹に免じてお前を見逃してやる。俺と戦うそのときまで、せいぜい腕を磨いておくのだな」
「………」
 足音共に、会長は夜の向こうに消えていった。
 張り詰めていた空気が戻って、水音が耳に飛び込んできた。カルキのにおいも。
 プールサイドには姐さんの血。我に返って呆然とした。姐さんのあの眼だ。ただ人質になるつもりはない。そんな、挑戦的な眼。あれに引きずられて、助けるのを忘れた。結果、コレだ。
 いや、違う。それを望んだのは俺だ。ファントムは、姐さんを捕まえているようで、その実、捉えている間はここに留まるしかない。そのとき、ファントムは《幻影》じゃなく、ただの現実だった。奴の正体も、《鍵》の意味も、朧気ながら引き出すことができた。
 けど。
 脳裏には、姐さんが傷つく瞬間の顔がちらつく。その結果を導いたのは俺だ。だから、助けたなんてそんないいもんじゃない。
 頭の中はもうぐちゃぐちゃ。あの瞬間は、確かにそれでいいと思った。なのに、今は無理。俺は、本当は一体どうするべきだったのか、なんにも分からない。ダンナの時と同じ。正しいことは分かっているけど、俺は正しくないから、それを選べない。
 ……これが、遺跡の中ならば。
 間違いなく、姐さんを撃って、足手まといにならないようにしてからファントムを確保していたはず。俺ならきっと、そうする。そして、そんな自分には吐き気すら覚える。のに、一方でそんな甘い考えの自分をぶち殺したくなる。
 自分が壊れていくのが分かるのに、それを止める方法が分からないなんて、もう。笑い話にもなんない。

*  *  *

 生徒会室に顔を出すと、約束していた時間からずいぶん遅れたというのに、みっちゃんはちゃんと待っていてくれた。
「遅くなりまして」
「待ちくたびれて寝てしまうところでした」
 とは言うものの、その目は柔らかい。怒っていなくて何よりです。
「その様子だと、なにかありましたか?」
「……みっちゃん、知ってて言ってるでしょー」
「さて、何のことでしょう?」
 まあ、知らないはずはないですよねー。《生徒会》は、情報共有きっちりできてますもの。
 お茶はいかがですか?いただきますー、ってなやり取りをして、生徒会室のソファに座る。みっちゃんがお盆を持ってきて、熱いお茶を一杯。
「粗茶ですが」
「どもー。んで、ハイ、コレ。ご所望のものかは分かんないけど、たぶんそういう力のあるもの」
 遺跡で見つけた錫杖を渡すと、みっちゃんは何かを確かめるようにあちこちに触れていく。もし、これが探しているものじゃなかったらどうなっちゃうんでしょうね、俺。
 ジャッジを待って黙り込んでいると、視線を上げたみっちゃんが、にっこりと笑う。
「これは……。確かに神聖な《氣》に満ちた品ですね。ありがとうございます」
「ホント?」
「ええ。これで安心して眠れそうです」
 すると、みっちゃんは自分の荷物をごそごそと。弓道部が持っている弓とか入っているあのバッグだ。そうして取り出したのは、真っ白い、それはそれはキレイな弓。
「些少ではありますが、これはお礼です。よかったら受け取ってください」
「え゛ッ……いえいえいえ、んな、それだって俺、拾っただけだし」
「いいえ。受け取ってもらわなければ困ります。でなければ、僕があなたを使いっ走りにしたみたいではないですか」
 ……実際その通りじゃないですかー、とは口に出さないでおく。
「これからの《探索》のお役に立てればよいのですが」
「じゃあ…ありがたく、頂戴いたしますが。……ホントに、大事なものとかじゃないの?」
「ええ。ただ僕の家に伝わるもので、代々先祖が守ってきた由緒正しい祓いの弓で……」
