風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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龍の玄、影の黒 - 7 -

 墓守を倒したからと言って、遺跡が崩壊を起こすようなことはなかった。
 死骸の跡は九龍でも解せない言語の石碑が残り、とりあえずはそれと羽の付いた矢を《秘宝》として持ち帰ることに決めた。
 その秘宝を、潰れたはずの右手で拾いながら、未だ血だらけの腕を見遣る。
「……どういう、手品なんすか?コレ」
 先程から、借りている狼の彫られたブローチが気になって仕方がない。それが熱くなるごとに、腕の痛みは確実に引いている。戦闘中からの作用だが、今は痛覚しか働いていなかった腕が自分の意志で動くようになっている。
「俺、完全に腕、やられたはずなんですけど…」
「手品の種は知らないけどね。言っただろう、お守りだと」
 これも馴染みの骨董品店で手に入れた物だ。かなり値が張るものだが、それだけの効果はある、らしい。あの店主が言うのだから間違いないのだろう。
「一応の気休めにしかならない。傷の治りが悪いようならここにいくといい」
 ブローチを受け取りながら、壬生が渡してきた紙には『桜ヶ丘中央病院』と書かれていた。住所は、東京になっている。母校からほど近い。
「俺が知る限り、一番腕の良い医者がいる。行ってごらん」
「ハイ、ありがとうございます。…あの、あとですね、それから、最後のペカーッて光ったあれ、あれも、手品ですか?」
「……どうかな」
 壬生自身、信じられない事だったのだ。
 いくら似ていると言っても、氣までが同じと言うことは有り得ない。ましてや『彼』の持つ黄龍の氣を、他の誰かが持っているなどと言うことは有り得ないはずだった。
 けれど飛び上がり、蹴り降ろしの体勢に入ったときに、なぜかできると確信したのだ。彼となら、できると。
 結果として本当に彼はやってのけた。双龍螺旋脚という技すら知らないというのに。
 …もしかしたら、本当に緋勇龍麻に関わった人物なのかもしれない。けれど、今ここでそれを聞いてしまうのも面白くない。
 だから今度、龍麻に会ったときに聞いてみるのだ。
 真っ黒な髪に真っ黒な眼で、子供っぽいのにまるで昔の自分のような、それでいて龍麻のような雰囲気も持ち合わせた不思議な少年。知っているかい?と。
「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「えッ、だってまだ、なんもお礼をしてないし…」
「ここは私有地だろう。僕は持ち主の許可を取ってここにいるわけじゃない。問題が起きる前に消えたほうがいい」
 九龍は、まるで拗ねたような、つまらなそうな、寂しそうな、まだ少年でいた頃のような顔で壬生を見る。戦闘中の険が綺麗に掻き消え、幼さが全面に出ているのを酷く不思議に感じた。
 接しているときはどれも葉佩九龍なのに、一体どれが本当の葉佩九龍なのか。後ろで黙り込んだままの皆守甲太郎なら、知っているのだろうか。
 黒衣の退魔師は、同じ黒衣を羽織る宝探し屋の頭に手を当てた。柔らかな表情は、微笑んでいるようにも見える。
「会えて良かったと思ってるよ、本当に」
 別段、特別な意味を込めたわけではない。元来思ったことは口に出しやすい質だ。(口に出す前に自分の頭で検討しろと言ったのは懇意にしている骨董屋の店主だ。唐突に言われると酷く恥ずかしいことを言っているらしい、が、本人に自覚はない。)
 真っ直ぐ見据えてそのセリフを言われた九龍は、完全に硬直した。顔を見る間に赤く染めて、動転したのだろう、真っ赤に染まった右手を額にやったりして汚している。
「おい、お前右手ッ」
「うぇ?うぉ!うわぁッ」
 そんな二人を見て思う。龍麻は、こんなに間抜けじゃなかったけれども、と。
 想いの中だけでくすりと笑い、次にはもう背を向けていた。これ以上時間を共にすると染まってしまいそうだったから。本来なら相容れないはずの組織に所属しているのに、次にロゼッタ協会の人間と遭遇したら、無意識に攻勢の手を緩めてしまいそうなほど。
 それは、紛れもない甘さであるけれど。甘さを許容する自分を更に許す誰かが傍にいるから、まだ壬生は人間として立っていることができる。
 少しだけ歩いて。そこで、数時間で大分聞き馴染んだ声に呼び止められる。
「壬生さん!」
 振り返らずに、立ち止まる。
「ホント、マジで、ありがとございました!!」
「……いや」
「また、会ったら遊んでください!」
 振り返らずに。笑いを堪えるのだ。吹き出しそうになるのを、肩を震わせるだけで我慢する。おそらくそんなふざけたことでさえ葉佩九龍という人間は真面目に言っているのだから。
 でも、あぁ、けれどそういえば。
 時折『彼』も、間が抜けていたな、と。
 背を向ける、という信頼の証拠を二人に見せながら、壬生は部屋を後にした。