「超大事なもんじゃん俺もらっちゃダメじゃん逆に夜な夜なうなされそうじゃん!!!」
「と、いうのは冗談ですからご安心ください」
 この人、本当、読めない。俺、たぶん、本気出しても化かされる自信がある。うん。
 とりあえず、ちゃんともらってもいいものだって確認してから受け取った。『追儺弓』というもので、鬼やらいの力があるんだとか。みっちゃんのご実家でそういう儀式をして、力を宿した弓なんだって。
「ああ、それから」
「へい」
「双樹さんですが、大丈夫ですから心配しないでください」
「……そっか」
「まあ、彼女は強い女性ですから。明日にはけろりと笑っていると思いますよ」
 やっぱり、知っていたんだ。てことは、俺が彼女を傷つけたというところまで、全部。
「それは、あなたのせいではありませんよ」
「……みっちゃんさん、俺、何も言ってませんよ」
「おや、そうですか?聞こえた気がしたのですが」
「きゃー怖いー」
 声が乾いたのは、自分でも分かる。喉の奥が重い。双樹ちゃんが無事だったっていうのには安心した。それでも、傷ついたっていう事実だけは変わりようがない。
 みっちゃんは、ふぅ、と短く息をつく。
「あまり、気に病むのはよくないですよ。特に、あなたに原因がない事柄に対して」
「……そう、かな」
「そういう思考は、引き込まれやすくなりますから、気をつけた方がいい」
「見えない人たちに?」
 俺の茶化した言い方に、みっちゃんは苦笑する。それから、俺の背後をじっと見て、それから空中のいろんなところに視線を向ける。いやいやいやいや、そんなにいるの!?
 ビビったのが分かったんだろう。みっちゃんは冗談ですよ、とお茶をすすった。……ったく、脅かしすぎです。
「さきほども、《幻影》、いや……《亡霊》に会ったのでしょう」
「うん。出てきた」
 みっちゃんは、何も知りませんよ、という顔をしながら、その実、絶対に知ってる。いろんなことを。もしかしたら、何もかもを。全部隠しているんだから、俺なんか太刀打ちできないポーカーフェイスだ。
「ねえ、みっちゃん」
「はい」
「《鍵》っていうのは、墓守なのではないの?」
「《鍵》、ですか」
「ファントムが、探してる」
 みっちゃんは、少し考え込むような素振りをしてから、
「我々、墓守は《鍵》ですが、それは我々が治める区画の《鍵》です」
「区画、それから、扉の?」
「ええ。だから、我々の《宝》―――思い出を取り戻す事に、扉が開くのです。ですが、我々の内情すら知り得るファントムが、実態としての《鍵》を探しているということは、その先の、何かを封じている《鍵》があるのではないでしょうか」
「扉ではない何かを、開く《鍵》……」
 やはり、《秘宝》なのだろうか。そういえば、みっちゃんは、持っている『力』で、遺跡に眠る何かを引き上げてきた。
「みっちゃんが、昨日呼んだモノって、一番奥にいる者だったのかな」
「……僕にも、分かりません。昼間は雑霊を呼び出しただけのはずだったのですよ」
「そう」
 俺が、遺跡を踏み荒らし、秘宝へと近づいていく。そのたびに、何かの《封印》が弱まっている。最初は誰かを介さないと表を歩けなかったのが、次第にいろいろな者に取り憑き、使役して、顕現する力が増してきている…。
「俺の予想が正しければ、この學園の『誰か』を通じて外をさまよっている、それがファントムなんだと思う」
「誰か、ですか」
「たぶん、今日、遺跡に潜れば俺の予想が当たってるかどうか、答え合わせができると思う」
 それが誰であるか分かったら、どうすればいいのか。とにかく、一発はぶん殴らないといけない気がしてるんだけど、それ以上に、憑き物が落ちる前に何かを聞き出したい。……できるかな?