*  *  *

 ここからの話は、互いの知らないところでのことになる。
 あれから部屋を出て《魂の井戸》に戻ったことで九龍の腕はほぼ完全に治癒した。指の先まで、神経なんてどこも傷んでいないとでもいうかのように動く。
 けれど、もしも墓守のいた部屋であれ以上に失血したら危なかっただろうというのは自分でも分かった。体温が失われていく感覚は、金輪際御免だとすら思う。確かに、自分の無茶が原因だったのだけれども。
 遺跡の外で待っていた紅花会の構成員は、出てきた二人のボロ雑巾のような姿を見て絶句していた。外傷はほとんど治っているとは言え、全身血だらけという姿は迫力がある。
 すぐにヘリで病院へ運ぶかという申し出に苦笑して首を振った九龍は、それよりも肉が食いたいと言ってのけて更に構成員を黙らせた。
 だって仕方ないだろ?あれだけ血が抜けたんだから。肉とか食わないと貧血で倒れちゃう俺。
 隣の甲太郎に視線で訴えれば、カレーで我慢しろという変な答えが返ってきた。

*  *  *

「それで、成果がこれか」
「石碑に残っていた碑文から推定するに、あれ自体が何かを護るためのトラップである可能性が高いかと。化人と呼ばれる物も存在していましたし、何より最後の部屋にいた墓守は普通の装備では太刀打ちできないと思いますよ」
 一日経って。
 情報を整理し、データベースと照合させた資料を持って王老大の元へ馳せ参じた九龍は、会議室のプロジェクタースクリーンを使って説明をする。まるでどこぞの会社で行うプレゼンテーションのようだが、場所が紅花会の表向きの顔である会社の会議室なのだから仕方ない。
「もしも本格的にあの遺跡を洗いざらい調べたいなら一個小隊に匹敵する戦闘力が必要でしょう」
「……一体、何があったというのかね」
「見てみなければ分からない、と言いたいところですが、それでは俺たちが潜った意味がないですので」
 映し出されたスクリーンには、徹夜で調べた化け物の姿が浮かび上がっていた。
「猰貐、ヤーユイ。中国神話にある元神族の化け物です。一度同じ神族に殺されてから六人の巫、ここではシャーマンというより医術を持つ者と言った方が的確かもしれません。その巫によって蘇生した神は、すでに神ではなかった。そういう伝説を持った化け物です」
 メガネを押し上げながら淡々と九龍は報告を続ける。片方のコンタクトレンズは水に落ちたときに無くし、もう片方は最後の部屋で気が付いたら飛ばしていた。近眼ではなく乱視が入っている程度なので普段はメガネなどしなくていいのだが、スクリーンを見るときにはかけておいた方がいい。
 ああ、うざったい。メガネもそうだが、完治しているというのに包帯が何重にも巻かれた腕が。ちなみに甲太郎の仕業である。
「墓守というのは、一度倒しても甦る可能性があります。むやみに踏み込むのだけは絶対に止めた方がいいですね」
「……君たちが遺跡から出てきたときの様子を聞くと、その言葉が重く感じるね」
「こんなこと自分で言うのも何ですが、俺と皆守はロゼッタでも戦闘力だけなら一、二を争う。それであのザマですから」
 嘘ではない。一、二をどころか、総合的な戦闘力だけなら九龍より強い人間は今のところロゼッタには存在しない。代わりに調査能力は少々劣るのだからそこでバランスが取れているのだが。
「とりあえず、あの遺跡で分かったことは資料にしておきました。データはこちらに。これはまだ障りくらいでしかないと思うので、本格的な調査を、という場合には俺たち個人ではどうにもなりません。ロゼッタ協会の協力の下、長期間かけて行うべきかと」
「……そう、か」
 メガネを再度持ち上げて、九龍はスクリーンを暗転させた。コンタクトレンズは一日で換えるヤツにしよう。メガネはどうにも好きじゃない。
「報告事項は以上です。何かご質問は」
「あの遺跡は、存在することで何か問題になったりする可能性は?」
「……特にありません、と言いたいところですが」
「何かあるのか」
「一つだけ。……《秘宝の夜明け》という組織を、ご存じですね」
 クリスマスに一悶着あったのだ。知らないはずがない。王老大は重々しく頷いた。
「あの組織は、手段を選びません。もし遺跡に何らかの価値を見出した場合、襲撃もあり得ると考えていただいた方が賢明でしょう」
「何らかの、とは?」
 喪部たちが考えそうなこと―――分かるわけない、と言ってしまった方がいいのだろうが、生憎と九龍には手に取るように分かる。ここが、中国という土地である以上、《九龍》という場所と縁遠いとは言えない。
「中国の神話は体系化されてない分、どの神話同士がどう繋がっているか、ああいった遺跡というのはかなりのヒントになったりしますので。狙ってきますよ、あいつらは」
「………ふむ」
「それをどうするかはそちらで判断していただきたい。とにかく……これ以上の個人調査だけは、申し訳ないですがお断りいたします」
 俺も、死にたくはないので。
 そう告げて、九龍は席を立った。不躾だが、これ以上スーツとタイを締めていることに耐えられなかったのだ。
「それでは、失礼します」
 急くように、会議室から飛び出した。ここは最上階だけれども、窓から飛び降りてしまいたい衝動に駆られる。死にたい訳じゃないけど。エレベータを待つよりも早く地上に降りることができる。
 そこで待っているだろう甲太郎に会うには、重力の助けを借りるのが一番手っ取り早いから。
 
 結局はエレベータで地上に降り立った九龍は、駐車場ではなく会社の前で待っていた甲太郎に飛びついた。皆守甲太郎、スーツを着てはいるものの随分と着崩している。口にはやはり、アロマパイプ。
「お待たせー」
「随分早かったな」
 九龍に気付いた甲太郎は、アロマパイプから灰を落とし、面倒くさげに頭を叩いた。
「口頭で説明することなんてほとんどないしー。あんな分厚い調査書作ったんだからそれ読めってんだ」
 ケッ、と舌打ちをして大きく伸びをする。普段、仕事に対して真摯な九龍にしては随分ぞんざいだ。
「……お前、ああいう集団には当たりが悪いよな」
「別にー。……ただ、昔ちょっとあってさ。紅花会じゃないけど黒社会に殺され掛けたりー、みたいなー」
「…………」
 ふざけたように言う九龍の、その実、言っていることは嘘でないということが分かるから甲太郎は絶句する。まだ聞けない過去の片鱗だ。
 九龍はそんな甲太郎を見上げて口の端を吊り上げると、何でもないように話題を変えた。
「てか、そんな話はいいんだよ。な、このまま日本に行かね?」
「何でいきなり日本だよ…」
「ほら、JADEショップの直営店が日本にあるって噂だし、それに『桜ヶ丘中央病院』ってとこにもちょっと行ってみたいなー、なんて」
 ぶらぶら歩き出す九龍を追いながら、甲太郎の目に入るのは専ら腕に巻かれた白い包帯。血の臭いが一瞬漂ったような、錯覚。思わず目の前の腕を取ってしまう。
「傷、痛むのか?」
「そうじゃないけど……いいじゃん、早く調査書上げたから、明日明後日お休みですよ!」
「まぁ、別にいいけどよ」
「ヤリィ!じゃ、航空券手配しないと!」
 ガッツポーズをして駆けだした九龍の背中。そこに、呆れたような溜め息を吐いて甲太郎は声を掛ける。
「駐車場、そっちじゃねーぞ」
「あれれ」
「それから」
 明後日の方角へ行きそうになった九龍の襟首を捕まえて。引き寄せて。耳元で、意識して低くした声で、囁いた。
「『続きは後でな』……って、言ったのは、お前だろ?」
 その続きがまだだが?と。言えば九龍が固まってしまうのは分かっている。だから、「アレは言葉のあやで!!」などと言い出さないうちに、さっさとヘッドロックを掛けて駐車場の方へと引きずっていった。