 みっちゃんは、それ以上何も言わず「お気を付けて」と見送ってくれた。
 生徒会室を出て、もらった弓の弦に触れてみる。手を痛めない程度に引いて、弾く。キィィィン、という音が聞こえたような気がした。同時に、腕に鳥肌が立った。……なに?周りの空気が、一瞬、《魂の井戸》に似た感触に変わるような、そんな心地よさがあったはずなのに、それすらどこか、居心地悪く感じる。
 みっちゃんの言う、俺に『憑いている何か』が嫌がっているのか。それとも、……いよいよ、遺跡の暗さに飲み込まれてきたのかも。うん。まあ、それでも、いいのかも。
 たぶん、きっと、そんなに遠くない、いつか。俺はここからいなくなるから。
「もう少し、か…」
 さっき、甲太郎に言われた、『離したくない』という言葉が甦る。ここを離れる、ということは、俺も、あの手を離さなければいけない。あの体温を思い出せない手を、握って、開いてを繰り返す。
 ちょうど、その時メールが届いた。差出人を見て、一瞬、身がすくむ。姐さんからだった。
 内容は、無事だから安心して、というもの。念のため、ルイ先生のところにも行ったけど、異常はなかったって。それを見て、ホッと、胸に詰まっていたものが霧散するような気がした。いや、傷がどうなってるのか見ないと何とも言えないけど、無事なら、まずは良かった。
 姐さんにお礼と、今日はゆっくり休んでという旨のメールを打って、それから。
 さっきまで起きていたことを甲太郎に知らせようか、考えて止めた。
 落ちているのを知ったら、きっと甲太郎は来てくれるはず。でも……でも、響に対して、この學園にいる間しか助けてやれないと思ったのと同じ、俺だって、この學園にいる間しか、甲太郎に頼れない。
 あとどれくらい、一緒にいられるか分からない。一人でいられる練習は、しないとですよね。

*  *  *

 寮に戻ると、ダンナが俺の部屋の前に立っていた。ずいぶんと気の早いことで。
 まさかまだほかの生徒がうろうろしているところで《墓》の話をするわけにもいかないから、部屋の中にお招きする。今度はこちらがコーヒーを入れて進ぜよう、……って、俺はさっきから飲み物飲みっぱなしでお腹がたっぷんたっぷんしてる。
「さっきね、ルイ先生にも一緒に潜ってくださいってお願いしたんだ」
「ルイ先生に?あの人も、何か《力》があるのか?」
「うーん。うん。そう。そんな感じ。ほら、センセ、占いとか呪法とか詳しいでしょ?中国の陰陽道を使えるってことなんですわ」
 先生がどういう所属かは、一応伏せておくことにする。つっても、ダンナはいろいろと知ってそうだけど。
「まさか、俺が行くと言い出したから、万が一に備えて彼女をバディに?」
「ノンノン!そういうんじゃないから!」
 俺の浅い考えはお見通しですか?本当に、面倒くさい読みの良さだなぁ…。仕方なく、さっきのファントムとの遭遇を、掻い摘んでダンナに話す。
「ってなわけで、双樹姐さんの状態のこととかも聞きたいから、ついでにお誘いしてみたのれす」
「なら、いいが…」
「あー!ダンナ、信じてないって顔!俺のこと信じてるって言ってくれたのにー」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
 珍しい。ダンナがちょっと困ってる。
「君は、誰かのためなら息をするように嘘をつくところがあるだろう?自己保身の嘘ではないが、やはり、というか、だからこそというかなんというか、心配や不安にはなるのさ」
「……んなことねーやい」
 そこで、ふと、そういえばダンナと果たしていない約束があることを思い出した。ご飯食べようって、戯れ言みたいに、そんなことを約束したことがある。
 約束を破らないよ、俺は嘘つきじゃないよって意味を込めて、提案。
「ダンナ、今日は夕ご飯は?」
「ん?いや、昨日から寝っぱなしでな。ほとんど何も食べていない。……言われてみると腹が減ったな」
「よーし、俺が嘘つきじゃないって証明するために、一緒にご飯しよう!」
「ハハ、覚えていてくれて光栄だよ、その約束」
「葉佩九龍、嘘つかなーい」
 とはいえ、いきなりのこと。ちゃんと招待する準備はできてないから、どうしてもあり合わせのものになる。
 化人から剥ぎ取ってきた紅葉肉のやわらか煮は昨日の残りもの、あとは同じく遺跡産の根菜、海草を使ったサラダに、キノコスープ。自家製の明太子もおまけで。もちろんお米も遺跡でゲットレ!……って、考えてみれば何でもあるな、あの墓。
「おお、すごいな。全部君が作ったのか」
「簡単なモンでゴメンちょ。ホントは霜降り肉のステーキとか出したかったんだけど、準備ができてなくて」
「それは次の楽しみにとっておこう。…じゃあ、遠慮なくいただいてもいいかな?」
「どうぞどうぞ!俺も食べよ。いただきます」
「いただきます」
 煮物系は(カレーも含めて)ちょっと得意。愛情かけて煮込んでますから♪というと、なんかすどりんっぽいけど気にしない。やわらか煮は、か・な・りじっくりコトコト煮込みました!筋までやわやわなはず。
「うん。うまい。生姜がきいていていいな」
「お。そりゃよかった」
「君はいいお嫁さんになれるよ」
「あれ、それ、どこぞの誰かにも同じこと言われた気が……」
「甲太郎かい?」
「違うー。じゃなくて、あ、たぶん、ダンナは知ってると思う。この學園を調査している人でね……」
 アムロさん、墓に出入りしているっぽかったし、夜会の前には墓守のじーさんとしてアムロさんを目撃しているはず。そして俺は、以前、アムロさんにカレーを食べさせたら「いい嫁」認定してもらったんだよなー。
 そういや、あんときは途中で甲太郎が入ってきて、なんか意味もなくキレてたっけか。
 で、アムロさんって人はね、って。ダンナにも怪しまれないよう、かつ分かりやすく説明しようとしたときだった。
 コンコン、とノックの音。
 俺とダンナは顔を見合わせる。
 まさか?あ、でも、ずっと隣の部屋から甲太郎の気配はしなかった。寮に戻った後、どっかに出かけてたっぽいんだよね。外から見たとき、電気も消えてたし。てことは、どなた?
 バディの誰かかな、と思って扉を開けると、あらま。
「おう」
「甲太郎、どったの」
 予想通り?予想に反して?そこにいたのは甲太郎。何だろう、ちょっとだけ、疲れた顔。一体何をしてきたんだろう?
「いや、今日も行くんだろ?あの場所に。だったら俺も……」
 甲太郎は、一瞬、中入っていいか?みたいな素振りをしたんだけど、すぐに顔が強ばる。
「……誰か、いんのか?」
「いますよー。ご飯食べてんの。甲太郎も食べる?カレーじゃないけど、って、ちょっと、おい!!」
 あーあーあー、これはあのときのシチュエーション再び?てか、何でそんなおっかない顔してんの!甲太郎サン!!
「大和…」
「よお」
 ダンナは箸を持ち上げて、軽く挨拶。それに引き換え、ちょっとピリピリムードの甲太郎。
「どういうことだ。昨日、倒れたんじゃなかったのか」
「一日で回復したのさ。身体は弱いが体力はあるというのが救いでね」
 とにかく座って、という俺を無視して、甲太郎は仁王立ち。俺はおろおろと座れもせず、立ったまま二人を見る。
「こいつの部屋で、何してるんだ」
「何って、見ての通りさ。夕食をご馳走になっているんだよ。ほかにどう見える」
 穏やかで飄々としてるのに、どこか挑発しているような口調。甲太郎の血圧も上がっているように見える。いつの間にか俺の腕を掴んで、引き寄せてるし。なんでさ。
「その、丸出しの独占欲もなんとかならないか?九龍に寄らば斬るという顔をされたら、やりにくいのは九龍だろう?」
「ダ、ダンナ、あの、俺は別に、全然、その……」
「こいつは、それが嫌なら俺に言う」
 うん、まあ、言うけど…。ちゃんと、そういうのが迷惑だったら二人っきりになったときにきちんと話をするけど、でも、ねえ!?何で怒ってんのこの人!?機嫌が悪いを通り越してるよ!?