*  *  *

 ここからの話は、互いの知らないところでのことになる。
 中国の、得体の知れない遺跡から戻った壬生は、任務完了の報を送ったその足で日本に戻った。
 向かうところは一つしか思い浮かばず、辿り着くまで何度も胸に下がったブローチを握っていたことは本人さえも気付いていない。
 その骨董店は、昔ながらの佇まいを残している。不思議な気配だけを漂わせ、それは、言うなれば空気のようなものだ。当たり前のようにそこにあるのに、必要とする人間しか気付かない。
 だからああやった行き交う人は視線すら向けないで通り過ぎていくのだろうと、どうでもいいことを考えた。
「こんにちは」
 店には誰もいないが、声を掛ければ奥から人の気配が漏れてきた。程なくして出てきた店主はまだ年若く、休日だからか着物をきっちり着込んでいた。
「ああ、君か。いらっしゃい」
「どうも」
 店主との付き合いは長い。少なくとも、壬生の人生で出会った人間の中では長い部類に入る。
「今日はどうした?買い物なら大歓迎だが」
「……友人に会うたびに散財していたら破産もすぐそこですね」
 穏やかで柔らかく、かつ胡散臭い笑みを真っ向から受け、見慣れない新商品を手に取って物珍しげに眺める。そんな壬生を見た店主は小さく嘆息して、まぁいい、と呟いた。
「とりあえず上がったらどうだ。丁度もらい物の羊羹がある」
「お代は?」
「ツケておいてやるから……おいで」
 返ってきた言葉に微笑いを一つ返し、壬生は靴を脱いだ。
 奥は和室になっていて、高校時代はよく集まって麻雀に興じていたものだ。思い出すと懐かしい。
「相変わらずの人の入りですね。……大丈夫なんですか?この店」
「お陰様でね。最近は別方面にも手を出してみたら意外と当たったから、経営状態は悪くない」
 皮肉で返されるかと思ったら、案外本当のようだ。気を悪くした風もなく羊羹を運んでくる。
「まさか核兵器の密売なんか……」
「犯罪に手を染める気はない」
 銃刀法違反は店主の六法に載っていないらしい。口には出さず、出された茶をすする。
「暗器や刀、呪符や花札よりは実用的なものだ」
「ああ……」
「ここ数年で取り扱いを始めたんだ、……大口の客が付いたのはいいんだが、注文のうるさいのがいてね。こちとらそう近代兵器に明るいわけでもないのにあのモデルは古いだとか何を取り扱えだとか、まったく」
 そう言いながらも楽しそうなのは根っからの商人だからか、はたまたその客を気に入っているのか。壬生には知りうるべくもないが、後者の可能性もあるんじゃないかとなんとなく思った。
「……そういえば、この間、龍麻が来たよ」
「今はもう日本に腰を据えてるんですか?」
「らしいね。まったく、何を考えたんだか教員免許を取るんだとかで大学に行き始めたらしいよ」
「へぇ」
「学費やら何やらを稼ぐために道場を始めたらしくてね。……蓬莱寺と」
 大学に通う、そして働く緋勇龍麻というものを想像するのはなかなか難しかったが、考えてみればそういう歳なのだ、自分たちは。
「……そういえば、この間龍麻によく似た子に会いましたよ」
「それは……珍しいね。龍麻に似てるなんてよほどの美人じゃないか?」
「いや、顔が、というより雰囲気が、なんですが」
 座卓に湯飲みを置いて、どこがどう似ていたのか説明しようかと試みる、が。葉佩九龍という人物をどう言い表していいのか分からなくて戸惑う。そこで初めて、掴み所がなかったのだと言うことに気が付いた。
「一見、人当たりがいいけれど、大切な誰かを傷付けられると人格そのものが豹変したんじゃないかというくらい様子が変わる。そんなところが……龍麻に、似ている子だ」
 店主は、ふぅん、と気のないような返事をした。あまり機嫌がよくないようだ。
「……何か?」
「いや、何でも。……それにしても、随分と気に入ったみたいだね、その、龍麻によく似た子」
「?? 別に、そういうわけではないですが」
 店主はまた、ふぅん、とつまらなそうな返事をした。機嫌がよくないわけを聞こうかと思った。けれど、その前に言われてしまったことばに唖然とする。
「楽しそうだよ、その子の話をしている時。とてもね。君が微笑っているくらいだ」
「え……?」
 気付いてはいなかった。
 けれど確かに、壬生紅葉は笑っていた。滅多に見せない、穏やかさを湛えて。
「そう……ああ、そうかも、しれない」
「ふぅん…」
 そんな話をしているときだ。外から人の気配がした。客が来たのか?二人して、声を掛けられる前に店の方を覗き込む。
 カラカラと引き戸が開かれ、現れた人物を見て壬生と店主は同時に相貌を崩した。
 真っ黒い髪がまず目に入った。背はあまり高くない。俯き加減の顔を少し上げれば、長めの前髪の間から奥が読めないほど黒い瞳が覗く。その後ろには、どうやら背の高い彼の相棒が立っているらしい。
 すぐに店を覗き込んでいる二人に気が付いたようで、彼は僅かに驚いたような表情を見せてから。
 片手を挙げて、微笑んだ。

End...