「九龍がいつでも君だけのものだとは思わない方がいい。この學園には九龍を慕っている連中が山ほどいる」
 いや、いませんよそれは。ダンナ、それはちょっとばっかり買いかぶりすぎ。慕ってるっていうか、確かに懐かれてる気はするけど、あれ?それって慕われてるっていう?いわないよね?
「そのうちの一人の『友人』として、招かれて、部屋で食事。何かやましいことがあるとでもいうのか?」
「……大和、てめぇ、昨日何をしたのか、」
「分かってるさ。分かっていて、謝罪をし、受け入れられたからここにいる。ついでに、夜のデートも約束済みだ」
 途端、キッと、鋭い視線が俺に向く。何、何何、なんなのさ!その通りじゃんか!昨日はいろいろあったけど、ごめんなさいしあって、一昨日の友は昨日の敵で今日の友、それでよくないの?
「それに、甲太郎。俺と九龍の間に何かがあったとして、それはお前に関係あるのか?」
「何だと?」
「俺は、九龍にすべてを話した。もう隠していることは何もない。手の内を明かした上で、頼んだのさ。どうしても、遺跡を調べたい理由がある、とね。そして九龍は受諾してくれた。このやり取りの中に、甲太郎に許可を取らなければいけないことでもあったか?」
 こんなぴりっぴりした雰囲気だというのに、最後の一口、ご飯を食べきったダンナは「おかわり」とのんきに茶碗を差し出してくる。恐る恐る受け取ろうとすると、それを阻止するかのように、甲太郎が今度はハッキリと自分の方に俺を引っ張った。
「……ほかには、誰が行く」
「きょ、今日は……ルイ先生が」
「カウンセラーが!?何であいつが」
「甲太郎。それも、九龍と先生が決めたことだ。なぜ、そこまで過干渉になる」
 火花が散った、ように見えた。茶碗を置いて立ち上がったダンナと、甲太郎。ほとんど喧嘩腰。龍と虎の闘いというか、ゴジラとガメラの決戦というか、とにかく、すんごいムード。俺の話をされているのに、完全に置いていかれてる。
「お前はどうなんだ。九龍に構うのは、九龍が心配、それだけ、か?」
「だったらどうだというんだ」
「今日、潜りたいと言い出した理由は、ほかにあるんじゃないのか?」
 びくり、と身体が強ばったのは、甲太郎じゃなくて俺。それを察知して、甲太郎は俺を見てくる。
 ―――傷ついたような、不安げな、怒ったような、悲しいような、顔。
 違う、そうじゃない、甲太郎を、疑ってなんかいない。別に、『俺』以外の理由があったって構わない。大丈夫。平気。俺は、信じてるから。甲太郎が何をしたって、受け入れるから。
 だから、そんな顔、しないでよ。
 そう、思っているのに、緊張からか喉が絞られて声が出ない。微かに、首を振ることしか。
 それをどう取ったのか、甲太郎は舌打ちを一つ、
「勝手にしろッ」
 そのまま、部屋を出て行った。それから、乱暴に隣の部屋の扉が閉まる音。
 残された俺とダンナ、しばし、沈黙。腕をまくってみると、かなりの強さで握られていたらしく、赤く跡が残っている。
「だいぶ、機嫌が悪かったな」
「機嫌が、悪いとか……そういう、次元?」
「じゃ、ないかもな」
 俺はもう、なんにも食う気が起きなくなって、自分の座ってた座布団にしゃがみ込む。
「大丈夫か?……俺も、悪かった。挑発的だったのは認める。すまなかった」
「別に、ダンナはなんにも。それに、さっきのはどう考えてもダンナの方が正論でしょー」
 力も入らないで笑うと、今度はダンナが困り顔。
「いや、本当にすまなかった。甲太郎が、あんなに君にまで感情を剥き出しにするとは思わなくてな……」
「だから、いいって。本当に」
 カチャカチャと自分の食器を積むと、ダンナももう食べないのか、ごちそうさまのポーズ。
「俺が片付けておくから、君は少し甲太郎と話してくるといい」
「だーめ!お客様にそんなことさせるわけには、」
「いいから。俺はいいが、君は甲太郎と気まずくなったらいろいろ面倒だろう?俺の分まで謝ってきてくれ」
 頼むよ、と。
 ダンナは、本当にそういうところ、うまい。俺が断らなくて済むような理由を添えて、そっと背中を押してくれる。これが年の功ってもんか。って、俺は自分の年齢、正確には分かってないし、たぶんダンナと同じか上のような気がしないでもないけど。
 とにかく、そう言ってくれたから、後をダンナに任せて甲太郎の部屋の扉を叩いてみた。
 一度目のノック、反応なし。
 二度目のノック、反応なし。
「あ、のさ、甲太郎?えっと、……あの、後で、いいや、ごめ、」
 会いたくないなら、それで。
 そう思って踵を返したとき、扉が開いた。振り返る間もなく、部屋の中に引っ張り込まれる。今日の甲太郎サンは、なんだかずいぶん力任せ。なにを怒って……いや、焦ってるんだろう?
 部屋はなぜか暗いまま。俺は、引き込まれてそのまま、閉まった扉に背中を当てて、ほとんど甲太郎に抱えられるような形で身動きが取れなくなった。ラベンダーの香りが強い。心臓が痛くなるほど打っていたけれど、深呼吸をして落ち着かせる。
 しばらく、甲太郎は何も言わなかった。俺も、黙り込んだままでいた。目の前には甲太郎の鎖骨があって、互いに何も言えないという状況に苦しくなり、額をぶつけるように寄せた。
 甲太郎の身体に力がこもる。深く、息を吐く。
「……悪かった。頭に、血、上った」
 ようやく、といった様子で吐き出された声は、ずいぶんと掠れている。
「何が、そんなに気に障った?」
「……なんだろうな」
 はぐらかし、か。
 今日は、力任せな上に、ずっとこの調子だ。帰り道で手を握ってきたときも、さっきのことも、今も。甲太郎だけが分かる何かのせいで、苦しんでいる?
「あいつを、許したのか?」
「あいつ、って、夕薙のことか?」
 右耳の辺りに寄せられている顎が、肯定を示すように上下する。
「許す、も、なにも、ない。ただ、夕薙は、目的があって、そうしただけだ。……俺が許すことなんて、何一つ、ない」
「結果としては、裏切っただろう。お前のことを」
「それは……俺がただ、あの男のことを…目的を、見抜けない間抜けだったってことだ」
「あいつを信じてたんじゃなかったのか?」
「……信じてる、さ。ただ、夕薙がそうしたってことは、俺が、そうされる人間だったという、それだけのことだと、思ってる」
 喉仏が動き、苦しそうな息と僅かな声が漏れる。縛り付けるように回された腕に力が籠もり、まるで、責められているような気になった。
 また沈黙が降りてきたから、仕方がない。俺は気になっていることを一つ、投げてみる。
「遺跡に行きたい理由があるなら、劉教師には断りのメールを入れる」
「…………」
「甲太郎にも、何か、目的がある、なら」
 その『理由』を。言ってほしい。もし、俺を、信じているというのなら。力になれるのなら、なんだってする。
 だから。
 しかし、甲太郎から返ってきたのは、嘆息混じりの諦め。
「いや、いいんだ……行ってこい」
 お前には話せない。この話はもうお終い。そう、言われた気がした。
 鼓動していた心臓を、氷水の中に放られたような感触。触れられている箇所が、冷たくなっていく。
 違う。当たり前だ。俺は一体、何を期待した?甲太郎が、俺と、何かを共有するとでも?そんな価値がないということを、ずっと前から知っているはずなのに。
「甲太郎」
 身体が離れる。
 甲太郎は、俺の顔をのぞき込んできた。何を思っているのかは、分からない。何も。
 だったら俺も、自分の中に潜むものを、悟られるわけにはいかない。
「……何でもない。行ってくる」
「!?―――くろ、」
 俺が、作り笑いをしたのが分かったのかもしれない。名前を呼びかけられたが、聞こえないふりをして、その腕から逃げ、扉を閉めた。